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 雨とも風ともつかない異様な物音を鋭敏な聴覚が捉え、セーブルと名乗る全身装甲サイボーグは目を覚ました。
「ふうむ」
 室内よりも仄かに明るい、窓の向こう側。上から下へと見慣れない微細な粒が、無数に流れていく。
 窓を開けると、風に乗ったそれらが飛び込んできた。
 身を乗り出すと、上半身の触覚が冷たさを伝えてくる。
「どうした、これは」
 口の中で呟く。これが、何時間か前のこと。

 未明から、アルカディアには雪が降った。
 柔く脆い氷の欠片は地面に建物にと降り注ぎ、白く染めた。
 空には雲が隙間なく広がり、日の光は淡くしか街まで届かない。
 一年を通して季節の変化がなく、温暖な筈のアルカディアにおいては、観測史上初めての積雪である。

 雪を降らせているのは、大きく奇妙な機械。深夜の内に各所の高層ビル上に設置された百基あまりのそれは、依然として静粛に作動し、氷の結晶を上空へ吐き出し続けている。
 一時は豪雪と言ってもいいほどだった降雪の勢いは、粉雪程度には落ち着いただろうか。

 居住区の道路に市民の姿はない。過去に例のない事態に、政府が外出禁止を命じたためである。
 老若男女問わず多くの者が、物珍しさから窓の外を眺めていた。

 都心部のビル街にも、人の姿はなかった。こちらでは、居住区のように市民が建物に閉じこもっていることさえ、ほとんどない。
 外出禁止令のため、通勤をしてくる市民もいない。
 この周辺にいるのは、泊まり込みで働く夜勤の警備員、若しくはその他の働き者ばかり、少数の市民だけだった。

 ギィ・ノワールは、働き者の秘書に言う。
「それじゃあそろそろ、始めよう」
 秘書は、無表情に返す。
「既に始まっています。都市の機能は麻痺し、警察も対応を決めかねている模様です。降雪装置投入の効果は予想以上です」
 満足そうに頷く怪盗。
「君たちのように優秀な共犯者を得られて、俺は恵まれているな。感謝するよ」
 無表情は、不機嫌。
「感謝は良いのですが、たまには反省も示して下さい。今回のプランも黒字の要素が皆無です」
 困ったような笑いで誤魔化し、歩き出す。
「社長代理にも、よろしく伝えておいてくれ」
 後ろ姿に一礼。
「どうかお気をつけて」
“素敵な不審者”は一度立ち止まり、肩越しに顎を引いてみせた。


 あそこまで行こう。と、ウィド・アーネクトは思いついた。またくもりかける窓の水滴を手で払い、もう一度外を見る。
 向こうのビルの屋上では、雪を降らせる謎めいた機械の一つが稼働している。粉のような氷片を高く噴き上げ、曇り空の下に散らしている。
 あれを見に行きたいのだ。
 欲を言えば触ってみたいし、ばらしても面白そうだ。
 警察が既に、停止や解体のために手を付けているだろうか。まだならばそれを自分が行えるし、既に始まっているならば、それが困難なまでの機械だということになる。
 とにかく、近くまで行かなくては始まらない。
 外出禁止令に関しては、巡回の警官に見つかっても、公務にかこつけて言い訳をする自信があった。そう、公務だ。
 どうせこんなおおそれた事態は、例の怪盗“素敵な不審者”が起こしているのだろう。奴の企みを阻止するための捜査だ、と巡査を納得させる、もしくは煙に巻く理屈を頭の中で構築する。こちらは秘密警察、正当な公務と職権乱用との間を、限界のラインまでシミュレートする。

 ウィドのこのような知恵──正確には、それを行使するノウハウ──は、その多くが、今所属している特警係を学び舎としていた。要領よく立ち振る舞う必要が時にはあるという経験も。
 かといって戦略的に策を張り巡らせて大手柄や利を狙うような部署ではなく、社会と組織の中で守るべきものを守るための強靭なしたたかさばかりを、特警係は備えていた。少なくとも今までウィドは、時折その一端を覗くことが出来た。
 そうでもなくては長居など、していたくなかった。

 タンスを開けて薄手のセーターを引っ張り出す。同僚のモルガンから最近もらったものだ。こんなに早く防寒着として役立つ場面が来るとは、タイミングがいい。
 胸に入ったイニシャルに一瞬だけ首を傾げるが、背に腹は代えられない。外は寒く、雪の日の備えなどなきに等しい。
 セーターの上から、シュウのお下がり──ではなく、あえて安く売ってもらったロングコートを着込む。肩を回し肘を曲げ、厚着をした関節の具合を確かめる。
「よし」
 良好。自前で直した電化義足の調子も、悪くない。
 油と鉄屑の匂いが微かにする工具鞄を小脇に抱え、玄関に続く階段へ、小走りで踏み出した。


 スティーマ・ケイオスが目を覚ますと、背骨に奇妙な重さを感じた。ベッドで眠った筈なのに、今は床でうつ伏せの姿勢にある。
 ワックスの真新しいフローリングを視界から外し、圧迫感の正体を、首を巡らせて確かめる。
「……チーフ」
 上司のハリエット・ヒースが、スティーマの腰に頭を乗せていた。熟睡している模様だった。身長差も手伝い、バランスの良いT字が出来上がっている。
 じりじりと体を抜きながら、自分が胸に抱えていた枕を代わりに差しておく。起きない。
 立ち上がって、独身寮の自室を見回す。一部が雑然としていた。具体的には、ウィスキーの瓶とビールの缶とワインのパックが、座卓の周りに転がっていた。
 卓の上には、それらに応じたグラスや半切れ残ったピザや駄菓子の袋。こちらは、混沌と呼ぶ方が相応しい。我ながら上手いことを考えたと、頭の中の起き抜け領域が自賛する。
 比較的理性的なスペースを使い、記憶を反芻する。
 昨晩、夜が明けても互いに非番だからと、酒類と夜食を持ってハリエットが遊びに来た。そして二時間ほど話し込んだところで彼女がソファで居眠りを始めてしまったので、その後すぐにスティーマ自身も就寝した。
 何を経て先ほどの睡眠姿勢に至ったのかは不可解だが、ハリエットが起きてもその過程の記憶は失われているのだろう。経験上、知りたがるだけ無駄だった。
「ふう」
 缶、瓶、紙パック、ピザの箱を片付け、カーテンを開けたところで、スティーマは気付いた。窓が結露し、濡れている。ぼんやりと見える向こう側の景色には、違和感を覚えた。
 そう思えば、暖房の作動音も微かに聞こえている。常温の室内から窓の水滴を手で拭う。過去にない冷たさだった。
 それと白さ。
「雪」
 呆然として、それでも普段と変わらない表情で呟くと、部屋の電話が鳴った。外線の表示。発信先は、特殊警戒活動係。
「もしもし」
「お早う、スティーマ。そっちに係長は行ってるかな?」
 受話器を取ると、係の先任で係長補佐に就いているN・リューゲルの、いつも通りに締まった声が聞こえた。スティーマはハリエットを二秒間、観察してから答える。ちょうど、頭までシーツをかぶり直すところだった。
「……多分、起きない。用件、どうぞ?」


 人工の雪には、ゲオルク・ラスヴェルは特別感動を覚えなかった。
 ビルの隙間の薄暗がりを出来るだけ選び、渡り続ける。目を隠すための黒眼鏡は、雪から照り返す白い光を防ぐ役にも立っていた。
 手足の先まで血が行き渡るよう、絶えず身体を動かし続ける。
 あらゆる環境における生存の継続に優れた肉体ではあったが、この低温環境に対しての最適化には、今しばらくの時間が必要なようだった。
 年月を重ねてなお、右眼右腕を欠損してもなお、ラスヴェルの心身は機能的要求を満たし続けていた。パフォーマンスは落ちない。
 しかしながら、地下世界とも異質なこの寒さの中で活動を行う経験は、蓄積がなかった。

 街を現状へと導いたのがあの怪盗だということは、恐らく間違いないだろう。このように大掛かりな機械を大量に仕込むことができ、実際にそれを実行に移する輩が他にいるとは、考えにくい。
 政府や大企業など、資金的、技術的に不可能ではないと思われる組織は存在したが、混乱を引き起こす理由はないと、情勢に疎いラスヴェルにも断言できた。
 怪盗だと考えれば、このような現象を起こさせる動機も、想像は容易だ。何が悪事を働くための目眩ましか。
 度が過ぎているという印象も受けるが、それとて前例がある。正しくは毎度のこと、なのだが。
 ラスヴェルは、怪盗が事件を次の段階に進め、本人が舞台に立つその瞬間を狙うため、半無人の街を不規則なルートで歩き回っていた。
 他に機はない。
 このアルカディアには彼を支援する情報源も今やなく、もしあったとしてもそれが、警察機構すら全く把握できていなかった“素敵な不審者”の行動様式を掴んでいる可能性は、皆無だとわかっていた。
 彼という殺し屋は独りだった。

 どこか、さほど遠くない後方で、銃声にも似た破裂音が鳴った。ラスヴェルは体ごと振り向いた。雪上でも、俊敏さは失われていない。
 音は細い路地裏を巡り、今も幾重の残響が聴こえる。弱くなりながら周期的に、聴覚を圧迫する響き。
「Freeze」
 後頭部に、男の声がかかった。左手で上着の内側、右肩に吊ったナイフを抜き、身を翻しながら振るう。
 左耳が裂けた。


 ギィニの銃が発振したレーザーは、殺し屋の外耳を僅かに焼いただけだった。銃を握った指に斬り掛かろうと刃が弧を描き、それをギィニは手を引いて避ける。
 金属音。レーザーガンの銃身に重い衝撃が走り、手から弾かれる。壁に跳ね、雪の上に転がった。
 自分が相手にしている隻腕の殺し屋の大層速いこと、力が強いことが分かった。一歩跳び退き、右手が痺れているのを意識する。
 そこを追って、突きが繰り出される。半身になり、辛うじて回避。返す刃先が上着の肩を掠めるが、対刃繊維の生地は、斬撃には滅法強い。
 殺し屋が、ナイフを引く。停滞のない所作で、踏み込む。
 ギィニは身構える。狭い路地裏、先の牽制によって壁の際へ誘導されることなく、中央へ重心を戻す。
 刺突。見極め、躱す。首の皮が斬られる感触。眼を逸らさず、突き出された左腕を、両の手で取る。
 踏み出す。
 流転。
 殺し屋の体幹を背に負い、宙に浮かせ。雪面に叩き付けた。積雪は薄く、思いの外、固い音がした。
 手首を捻ってナイフを奪おうとした瞬間、それは反転して逆手に握り直された。ギィニは咄嗟に跳び、間合いを離す。
 コートの飾りボタンが、袖から離れる。
 プラスチック製のボタンは、ちょうど両者の中間地点に落ちた。
 長身の男は、微笑んでいた。三十代に見えるが、動きは若い。変装だろう。自分を差し置いて、ラスヴェルはそう判断しながら起き上がった。黒眼鏡を外し、懐にしまった。
 男は身構えもせず、片膝突く自分を見下ろす。首の傷から滲んだ血を、手袋で拭っている。
 雪に合わせたような白い上着にも、どちらか、もしくは両者の血痕が微かに散っていた。耳の痛みを思い出す。
「やあ、殺し屋。この天気だ、冷えるな」
 ラスヴェルは何も答えない。各所の関節を小さく動かす。異状はないようだった。
「寒いのは嫌いか? 俺は雪が降るのは楽しいと思うんだが」
 相手の意図が読めない。常人とは比べられない些細なスケールではあるが、ラスヴェルは困惑していた。男がより一層唇を薄くし、金色の髪をかき上げた。
「俺が、分かるな?」
 彼は認識していた。肩書きは怪盗、呼称“素敵な不審者”。その人物。
 標的は喋り続ける。
「今日はお前に会いに来た。選んでもらうためだ。俺から手を引くか、痛い目」
 その途中で、ラスヴェルは動いた。ナイフを持った左手で雪を一かき、“素敵な不審者”に向かって投げつける。目潰しを避けて怪盗は身を引き、短剣を抜いた。
 ギィニは斜め下からの一閃に対して、銀色の――例の警察官の短剣を構える。
「信用が、ないな!」
 鋭い響き。斬撃の重みは、短剣に緩やかな弧を描かせながら、逃がす。
 分かってはいたが、無口な男だったか。殺し屋を評する。まずは、和解の道はないらしい。
 続く突きも逸らして反撃を仕掛けようとするが、機が掴めない。単純な格闘動作の速さでは、敵が幾分か上手だった。
 二本の刃物が、火花の軌跡を描きながら接触を繰り返す。
 防戦に回りながら、不規則なリズムに眼を慣らしていく。一撃毎の威力は決して大きくないが、受けずに避けることや、先のように捕まえることが出来ない。間合いと速度の妙だった。
 打開をしなくては、近い内に押し負ける。
 殺し屋の動きを観察するだけの精神的な余裕が生まれた瞬間を頃合いと、ギィニは僅かにガードを下げた。そうして意図的な隙を作りながら、瞬発に備える。
 次は真正面。一段と速く、深く、ナイフが振るわれた。
「ふッ!」
 ギィニは、相手の刃が胸に届く寸前で、それを下から跳ね上げた。黒いナイフが、殺し屋の手を離れる。ギィニが予測したより、手に握る短剣に伝わった衝撃が、遥かに小さい。
 まずい、と感じた時には既に右腕は振りきってしまっていて、即座には構え直せない。その間を得た殺し屋は、左手の指、第一、第二関節を曲げて薄い拳を作り、引き絞った。殴る。
 喉の中央に衝撃。こもった音が口からもれる。痛みと衝撃で、ギィニは半歩よろめいた。
 続けて爪先が脇腹を目掛けて繰り出されるが、反射的に下がって威力を殺す。肩が、横の壁にぶつかった。
(とりあえずは、こんなものか……)
 思考しながら、目には、新しいナイフを抜いて構える敵が映っていた。少々、退くに手間な状況だが、まあ、なんとかは、なる。薄笑いで、己を鼓舞する。
 風を切る音が、聴こえた。
 ギィニには見えない方向から飛来した何かの棒を、殺し屋がナイフで叩き落とした。
 弾かれたようにギィニは身を沈め、背後の者の射線に入らないよう、壁に沿いながら殺し屋を跳び越えた。一瞬だけ遅く、その足元の雪が銃弾に抉られる。
「全員動くな!」

 警告するのは、撃ってから。単独行動時の鉄則だった。
 セーブルは、ビルの上から路地裏に向けて降下する。左前腕にはクロスボウ、右前腕にはライアットガンを展開。
 明らかに素人喧嘩ではない格闘をする二人の内、一方は手配犯、もう一方は知らない顔。遭遇した直後には両名を一瞬で確保するつもりだったが、後者は既に背中も見えなくなっていた。
 ライアットガンのゴム散弾が命中した様子は全くなく、セーブルは舌を巻く。後方の死角から撃ち込んだというのに。
 着地。より優先度の高い目標であるゲオルク?ラスヴェルへ向け、連続的にクロスボウを射続ける。
 今の所ラスヴェルはその全てを、躱すか、ナイフで弾くか、金属製の右腕に当てて防ぐかしていた。怪盗“素敵な不審者”を思い出させる離れ業だった。
 セーブルは、発射薬代わりに圧搾空気を使用するガンを、ラスヴェルへ向ける。マテリアルブレット、非選択。至近距離用高出力『空砲』モード。撃つ、とイメージすると、神経信号を機械製の補助脳が介し、トリガー動作を行う。
 左腕のクロスボウを標的の胸に放つのと合わせて、射撃を行った。空気の歪みとして目視できる衝撃波は、ナイフによるガードの下をくぐり抜け、命中。
 腹部中央を叩かれ、ラスヴェルの身体が後ろに転がった。もんどり打って三メートルは滑るが、苦悶の声一つ、上がらない。
 セーブルは飛ぶように駆け寄り、襟首を掴んで引き起こしながら、ラスヴェルの身体を壁に押し付けた。巨体の装甲サイボーグに持ち上げられ、半ば足が浮いている。
「ゲオルク?ラスヴェルだな?」
 眼が合う。動揺一つない、生体と硝子、左右の眼球が、セーブルを認めた。排除すべき、障害と。
 表情や何かが変わって見えた訳でもないのに、セーブルはそれを理解した。柄にもなく、背筋が凍る感触がした。ラスヴェルを『見れば分かる』と表したウィドの言葉を、思い起こす。
「ぉ、お……!」
 自分が今、動けなくなっていたことを知る。『恐ろしい男』だと、動かさせてはいけないと、本能が騒ぐ。
 第一に、非殺傷とはいえ、ライアットガンの直撃で意識を全く刈られない男だ。対衝撃の装備を着込んだ様子もない。
「ッ……!」
 セーブルは左腕のクロスボウを、ラスヴェルの肩に向けようとした。
 目の前にはレーザーガンがあった。
 見たことのある、銃だった。
 先ほどまでは、雪の上に転がっていた。
 今は手配犯の手の中にあり、引き金には指が掛かっている。
 レンズが、こちらを向いている。

 カメラに射す膨大な光量を認識する前に、感覚は途切れた。