その報道は誰のため? 被災した子どもにマイクを向けるな
Business Media 誠 3月22日(火)11時54分配信
3月11日14時46分に発生した東北関東大震災(出典:日本気象協会)
Business Media 誠
東北・関東一帯を襲った東日本大震災から10日間が過ぎようとしている。この間、テレビ・新聞の主要メディアが異例の特報態勢で臨んだのはご存じの通り。この過程では、傍若無人な振る舞いで猛烈な批判を浴びた取材陣がいた一方、被災者から感謝された向きも多数存在した。
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嫌悪と感謝の分かれ目は何か? 答えは非常にシンプル。取材スタンスや記事が被災者のためになるか否かという一点なのだ。【相場英雄】
●心を抉るな
「今のお気持ちは?」――。
大津波の被害から免れた直後の被災者、あるいは避難所で過ごす人たちに、無数のマイクが向けられた。多くの読者がこうしたシーンを1日に何度もテレビで見せつけられたのではないか。中には、子供たちにマイクを向けたリポーターや記者もいた。
大災害に接した被災者はこうした取材攻勢にストレスを溜め込んでいるはず。子供たちが心に負ったダメージは計り知れない。読者の多くが既にご存じのため詳細には触れないが、ご家族を亡くした被災者に密着し、映像を流し続けた民放まで存在した。
当然、TwitterのTL上や他のネットメディアでこうした報道姿勢に批判が集まった。
なぜ批判されたのか。
傷付いた被災者の心をさらに抉(えぐ)るようなことをしたからだ。自分が同様の取材をされたらどう感じるか、視聴者や読者は本能的にそれを感じとり、一連の報道姿勢に嫌悪感を示したのだ。
●ここまで取材する必要あるの?
「ここまで取材する必要あるの?」
臨時休校で自宅待機を強いられていた筆者の小学生の愚息にもこうしたシーンが否応なく届いた。そのたび、何度も尋ねられた。メディア界に身を置いてきた者として、父親として、断じて違うと説明した。
無神経にマイクを向けたテレビ関係者、そして新聞記者の皆さん。自身が同様の環境に置かれた際、マイクを向けられたらどう感じるだろうか。被災した自分の子供が密着取材されたらどうか。
報道する権利があるし、その必要がある。そう主張されるメディア人もいるはずだ。だが、被災者の傷口に塩を塗るような報道は、決して被災者のためにはならない。視聴者のためにもならない。報じる価値はないと筆者は断言する。
放送コードの関係で、被災地の路上のいたるところに遺体が放置されていたシーンを放映できなかったことは理解できる。また、大津波で放置された無数の車両の中に、何日間も遺体が収容されずにいたことも皆さんは熟知していた。
こうした状況の中で、あえて被災者にマイクを向け、無神経な取材を繰り返したことに被災者は怒りを隠さない。こうした行状は筆者のもとに続々と届いている。今後、被災者の了解を得たうえで、本稿でも随時紹介していく予定だ。Twitterなど各種のSNSが利用者を増やし続ける中、視聴者や読者はマスコミ不信の度合いを強めている。そこに今回の大震災での非常識な取材。ツケは大きくなることを覚悟していただきたい。
Twitterで一連の報道を批判し続けたあと、筆者にこんなメールが届いた。
「連日の報道で封印した痛みが出てきそうなので、あまり見ないようにしています」
16年前、神戸で阪神・淡路大震災に遭われた方からのメッセージだ。大手メディア、とくにテレビ関係者はこの思いをどう受け止めるだろうか。
●壁新聞
一方、被災者に感謝された報道陣も少なくない。先週の当コラムで触れたTwitterを通じた生活情報の配信だ。地元を知りつくした地方紙、地方局の記者連が集めた情報が、即座にTwitter上で流された。
「(生活情報は)避難所で非常に重宝した」(三陸地域の友人)
被災者の目線、被災地の状況を熟知し、再興に向けて読者のためになる情報は、第一級のニュースとなった。
昨年、筆者は取材やプロモーションのために頻繁に宮城県石巻市を訪れた。その際、地元紙である石巻日日新聞の記者たちと知り合った。拙著が刊行された際は、同紙に大きく取り上げてもいただいた。同紙本社は津波被害を受け、新聞社の生命線である印刷設備が破壊された。だが、同紙は毎日発行している。
記者たちが市内や周辺地域を駆け回り、つぶさに情報を集めた。記者の中には、家族の安否が分からない状況下、取材し続けた人物もいる。地元民向けの情報は本社で集約され、新聞となった。先に触れた通り、印刷設備はない(本稿執筆時点)。そこで記者たちが手分けして、大きな用紙に手書きで記事を綴ったのだ。
手書きで何十枚と綴られた石巻日日新聞は、同市と周辺地域の避難所の壁に掲示された。読者がこれを食い入るように読んだのは言うまでもない。