日記/2012年01月10日(TUE)/ニュース記事
2012-01-12



小沢氏 4億円は“相続など” NHKニュース
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小沢氏 4億円は“相続など”
1月10日 12時24分
政治資金を巡る事件で強制的に起訴された、民主党の小沢元代表本人への被告人質問が、東京地方裁判所で行われ、小沢元代表は、土地を購入する際に提供した4億円の出どころについて、「親から相続した不動産や現金のほか、印税や議員報酬もあった」などと説明したうえで、収支報告書について元秘書らから報告を受けたことも否定し、改めて無罪を主張しました。

民主党の元代表、小沢一郎被告は、資金管理団体が土地を購入する際に提供した4億円を巡り、元秘書らと共謀して収支報告書にうその記載をしたとして、検察審査会の議決によって、政治資金規正法違反の罪で強制的に起訴されました。小沢元代表は、去年10月の初公判で「うその記載には当たらず、共謀したことは断じてない」と述べて、無罪を主張し、全面的に争う姿勢を示しています。スーツ姿で法廷に現れた小沢元代表は、冒頭で裁判長から「水が必要なら言ってください」と言われると、「ありがとうございます」と述べて一礼しました。午前中は弁護団の質問が行われ、小沢元代表は、ことばを選びながら一つ一つの質問に答えていました。小沢元代表は、土地を購入する際に提供した4億円の出どころについて質問されると、「多くは、両親からの不動産と現金の相続によって取得したものだ。印税や議員報酬も得ていて、それなりの現金を持っていた」と説明しました。そのうえで、日頃から政治以外のことはすべて秘書たちに任せていたと説明し、「収支報告書の作成は秘書が完璧にやっていると思っていたので、今まで見たことはなく、秘書から報告を受けたこともない。指示したこともない」と述べ、改めて無罪を主張しました。さらに、検察が、秘書たちがゼネコンから裏金を受け取ったと主張していることについては、「おかしな、ばかげた推論だと思う。水谷建設を含め、ゼネコンやその他のところから不正な金は一切もらっていない」と述べて、強く否定しました。午後は検察官役の指定弁護士が質問を行う予定です。







反捕鯨団体逮捕せず 豪首相謝意 NHKニュース
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反捕鯨団体逮捕せず 豪首相謝意
1月10日 17時41分
オーストラリアの沖合で、反捕鯨団体のメンバー3人が、日本の調査捕鯨に同行していた水産庁の船に無断で乗り込んだ問題で、日本政府が3人を逮捕しないと決めたことについて、オーストラリアのギラード首相は日本政府への謝意を示すとともに、3人の行動を非難しました。

反捕鯨団体、シー・シェパードの関連団体のメンバー3人は、9日、オーストラリア南西部の沖合で、調査捕鯨に同行している水産庁の監視船「第二昭南丸」に無断で乗り込みました。日本政府は、この3人に任意で事情を聞いた結果、乗組員にけがをさせたり、船体に損傷を与えたりする妨害活動はなかったなどとして、逮捕はせずに、オーストラリア政府に引き渡すことを決めました。これについて、オーストラリアのギラード首相は10日、「日本政府の協力に感謝する」というコメントを発表しました。そのうえで、3人の行動は危険で「容認できない」と非難したうえで、今後、同じような行為があった場合は、罪に問われる可能性があると警告しました。3人の引き渡しを受けるため、オーストラリア政府が派遣した船が向かっているということです。この一方で、ギラード首相は「捕鯨をやめさせるには法的な手段が最適だ」と述べ、オーストラリア政府としては、日本を提訴している国際司法裁判所などの場で、調査捕鯨の廃止を求めていく立場を強調しました。







元信者を逮捕 逃亡実態解明へ NHKニュース
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元信者を逮捕 逃亡実態解明へ
1月10日 21時24分
オウム真理教の元幹部平田信容疑者の逃亡を助けていたとして警視庁は、10日未明、出頭してきた49歳の元信者の女を、犯人隠避の疑いで逮捕しました。女は容疑を認めたうえで、「16年8か月の間、平田容疑者と一緒だった」と話しているということで、警視庁は先ほどから潜伏先の東大阪市のマンションなどを捜索し、逃亡中の生活実態について解明を進めることにしています。

逮捕されたのは、オウム真理教の元信者で東大阪市に住む斎藤明美容疑者(49)です。警視庁の調べによりますと、斎藤容疑者は、オウム真理教の元幹部で公証役場の事務長の監禁致死事件で逮捕された平田信容疑者を、平成16年6月から去年の大みそかにかけて東大阪市内のマンションの部屋にかくまい逃亡を助けたとして、犯人隠避の疑いが持たれています。警視庁は逃亡中の生活実態を解明するため、午後8時半ごろから2人が潜伏していた東大阪市のマンションなどの捜索を始めました。警視庁によりますと、調べに対して斎藤容疑者は「平田容疑者が特別手配されていることを知りながらかくまっていたのは間違いない」と話し、出頭した動機については「自分のしたことにけじめをつけたかった」と説明しているということです。斎藤容疑者は周囲に吉川祥子という偽名を名乗っていたということで、逃亡中の生活について、「東大阪市内の整骨院で受け付けなどの仕事をしていた。平田容疑者は仕事に就かずにほとんどマンションにいた」と供述しているということです。一方、出頭の際に付き添ってきた弁護士に対しては、「平田容疑者が指名手配されてから16年8か月の間一緒だった。福島や仙台などの東北地方を転々としたあと15年余り大阪府内に住んでいた」と話しているということです。警視庁は17年近くに及ぶ逃亡中の生活の全容解明を進めることにしています。







自殺者 14年連続3万人超す NHKニュース
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自殺者 14年連続3万人超す
1月10日 15時14分
去年1年間に自殺した人は3万513人に上り、前の年よりやや減ったものの14年連続で3万人を超えたことが分かりました。対策に取り組むNPO法人「ライフリンク」の代表、清水康之さんは「社会全体で危機感を共有すべきだ。自治体と民間団体が連携して相談会をはじめとする対策を強化していく必要がある」と話しています。

警察庁によりますと、去年1年間に自殺した人は全国で3万513人で、前の年よりも1177人、率にして3.7パーセント減りました。この10年間では最も少なくなりましたが、平成10年以降、14年連続で3万人を超えています。内訳は男性が2万867人、女性が9646人で、都道府県別に見ると、最も多いのが東京で3100人、次いで大阪が1899人、神奈川が1824人、埼玉が1645人などとなっています。一方、最も少なかったのは徳島で150人、次いで鳥取が165人、福井が171人などとなっています。自殺対策に取り組むNPO法人「ライフリンク」の代表、清水康之さんは「自殺者が減ったとはいえ、高止まりの状態が続いていることは問題で、社会全体で危機感を共有すべきだ。積極的に相談会などを行っている自治体では自殺者が減っているという事実があり、今後は、自治体と民間団体が連携して、相談会をはじめとする対策を強化していく必要がある」と話しています。







澤穂希選手 年間最優秀選手に NHKニュース
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澤穂希選手 年間最優秀選手に
1月10日 5時39分
FIFA=国際サッカー連盟の女子の年間最優秀選手に、女子の日本代表「なでしこジャパン」の澤穂希選手が選ばれました。日本の選手が年間最優秀選手に選ばれるのは、男女を通じて史上初めてです。男子は、アルゼンチンのメッシ選手が3年連続で選ばれました。

澤穂希選手は東京都出身の33歳。15歳で日本代表にデビューし、高い技術と広い視野を生かしたプレーで女子の日本代表「なでしこジャパン」の中心選手として、日本の女子サッカーを引っ張ってきました。これまでに5回女子ワールドカップに出場し、去年のドイツ大会ではキャプテンとしてチームをまとめながら得点王と最優秀選手に選ばれる活躍を見せ、日本の優勝に大きく貢献しました。これまでに日本代表として176試合に出場し、歴代最多となる80ゴールをマークしています。FIFA=国際サッカー連盟の「年間最優秀選手」は、FIFAに加盟する世界各地の代表チームの監督とキャプテン、それにサッカー担当記者の投票によって選ばれる権威ある賞です。毎年、合わせて400人余りが投票し、これまでに、現在世界最高のプレーヤーと言われるアルゼンチンのメッシ選手や、ブラジルのロナウジーニョ選手などが受賞しているほか、女子では2006年からブラジルのマルタ選手が5年連続で受賞していました。FIFAによりますと、女子の選手で最終候補に残った3人は、澤選手が全体の28%余りで最も多く、続いてブラジルのマルタ選手が17%余り、アメリカのワンバク選手が13%余りでした。澤選手は、授賞式のスピーチで「このような名誉ある賞を頂き、大変うれしく思っています。受賞できたのは、佐々木監督やコーチ、チームメート、それに友人など、サッカーに携わってくれた人たちのおかげだと感じています。この賞を糧に、また精進していきたいと思います」と受賞の喜びを話していました。また、受賞のあとには「名前を呼ばれたときは夢のような感じだった。世界に認められたことは子どもたちに夢を与えられることなので、今回の結果は重みがあるし、日本のサッカーの歴史の1ページを作れて、すごくうれしい」と笑顔で話しました。そして「ことしは勝負の年なので、オリンピックではいちばんきれいな色のメダルを取れるように頑張りたい。不可能なことはないと思う」と意気込みを話していました。







スポーツナビ | サッカー|日本代表|「一番じゃない」澤が「世界一」に選ばれた理由(1/2)
ttp://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2011/text/201201100001-spnavi.html

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「一番じゃない」澤が「世界一」に選ばれた理由 (1/2)
FIFA年間最優秀選手受賞を引き寄せたもの
2012年1月10日(火)
■たった3人しかいなかった年間最優秀女子選手

FIFA女子世界最優秀選手に選ばれた澤(左)。有効投票総数の28%が澤に集まり、ダントツの支持を誇った。隣はバロンドールを受賞したメッシ【写真:AP/アフロ】 2011年の夏の終わり。つい数カ月前に女子ワールドカップ(W杯)のMVPに輝いていた澤穂希は、こんなことをつぶやいた。
「わたしは、何も一番じゃないんです」

なでしこジャパン(女子日本代表)の合宿では、時折、選手の運動能力テストを行っている。持久力やダッシュ力、ジャンプ力などを測定するのだが、澤はどの種目でもトップになったことがないという。なでしこジャパンの中で、飛び抜けて得意な種目もなければ、飛び抜けて苦手な種目もない。
「だから、澤穂希という選手は、言ってみれば平均点のサッカー選手なんですよ」
この言葉に象徴される謙虚さこそが、澤を世界の頂点にまで引き上げた原動力なのだろう。

2012年1月9日(日本時間10日)、澤穂希がFIFA(国際サッカー連盟)による年間最優秀女子選手に選ばれた。01年に同賞が創設されて以来、過去10年間の受賞者はわずかに3名のみ。01年と02年は、米国の国民的スター、ミア・ハム。03年から05年は、ドイツの“女帝”ビルギット・プリンツが3年連続。そして06年から10年までは“スカートをはいたペレ”と呼ばれるブラジルのマルタが5年連続と、女子W杯や五輪の舞台で名をとどろかせた選手たちが連続受賞していた。

■断トツだった澤への支持率
今回の澤も、昨年のW杯・ドイツ大会での功績が最大限に評価された。メキシコ戦では、釜本邦茂氏(男子)を超えて日本代表通算最多得点となる75ゴール目を記録。W杯、五輪を通じて自身初のハットトリックも達成した。ドイツ戦では丸山桂里奈の決勝ゴールをアシストすると、続く準決勝で勝ち越しゴール、決勝では延長後半終了間際に、“あの”同点ゴールを決めた。大会得点王と最優秀選手を獲得し、優勝と合わせて「すべて」を手に入れたのだ。

そして、今回の年間最優秀選手賞である。FIFA加盟208の国と地域の女子代表監督およびキャプテン、そして国際ジャーナリストによる1次候補者10選手への投票の内訳を見ると、有効投票総数の28.51%が澤に集まった。以下、2位のマルタが17.28%、3位ワンバック(米国)は13.26%にとどまった。澤への支持率は断トツだったのだ。

振り袖姿でステージに上がった澤は、受賞の喜びを淡々と述べた。そのスピーチの中に、やはり彼女らしいフレーズがあった。
「このような素晴らしい賞をいただけたのは、会長、監督、コーチ、チームメート、家族、友だち、今まで女子サッカーに携わってくれた、すべての方々のおかげだと思っています」

受賞したのは自分だけれど、自分1人で賞にたどり着いたのではない。「一番じゃない」澤は、舞い上がることなく、自分を客観視しているのだ。
澤は事あるごとに「サッカーは1人でやるものではない」と言い、「仲間との団結力」を勝利の糧とする。全員が献身的にプレーするからこそ、総合力で相手を退けられると胸を張る。

<続く>


スポーツナビ | サッカー|日本代表|「一番じゃない」澤が「世界一」に選ばれた理由(2/2)
ttp://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2011/text/201201100001-spnavi_2.html

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「一番じゃない」澤が「世界一」に選ばれた理由 (2/2)
FIFA年間最優秀選手受賞を引き寄せたもの
2012年1月10日(火)
■「苦しい時も、仲間がいるから頑張れる」

澤はW杯優勝、バロンドールを手に入れた。残すは五輪でのメダルのみ。なでしこジャパンの仲間とともに、再び世界の頂点を目指す【写真:ロイター/アフロ】 誰もが舌を巻くような、圧倒的なパワーやスピードは持っていない。その代わり澤は、自他ともに認める「研ぎすまされた感覚」を持った選手だ。「ここでボールを奪える」「ここにパスを通せる」「ここにボールが来る」。そのような感性豊かなプレーで、長年チームをけん引してきた。しかし、04年のアテネ五輪や07年のW杯・中国大会では、チームも澤自身も特別な活躍を果たせなかった。中国でのW杯が終わると「澤のキャリアのピークは過ぎてしまったのか」といった声もささやかれた。

しかし、08年に佐々木則夫監督が就任すると、なでしこジャパンは北京五輪で史上最高の4位に躍進。澤自身も「わたしはまだ、うまくなれる」と、周囲の限界説を吹き飛ばし、現役続行を決意した。そして迎えたW杯・ドイツ大会。さすがに走力は20代当時と同等というわけにはいかない。それでも彼女は、想像を超えて輝いた。なぜか。うまくなっていたのは、澤だけではなかったからだ。

つまり、アテネ五輪当時は、ほぼ澤1人が世界水準だったものだが、昨年のW杯を戦ったチームには、世界的なプレーヤーにまで成長した選手が要所にそろっていた。阪口夢穂の展開力、安藤梢のキープ力、岩清水梓のクレバーな守備、宮間あやの正確なキック。それらが、澤自身に本来備わっていた、たぐいまれな感覚を大いに引き出したのだ。だからこそ、澤は仲間を信頼し、仲間を励まし、仲間を助ける。

「苦しい時も、仲間がいるから頑張れる」
「みんなでやるから、サッカーは楽しい」
世界に伍する仲間を手に入れたからこそ、澤はチームでも個人でも、世界の頂点にたどり着くことができたのだ。

■浮き沈みなく、淡々と努力を重ねていく
澤となでしこが次に目指すのは、ロンドン五輪でのメダル獲得だ。W杯と五輪を連覇した女子チームは、過去に1つもない。それだけ、世界一であり続けることは簡単ではない。澤は言う。
「W杯王者だから、という重圧は自分の中にはない。プレッシャーとは常に、他人から掛けられるものだと思う。だから自分で気にすることはないんです」
五輪の舞台では「あくまでも挑戦者」という立場を見失ってはいない。

「有頂天になったら、そこまでの選手ですよ。わたしはこれまでも、どんなにいい試合でも、何かしらミスをしている。だからまるっきり満足したことは一度もないし、自分は絶好調だと思ったこともないんです。これからも現役でいる間は、満足する日は来ないと思うんです」

自分を特別な選手だとは、決して思わない。浮き沈みなく、淡々と、毎日それが当たり前だと言わんばかりに努力を重ねていく。ひょっとしたら、わたしたち日本国民にとって特別な日となった、FIFA年間表彰式のことも、澤はすでに過去の出来事と割り切って、振り返ることすらしないかもしれない。
勝利も敗北もない「いま」を生きる。そんな日々の積み重ねが、澤をどこまでも高い場所へと連れていく。







「スター・ウォーズ」ダース・ベイダー死去 元フェンシングのオリンピック選手 | ニコニコニュース
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「スター・ウォーズ」ダース・ベイダー死去 元フェンシングのオリンピック選手
ハリウッドチャンネル:記事一覧 2012年1月10日(火)13時40分配信

ハリウッドチャンネル
 フェンシング競技の元オリンピック選手で、「スター・ウォーズ」ダース・ベイダーのファイトシーンのスタントをしていたボブ・アンダーソンが1月1日、89歳で死去していたことがわかった。英国フェンシングアカデミー(The British Academy of Fencing)の発表によるもの。

【関連写真】2012年、ハリウッドは“3D化”時代に突入!大ヒット作「スター・ウォーズ」「タイタニック」などが次々と3D変換

アンダーソンが“出演”していたのは「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」(80)、「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」(83)の2作品。当時、アンダーソンがダース・ベイダーを演じていることは秘密とされていたが1983年、ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルが雑誌インタビューでその存在を明かしたことで公となった。「本来は隠しておかなければいけなかったんだけど、ジョージ(ルーカス)に話したんだよ。フェアじゃないって」。ちなみに格闘シーン以外のベイダーを演じていたのは、デヴィッド・プラウズ。声の担当はジェームズ・アール・ジョーンズ。

アンダーソンは第二次大戦時、イギリス海兵隊に従事。1950年、1953年のフェンシング世界選手権、1952年にはオリンピックにも出場した。初の映画作品は「バラントレイ卿」(53)で、その後も映画界で活躍。「プリンセス・ブライド・ストーリー」(88)、「007/ダイ・アナザー・デイ」(02)、「レジェンド・オブ・ゾロ」(06)、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作シリーズなどにも携わっていた。

英国フェンシングアカデミー会長のフィリップ・ブルース氏は公式サイト上で哀悼の意を表している。「彼は紛れもなく偉大なフェンシングの名手の一人であり、格闘シーンの振付師だった。フェンシング界、映画界の両方にとって惜しむべく存在である」。

心よりご冥福をお祈りします。





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最終更新:2012年01月12日 04:16