日記/2012年11月11日(SUN)/ニュース記事
2012-12-16


【記事一覧】






中国海洋監視船 接続水域の航行続ける NHKニュース

ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20121111/k10013409571000.html

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中国海洋監視船 接続水域の航行続ける
11月11日 17時21分沖縄県の尖閣諸島の沖合では、中国の海洋監視船4隻が、日本の領海のすぐ外側にある接続水域で航行を続けていて、海上保安本部が警告と監視を続けています。

第11管区海上保安本部によりますと、11日午後7時現在、中国の海洋監視船4隻が尖閣諸島の南小島の北北東の接続水域内を航行しているということです。
尖閣諸島の周辺海域では、先月20日から23日連続で、中国当局の船が接続水域に入ったり出たりを繰り返していますが、この海洋監視船4隻は、今月7日早朝に接続水域に入ったあと、そのまま水域内にとどまっているということです。
海上保安本部は、4隻に対して領海に近づかないよう警告するとともに、監視を続けています。







韓国 竹島の広報予算を大幅増額 NHKニュース

ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20121111/k10013412411000.html

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韓国 竹島の広報予算を大幅増額
11月11日 21時36分 K10034124111_1211112303_1211112306.mp4
韓国の国会は、島根県の竹島の領有権を国際社会に訴えるため、すでに韓国政府が提出していた来年度の広報の予算案を上積みして、今年度の3倍近くの予算を充てることを決めました。

韓国外交通商省は、来年度の竹島関連の広報予算について、今年度の23億ウォンに80%余り増額して、42億ウォン(日本円でおよそ3億700万円)とする案を国会に提出していました。
しかし、韓国政府の関係者によりますと、国会の外交委員会は「諸外国の国際法の専門家や政治家、それにメディアなどへの働きかけを強め、国際世論に訴える必要がある」として、予算案をさらに上積みし、62億ウォン(日本円で4億5300万円)を充てることを決めたということです。
韓国政府は、イ・ミョンバク大統領による竹島上陸に日本が強く反発したことを受け、竹島に関する広報予算を大幅に増やす方針でしたが、国会がさらなる増額を決めたことで予算は一気に今年度の3倍近くになり、韓国は今後、竹島の領有権を巡る国際社会への訴えを一層強めていくものとみられます。







傷害事件 米兵が両親らに直接謝罪 NHKニュース

ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20121111/k10013403661000.html

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傷害事件 米兵が両親らに直接謝罪
11月11日 11時43分 K10034036611_1211111218_1211111222.mp4
沖縄県読谷村で、アメリカ空軍の兵士が酒を飲んで男子中学生を殴り、けがをさせた疑いが持たれている事件で、10日夜、この兵士が、被害者の両親らに直接謝罪しました。

この事件は、今月2日、沖縄県読谷村で、アメリカ軍兵士の夜間の外出が禁止されているにもかかわらず、嘉手納基地の空軍の兵士が深夜まで酒を飲み、男子中学生を殴ってけがをさせるなどした疑いが持たれているものです。
警察は、兵士から任意で事情聴取するなどして、捜査を進めています。
読谷村によりますと、この兵士が10日夜、上司とともに村役場を訪れ、被害者の両親や石嶺傳實村長らに直接謝罪しました。
この中で、兵士が、「取り返しのつかないことをしてしまい、申し訳ない。日本の裁きを受けて罪を償いたい」と話したのに対し、男子中学生の両親は「事件を受けて生活環境が一変した。1人の人間として、謝罪の気持ちを持ってほしい」などと話したということです。
男子中学生は別室にいて、用意されたモニターで兵士が謝罪する様子を見たということです。
また、同席した読谷村議会の新垣修幸議長が、「罪を認めるなら、任意の事情聴取ではなく警察に出頭すべきだ」と述べたのに対し、兵士の上司は「日米地位協定の問題があり、コメントできる立場にない」と答えたということです。読谷村は今月14日、事件に抗議する村民大会を開くことにしています。







宮城・石巻 支援に感謝し海産物販売 NHKニュース

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宮城・石巻 支援に感謝し海産物販売
11月11日 21時7分 K10034120711_1211112303_1211112306.mp4
宮城県石巻市でこれまでの支援に感謝して海産物などを販売する催しが開かれ、地震が起きた午後2時46分にあわせて店主や買い物客全員で黙とうし、犠牲者を悼みました。

この催しは、復興の現状と支援への感謝を多くの人に伝えようと、宮城県の石巻市と東松島市、女川町の商工会や青年会議所などで作る実行委員会が開きました。会場には、3つの市と町の合わせて36の鮮魚店や水産会社などが海産物を中心に店を並べました。
このうち、津波で叔母を亡くした佐藤好行さんが営む海産物店では、クキワカメの詰め放題のコーナーで、買い物客が20センチほどの袋の中にワカメをあふれんばかりに詰め込んでいました。
そして、地震が起きた午後2時46分にあわせて、会場にいた店主や買い物客全員で黙とうし、犠牲者を悼みました。このあと、被災地で生活している子どもやお年寄りが将来の夢を書いた紙をつけた風船200個が一斉に空に放たれました。
佐藤さんは「叔母はこうしたイベントに出店するたびに手伝いに来てくれたので、きょうも叔母のことを思い出しました。石巻のおいしい食材を多くの人に知ってもらい、頑張って家業を震災前の状況に戻したいと思います」と話していました。







東京 反原発で大規模抗議活動 NHKニュース

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東京 反原発で大規模抗議活動
11月11日 19時3分 K10034107811_1211111945_1211111952.mp4
東京の総理大臣官邸や国会の周辺で11日、原子力発電所に反対する市民グループが呼びかけた抗議活動が行われ、集まった人たちが福井県の大飯原発の運転停止などを訴えました。

この抗議活動は、毎週金曜日に総理大臣官邸前で原発に反対する活動を続けてきた市民グループが呼びかけて行われました。
11日は、総理大臣官邸や国会議事堂、霞が関の周辺で、午後3時ごろからのぼりやプラカードなどを持った人たちが歩道に集まり、「大飯原発の再稼働反対」、「原発はいらない」などと叫びながら訴えました。
埼玉県桶川市から4歳の息子と参加した40代の母親は、「子どものことを考えると原発はなくしてほしいと訴えたくて参加しました」と話しました。また、千葉県柏市から来た60代の男性は、「大飯原発の運転再開はありえません。これだけ多くの人が原発に反対する声を上げていることを、政府に分かってほしい」と話していました。







英BBC会長が辞任表明 NHKニュース

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英BBC会長が辞任表明
11月11日 11時9分 K10034017011_1211111516_1211111519.mp4
イギリスの公共放送、BBCのエントウィスル会長は10日、かつて有力政治家が子どもに性的虐待を行っていた疑惑があるとBBCの番組の中で報道したことについて、誤報だったと認め、責任を取って辞任すると表明しました。

BBCは今月2日、過去にイギリスの福祉施設で起きたとされる子どもへの性的虐待の疑惑を番組で取り上げ、被害を受けたと訴える男性の1人が、「加害者は当時の有力政治家だった」と証言するインタビューを放送しました。
ところが、加害者ではないかと名前が取り沙汰された元政治家が疑惑を全面的に否定し、BBCなどを法的に訴える考えを示しました。
その後、インタビューで証言を行った男性も、加害者はその元政治家ではなかったと釈明して謝罪したことから、番組を放送したBBCに対する厳しい批判が起きていました。
これを受けてBBCのエントウィスル会長は10日、番組に出演し、誤報だったことを認めて謝罪したのに続き、ロンドンのBBC本部の前で声明を読み上げ、「受け入れることができない番組の報道倫理の問題を考慮し、編集の最高責任者として辞任を決めた」と表明しました。
BBCを巡っては、かつての人気番組に起用していた元司会者が多数の少女に性的な暴行を繰り返していた疑惑もこれまでに浮上しており、ことし9月に就任したばかりのエントウィスル会長に対し真相の解明を求める声が高まっていました。







故・山本美香さん パートナーと結婚望むも籍は入れなかった (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

ttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120916-00000015-pseven-int

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故・山本美香さん パートナーと結婚望むも籍は入れなかった

NEWS ポストセブン 9月16日(日)16時5分配信

内戦の続くシリアで凶弾に倒れたジャーナリスト・山本美香さん(享年45)の死は、日本メディアのみならず、世界各国で大きく報道された。英BBCは2分以上にわたって報じ、米国務省報道官も哀悼の意を示した。公私におけるパートナーとして彼女を支えた、ジャパンプレス代表の佐藤和孝氏(56)が、17年前にふたりが出会った頃からの友人である作家・高山文彦氏に“想い”を語った。

* *

1996年にふたりはアジアプレスから独立し、ジャパンプレスを立ち上げた。以後、二人三脚で戦場取材をこなすスタイルを確立した。

美香さんは結婚を望んだというが、佐藤氏が家庭的な幸せを望まなかったため、籍を入れることはなかった。戦場での共同作業が愛の確認手段だったという。

――最初に戦場取材に行ったのはどこ?

佐藤:1996年にタリバン政権の支配下になったアフガニスタンに行った。当初は美香を連れて行くつもりなんて全くなかった。でも、出発直前に大喧嘩して、別れ話にもなって、怒りにまかせて柱を蹴ったら、右足の親指を骨折しちゃって(笑い)。そしたら彼女がますます心配して、「私も行く」って大騒ぎし始めた。

最初は覚悟があるのか心配だったけど、カブール市内のホテルに滞在中の深夜に、上空を飛ぶ飛行機に向かって近くの丘から曳光弾がバンバン飛んでいる様子を平気な顔して撮影していたから、これなら大丈夫かと安心した。

――どのくらいの期間行っていた?

佐藤:2か月近くいた。ふたりで行くのは初めてだったから大変だったよ。タリバン政権からビザを出してもらったんだけど、「お前たちは名前が違うから夫婦じゃないだろう。一緒の部屋に泊まってはいけない」っていうんだよ。つまり、2部屋とらなきゃいけなくなるから取材費が増える(笑い)。「俺たちは日本では夫婦ってことになっているんだ!」って押し切ったよ。

反タリバンの北部同盟を取材したりと、ソ連製のジープでアフガン中を巡る大旅行だった。もちろん彼女は頭にブルカ(ヴェール)を巻いてね。ベスートという地域に滞在中の夜、彼女のトイレに付き添って外に出たら、星が本当にきれいでさ。ふたりで眺めたあの星空ははっきりと覚えてる。

――その後、ボスニア、コソボ、アルジェリア、チェチェンと、数々の危険地帯に行ったんだよね。

佐藤:アジアプレスに対しても、美香のご両親に対しても、僕たちは仕事で認めてもらうしかなかった。日本テレビの「きょうの出来事」の取材で、年間4回戦場取材に行っていた。1回で1か月以上滞在するから、半年は海外にいたことになる。帰国中に編集し、次の企画書を書き、納品を終えたらすぐに取材に飛ぶ。そんな日々の繰り返しだった。

※週刊ポスト2012年9月21・28日号

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最終更新:9月16日(日)19時45分







佐藤和孝氏 28歳の山本美香さんに出会い「一目惚れだった」 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

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佐藤和孝氏 28歳の山本美香さんに出会い「一目惚れだった」

NEWS ポストセブン 9月12日(水)7時6分配信


内戦の続くシリアで凶弾に倒れたジャーナリスト・山本美香さん(享年45)の死は、日本メディアのみならず、世界各国で大きく報道された。英BBCは2分以上にわたって報じ、米国務省報道官も哀悼の意を示した。公私におけるパートナーとして彼女を支えた、ジャパンプレス代表の佐藤和孝氏(56)が、17年前にふたりが出会った頃からの友人である作家・高山文彦氏に“想い”を語った。

* *

――そもそもふたりはどうやって知り合ったの?

佐藤:美香は大学を卒業した1990年にCS放送の朝日ニュースターにディレクターとして入社して、雲仙普賢岳噴火(1991年)の取材をやったり、報道現場を何年か経験した。

――雲仙では当初、被災した住民に取材しようとしてもなかなか話してもらえなかったみたいだね。でも、彼女は現地に何日も泊まり込んで後片付けの手伝いをしながら、やっと話を聞かせてもらえるようになった。彼女は家庭用ビデオカメラを1台持って一人で取材していたんだよね。

佐藤:当時は報道現場でもカメラマン、ディレクター、音声マンなど3~4人のチームで動くのが当たり前だったから、かなり奇異に見られていたみたい。彼女は一人で撮影から取材、編集までこなすビデオジャーナリストの先駆けだった。

その後美香は報道から外されて、総務関係の部署に異動になったのをきっかけに1995年に会社を辞めてしまった。その前後に結婚をしていったん家庭に入ったけれど、すぐに僕が所属していたアジアプレスに出入りするようになった。

――ちょうどその頃、僕も彼女に会わせてもらったよね。まだ28歳くらいか。本当に可愛いらしい子だった。

佐藤:とにかく一瞬で惹かれたよ。一目惚れだった。好奇心にあふれていて、輝くような瞳が印象的だった。

彼女は僕がボスニアの内戦を取材したドキュメンタリー『サラエボの冬~戦火の群像を記録する』(1994年、NHK-BSで放送)を見てくれていて、初めて話した時に「戦場で生きている人々を描いていて感動した」といってくれたんだ。

――人の話を真剣によく聞く子だった。

佐藤:外ではいい子、家ではものすごく暴れ者(笑い)。家の中を走りまわるのが好きで、機嫌のいい時は大きな声をあげたりして。とにかく少女みたいな子だった。

――いつか3人で飲んだ時に、ふたりをタクシーに乗せて見送っていたら、車内でずっと佐藤のほうを向いてしゃべりかけているのがわかるんだよ、さっきまで黙ってたのに(笑い)。

佐藤:よくしゃべる子だったよ。僕は家ではずっと彼女の話の聞き役だった。カエルの置物が好きでね。無事に「帰る」から縁起がいいって。

――彼女は前夫と離婚して、あなたと付き合い始めたんだよね。

佐藤:ご両親には本当に申し訳なかった。最初は受け入れてもらえなかったけど、ふたりで一生懸命やって取材の成果がどんどん放送されていくうちに、次第に認められるようになりましたよ。

※週刊ポスト2012年9月21・28日号

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最終更新:9月12日(水)10時46分








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最終更新:2012年12月16日 23:08