<イージス艦無罪判決>遺族ぼうぜん「墓前に報告できぬ」
毎日新聞 5月11日(水)11時40分配信
海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、業務上過失致死罪などに問われた自衛官2人に対し、横浜地裁はいずれも「刑事責任は問えない」と判断した。事故から3年余り。2人が死亡したという事実を意識してか、硬い表情を崩さず前を見つめる2人の被告。傍聴席の遺族は「無罪」の判決に対し、やり場のない怒りをこらえるように目を伏せた。【松倉佑輔、山下俊輔】
午前10時過ぎ、横浜地裁101号法廷。秋山敬(ひろし)裁判長が、やや甲高い声で判決の主文を言い渡した。「被告人両名は無罪」
証言台の前に立った後潟(うしろがた)桂太郎被告(38)と長岩友久被告(37)はともに黒っぽいスーツ姿。表情を変えずに被告人席に戻ると、後潟被告は真っすぐ前を見つめ続け、長岩被告は天井を見上げて一息ついてから、判決理由に聴き入った。
事故で亡くなった吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)と哲大(てつひろ)さん(同23歳)の親族は満席の傍聴席で最後列に並んだ。無罪が告げられると一様にぼうぜんとなり、吉清さんのおい祥章(よしあき)さん(21)は前のめりで裁判長の言葉に耳を傾け、弟美津男さん(60)は腕を組んだまま目を伏せた。
閉廷後、後潟被告は「裁判所には膨大な証拠類を検証していただき感謝している」。長岩被告は「公正に判断していただいた。日本が法治国家として健全なことに安心した」と話した。
一方、祥章さんは「裁判所の判断は理解できず、墓前に報告できない」と憤り、美津男さんは「兄が自らぶつかっていったなんて……。納得できない」と涙で声を詰まらせた。
両被告は公判を通じて、捜査側との対決姿勢を崩さなかった。昨年8月23日の初公判。亡くなった2人への哀悼の意を示しつつも、捜査批判を展開した。後潟被告は「世論が沸騰し、ゆがんだ捜査が行われた」。長岩被告も「(捜査側の)航跡図は虚構。作られた過失で刑事責任を問われるいわれはありません」と強い口調で起訴内容を否認していた。
1月31日に結審すると、両被告は初めて記者会見に臨んだ。後潟被告は「『調書にサインできない』と言うと、(取り調べた)海上保安官が『2人死んでるんだ』とわめき始めた」と話し、捜査側への不信感をあらわにした。長岩被告も、保安官が描いた航跡図への同意を迫られ、否定した際の様子を振り返り「毎日毎日『考えてくれたか』と(同意するよう)言われ、1週間粘ってやっと(保安官は)あきらめた」と説明した。
ただ、防衛省への復職を巡っては、2人の「温度差」が浮かんだ。後潟被告は「省の混乱を見ていて、命を預け得る組織なのか、今も疑問が残る」と発言。当直交代後の事故で刑事責任を問われたことに悔しさを隠しきれない様子で、復職の意思について明言を避けた。一方、長岩被告は「取り調べの誘導に乗ってはいけないという教訓を伝えていく使命を感じている」と述べ、復職に意欲を示していた。
◇「とても納得できない」漁師仲間に衝撃
「とても納得なんかできない」。亡くなった吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)と、長男哲大(てつひろ)さん(同23歳)親子が生まれ育った千葉県勝浦市では「2人の無念を晴らそう」と仲間の漁師らが裁判の行方を見守ってきただけに、無罪判決に衝撃が広がった。
事故時に漁協組合長だった外記栄太郎さん(82)は判決の日、初めて法廷に足を運んだ。事故の日の夜、漁協支所の一室。外記さんは仲間の漁師から何度も事情を聴き「清徳丸に非はない」という結論に達したことを脳裏に刻み、この3年、「国民を守るのが海自の任務。エンジンのかかった船が2隻いて片方(の漁船)だけ悪いなんてあり得ない」と考えてきた。閉廷後、「漁船に強い過失があるような判断に思える」と、顔をこわばらせた。
治夫さんとは19歳のころからの付き合いで、事故時は清徳丸の後方の僚船に乗っていた市原義次さん(57)も法廷で無罪判決を聞き、唇をかみしめた。
「忘れようにも忘れられない」。事故後、命日や初漁日には、現場付近の海域で、おにぎりやお茶を海に投げ、故人を悼んできた。先行した海難審判が海自側の問題点を指摘していたこともあり、「役目は終わった」と考えてきただけに無念さもつのる。
「事故を二度と起こさない自衛隊になってほしい」と安全への思いを語っていた市原さんだが、判決後、「とても受け入れがたい。憤りを感じる」と語気を強めた。【黒川晋史】
◇「こういう結果とは…」海自幹部らに戸惑いも
2年前に長岩友久被告の不適切な見張り指揮などが直接の原因となったとの報告書をまとめている防衛省・海上自衛隊では、幹部らが両被告無罪の判決に驚きの表情を見せた。「こういう結果になるとは……。理由を聞いてみないと何とも言えない」
ただ、これまで公式的には「あくまでも個人の刑事裁判」との立場を貫いており、杉本正彦・海上幕僚長は「判決についてのコメントは差し控える。海上自衛隊としては、この痛ましい事故のことを忘れることなく、今後とも潜在的事故要因の排除にさらなる意を用い、事故の再発防止を図っていく」とのコメントを出した。
海自の09年5月の報告書は、長岩被告の不適切な見張り指揮に加え、艦橋と戦闘指揮所(CIC)の連携不足などが直接的な原因となったと指摘している。再発防止のため、沿岸海域では自動操舵装置を使用しないとする基準を作り、見張りや当直員同士の意思疎通の訓練強化などに取り組んできた。
元護衛艦長の幹部は「あたごの事故は、人間は必ず間違えるという前提に立ち、それをチームでどう補い合うか、という視点で現場を見直すきっかけになった」と話す。無罪判決に「予想しなかった結果だ」と戸惑いをみせつつも「事故を起こした事実は変わらない。二度と繰り返さない努力を地道に続けなければいけない」と語った。【鈴木泰広】
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最終更新:5月11日(水)13時17分