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色々あったが、シュヴルーズの授業は無事に終わった。
特に用もないので、部屋に戻ろうとするイチローとルイズ。
そんな二人を呼び止める者があった。

「あの……」
「誰だ?」

背後から声をかけられようとした瞬間、イチローは振り向きもせずに答えた。
ルイズは何事かとその身を硬くする。

「あわわ、私です。教師のコルベールですよ!?」
「何だ。コルベール先生じゃないの。イチロー、脅かさないでよ」

二人はコルベールへと向き直った。
ルイズはぷんすかと怒っているが、イチローは厳しい目をしていた。

「コルベール先生、だったか? 気配を絶って人の後ろから近付くのはいい趣味じゃないな」
「あ、あなたは……!?」

イチローは、じっとコルベールを見据えていた。
ぴりぴりと肌を差すような、異様な雰囲気に廊下は包まれた。
一触即発。この状況にはそんな表現が最も似合うだろう。
だが、それも束の間。
緊張感のある空気を破ったのは、イチローからだった。

「別に僕は喧嘩する気はありませんよ」

そう言うとイチローは、いつもの優しい目に戻った。
コルベールは、呻くように答える。

「確かに気配を絶っていたのは癖のようなものです。私は、昔……」
「いや、全てを言わなくてもいいですよ。男には、辛い過去が誰にだってあるものです」
「ありがとう。イチローさん……でしたかな?」

コルベールも、優しい目をして答える。

「はい、なんでしょうか?」
「あなたの腕に刻まれたルーンを、少し拝見させてもらってもよろしいですかな?」
「構いませんよ」

イチローは快くコルベールの前に左腕を差し出した。

「では、少し失礼を」

コルベールは懐からメモのような物を取り出すと、ルーンの形を手馴れた様子で書き写した。

「ありがとうございます。それでは、私はこれで失礼しますぞ」
「この程度、お安いご用ですよ」
「……ハッ!? あ、コルベール先生!?」

そこで、先程の空気に当てられて固まっていたルイズが動き出した。

「ミス・ヴァリエール」
「は、はい!?」

コルベールの言葉に、怒られるのかと思ったルイズが固まる。

「いい使い魔を召喚しましたな。大事にするのですぞ」
「コルベール先生……」
「では、今度こそ失礼しますぞ」

コルベールは、廊下の向こうへと去っていった。

「コルベール先生か……」
「イチロー、どうしたの?」
「いや、彼なら頑張ればメジャーにも挑戦できるかもと思ってね」
「よく分かんないけど、先生を変な事に勧誘するのは止めてね、お願いだから……」
「この世界に、僕が野球を広めるのもいいかもしれないな」
「お願い、本当にお願い。やめてイチロー」

二人は一度部屋へと戻ると、またすぐに出かけることとなる。
そろそろ昼食の時間のためだ。
食堂へと向かった二人だが、食堂はいつにも増して人で溢れていた。

「これは……ちょっと座れないわね……」
「どうする、ルイズさん?」
「あ、そうだ」

ルイズが何か閃いたらしく、手を打った。

「ここでお弁当を作ってもらって、中庭で食べましょう」
「それはいい考えだな。今日は天気もいいからね」
「じゃあ、私はお弁当を頼んで来るから、イチローは中庭で用意しておいてちょうだい」
「了解だ」

イチローはルイズと一旦別れると、中庭へと向かった。

「それにしても、お腹が減ったな」

イチローは自分の腹を押さえてみる。
錬金の授業では、思わぬカロリーを消費してしまった。
いざとなれば数年単位で絶食しても平気だが、食料を摂取できるうちはしておきたかった。

「どうなさいました?」

振り向くと、大きな銀色のトレイを持ったメイドが心配そうな表情で立っていた。
艶のある黒髪の、愛嬌のある少女である。

「いや、少しお腹がすいてしまってね」
「そうですか……。あら? あなたは、もしかしてミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう?」

彼女は、イチローの左手の甲に刻まれたルーンに気付いたようだ。

「おや、僕を知っているのかい?」
「えぇ。何でも、平民の使い魔を呼んでしまったって、噂になっていますわ」

女の子がにっこりと笑う。
屈託のない笑顔だった。

「確かに僕はルイズさんの使い魔だが、平民じゃないよ」
「……え?」
「僕の名はイチロー。平民じゃなくて、メジャーリーガーさ」
「はぁ……? あの、私はこの学院でメイドをしております、シエスタと申します」
「シエスタか。いい名前だね。そもそもメジャーというものは……」

イチローの話を遮るように、イチローのお腹から音が鳴った。

「これは失礼」

イチローが照れくさそうに頬をかく。

「お腹がすいてるんですね」
「みっともないとこ見せてしまったね」
「では、こちらにいらしてください」

シエスタはクスりと笑うと、イチローを先導して歩き出した。



「ここは……?」

イチローが連れて行かれたのは、食堂裏にある厨房だった。
大きな鍋や料理器具がいくつも並んでいる。
そこでは、忙しげにコックやメイド達が料理を作っていた。

「粗末な物ですが、これをどうぞ」

シエスタはイチローに、湯気の溢れているお皿を差し出した。
お皿の中には、美味しそうなシチューが並々と注がれていた。

「悪いね。頂くよ」
「賄い食で悪いですが……」

イチローは、ルイズとの約束を忘れてシチューを堪能した。

「いや、これは中々美味いな」
「お代わりもありますから、ゆっくり食べてくださいね」
「あぁ、ありがとう」
「このシチューは、最近新しく雇った方が作ったんですよ」
「へぇ……? いい腕をしてるんだな」
「ふふ。後で本人にそう伝えておきますよ」

イチローは夢中になってシチューを食べた。
すぐに具はなくなり、最後は豪快に一気飲みするほどだった。
そんなイチローの様子を、シエスタはにこにこしながら見守っていた。
食べ終わり、満足そうに腹をさするイチロー。

「ありがとう。とても美味しかったよ」
「いえいえ。私は少しお手伝いをしただけですし……。あ、いけない」

はっとした様子で、シエスタが口を押さえた。

「忘れてました。申し訳ありませんが、私は今から仕事が……」
「なら、その仕事を僕も手伝うよ」
「いいんですか……?」
「もちろんさ」

イチローは、大きく頷いた。


大きな銀のトレイには、色とりどりのケーキが並んでいた。
イチローがそのトレイを持ち、シエスタがケーキをはさみでつまんで配っていく。
食堂は、相変わらず盛況のようだった。

「そういえば、ルイズさんと約束していたんだったな。まぁいいか」

イチローはデザートのケーキを全て配り終えてから行こうと決めた。

「なぁ、ギーシュ! お前は今誰と付き合ってるんだ?」
「そうだぞ! 誰が恋人なのか教えろよ?」

ふと、イチローは足を止めた。
食堂の一角に、やたらと喧しく話していた生徒達がいたからだ。
それもどうやら、色恋沙汰の話のようである。

「付き合う? 僕にはそのような特定の女性はいないね。薔薇は多くの人を楽しませるからこその薔薇だからね!」

金色の巻き髪に、フリルの付いたシャツを着た気障なメイジがいた。
薔薇を一本、胸ポケットに挿している。
どうやら、彼の名はギーシュというらしい。
自分を薔薇に例えるとは、どうやらかなりのナルシストのようだ。
だからといってイチローには関係がない。
子供が盛り上がっているからといって、文句などは言わない。
イチローは、勝手にやっていろとばかりにデザートを配り続けた。

「そもそも、僕は……」

その時、ギーシュのポケットから何かが落ちた。
ガラス製の小瓶のようだ。
中では液体が揺れている。
香水の類だろうか。
落し物のようなので、イチローは教えてあげる事にした。

「君。ポケットから瓶が落ちたよ」

しかし、ギーシュは振り向かない。
イチローは、少しだけむっとした。
メジャーリーガーを無視するとは、いい度胸だ。
だが、イチローは大人である。
この程度で怒ったりはしない。
イチローは瓶を屈んで拾うと、

「落し物だよ、そこの色男君」

そう言って、ギーシュの前に置いてやった。
ギーシュは苦々しげにイチローを見つめる。
二人の視線が、交錯した。
ギーシュは、睨みつけるようにイチローを見つめたつもりだったが、いつの間にかその深い瞳に吸い込まれそうになっていた。

「あ、あぁ? わ、悪いがこれは僕のじゃない」

頭を振って視線を逸らし、ギーシュは小瓶をイチローの方へと押しやった。

「ん? しかし、確かに僕は君が落としたのを見たんだが?」
「な、何を言ってるんだい? そんなわけないじゃないか」

小瓶に気付いたギーシュの友人達が、大声で騒ぎ始めた。

「ああ! その香水はもしやモンモランシーの香水じゃないのか?」
「そうだ! 間違いない! その紫色の香水は、モンモランシーが自分のためだけに調合している特別なやつのはずだ!」
「つまり、そいつを落としたって事は……」
「ギーシュはモンモランシーと付き合ってるってわけか。そうだな?」
「ち、違う!? いいかい、僕は彼女の名誉のために言っておくが……」

ギーシュが弁明しようと慌てている時、後ろに座っていた茶色のマントの少女が立ち上がった。
そして、ギーシュの席に向かってコツコツと歩いてきた。
栗色の髪をした、可愛い感じの女の子だった。
どうやらマントの色からして、ルイズよりも年下の一年生のようだ。

「ギーシュさま……」

少女は、ボロボロと泣き始める。

「やはり、ミス・モンモランシーと……」
「いや、誤解だ! ケティ、いいかい、僕の心の中に住んでいるのは君だけ……」 

目の前で始まった突然の愛憎劇。
──やれやれ、厄介な事になったな。
イチローは心の中で溜め息を吐いた。

「言い訳は聞きたくありません!」

食堂に大きな音が響いた。
ギーシュの頬がケティによって平手で張られた音だった。

「その香水があなたのポケットから出てきたのが動かぬ証拠ですわ! さようなら!」

ギーシュは、去っていくケティを呆然と見送りながら頬をさすった。
すると、今度は遠くの席から見事な巻き髪の少女が立ち上がった。
怒り心頭な顔つきで、その少女はギーシュの前までやって来た。

「モンモランシー!? ご、誤解だよ。彼女とはラ・ロシェールの森まで遠乗りしただけで……」

首を振り、懸命に弁明を続けるギーシュ。
冷静な態度を装っていたが、イチローの目はギーシュの額に垂れている汗を見逃さなかった。
──やはり、演技か。
イチローは黙って傍観を続ける。

「やっぱりあなた、あの一年生に手を出していたのね?」
「お願いだよ。『香水』のモンモランシー。咲き誇る美しい薔薇のようなその顔を怒りに歪ませるなんて愚かな事だよ。ここは冷静に話を……」

モンモランシーは何も言わず、テーブルの上に置かれたワインの瓶を掴むと、その中身をどぼどぼとギーシュの頭からかけた。
ワインの飛沫が辺りに飛び散る。
その様子を見てイチローは何となく、かつて日本で優勝した時のビールかけを思い出していた。

「うそつき!」

怒鳴り声を残し、モンモランシーは去っていった。
沈黙が流れた。
ギーシュはハンカチを取り出し、ゆっくりと顔を拭いた。
芝居がかった様子で、首を振りながら言う。

「やれやれ。あのレディ達は薔薇の存在の意味を理解していないようだね」

無言で傍観していたイチローは、ギーシュへと近付いていった。
そして……。

「そもそも、薔薇の花というものは……って、わぷッ!?」

イチローは隣のテーブルからワインの瓶を持ってきて、ギーシュの頭にどぼどぼとかけた。
ギーシュの頭が、再びワイン色に赤く染まる。

「き、君は突然、わぷッ、何を、あう!?」
「日本で優勝した頃を思い出すな」

イチローはワインの中身を全てギーシュのかけ終えると、一度大きく頷いた。
そして、きびすを返してその場を立ち去ろうとする。

「ま、待ちたまえ!?」
「なんだい?」

ギーシュの声に、イチローが立ち止まった。

「なんだいじゃないだろう!? いきなりワインをかけておいて!?
いや、ワインはこの際いい。それよりも、だ!
そもそも、君が軽率に香水の瓶を拾ったおかげで、二人のレディの名誉が傷ついた。
どう責任と取ってくれるんだね!?」

イチローは呆れた声で返す。

「おいおい。僕のせいなのかい? 二股はいけないよ」

その言葉に、ギーシュの友人達がどっと笑った。

「そこの平民の言う通りだ! お前が悪いぞ、ギーシュ!」
「平民もたまにはいい事言うな!」

ギーシュの顔に、さっと赤みが差した。
怒りのため、体が小刻みに震えている。

「い、いいかい、平民の給仕君? 僕は最初知らないフリをしただろう? あそこで君は僕に合わせて、機転をきかせて知らないフリをするべきだったんじゃないのかい?」
「そんな事は知らないな。それに、僕は平民じゃない」
「フン。平民じゃないなら、君は一体何だって言うんだい?」
「僕かい? 僕は、メジャーリーガーさ」

イチローは、自らを堂々と宣言した。

「めじゃありいがあ? 意味が分からないな。ああ、そうか、君は……」

ギーシュの視線が無遠慮にイチローをねめつける。

「君は、ゼロのルイズが呼び出した平民だったな。そんなやつに機転を期待した僕が馬鹿だったよ。主が無能なら使い魔の平民も無能か。めじゃあだか何だか知らないがもういいよ。さっさとどこへなりとも勝手に行きたまえ」
「君はメジャーを……。そして、ルイズさんを貶すのか……」

イチローは、じっとギーシュの目を見つめた。
イチローの視線を正面から受け止めたギーシュはうろたえる。

「な、なんだい? 僕に文句でもあるのかい!?」

イチローの瞳は、深い悲しみと怒りに満ち溢れていた。

「ど、どうやら、君は僕に喧嘩を売っているらしいね。いいだろう、君には貴族に対する礼儀を教えてやる!」

ギーシュは勢いよく椅子から立ち上がった。

「愚かな事を……」

イチローは、ギーシュを見て悲しげに呟いた。

「中庭にある、ヴェストリの広場で待っている。ケーキを配り終えたら来たまえ」

それだけ言い残すと、ギーシュは立ち去っていった。
ギーシュの友人達も立ち上がり、面白そうにギーシュの後を追う。
どうやら、遊び気分でイチローを見物するようだった。
その中で一人だけがイチローの前に残った。
彼はイチローを逃がさないために見張るつもりのようだ。

「そんなに監視しなくても、僕は逃げたりはしないさ」

イチローは苦笑してそう言ったが、見張りが解ける事はなさそうだった。

「イ、イチローさん……。あなた、殺されちゃう……」

シエスタがぶるぶる震えながらイチローを見つめている。
顔色は蒼白で、今にも倒れてしまいそうだ。
イチローは笑顔で言った。

「心配いらないよ、シエスタさん」
「で、でも。貴族の方を本気で怒らせたら……」
「だから心配はいらないよ。だって僕は……」

イチローは一呼吸置いて、言葉を止めた。
──そして。

「メジャーリーガーだからね」
「ご、ごめんなさい……」

シエスタは走り去って逃げていってしまった。

「この世界ではメジャーの知名度が低すぎるな……」

走り去ったシエスタの背中を見ながら、イチローは一人ごちた。
と、そこにルイズが駆け寄ってきた。

「イチロー! あんた何してんの!? というか、中庭で待ってるって約束はどうなってるのよ!?」
「やぁ、ルイズさん」
「やぁじゃないわよ!? 見てたわよ! 何勝手に決闘の約束なんてしてんのよ!」
「いや、あまりにも彼の態度が目に余ってね」

イチローは肩をすくめた。
ルイズは、大きく溜め息を吐いた。

「いい、イチロー? そもそも、平民がメイジには絶対に勝てるわけが……」
「ん? どうしたんだい?」
「勝てる、わけが……」
「ルイズさん?」
「か、勝て……」

ルイズはぷるぷると震えている。

「勝てそうね、あんたなら……」
「僕に任せておけば大丈夫さ」

イチローはにっこりと笑った。


ヴェストリの広場。
それは、広大な魔法学院の敷地内にある『風』と『火』の塔の間にある、中庭である。
西側にある広場なので、日中でも暗く、まさに決闘にはうってつけの場所だった。
基本的に人の出入りはあまりないのだが……。

「決闘だ決闘だ!」
「あのギーシュと、ゼロのルイズの使い魔が決闘するらしいぜ!」
「マジかよ。俺も行ってみようっと」

というように、噂を聞きつけた生徒達で広場は溢れかえっていた。

「さぁ、諸君! 決闘だ!」

ギーシュが薔薇でできた造花を掲げた。
それを見て、うおーッ! と歓声が起こって観衆が沸き立つ。

「この観客数、そして緊張感。いいね。スタジアムでの試合のようだよ」

イチローはあくまでもリラックスしていた。
ギーシュと一緒に、観衆への声援に手を振ってこたえている。

「平民君!? 歓声は僕に向けられているのだよ!? 何で君まで手を振ってるんだい!?」
「はは、まぁいいじゃないか。細かいことは気にしない」
「き、君は……。まぁいい。とりあえず、逃げずに来た事は褒めてあげようじゃないか」

ギーシュは、薔薇の花を弄りながら歌うように言った。

「では、決闘を始めようか!」

決闘の開始は、今高らかに宣言された。

「試合開始か。ワクワクするね」

イチローは動かない。
その余裕の態度に、逆にギーシュの方が焦りを覚えた。

「クッ!? 気に入らないね!」

ギーシュは薔薇の花を振った。
花びらが一枚、宙を舞う。
そして……。
甲冑を着た女戦士の人形が、イチローの前へと姿を現した。
身長は普通の人間とほぼ同じ。
だが、淡い陽光を受けて輝く肌を見るからに、どうやら金属で出来ているらしい。
色からして、恐らくは真鍮か青銅だろうとイチローは当たりをつけた。

「僕はメイジだからね。魔法で戦う。よもや文句はあるまいね?」
「なら、僕はメジャーリーガーとしてお相手しよう」
「……相変わらず、口が減らない平民だね。言い忘れていていたが、僕の二つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。 従って、青銅で作ったゴーレム『ワルキューレ』が君のお相手をしよう」
「やはり、青銅か」

呟いたイチローに向かって、女戦士の形をしたゴーレムが突進してきた。
イチローは避けようとも防ごうともしない。
ゴーレムの右の拳が、イチローの腹にめり込む。

「フ……」

衝撃でわずかに後ろへ下がったが、イチローは倒れはしなかった。
初球は様子を見る。
それが初対決の相手へのイチローのスタイルだった。

「その程度の力では、メジャーで本塁突入は期待できないな」

イチローは、悠然とゴーレムと対峙していた。

「やせ我慢かい? なら、お望み通りもっと痛めつけてあげよう! 行け、ワルキューレ!」

ギーシュの号令で、ゴーレムが再びイチローへと迫る。
だが、イチローの目の前で突然ゴーレムはその動きを止めた。

「ど、どうしたワルキューレ!? 行け、行くんだ!?」

ワルキューレは、ぴくりとも動かない。

「無駄だよ」

イチローがそう告げると、ワルキューレは粉々になって砕け散った。

「へ、平民!? お前、何をした!?」
「何って……。軽く撫でたら壊れてしまっただけだよ。すまない。まさかこんなに脆いとは思わなかったんだ」
「き、貴様ァ!?」

怒り狂ったギーシュが、薔薇を掲げる。
今度は、七体のゴーレムが同時に姿を表した。
イチローは七体のゴーレムを眺めながら言った。

「まるで人形展のようだね。素晴らしい見世物だ」

あくまでも、イチローは余裕の態度を崩さなかった。

「では、僕もそろそろメジャーリーガーらしく、こいつを見せてあげよう」

イチローはそう言うと、バットを取り出して構えた。
爪先で数回ほど足元の土を慣らし、固めていく。
さしずめ、イチローの立つ場所は即席のバッターボックスだ。
バットを握った右手を伸ばし、左手は右肩に添える。
準備は整った。

「おいで、ギーシュ君。プロの力を見せてあげよう」

イチローの眼光が、ギーシュを貫いた。
ぞくり、とギーシュの背中に冷たい汗が流れた。
イチローの目は、まるで獲物を狙う狩人の目。
これは恐怖か、それとも……。
ギーシュは挫けそうになる心を叱咤するように、大きく声を出す。

「ワ、ワルキューレ! やれッ! 一斉にかかれッ!!」

狂乱とも言える様相。
広場にギーシュの叫びが響く。
ギーシュの指示によって、全てのゴーレムが動き出した。
またたくまにイチローをとり囲み、四方から突撃してくる。
青銅でできているとは思えないほどの素早い動きだ。
イチローの体に、ゴーレムの硬い拳が襲い掛かる。
ゴーレムに囲まれ、イチローには逃げ場などない。
どんなに強がっても平民には何もできない。
観衆の誰もが、ギーシュの勝ちだと思った。
──その時だった。

「フッ!」

イチローのバットが風を切って唸る。
腰を軸に回転し、足の爪先から手の指先まで全体重を乗せた究極のスイング。
バットを振り切った後に、轟音が遅れてやってくる。
これがイチローの音速を超えたスイングだ。
そのスイングは風を裂き、竜巻を発生させ、嵐を呼ぶ。
七体のゴーレムはイチローのバット一振りで全てが宙に舞った。
そして、竜巻に乗って遠く離れた塔へとその身を激突させていった。
重い、重い音が響いた。
青銅の戦乙女達は、無残にも塔にめり込んだ。
その身は一瞬で粉々になり、青銅の欠片がギーシュ達の頭上に降り注いだ。
欠片には陽光が反射し、まるで雪のようにキラキラと光り輝いている。

「あ、あ、ああ……」

そんな馬鹿な。
ギーシュは目の前の光景に目を疑った。
全精神力を駆使して作り上げた自慢のゴーレム達へ、平民が木の棒を一振りした。
それだけで、七体のゴーレム全てが吹き飛ばされて砕け散ったのだ。
更に、ゴーレムを吹き飛ばした竜巻は未だ広場の中央で渦を巻いている。

「あああああああああああああああ!?」

ギーシュは、薔薇を掲げた。
大声を出していなければ、正気を保てなかった。

「うわあああああああッ!!」

体から残った力の全ての振り絞り、何とかゴーレムを一体だけ作り上げる。
完全に精神力は使い果たした。
もはや簡単なコモン・マジックすら使えないだろう。
正真正銘、これが最後の一体だ。

「ワルキューレッ!」

ゴーレムがイチローへと突進してくる。
相も変わらずの愚直なまでの突進。
勇壮なる、戦乙女の騎行。
ギーシュにはこうするしか、否、これしかないのだ。

「行け、あいつを殺せ、ワルキューレ!!」

狂ったように叫ぶギーシュ。
イチローは無言でバットを構えた。

「悪いが、少しだけ本気でいかせてもらうよ。お仕置きだ」

イチローの雰囲気が変わり、体からはオーラが立ち昇る。
足元の土が、イチローを中心にひび割れていく。

「ハァッ!」

イチローの声に重なるように、爆裂音のようなスイングの音がヴェストリの広場へと響いた。
轟音、そして爆音。
常人がスイングしただけで出せる音ではない。
人類を超越したイチローだからこそ起こせる現象である。
この時、イチローを中心に巨大な力場が発生していた。
天は震え、大地は揺れる。
きっと衛星写真というものがこの世界にあれば、イチローがいる場所がまるで台風の目のようになっているのが確認できた事だろう。
──イチローのスイングで、全てに決着がついた。
ヴェストリの広場は濛々と煙が立ち昇っていたが、イチローが軽く息を吹きかけると全ての煙が一瞬で晴れた。
そこにあったのは、ヴェストリの広場の変わり果てた姿。
いや、かつてヴェストリの広場であった場所と言うのが正しいだろう。
すでにそこは広場の体をなしていなかった。
かつてヴェストリと呼ばれた広場の中央は、底が見えないほど深い巨大なクレーターの穴が穿たれ、どこまでも広がっているのみだった……。

「イ、イチロー!? も、もしかしてギーシュを殺しちゃったの!?」

イチローの背後からルイズが慌ててやって来た。
恐る恐るイチローの脇からクレーターを覗き込んでみる。
……底が見えない。
ルイズは怖くなって、見るのを止めた。

「いや、死んでいないよ。ほら」

イチローが片手を持ち上げると、そこには全裸になったギーシュがぷらぷらと掴まって揺れていた。

「な、な、な!? 何で全裸!?」
「いや、細胞の欠片すら残さずに消滅させかけてしまってね。服は仕方ないが、とりあえず傷だけは何とか再生させておいたんだ」
「再生!? 再生って何!?」
「細かい事は気にしないでおこう。それよりも」

イチローはギーシュを地面に下ろした。
そして、じっと見つめる。
ギーシュは股間を隠しながら俯いた。

「何か、僕に言う事は?」
「ぼ、僕は……」

イチローはギーシュから目を離さない。

「……参った。僕の、負けだ」

ギーシュの敗北宣言と同時に、広場は大歓声に包まれた。


──その頃、トリステイン魔法学院の厨房では。

「おい、新入り。何だか表が騒がしいようだけど何かあったのかい?」
「さぁな。俺に聞くなよマルトーさん」
「ま、それもそうだな」

そう言って笑うマルトー。
他のコック達も釣られて笑う。
だが、一人だけ浮かない顔をしている者もいた。

「どうしたシエスタ? 元気がないじゃねぇか」
「あ、マルトーさん……。ごめんなさい。何でもないんです」

シエスタは無理矢理に笑顔を作る。

「さーて、お仕事しなくちゃ!」

厨房を走り去っていくシエスタに、マルトーは怪訝な目を向けた。

「一体何だってんだ? なぁ、新入り」
「だから俺に聞くなよ」
「そうは言ってもな。もしかして表で揉め事でもあってシエスタが関係してたらと思うと、俺ぁ心配でな……」
「顔に似合わず優しいんだな、マルトーさんは」
「うるせい。ところで新入り。お前さん腕っ節が強そうだし、もし何かあったらシエスタの事は頼むぜ? それにあんた、只者じゃなさそうだしな」

長い髪をオールバックにして後ろでまとめた新入りは、野菜を切る手を止めた。

「俺は、ただのコックさ」



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