日記/2012年02月01日(WED)/ニュース記事
2012-02-05



雪道で数百台動けず=青森、40キロ通行止め―立ち往生、山形でも (時事通信) - Yahoo!ニュース
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雪道で数百台動けず=青森、40キロ通行止め―立ち往生、山形でも
時事通信 2月2日(木)0時7分配信

1日午後5時ごろ、下北半島にある青森県横浜町の国道279号で大型自動車がスリップし、道をふさぐ事故があった。同町によると、この事故や、大雪で道幅が狭くなるなどの影響で渋滞が発生し、車数百台が立ち往生している。県警によると、けが人の情報は入っていない。
県は午後9時、同県野辺地町有戸からむつ市大曲の約40キロの区間を通行止めとし、横浜町と協力して除雪車を現地に派遣、渋滞の解消を急いでいる。三村申吾知事は2日午前0時半、海上自衛隊大湊地方総監に対し、災害派遣を要請した。
同町によると、国道沿いの小学校などを利用した避難所8カ所に約200人が避難したという。同町総務課は「経験したことのない降雪量」と話している。
国道279号沿いにあるドライブイン従業員、土橋多喜子さん(50)によると、国道では1日午後3時ごろから、暴風雪により車の速度が遅くなり、夕方には数キロにわたり立ち往生していた。土橋さんは「積雪により国道の幅が狭くなり、除雪車も来られない。強風で雪が舞い上がり、前も見えない」と不安そうな様子で話した。
横浜町では大雪が続いており、気象庁は1日午後4時すぎから、暴風雪や大雪の警報を出し警戒を呼び掛けていた。
また山形県警によると、大雪による影響で、同県酒田市内の国道344号などで、吹きだまりの雪に車が乗り上げるなどして動けなくなり、午後8時~9時ごろにかけ、一時40~50台の車が立ち往生した。けが人はいないという。除雪作業を進めるなどしているが、午後11時現在、立ち往生は解消していない。酒田市によると、市内は地吹雪で視界も悪いという。 

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最終更新:2月2日(木)2時45分







雪の国道で100台以上が立往生 NHKニュース
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20120202/k10015710441000.html

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雪の国道で100台以上が立往生
2月2日 0時52分
青森県の下北半島にあるむつ市と野辺地町の間の国道279号線で少なくとも100台以上の車がふぶきの影響でおよそ40キロにわたって動けなくなり、立往生しています。青森県は、除雪車など50台余りを出して立往生した車をけん引するなど救助を急いでいます。

1日午後5時ごろ、青森県横浜町の国道279号線で、数十台の車がふぶきの影響で立往生しました。青森県によりますと、立往生しているのは、国道279号線のむつ市大曲と野辺地町有戸の間のおよそ39キロで、少なくとも100台以上の車が動けなくなっているということです。また、国道338号線でも雪による視界不良の影響でむつ市内で少なくとも10キロ以上にわたる車の列ができていているということです。県は1日午後9時からむつ市と東通村の2か所で国道338号線を通行止めにしています。警察によりますとけが人などの情報はいまのところ入っていないということです。国道279号線は青森県の陸奥湾沿いを南北に走る幹線道路で、青森県は除雪車など50台余りを出して立往生した車をけん引するなど救助を急いでいますが、立往生している車が相次いでいるため、除雪や救助の作業は思うように進んでいないということです。また、横浜町役場も国道279号線に10数台の除雪車などを出して除雪を始めるとともに、国道沿いの大豆田小学校や有畑小学校など合わせて7か所を開放する措置をとりました。横浜町によりますと、1日午後11時半現在で合わせて100人余りが避難しているということです。







秋田・玉川温泉で雪崩 3人死亡 NHKニュース
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20120201/k10015712061000.html

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秋田・玉川温泉で雪崩 3人死亡
2月1日 23時36分
1日夕方、秋田県仙北市の玉川温泉で雪崩が発生し、岩盤浴の施設にいた3人が雪に埋まりました。警察などによりますと、3人は1時間以上たって雪の中から発見されましたが、いずれも死亡が確認されました。

秋田県警察本部によりますと、1日午後5時すぎ、秋田県仙北市田沢湖玉川にある「玉川温泉」で雪崩が発生し、宿泊施設から歩いて10分ほどの場所にある岩盤浴のための簡易な建物が雪に埋まりました。玉川温泉に1日に宿泊する予定だった4人の客と連絡が取れなかったため温泉の従業員が探したところ、男性1人は、旅館の建物にいて無事が確認されましたが、ほかの3人は雪の中から見つかり、いずれも死亡が確認されました。警察によりますと、死亡が確認されたのは、秋田県仙北市の齋藤譲さん(59)、横浜市の草皆悦子さん(63)、東京・中野区の升川容子さん(65)です。警察によりますと、雪崩は岩盤浴の建物のすぐ近くの山の斜面で幅40メートルにわたって発生し、木の柱とプラスチック製の板で周りを覆った建物が1メートル50センチほどの雪に覆われたということです。国土交通省が現場近くに設置している玉川温泉の積雪計によりますと、1日午後6時の積雪は2メートル70センチに達していたということです。警察などで雪崩が起きたときの詳しい状況を調べています。

玉川温泉は、秋田県仙北市の田沢湖に近く、湯治のために全国から多くの人たちが訪れます。国の特別天然記念物の「北投石」が取れることでも知られ、深い雪で覆われるこの時期も、地区に1軒ある温泉旅館に、1日も56人の湯治客が宿泊していました。天然の岩盤浴があるのが特徴で、旅館から歩いて10分ほどの源泉近くに岩盤浴ができる3棟の建物があります。この建物は、木の柱とプラスチック製の板で周りを覆い天井にシートをかけたもので、1棟当たり10人ほどが中にある岩の上に横たわるようになっています。すぐ脇は、山の斜面になっています。







シャープ 過去最大の赤字に NHKニュース
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20120201/k10015703091000.html

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シャープ 過去最大の赤字に
2月1日 17時38分
大手電機メーカーのシャープのことし3月期の決算は、テレビ事業の収益が悪化したことなどから、最終損益が2900億円の赤字と過去最大の赤字に転落する見通しとなりました。

シャープが、1日、発表した去年4月から12月までの決算によりますと、売り上げは1兆9036億円と前の年の同じ時期と比べて18%減少し、最終損益は2135億円の赤字となりました。これは、販売の減少と価格の下落でテレビ事業の収益が悪化したことや、ヨーロッパの信用不安を背景に太陽電池の事業の売り上げが落ち込んだことなどによるものです。これを受けて、シャープは、ことし3月までの1年間の最終損益について、黒字の予想から一転して2900億円の赤字と過去最大の赤字に転落する見通しを明らかにしました。シャープの安達俊雄副社長は、「テレビ市場の厳しい状況はしばらく続くとみており、事業構造の改革を早急に進めていく」と述べ、大阪・堺市にあるテレビ用の液晶パネルの工場で、生産を半分に減らす大規模な減産を行っていることを明らかにしました。

シャープの片山幹雄社長は、1日、都内で会見し「ヨーロッパから始まった世界景気の減速や長期化する円高など、事業環境は当初予想していたよりもより一層悪化した。特に液晶テレビはエコポイント制度の終了で大幅に落ち込んだほか、海外でも価格が下落し収益が大幅に悪化した」と述べました。また、「今後も円高が続くと見ており、太陽電池はもはや海外へ輸出することは不可能で、イタリアなど現地での生産を強化する。また、液晶パネルを生産している国内の工場は稼働率を落として、在庫を圧縮するとともに、今後、需要が見込まれるタブレット端末など中小型の液晶パネルの生産に注力するなどして、来期の黒字化を目指していきいたい」と述べました。







東京大空襲の写真 大量に発見 NHKニュース
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20120201/k10015700171000.html

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東京大空襲の写真 大量に発見
2月1日 16時37分
昭和19年から20年にかけて、東京への空襲の被害を撮影した写真540枚が、新たに見つかりました。これまで多くは残っていなかった市街地への空襲の直後を撮影したものや、およそ10万人が犠牲となった3月10日の東京大空襲より前の写真もあり、専門家は空襲の全容を知る貴重な資料だとして注目しています。

見つかったのは、アメリカ軍のB29による東京への空襲が始まった昭和19年11月からの半年間、空襲直後の状況などを撮影した540枚の写真です。戦時中、陸軍の下で海外向けの宣伝雑誌を作っていた「東方社」が撮影したもので、保管されていた写真のネガが、去年8月に東京・江東区の資料館に寄贈され、分析が進められてきました。このうち、原宿駅前の写真は、東京への空襲が始まってすぐの昭和19年11月27日に撮影され、壊された住宅から白煙が上がり、市民がバケツリレーをして消火活動に当たっている空襲直後の状況を捉えています。ほかにも、病院が併設されている文京区の日本医科大学への空襲や、全焼した小学校の焼け跡で片づけをする子どもたちの姿を撮影したものもあります。東京への空襲は、およそ10万人が犠牲となった昭和20年3月10日の東京大空襲を境に市街地への空襲が本格化し、それ以前は、軍事施設が第1目標だったとされていますが、見つかった写真は、早い時期から学校や病院、市街地など市民のいる場所が狙われていたことを裏付けています。写真の分析に当たっている東京大空襲・戦災資料センターの山辺昌彦主任研究員は、「東京への空襲の直後を撮影した写真は少なく、今回の写真によって被害の実態がよく分かる。また、早い段階から事実上の無差別爆撃が行われていたことを裏付ける貴重な資料だ」と話しています。





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最終更新:2012年02月05日 09:28