シャープはどこで間違えたのか、栄光と挫折の10年――好調時の振る舞いがアダに【上】クリップする東洋経済オンライン 2012/9/4 10:54
ほんの1年前まで優良企業と目されていたシャープ。なぜ崖っ縁に追い込まれたのか。
「2000年代はシャープにとって夢だった」。シャープ関係者の多くはそう振り返る。確かに、家電メーカーの中位だったシャープは00年以降、トップメーカーに躍り出た。
原動力となったのが液晶だ。
1998年、町田勝彦社長(当時)は「ブラウン管テレビをすべて液晶テレビに置き換える」と宣言。00年初には、「20世紀に、置いてゆくもの。21世紀に、持ってゆくもの。」という広告で革新的な企業イメージを確立。液晶テレビ「アクオス」で国内首位を獲得した。
経営陣は、積極果敢な投資を矢継ぎ早に行った。00年代半ばまでに三重第2、第3工場(三重県多気郡)、亀山第1、第2工場(三重県亀山市)と8000億円超をテレビ用液晶パネルの生産ラインに投じた。
その象徴が、04年1月に稼働した亀山第1工場である。産地名がブランド化した「世界の亀山」は、“日本のモノづくり”のモデルとされ、マスコミなどからもてはやされた。
液晶パネルから液晶テレビまで一貫生産する戦略が当たり、業績は急拡大。08年3月期には過去最高となる売上高3兆4177億円、純利益1019億円を計上した。だが、その挑戦は身の丈を超えていた。
フリーキャッシュフローは、営業益が過去最高を更新した07年3月期もマイナスだった。純利益が拡大していた00年代前半も一貫して純資産比率が低下していることから、莫大な投資がシャープの財務体質を悪化させていたことがわかる。
結果論で非難するのは簡単だが、一方で、シャープの積極戦略がすべて間違いだったとは言い切れない。
液晶パネルは半導体と同様、最先端設備の導入で生産数量が大幅に増加すると同時に、生産コストは大きく下げられる。こうした産業で投資を躊躇すれば、たちまち競争から置いていかれる。「熾烈な競争に打ち勝つためには、競合に先んじた、果敢な投資が絶対に必要だった」とのシャープ幹部の言葉は真実だ。
シャープの不幸は、液晶パネルの価格下落が想像以上だったことにある。32インチのテレビ用パネルの価格は04年時点で約865ドルだったが、11年には約149ドルにまで下落した(ディスプレイサーチ調べ)。大型液晶で世界シェア1位のLG電子、2位のサムスン電子でさえ、普及サイズのパネル事業は黒字化が難しい。その過酷な市場で戦う日本勢には円高という重荷もあった。
■つまずいた外販戦略 ソニー“撤収”の誤算
パネルメーカーは、勝ち残るために増産投資を継続した。新工場が稼働すれば供給量は一気に増える。ひとたび需要増加が鈍れば、供給過剰で価格は急落する。それでも巨費を投じた以上、生産はやめられない。待っているのは消耗戦だ。
もちろん、シャープ自身の過ちもある。堺工場(09年10月稼働)への4000億円を超える投資に対しては、当時、業界でも疑問の声が上がっていた。韓国・台湾勢に加え中国勢の参入で、近い将来、パネルが供給過剰になることは明白だった。
堺工場は、シャープがテレビ販売でなく、パネル外販で生きていく決断でもあった。08年、片山幹雄前社長がこう明言している。「(亀山第2など)既存のパネル工場だけで年間2000万台(32インチ換算)以上の生産能力がある。うちの液晶テレビ(アクオス)の販売台数を考えたら、それで今は足りる」。
42インチ換算で年間1300万台もの生産能力を持つ堺工場新設を決断したのは、パネルという部材で世界一の夢を描いたからだ。安定需要家を確保するために、08年2月、シャープは液晶テレビ世界2位(当時)のソニーと手を組んだ。堺工場にシャープが66%、ソニーが34%を出資、出資比率に応じたパネルの引き取り義務を設けることで合意した。
液晶パネル事業のハイリスクは覚悟のうえ。ならば、リスクマネジメントが最重要となる。「強いパートナーがいなければ、巨大な堺の新工場はリスクが大きすぎる」(片山前社長)。ソニーとのパートナー戦略がそのカギとなるはずだった。
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シャープはどこで間違えたのか、栄光と挫折の10年――好調時の振る舞いがアダに【下】クリップする東洋経済オンライン 2012/9/4 10:55
下げ止まらないシャープの株価
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結論から言えば、“ソニー取り込み”は不発に終わった。ソニーは09年末、100億円を投じて堺工場の株7.04%を取得したが、その後、出資比率を上げることはなかった。今年になって、ソニーは堺工場の株をシャープに売却した。
ソニーの元役員は振り返る。「06年以前にシャープと液晶事業の合弁交渉をしていた。当時、片山さんを訪ねると、『どこの誰だ?』といった偉そうな態度でげんなりした」。自社工場を持たなかったソニーに対し、交渉はシャープ優位で進み、嫌気の差したソニーはサムスンと合弁会社を設立した。だが、思うようにパネルを調達できず、08年に堺工場への出資を決断する。
しかし提携後もシャープはソニーを大事にしなかったようだ。堺が稼働した直後の09年秋、国内ではエコポイント制度導入で液晶テレビが売れに売れた。そんな中、シャープはアクオス用のパネル生産を優先し、納入遅延をたびたび起こした。当然、ソニーは態度を硬化。ソニーのパネル購入量は大きく増えることがないまま、現在はほとんど取引がない。
「鴻海は、もともとソニーと関係が深い。シャープは3月の鴻海との提携でソニー向けの納入が再開できるのではともくろんでいた。だが、郭台銘董事長のトップ営業でも実現できていない」(関係者)。
東芝などほかの有力顧客に対しても、液晶パネルの需給が逼迫していたとき、シャープは納入遅延を起こした。需給が緩和されると顧客の多くはシャープの元を去った。堺工場の外販は年を追うごとに減少。12年3月期の堺工場の外販比率は約1割しかない。「堺工場を作った時点で、シャープはアクオスを捨ててでもパネルの外販に集中すべきだった」と、業界関係者は一様に指摘する。
■一時の成功に酔い味方作りに失敗
好調時の振る舞いがあだになった──というのは言いすぎだろうか。
銀行との関係でも同じ構図が見て取れる。00年代、有利子負債を膨らませたが、高い信用力をバックに直接金融で多くを賄ってきた。直接金融の手段であるコマーシャルペーパーへの依存が今、シャープを苦しめている。銀行首脳のシャープに対する姿勢はどことなくよそよそしい。
高精細と低消費電力を兼ね備えた新型パネル「IGZO液晶」の量産で先行するなど、“頼みの綱”とする中小型液晶パネルでのシャープの技術力は今でもトップクラス。だからこそEMS最大手の鴻海が出資を検討し、世界のアップルもシャープに新製品の部品生産を依頼する。どん底の今、プライドを捨てて再出発すれば、再生への道は開けるはずだ。
(前野裕香 =週刊東洋経済2012年9月1日号)
記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。 積極果敢な投資が裏目、2000~12年の業績と投資の推移
積極果敢な投資が裏目、2000~12年の業績と投資の推移
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