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「早く帰るつもりなんじゃあなかったのか? 今日は」
 同僚で先輩で装甲サイボーグのセーブルが突然そう切り出して、黙々とキーボードを叩いていたウィド・アーネクトは顔を上げた。
「キリのいい所まで終わったら……。なんだよ、珍しいじゃないか、お前こそ」
 セーブルの方はと言えば、グリップテープを巻いたボールペンを握って、始末書をこなしていた。この男が残業をしてまで隊の書類を消化するなど、ごく稀である。
「まあ、たまにはな」
 はぐらかすセーブルに、ウィドはふぅんと相槌を打った。互いに同じ事柄が気になっているのは、どうやら確かなようだ。

 かの、アルカディアの都心部に悠然とたたずむミュージアム。その館長へ宛てた犯行声明が『素敵な不審者』を名乗る賊から届いたのは、一昨日のことだった。
 同ミュージアムは以前にもその“怪盗”による被害――展示場が、あるいくつかの絵画と彫刻を模した無数の贋作によって溢れかえっていた――を受けており、秘密裏の通報を受けた警察機構当局の対応は、迅速であった。
 まず第一に、予告当日の警備の手配と、防犯の強化。これは少数精鋭の人員を本来の警備員に換えて宿直に潜り込ませるという方向で行われた。
 第二に、万が一賊の標的である宝石“サクノツキ”が強奪された状況での対処。つまりは賊の逮捕と、宝石の奪還のための備えである。
 まず通例通り、数十名の私服警官に加え、対凶悪犯罪専門の訓練を受けた狙撃班までもが配置されていた。ミュージアムを中心とした周囲数キロに渡って包囲網が仕掛けられていることは、想像に難くない。
 そして第三に、宝石のダミーの用意。標的となった“サクノツキ”と寸分違わぬ模造品が製作され、十八時間前から展示場に配置されていた。現在は保管庫に移されている筈である。
 先の二つの対策はこの保険を前提として練られており、未然の抑止よりも『現行犯を押さえる』ことを優先したやり方となっている。
 たび重なる“素敵な不審者”事件の被害に業を煮やした警察上層部は、かなり強引な手を打つのもやむなし、と考えているようだった。
 しかしそれも『あくまでも市民の目からは離れた所で』という但し書きが必要になるのが、“治安的無菌状態”を目指したアルカディア警察の抱えているジレンマではあったのだが。

「さて、普警の連中はうまくやれるのかね」
 他人事のように呟きながら、ペンを置いてセーブルは立ち上がった。『普警』とは、警察組織内における一般的に公表されている部署――つまりはハンターや特警係といった特殊な部署以外の、大部分――を指した俗称である。
「おい、帰るのか? 一昨日の分の書類、まだ終わってないだろ」
 咎める口調でウィドが言った。大きな問題児は、似合わない伸びをしながら返す。
「別に、デスクワークの為に警官やってる訳でもなし……。そろそろあちらの方の仕事に行くとする」
「?」
 セーブルの言動に、少年は怪訝そうな顔で応じる。不穏な雰囲気を感じた。
「したくないのか? 意趣返し」
 にやりとする、気配があった。 


「朔之月、サクノツキ。この街では数少ない天然物の宝石で、カットの技術も現代と遜色ないと言われている……黒ダイヤか。はー、あんまり大きい訳でもないんだ」
 ミュージアムのパンフレットに目を通しながら、机の向こう側で上司のハリエットが呟いていた。独り言だと思っていたら突然「欲しいと思う? あなた」と振られたので、スティーマは携帯用端末のキーボードを叩く手を休めた。
 そして、正直に首をかしげた。分かりかねる。
「チーフ、欲しい?」
 訊きかえすと、
「綺麗なのは良いなぁ、とは思うんだけど。持ってても仕方ないかも」
 椅子の背もたれに身を預けながら、ハリエットは目をつむった。
「目の保養とか……。あ、心が豊かになったら儲け物よね」
『心の豊かさ』と『儲け物』を結びつけるのはやや矛盾してはいないだろうか。なんとなしにそんなことも考えながら、スティーマは肩越しの窓を見上げた。ブラインドの向こう側、空が藍色に染まり始めていた。

 ここは、今回の事件における警察の即席対策本部である。政府が常時より秘密裏に確保している幾つかの空きビル、その内の一フロアに設置された。
 室内には指揮に就く高官やその部下、現場との通信を行なうオペレーター、予備人員の私服警官などが待機、もしくは打ち合わせを行なっている。その一角には屈強な警備官が四人固まっており、ミュージアムから避難された本物のサクノツキが保管された金庫を警護していた。
 そしてスティーマとハリエットが窓際にいて、事務机一つにパイプ椅子二つ、それとコンセント一つが割り当てられていた。

 この警備任務において彼ら特殊警戒活動係――通称“特警係”は、ミュージアムを中心とした包囲網の最外環に配置される。ダミーのサクノツキを強奪された場合の最終的な守り、と呼べば聞こえは悪くないが、実際問題、そこまで網を突破された場合はもはや既に『作戦失敗』の状態である。
 要するに、あまり期待されていないポジションなのだ。万が一の場合に保険として機能すれば運が良い、とでも思われているのだろう。
 ちなみに、“素敵な不審者”との接触が幾度かあるウィドら第四隊は、警察の対応を気取られる危険性があるため今夜の出動からは外されていたが、情報処理に長けたスティーマは例外で、オペレーターとして本部に配置されている。

 端末の画面に、ミュージアム周辺地区の立体地図がワイヤーフレームで描かれた。今いるビルも端の方に見てとれる。更にキーボードを操作すると地図上に、特警係の各隊員の位置を表す、幾つかの光点が現れた。
 ビル街の随所に設置されたソナー、レーダーより送られる情報を総合した、三次元測位システムである。
「測位システム、接続、完了」 
 伝えると、ハリエットはスティーマの後ろに立って、ヘッドセットに語りかけた。
「こちら本部。各隊長、どうぞ。……夜食は各自仕込んだかしら。今夜は長いよ?」
 そこまで言うと彼女はマイクを手で覆い、見下ろしながらスティーマに呟く。
「さて、今夜のは本物が出てくるかなぁ」
 判断材料が不足している。スティーマは再度、首を横に傾けた。


「失礼します」
 ノックの後に扉を開け、一礼をして社長室に入ってきた女性に、代わり映えのしない街を眺めていた彼は、微笑みながら手招きをした。
「ここからもかろうじて見える。……ほら、例の博物館だ」
「社長?」
 楽しげに視線を遠くまで投げなげかけている彼の背中に、女性が歩み寄った。社長と呼ばれた青年は肩書き通りに、この会社――複合企業ゴロワーズの最高責任者であり、彼女はその秘書だ。
「今宵はあそこへ、怪盗が押し入るらしいね。目的は宝石だという話さ……文化財的な」
 振り返り、壁全面にはめられた窓ガラスに寄りかかって、ギィ・ノワールは呟く。
「またイミテーションだよ。俺たちの名前をかたっている」
 イミテーションとは、宝石に掛けてあるのだろうか。ギィ自身が正真正銘の“素敵な不審者”であり、ミュージアムへ予告状を送りつけた賊は偽者だという話である。

 ここ数週間、そのような事件が多発していた。最初にこの手の企みを掴んだ時には、彼も警察への垂れ込みを行ったものだが、もはやそれも面倒なことになってしまった。
 大抵は犯行直後に捕らえられる程度の連中であり、別に迷惑を被った訳でもないが、本家“素敵な不審者”としては、いい気分はしない筈だった。

 それでも青年の表情に苦々しげな影は見えず、むしろ愉快でたまらないとでも言いたそうな風であった。
「それで」
 秘書が、静かに笑みを浮かべた口元で言った。
「それで、本物の社長は今どこまで遊びに行っているのかしら」
 口調は上司へ向ける丁寧なそれではなくて、応じる青年は意外そうに頭をかいた。
「あれ。分かりますか、やはり」
「分かるわよ。社長代理」
 青年は、ギィニ(ギィ・ノワールの愛称)の影武者である。変装術及び声帯模写をたしなみ、社長が怪盗稼業に出向いている間の代役とアリバイ捏造が、この会社における彼の業務内容なのだ。
「まったく、社長の偽者は私の専売特許かと思っていたのですけど。最近の風潮はどうかしてますね」
 ギィニと同じ、長身の影武者氏の目を見上げ、まるで叱るように秘書は言い放つ。
「質問に答えなさい」
「それなのですが……」
 言いよどむ代理に、彼女は一瞬で事情を察した。そこへ、社長の声を正確に模した伝言が降る。
「『かの名高い黒ダイヤ“サクノツキ”はきっと手土産にするから、どうか俺なんかのために胸を痛めないでおくれ』……だそうです。あ、バックアップ・スタッフの手配は既に」
「そういう問題? 違うでしょう!」
 怒鳴りつけられ、影武者は困り顔で肩をすくめた。そっくりである。
(模倣犯なんかに対抗意識燃やして、挙げ句に何も言わないで出ていって……!)
 頭が痛くなりそうな気分になりつつ、秘書はギィニのプレジデントチェアに身を沈めた。


 高い所に浮かんでいる月は、白くて丸い。
 ウィドはそれを、広場の端に点々とあるベンチの一つに腰を下ろして、見上げていた。足元には黒いボストンバッグが置かれている。
『そもそも今夜の“素敵な不審者”が馬鹿正直に普警の愚策に引っ掛かってミュージアムの方に現れるというような奴なら、そりゃあ偽物。わざわざ俺らが出張る幕なんかじゃあねえよ』
 セーブルの言葉を思い出す。この場合の自分達とは、特警係全体の事を指しているらしい。
『だからして俺は、網の外側、警察の対策本部を張る。怪盗の標的はあっちにあるからな。無駄足の可能性は高いが……来たいならお前も来るか?』
 彼は意地悪く笑っていたと思う。正直癇に障ったが、結局ウィドはここにいた。月の下には、即席本部の置かれているビルが建っている。
(帰った方が良かったかも……)
 冗談混じりに後悔して、少し弱気になった。何時間もずっと、この辺り――本部の階が確認できるポイントをうろついているのだ。装備を入れたバッグも結構な重さがあるし、歩き疲れた。この上補導でもされかけたら、情けなさに押しつぶされてしまいそうだ。どうしよう。
 ふと、セーブルはどこにいるのか、気になった。ビルの上にでも、潜んでいるのかもしれない。

 広場の反対側にある正面のベンチにも、誰かが座っていた。遠目に顔がわかる距離である。
 その誰かは腿に肘を乗せてうつむき加減になり、石畳を眺めていた。いや、別に何を見ているつもりでもなかったのかも知れないし、寝ている様にも見えた。
 妙に気になる男だった。
 五十がらみだろうか。雑に撫で上げた髪には白髪が混じる。こんな時間だというのに、四角レンズの黒眼鏡を掛けていた。
 帰宅途中の会社員、という風貌とも違った。背広ではなく、黒褐色のジャケットを羽織っていた。
 気がつくと、男が小さく顔を上げていた。黒眼鏡の上を通した視線が、ウィドのそれと確かに交差する。

 心臓の音が、やけに大きく聞こえた。
 目を逸らすことができない。
 男も動く様子はない。無機質な人相は崩れない。
 ウィドには彼が、このアルカディアという背景に対して、異様なまでの違和感を持っているように感じられた。
 理屈ではないが、確信できる感覚だった。自分の中の『訳あり』な部分が囁いている。
 挙動不審という風ではなく、あからさまな怪しさが滲んでいる訳でもないのに、まるで場違いとしか考えられない雰囲気があった。

 それが何なのか。ウィドの頭の中で言葉になりかけた時、懐でチチチチチ、と通信機が高い呼び出し音を鳴らした。
 慌てて耳に当てると、嬉しそうなセーブルの声が聞こえた。
『おい、動いたぞ。あいつは多分本物だ』
 なるほど、ミュージアムの方が、やけに騒がしい気がする。ウィドは立ち上がった。
 強く握った覚えもない手が、汗で湿っていた。向こう側の男の姿は、何処かへ消えていた。
 気を取りなおすように、頭を強く左右に振る。
「……よし」
 装備が入ったボストンバッグを持ち上げ、肩に掛けた。


 犯行予告時間の三分前、日付が変わる直前に“素敵な不審者”は姿を現した。
『やあ、諸君!』
 ミュージアム上空に。
 全高約180メーターで。

「立体映像だと!?」
 対策本部の中を、混乱と焦燥が満たした。
 純白のタキシードに同色のシルクハット、紅の仮面まで着けた超高層級の怪人物が、突如街の夜空に出現したとあっては当然である。あんな物を、市民の目に触れさせる訳にはいかない。
『時間が時間だけにギャラリーが少ないのは、まあ残念だね。警察の皆さんも、隠れずに出てくるといい』
 晴れやかな声で、“いかにも”な怪盗は続けた。懐中時計を確かめるそぶりを見せる。
『……とは言っても、あまり時間はないんだけどな。これは余興だから』
「周囲の建造物に、映写機が設置されている模様です!」
「いつの間に仕掛けたんだ……?」

 ゴロワーズの社長秘書はその様子を、社長代理と共に本社ビルから見守っていた。
「ああ、あれは凄いですね! ……大丈夫ですか?」
「…………」
 頭痛どころか、眩暈までしてきた。

『俺が今宵こうして皆に会いにきた理由、わかってるよな?』
「狙撃班、何をしている!! 映写機を早急に発見、ただちに破壊しろ!」
 深夜とはいえ、周辺地区に一般市民が全くいないことはない。第一、巨大な映像にこの大音量、完全な隠蔽は不可能である。
『そう、この博物館からあの美しく気品に溢れたブラックダイヤ、“サクノツキ”を頂きに参ったのさ』
 新月をさらう箒星、なかなか詩的じゃないか? 彼はそう付け足した。
 そして次の瞬間、怪盗の体に大きな揺れが起きて、立体映像は立ち消えた。
「狙撃班より報告、三基の映写機の破壊を確認」
 コンピュータの前に座ったオペレーターが伝えて、陣頭指揮である高官はひとまず額の汗を拭った。ダミーの宝石の警戒強化を、と言い終わる前に、“素敵な不審者”の声が再び、今度はやや低いトーンで響く。
『俺はイミテーションには興味ない』
 再び本部内がざわついた。スピーカーを早く潰せと、誰かが叫んでいる。
『だから、そうだ。博物館に今あるダイヤは、誰に頼まれたか知らないが俺の名を騙っている諸賢、君達に譲ろう』
『でも本物のサクノツキは、そうはいかない。俺が、今、盗る』
『さあ、もう時間だ。メインイベントに移ろう』


「つまり今夜のこれは、こういう事件なんだ」
 警備官の一人が他の三人を一挙動でのしたのは唐突過ぎて、その場にいた全員は一瞬の判断ができなかった。
「お楽しみはこれからだ、ってね」
 立っている一人が金庫ごとを手早く圧縮カプセルに収めた段、スティーマは銃を向けようとした。しかしハリエットがそれを制して机上の端末に目をやると、その意を察してキーボードの操作を始めた。
 ハリエットはさり気なく“素敵な不審者”とスティーマの間に立ちながら部屋を見回したが、たっぷり三秒待っても他の誰かが銃を抜く気配がなく、仕方もないので、ショルダーホルスターから抜いたレーザーガンを怪盗に突きつけた。
「手を挙げるか、壁に手をつくか、手は後ろに回して床に伏せて欲しいんだけど」
 警告をするのだが、怪盗は一瞬目を丸くしてから、こちらを向いて微笑を浮かべているだけだった。逃げる気なのはどうやら確かなようだが、どうにも撃ち難い。あくまでも拳銃は最後の武器である。
「……一つ訊いてもいいかしらね」
「何なりと。気丈なお姉さん」
 あ、誉められた。などと余計なことは考えずに、銃は両手で構えたままにする。
「それ、どうするの? 質にも入れられないでしょうに」
「周りに、欲しいって女性が誰もいなかったら……海に沈めるよ」
「勿体ない」
 ハリエットが言うと、彼は余裕のある微笑みで応じる。
「それが気に入らなかったら、あなたに贈ってもいい。それで貴女が笑うのだったらね」
 やたらうさんくさい奴、という感想を、ハリエットは眉をしかめて返した。すると、
「……目的や実益なんか、余計なんだ」
 物思いにでもふけるように怪盗が天井を見上げるので、更にやりにくくなる。
「もう一つ質問、いい?」
 怪盗は、すまし顔になって促した。
「どうぞ」
「あなたが変装している警官は……」
 見知った警備官だった。二三、言葉を交わした覚えもある。少々気になったので、引き延ばす為に訊いてみた。
 ああ、と頷いて、怪盗が動いた。次の瞬間にはハリエットの目前で片膝を立て、見上げていた。驚きで彼女は上体を反らす。
「どうか怯えないでくれると嬉しい。彼には少し窮屈かもしれないが、別な場所で心地よく眠っているから」
 怪盗が手を添えているハリエットの両手には既に銃は握られておらず、ただ一輪の紅い花が持たされていた。レーザーガンは怪盗の、もう片方の手の中にあった。
 今日一番の早技だった。


「チャオ♪」と“素敵な不審者”が呟いたのは、増援の警官隊が本部へ突入してくるのと同時だった。
 途端に彼はハリエットの手を放して駆け出し、彼女の銃を窓に投げつけた。ガラス全体にひびが走る。次に怪盗は、ブラインドごとガラスを突き破る。地上数十階。誰も制止をかけられない。
 宙へ飛び出しながら、彼の手中にはワイヤーガンがあった。まるで魔法のように。結構な大きさの特殊拳銃である。
 銃から、ワイヤーで繋がれた鉤が射出される。細いが強いワイヤーが、怪盗と、通りを挟んだ反対側のビルの屋上にある手すりとの間に架かった。
 警官隊の内、動きの早い幾人かが窓際まで駆け寄り、向かいのビルの壁面に取り付いた怪盗に銃を向ける。
 だが、そこまでだった。
 ワイヤーガンに装着されたリールが高速でワイヤーを巻き取り、怪盗の姿は壁を滑ってビルの上へと去っていく。


「スティーマ!」
 呆気に取られている様子の警官隊の横で、振り向きざまにハリエットは声を張り上げた。それに応えて、ディスプレイを確認しながらこくりと頷くスティーマ。
「“素敵な不審者”、マーク、確認。現在、移動中。トレース、続行。“サクノツキ”、状態、確認、不可」
 測位システムに組み込まれた、追跡機能である。本来は専用の発信機をもって目標を特定するが、座標の指定からでも反応を追跡することが可能となっている。
 先ほどからスティーマが進めていた作業は、このためのものである。
「カプセルに圧縮された状態じゃ、宝石箱からの信号は受け取れないか……OK、いい仕事」
 続けてハリエットはヘッドセットのマイクに、よく通る声で呼び掛ける。
「あなた達、聞いたね? 各自の携帯端末に位置データは随時送る。最短ルートでこれを追うこと!」
 目標がビル街を抜けたら追跡が切れるから、追いつけるつもりだったらなるべく急ぐように、とも付け足した。三次元測位システムはまだ試験的な設置であり、サポート範囲が狭いのである。
「ラジャッ」「もがー!」「了解しました」「え……走るの?」
 それぞれから返事が返ってくる。たまに、警察組織の規範から外れていたりもする。
 彼女に向かって現場指揮官が何か言おうとした時、回線に割り込みが入った。
『オーライ、オーライ。目標視認。指示を乞う』
 ふざけた調子の、落ち着いた声。
「ああ、セーブル。あんた来てたの」
『おう。で、どうする?』
「気付かれてないようだったら、拠点まで張り付けるといいんだけど」
 セーブルは一瞬考えた様子で、
『ホネだな。あれを泳がせても、独力じゃあ到底追い切れねえよ』
 だったら、はじめから判断なんか仰がなくてもいいのに。
「接触を許可する。警視、サポートに狙撃班を回して頂けますか?」
 言いたいことが積もって苛ついていた指揮官は、いきなり話を振られて言葉に詰まった。
『無理だな。連中の銃は重いし、何より鈍足だ。ウィドに俺の銃を貸したから、誘導してやってくれ。ステイマ! いるな?』
「何、あの子もいるんだ。まぁた口車に乗っけて」
『自分の判断で来ました!』
 もう一人、割り込みが入った。当然ウィドである。
(そう言わせるための口車なんだよねぇ)
 内心思いつつも、わざわざ口に出して若い者のやる気を削ぐ手はない。
「ウィド。するなよぉ? 後悔」
『別に……! ……わかってます、それくらい』
 ハリエットが満足げに顎を引く。よろしい。いい覚悟だ。
『アドレス、Dのマルフタゴ辺りの屋上で目標にアプローチをかける。しばらく黙るぞ』
「了解。セーブル、落下、注意」
 落ちねえよ、という声を残して、セーブルからの交信は途切れた。
『第二隊、阿呆のセーブルと新米のウィドのフォローに回ります』
「うん、頼むわよリューゲル? 急げば多分……」
「ヒース君!」
 何か言いかけては間が取れなくて引っ込む、を繰り返していた指揮官が、控え目な悲鳴をあげた。
「はい何でしょうか、警視?」
「追跡……ましてや追撃命令など、出していない!」
 何が楽しいのかハリエットは、口元を歪めた。
「そうでしょうが、誰も追わない。という訳には行きませんので」
「だが」
 なんのためらいもなく、この場の最上官は二の句を次いだ。
「だからって、何も君の部下でなくともいいじゃないか!」
 ちなみに、『人騒がせな』『喧嘩早い』といった形容詞は省略されている。
「まあ、いざとなったら皆で責任取りましょう」
 苦笑いしながらなだめると、彼は諦めに似た溜め息と心底恨めしそうな目で応えた。そして、手近な部下に指示を下す。
「……検問を手配しろ」
 同情されるべき若い官僚である。彼が背中を丸めながら向こうへ行くと、ハリエットは自分の頭をがしがしとやりながら、スティーマに笑いかけた。
「やあ、思ってたよりも格好よかったなぁ。怪盗」
「チーフ」
 物凄い勢いでキーを叩いている。係の各員のルート計算を、並行して行なっているようだった。
「…………」
 あんまり無表情に見返されているものだから、ハリエットはスティーマの赤茶色の髪に、先ほど貰った花を挿しておいた。


 素敵な不審者――ギィニは、良い気分で街を散歩していた。月の照らす下、時には道具を利用して高層ビル間を跳びまわり、現場からの逃亡を果たす。それは勿論一般的な意味での『散歩』とはかけ離れてはいたが、彼という怪盗にとっては、これこそが自然な『散歩』の在り方とさえ思えた。
 冷たく乾いた空気を全身に受けながらギィニは、眼下のホテルへと片膝ついて降り立った。
『こちらステージハンド。アクター、聞こえますか?』
 舞台裏方より、通信が入った。彼は足を止める。通信機器は、微小な物が体内に収まっている。
「こちらアクター。目標の奪取に成功、帰還する」
『警察に捕捉されています。合流地点を変更しなければなりません』
 サポート役と合流する予定の地点は、ビル街の端辺りであり、測位システムの有効範囲内に入っている。
 なんの処置もなく合流する訳にはいかなくなってしまった。
「システムに介入して改竄(かいざん)を加えられないか?」
 通信の相手は、あくまでも淡々と状況を述べる。
『難しいですね。無理ではありませんが、足のつくリスクが大きいです』
 ギィニは、いくつかの選択肢を頭に浮かべ、その中の一つを実行してみようと思った。
「……こっちでなんとかしよう。動かなくてもいい。手はある」
『了解しました。ご無事で』
 通信切断。
「はは、出し抜かれかけたな……」
 前触れなしに、風切りの音が聞こえ、反射的にギィニはホテルの屋上を横に転がった。コンクリートを欠く気配を背中に感じて、勢いを殺さないまま続けて低く跳ねる。
 貯水タンクの陰まで辿り着く。気配はタイプライターのようなリズムで追ってきたが、ギィニが身を隠すと、止んだ。振り返る。
 先の着地地点からこちらへ、コンクリートの破片と共に点々と、黒い塗装の矢が散らばっていた。
(あぁ、見覚えがある。確かボウガンの)
 そのような圧倒的少数派の得物を持っていて更に恐らく警察関係者となると、かなり絞り込めるはずだった。くすんだ水色の装甲をした、あの大男。
「達者そうで何よりだ、サイボーグの旦那!!」
 タンクの向こう側へ向けて大声で呼びかけたが、返事はない。残念だと思う反面、わくわくしてきている自分もいた。
「話をしよう! こんな良い夜にこんな所で会うのも、何かの縁だろ!?」
 あの『楽しいこと好き』そうな機械化人がお喋りもしないというのは、策があるからなのだろう。恐らくは時間稼ぎの役者だ。
 早い時点でこちらから打って出ないと、ニッチもサッチも行かなくなる。ギィニはタンクに寄りかかって作業を始めた。
(今背中から狙い撃ちにされないってことは、前か左右のビルにいると考えて……)
 先程のワイヤーガンから鉤爪を抜いてリールを外すと、本来のシンプルな形――単発の信号拳銃に戻った。専用の大きな弾薬をこめる。
「例の若い奴は元気かい!? 風邪なんかこじらしてなきゃ、いいんだけど!」
 リールを真上に高く投げた。途端に射抜かれたそれが、二、三本の矢が刺さったままギィニの目の前に落下した。牽制(けんせい)だと思われる。
(よし、しっかり見ているな?)
 確認して彼は、懐から取り出したサングラスをかける。線も崩れていないスーツの中には、まるで何でも収まっているかのようだった。
 ギィニは俊敏な動きで身を反転させタンクの横から片腕だけ出して、斜め上方に照明弾を発射した。信号拳銃がクロスボウに貫かれて、銃身をタンクに縫いつけた。

 向かって右側から飛来した照明弾は、セーブルが見上げる正面で炸裂し、辺りを真昼にした。暗視モードにあった視覚センサーに焼き付きが出たため、熱感知に切り替える。
(埠頭の時と同じ手食うかよ)
 怪盗の方を見ると、タンクの後ろから走り出た所だった。セーブルの前を横切るつもりらしい。隣のビル上にあるエレベーターハウスの陰に立つこちらを見つけて、レーザーガンを連射してくる。半身に構えて、左腕内蔵のクロスボウで応戦した。
 相手は人並み外れて足が速い。瞬く間にホテルの屋上を半分程度走り抜けていた。矢も、見切られているように当たらない。レーザーの一発がセーブルの頬をかすめ、面鎧の表面を焼いた。
「こいつは、なかなか……!」
 照明弾の発光が止み、“素敵な不審者”がサングラスをかなぐり捨てる動作に合わせて、彼は短い助走を始めた。暴力的な力で踏み切ると同時に、足首に装着されたリープ・アシスタンス(跳躍補助装置)が圧搾空気をコンクリートに叩きつけ、セーブルの体躯が宙に躍った。

 夜間都市迷彩――黒と鈍色の斑に染められたポンチョに身を包んだサイボーグが、周囲の静けさを意外な程保ったまま、鼻先に着地した。その脇を抜けるにも跳び越えるにも、近すぎる。ギィニは急ブレーキをかけ、バックステップを踏んだ。
 はためくポンチョの隙間から伸びた腕と矢先が自分に向けられており、彼の目は厳しく細められた。

 セーブルがクロスボウを八射すると、同じ数だけ鋭い金属音が響き、やはり同じ数だけ白い火花が咲いた。

 知らずに止めていた息を吐き出すギィニ。その手にはいつの間にか、細身の短剣が握られている。刃の腹で無理やり軌道を逸らして防いだ八本の矢の、始めの一つが背後に落ちる音が聞こえた。
 まだ火花の舞っている内に、敵の右拳が突き出された。反射的に、体が加速する。

 確実にみぞおちを捕らえた筈のブロウが空を切る。怪盗の体は、セーブルの懐と左腕の下を滑る様に駆けて、後ろへと抜けていった。

 二人が、背中を向け合い立っている。セーブルの腕のクロスボウにつがえてあった矢が、コンクリートの上に落下した。弓に張った弦が切られている。
 警備官の姿を借りているギィニが得意げに口の端を上げ、セーブルは舌打ちをした。
(ウィドのナイフか……。あいつも良い物使っているな)
 しくじったという悔しさはあったが、差しで負けた気分は、そう悪くはなかった。
「なかなか楽しかったぜ?」
「そうかよ。さっさと逃げ仰せやがれ」
 もう少し公務員らしいことでも言えばいいじゃないか。そうギィニは苦笑する。
 言われる通り即座に逃げるべきなのかもしれないが、風も気持ち良いことだし、少しくらい話をしてみるのも悪くはない。そう思った。

 息を切らせながらウィドは、スティーマに指示されたビルの非常階段を駆けあがった。
 途中でボストンバッグは捨て、中身だけを抱えて走る。突撃銃級のレーザーガン。セーブルの銃だった。全長はさほどなく、やや寸胴気味である。
『セーブル、“素敵な不審者”、接触中。狙撃位置、二十階、適正』
 スティーマの指示が、インカムから飛ぶ。銃の右側面についているレバースイッチを操作した。これで、バッテリー・カートリッジからレーザーガン本体へとエネルギーが供給される。
(まだあと六階分……)
 重くなる脚に鞭打って、彼は速度を増した。

「そういえばいつもの少年はどうしたんだ? 相棒だろ」
「留守番だ。本当なら俺もその筈なんだが……。趣味で遊びに来ちまった」
「坑命か。どうしてまた。英雄的行為は厳禁だって聞くぜ?」
「あんたのファンなもんでね」
「そうか。それは光栄だよ」

 ゴール地点の踊り場に辿り着くと、ウィドは息を整えながらレーザーガンの収納式ストックを引き出す。なるべく平静に。
「ポイントに、到着」
 トリガーセーフティを解除する。
『ウィド。撃ち方、用意。方位、西北西。距離、240。仰角、5』
 おおよその位置関係をスティーマが伝える。勿論、ウィドから見たセーブル達とのである。
(了解……!)
 言われた方向、建造物の隙間に、それらしき影を見つけた。遠い上に暗く、ビル上の細い出っ張りだとしか分からない。
 銃の上面に、薄い方形のモニタを起こした。ここには、銃口の斜め上にあるサイティングカメラからの映像が入る。
 モニタ中心の赤い点を人影に合わせて、倍率変化のダイアルを回した。

「お前の相棒を見つけた」
「そうかよ。そっくりさんていうのは、意外といるんだな」
 自分の不意の一言、セーブルの呼吸が微かに乱れたのを、ギィニは察知し、確信した。
 一歩だけ、前に踏み出す。
「冗談さ」
「…………」
「だが、どこかから狙っているのは確かだと、俺は踏む」
 ギィニの手に、今まではなかった何かが握られていた。スプレーにも似た、円筒形の缶。
「悪く思うな? 上手いことやってのけるのも、こう見えてなかなか大変なんだ」
 彼は缶の頭に刺さっているピンを抜いた。聞き覚えのある軽い音が、セーブルの耳に届く。
「グレネードか!?」
 手榴弾を持った腕を前へ真っ直ぐに伸ばし、ギィニは宣言する。
「三つ数えて、俺はこれから手を離そう」
 ギィニの前髪を、ビルの谷間から吹き上げる風が揺らした。
「一つ」
 足下のホテルには、明かりの漏れる窓がいくつもあった。
「二つ」
「畜生」
 三つ、と言い終わる前にセーブルは身を翻し、ギィニを押し退けるようにして中空の手榴弾へと跳びついた。

「あ……セーブル!?」
 脚に狙いを定めて息を止め、今まさに引き金を絞ろうとした瞬間に、セーブルが“素敵な不審者”の前に割り込んできた。
(何やってるんだ!)

 セーブルは上体をひねって、ダイビングキャッチしたグレネードを真上に高く投げた。
 視界の端で、怪盗が薄く笑っている。
(何が悲しくてこんな危ない橋を……)
 少々虚しくなりながら、予め目測を付けておいた向かいのビルの窓に突っ込んだ。

 ウィドの照準の外で、小さな爆発が起きた。それについて考える間もなく銃の動力が絶え、義足の感覚も消えて、ウィドは立っていられなくなった。柵に掴まって、転倒は免れる。
 周囲が急に暗くなって、気がつくと、月と、沢山の星だけが光っていた。一定距離以上の遠方にならば、明かりがあるようだった。
 インカムに呼びかけようとするが、何の反応もなく、ノイズさえ入らない。電源が切れている。
(この間みたいに、電力が絶えてるだけじゃない……。“素敵な不審者”の仕業か?)
 ふと、セーブルのことが思い浮かんだ。落ちてはいなかったようだが、大丈夫なのだろうか。
 彼のほぼ全身が機械であることを考えて、血の気が引いた。

 アルカディアを上空から見ている者があったならば、光が溢れている街に、丸い穴が開く瞬間を見ることが出来ただろう。
 この瞬間、文明の利器に頼る警察機構の、この夜の敗北は決定付けられた。


 男は、ゲオルク・ラスヴェルといった。彼は今、とても高い建物の中にいた。そこから、街を見下ろしていた。暗い街。月に照らされている。
 一つの小さな影が、目に入った。街の上を走りながら、跳ねながら、少しずつ遠ざかっている。
 見つけた。標的だ。怪盗といったか。
 ラスヴェルは黒眼鏡を取り、上着とシャツの右袖を捲くり上げた。
 彼の右目はガラス玉で、とても精巧ではあるが、何の光学的機能も果たしてはいなかった。
 彼の右腕は金属製で、簡単な動きをするだけの、ほとんど張りぼてだった。
 彼が左手で右手首を掴んで引くと、肘から先が外れた。中には緩衝材を内張りしてあり、二本の鉄筒が納まっていた。連結式の銃身。
 胴体に繋がったままの二の腕からは、銃の本体とグリップが引き出された。
 隻腕とは思えない速さで、ラスヴェルはそれらを組み上げた。トリガーガードの前方から銃身が伸びる、一本の棒のような、長い拳銃の形になった。
 上着の内ポケットから取り出した弾を込める。窓の外へ向け、標的へ向け、左腕を一直線に伸ばして、構えた。
 空間把握、弾道計算、変動予測、肉体制御、異常集中、経験則。
 彼の射撃は、精密機器による作業に近かった。
 コープス・メイカー。屍体作りの工業機械。
 ラスヴェルの指が引き金を絞り、弾が撃ち出される。反動に対して、全く体が揺らがない。
 ヒット。標的の体が、屋上から跳び移り損ねて、ビルの谷間に落ちていった。
 ラスヴェルに関して、それはまるで必然だった。