報道されない被災地 ウワサと現実の乖離
産経新聞 4月5日(火)14時31分配信
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甚大な被害が出た福島県いわき市平薄磯=3日(撮影・鎌田剛)(写真:産経新聞)
4月2、3日の両日、東日本大震災で大きな津波被害が出た福島県いわき市を取材した。ツイッターでは「原発の風評被害で物資が届かず、避難所で餓死者が出そう」といった投稿が行われ、YouTubeでは全国から送られた支援物資が市内の競輪場に山積みとなる映像が投稿され、ネット上で「市役所が仕分けをできず、市民に行き渡っていないのでは?」と今も話題になっている。ネット上でウワサがはびこるのは、現状が正確に伝わっていないことが一番の原因のようだ。直接足を踏み入れると、ネット上の情報とは大きく乖離(かいり)した現実があった。(鎌田剛)
【写真で見る】福島県立四倉高校の避難所の状況
東京都内から常磐道で北上し、沿岸部の四倉地区を訪れた。福島第1原発まで約32キロ。同市北部の一部地域は福島第1原発の事故を受け、屋内待避が呼びかけられている半径30キロ圏内にかかっている。ネット上の一部情報では、原発に近いというロケーションの影響で「動ける人は逃げてしまい、避難所は身動きができないお年寄りばかりが残り、物資が届かず困っている」という話だった。
海沿いは激しい津波に襲われ、国道6号沿いのホームセンターが全壊している。「道の駅よつくら港」の駐車場には、グシャグシャに変形した乗用車が整然と並べられていた。集落も全壊した家屋が多く、200人の被災者が、少し高台にある福島県立四倉高校の武道場と体育館など3ヵ所に別れて避難生活を続けていた。
体育館に入って驚いたのは、小中学生たちが車座になって「Wii」で遊んでいたことだ。地元中学の男子生徒(14)は「まだ勉強できる状態にない。僕の家は全部流されてしまった。でも友達の兄ちゃんが、テレビと『Wii』を引っ張り出し、持ってきてくれた。勉強道具もなくなったので、1日何もやることがなくて退屈なんです」と話す。
食料と飲料水は十分にあるという。だが、「学校は始まると聞いたが制服はない。あとこれ1着しか服がなくて、困っている」と、自身が着ている灰色のスウェットをつまんだ。「簡易トイレで大変だし、夜中もよく眠れない」と、長期化する避難所暮らしは少年に相当なストレスを与えていた。
炊き出しの世話係をしていた四倉町商工会の吉田裕徳事務局長(61)は「原発の避難圏ではないが、いわきそのものが被曝しているという風評で、最初は物が来なかった。ただし、今は物が動き始めている。市の対策本部からはきちんと物が届くし、きょうも三島町(同県西部)の皆さんが炊き出しをしてくれた。外の人は『とにかく、いわきは危ない』というイメージがあり、市民と温度差がある」と語る。
近くにある市役所四倉支所の責任者は「ここに物が山積みになっていて『なんで渡さないんだ』と怒鳴り込んでくる方もいた。ただ、食料や飲料水は避難所や高齢者世帯へ搬出している。この場でだれにでもに配ると、届けるべき人たちへの物資がなくなる可能性がある」と説明する。そして「市内はコンビニも開き始め、地区からスーパーに向かうバスも出ている」。また、震災から1週間ほどは「確かに物資が足りない部分もあった」(同)というが、ネット情報の”飢餓状態”というほどではなかったと振り返った。
続いて、いわき市中心部にあり、支援物資の物流拠点になっている「いわき平競輪場」に向かった。YouTubeの投稿で3月30日に撮影された山積みの物資が映し出され、「市民に行き渡ってないのでは?」という議論のきっかけとなった場所だ。ある避難所の被災者は「競輪場には物があふれ過ぎて、物資を積んだトラックを追い返したらしい」とまことしやかに語っていたが…。本当のところはどうなのか。
物流本部にいた同市財政部の責任者が取材に応じ「先週まではかなりの物量があったのは確かだが、物が集中し、どうしようもなくストックしているわけではなかった。当初からボランティアの力を借りて24時間体制できちんと仕分けし、適時、避難所へ搬出している」と、品物によって区分された物資の配置表をコピーしてくれた。実際、物資を積んだトラックは到着し、自衛隊員があくせくと動いて続々と物資を搬出していく。
それでは、足りないものは何か。ある避難所の責任者は「もっと一度に大勢の調理ができるプロパンガスやコンロといった調理設備がほしい。会津から生鮮食品は送られてくる。140人避難していれば、半分は奥さん方。つまり、70人のシェフがいることになる。炊き出しがないときは、おにぎりやカップめん、そして菓子パンなんかになる。長期間食べ続けていると、油や砂糖でお腹をやられる人が出てきている」。避難所の被災者からも「温かいご飯が食べたい」という声を多く聞いた。また、女性の被災者は「肌着や下着が意外に手に入らず、困っている」とも。そしてほぼ全員は「早く仮設住宅に入りたい」。
津波で広範囲の住宅街が壊滅状態になった同市南部の薄磯地区では、取材途中に「いわきの報道が少な過ぎる! もっと写真を撮って、大きくやってくれよ」と複数の被災者にハッパをかけられた。
そのうちの50代の女性は「私の家は土台だけ。家財道具で見つかったのは表札1個だけよ。多くの人が亡くなり、行方不明者もどれだけいるのかわからない。こんなにひどいことになっているのに、マスコミは南三陸や気仙沼、石巻の方ばかりやっている。ちゃんとした報道は『ミヤネ屋』(読売テレビ系)だけだった」と憤る。
今回の地震はあまりにも被災地が広範囲だったこともあり、いわき市内の状況を詳しく報じたマスコミ報道は少なく、同市出身で他県で暮らす人たちからも「情報が少なすぎる」という声があがっていた。
空前の被害となった東日本大震災では、こうした報道の空白地帯がまだ多く存在しているようだ。
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最終更新:4月5日(火)17時19分