日記/2011年04月11日/震災記事
2011-04-16



「何しに来た」東電社長に冷ややか=滞在数時間でとんぼ返り―福島 (時事通信) - Yahoo!ニュース
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「何しに来た」東電社長に冷ややか=滞在数時間でとんぼ返り―福島
時事通信 4月11日(月)17時36分配信

「何しに来たんだ」―。11日に福島県入りし、記者会見で福島第1原発事故について「大変申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝罪を繰り返した東京電力の清水正孝社長だったが、発生から1カ月もたっての来訪に、県関係者は冷ややかな視線を浴びせた。
東電は社長訪問に当たり、県側に佐藤雄平知事ら幹部との面会を打診したが、けんもほろろに断られた。記者会見に先立ち知事室と県議会議長室を訪れた社長は、秘書に名刺を手渡すことしかできなかった。
清水社長は結局、県庁に設けられた政府の現地対策本部で職員らをねぎらい、記者会見後に東京へとんぼ返り。3時間程度の慌ただしい滞在に、県議会幹部は「何しに来たんだ。東京で事故収束に向けた指揮を執るべきだ」とあきれかえった。
福島市内のあづま総合体育館で避難生活を送る南相馬市の主婦(54)は「県庁には行ったのに避難所に来ないのはおかしいが、ここに来たら無事では済まなかっただろう」と吐き捨てるように言った。 

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最終更新:4月11日(月)18時41分







県民に「深くおわび」=進退は言及避ける―東電社長が福島訪問 (時事通信) - Yahoo!ニュース
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県民に「深くおわび」=進退は言及避ける―東電社長が福島訪問
時事通信 4月11日(月)14時53分配信

東京電力の清水正孝社長は11日、東日本大震災に伴う福島第1原発の事故発生後、初めて公式に福島県入りし、県庁内の対策拠点を訪問、関係者に謝罪の意を伝えた。同社長は県庁内で記者団に「福島県民や原発立地地域の人々に心身両面でご苦労をかけ、改めて深くおわび申し上げたい」と語った。漁業者らが抗議している放射性物質を含んだ汚染水の海洋放出についても「大変申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と述べた。
この日は震災からちょうど1カ月。清水社長は知事室に足を運び、佐藤雄平知事に謝罪しようとしたが、知事は不在で面会できなかった。また同社長は、被災者に直接会って謝罪する考えはあるかとの記者団の質問に、「近々のうちに予定をつくるつもりだ」と述べた。
自らの進退については「私の責務は、事態の収束と被災者支援で、出処進退については今は予断を持っていない」と明言を避けた。原発事故に伴う損害賠償に関しては「政府との協議で基本的な方向を出し、各自治体と協議して決める」と述べるにとどめ、具体的時期には触れなかった。 

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〔写真特集〕東北地方太平洋沖地震
最終更新:4月11日(月)21時3分







「逃げてほしかった」=最後まで避難誘導―消防団員父、無念の月命日 | ニコニコニュース
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「逃げてほしかった」=最後まで避難誘導―消防団員父、無念の月命日
時事通信社 4月11日(月)19時33分配信  直前に降り始めた雨が強さを増す中、岩手県陸前高田市の佐藤忠志さん(52)は、土台しか残っていない自宅の玄関があった場所で、線香に火を付けた。11日午後2時46分。しゃがんで手を合わせ、消防団員として避難誘導中に命を落とした息子の名を呼んだ。

長男篤さん(26)は自宅近くの県立高田高校を卒業後、アルバイトをしながら宅地建物取引主任者の資格を取った。「2、3年(市の)外に出てもいいぞ」。佐藤さんにそう勧められたが、「ずっと地元で仕事がしたい」と断った。

最初は消防団入りを迷っていたという。つらそうな様子を見せたこともあったが、しばらくすると消防の技能やマラソンの大会に出場。最近は火事が起きると、すぐに車で詰め所に駆け付けた。

あの日も、勤め先の建設会社から出動。指定避難場所の市民体育館で、逃げてきた住民を誘導していた。体育館は大津波にのみ込まれ、数十人以上が犠牲になったとみられている。

「無事でいてくれれば」。両親の願いは届かず、4日後の3月15日、遺体で発見された。利き腕の左手は何かを握った形で固まっていた。「最後まで(誘導灯を)手にして、頑張っていたのだと思います」

篤さんが見つかったのは、体育館の約500メートル北西。佐藤さんが勤めるJAの入るビル前だった。偶然だが、「おやじが避難したか確認しに来たのかな」と思わずにいられない。「消防団は市民を守る使命があるけど、自分の命を落とさなければならないのか」。佐藤さんは体育館を見詰めながら話し、「逃げてほしかったというのが本音です」と唇をかみしめた。

篤さんは、長く付き合った女性と今年中にも結婚する予定だったという。 



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元陸上自衛官、仕事を選り好みするボランティアに「情熱を持って、冷静に」 | ニコニコニュース
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元陸上自衛官、仕事を選り好みするボランティアに「情熱を持って、冷静に」
NCN 4月11日(月)19時30分配信  メディアジャーナリストの津田大介氏は2011年4月11日午後、東日本大震災により甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市鹿折(ししおり)地区からニコニコ動画の生放送に出演して現地の様子をリポート。津田氏とともに番組に出演した元自衛官の教員は、「情熱を持って、冷静に。それができないのなら現場に行くべきではない」と語り、仕事を選り好みするボランティアがいることを指摘した。

「とにかく来てみないとわからないこともある」――こう語る津田氏は今回初めて被災地を訪れた。かつて住宅街だった鹿折地区の変わり果てた様子を目の当たりにした津田氏は「テレビや写真といったビジュアルでは(被害状況を)見ていたが、実際に来てみると被害の大きさと範囲に圧倒されるばかり。衝撃を受けて、言葉を失っている」と述べた。

津田氏と現地入りした元陸上自衛官の教員は、津田氏から「被災地の外にいる人は、被災者のために何をすべきか」と問われると、かつて災害派遣で出動した経験から、「情熱を持って、冷静に。それができないのなら現場に行くべきではない」と語った。その上で、「困っている人がいるから助けようと現場に駆けつけることは尊いこと。しかし一方で『重いものを持つのが嫌』など仕事を選り好みするボランティアがいると聞いた」と被災地外からの支援者の実態を語った。

東日本大震災から一ケ月 ~被災地で語るメディアの今~
http://live.nicovideo.jp/watch/lv46145708
(番組はタイムシフト機能で2011年4月18日まで視聴できる)

津田大介の被災地リポート~宮城県気仙沼市から~
「元陸上自衛官、仕事を選り好みするボランティアがいることを指摘」部分より再生
http://live.nicovideo.jp/watch/lv46224038#44:25
(番組はタイムシフト機能で2011年4月18 日まで視聴できる)

(三好尚紀)







本家本元 陸前高田市消防団員の津波映像 フル映像その3 本家本元 陸前高田市消防団員の津波映像 フル映像その2 本家本元 陸前高田市消防団員の津波映像 フル映像その1

【東日本大震災】宮城県南三陸町 津波から逃げる人々 2011年4月11日 M7.0 緊急地震速報@NHK 『東日本大震災』 前後1ヶ月間の雲の様子

日赤の義援金が被災者に届かない理由 【東日本大震災】津波が来た瞬間を撮ったホームビデオがヤバい 福島原発10キロ圏内 / 泣き叫ぶ牛たちの末路(つべ転載)

【政治はいま何をするべきか!?】 2011.3.11 まだTVでは放送されてない大津波動画 Part 4 【東日本大震災】陸前高田市市役所 津波直前直後の映像




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最終更新:2011年04月16日 23:23