短編・自室防衛対クモ戦線


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 音楽をかけてベッドに寝そべると、天井の隅に黒い影を見つけた。私は息を殺し、それを刺激しないよう意識する。
 家グモだ。全長は10cmほど。八本ある脚の先まで、体毛が生え揃っている。
 侵犯である。目の届く範囲までは人間の領域だ。ただちに神経を緊張させて、警戒態勢を取る。撃退しなくては。
 しかし私も平和的種族の子、無警告で暴力を行使する気はなかった。目標(=当該クモ)を駆除せず、自主的に撤退させる手段を模索する。
 結果私は目標に対して、自室の外、つまりは二階廊下への退却を威嚇によって促す、暫定処置を取ることにした。
 大学ノートを片手に、目標へ接近する。開いたドアの方へと目標を負い立てるよう、軽くノートを振るう。
 次の瞬間に目標は、天井から足を放しての自由落下を敢行した。
 目標に肩へ取りつかれ、
「ぅおはっ」
 私は冷静にそれを払った。目標はベッドに着地したのち、隣接した壁を駆け登り止まる。
 一度意表を突かれた私は目標の脅威を再評価¸武力行使もやむを得ずと認識を改めた。ふう。
 階下より、殺虫剤を調達。スプレー缶には『ジェット』『マグナム』『バズーカ砲』などの単語が並ぶ。すなわち『噴射』『強装弾』『対戦車砲』であり、生産者の「火力に不足なし」という自負がうかがえる。頼もしい限りだ。
 目標は先と同じ地点で進駐していた。私は余計な手心は加えず、至近距離から高圧の薬剤を噴霧した。
 跳躍。
 目標は壁を蹴って殺虫剤から避難し私の手首に激突、落下。これまでにない速力で床を右往左往してから、パニック状態のままビーグル犬人形の背後に姿を隠した。
 私は殺虫剤の使用を封印したこのような劇薬を屋内でふりまくのは非常に危険であるしそもそも取り扱いの難しいプロのツールではないだろうかいやいやいや市販品じゃないか私は何を考えている、一呼吸。
 私は冷静だ。
 ビーグル犬人形は座高およそ30cm、材料は布と綿。これをセガールと呼称する。
 依然として目標は、セガールの背と壁の間にいる。この位置関係を利用することの是非、私は決断を迫られていた。
 セガールを壁に蹴りつけることで目標を板挟みにし、致命的なダメージを与える。不可能ではない。ただしセガールの軍事利用は、非常にリスキーだ。
 攻撃が成功すると仮定した場合、事後処理に必要な手間と心労、そしてセガールの行く末は想像に難くない。しかしどのような形であれ一応の決着を見なければ安眠は保証されず、そして既に、戦端は開いていた。
 私は12秒間葛藤し、決定した。右足を引いて構える。さらば戦友。後任者にはカリフォルニア州知事から名前をもらおう。
 戦後のことに思いを馳せていた私は、視界の端に動くものを捉えた。コンポの脇。敵影。
「あ」
 知らない間に、目標の逃走を許していたらしい。そうに違いない。
――否、楽観的過ぎる。私はセガールから目を逸らしてはいなかった筈だ。
 頭の中でアラートが響く。嫌な汗が出る。血の気が音を立てて引く。
 セガールの横から“第一目標”が姿を現す。初めからの敵だ。そしてコンポの側らには、今確認された“第二目標”。敵勢力の伏兵。
 ここに至って戦況は絶望的となった。一晩で二つの目標と対峙するには、戦力も、決定的に不足していた。無念。

 今宵、自室から二階廊下までの撤退作戦は成功した。明朝までに二目標がロストしている可能性を希望に、睡眠へ移る。オーバー。