創作集団『必志組』

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◆2001.8.20『COFFEE~あまくてにがいあじ~』 『必志組』第一回公演。 集団としてまとまるために、半年以上という長い時間をかけたが、 台詞が落ちまくった。マジで、落ちまくった。抜けていった。 反省としては、あまり長い時間をかけると、台詞がぬけるということ。 そしてもう一つ、お役所の言葉は信用ならぬということだった。 同じ窓口に行って同じ質問をしたにもかかわらず、そのときの受付の人によって 答えが変わってくる。 また、制度的には何の問題もないはずで、管理人のおばさまも快く貸して下さっていた練習場を、 管理人がおじさまになった直後に「教育委員会がうんぬん」と言われて 出ていかなければならない羽目にも陥った。 大人社会は分からないことばかりである。 また、宣伝の方法も試行錯誤の必要があると感じた。 ちなみに場所は町田の青少年施設、カリヨンホールだった。 3万5000円ほどで借りられたはずである。 ◆2002.2.3『Salvation』 『必志組』第二回公演。 練習期間が三ヶ月ほど。比較的集中していたのではないかと思う。 ただ、台詞が抜ける。やはり抜ける。飛ぶ。 その中で、銘役をやったつばさの記憶力はぶっちぎり。 台詞抜けない。声もでかい。 当然のことだが、ほかはみんなこの点が未熟だ。がんばれ、と、思った。 当日が雨で、また場所も埼玉県と遠かったため、お客さんの数は思わしくなかった。 場所取りと宣伝。そして天気。これらはやっぱり、大切だった。 場所は、埼玉県浦和青少年宇宙科学センター、青少年ホール。 こちらも4万円前後だった。 ◆ 2002.4.1『必志組』Deli. 『必志組』Deli.。 井の頭公園でやった。 ダンス振り付けは神田明子。ダンスとパントマイムのみで、物語を伝えるというもの。 最初はパントマイムも多く盛り込む予定だったが、 代々木公園での仮発表で、無音のパントマイムが長く続いてしまうと、 お客さんは遠のくばかりだと言うことが分かり、急遽、ダンスを全面に押し出すことにした。 ストーリーは、 閉店後のデパートで男マネキンと女マネキンが立っている。そして人がいなくなると、 二人は自由に動きだし、自由な時間を満喫し始める。 と、デパートの掃除屋がやってきて、楽しく掃除。 しかし掃除途中に、男マネキンにぶつかり、女マネキンがドミノ倒しになり、 女マネキンの腕が折れてしまう。 逃げる掃除屋。人がいなくなったのを確認すると、女マネキンは男マネキンを責め始める。 けんかが勃発。しばらく喧嘩をし、女マネキンはしかえしに男マネキンの腕を折る。 と、掃除の主任がやってきて、愕然とする。 掃除屋二人を呼び、怒る。 「マネキンの腕が折れてるじゃないか!男の方もだ!お前達がやったな」 「俺達やってないっすよー!」 「とにかく直すぞ!」 掃除屋たちはマネキンを直し始める。そして直し終わり、去る。 と、マネキン達動きだす。二人とも気まずそうに立っている。 男マネキンが思いきって謝る。そして、女マネキンも。 ふたり、仲直り。と、人々のざわめきが聞こえてくる。デパートの開店だ。 二人はマネキンに戻る。デパートの一夜は、こうして過ぎていった。 と、いうもの。 ダンスは、最初の、マネキンの自由な時間(マネキンダンス)と、掃除屋のそうじ(掃除屋ダンス)、そして喧嘩のダンス(喧嘩ダンス)、主任がふたりの掃除屋を怒るところから直すところまで(直すダンス)、そして仲直り(仲直りダンス)そしてラスト全員で踊るダンス。 なかなかいい経験だった。これは宣伝の面でも効果があるんじゃないかな、と、希望を持った。 今でも呼んでいただければ(メンバーの都合が良ければ)出張いたします。 ◆2002.5.18,19『必志組』NON-STOP 創作集団『必志組』第三回公演。 現在練習中。脚本書きが三人いるため、それぞれがユニットを組んで、 二人(三人芝居もある)芝居を三つ連続で公演する。 場所は調布市市民会館「たづくり」八階の映像シアター。 一つは瀧澤由舞(マボ)作『かぜのつばさ』 一つはかとうあやな作『ふたり』 一つは西瓜すいか(荒木恵)作『シノサカくんとマチコさん』 それぞれに挑戦がある。そして『必志組』全体のチャレンジとしては、集客520。 あり得ない数である。書いていて恐くなった。 ましてや本番の二日間が雨だったら、本当に出来ない数字である。 けれど有言実行。言ったからにはやるしかない。 有言実行というのは大切なことだ。私の知人、ある人が言っていたのだが、本当にそうだと思う。 さぁ、『必志組』の挑戦である。公演予定を以下に載せておく。 ちなみに、第四回公演も調布市市民会館である。 調布の近くにいる人がたくさん私達を好きになってくれれば、嬉しいことこの上ない。 『かぜのつばさ』 5月18日(土) 第1回…9:30開場、10:00開演 第2回…17:00開場、17:30開演 5月19日(日) 14:00開場、14:30開演 『シノサカくんとマチコさん』 5月18日(土) 第1回…11:30開場、12:00開演 第2回…19:00開場、19:30開演 5月19日(日) 第1回…9:00開場、9:30開演 第2回…16:30開場、17:00開演 『ふたり』 未定 詳しくはNEWSのページで取り上げている。そちらも是非ご覧いただきたい。 ちなみに、映像シアターは全日で14800円。照明機材などは別途費用がかかる。 ◆2002.8.30『夜間飛行』 ナッツ役 神田明子 2002年5月 分裂公演が終わって一週間後八月公演の公演が始まる。 作品は今回演出をする佐藤和紅と客本書き西瓜すいかが 話し合いを重ねてきた「マシュマロクレープロール」だ。 ところが、分裂公演での役者の弱さを見て、 二人の描いていたものが表現できるのかという疑問が出てきた。 そこで、「coffee ~あまくて苦い味~」の再演の話が出た。 2002年6月 はじめはみんな、演目変更に動揺もあったが、 考える暇もなく与えられたものをあたり前のようにやろうとしていた。 しかし、自主練をしていた時に、わたしカンダと川野は なぜ今「coffee」の再演なのかという疑問にぶつかった。 そして、次の稽古でみんなで話し合いを開き、 みんなの納得できる作品をやろうということになった。 そこで、出てきたのが「夜間飛行」である。 和紅さんが西瓜の作品をやりたいという意見を尊重し、 みんなもやってみたいというこの作品になった。 2002年7月 稽古が本格的?に始まる。 このころはキャストがそろわず外でダンスの練習がおおかった。 そして、カンダとまぼの思いつきにより、 夜間飛行の主役であるヒコーキを作ることになる!! 2002年8月 本番一ヶ月前に客演が出れなくなる...。みんなテンぱる! そして、和紅さんが急遽キャストになる。 本番がだんだんと近づく中シャロン(ヒコーキ)ができあがらない。 カワノ、藤野睡眠不足になる。結局できたのはゲネの前であった。 作業場はたづくりから一番近いふじいちゃんの家でやっていた。 藤野家にどれだけの迷惑がかかったのだろうか??? ★夜間飛行・本番★ 必志組第四回公演 佐藤和紅の初めての演出作品!! そして、演目変更、キャスト変更ととにかく変更が多かった。 また、時間不足をひしひしと感じた作品である。 受験勉強などでみんな活動を休止していて、人手が本当に少なかった。 参加人数六人中五人がキャストというとんでもない体制である。 そのため、スタッフ面がとっても弱く、たづくりの人に怒られ、 お手伝いで来てくれた必志組のメンバーや ささたて舞隊のかたがたに迷惑をかける。今思えば本当に甘かった...。 ◆2003.1.6~7『モモタローのおにたいじ』 STAFF 菊池れおな 初めて自分の劇団以外の人達と関わった芝居で、芝居をやる意識が高まった公演だったと思います。個人的には初めて衣装デザインやったり、好きなケルト音楽を音響として使用したりと思い出にたくさん残ってます。モモタローのおにたいじ、ぜひ再演したい作品です。 ◆2003.08.07『戀~ほしぞらのものがたり~』  小塚早希子 必志初参加だったんですが、 共演したのが中学の演劇部で一緒だった荒木絵理だったんで、あまりそんな気がしません。(笑) とにかく、何もかも初めての事だったんで必死でした。公園で練習した時に、周りに居た少年少女に「●●レンジャーだ~」とか 「ヒステリー…」とか言われても気にしない。…ホントは凄く恥ずかしかった。 屋外公演なんで照明は夕焼け、音響は虫の声と素敵な舞台でした♪ ◆2004.12.18~19『be』 イツキ役 菊池れおな 恐れ多くも必志組の公演に役者で参加させていただきました。役者は久しぶりで不安だったのですが、昔からの友人のマボさんの脚本だったのでとてもやりやすくて素直に楽しんでました。銃が似合うとよく言われました…。選曲もいくつかさせてもらって、たまに聴くと切なくて涙が。。ホントに楽しい公演でした。 ◆2004.08.14.15『戀~いとしいとしというこころ~』  小塚早希子の当時を振り返って 「凄い稽古場でした。カップルと言っても全員女です。 6人の女子が3組に別れてベタベタ。 そんな稽古場にいたお陰で、美少年に変貌する者、ペ●ーになる者、タラシを極める者、それに堕ち(略)要するに個性豊かだったんです。…ね。 オリジナルの曲作ってもらって、サントラまでできて、本当にいろいろあったけど、楽しかったです。恋する乙女堪能できたし。 でもしばらくプロデューさんはやりたくn(略)」 ◆2005.04.30.05.01『セピアの棺』  少女3・ミカエル役 須澤朝美 あれは大学での授業中。白井さんからお誘いを受け、軽い気持ちで出演することになった今回の舞台。  いろいろな意味で驚きの連続でした。…世の中、スゴイ人がいるんだなぁ(いろいろな意味で)。  私なんぞが出演してよいものかと千秋楽まで悩み、実際たくさんご迷惑をかけてしまいました。うう。  でも、私のほうは、出られて嬉しかったです。 必志組の方たちに出会えたことも、一緒に舞台に立てたことも。ぜんぶが大きなヨロコビ。  稽古中にできた痣の痛みも左頬の痛みも、今思い出せば快感です。(※変な意味じゃありません。)  本番中は、舞台袖で神田さんを観察するのがひそかなタノシミでした。だって神田さん、面白いんですもの…!  今回はとてもいい経験をさせていただいた……なんて、ありきたりな言葉じゃ言い表せないくらいのステキな経験ができました。  ありがとうございましたぁー! ◆2005.10.15.必志組LIVE『MARINA』  当時を振り返って・・・はまやなつみ 2005年6月 5月の公演、「セピアの棺」からちょっと経って、またみなさんとお会いできました。 ボクが必志組としてはじめて(?)次回公演のミーティング参加でしたので、 この6月はワクワクとドキドキの準備期間でした。 <マリナさん> 前回の「セピアの棺」が終わってから、こんなお話をみなさんがしていました。 『次はライブをしよう』 ……流石創作集団必志組。なんでも挑戦する心意気(?)にまた惚れました…☆ すごいよ必志組。 ……というのもあって、今回はライブ(&ミュージカル)をするということで決定 しまして、 荒木さんたちのお話によると、必志組にはトモダさんとおっしゃる方がいらしたそうで、 タイトル、「マリナ」(トモダさんのお名前ですって☆) はじめ冗談ぶっこいて「マリナ」にしていたのですが、 他の女の子のお名前をいっぱい挙げても「マリナ」以上にしっくりくるタイトル はありませんでした。 ので、こんなカンジでタイトル「マリナ」に決定いたしました…☆ <歌づくり> ライブをするわけですから、それなりのオリジナル曲がありませんといけません。 みなさん一緒になって「マリナ」のお歌のテーマを考えました。 『マリナの支えとなるような歌』 『歌がマリナを救うイメージ』 『音が色となり、言葉となり、伝わる』 など、みなさんマリナさんに対しての歌のポイントとなるテーマを言い合い考えました。 、こんなに愛されているマリナさんとは、一体どんな方なのだろうかという興味と、 まったくイメージできないマリナさんを、自分の中で形成していくのに精一杯でした。 2005年7月 歌詞を作成するボク達(ボク・白井さん・まなみさん・荒木さん)と、 曲を作る神田さんという役割を決め、 まだそれほどミーティングの回数は少ない方でしたが、 インターネットでのBBSなどを利用し、 まったり活動できた7月でした☆ <はじめての場所探し> ライブするのにホールがなきゃどうにもなりません(笑) ボクのはじめての必志のお仕事は、「場所探し」でした。 お仕事を与えられて、すごく嬉しかったです☆ でも、劇場を見つけるのも知らないボクでしたので、 どんなホールがいいのか分からず、 とりあえず今回の「マリナ」の歌や目的の内容を整理し、 それからみなさんがお勧めしてくださった貸しホールサイトを調べ上げました。 お金の都合・場所・照明ホールの雰囲気など総合して ビビッときたのが、saoriさんもPUSHしていた“Art Place”さんでした。 他にも調べましたが、ミーティング時報告して、 “Art Place”さんにOK出された時はとっても嬉しかったです☆ ……でも、そのあとうまくお仕事できなかったことが残念でした。 でもでも、“Art Place”さんで、ホント良かったと今でも思います。 ありがとうございます、“Art Place”さん……☆ <客演様> よくミーティングで話題になっていたのが客演様方のお話でした。 でも、その他にもいろんな人のお名前が出てきて……。 「ナカマさん」…?…「キクチさん」?……「ナカガワ」? (ナカガワさんごめんなさい) お話も雑談だったのでよく知らないボクには良く分かりませんでしたが、 でも、みなさんとても慕っていらっしゃるみたいでした。 (いつかちゃんとご挨拶したいなぁ……) そして、客演様はナカガワさんに出演が決まりました。 また、白井さんの弟さんのアキト君も参加と言うことで この時期とてもとても楽しみでした…☆ 朝も夜も蒸し暑い8月。みなさん順調に歌詞を作ったり、客演で演奏していただく方々に連絡を取ったりと、まだまだまったり準備期間でした。 2005年8月 〈歌が出来た〉 ついに「マリナ」のお歌が出来ました! みんな同じ感じなのかなって思ってたのですが、 一つ一つに色の違う音楽で、聞いた時はすごくドキドキしました。 「ちゃんと覚えられるかな?」 「どのように歌えばいいかな?」 「自分とこの曲は相性いいかな?」 いっぱい考えて、ゆっくり自分と一体になれるように、 この期間、ボクは神田さんのご指導のもとで 長い時間を使って一つずつのお歌と会話しました。 〈アワナイ〉 でも、この期間からボクも、他のみなさんも、 ミーティングで会えなかったり、練習が出来なかったりが多く続きました。 一番大変だったのが、白井さんだったと思います。 幼稚園の先生の資格を得るために、実習が長く長く続いていました。 みなさんの中でも、 「白井と連絡が取れない」 という話題がちらほらでてきて。みなさんで心配。 白井さん、遅くなりましたが、お疲れさまでした=3 また、客演の方々の都合と必志の都合が合わない日も続たり、 音楽も不十分だったりして 困ったことが長く続きました。 ◆『必志組』THE FUTURE (こっちにも) 『必志組』はココロザシを持って、これから活動を続けていきます。 是非、見にいらして下さい。 私達を本当に育てることが出来るのは、皆さんだけです。 観客。お客さん。 それは批評とか、アンケートとかではなくて (もちろんそういうものも「糧」として大きいですが) お客さんの反応、そのものです。 私達を温かく見守っていただけたら幸いです。

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