朝日新聞


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right|thumb|300px|朝日[[新聞販売店・ASA(大阪市鶴見区・あさひやまもと)]] 朝日新聞(あさひしんぶん)は朝日新聞社が編集・発行する新聞の1つ。朝日新聞社のメイン新聞であり、発行部数は近年読売新聞に抜かれ第二位で公称800万部。

沿革

紙面・論調

  • 一般的に左派リベラル言論の代表紙である。保守派からは左翼的、自虐史観的、中国の政策や北朝鮮の独裁政治に対する批判の欠如が問題視される傾向にある。実際の内容を見ると、中国・北朝鮮に対してほぼ無批判である。しかしながら記事ごとの思想的差異はかなり狭い。ただし後述するように、朝日新聞の論調は各時代で相当の変遷を経ていることにも注意されたい。
  • 中国や北朝鮮、韓国に好意的な立場であり続ける一方、日本政府や公務員(但し日教組は除く)、保守思想に対する批判(保守を超えて日の丸君が代に批判的)では容赦が無い。また、社説欄や天声人語だけでなく、投書欄(「声」欄)や読者投稿の短歌(「朝日歌壇」)においてそのような政治的意見や揶揄を語らせることもある。
  • 他紙と比べると、科学欄ではかなり踏み込んだ専門的な記事もあり、文化欄や読書欄などでも紙面の充実を図っていることが特徴的である。
  • 在日外国人の内、在日朝鮮人韓国人の氏名表記にあたってだけは、他紙が母国名を掲載している場合であっても、原則として日本通名のみでの表記を行っており他紙との違いを見せる。
  • 朝日新聞の論調は、敗戦を契機として百八十度の極端な変化がみられた日教組と同じく敗戦トラウマと揶揄されることが多いが、基本的に「戦後民主主義を先導する社会的エリート」という意識が強すぎるため、プライドが高くて他を見下す傾向にあり、報道におけるミスがあってもすんなり謝罪したり認めたりしないという点が認められる。
  • 2001年で終わった土曜版の一コーナーである「紙面批評」の末期にはあえて自社を批判する評論家に書かせようとしたものの、社内幹部による記事検閲が執拗におこなわれ、かえって「紙面批評」が消滅する原因となった。
  • 小泉政権以降、若い世代の右傾化に強い危機感を持っている。ネット右翼を含む、若者の右傾化についてしばしば特集記事を掲載している。2006年の小泉総理靖国参拝の際、NHKが携帯電話で賛否をとったことを、若い世代の意見に偏ると批判した。また同じ時期、ファッション欄に掲載されたワンポイントマーク復活の記事において、「メンズウエアの胸元に、ワンポイントマークが復活している。かつては中年男性のゴルフ用ポロシャツに、必ずついていた傘や熊などのマーク。それが今、おしゃれな装飾としてさまざまな形に進化している。」という書き出しから「そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。」と結論付けた。

歴史

  • 歴史的に見れば、朝日新聞の論調はその時々の時代状況などに応じて変化し、一定ではなかった。
  • まず創刊期には、参議伊藤博文らが参議大隈重信を政府から追放した明治14年政変の翌年以降、政府と三井銀行から極秘裡に経営資金援助を受ける御用新聞として経営基盤を固めた。そしてその間に東京の「めさまし新聞」を買収して「東京朝日新聞」を創刊し、東京進出を果たした。さらに日露戦争前には主戦論を展開し、日露講和にも反対した。
  • 大正デモクラシー期には憲政擁護運動の一角を担い桂太郎内閣を批判。寺内正毅内閣期には、同内閣だけでなく、鈴木商店を米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃して米騒動を煽り、鈴木商店は焼き討ちにあった(白虹事件を参照)。しかしこの事件を再調査した城山三郎によれば、当時、鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き討ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「風評被害」情報紙『有鄰』No.385 P1で、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立てている。
  • 第一次世界大戦後は軍縮支持、シベリア出兵反対、普通選挙実施を主張していたこともあった。満州事変以降は概して対外強硬論を取るようになり、特に太平洋戦争中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。そして終戦後、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表して、路線転換する。ただ、終戦後の「転向宣言」や社説だけでもって、単純に社の性格を規定することはできない。また、2006年12月9日の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導していた立場にもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、執筆者ごとの世代の大きな間隔が見て取れる。
  • 戦後の朝日新聞社においては、購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向がある。戦後、この層に濃厚に見られた社会の進歩への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の進歩的な論調の背景にあるという面も見逃せないが、(エリートとは無縁な)庶民意識との乖離も見られる。
  • 公害問題や環境破壊を積極的に取り上げた側面も無視できない。またこのような社風は熱心な文化事業の展開につながってきた。イラク日本人人質事件においては契約記者が武装勢力に拉致されるという出来事が起こったが、朝日新聞社広報室はいち早く「イラク入りは本社の要請ではない」と発表。当該記者の自己責任を強調した。

注目を集めた報道

  • 1959年7月14日号にて熊本大学医学部の水俣奇病総合研究班が水俣病の原因が有機水銀中毒であることを確認したと7月21日に予定されていた医学部水俣病研究会報告に先駆けてスクープ。先にこの情報をキャッチしていたらしい状況証拠のある熊本日日新聞は地元との利害関係に縛られて自由に動けなかったと推測されており、これより2日遅れの報道となる。この時点まで新日本窒素肥料水俣工場首脳部は工場付属病院が熊本大学に出している研究生から水銀説が確認されつつあるとの情報を得ていたものの黙殺しており、この報道で急遽水銀説否定のための資料集めを開始している。

疑義が持たれた報道、スキャンダル

  • 1991年から翌年にかけて「従軍慰安婦」問題の連載キャンペーンを展開、吉田清治著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年(1943年)に軍の命令で韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にした」という体験談を、4回にわたり報道した。 この「体験談」は現代史家・秦郁彦の調査により嘘であることが判明し(『正論』1992年6月号)、吉田清治本人もフィクションであることを認めたにも関わらず(「諸君!」1998年11月号 秦郁彦)、朝日新聞は何ら反応を示さなかった。又、1991年8月11日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日中戦争第二次大戦の際、女子挺身隊として戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた。 この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話にも、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意見が出されたが(『諸君』1996年12月「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」秦郁彦著)、朝日新聞は反応を示していない。
  • 1996年、フリージャーナリストの岩瀬達哉は、雑誌『Views』に発表した「株式会社朝日新聞社の研究」(のち「朝日新聞社の研究」と改題して『新聞が面白くない理由』に収録)において、巻頭コラム「天声人語」の執筆者だった疋田桂一郎や、海外ルポルタージュで知られる本多勝一らの著名記者が、リクルートから、リクルート事件が発覚する前年の1987年に接待を受けていたと報じた。本多は編集長を務める雑誌『週刊金曜日』や、雑誌『噂の真相』での自身の連載記事・コラムで岩瀬の記事を捏造と非難した上、岩瀬に対し「講談社の番犬」「狂犬」「売春婦よりも本質的に下等」「(フリージャーナリストは)卑しい職業」の言葉を浴びせた。これに対し岩瀬は本多と疋田を名誉毀損で告訴し、本多も反訴した。東京高裁は2005年3月、岩瀬の記事について名誉毀損、また本多の反論も「限度を越えた」と認定、互いに敗訴で確定。
  • 2002年6月にはFIFAワールドカップに関連して、「日本代表での最後の W 杯。 国の名誉という鎧を着せられた試合は楽しめない。 中田英寿選手が周囲に語る」との記事を掲載し、中田選手が否定して抗議したにもかかわらず謝罪しなかった。4ヵ月後、中田選手が再び日本代表になったときも、「記事内容と異なる結果になったことをお詫びします」と謝罪しつつ、あくまで報道自体は正しかったと主張した。
  • 2002年4月20日の朝刊に掲載された有事法制に関する FAQ の中で、「ミサイルが飛んできたら?」という問いに対して「武力攻撃事態ということになるだろうけど、1発だけなら、誤射かもしれない」と回答した。
  • 2004年、社会部記者が取材でミニディスクに無断録音し、さらに録音内容を第三者に渡したため朝日は記者を退社処分にした。朝日は処分の理由は無断録音ではなく、取材相手に敵対する側に内容を渡したからと説明しているが、結果的に今後取材の録音には相手の内諾を得ると内規を作った。
  • 2005年1月12日、自民党の安倍晋三・中川昭一両議員から2001年1月30日放送のNHK番組の編集についてNHK上層部に圧力があったのではないかとする報道を行った。7月に、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。8月に社内関係者が番組改変の証拠とされる録音テープを魚住昭にリークして講談社の月刊誌『現代』に書かせた。9月30日、朝日新聞がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関「『NHK報道』委員会」が「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない。」(「NHK報道」委員会の見解より引用)という見解を出す。これを受けて朝日新聞は取材の不十分さを認めた。一方で記事の訂正や、謝罪はなかった。委員会の見解でも、朝日新聞は検証が十分ではないと指摘されている。番組改変の記事を執筆した記者は激しい批判を受け、2006年に異動になった。
  • 2005年10月19日の朝刊で「首相の靖国参拝 賛否二分」という世論調査を元にした記事が掲載されたが、その記事の内容をめぐって前日に社員同士が暴力沙汰を起こし築地署に110番通報していたことが判明した。40代社員が30代社員に暴行を加え、警察に助けを求めようとした際に携帯電話を破壊したとされる。
  • 皇室典範改正について2006年2月02日の社説で寛仁親王に発言を控えるよう忠告するが、昭和天皇の靖国に関する発言(いわゆる富田メモ)が報じられた後の7月21日の社説において「重く受け止めたい」とし、皇族の発言の政治利用についてオポチュニズムが徹底している。
  • 2006年末から2007年初頭にかけて、静岡総局長の私有パソコンからWinnyを通じて個人情報および業務情報が流出した。これによって社員年収の情報も露呈して、格差社会の頂点に立つ朝日新聞の実情が明らかとなり、インターネットの掲示板で批判と羨望を受けた。
  • 2007年1月6日の夕刊で「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と批判する内容であったが、"Number"(文藝春秋社)に関して事実と反する部分が存在した。
  • 2007年2月1日、1月30日の夕刊で掲載された富山県かんもち作りに関する記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、読売新聞のインターネット版に27日に掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用していたことが判明する。問題の駐在員は、「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自分の原稿を書き直した」と話しているという。朝日新聞東京本社では1日午後に読売新聞に謝罪した。後に他の2件の記事も同じく読売新聞のホームページ記事から引用されていることが分かり、記事を書いた記者を解雇するなどの処分を行った。
  • 漫画家の小林よしのりと対立関係にあり、彼の作品である「戦争論」等を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において一般人(政治家等以外の立場の人物)を複数にわたり批判したのは小林のみである。

社会主義陣営に対する報道とそれに対する批判

  • 主に朝日新聞の特定の記者への批判がなされているただし、1980年代ごろ迄の朝日新聞を批判した書籍によれば、朝日新聞の報道姿勢は「親ソ連的の反面、同じ共産主義国の中国に対しては批判的であり、二重基準を取っている」とされていた。そのため、近年になって過去の経緯が忘れられて主張されている面もある。。
  • また、北朝鮮についても同様のことが行われたと主張する論説もある。詳細は帰国事業を参照

題字とその地紋

  • 朝日新聞の題字は、唐の書家・欧陽詢の『宗聖観記』の中の筆跡から作字したもので、1879年の創刊から使われている。題字の「新」の中の「木」の部分は「未」となっている。これは古い字体であり、この文字が書かれた当時は誤字ではなかった。またその「新」の字が『宗聖観記』の中に無かったことから、「親」の偏と「柝」の旁から点を取り除いたものを組み合わせて「新」を作字した。大修館書店「漢字Q&A(その4)(Q0161)」
  • 題字の地紋は、東日本(静岡県以東)と西日本(愛知県以西)で異なっている。東京本社と北海道支社の地紋は、1888年に「東京朝日新聞」として東京に進出した頃から使用している「サクラ」。「朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表わしている。大阪本社と西部本社、名古屋本社の地紋は「浪速の葦(なにわのあし)」で、大阪で生まれた新聞であることを表わしている。なお、社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本は朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本はその逆となっている。それぞれ朝日が東日本・西日本を照らしている意味からきている。

文字表記

  • 1950年代から、当用漢字表外の漢字の表記について、朝日新聞社が独自に簡略化した通称朝日文字と呼ばれる字体が使用されている。2007年1月15日からは、約900について朝日文字の使用を取りやめ、康煕字典体を使用している。

広告

  • 大学教員や学校教師が愛読して他人にも読まそうとするので学生の読者も多い。そのためか就職情報などの広告が他紙に比べて多い。
  • 週刊新潮』など自社に都合の悪いことを書くメディアの広告を拒否したり検閲したりする。
  • 近年はさまざまな理由で広告収入減の傾向にある(そのためかもともと受け入れない方針の創価学会の広告を受け入れるようになった)。

関連著名人

関連項目

4コマ漫画

ポッドキャスティング

参考文献

脚註

外部リンク




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月11日 (金) 09:11。









   

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