塘沽協定


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塘沽協定(たんくーきょうてい)は、1933年5月31日河北省塘沽で締結した満州事変停戦協定

妥結に至る背景

満州事変によって満州国が建国されると、それまで強硬な抵抗姿勢を取っていた孫科内閣は倒れ、代わりに対日妥協策を取る汪兆銘内閣が成立した。その一方で日本軍は1933年に熱河省へ侵攻、万里の長城(長城線)以北の地域を満州国に併合する。更に長城線を越えて河北省へと進撃するが、ここで宋哲元率いる29軍の抵抗に遭ってしまう。何とか侵攻は成し遂げたが日本は国際連盟を脱退して国際的な孤立感を深め、国民政府との間で一応の妥協点を探ることになった。

最初のうちは北平政務委員長の黄郛和関東軍副参謀長岡村寧次との間で秘密裏に交渉が持たれていたが、最終的には国民政府軍事委員会から何応欽が全権として出席し協定妥結にこぎつけた。

協定の骨子

  1. 国民政府軍は河北省東北部から撤退し、軍事的な挑発行為を行わない。
  2. 前項が遵守されているか日本軍が監視することを認める。国民政府もそのための便宜を図る。
  3. 日本軍は長城線以北へ撤退する。
  4. 長城線以南~国民政府軍撤退地域は国民政府の警察によって治安を維持する。

影響

この協定によって国民政府中国国民党)は事実上、満州国の建国を認めたばかりか華北における主権の一部を喪失する結果となってしまい、協定を妥結した汪兆銘は非難の矢面に立たされることになった。また中国共産党は協定を売国的と非難声明を出した。

一方、日本軍は大部分の軍勢を撤退させたものの、一部を「国民政府軍の行動を監視するため」と称して駐留させていた。

関連項目




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月6日 (日) 21:55。










    
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