創作集団『必志組』

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◆創作集団『必志組』今までの道。 2000年10月 立ち上げを計画。西瓜すいか宅、コタツの中。 神田明子と西瓜すいかが「俺達は志士じゃない」を見ながら、 芝居と部活、そしてココロザシについて論議。 「やったろーじゃねぇか!」 と、いうことになる。この日、正式始動日を12月1日と決定。 メンバー集めの期間が何日あるかを計算したら、 なんとこの日から12月1日までは、44日間。 志士だ。これは運命だと元気づけられ、それ以後メンバー集めに奔走する。 2000年12月 はじめての顔合わせ。小田急線狛江駅で行った。 マクドナルドで話をする。盛り上がる。 『必志組』誕生の瞬間だった。 2001年1月から COFFEE~あまくてにがいあじ~を上演決定。 光一、サツキ、涼子、トオル、女は決定したが、「男」役だけが決定せず、 「男」不在で練習開始。 光一と涼子は、やたらと台詞を覚えるのが早かった。 しかしその後、ぼろぼろと抜けて行く。 練習回数は、月二、三回ほど。 調布にある、西調布体育館ミーティングルームを借りてやることが多かった。 2001年6月くらい 「男」がどうしても見つからず、受験生であるマボに依頼。 むしろ、土下座。引き受けていただけた。 ここで「女」姉御(葛西真奈美)と「男」マボの黄金コンビが誕生。 ひとりひとりのクセも分かってくる。 本番は8月20日となった。 町田の青少年施設、カリヨンホールをGETした。 2001年7月 姉御、突然動作がつきまくるようになる。 最初は全く動かない役者だったのだが、まるで第三舞台の「小劇場病」 (朝日のような夕日を連れて'91)のような状態。 西調布体育館ミーティングルームから追い出され、 練習場所はマンションのコミュニティールームへ。 と、光一、涼子が、学校の合宿で8月18日までイギリスに行くのだと言うことが発覚。 死にものぐるいである。 2001年8月20日 本番を迎える。 未熟ではあった。むしろ未熟すぎた。 制作も、スタッフも、芝居そのものも。 けれど、集団としての存続が確定。次回公演の話が早くも持ち上がる。 若くして出会えたことに、幸せを感じる。 2001年11月ほど 各メンバーが、高校の文化祭のためいったんお休み期間を設けたが、 十一月になって新プロジェクト始動。 かとうあやな作、Salvationの公演が決定。 1月終わりか2月あたまに公演予定となる。 ホールを死にものぐるいで取る。 2002年1月ほど みんなテンパり出す。 事務処理が追いつかず、カワノが倒れそうになる。 制作専門者の必要性を痛感。 なぜか西瓜すいかが演出のまねごとをしたりした。 2002年2月3日 本番。浦和青少年宇宙科学館青少年ホール。 雨であった。駅から遠く、バスを利用しなければならないこの場所は雨だとツラい。 しかし、やり切った。 これを書いている西瓜すいか個人としては、明かりがおもしろかった。 制作・宣伝の必要性と、 天気のバカヤロー感をひしひしと感じた。 2002年2月 『必志組』Deli.の案を持ち出し、実行に移す。 ダンスとパントマイムのみの公演。 音楽をかけ、体を動かす。 Deliは、デリシャスのDeli。デリバリーのDeli。CDデッキをかついで宅配できる公演。 頼まれればどこへでも行き、メンバーが集まれば公園などで公演をする。 ダンスが多い。マイムも多い。 神田明子の振り付けをみな必死になって身体で覚えて行く。 2002年3月 Deli、本番日を4月1日に設定。 井の頭公園でやることにする。 それに向かい、みな練習に励む。 代々木公園などで何度か公演を打った。 また、Aリーグ、Bリーグに別れ、本番で踊れるのはAリーグのみとした。 最初はくじ引きで、あとは踊っていないメンバーが判断し、A上げ、B落ちを決定。 葛西真奈美、カワノアカネ、神田明子の三人がBリーグとなった。 ここでカワノ、燃え上がる。 2002年4月1日 井の頭公園で『必志組』Deli.本番。 おこさま方が楽しんでくれた。 少し天気が悪かったのだが、まぁまぁ。ビデオをとって下さる方もいた。 これは定期的にやるといいかもしれない。と、感じる。 同時に、役者を育てるのはやはり観客しかない、 厳しい観客の目こそが宝なのだと知る。 2002年4月 『必志組』NON-STOP練習中。 調布市民会館「たづくり」内映像シアターで、二人芝居を二つ、三人芝居を一つ打つ。 一つはマボ(瀧澤由舞)作「かぜのつばさ」 もう一つはかとうあやな作「ふたり」 そして私、西瓜すいか作「シノサカくんとマチコさん」 初めて、複数回の公演にチャレンジ。 なんと集客は1200人まで集められる。(104席かける12回くらい) 最低でも520人の集客が望まれる。 死にそうである。 2002年05月 初の複数公演全部で10ステやりました!!今考えるとすごい数ですね。 出演者はみんな自分の公演の二つ前のスタッフをやり、一つ前でメイクや準備をして、本番なんて流れでした。 楽屋という楽屋がなく、出演者の荷物が全部空きスペースにドーンと置いてましたね。 日曜日に楽ステ後はみんな気力がなくなってました 2002年08月 夏休みを稽古に使って制作班と稽古班に分かれての活動でした。 最少人数で行われた公演だったので、みんな四苦八苦。 お手伝いしていただいた皆様ありがとうございました 2003年01月 創作集団ささたて舞隊とのコラボレーション公演 童話桃太郎を基につくられた作品でした。 モモタローには男版・女版の二つがあり、 必志組小劇場進出公演でした。 ささたて舞隊のみなさんありがとうございました!! 2003年02月 「SALVATION」再演の稽古がはじまる。 貧乏な必志組お得意の代々木公園での稽古でした。 この時期はテスト期間などもあり、稽古というよりも演出西瓜と役者一人ひとりとの役についての話し合い がメインでした 2003年03月 チラシ完成!! みんなのテンションがあがる。 2003年04月 忘れもしないつつじヶ丘での稽古 出演者が減り演目変更になる・・・ 西瓜台本を書き始める 2003年05月 今だから話せるんですが・・・。台本が公演の一週間前にできあがる。 しかもほとんどがカンダの台詞。ゲネなのにまぼさんと2人台本に噛り付いていた覚えがあります。 2003年07月 稽古が始まる!新メンバーの小塚、西瓜の演出に悩む 蚊に喰われながらも自主練をする 2003年08月3日 またまた出演者が急遽でれなくなる 西瓜・小塚テンパル! だけど、出演は諦めず西瓜台本を書きはじめる 2003年08月4日 台本完成! 出演者小塚・荒木絵理(客演)は急ピッチで台詞を覚える そして、主宰西瓜は急遽出演者になる! その後二日間は鬼のような稽古が行われた 2003年08月7日 当日とっても早かった・・・。 会場が栃木と埼玉の間にある場所で、私たちは朝六時ぐらいに家を出た とても長い旅でした そして、本番に嬉しい知らせが♪ 新メンバー白井みさとが応援に駆けつけてくれた! 本番は野外で行われるステージで必志組にとってまた新しい経験になった 2003年9月 「be」の稽古が始まる。 客演や新メンバーが多かったため顔合わせで作・演の瀧澤カタマル 顔合わせでタイトルをみんなで決める まったく意見が出ず、結局主宰西瓜の口から出た「be」に決まる 2003年10月 殺陣の稽古が始まるが、みんな初体験で先生たちの見本に目がテン 主役の小塚は毎回の稽古で頭を打ったり、アザをつくったりと大奮闘 2003年11月 みんなで意気投合し、思いつきで懐中電灯のダンスと傘のダンスが出来上がる! 思いのほか見栄えがよかった☆ 2003年12月 忘れていたけど、重要な衣装づくり開始! そして、火薬入りの銃を使った練習も始まる これが予想以上に取り扱いが怖く、本当にすごい音がするんです 2003年12月21日 初参加のメンバーもいて、初めての会場で、殺陣もあったなか無事に4ステ終了する そして、当日誕生日だった白井のバースデーパーティーをする 号泣する白井 そして、西瓜が次回作の構想をみんなに話す みんなテンションがまたまたあがる 2004年02月 またまた寒い中公園での稽古が始まる 2004年03月 カゲ役の佐藤和紅の身体表現にビビル カンダと客演の逸見は同じ訓練をしましたがあんまりできませんでした・・・。 2004年04月 中盤戦で踊るダンス完成! めちゃくちゃ早振りでみんな死ぬ 特に小塚は演出に言われたポーズが出来なく、背筋をし始める 2004年05月 小屋入りして初めて劇中に使われる映像を見る みんな感動してまた一段と結束力が上がる 終演後、舞台監督の斎藤つばさからメンバー一人ひとりへ手紙をもらう みんな吉祥寺の夜道を号泣して打ち上げへ行く 打ち上げは初の酒ありの打ち上げでした!! 初期メンバーの神田や葛西は歳をとったことを感じる 2004年06月 初・小塚がリーダーとなっての第10回公演始動する!! 西瓜が音楽提供の飯島さんの曲に惚れ込んで、作品を全編書き換える!? 2004年07月 夏休みをつかっての集中稽古が始まる ダンスが多い作品ということで振り練に追われる毎日!! 振り付けもやった荒木絵理(客演)にみんな助けられる 2004年08月 この頃から出演者がとっても仲良くなる 小屋入り・仕込みも今までの必志組公演とは違いフレンドリーな現場でした♪ ところが、本番で音響がかからないというトラブルがありみんななんとか公演をやる 最後にダンスだけお客さんの前でやらせてもらいました 2004年12月 第11回公演のスタッフ顔合わせを行う そして、キャスト募集を行う 2005年02月 出演者が集まらず公演中止の危機!? 神田はスタッフから急遽、出演になる 須澤さん・逸見さんの客演が決まる 2005年03月 春休みから稽古スタート 須澤の演技力にみんなびっくり 西瓜大喜び! 月末に台本が改定される 二つ台本があり、神田以外全員一致で「セピアの棺・改訂版」で決定した 台本の中身はだいぶ違いますよ~♪ 2005年04月 主題歌提供のsaoriさんが急遽音楽監督に! saoriさん急ピッチで音楽制作に入る 2005年04月17日 必志組内でのリハーサルが行われる 音響・照明・衣装・舞台監督などスタッフ勢ぞろい みんなで公演まで頑張ろうと一致団結 白井スタッフの多さに感動する 2005年04月30日、05月01日 出演者が少ない中多くの方に来ていただきました! 必志組初の主題歌提供saoriさんのライブも素敵でした 2005年05月 前回公演では音楽監督をしていただいたsaoriさんの協力で朗読ライブを行うことが決定する 曲提供がsaoriとメンバーのカンダ、他が作詞提供で各自創作活動を始める 2005年06月 毎週のミーティングが始まる 朗読ライブの作り方がわからずみんな困る 2005年07月 白井が学校の実習でつぶれる・・・。 みんな白井を見守りつつ各自の練習が始まる 2005年08月 曲作りがなかなか進まず神田テンパル! 2005年09月 白井と神田の思いつきで絵本の朗読を行うことが決定!! 曲もまとまりだし、みんなで合わせての練習が始まる Marinaの演出もつき始めて、必志組の稽古らしくなる 2005年10月 濱谷、初出演で大混乱に!? 歌も演技も大変で奮闘の毎日 神田本番二週間前にギターを弾くことに・・・ 2005年10月15日 演劇の小屋と違い仕込みも本番もすべてその日というハードスケジュール 初めてのライブ会場で右も左もわからずみんなボー然 マイクやコードの取り扱いを聞く アートプレイスの方々やsaoriさんに助けてもらう また、初期メンバー斉藤由香の手伝いもあってみんな大助かり 色んな方に助けていただいた公演でした

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