山東懸案解決に関する条約

山東懸案解決に関する条約(さんとうけんあんかいけつにかんするじょうやく)とは、1922年2月4日日本中華民国の間で締結され、同年6月2日に発効した条約第1次世界大戦の結果、日本がドイツから奪った山東省膠州湾青島)のドイツ租借地及び山東鉄道(青島-済南間及びその支線)の返還が定められた。山東還付条約(さんとうかんぷじょうやく)とも。

概要

日英同盟を理由として第1次世界大戦に参戦した日本はドイツが支配していた膠州湾と青島、山東鉄道を占領した日本は戦後に戦勝国として日本が租借権の継承を要求、ヴェルサイユ条約でこれが認められた。中国側はこれに強く反発したのみならず、一般の中国人にも反日機運を高めた。これを憂慮した原敬内閣東方会議において、将来的には中国側に返還することとしたが、日本側に有利な条件での返還を望み、即時返還を求める中国側との溝が深かった。

ワシントン会議が開催されると、アメリカイギリスの仲裁で山東還付問題が協議されることとなった。租借地と同地の公有財産の無条件返還については合意を得たものの、山東鉄道の問題で両者は対立した。日本側は山東鉄道を利用して華北華中への進出を図るために山東鉄道返還の回避を狙って、山東鉄道の日中合弁化あるいは売却代金4000万円を借款化して長期による割賦として半永久的な支配権を要求した。これに対して中国側は即時一括での代金支払を要求した。そこでアメリカ・イギリスの提案で4000万円を15年満期の外債で日本に支払、満期まで運輸主任・会計主任に日本人を起用すること、ただし条約発効から5年経過した場合には中国側は随時繰り上げ償還を行えることを条件として妥協が成立した。その他、日本側は青島税関の管理権を中国側に返還し、日本側が青島での居留地の設置を求めない代わりに、中国側は青島を自由貿易港として外国人の自由な居住と営業を認めること、山東鉄道保護を理由として駐留する日本軍は山東省から撤退することなどが合意されて条約として締結された。

これに基づいて1922年末までに日本軍の撤退と租借地及び公有財産・青島税関の返還が完了し、翌1923年1月1日に山東鉄道が条約で認められた条件付ながら中国側に返還された。

関連項目




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月1日 (月) 16:28。











    

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最終更新:2009年01月03日 22:41
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