平沼内閣


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{{日本の内閣記事|ひらぬま ないかく|35|平沼騏一郎|Template:和暦?|1月5日|同年|8月30日|官僚・軍人が中心。|なし|なし|http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/35.html|枢密院議長|画像=250px|画像説明=平沼内閣の閣僚}}

概要

平沼内閣は、前の第1次近衛内閣の崩壊を受けて、枢密院議長の平沼騏一郎が組閣した内閣である。日独軍事同盟の締結交渉を進めていたが、1939年(昭和14年)8月に突然、ドイツナチス・ドイツ)がソビエト連邦独ソ不可侵条約を締結したため、衝撃を受けた平沼首相は「欧州情勢は複雑怪奇」との言葉を残して同月末に内閣総辞職。

閣僚

男爵平沼騏一郎枢密院):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
有田八郎(貴族院所属:昭和研究会)(第1次近衛内閣から留任):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
侯爵木戸幸一(貴族院所属:火曜会):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
石渡荘太郎(官僚:大蔵省):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
板垣征四郎(軍人:陸軍中将)(第1次近衛内閣から留任):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
米内光政(軍人:海軍大将)(第1次近衛内閣から留任):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
塩野季彦(官僚:司法省)(第1次近衛内閣から留任):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
男爵荒木貞夫(予備役陸軍大将)(第1次近衛内閣から留任):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
桜内幸雄立憲民政党):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
八田嘉明(貴族院所属:昭和研究会):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
塩野季彦(法相兼任):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年4月7日
田辺治通(官僚:逓信省):1939年(昭和14年)4月7日 - 同年8月30日
前田米蔵政友会):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
八田嘉明(商工相兼任):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年4月7日
小磯國昭(予備役陸軍大将):1939年(昭和14年)4月7日 - 同年8月30日
広瀬久忠(官僚:内務省):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日
公爵近衞文麿(貴族院所属:火曜会):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日

           

田辺治通(官僚:逓信省):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年4月7日
太田耕造(官僚:司法省):1939年(昭和14年)4月7日 - 同年8月30日
黒崎定三(貴族院所属:昭和研究会):1939年(昭和14年)1月5日 - 同年8月30日

政務次官

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外部リンク




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 16:07。












     
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