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「年表」(2008/03/26 (水) 01:08:41) の最新版変更点
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<p>1508 ニコラウス誕生<br>
<br>
1512 13のの誕生<br>
<br>
1516 メアリ1世誕生<br>
<br>
1519 カトリーヌ・ド・メディシス誕生<br>
<br>
1520 14番誕生<br>
<br>
1522 サカキ誕生<br>
<br>
1527 トーヤ誕生<br>
<br>
1532 ジョン・ホーキンズ誕生<br>
<br>
1533 9月 まどか誕生<br>
寝ルカドイツのディレンブルクにて誕生<br>
寝ルカの最初の妻でサカキの娘アンナ・ファン・ビューレン誕生<br>
<br>
1537 クリス誕生<br>
<br>
1538 アヤ誕生<br>
<br>
1540 6月 シンディ誕生<br>
セシル誕生<br>
<br>
1542 サシャ誕生<br>
ミシェル誕生<br>
12月7日 眠のの誕生<br>
<br>
1543 キャプテン誕生<br>
シロー誕生<br>
ツカサ誕生<br>
<br>
1544 寝ルカ、家督を継いでネーデルラント総督に<br>
巫女のの誕生<br>
フランソワ誕生<br>
<br>
1545 コーヤ誕生<br>
7番誕生<br>
ケンコ誕生<br>
13ミミ誕生<br>
<br>
1547 1月 ヘンリー8世死去<br>
クリス即位<br>
5月 アナイス誕生<br>
9月 27番誕生<br>
サカキ、金羊毛騎士に叙勲<br>
<br>
1548 7月 眠のの、フランス皇太子フランソワと婚約しフランスへ渡る<br>
シルビー誕生<br>
13のの死去<br>
<br>
1549 3月ニコラウス処刑</p>
<p>1550 1月 キキョウ誕生<br>
<br>
1551 7月 シローとイサオ、イサオの邸宅で出会う<br>
9月ケン誕生<br>
<br>
1553 コノエ父、遠地に異動<br>
5月 メグ誕生<br>
7月 クリス、公には死去した事になる<br>
くん、即位の後10日後に処刑<br>
10月 メアリ1世即位<br>
12月 リヒト誕生<br>
<br>
1554 1月 ワイアットの乱。鎮圧に向かったタチバナ父暗殺<br>
タチバナ家お取りつぶし、タチバナ母も死去<br>
まどか、ロンドン塔に幽閉<br>
<br>
1555 メアリ1世とスペイン皇太子トーヤ結婚<br>
寝ルカ、カール5世よりホラント・ゼーラント・ユトレヒト3州の総督に任ぜられる。<br>
カール5世に仕えていた寝ルカ、トーヤの結婚式に出席するためにロンドンに出てジョン・ホーキンスと知り合う。<br>
<br>
1556 1月 カール5世退位。トーヤはイギリスを離れ、スペインにも戻らず、フランドルの統治に専念。<br>
メアリによる新教徒弾圧、巫女ののの母が処刑される。<br>
教室、プリマスに出る。<br>
巫女のの、プリマスに逃れてきてジョン一家に拾われる。<br>
<br>
1557 フランスの対スペイン戦争<br>
<br>
1558 4月 眠ののとフランソワが結婚<br>
11月 メアリ1世死去<br>
寝ルカの最初の妻死去<br>
ジョン・ホーキンス、ロンドンへ出て海軍主計長官ベンジャミン・ゴンソンの娘キャサリンと結婚<br>
グラヴリーヌの戦い<br>
<br>
1559 1月 まどか即位<br>
初夏 お忍びでイングランド入りしたトーヤとまどかが出会う<br>
7月 眠ののの夫フランソワ、フランス王フランソワ2世として即位<br>
シンディがトーヤの愛妾に。ミシェルとの婚約を経てケンコがトーヤと結婚<br>
ジョン、事故死する。シルビーが後を継いでジョンを名乗る。<br>
<br>
1560 6月 眠ののの母マリー・ド・ギース死去。29番がスコットランドの摂政に<br>
秋 シローとツカサとイサオ、騎士叙勲される<br>
キャプテン達、スペイン商船団を襲って黄金の薔薇の描かれた茶器を奪う<br>
12月 フランソワ2世死去<br>
<br>
1561 13ミミ、女官に取り立てられる<br>
サシャ、ロンドン留学を終えスコットランドに帰国<br>
寝ルカ、2番目の妻アンナ・フォン・ザクセン(当時17歳)と結婚<br>
<br>
1562 10月 シルビー、奴隷船貿易に出発<br>
<br>
1564 シルビー、奴隷船貿易に出発<br>
<br>
1565 初夏 「ハイランドの黒百合」本編スタート<br>
眠ののとリョウが結婚(史実)<br>
冬 セシルが炎上する古城にて半死半生になり、キラ姉妹の秘薬で記憶と引き換えに一命を取り留める<br>
<br>
1566 セシルと眠ミミとマジミカ、トルコ海賊に捕まりコンスタンティノープルへ。眠翔に気に入られる<br>
春 ツカサとアヤが結婚<br>
巫女ののが女児(銀の巫女姫)を出産<br>
眠ののが男児を出産(後のイングランド王ジェームズ6世)<br>
サシャ死去<br>
(ハイ黒本編終了)<br>
9月 スレイマン1世死去、眠翔がスルタンとして即位<br>
セシル、アルジェの太守に任命<br>
<br>
1567 眠ののと28番が結婚<br>
6月 スコットランドで貴族同盟によるクーデター、眠ののは捕らえられ子供に譲位し退位。<br>
眠ののとはぐれた眠ナナ、欧州大陸に渡りサヴォイア公妃の侍女に<br>
10月 キャプテンとシルビー達、奴隷貿易に出発<br>
ヒューイ誕生<br>
ミドリ誕生?<br>
コーヤのシチリア赴任<br>
<br>
1568 眠のの、イングランドに亡命し軟禁状態に置かれる<br>
サカキ処刑<br>
寝ルカを旗頭にネーデルラント独立戦争開始<br>
コーヤ、アルジェリアの海賊討伐<br>
セシル、軍船を率いてサヴォイアへ。眠ナナに藍玉の首飾りが渡る<br>
ミシェルとケンコが公的には死去として発表される<br>
若頭領誕生<br>
眠ナナから首飾りを託された銀ミカ、ロンドンでアヤにセシル生存説を打ち明ける<br>
9月 キャプテンとシルビー一行、メキシコの外港サン・ファン・デ・ウルアでスペイン駐留艦隊に大敗北<br>
<br>
1569 1月、キャプテンとシルビー、イングランドに帰国<br>
シルビー、捕虜になった仲間を解放してもらうための推薦状をもらいに眠ののと面会<br>
アヤの手から眠ののに首飾りが渡る<br>
コーヤ、グラナダのムーア人の反乱鎮圧に参加<br>
<br>
1570 ヴェネツィアのカーニバルで造船所炎上事件<br>
オスマントルコとヴェネツィアの国交断絶。<br>
リンクを総司令官とする第一次神聖同盟艦隊発足。<br>
2月 Bオ5世、まどかを破門<br>
トーヤ、4番目の妻アンナ・デ・アウストリアと結婚<br>
7月、トルコ軍、キプロス上陸作戦開始<br>
9月24日、第一次神聖同盟艦隊解散<br>
秋、スペインの修道院でチャイナりおがコーヤの娘を出産<br>
<br>
1571 5月25日 ローマにてコーヤを総司令官とする神聖同盟調印式 <br>
10月 レパントの海戦<br>
コーヤ、「アイン・ハーは死んだ」と偽りセシルを保護下に置く<br>
寝ルカと妻アンナの結婚が解消<br>
<br>
1572 春、記憶の一部を取り戻したセシル、コーヤと分かれてパリへ向かう途中リヒト一行と出会う<br>
8月24日 サン・バルテルミーの虐殺<br>
<br>
1573 寝ルカ、カルヴァン派に改宗<br>
コーヤ、チュニスで捕虜になる<br>
ケン、ポーランド王に選出される<br>
<br>
1574 シャルル9世死去。ケン、フランス王に即位<br>
<br>
1575 寝ルカ、3番目の妻シャルロット・ド・ブルボン(当時28歳)と結婚<br>
<br>
1576 リヒト、パリから脱出<br>
3月 フランドル執政レセケンス死去<br>
11月4日 アントワープでスペイン兵による掠奪暴動<br>
11月8日 「ガンの平和」が成立、ルクセンブルクは調印せず<br>
コーヤ、ネーデルラント総督に任命<br>
11月 コーヤ、ルクセンブルク到着<br>
<br>
1577 1月9日 ブリュッセル同盟<br>
2月17日 コーヤ、「平和永久令」を出してネーデルラント諸州を懐柔<br>
5月12日 コーヤ、ブリュッセル入り<br>
7月24日 コーヤ、ナミュールを攻略<br>
8月 ブリュッセル、ガンで「十八人委員会」による都市支配権掌握<br>
9月 寝ルカ、ブリュッセルに入る<br>
10月 全国議会、寝ルカへの対抗馬としてオーストリア大公マティアスを執政に選出<br>
11月15日 キャプテン、世界周航に出発<br>
12月 オーストリア大公マティアスを招聘<br>
<br>
1578 1月31日コーヤ、7番の軍勢に助 けられガンブルーの反スペイン軍を破るも熱病で死去<br>
セシル、カレーの牢獄に幽閉される。<br>
6月 アンジュー公がモンス入り。寝ルカ、議会にアンジュー公との同盟を認めさせる<br>
<br>
1579 3月3日 ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿炎上。セバスティアーノ・ヴェニエル、死去。<br>
<br>
1580 9月18日 反乱政府とアンジュー公の間にプレシ・レ・トゥール条約が結ばれる<br>
キャプテン、プリマスに帰国<br>
トーヤの妻アンナ死去<br>
<br>
1581 キャプテン、プリマスの市長に選ばれる。しかし、スペインとの国交悪化から再び海に戻り、スペイン領への攻撃を率いる。<br>
<br>
1582 2月 アンジュー公、フリシンゲンに上陸 <br>
5月6日寝ルカの妻シャルロット死去<br>
<br>
1583 1月 アンジュー公、アントワープにフランス軍を入れようとして拒否され暴動を起こし、反撃に遭って逃げ去る<br>
4月12日 寝ルカ、4番目の妻ルイーズ・ド・コリニー(当時28歳)と結婚<br>
<br>
1584 6月アンジュー公死去 <br>
7月10日寝ルカ暗殺される<br>
7月 キャプテン、モルッカス諸島への遠征を計画、まどかの承認を受ける<br>
<br>
1585 1月眠のの、難攻不落のタトベリー要塞に移される。悪環境により彼女は健康を損ねる。</p>
<p> 5月 スペインの港にいるイギリス船を全て捕獲せよというトーヤの命令書が出回っているのが発覚<br>
7月 キャプテンの遠征が改めて承認。目的をモルッカス諸島からスペインの港に抑留されているイギリス船の脱出支援、<br>
新大陸から財宝を運んでくるスペイン船団の迎撃、カリブ海沿岸のスペイン植民地の掠奪に変更。<br>
9月14日 キャプテン艦隊、プリマスを出帆。<br>
9月28日前後 スペイン港ビーゴ到着、カナリア諸島を経てカリブ海へ。</p>
<p> 秋 フランス宮廷で、眠ののの境遇の事でまどかに対する抗議の声が挙がる <br>
12月24日 眠ののがチャートレーホール(エセックス伯の邸宅の一つ)に移される。 <br>
1586 1月 キャプテン一行、スペイン領サント・ドミンゴを陥落させる</p>
<p> 1月16日 眠ののの元に土地のビール醸造人経由で秘密の手紙が初めて届く。<br>
(フランス大使館→裏切り者ギフォード→醸造人ルート)<br>
ギフォードは2重スパイであったため、このやり取りはウォルシンガムに筒抜けとなる。 <br>
2月 スペイン領カタルヘナを陥落させる<br>
春 ギフォード・サヴェージらのまどか暗殺計画(これはウォルシンガムが手引きしたヤラセ)に<br>
バビントン達カトリック貴族の眠のの救出計画が合流 <br>
5月末 眠ののからスペイン大使の元に「イングランド王位継承権をトーヤに委託する」という手紙が届く。 </p>
<p> (これは共同統治法の件で、息子ジェームズに裏切られたためだと言われている)</p>
<p> 6月25日 「そちらに届いている私宛の手紙を、安全に届けてくれる人に渡してください」<br>
という眠ののからバビントン宛の手紙が書かれる。<br>
この手紙は、先にウォルシンガムの手に渡り書き留められる。<br>
7月6日 手紙がバビントンの元に届く。<br>
バビントンは返事として、陰謀の詳細(エリザベス殺害に触れる)を書いた思慮分別のない手紙をしたためる。<br>
この日、まどかとスコットランド王ジェームズの間に同盟が締結。<br>
7月12日 同盟を知り、息子ジェームズに匙を投げた眠ののの手紙がしたためられる。<br>
7月14日 眠ののがバビントンの手紙を受け取る(ウォルシンガム開封済み)。<br>
7月17日 眠ののが長文の手紙で、計画に了承を与える。<br>
7月19日 この手紙がウォルシンガムの手に渡った時、連絡員の手で絞首台マークが手紙に付けられていた。<br>
ウォルシンガムは手紙を返す際に、この計画に関わる6人の名前を尋ねるように見せかけた追伸を偽造する。<br>
7月20日 密偵ギフォードが大陸に逃亡。 <br>
7月28日 キャプテン艦隊、ポーツマスへ帰還<br>
7月29日 運命の手紙を、バビントンが受け取る。 <br>
8月 まどか暗殺計画の首謀者が逮捕される<br>
トーヤ、サンタ・クルズ候を招聘。イングランドとスペインとの関係が険悪化する。</p>
<p> 8月4日 バビントン事件で最初の逮捕者。バビントン逃亡。<br>
8月11日 眠ののは、ウォルシンガムの息のかかった看守人に、森に遠乗りに出かけるように勧められる。<br>
その途中で眠のの逮捕。ティクソルへと送られる。<br>
主不在のチャートレーホールが徹底的に家宅捜索。手紙や暗号文はすべて押収される。<br>
2週間後に、再び彼女はチャートレーに戻される。<br>
8月14日 バビントン逮捕。ロンドン塔へ。<br>
8月18日 バビントンが最初の自供。<br>
9月 バビントン事件関係者の裁判が次々に行われ、世にもむごたらしい方法で全員死刑に処せられる。<br>
9月21日 眠ののがチャートレーからフォザリンゲーに移される。<br>
(ノーザンプトンシャーにある、当時牢獄として使用されていた城塞) </p>
<p> 10月8日 ロンドンの裁判官たちはウェストミンスターに集まり、1585年制定の「共同統治法」に従い女王を裁判にかけることを同意。 <br>
10月15‐16日 眠のの裁判が、フォザリンゲーの大広間で始まる。 <br>
10月25日 星法院で、眠のの有罪が確定。 <br>
11月終わり 眠ののは余命幾ばくもないことを予感して、教皇、スペイン大使メンドーサ、そして最後にキキョウに別れの手紙をしたためた。 <br>
しかしまどかは、どうしても死刑宣告を渋る。<br>
12月初め まどかはフランス大使に、「自分は今まで、父や姉弟が亡くなった時でさえも、この「不幸な事件」ほど多くの涙を流した事がない」 <br>
12月中旬 眠ののはまどかに宛てて、別れの手紙を書く。 <br>
1587年 1月12日 まどかから返事がないことを不審に思い、眠ののはもう一通長い手紙を書く。<br>
しかし、これはついに看守に妨害され発送されなかった。 </p>
<p> 1月29日の真夜中~1時 天に大きな炎(彗星?)が現れ、眠のの女王の窓を3回照らすという超自然現象が起こる。 <br>
2月1日 まどか、眠ののの死刑宣告書にサイン <br>
2月8日 眠のの処刑される<br>
<br>
1588 アルマダの海戦<br>
12月23日キキョウ暗殺される<br>
<br>
1589 8月2日ケン暗殺される<br>
<br>
1595 11月12日 シルビー死去<br>
<br>
1596 1月27日 キャプテン死去<br>
<br>
1598 トーヤ死去<br>
14番死去<br>
ナントの勅令<br>
<br>
1603 まどか死去<br>
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1610 5月14日リヒト暗殺される</p>
<p>1508 ニコラウス誕生<br /><br />
1512 13のの誕生<br /><br />
1516 メアリ1世誕生<br /><br />
1519 カトリーヌ・ド・メディシス誕生<br /><br />
1520 14番誕生<br /><br />
1522 サカキ誕生<br /><br />
1527 トーヤ誕生<br /><br />
1532 ジョン・ホーキンズ誕生<br /><br />
1533 9月 まどか誕生<br />
寝ルカドイツのディレンブルクにて誕生<br />
寝ルカの最初の妻でサカキの娘アンナ・ファン・ビューレン誕生<br /><br />
1537 クリス誕生<br /><br />
1538 アヤ誕生<br /><br />
1540 6月 シンディ誕生<br />
セシル誕生<br /><br />
1542 サシャ誕生<br />
ミシェル誕生<br />
12月7日 眠のの誕生<br /><br />
1543 キャプテン誕生<br />
シロー誕生<br />
ツカサ誕生<br /><br />
1544 寝ルカ、家督を継いでネーデルラント総督に<br />
巫女のの誕生<br />
フランソワ誕生<br /><br />
1545 コーヤ誕生<br />
7番誕生<br />
ケンコ誕生<br />
13ミミ誕生<br /><br />
1547 1月 ヘンリー8世死去<br />
クリス即位<br />
5月 アナイス誕生<br />
9月 27番誕生<br />
サカキ、金羊毛騎士に叙勲<br /><br />
1548 7月 眠のの、フランス皇太子フランソワと婚約しフランスへ渡る<br />
シルビー誕生<br />
13のの死去<br /><br />
1549 3月ニコラウス処刑</p>
<p>1550 1月 キキョウ誕生<br /><br />
1551 7月 シローとイサオ、イサオの邸宅で出会う<br />
9月ケン誕生<br /><br />
1553 コノエ父、遠地に異動<br />
5月 メグ誕生<br />
7月 クリス、公には死去した事になる<br />
くん、即位の後10日後に処刑<br />
10月 メアリ1世即位<br />
12月 リヒト誕生<br /><br />
1554 1月 ワイアットの乱。鎮圧に向かったタチバナ父暗殺<br />
タチバナ家お取りつぶし、タチバナ母も死去<br />
まどか、ロンドン塔に幽閉<br /><br />
1555 メアリ1世とスペイン皇太子トーヤ結婚<br />
寝ルカ、カール5世よりホラント・ゼーラント・ユトレヒト3州の総督に任ぜられる。<br />
カール5世に仕えていた寝ルカ、トーヤの結婚式に出席するためにロンドンに出てジョン・ホーキンスと知り合う。<br /><br />
1556 1月 カール5世退位。トーヤはイギリスを離れ、スペインにも戻らず、フランドルの統治に専念。<br />
メアリによる新教徒弾圧、巫女ののの母が処刑される。<br />
教室、プリマスに出る。<br />
巫女のの、プリマスに逃れてきてジョン一家に拾われる。<br /><br />
1557 フランスの対スペイン戦争<br /><br />
1558 4月 眠ののとフランソワが結婚<br />
11月 メアリ1世死去<br />
寝ルカの最初の妻死去<br />
ジョン・ホーキンス、ロンドンへ出て海軍主計長官ベンジャミン・ゴンソンの娘キャサリンと結婚<br />
グラヴリーヌの戦い<br /><br />
1559 1月 まどか即位<br />
初夏 お忍びでイングランド入りしたトーヤとまどかが出会う<br />
7月 眠ののの夫フランソワ、フランス王フランソワ2世として即位<br />
シンディがトーヤの愛妾に。ミシェルとの婚約を経てケンコがトーヤと結婚<br />
ジョン、事故死する。シルビーが後を継いでジョンを名乗る。<br /><br />
1560 6月 眠ののの母マリー・ド・ギース死去。29番がスコットランドの摂政に<br />
秋 シローとツカサとイサオ、騎士叙勲される<br />
キャプテン達、スペイン商船団を襲って黄金の薔薇の描かれた茶器を奪う<br />
12月 フランソワ2世死去<br /><br />
1561 13ミミ、女官に取り立てられる<br />
サシャ、ロンドン留学を終えスコットランドに帰国<br />
寝ルカ、2番目の妻アンナ・フォン・ザクセン(当時17歳)と結婚<br /><br />
1562 10月 シルビー、奴隷船貿易に出発<br /><br />
1564 シルビー、奴隷船貿易に出発<br /><br />
1565 初夏 「ハイランドの黒百合」本編スタート<br />
眠ののとリョウが結婚(史実)<br />
冬 セシルが炎上する古城にて半死半生になり、キラ姉妹の秘薬で記憶と引き換えに一命を取り留める<br /><br />
1566 セシルと眠ミミとマジミカ、トルコ海賊に捕まりコンスタンティノープルへ。眠翔に気に入られる<br />
春 ツカサとアヤが結婚<br />
巫女ののが女児(銀の巫女姫)を出産<br />
眠ののが男児を出産(後のイングランド王ジェームズ6世)<br />
サシャ死去<br />
(ハイ黒本編終了)<br />
9月 スレイマン1世死去、眠翔がスルタンとして即位<br />
セシル、アルジェの太守に任命<br />
<br />
1567 眠ののと28番が結婚<br />
6月 スコットランドで貴族同盟によるクーデター、眠ののは捕らえられ子供に譲位し退位。<br />
眠ののとはぐれた眠ナナ、欧州大陸に渡りサヴォイア公妃の侍女に<br />
10月 キャプテンとシルビー達、奴隷貿易に出発<br />
ヒューイ誕生<br />
ミドリ誕生?<br />
コーヤのシチリア赴任<br /><br />
1568 眠のの、イングランドに亡命し軟禁状態に置かれる<br />
サカキ処刑<br />
寝ルカを旗頭にネーデルラント独立戦争開始<br />
コーヤ、アルジェリアの海賊討伐<br />
セシル、軍船を率いてサヴォイアへ。眠ナナに藍玉の首飾りが渡る<br />
ミシェルとケンコが公的には死去として発表される<br />
若頭領誕生<br />
眠ナナから首飾りを託された銀ミカ、ロンドンでアヤにセシル生存説を打ち明ける<br />
9月 キャプテンとシルビー一行、メキシコの外港サン・ファン・デ・ウルアでスペイン駐留艦隊に大敗北<br /><br />
1569 1月、キャプテンとシルビー、イングランドに帰国<br />
シルビー、捕虜になった仲間を解放してもらうための推薦状をもらいに眠ののと面会<br />
アヤの手から眠ののに首飾りが渡る<br />
コーヤ、グラナダのムーア人の反乱鎮圧に参加<br /><br />
1570 ヴェネツィアのカーニバルで造船所炎上事件<br />
オスマントルコとヴェネツィアの国交断絶。<br />
リンクを総司令官とする第一次神聖同盟艦隊発足。<br />
2月 Bオ5世、まどかを破門<br />
トーヤ、4番目の妻アンナ・デ・アウストリアと結婚<br />
7月、トルコ軍、キプロス上陸作戦開始<br />
9月24日、第一次神聖同盟艦隊解散<br />
秋、スペインの修道院でチャイナりおがコーヤの娘を出産<br /><br />
1571 5月25日 ローマにてコーヤを総司令官とする神聖同盟調印式 <br />
10月 レパントの海戦<br />
コーヤ、「アイン・ハーは死んだ」と偽りセシルを保護下に置く<br />
寝ルカと妻アンナの結婚が解消<br /><br />
1572 春、記憶の一部を取り戻したセシル、コーヤと分かれてパリへ向かう途中リヒト一行と出会う<br />
8月24日 サン・バルテルミーの虐殺<br /><br />
1573 寝ルカ、カルヴァン派に改宗<br />
コーヤ、チュニスで捕虜になる<br />
ケン、ポーランド王に選出される<br /><br />
1574 シャルル9世死去。ケン、フランス王に即位<br /><br />
1575 寝ルカ、3番目の妻シャルロット・ド・ブルボン(当時28歳)と結婚<br /><br />
1576 リヒト、パリから脱出<br />
3月 フランドル執政レセケンス死去<br />
11月4日 アントワープでスペイン兵による掠奪暴動<br />
11月8日 「ガンの平和」が成立、ルクセンブルクは調印せず<br />
コーヤ、ネーデルラント総督に任命<br />
11月 コーヤ、ルクセンブルク到着<br /><br />
1577 1月9日 ブリュッセル同盟<br />
2月17日 コーヤ、「平和永久令」を出してネーデルラント諸州を懐柔<br />
5月12日 コーヤ、ブリュッセル入り<br />
7月24日 コーヤ、ナミュールを攻略<br />
8月 ブリュッセル、ガンで「十八人委員会」による都市支配権掌握<br />
9月 寝ルカ、ブリュッセルに入る<br />
10月 全国議会、寝ルカへの対抗馬としてオーストリア大公マティアスを執政に選出<br />
11月15日 キャプテン、世界周航に出発<br />
12月 オーストリア大公マティアスを招聘<br /><br />
1578 1月31日コーヤ、7番の軍勢に助 けられガンブルーの反スペイン軍を破るも熱病で死去<br />
セシル、カレーの牢獄に幽閉される。<br />
6月 アンジュー公がモンス入り。寝ルカ、議会にアンジュー公との同盟を認めさせる<br /><br />
1579 3月3日 ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿炎上。セバスティアーノ・ヴェニエル、死去。<br /><br />
1580 9月18日 反乱政府とアンジュー公の間にプレシ・レ・トゥール条約が結ばれる<br />
キャプテン、プリマスに帰国<br />
トーヤの妻アンナ死去<br /><br />
1581 キャプテン、プリマスの市長に選ばれる。しかし、スペインとの国交悪化から再び海に戻り、スペイン領への攻撃を率いる。<br /><br />
1582 2月 アンジュー公、フリシンゲンに上陸 <br />
5月6日寝ルカの妻シャルロット死去<br /><br />
1583 1月 アンジュー公、アントワープにフランス軍を入れようとして拒否され暴動を起こし、反撃に遭って逃げ去る<br />
4月12日 寝ルカ、4番目の妻ルイーズ・ド・コリニー(当時28歳)と結婚<br /><br />
1584 6月アンジュー公死去 <br />
7月10日寝ルカ暗殺される<br />
7月 キャプテン、モルッカス諸島への遠征を計画、まどかの承認を受ける<br /><br />
1585 1月眠のの、難攻不落のタトベリー要塞に移される。悪環境により彼女は健康を損ねる。</p>
<p> 5月 スペインの港にいるイギリス船を全て捕獲せよというトーヤの命令書が出回っているのが発覚<br />
7月 キャプテンの遠征が改めて承認。目的をモルッカス諸島からスペインの港に抑留されているイギリス船の脱出支援、<br />
新大陸から財宝を運んでくるスペイン船団の迎撃、カリブ海沿岸のスペイン植民地の掠奪に変更。<br />
9月14日 キャプテン艦隊、プリマスを出帆。<br />
9月28日前後 スペイン港ビーゴ到着、カナリア諸島を経てカリブ海へ。</p>
<p> 秋 フランス宮廷で、眠ののの境遇の事でまどかに対する抗議の声が挙がる <br />
12月24日 眠ののがチャートレーホール(エセックス伯の邸宅の一つ)に移される。 <br />
1586 1月 キャプテン一行、スペイン領サント・ドミンゴを陥落させる</p>
<p> 1月16日 眠ののの元に土地のビール醸造人経由で秘密の手紙が初めて届く。<br />
(フランス大使館→裏切り者ギフォード→醸造人ルート)<br />
ギフォードは2重スパイであったため、このやり取りはウォルシンガムに筒抜けとなる。 <br />
2月 スペイン領カタルヘナを陥落させる<br />
春 ギフォード・サヴェージらのまどか暗殺計画(これはウォルシンガムが手引きしたヤラセ)に<br />
バビントン達カトリック貴族の眠のの救出計画が合流 <br />
5月末 眠ののからスペイン大使の元に「イングランド王位継承権をトーヤに委託する」という手紙が届く。 </p>
<p> (これは共同統治法の件で、息子ジェームズに裏切られたためだと言われている)</p>
<p> 6月25日 「そちらに届いている私宛の手紙を、安全に届けてくれる人に渡してください」<br />
という眠ののからバビントン宛の手紙が書かれる。<br />
この手紙は、先にウォルシンガムの手に渡り書き留められる。<br />
7月6日 手紙がバビントンの元に届く。<br />
バビントンは返事として、陰謀の詳細(エリザベス殺害に触れる)を書いた思慮分別のない手紙をしたためる。<br />
この日、まどかとスコットランド王ジェームズの間に同盟が締結。<br />
7月12日 同盟を知り、息子ジェームズに匙を投げた眠ののの手紙がしたためられる。<br />
7月14日 眠ののがバビントンの手紙を受け取る(ウォルシンガム開封済み)。<br />
7月17日 眠ののが長文の手紙で、計画に了承を与える。<br />
7月19日 この手紙がウォルシンガムの手に渡った時、連絡員の手で絞首台マークが手紙に付けられていた。<br />
ウォルシンガムは手紙を返す際に、この計画に関わる6人の名前を尋ねるように見せかけた追伸を偽造する。<br />
7月20日 密偵ギフォードが大陸に逃亡。 <br />
7月28日 キャプテン艦隊、ポーツマスへ帰還<br />
7月29日 運命の手紙を、バビントンが受け取る。 <br />
8月 まどか暗殺計画の首謀者が逮捕される<br />
トーヤ、サンタ・クルズ候を招聘。イングランドとスペインとの関係が険悪化する。</p>
<p> 8月4日 バビントン事件で最初の逮捕者。バビントン逃亡。<br />
8月11日 眠ののは、ウォルシンガムの息のかかった看守人に、森に遠乗りに出かけるように勧められる。<br />
その途中で眠のの逮捕。ティクソルへと送られる。<br />
主不在のチャートレーホールが徹底的に家宅捜索。手紙や暗号文はすべて押収される。<br />
2週間後に、再び彼女はチャートレーに戻される。<br />
8月14日 バビントン逮捕。ロンドン塔へ。<br />
8月18日 バビントンが最初の自供。<br />
9月 バビントン事件関係者の裁判が次々に行われ、世にもむごたらしい方法で全員死刑に処せられる。<br />
9月21日 眠ののがチャートレーからフォザリンゲーに移される。<br />
(ノーザンプトンシャーにある、当時牢獄として使用されていた城塞) </p>
<p> 10月8日 ロンドンの裁判官たちはウェストミンスターに集まり、1585年制定の「共同統治法」に従い女王を裁判にかけることを同意。 <br />
10月15‐16日 眠のの裁判が、フォザリンゲーの大広間で始まる。 <br />
10月25日 星法院で、眠のの有罪が確定。 <br />
11月終わり 眠ののは余命幾ばくもないことを予感して、教皇、スペイン大使メンドーサ、そして最後にキキョウに別れの手紙をしたためた。 <br />
しかしまどかは、どうしても死刑宣告を渋る。<br />
12月初め まどかはフランス大使に、「自分は今まで、父や姉弟が亡くなった時でさえも、この「不幸な事件」ほど多くの涙を流した事がない」 <br />
12月中旬 眠ののはまどかに宛てて、別れの手紙を書く。 <br />
1587年 1月12日 まどかから返事がないことを不審に思い、眠ののはもう一通長い手紙を書く。<br />
しかし、これはついに看守に妨害され発送されなかった。 </p>
<p> 1月29日の真夜中~1時 天に大きな炎(彗星?)が現れ、眠のの女王の窓を3回照らすという超自然現象が起こる。 <br />
2月1日 まどか、眠ののの死刑宣告書にサイン <br />
2月8日 眠のの処刑される<br /><br />
1588 アルマダの海戦<br />
12月23日キキョウ暗殺される<br /><br />
1589 8月2日ケン暗殺される<br /><br />
1595 11月12日 シルビー死去<br /><br />
1596 1月27日 キャプテン死去<br /><br />
1598 トーヤ死去<br />
14番死去<br />
ナントの勅令<br /><br />
1603 まどか死去<br /><br />
1610 5月14日リヒト暗殺される</p>