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春。出会いと別れの季節などと銘打たれる季節。 ID:C5Gj/DyD0」(2009/07/22 (水) 16:16:15) の最新版変更点

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39 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/14(火) 01:38:01.57 ID:C5Gj/DyD0 春。出会いと別れの季節などと銘打たれる季節。 教室の中には、心地良い雰囲気が漂っていた。 新入生たちの顔は一様に明るく、個々の顔からいよいよ始まろうとしている高校生活への期待が滲みでている。 ある生徒は早速気が合う仲間を見つけて意気投合しており、 またある生徒は外の桜を眺めながら、のどかに微笑んでいる。 40 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/14(火) 01:39:39.98 ID:C5Gj/DyD0 僕はそんな教室の光景を眺めて、穏やかな気分になりながら 自分も随分と変わったな、と自覚させられる。 以前までの僕は、こんな風に何かに心を動かされることがあっただろうか? こんな風に穏やかな気分になることがあっただろうか? なかっただろうな、と僕は苦笑する。 自分のことしか見えておらず、他人など只の競争相手だとしか思っていなかったあの頃。 思い出すだけで、鬱屈とした気分にさせられる。 でも、そんな僕を変えてくれたのは…… 41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/14(火) 01:40:40.02 ID:C5Gj/DyD0 「ねえ、君。一体何見てんのさ?」 声をかけられたのだと分かり、僕が声のほうに顔を向けると、 そこには同じクラスになった男子生徒がいた。 彼の視線は僕の手にある一枚の写真に向いていた。 「へえそれってもしかして君の……」 「違うよ。」 僕は彼が言わんとしていた言葉を予測して、やんわりと否定する。 43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/14(火) 01:41:44.84 ID:C5Gj/DyD0 「この子は僕の大切な……」 大切な、なんなのだろう。 僕はあの頃、この子をどんな風に見ていたのだろうか。 ……駄目だ、的確に言い表せそうにない。 少なくとも、今目の前にいる彼が思っているのとは違う、 ということははっきりしている。 僕はしばし考え、適切な言葉を探し、 「大切な……仲間だったんだ。」 言ってみてから、割としっくりきたことにちょっと満足する。 47 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/14(火) 01:44:06.13 ID:C5Gj/DyD0 僕は、そこで目を閉じる。 湧き出てくる様々な記憶の中から、彼女の姿を探す。 最初に思い出すのはやっぱり (これからしばらくの間よろしくねー) ほんわかとした声から始まる、あの出会い。 記憶の中で茶髪の彼女が微笑んでいる……。 72 :回顧録:2009/07/14(火) 02:21:01.34 ID:C5Gj/DyD0 「ねえ、昨日のアレ見たー?」 「ああ、アレ。ちょーおもろかったよねー。  なんか感動したっつーか。」 「あはは、マジうける~!」 中心の立場にある女生徒とその周りの連中がけたたましい笑い声を 上げている。 何を話題にしているのか、などといったことは正直言ってどうでも良かったのだが、 とにかく騒々しかった。 74 :回顧録:2009/07/14(火) 02:23:14.25 ID:C5Gj/DyD0 (うっせえな……今授業中だろ。) (授業邪魔すんなら出てってくんねーかな。うぜえ……) そんな連中を見て、僕はとてつもなく荒んだ気分だった。 「はいここ、テストに絶対出るからなー!しっかり押さえておけよー!」 教師がそう言ったのを合図にして、僕は授業に集中し始めた。 75 :回顧録:2009/07/14(火) 02:24:26.32 ID:C5Gj/DyD0 ……普段、この教師はよく雑談をして皆を笑わせている。 どうやらその雑談のおかげで、この教師は生徒から結構な人気があるらしい。 僕としては正直雑談などどうでもよく、 興味があるのはどうすればテストの点が上がるか、 どうすれば教師に良い印象をもってもらえるか……それだけだった。 人付き合い?そんなもの何の役にも立たない。 馴れ合いなんて、要るわけない。 競争こそ、自分の生き甲斐だった。 76 :回顧録:2009/07/14(火) 02:25:24.43 ID:C5Gj/DyD0 ある日の朝のHRで、席替えをすることになった。 僕としては、どうしてそんなことをするのかがまるで分からなかったが、 周りの連中は嬉しそうだった。レベルが低い奴ら。 席替えが終わり、HRの終わりを告げる鐘が鳴る。 僕はロッカーにある一時間目の授業の教材を持ってくるために、 立ち上がろうとした。 77 :回顧録:2009/07/14(火) 02:26:17.45 ID:C5Gj/DyD0 そこで、声をかけられた。 「隣の席になったねー」 なんとも間が抜けた独特の声だった。 僕はそんな声のした方へ顔を向ける。 たぶん、表情はとても怪訝そうなものだったと思う。 「よろしく~」 しかし、声の主の顔を見ても、僕には誰だか分らなかった。 人の顔を覚えるなどといったことは煩わしいし、 そんなものを覚える暇があったら、その分の脳の容量を 暗記科目の勉強のために使いたかったからである。 80 :回顧録:2009/07/14(火) 02:28:28.97 ID:C5Gj/DyD0 (……あー) なんて返せばいいんだろうなあ。正直言って、面倒くさい。 「あっ、自己紹介しなきゃ」 少し慌てた素振りを見せた後、彼女は居住まいを正して 「平沢唯だよ。よろしく~」 と言った。 83 :回顧録:2009/07/14(火) 02:31:46.35 ID:C5Gj/DyD0 「……よろしく」 多分、僕の顔は無愛想なものだったと思う。 内心では、 (自己紹介?もう3年生に進級してから結構経ってんだろ? いまさらしなくて良いよ、かったるい。) (それともなんだ?馴れ合いたいのかよ。  あーやだやだ。一体なんなんだよ) などといった荒んだ感情が渦巻いていた。 561 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/14(火) 22:11:53.20 ID:C5Gj/DyD0 「……おい、どうした?」 はっと気付くと、そこは高校の教室だった。 回想に浸ってから、どれほどの時間が経ったのだろうかと思い、 時計を見遣る。 驚くことに、時間はさほど経過していなかった。 「つい、昔のことを思い出してしまっていたんだ。」 僕がそう答えると、目の前の彼はほっとした顔をする。 「いきなり黙り込むから心配したぞ。」 「ごめん。君に心配をかけてしまったみたいだね。」 「まあ、何事もなくて良かったけど、な。」 そんなやり取りをしているうちに、僕たちのクラスの担任教師がやってきた。 生徒たちは慌てて各々の席に戻り、 僕を起こしてくれた彼もまた自分の席に戻る。 563 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/14(火) 22:12:38.82 ID:C5Gj/DyD0 (平沢唯……か) 彼女は今どうしているのだろうか? 自分が夢中になれることを見つけられただろうか? 次に僕が思い出すのは……。 579 :回想:2009/07/14(火) 22:25:52.18 ID:C5Gj/DyD0 このようにして、僕と平沢唯は隣同士となった。 僕としては、正直誰が隣になろうとどうでも良かったので 席替えの結果に特別な感慨を抱くこともなかった。 ところが、クラスの連中の話によると平沢唯は 結構人気が高いらしい。 588 :回想:2009/07/14(火) 22:30:58.73 ID:C5Gj/DyD0 「いやー、お前がうらやましいよ、ホント。  なんてったってあの平沢唯が隣だろう?  俺だったら、飛び跳ねて喜んじまうね。」 そいつはそんなことを言うと、僕の前で気持ち悪く体をくねらせた。 見るに堪えない。 「……ふーん、そうなのか。」 僕は会話を打ち切って席を立とうとする。 602 :回想:2009/07/14(火) 22:39:56.33 ID:C5Gj/DyD0 「ちょ、ちょっと待てよ!?  お前自身は、あの子と隣の席になれてどう思ってんだ?」 面倒くせえなあ、こいつは。 「別に……どうも思っちゃいないよ。」 「いや、お前それはねえだろう。  まず、性格!ほんわかとしていて、とても親しみやすい。  次に、体型!どこかあどけない感じの残る、未発達な感じ。  最後に、顔!とても整っていて可愛らしい!!  一体何が不満なんだ、コンチクショー!」 ……僕は彼の言葉になんて返せばよかったのか。 分からなかったので、そのまま無視した。 180:回想 :sage:07/15(水) 18:01:37.90 ID:CTKiilpa0 (15) ID AA 廊下を歩きながら、グラウンドをちらりと見遣る。 男子生徒たちがサッカーをしており 女子生徒たちがそれを見て声援を浴びせていた。 (…全く、レベルが低いな。サッカーなんて子供のやることだろ?) 僕はいつものようにそんなことを思いながら、図書室へと向かっていく。 最近借りた本を返しに行くためである。 ありとあらゆる趣味を馬鹿にしきっている僕ではあるが 読書だけは素晴らしく崇高な趣味だと思ってやまない。 特に、小説には人間の心を刺激する「何か」があると確信している。 (次はどんなやつを借りようかな?) などといったことを考えながら、僕は図書室へと入っていく。 182:回想 :sage:07/15(水) 18:02:42.33 ID:CTKiilpa0 (15) ID AA まずは、手に持つ本を返却するため、カウンターへと向かっていった。 「すみません。本を返し……」 カウンターにいる人物を見て、僕は言葉を詰まらせる。 そこにいる人物は、漫画を読みながらお菓子を食べている。 その漫画は図書室の物ではなく 書店で売っているような学校の図書室に相応しくないものだ。 また、当然図書室内での飲食は禁止。当たり前のルールである。 しかもムカつくことに、規律を破りながらも 彼女は満面の笑顔を浮かべているのだ。 (こんな当たり前のルールすら守れないとは……) 184:回想 :sage:07/15(水) 18:03:43.23 ID:CTKiilpa0 (15) ID AA 僕は溜息をつき、その場を離れようとする。 本は、後日他の図書委員にでも渡せば良いだけの話だ。 そう思い、その場を立ち去ろうとしていると 「あれー、ちょっと待ってー?」 「……」 関わり合いになりたくないため、僕はそのまま無視して進もうとする。 「ねえってばー、待ってよ~!」 しかし、彼女は僕が聞こえてないのだと勘違いしてか 声のボリュームを上げた。 「ねーえー!!」 「うるさいなあ。」 僕は仕方なくカウンターへと戻る。 186:回想 :sage:07/15(水) 18:04:32.67 ID:CTKiilpa0 (15) ID AA 「あっ、やっと気づいた。」 「最初から気づいてたよ、君がうるさいから戻ってきただけ。」 「ひどーい。親切心から声をかけてあげたのに。」 彼女はふくれっ面をしていた。 茶髪のショートカット、垂れた目つき。 そう。そいつは僕の隣の席になった平沢唯だったのである。 「そうであっても、図書室で声を張り上げるのはどうなのさ?  人の迷惑になることくらいわかろうよ。」 「むー、だったら最初に声をかけた時にこっちに戻ってきてくれれば  よかったじゃん!  悪いのはそっちだよ!」 ……まさかこっちが責められてるのかな? まずいな、無関心を貫こうと思っていたのに、これはむかつく。 188:回想 :sage:07/15(水) 18:05:32.12 ID:CTKiilpa0 (15) ID AA 「それにしたって大声を出すまでもない。  君がこっちまで寄ってきて声をかけてくれればよかっただけのことだ。  大体、そんな風に菓子食ったり漫画読んだりして……」 「わーわーわー、静かに!」 平沢はあろうことか僕の口を押さえようと、顔に抱きついてきた。 「うわっ離れろ!」 「だめー、菓子とか漫画とか司書さんに知られたら怒られちゃうんだよ!  そうなったらそっちのせいだ~!」 「君が怒られようが僕は関係ないだろ!?いいから、早く離れろっての!」 こんな風に口論していると、僕の肩に何かが触れる感触があった。 振り返って見るとそこには 「君たち、仲が良いねぇ~……」 とても怖い笑顔を浮かべている司書の姿が。 189:回想 :sage:07/15(水) 18:06:36.49 ID:CTKiilpa0 (15) ID AA 「もう、そっちのせいで追い出されちゃったじゃん。」 図書室を追い出された後、廊下を歩きながら平沢はそんな風に愚痴ってきた。 「発端はそっちだろ?僕は悪くないぞ。」 「えー、そっちも騒いでたのは事実でしょ!  それなのに私だけに罪を着せようとするなんて……ひきょーものー!」 もう僕はこれ以上、平沢と口論するのには耐えられそうに無かった。 しかしながら、彼女はまだブーブー文句を垂れている。 (はー……誰か来てくれよ) 「あっ、唯じゃない。」 落ち着いた声が響く。まさか、救いの神の登場か? 「あー、和ちゃん。」 平沢が僕から離れていく。チャンスだ! 「あっ、待ってよ~!」 「どうしたの唯?何かあったの?」 平沢の声を退け、僕は教室へと走っていく。 190:回想 :sage:07/15(水) 18:07:54.79 ID:CTKiilpa0 (15) ID AA 「いやー、聞きましたよ聞いちゃいましたよ。」 教室に戻り、次の時間の用意をしていると そいつはにやにやと笑いながらこちらへと近づいてきた。 いつも僕にまとわりついてくる軽々しい奴だ。 僕としては面倒くさいことこの上ない。 「なんだよ。何を……」 「図書室でのコ・ト♪いやー、うらやましいねー、甘酸っぱいねー。」 僕は怪訝に思う。なんでこいつはそのことを知ってるんだ。 図書室とは縁もゆかりもなさそうな軽薄な奴なのに。 「結構有名になっちゃってるよ~。ほら、言っただろ。  平沢唯は人気が高いんだって!」 「うっさいな。そんなことで冷やかしに来たのか。だったら席に帰ってくれ。  時間の無駄だ。」 「相変わらず辛辣だな~、お前さんは。」 「僕は無関心でいたいんだよ、競争以外には興味が無いね。」 「へー、それなのに図書室では……。」 192:回想 :sage:07/15(水) 18:09:30.48 ID:CTKiilpa0 (15) ID AA キーンコーンカーンコーン…… 「お前ら席に着けー!」 教科担任の声が聞こえて、僕は我に返る。 どうやら、拳を握りしめていたらしい。 そろそろ、我慢できなくなるところだった、危ない危ない。 生徒たちがバタバタと席に戻っていく。 「全員いるかー?」 教師がそう言ったところでがらっと扉が開き、遅れた生徒が入ってきた。 「すみませーん。遅れちゃいましたー。」 間延びした声を出しながら、彼女は僕の隣の席に着く。 「さっき何で逃げちゃったのさー。」 平沢唯は再び不平をこぼしながら僕の方へと視線を向ける。 「めんどくさいからに決まってんだろ。 それに、もう授業は始まってんだ、うるさいよ。」 僕は極力冷たく平沢をあしらい、授業に集中し始める。 むー、とした顔をした後、彼女も教材を準備し始めた。 196:回想 :sage:07/15(水) 18:11:09.89 ID:CTKiilpa0 (15) ID AA ……冷静な態度を装いながら僕は先ほどの図書室での出来事を思い出していた。 (あの時の平沢……) 何を思ってあんなことをしたんだろう? 僕を黙らせたいのなら、手で口を押さえるだけでいいじゃないか。 なのに、何であんな行動を? ついちらりと彼女を見やってしまい、僕はどきりとした。 (……顔、赤い?) その日の授業には、なぜか集中できなかった。 僕としたことが……とんでもない不覚である。 616:回想 :sage:07/16(木) 11:34:39.12 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA 「えーでは、これでHRは終わりだ。委員長、号令!」 「起立、気を付け、礼」 委員長の号令で、挨拶を終える。 「さて、帰るか」 僕はさっさと教室から出て行こうとする。 「あっ、待って~!」 と、声をかけられた。 ……この間延びした声は、まさか。 「はい、これ」 彼女から一本の箒が手渡される。 「……どういうことさ?」 僕は、疑問を彼女に投げかけた。 その言葉を聞いたためか、彼女―――平沢唯はさっきと同じように 「む~」という顔をする。 618:回想 :sage:07/16(木) 11:36:14.66 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA 「今日、掃除当番でしょ、私たちの列」 「あー、そうだったんだ」 僕は鞄を置いて、彼女の差し出している箒を手に取った。 そんな僕を見て、平沢は少し驚いた顔をする。 「? なんかおかしなことをしたか?」 「い、いや……そういうところは協力するんだなあ、って」 平沢はあたふたとした。 「僕からしてみれば、掃除なんて、君の方が忘れそうだと思ったけれどね。  君に指摘されてしまうとは、心外だ」 「あー、何それ~。私だってこういうことは忘れないよ。  あまり馬鹿にし……」 ガラッと教室の扉が開く。 「おーい、平沢~。今日の英語の宿題出してないのお前だけだぞー!  出さないのなら、成績は覚悟しとけよー」 ピシャンと教室の扉が閉まる。 620:回想 :sage:07/16(木) 11:37:38.95 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA 「「……」」 互いに沈黙。 平沢は顔を赤らめており、僕もどう対処すればよいか分からず戸惑う。 「……さっ掃除掃除っと」 さっさと終わらせて、とっとと帰ってしまおう。 「ま、待ってよ!今のは違うんだよ~」 「何がどう違うんだか」 「普段はああじゃないの!今日はたまたまなの!」 「説得力無いね」 「そういう君こそ、帰ろうとしたじゃん!やっぱり君のが悪い!」 「えっ、いきなり何を言うのさ。僕はちゃんと戻ってきた。  君に言われなくとも戻ってきたね」 「む~、もういいよ!」 平沢はそっぽを向いた。 ……まずいな、なんで僕は彼女を相手にするとペースを乱されるんだ。 無関心を貫き、競争のみに集中したいのに。 それこそが生きがいだと、決めてしまってるのに。 621:回想 :sage:07/16(木) 11:39:19.73 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA 「はい、掃除終わり。御苦労さま」 担任教師がそう言って、掃除は終わった。 僕は箒を用具入れに返し、足早に教室から出る。 一人で帰る方が都合が良い。他人のペースに乱されることは遠慮したかった。 靴箱で上履きを履き替えようとしていると 「よおー、今帰り?」 今一番会いたくない人物がそこにいた。 「随分と遅かったな。掃除は終わったのかよ?」 「……一人で帰りたいんだけど」 「つれないこと言うなよ。行こうぜ」 彼は強引に僕を外に連れ出した。 ……行っても無駄だと分かっていたが、やはり不満だ。 622:回想 :sage:07/16(木) 11:40:45.87 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA 「で、掃除の時のあれはなんだったんだ?」 やはり来たか、と僕は舌打ちをしたい気分だった。 「別になんでもないよ。つーか何?また覗いてたのか?」 「覗きとは人聞きの悪い。鑑賞、と言ってくれよ  ……良い感じだったじゃないか、彼女と」 「あれのどこが、さ。軽い口論をして、それっきりだ。  なにもなかった」 「またまたー、何を言ってんだよ」 彼はこう続けた。 「普段のお前が他の奴らに見せる態度とあの子に対する態度、まるで違うじゃんか。  いつもなら、何か突っかかってこられても、適当にあしらって、おしまいだ。  でも、今日はどうだ?彼女の突っかかりにお前は答えた。  俺にはおかしい光景に見えたぜ」 僕は彼の発言に反論しようと思ったが、やめておくことにした。 彼の口調が真面目そのもので、そういうときの彼を邪魔することは憚られるし、 僕も自分で自分をおかしいと認めつつあったからだ。 623:回想 :sage:07/16(木) 11:42:10.89 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA (いつもだったら、確かに) 少なくとも、「君に言われたくないね」などということは言わなかった、はずだ。 そんな風に、人と口論するのは面倒くさかった。 「それによ、俺は見ちまったんだよ」 気づくと、彼の口調は軽薄なものに戻っていた。 「あの子が教室から出てきたとき、どうしたと思う?  こともあろうか、お前を探してたんだぜ。  他の生徒にお前の名前を出して、行方を調べてた。  うらやましいねえ、何があったのさ、ええ、おい?」 はあ……また面倒くさいことに。 624:回想 :sage:07/16(木) 11:43:26.90 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA その後、僕は特に彼と話すこともなく、歩いた。 彼も何も言ってはこなかった。今日僕と話したかったのは掃除の件 だけだったのだろう。 そのうち、大きな交差点に出た。ここで、僕と彼は分かれる。 彼は交差点を渡り、こちらを振り向いた。 「じゃーな、また明日!」 彼は声を張り上げて、別れを告げる。 僕は彼に軽く手を振ることで、挨拶とした。 一人になった僕は交差点を行きかう車を見ながら、歩を進める。 考えることは一つだった。平沢唯のことだ。 (……僕を、探してた?) 何のことやらさっぱりだ。 どう考えても、平沢が僕を探す理由など見つからない。 (まあ、別に良いか。不本意だけれど、明日も会うわけだし) そんな風に思考を打ち切り、僕は家に向かって歩くことに専念する。 627:回想 :sage:07/16(木) 11:45:42.80 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA ……専念しようと、思っていたのに。 (何で、気付いてしまったんだろう?) 猫が車道に出ていた。 赤信号のため、車は止まっていた。 だから、猫は油断してしまっていたのだろう。 車が来ないうちに、ゆっくりと車道を横切ろうとしていた。 ……猫は悪くない。ただ、もう少し注意を巡らせ、速く歩いてくれていればよかった。 それからの光景はまるでスローモーションのように、僕の目には映った。 赤信号が青信号に変わる。明らかにスピード制限を無視した車が走る。 猫は、恐怖のため立ち竦む。そして 一人の少女が、車道へと、飛び出した――― ハッと気づくと、僕は歩道に倒れ込んでいた。 車道がそれほど広くないのが幸いしたのだろう、間一髪で両方とも助けられた。 一方は猫。いまだに恐怖が残っているためか鳴き声をあげ続けている。 もう一方は――― 「ありがとう。助かったよ~」 茶髪のボブカットの少女―――平沢唯だった。 629:回想 :sage:07/16(木) 11:47:27.98 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA (……あの時) 自分でも分からない、普段の僕だったら動かなかっただろう。 正直に告白してしまえば、僕は動物にそこまで愛着を持つことが出来ない。 以前、朝に猫が車道で轢かれて死んでいるのを発見した時だって 何の感慨も湧かなかった。 どうせ、あらゆる命は消えさる運命だ、などと考えていたような気もする。 それに、その時の僕は学校に登校することの方が大事だった。 (なのに……) 今、気付いたら駆け出していた。 それは、車道に出た少女を一瞬で認識したからだろう。 とにかく、なんでも良かった、もう、どうでもよかった。 だから、走った。走って、彼女たちを引っ張り上げ、向こうの歩道へと倒れ込んだ。 631:回想 :sage:07/16(木) 12:01:38.85 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA 「……一体、何で、こんな、ことを、した、のさ?」 僕の口調は自分でも驚いてしまうほどに疲れ切ったものだった。 平沢が僕の問いかけに答える。 「だって猫が危なかったから。助けるのは当然だよ~」 「……そんなこと言っても、自分も死ぬところだったよ?」 「私だって怖かったよ。それでも―――」 あの子を助けたかった、と彼女は続けた。 「……君は、馬鹿だよ、ほんとに」 「そうかもしれないね~。  ……でも、あのまま見てることなんて、出来なかった」 平沢は、制服についた埃をはたき僕と向き合う。そして 「今日は本当にありがとう。君のおかげで助かったよ」 お礼を、言ってきた。 「……べ、別に。お礼を言われる筋合いなんかない、よ。  僕はただ、自分がしたいから―――」 やったまでだ、と続けようとしたところで僕は平沢の異変に気づく。 632:回想 :sage:07/16(木) 12:02:43.28 ID:ghfxwfzB0 (20) ID AA 彼女の顔は青白い。さっきは僕自身疲れていたから気付かなかったけれど、 呼吸も荒かった。 彼女は僕に倒れ込んできた。僕たちはそのまま密着したまま動けない。 「ちょ、ちょっと!」 しかし、平沢はぴくりともしない。 彼女の体温はとても高くなっている、ということが肌を通して伝わってくる。 「どうしよう?」 こういう時どうすれば良いのか。 普通だったら救急車を呼ぶべきなのだろう。 しかし、僕は携帯電話も持ち合わせてないし、近くに公衆電話も無い。 (このまま置いていってしまおうか?) などとも考えたが、何故かそれだけはする気になれなかった。 「くそっ!」 僕は彼女を抱えて歩くことにした。 きっと歩いているうちに、公衆電話も見つかるはずだ。 ……すると、なにかがトントンと僕の肩を叩く。 「わ、私の家、ここから近い、から。  そこに、連れて行って、くれたら、嬉しいな」 彼女の息は荒く、言葉は途切れ途切れだった。 ……こうなったら仕方無い。僕は平沢を彼女の家まで運ぶことに決めた。 205:まえがき :sage:07/17(金) 01:06:55.78 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 予想以上に、平沢の家は近かった。 ものの5分程度、だっただろう。 「……ここで、間違いないか?」 家の前で、彼女に呼びかける。 「うん……ありが、とう」 平沢は僕の背中から降り、よろよろと歩きだした。 傍目からもわかるほどに、憔悴しきっている。 (……まあ、家に誰かいるだろうし) 「じゃあ、僕は帰るから」 僕はその場を離れようとした。 もともと僕は、こんなことに時間を費やすつもりなどなかったからである。 さっさと帰って、予復習を――― バタッ! 後ろで何かが倒れる音がした。 206:回想 :sage:07/17(金) 01:08:05.75 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA (……) 振り返っては、駄目だ。 もうこれ以上、干渉すべきではない。 僕の信念に背くことになる。 (そうさ、どうせもう……) 平沢家の扉はすぐそこのはずだ。 だったら、平沢がそこまで辿り着かないわけが――― 「ゲホッゴホッ……!」 濁った音が、聞こえた。 もうそれだけで、本当に辛いのだということが分かるくらいに、激しい音だった。 想像したくもないのに、彼女の苦悶の表情を思い浮かべてしまう。 … … ……… 208:回想 :sage:07/17(金) 01:09:01.99 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「ゲホッゲホッ!」 彼女は咳を繰り返し 「……?」 ふと顔を上げて、驚いた顔をする。 「ったく、世話が焼ける……」 僕がまた来るなどとは思っていなかったのだろう。 「なん、で」 「もういいから。静かにしていなよ、気が散る」 平沢は玄関まであと2、3歩というところで倒れ伏していた。 ゼイゼイと荒い息を吐き、顔は青ざめ切っている。 210:回想 :sage:07/17(金) 01:09:59.99 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 僕は彼女を再び背負う。心なし 先ほどよりも彼女の体温が、上昇しているかのように感じられた。 「誰か家にはいないのか?」 「妹が、いる、はず、なんだ、けど」 なるほど、呼び鈴を鳴らして妹さんに引き渡せばいいだけの話か。 安堵する。これ以上、時間を消費するということは無さそうだ。 呼び鈴を鳴らすと、ピンポ~ン、という間延びした音が響く。 待つこと、数秒。 「……返事が無いんだけど」 「あっ、そう、だ。今日、委員会、だから」 なるほど、妹さんはおらず、僕が中に連れ込むしかないということか。 ……不本意なことこの上ない。 214:回想 :sage:07/17(金) 01:11:26.90 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「――鍵は?」 「ばっぐの、ぽけっとの、なかに」 さっきより、息が絶え絶えとしたものになっている。 ……まずいな、平沢の汗が僕のYシャツにまで。 僕は、急いでバッグのポケットを探る。 「……よし、見つかった」 僕は鍵をドアに挿し、くるりと回す。 かちゃり、という小気味よい音とともにドアが開いた。 (さて、中に入ったのは良いのだけれど……) 僕はしばし考える。 (まず、何をすれば良いんだ?) 670:回想 :sage:07/17(金) 22:32:53.47 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 部屋を探すことに決めた。 寝かしつけることが先決だと思ったからだ。 とりあえず――― 「部屋はどこ?」 これを聞かないとどうしようもない。 「2、階……」 それを聞き、僕は靴を脱いで、階段を上がる。 階段の傾斜がそこまできつくないのが幸いした。 すぐに、2階に辿り着く。 (……ここだな) 「ゆいのへや」と書かれたプレートが付いている扉を、僕は開けた。 674:回想 :sage:07/17(金) 22:34:36.09 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 誰かの家に行くことで、得られるものなどあるのだろうか? 僕は今まで誰かの家に行ったことなど、ない。 昔から、そういった付き合いは避けてきた。 ただの時間の無駄にしか思えなかったのだ。 だから、僕が他人の家に入ったのはこれが初めてになる。 ましてや、同学年の女子の部屋に入ることにまでなるとは……。 僕は部屋を見渡す。 ベッドはすぐに見つかった。 677:回想 :sage:07/17(金) 22:36:34.19 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「ほら、そろそろ降りて」 「んー……」 彼女はのろのろと、かたつむりのように僕の背中から降りると すぐさまベッドに倒れ込む。 そんな平沢を見て、僕はこれから取るべき行動を考える。 (……まず、あの汗だくの服をどうにかしないと) 「僕は今から救急箱を探してくる。君はその間に着替えておいてくれ。  そんな服を着ていたら、体調は悪化するだけだ」 「……」 平沢は何を思ったのか、僕の目の前で、突然自分の着ている制服を脱ぎ始めた。 「っ!な、なにやってんだ!」 下着が見えるか見えないかのところで、彼女を止める。しかし平沢は、ぽ~っとした顔を向けてくるだけだ。 (……ま、まずいな。このままじゃどうにも) 僕が少し視線を反らした隙に、平沢はまたしても制服を脱ごうとし始めていた。 もしかすると、僕のことが見えていないのかもしれない。 679:回想 :sage:07/17(金) 22:37:53.16 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA それほどにまで、意識が朦朧としたものになっているとしたら――― 「と、とにかく僕は救急箱を探してくるから」 踵を返し、扉に向かって一目散に走る。 バタン……。 部屋の扉を閉め、僕は階段を降りていく。 救急箱は、おそらくリビングルームにあるのではないかと僕は睨んでいた。 他人の家を勝手に捜索するのは気が引けるが、ここまできたらもう仕方無い。 降りながら、頭の中でフラッシュバックするあの光景――― 「だ、駄目だ!平常心、平常心……」 首を振って、その光景を払おうとする。 「とにかく、救急箱を……」 1階に到着し、リビングルームへと向かう。 681:回想 :sage:07/17(金) 22:39:55.30 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 広い、部屋だった。 「……外観から想像はしていたけど」 とりあえず歩き回り、救急箱を探す。 「っと……あった」 大きな戸棚の中に目的のものはあった。 目に付きやすい場所に置かれていたのが幸いした。 僕はそれを掴み、踵を返して平沢の部屋へと戻る。 コンコン…… 「開けるよ」 返事を期待していたわけではなかったが、一応ノックをした後でドアを開ける。 部屋に入り、ベッドに近づく。 平沢は、ゼーゼーと荒い息を立てていた。 ―――これは、全く良くなってないな。 ただ、服が先ほどの制服とは違い、彼女がちゃんと着替えられていたことに 安堵する。まだ着替え中だったらどうしようかと……。 684:回想 :sage:07/17(金) 22:41:24.79 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA (だ、だめだ!やっぱり今日の僕は何かが) 「とりあえず、熱を冷ますためには……」 僕は、なぜかまとまりのつかない思考に疑問を抱きながらも 次に取るべき行動を考える。 思考した結果、救急箱の中から、冷えピタシートを取り出し 彼女の額に貼り付けることにした。 「ん~っ……」 彼女が、気持ち良さそうな声を上げる。 それはほんの一瞬のことだったが、僕は少し安心した。 (効果はありそうだな……) 685:回想 :sage:07/17(金) 22:42:19.25 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA さて、率直に言ってしまえば僕が出来ることはここまでだ。 体温計は―――さすがに、はばかられる、し。 体を拭く―――なんて、できるわけが、無い。 「そろそろか」 しかし……ここまでやったのに、なんだかなあ。 正直、やはり無駄な時間だったのではないか、という疑念が尽きない。 結局、僕は家に帰っていた方が…… ―――ズキリ 686:回想 :sage:07/17(金) 22:43:29.56 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA (……?) なんだろう、今のは。 胸で何か、音が鳴ったような―――。 (まあ、気のせいだろう) 僕は、平沢の部屋から立ち去ろうとする。 さっさと帰ろう、そうすればこのまとまりのつかない思考も… キュッ――― 間の抜けた音。それが僕の付近から発せられたものだと気づくまでに 少し時間を要した。 僕の着ているYシャツが、小さな手につままれている。 その手は震えているし、かけられている力も弱い。 今にもシャツから離れて、床に落ちてしまいそうだ。 それなのに…… なんでこんなに強く感じるのだろう。 その手の主―――平沢唯は何を思って、僕のシャツをつまんでいるのだろう。 … … ……決めた。 693:回想 :sage:07/17(金) 22:53:17.16 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「う、うーん……」 平沢は目を覚ましたようだ。 「おはよう。まあ、こんな時間じゃこんばんは、の方が適切かな?」 僕は、皮肉めいた口調で彼女に声をかける。 「むにゃむにゃ……えっ?」 僕を見て、その顔は驚いたものに変わる。 「な、なんで、ここにいるの~?」 「君は、自分のしたことも覚えてないのか……」 現在時刻を確認する。 先ほどから、一時間ほど経過していた。 思ったより時間がかからなかったことに、安堵する。 「さて、君に聞きたいんだけど。どの程度のところまで覚えてる?」 「えーと、うーんと……あっ!学校を出たところまで!」 「それからのことは?」 「……ないな~」 はあ、と僕は溜息をつく。 それだと、大半の記憶は吹き飛んでいることになる。 694:回想 :sage:07/17(金) 22:54:25.90 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「あっでも……」 彼女はこう続けた。なんだろう?何か思い出したのだろうか。 「なんか……体が冷たくなったような気がするな~。  もしかしたら、服を脱いだのかも……っ?」 そこまで言ってから、彼女は赤面する。 「み、見た?」 胸元を覆いながら、声を震わせて、僕に問いかけてきた。 「え、えーと、その。みてない、よ」 「ほんとに?」 「う、うん。大丈夫のはず」 「そっか」 まだ赤面していたが、警戒は解いてくれたらしい。 危ない危ない。 見てしまったのは事故とはいえ、このままだと僕のせいに されかねなかった。 699:回想 :sage:07/17(金) 22:58:47.74 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「それはそうと……なんでここにいるの~?」 「さっきも言ってたよね、それ」 僕は仕方がないので、最初から事情を説明した。 帰りたい気持ちはやまやまだったが、あらぬ誤解をされてしまうのは勘弁したい。 ―――説明し終わるころには、日は完全に没していた。 「そうだったんだ……」 平沢は、顔を赤らめたり、青ざめさせたり、表情をコロコロと変えながら 僕の話を最後まで聞いた。 「……その、猫さんは?」 「ああ、そこで寝てるよ」 僕は部屋の隅を指さす。件の猫は、そこで体を丸めて気持ち良さそうに眠っていた。 「私が猫さんを、助けようとしたの?」 「まあ、そうだな」 ……あの時は本当に間一髪だった。 車体は目と鼻の先、だったのだから。 もしかしたら、彼女の記憶がとんでいるのは、その時の恐怖のせいなのかもしれない。 705:回想 :sage:07/17(金) 23:00:06.39 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「で、その後、私をここまで運んできてくれたのが……」 彼女は僕の目をじっと見つめる。 ……多少、顔が赤くなっているが、先ほどまでの熱の名残だと信じたい。 「僕、だね」 すると、彼女は恐るべき行動に出た。 ポスッ というなんとも間抜けな音がする。 気づくと、僕の頭は平沢に抱きしめられていた。 「い、いったいなにをっ!」 「ありがとう……!」 感極まった声で、平沢はそう告げる。 「ありがとう、ホントにありがとう!」 彼女はそう繰り返した。 抱きしめられながら、僕は顔が熱くなっていることを自覚する。 ……なんとも、不本意なことだけど。 711:回想 :sage:07/17(金) 23:02:09.04 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 数分後――― 「……とりあえず、気は、済んだか?」 「う、うん……」 彼女は顔を赤らめて、うつむいていた。 無理もない。 普段彼女が感極まった時に、女子を相手にしてよくやっている抱擁という行為を こともあろうか、異性である僕にしてしまったのだから。 ……僕も正直、戸惑ってしまった。 人とのこのようなスキンシップなんて、忌避すべきものだとずっと信じていた。 しかし、平沢はほんとに…… 「もっと、自分の行動に責任を持つべきじゃないか?」 「―――うっ!い、言い返せない……」 715:回想 :sage:07/17(金) 23:05:00.69 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA さて、彼女も元気になったようだし。 「今日はそろそろ帰るよ。長く居座りすぎてしまった」 僕は別れの言葉を告げて帰ろうとする。 「う、うん…。あっ、せ、せめて見送りだけでも……っ!」 彼女もベッドから降りてきて――― 「うわ~!?」 盛大に、転んだ。 「……えっ!?」 僕は突然のことに、対応できなかった。 720:回想 :sage:07/17(金) 23:06:47.17 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA ※同時刻―――  「うわ~、随分と長引いちゃったなあ」  一人の少女が、道を歩いていた。  年は13~14といったところだろうか。  黄色いリボンにポニーテール、という出で立ちをしており  手にはスーパーの袋と学校鞄が提げられている。  「おねえちゃん、だいじょうぶかなあ。   お腹空かしてないと良いんだけど」  ひとりごちながら、歩き続ける。  両親はたいてい不在で、姉はぐうたらな性質なため、ほとんどの家事は  少女が行っていた。  ……もっとも、少女自身は姉のことをとても慕っており、  彼女のぐうたらな性質も「可愛い!」と全肯定してしまうほどである。 722:回想 :sage:07/17(金) 23:09:45.97 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「よし、到着っと」  少女は家に辿り着くと、ポケットから鍵を取り出し、ドアに挿し込む。  がちゃり、という小気味よい音とともに―――  「……?」  ドアは、開かなかった。  「おかしいな。どうしたんだろ?」  ためしに、鍵を捻ってみると、無事にドアは開いた。  「鍵、閉め忘れちゃってたのかな?」  少女はしっかり者のため、言うまでもなく鍵をかける習慣が  ついている。  少女の姉も、鍵についてだけはしっかりとしており  常にロックする習慣がついているはずなのだが……。  「おかしいな~」  そして、少女は次に―――  「……この靴、誰のだろ?」  見知らぬ誰かの、靴を見つけた。 (なぜか、開いている鍵。誰のものか分からない靴……) 少女は、不安のために体を震わせる。 そんな折に上から響く、ドタバタという音。 それを耳にするやいなや  「――ッ!お姉ちゃん!!」  少女は2階に向かって駆け出した……。 724:回想 :sage:07/17(金) 23:11:21.50 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA ※ドテッ! 平沢が僕に、のしかかってきた。 ……傍目から見れば、押し倒されているような光景に見えるのではないか。 平沢が僕に、ではなく。 僕が平沢に、だ。 「「……」」 互いに、沈黙。 目の前の平沢の顔がみるみると赤くなっていく。 僕も、彼女と同じような表情をしているのかもしれない。 (……そういえば) こんなに近くで、平沢の顔を見つめたことがあっただろうか。 僕は人の顔については無頓着だが、そんな僕でも 彼女の顔が整っていることくらいは分かった。 くっきりとした目鼻立ち。整った睫。ほどよい太さの眉毛。 確かに、クラスで人気の理由が少し分かったような気が……。 (いや、こんなことを考えている場合じゃ、ない!) 727:回想 :sage:07/17(金) 23:13:06.50 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「な、なにやってんだ!?」 僕は声を上げる。 それを聞いて、彼女も我に返ったらしい。 「ご、ごめん!」 慌てて離れようとするも――― 「ひゃあ!?」 混乱しているためか、足を再度滑らせ、互いの体はさらに密着する。 「は、はやく!」 「ま、待って!」 しかし、なかなか体勢を元に戻せない。 先ほどよりも足の絡みは強くなっており、二人の顔も先ほどとは 比べ物にならないほど近くなってきていた。 729:回想 :sage:07/17(金) 23:14:46.43 ID:6FlSYpiK0 (39) ID AA 「う、う~…」 弱々しく声を上げる平沢の顔は、もはや茹でダコのようである。 僕の顔も……多分平沢と同じようになっているのだろう。 接近する顔。肌を通して伝わる鼓動。 ……こんな状況では、もう黙りこむしかない。 果たして沈黙を破ったのは――― 「お姉ちゃん、大丈夫!?」 ドアを勢いよく開けて飛び込んできた、一人の少女だった。 少女は眼前に広がる光景を見て絶句したらしく――― 「憂っ!?」 平沢は、驚いた顔で、その少女のものであろう名前を叫んだ。 788:回想――憂、登場――― :sage:07/18(土) 00:30:39.64 ID:zWjB8sgh0 (8) ID AA 「……そういうこと、だったんだね」 憂は平沢から話を聞いて、ことの経緯を理解したようだ。 「ようするに、その人は悪い人じゃない、と」 「そーなんだよ、憂。この人は寧ろ、恩人なんだよ!」 「……ふう。分かったよ、お姉ちゃん。  そこまで言うのなら本当なんだろうね」 憂はそこで初めて僕をじっと見つめ、 「初めまして。平沢憂と申します」 挨拶をしてきた。 791:回想――憂、登場――― :sage:07/18(土) 00:32:49.41 ID:zWjB8sgh0 (8) ID AA さて、これだけ書くと特に難航もせずに解決したかのように思われるだろうが 実際にはこんなに簡単には済まなかった。 最初、あの光景を見たときの憂は動揺してしまい 「お姉ちゃん!その人は強盗なんだね!?  待ってて、すぐに警察を呼んでくるから!」 だの 「お姉ちゃん!その人と何やってたの!?  まさか……まさか!!」 だの、果ては僕に 「お姉ちゃんは渡せませんよ!」 などと言ってきて、平沢をまた赤面させたりしていた。 795:回想――憂、登場――― :sage:07/18(土) 00:35:27.40 ID:zWjB8sgh0 (8) ID AA 流石に、僕も少しは事情を説明しなければ、と思い 混乱している憂と交渉しようとした。 ところが、そこで平沢が「私が何とかするから」と言ってきたのだ。 君で大丈夫なのか、と不安に思ったがその時の平沢の顔は さきほどとは打って変わって「姉」のものだったため 任せることにしたのである。 結果、彼女は腹を割って憂と話し合い、この問題は解決した。 「いい、憂。お姉ちゃんを心配してくれる気持ちはよ~く分かるし、とっても  嬉しい。  でも、そのせいで混乱して、いきなり人にあたったりしちゃダメ。  この人は、良い人なんだから。謝ろう」 「……ご、ごめんなさい」 「いや、まあ……別にそんなに気にしちゃいないけどさ」 ……すごいな、先ほどまでの平沢とは別人みたいだ。 やはり、「姉」としての貫録、というやつなのだろうか。 796:回想――憂、登場――― :sage:07/18(土) 00:39:58.60 ID:zWjB8sgh0 (8) ID AA 「そうそう。憂は素直に謝れるから偉いね。お姉ちゃんは嬉し―――」 ぐぎゅるるるる 「「「……」」」 沈黙、再び。 いくらなんでもこのタイミングは酷すぎる。 「ち、違うよ!い、今のはお腹が減ってたわけでもないし、憂のお料理食べたいなあ  とか思ったわけでもないし、その、あのう……」 しどろもどろになる、平沢姉。 ……ところで、僕は彼女の赤面を今日何度見たことになるのだろう。 「ふふ……」 しかし、この場合むしろプラスに働いたのかもしれない。 先ほどまで硬かった憂の表情が和らいでいる。 「待っててね、お姉ちゃん。腕によりをかけて、美味しいお料理を  御馳走するから!」 「う、うい~……」 ひし、と抱き合う平沢姉妹。 797:回想――憂、登場――― :sage:07/18(土) 00:41:56.41 ID:zWjB8sgh0 (8) ID AA ―――もう僕の出る幕は無いだろう。 妹である憂が戻ってきたということは、僕の看病はもう 必要ないということだし。 「じゃあ、そろそろ僕は……」 「ねえねえ、憂。相談があるんだけどー」 僕の言葉を遮るようにして、平沢の声が入る。 ……なんだろう、この不安感。 僕の思い通りにはいかない、という予感が……。 「ん、なにお姉ちゃん?」 「あのね―――」 はたして、予感は的中した。 「私の恩人さんにも、御馳走してあげてほしいな」 50:回想――憂と唯――― :sage:07/18(土) 17:04:08.03 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA 「「……えっ??」」 僕と憂が、平沢の提案に反応を示したのは、数瞬後のことだ。 平沢はというと、そんな僕らの困惑を知ってか知らでかさらに続けた。 「ほら、もうこんな時間だし。それに、お礼もしてないし、ね。  この人が私にしてくれたことは、と~っても大きかったんだから!」 満面の笑顔でそう言い切る、平沢唯。 「そ、そうは言っても、お姉ちゃん……もう材料は」 そうだ、足りないはずだ。憂は当然、平沢と自分の分の材料しか用意していないはず。 だったら、僕がここにいても――― 「だいじょぶだいじょぶ。私が今日食べる分少なくするから。  さっきまで病気だったんだよ」 「う~ん……」 憂はしばし思案する素振りを見せた。 51:回想――憂と唯――― :sage:07/18(土) 17:05:36.59 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA それにしても、この姉妹は――― 「まあ、それでもいっか」 「やった~!憂大好き~!!」 僕のことを、忘れてはいないだろうか。 「い、いや。いいって、夕食なんて―――」 「じゃあ、憂!私は部屋に戻ってるから。  あっでも……今日はこんなだし、お手伝いはできないかも……」 「大丈夫だよ、お姉ちゃん。私が美味しいご飯作るから」 「ありがとっ、憂♪」 ……聞いちゃいないな、これは。 52:回想――憂と唯―― :sage:07/18(土) 17:06:37.93 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA (まあ、仕方無いな。乗りかかった船だ) 僕は覚悟を決める。 (あれ?) そこで、気付く。 やはり、今日の僕はおかしい。 普段だったら、こんな誘いなんてはね付けて、さっさと帰ってるはずだ。 それが、覚悟を決めよう、だって? ……受け入れ始めている、のか? (まさかな、そんなことが……) 僕は頭の中で、その考えを打ち消す。 (そうだ、競争こそが、僕の……) 53:回想――憂と唯―― :sage:07/18(土) 17:08:08.97 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA 「じゃあ、憂。よろしくね」 「うん、お姉ちゃん。楽しみにしててね」 二人のやり取りを聞き、僕は我に返る。 見ると、憂は台所へ、平沢は自室へとそれぞれ移動しようとしていた。 (……僕はどうしよう?) そういえば、僕の荷物は平沢の部屋にあるのだ。 ―――荷物を取って、移動するか。 「あ、あの……」 と、そこで僕に声をかけてくる人物があった。 54:回想――憂と唯―― :sage:07/18(土) 17:09:55.80 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA 僕は、声のした方へ顔を向ける。 見ると、平沢憂が僕の近くまでやってきていた。 「改めて、ごめんなさい。みっともないところ見せちゃって……」 憂は顔を赤らめて、もじもじとしている。 その様子から、さっきのことか、と僕は思い当たった。 考えてみれば、姉の恩人であるらしい人物にいきなり「強盗!」 だの「お姉ちゃんは譲りません!」だの言ってしまったんだから こうなってしまうのも無理ないことか。 「もう、大丈夫だって。そんなに気にされるとこっちも困るよ」 面倒だし。 「い、いえ、それでも……普段はああじゃ無いんですよ?」 ―――やっぱり、姉と似てるなあ。 自分の行為を弁明する調子が、特に。 56:回想――憂と唯―― :sage:07/18(土) 17:11:16.53 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA 「……姉妹、か」 「えっ?」 「何でもないよ」 僕はそう答えて、リビングルームを出た。 そして、階段に足をかける。 (さて) 階段をのぼりながら、思案する。 考えることは、平沢姉妹のことではない。 そろそろ、勉強にシフトしないと――― (明日は何かあったか?) 時間割と照らし合わせ、僕がやるべきことを確認する。 国語、英語、社会……と科目を挙げていく中で――― 「あっそうだ!明日は、数学の小テストが」 重要なことを、思い出す。 59:回想――憂と唯―― :sage:07/18(土) 17:13:22.28 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA 数学は僕の、一番の得意教科だ。 だからこそ、ここで点数を稼いでおきたかった。 「さっさとやるか」 平沢の部屋に到着し、扉を開ける。 「あっおかえり~」 ベッドでごろごろしながら、暢気にそう返す、平沢唯。 奇しくも、部屋の隅にいる猫も同じ行動を取っていた。 僕は、そんな彼女に返事をすることもせず、自分の鞄を探る。 「ふぇ?なんで、いきなり?」 「明日のことを、忘れたのか?」 「……ああっ!小テスト~!!」 「そういうことだ」 鞄から、数学の教材を取り出し、部屋を出ようとする。 61:回想――憂と唯―― :sage:07/18(土) 17:18:15.07 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA とりあえず憂に相談して、どこかで勉強させてもらおう。 流石に、それくらいの我儘は許されてもいい、はずだ。 そう思案しているところに くいっ ……なんだろう、このデジャヴは。 「な、なんだ?」 僕は、この行為に弱いらしい。 手の主―――平沢唯は、僕のYシャツを弱くつまみながら、言葉を紡ぐ。 「その、え、えと……お願い!」 彼女は、僕に頭を垂れて――― 「私に数学を教えて!!」 と、のたまった。 64:回想――憂と唯―― :sage:07/18(土) 17:20:02.78 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA 「……はっ?」 僕は、当惑してしまう。 「私、今度のテストで点を取れないかったら、単位あげないって言われてるの!  そんなことになっちゃったら、憂や和ちゃんが悲しんじゃう!」 いや、別に僕には関係ないような――― 「だから、お願い!私に数学を教えて!!」 普段の僕は、人に勉強を教えるという行為をしない。 そんなことは、時間の無駄だと考えているからだ。 だから、平沢の懇願をはね付けようと口を開いた。 その時――― 66:回想――憂と唯―― :sage:07/18(土) 17:22:24.74 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA チクリ という微かな音が、胸で鳴った。 (なんだ、今の?) 平沢の必死そうな顔を見ているときに感じた、微かな痛み。 今の音はまさか―――? 「お願い……」 平沢は顔を赤くして懇願し続けていた。 羞恥のための赤ではないことが、彼女の表情から見て取れた。 彼女は…… (ここまで、本気で?) それでも駄目だ断ろう、と心では決めているのに。 なんで、声が出せないのだろう? なんで、僕が困惑するのだろう? 72:回想――憂と唯―― :sage:07/18(土) 17:29:10.32 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA ……もう 「仕方ないな、ほんとに面倒だけど」 初めに、言わないといけないことがあった。 「まず、さ。その……」 「あっ……ご、ごめん」 平沢は、僕の言わんとすることを察したのだろう。 おずおずと、僕のYシャツを離した。 彼女は、たった今離した自分の手を、ぽ~っと見つめている。 そんな彼女を尻目に、僕は平沢の部屋のテーブル付近にある座布団に、腰を下ろす。 「ほら、早く自分の教科書持ってきなよ」 「……ほんとに、良いの?」 「そんなこと言ってると、出ていく」 「――-あり、がとう」 平沢は自分の鞄から教科書を取り出し、テーブルに持ってきた。 ちらりと彼女の顔を見遣ると、とても安心したような表情を浮かべている。 実に、複雑な心境だ。 (……ほんとに) どうしてしまったんだ、僕は? 382:回想――唯との語らい―― :sage:07/18(土) 22:31:25.47 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA しかし、僕はすぐに自分のとった行動を後悔することになる。 平沢唯はあまりにも―― 「ここをこうして……」 「えっ、こんな公式習ったっけ?」 あまりにも、出来が悪すぎたためだ。 「……頭が痛い」 僕は、はあっと溜息をついた。 なぜ、中学3年生にもなって 「直線の方程式」の公式を覚えていないのだろうか……。 「Yの増加量/Xの増加量」 このことを平沢に理解させるまでにかかった時間は、約30分。 先がおもいやられる、どころではないような気もする。 383:回想――唯との語らい―― :sage:07/18(土) 22:32:37.41 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA 「いつも、どうやってテストを乗り越えてきたんだ?」 とりあえず公式だけ教え込み、平沢にそれを用いた問題演習をさせているときに 僕は問いかけた。 「うーんと。いつもは、憂が教えてくれるんだよ!」 「……憂ちゃんはいくつなんだよ」 「中2だね~」 驚いた。まさか、妹が姉に教えるなんてことがありえるとは。 ……さっき彼女に感じた「姉」としての貫録はなかったことにしよう。 「ところでさ~」 平沢が、少しずつやる気を削がれはじめている僕に声をかける。 387:回想――唯との語らい―― :sage:07/18(土) 22:34:13.17 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA 「なに?」 「今、憂ちゃんって呼んだよね?」 「ああ。それがなにか?」 「えっとね」 ごにょごにょと言葉に詰まっている。 「……考えてみたら、私のこと一度もちゃんと呼んでくれてないよね?」 「はあ?」 僕は、目を丸くする、 「何を言いたいんだ?」 「え、えと。私のことをちゃんと……」 呼んでほしいな、と聞こえるか聞こえないか微妙なボリュームで平沢唯は言った。 392:回想――唯との語らい―― :sage:07/18(土) 22:35:26.78 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA 「――それはどういう」 「い、今のこと忘れて!う、うん、私どうかしてるね~」 えへへ、と恥ずかしさを誤魔化すように笑う。 「さ、さあ、べんきょーにもどろ――」 「唯」 瞬間。平沢の動きが止まる。 「そこの計算、間違えてるよ」 「え、えっ?あ、ほんとだ、ね……」 しどろもどろになる平沢――もとい、唯。 「……これで、満足か?」 「な、なんのことやら~」 彼女は耳たぶまでカーッと赤くさせている。 394:回想――唯との語らい―― :sage:07/18(土) 22:37:21.64 ID:zWjB8sgh0 (24) ID AA ……勘違いしないでもらいたいが、彼女のことを今まで きちんと呼んだことが無かったのは、ただ面倒だったからだ。 しかし今、彼女は僕にきちんと名前で呼んでほしいと頼んだ。 呼ばないでいちいち突っかかられるのは面倒なため、名前で呼んだにすぎない。 そう、他意など、まるでない―― (はずなのに) 僕の心臓はなぜか音を立てている。 まるで、何かに高揚しているかのようだ。 「……あ~」 「ん?ど、どうしたの?」 「いや、何でも」 まだ、少しあたふたとしている唯ににべもない返事を返す。 ほんと――今日は、かき乱されてばっかりだ。 514:回想――平沢憂の動揺―― :sage:07/19(日) 00:07:29.65 ID:Hr5soUJf0 (33) ID AA そして、唯の問題演習も終わりに近づいてきた時に―― 「ご飯出来たよ~!」 と、階下から憂の声が聞こえてきた。 「出来たみたいだな」 「うん……そだね」 唯は、声に疲れをこれでもかというくらい滲ませている。 彼女の頭から、今にもぷしゅーと煙が出てきそうだ。 (……相当、疲れたんだな) しかし、まだ明日のテスト範囲は終わっていないのである。 「……ご飯、終わってからも、面倒みてくれる~?」 「……仕方無いな。これじゃあ、いくらなんでも絶望的だし」 僕も、声に気だるさを乗せて答える。 542:回想――平沢憂の動揺―― :sage:07/19(日) 00:25:50.85 ID:Hr5soUJf0 (33) ID AA 「夕暮れ」の方と重なってしまったので、最初から投下しなおしますね。 そして、唯の問題演習も終わりに近づいてきた時に――  「ご飯出来たよ~!」 階下から憂の声が聞こえてきた。  「出来たみたいだな」  「うん……そだね」 唯は、声に疲れをこれでもかというくらい滲ませている。 彼女の頭からは、今にもぷしゅーと煙が漏れてきそうだ。  (……相当、苦労したんだな) しかし、まだ明日のテスト範囲は終わっていない。  「……ご飯、終わってからも、面倒みてくれる~?」  「……仕方無いな。これじゃあ、いくらなんでも絶望的だし」 僕も、声に気だるさを乗せて答える。 543:回想――平沢憂の動揺―― :sage:07/19(日) 00:27:32.39 ID:Hr5soUJf0 (33) ID AA 唯が自分の勉強をしている間に、僕も明日のテスト範囲を網羅しようと画策していた。 その結果、僕としては、もう充分といってもいい状態まで持っていくことができた。 これなら唯に教える暇も――  (……いや、やっぱり変だ) 何故、夕飯を終えたらすぐに帰る、と言わないのか。 流石に、こんな時間まで付き合ったんだ。 もう、良いじゃないか。早く帰って、他の勉強をしよう。 人に教えるなどという行為に、ここまで時間を取られる道理はどこにも―― 「ありがとう、すっごく助かるよ……」 それなのに。なぜ彼女は僕を戸惑わせるのか。 544:回想――平沢憂の動揺―― :sage:07/19(日) 00:29:43.95 ID:Hr5soUJf0 (33) ID AA  「……行こうか。憂ちゃんを待たせてしまう」 僕は、相変わらずもやもやとした感情の処理に困り 気持ちを誤魔化すために、唯を促した。  「うん」 僕たちは座布団を後にし、1階のリビングルームへと向かう。  「美味しそ~!」 さっきまでの疲労困憊はどこへやら、唯は憂の手料理を 見てとても元気そうに叫んだ。  「ふふ、思ったよりずっと上手く出来たんだよ」  「すごーい!やっぱり、憂は自慢の妹だよ~!」 唯はそう言うと、憂にぎゅっと抱きついた。 548:回想――平沢憂の動揺―― :sage:07/19(日) 00:32:11.19 ID:Hr5soUJf0 (33) ID AA  「お、お姉ちゃん!? だ、駄目だよ、人前でこんなこと……」 憂は唯を引きはがそうと必死だが、唯に動じる様子は見受けられない。 ……いやまあ、僕もあまり気にはしないけど、さ。  「うん、すっきり。さ、手洗ってこよ~っと!」 唯はそう言うと、憂から離れ、洗面所へと向かっていった。  「「……」」 その場に残される、僕と憂。 両者の間に、どこか落ち着かない空気が漂っているのを感じる。 憂はさきほどの行為に対する気恥ずかしさのためか、僕と目を合わせようとしないし 僕はそんな憂にどう声をかければ良いか分からず、戸惑うしかない。 551:回想――平沢憂の動揺―― :sage:07/19(日) 00:36:04.04 ID:Hr5soUJf0 (33) ID AA  「あっあの!」  「な、なに?」 憂は非常に落ち着かない様子だ。 はたして、そんな彼女の口から発せられた内容も――  「お、お姉ちゃんと何をやっていたんですか?」 やはり落ち着かないものだった。  「……? ただ、二人で勉強をしていただけだよ。どうかした?」  「い、いや。それならいいんです、けど」 憂はうつむいてしまい、もじもじとし始める。 ――ははあ、そういうことか。 552:回想――平沢憂の動揺―― :sage:07/19(日) 00:38:10.05 ID:Hr5soUJf0 (33) ID AA  「憂ちゃん」  「は、はい!」  「大丈夫だよ。僕と唯は、何もやましいことなんてしていない」  「……べ、別にそんなことを聞きたかったわけじゃ!   ただ、何かお二人の声の調子が親しそうだったから、ただ、それだけで……!」 顔の前で手を振りながら、彼女は弁明する。 慌てているせいか、心なし、彼女の言葉がおかしいような気もする。  「そ、それに、今、唯って!   お姉ちゃんを下の名前で……!」 憂は、動揺しているためか、自分が明らかにおかしなことまで言い始めていることに 気づいていないらしい。   ――しかし、まったくこの子は。  「ほんとに、お姉ちゃんのことが好きなんだな」  「ッ!」 彼女は、遂に顔を隅々まで赤らめさせて、黙りこんでしまった。 553:回想――平沢憂の動揺―― :sage:07/19(日) 00:41:37.05 ID:Hr5soUJf0 (33) ID AA 僕は追い打ちをかける気にはなれず、両者間を沈黙が支配した。 リビングルームにある時計の音だけが、BGMといったところだろうか。 カッチコッチ、カッチコッチ……  「お待たせ~」 僕がこの雰囲気にいたたまれなくなり、時計を眺めていた時に 唯が洗面所から戻ってきた。  「手、洗ってきたら~?」  「うん、そうだな」 正直、タイミングが良かった。 僕はいそいそとリビングルームを後にし、洗面所へと向かう。 去り際に、ちらりと憂を見遣ると、まだ下を向いていた。  (それにしても……) 先ほどの、僕と憂のやりとり。 僕が口に出した、唯に関する質問に対する憂の表情はまるで―― (まさか姉妹間で……ありえない、よな)  僕は、自分の勝手な妄想を打ち消す。  とにかく、洗面所へ行こう。 238 :回想――平沢家の食卓――:2009/07/20(月) 00:55:46.31 ID:hZUIBCGx0 やっと、準備できました。 そろそろ、投下します。 「いっただっきまーす!」 「い、いただきます……」 「いただきます」  食卓に響く、三者三様の声。  唯は勢いよくおかずに箸を伸ばし、憂は少しもじもじとしながら  食卓のおかずを見渡している。  そして、僕はというと―― (やっぱり、落ち着かないなあ……)  軽い居心地の悪さを、感じていた。 239 :回想――平沢家の食卓――:2009/07/20(月) 00:57:33.83 ID:hZUIBCGx0  僕の前で、唯と憂が二人揃って、食事をしている。  となると、僕にはそんな彼女たちの顔が目に入ることになり  気恥ずかしさを感じざるをえない。 (唯とはさっき……色々とあったばかりだし)  思い出されるあんな事故やあんなやりとり。 (憂は……なんかまだそわそわしてるし)  彼女は、僕と目が合いそうになるたびに、視線を明後日の方向に向けてしまう。 (これじゃあ、おかずの味もわかりゃしないだろうな)  僕は、溜息をつきたくなる。  しかし、このまま思い悩み続けてどうにかなるわけでもないので  そろそろおかずに手をつけることにした。 240 :回想――平沢家の食卓――:2009/07/20(月) 00:59:49.17 ID:hZUIBCGx0 「……んっ?」 「どしたの?」  唯がきょとんとする。 「い、いやっ……美味いな、これ」  シチューを啜り、僕は驚く。  口で感じるとろみ、そして徐々に広がってくる甘味――  僕は料理に詳しくはないが、それでもこれが逸品であるということくらいは  十分に理解できた。 「憂ちゃん、料理上手いんだな。思ったよりも、ずっと凄い」 「そ、そんな……たまたま上手く出来ただけです、よ」  憂は、おどおどと言葉に詰まりながら返事をする。 「憂の料理は世界一だもん、美味しくないわけがないよ~!」  唯は、そんな憂とは対照的に、とても明るく嬉しそうに言った。 243 :回想――平沢家の食卓――:2009/07/20(月) 01:01:20.39 ID:hZUIBCGx0 「お、お姉ちゃん……あまり人前で、そういう、ことは」 「なんで~? ほんとのことでしょ?」 「そ、そう言ってくれるのはすごく嬉しい、よ。でも、い、今は……」  僕の方をちらりと見る。 「……///」  そして、すぐにその視線を逸らした。  そんなこんなで、どこかぎこちない雰囲気が漂う夕食の時間は終わりを告げる。 「ごちそーさま!」  唯は、そう言うとすぐに自分の部屋へと戻っていってしまった。  リビングルームに、僕と憂だけが残される。 245 :回想――平沢家の食卓――:2009/07/20(月) 01:02:33.11 ID:hZUIBCGx0 「「……」」  流れる沈黙。  ――こう何度も経験すると、流石に慣れてしまうような気もする。 「なあ、憂ちゃん」 「は、はい?」  そうはなりたくないので、僕は沈黙を破るべく、彼女に声をかけた。 「えーと……さっきはごめんな」  憂は、はっとした顔をする。  おそらく、僕の言う「さっき」がいつのことなのかすぐに思い当たったのだろう。 「無神経だった、かな?」 「いえ、別にそういうことはないんですけど……」  憂の声は、心なし先ほどよりも落ち着いているように感じられた。  そのことに、少し安堵する。 250 :回想――平沢家の食卓――:2009/07/20(月) 01:04:20.08 ID:hZUIBCGx0 「ただ、その……あんな風に、ストレートに言われたのは、初めてだったので」 「そうだったんだ……悪かったな」  僕は改めて、彼女に謝罪をする。 「大丈夫です、そこまで気にしているわけでは、ありませんし。  で、でも……ありがとうございます」  憂は、ペコリと頭を下げた。    ――うん、もう平気かな。 「じゃあ、僕は上に行くから」 「はい……わかりました」 「それじゃ。ご飯、美味しかったよ」  僕はそう言って、リビングルームを出て行こうとした。 255 :回想――平沢家の食卓――:2009/07/20(月) 01:09:16.85 ID:hZUIBCGx0 その時だ。 「あ、あの!」 「ん、なに?」  憂が何かを、僕に言いたがっているように感じた。 「お、お姉ちゃんに……」  憂はそこで言葉に詰まったらしく、あたふたとする。  目がキョロキョロと忙しなく動いた末 「お姉ちゃんに!」  もう一度、最初から繰り返し、  ――変なことしたら、駄目ですよ……!  ようやく言い終わった彼女の顔は、これでもかというくらいに、赤い。  ……その言葉を言うのに、どれ程の勇気が必要だったのだろう。  おそらく、僕が考えている以上であるに違いない。  つい、微笑ましい気分になる。 (ああ、やっぱり……)  今日の自分は、どこかおかしい。  だけど、それでも良いと思えてきた。 258 :回想――平沢家の食卓――:2009/07/20(月) 01:10:57.10 ID:hZUIBCGx0 「……うん、大丈夫だよ、憂ちゃん。  心配することなんて、何も無いから」  気づくと僕は、憂に優しい声をかけていた。  そして、すぐに照れくさくなる。 「じゃ、じゃあね。またあとで」  そのため、すぐにドアをパタリと閉めてしまった。  去り際の憂の顔を、だから僕には分からない  ただ、顔は見えずとも温かい雰囲気を感じ取れた。それで、もう――。 468 :回想――部屋での出来事――:2009/07/20(月) 17:08:54.29 ID:hZUIBCGx0 「さて……」  僕は憂との和解(?)の後、リビングルームを後にし、階段を上っている。  目的地は、平沢唯の部屋だ。 「――勉強を教える、って約束してしちゃったし、な」  どこか言い訳めいた口調になってしまうのは、なぜなのだろう。  今日は普段の僕からは考えられない行動を、取り続けている。 「いったい、どうしたんだろう?」  僕は自問する。  なぜ、唯を助けたのだろう?  なぜ、唯の看病をしたのだろう?  なぜ、憂のことを気にかけたのだろう?  なぜ、なぜ―― 「……分からない」  いつもはっきりとした答えを得ようとする僕からは、到底考えられなかった。  こんなに考えても分からないなんて。  うーん、と唸っていると、唯の部屋に辿り着いた。 472 :回想――部屋での出来事――:2009/07/20(月) 17:10:28.27 ID:hZUIBCGx0  ドアをノックする。 「唯、開けるよ」  僕は中にいるであろう彼女に声をかけると、がちゃりとドアを開けた。 「……」  そして、絶句する。  唯がぐっすりとベッドの上で眠っていたからだ。 「起きなって」  僕は、唯の体をゆさぶる。  しかし、一向に起きる様子は見られない。 「おーきーろー」  彼女の耳元で叫ぶも、効果は全くなさそうだ。 475 :回想――部屋での出来事――:2009/07/20(月) 17:12:12.49 ID:hZUIBCGx0 「はあ……」  空しくなり、溜息をつく。  ちらりと部屋にある時計を見ると、もう7時を回ろうとしていた。  このまま帰ってしまっても良いかも―― 「……」  何故か、それは憚られた。  理屈ではなく、心がそれを拒んだ。 「自分の勉強をしよう」  僕はそう決断した。  座布団に腰かけ、数学の教科書を開き、ノートにペンを走らせる。  そうすることで、このどこかもどかしい気分を誤魔化そう、と思った。 477 :回想――部屋での出来事――:2009/07/20(月) 17:15:35.78 ID:hZUIBCGx0 「三十分か……」  僕が一人で勉強を始めて、はや半刻。  いまだベッドで熟睡している唯を見て、脱力感に苛まれる。 「――そろそろ、我慢の限界だ」  座布団から立ち上がり、彼女の近くに寄る。  唯は、目をかたく瞑り、ベッドの上でごろごろと転がっていた。 (しかし、幸せそうな顔だな)  なにか良い夢でもみているのだろうか―― (でも、だ。約束は守ってもらわないと)  僕は、彼女を起こす方法を考えてみる。  耳元で呼びかけても駄目なら、どういった方法が効果的なのだろう……。  そこで、ピンときた。  さきほどの食卓での光景、唯が見せたとても幸せそうな表情―― 481 :回想――部屋での出来事――:2009/07/20(月) 17:17:50.01 ID:hZUIBCGx0 (……よし、これでいこう)  僕は彼女の部屋から出て、リビングルームへと向かう。 「はい、どうぞ」  憂に事情を説明し、あるものをもらった。 「悪いね、ありがとう」 「いえいえ。お姉ちゃんを起こすのは、私でも手に余るくらいですから」  そう言って、彼女は苦笑する。 ……さっき、謝っておいたのは正解だったかな。 多分、そうしてなかったら、こんな風に頼みごともできなかっただろう。 しかし、やっぱり憂は少しおかしかった。 「で、でも! 変なことに使ったら――」 「……憂ちゃんは、これをどうしたらそんなことに使えると思ってるのかな?」 「そ、それはそのう……」  さきほどと同じように、あたふたとする。 「起こしたら、すぐに返すよ。いくらなんでも、過剰反応しすぎ」 「そ、そんなこと! ただ、私はお姉ちゃんが心配なだけで――」  やれやれ、こりゃ何を言っても変わらないな。 「まあ、安心してなって。すぐに返すよ」  僕は踵を返し、リビングルームから早々と退散する。 484 :回想――部屋での出来事――:2009/07/20(月) 17:20:30.09 ID:hZUIBCGx0  その後、階段を上り、唯の部屋へと向かう。  ドアの前で、思案すること数秒。 (……これ、効果ある、かな?)  どこか不安な思いとともに、ドアを開けた。  部屋に入り、ベッドに近づき、唯がまだ眠っているのを確認する。  憎らしいくらい、気持ち良さそうな寝顔だ。 (……よし、やるか)  僕は彼女に―― 576 :回想――唯の夢――:2009/07/20(月) 19:57:51.88 ID:hZUIBCGx0 >>571 「ある」は無かったことにしてください。 「よっ、と」  それを、押しつけた。 「ひゃあっ!」  唯が、勢いよくがばっと起き上がる。 「なっなに!? つめたいっ!」 「ようやく起きたな」  どうやら、作戦は成功だったらしい。 「ど、どういうこと~?」 「こういうこと、だな」  僕は手に持っているものを、唯に見せる。  彼女はそれを、まだ眠たそうな目で見つめた。  そして―― 579 :回想――唯の夢――:2009/07/20(月) 20:01:22.35 ID:hZUIBCGx0 「あっ、アイスだ~!」  目をぱっちりと開け、歓声をあげた。  僕はそれを手渡しながら、言う。 「これを君にあげるから。食べ終わったらすぐに勉強すること」 「ありがと~!」  彼女はすぐに蓋をあけ、スプーンで掬い、食べ始める。    そう。僕が思いついた方法は、「もので釣る」というものである。  夕飯の終盤、唯はとても美味しそうな顔で何かを食べていた。  それは、夏の定番であるアイスクリームだった。 「やっぱり、あいすはさいこ~だね!」  彼女にそんな風に叫ばせるほどに、それは美味しいものだったらしい。 581 :回想――唯の夢――:2009/07/20(月) 20:05:57.58 ID:hZUIBCGx0  唯を起こすための方法として「冷たいもの」を使うという案はすぐに思いついた。  いきなり冷たいものが当てられれば、いやでも目を覚ますはずだ。  しかし、ただの水や氷を使って起こしたところで、彼女はすぐに  勉強を始めるだろうか?  「やる気しない~つめたい~」  などと言いながらまた眠ってしまうのがオチだ、と容易に  推測できる。  そこで、アイスクリームである。  唯の好物であるこれを使えば、彼女は満足し、やる気を出せるのではないか  と考えたのだ。 (しかし、なんでこんなことを考えているのだろう……)  別に、無視して勉強し続ければいいだけの話じゃないか。  どうせ、困るのは唯なんだし。  あんな取るに足りない約束に固執する必要なんてどこにも―― 583 :回想――唯の夢――:2009/07/20(月) 20:07:46.88 ID:hZUIBCGx0 「おいしい~幸せ~!」  唯の声に、ハッとさせられた。  僕の目の前で、とても嬉しそうに、アイスを頬張っている。  その顔を見て、気を揉んでいる自分が馬鹿らしく思えてきた。 (まあ、これはこれで……)  ペース、乱されっぱなしだなあ―― 「今ね、とっても良い夢を見てたんだよ!」  唯は、アイスを頬張りながら僕に語りかけてきた。 「へえ、それはどんな夢?」  僕は、儀礼的にそう返す。 「んっとね~、熱いのがすーって引いていく夢!」  なんだそれは。 「誰かが、冷たい風を送ってくれてね。それで、気持ちが悪いのが治っちゃったの!」  唯は、本当に楽しそうに話した。 586 :回想――唯の夢――:2009/07/20(月) 20:10:21.15 ID:hZUIBCGx0 「……」  それは、もしかして――  唯が熱を出していたあの時、僕は彼女の額に冷えピタシートを載せていた。  早目に治ってくれないと帰れない、と考えていたからだ。  しかし、額のシートはみるみると熱を帯びてくる。  彼女の体温が予想以上に高かったためだろう。 (……まあ、別にいいか)  シートを額に載せた。  それだけでもう充分のはずだ。  そう考えていたところに 「うーんうーん……」  唯の唸り声が聞こえた。その声は、とても辛そうな響きを帯びていた。 (……)  気づいたら、僕は新しいシートを救急箱から出していた。  シートをさきほどまで彼女の額に載せられていたものと換える―― 588 :回想――唯の夢――:2009/07/20(月) 20:11:47.81 ID:hZUIBCGx0 (もしかして、あの時の?) 「それでねー、その風がとても優しかったんだよ~。  もうそれだけで安心しちゃって。  だから、今の私は気分そ~かい!!」  えっへん、と唯はあるのかないのか判別できない小さな胸を張った。 「――そろそろ食べ終わっただろ? 始めよう」  僕は、テーブルに教科書を開き直す。 「うんうん、はじめよ~!」  唯もベッドから降りてきた。  そこで、はたと立ち止まる。 「これ、なんだろ~?」  彼女は、何かを持ち上げていた。  僕は、それが部屋の隅に置かれていたシートだと分かる。 「あっごめん。それはさっき僕が取り替えていた――」  失言、だった。 593 :回想――唯の夢――:2009/07/20(月) 20:17:12.97 ID:hZUIBCGx0 「……えっ?」  唯はその言葉を聞いて、しばし黙り込んだ。  そして、赤面する。 「こ、これって……冷えピタシート、だよね? も、もしかして――」  あたふたとし始める。  しかし、彼女はよくそれと自分の夢をつなげられたものだ。  ――もしや彼女は、起きぬけの方が頭の働きが良いのだろうか。 「さ、さあ早く始めよう! 時間はあまりないよ」  僕はそう言って、唯を促す。 「う、うん! そだね……」  彼女はあたふたとしながら、座布団に腰かけた。  僕と向き合う形になり、唯はなおさら動揺しているようだ。  かく言う僕の顔にも、動揺が滲んでいたかもしれない。  「あ、あの、さ」  慌てながらも、彼女は僕に上目遣いで声をかけた。  「な、なに?」  そして――  「えっと……」  唯の口から言葉が紡がれる。  「もしかして、風を送ってくれてた?」  758 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:17:05.45 ID:hZUIBCGx0 「うん、まあ……そういうことになるのかな」  僕は少し不機嫌に答える。  できれば、隠しておきたかった。  これ以上、僕らしくない行動を重ねてしまっているという事実を認めたくなかったから。 「そ、そうなんだ……」  唯も、少し遠慮がちになっている。  僕の顔が浮かないものだったからかもしれない。  なぜだか無性にいらいらしてきた。 「こ、この問題」  遠慮がちな声のまま、僕に問いかけてきた唯に対して 「自分でやりな」  ぴしゃり、と言う。  唯が身を強張らせたように、感じた。 763 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:18:51.53 ID:hZUIBCGx0 「やっぱり、僕は駄目だ。このままじゃ、僕は僕でいられない」  僕は唯に向かって、言う。  さきほどの話で、ようやく実感を伴って感じた。  何で、今まで気づかなかったのだろう?  僕は、こんな男ではない。 「そ、そんな……どういうこと?」 「僕は別に、君が大事だというわけでも、ない。  ただ、君が道路に飛び出したから。  ただ、君が道端で倒れたから。  ――そうなんだよ、すべて成り行きだった」  自分で言っている言葉に疑問を抱くことなく、僕は言い切る。  唯の表情が、おろおろと慌てたものに変わる。 765 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:20:14.36 ID:hZUIBCGx0 「――もう、いい。やめよう、こんなこと。  このままだと、自分が自分じゃ」    なくなってしまう――  座布団から立ち上がり、鞄に荷物を詰め始める。  今日のことは、忘れよう。  明日からは、いつもどおり。  そうだ、無関心でいよう。  ――そうしていれば、何も感じることはない。   767 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:22:06.95 ID:hZUIBCGx0 「――じゃあ」  僕は鞄を手に持ち、ドアへと歩く。  唯の視線なんて、感じない。  見えてない。  分からない――。  けれど 「や、約束」  彼女の声を無視することだけは――。  意思に反して、ぴたりと止まる僕の体。  やめろ、振り向くな。  もういいじゃないか、僕はこんなんじゃない。  何事にも無関心、大事なのは自分ひとり。  ……こういうあり方が、理想だろう? 769 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:23:31.77 ID:hZUIBCGx0 低回する、思考。 でも、唯の言葉は―― 唯は―― 「約束、終わってない、よね? この問題が、分から、ない、よ……」  ついに、振り向いてしまった。限界、だった。  唯は、今にも泣き出しそうだった。  目には涙を湛えており、鼻をグスグスと鳴らしている。  ――どういうこと、なのだろうか?  僕のせい、なのか。 「わ、わたし、嬉しかったんだよ……?  今日のこと……ぜ、ぜんぶ、嬉し、かったよ。  別に、それが、成り行き、だった、と、しても……  グスッ……わ、わたしは、嬉しかった――」  嗚咽しているせいか、唯の言葉は支離滅裂なもののように感じられた。 771 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:25:05.68 ID:hZUIBCGx0 「そ、それでも……グスッ……なにか、め、めいわくかけちゃった、かな?  い、いきなり、そんな風に、されたら――わから、ない、よ」  ついに我慢できなくなったのか、涙を流し始める唯。  僕はそんな唯を― (なんなんだよ)  とても悲しい気分で―― (なんなんだよ……)  見つめて、いた。  気がつくと、僕は唯を抱きしめていた。 「……!」  彼女が驚きのためか、身をよじらせる。  理屈よりも先に、体が動いてしまった。 773 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:27:44.96 ID:hZUIBCGx0  僕の行動が支離滅裂なのは、よく分かっている。  それでも――泣いている唯を見たら 「ごめん。約束、だったよな」  全く、落ち着かなくなってしまった。 「……僕はね、自分が良く分からないんだよ」  僕は自分で言いながら、愕然としている。  もしかして、他人に自分の話をしようと……?  ――いいよ、話してしまおう。  ――だめだ、絶対だめだ。  相反する意思。  果たして勝ったのは…… 「今日の僕と普段の僕は違いすぎて――」  前者、だった。 775 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:32:03.01 ID:hZUIBCGx0 「――そのことに気づきたくなくて、今日ここで目をそらしながら過ごしてた。  普段の僕と、今の僕は、違い、すぎて……」  気づいたら、僕は嗚咽を漏らしていた。  なんでだろう……おかしな話、だ。  たった今感情を爆発させて、不安定になってしまっているからだろうか? 「わからないん、だよ。  いきなりこんな風になって、いるの、も。  僕は、いったい、なにをやって、いるのか、も……」  我慢することが、出来なかった。  涙がポタポタと部屋のカーペットに落ち、染みをつくる。 776 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:33:36.52 ID:hZUIBCGx0  たまらなく怖かった。  この家で普通に唯や憂と接しているために、自分が自分じゃなくなっていきそうで――  学校での自分と平沢家での自分。  そこにあるはずのジレンマが、分からなくて――   「……やっと、話してくれた」  えっ、と僕は少し動揺する。  見ると、唯が涙を浮かべながらもやわらかな表情で僕を見つめていた。 「ありがとう、そういうことだったんだ……  私、なにか取り返しのつかないことをしちゃったのかと。  それも、恩人さんに」 「……ごめん、迷惑かけちゃったね」  ぼくも少しずつ落ち着いてきた。  多少なりとも、自分の気持ちを吐き出してすっきりしたのかもしれない。 「ううん……気にしないで。私、嬉しいよ。  ――話して、くれて」  僕と唯はしっかりと見つめ合う。  先ほどまでの荒んだ感情は消えていた。  カーペットにでも染み込んで、どこかにいってしまったのかもしれない。 779 :回想――情緒不安定――:2009/07/20(月) 23:36:03.77 ID:hZUIBCGx0 「「……」」  互いに見つめ合うこと、数秒。  そのあと、再び抱きしめる。 「あ、あの……ちょっと、苦しい、かも」  唯が恥ずかしそうな声で言ってきた。  僕は自分が唯を強く抱きしめてしまっていることに、気付く。 「ご、ごめん」  慌てて、バッと手を離す。  その際、勢いをつけすぎたのだろう。  体のバランスが崩れる。  僕が倒れて、唯を巻き込む。 「ひゃっ!?」という声を唯があげる。 ドサッ ベッドに倒れ込んでしまう、僕と唯。 あろうことか、僕が唯にのしかかる形になっている。 「「……」」 すぐにどけば良いのに、何故か僕はその場から動けずにいた。 唯も、顔を赤らめさせたまま震えるだけだ。 さて、どうしよう――? 918 :回想――唯の我儘――:2009/07/21(火) 12:31:02.65 ID:qGjR6UHA0 「あ、あの~?」  唯の声には、はっきりと狼狽が滲んでいた。  無理もないかもしれない。  さきほどのアクシデントの時は、彼女が僕を押し倒す形になっていた。  そのため、あの時は彼女が主導権を握ることができた。  だが、今回は違う。  押し倒してしまっているのは、僕の方である。  それも、さきほどとほぼ同じような経緯で、だ。   (この場合、どうすればいいんだろう?)  僕が動かないと、唯は自由に行動できない。  彼女に僕を押しのける力があれば話は別だが、見たところ彼女は非力だ。 920 :回想――唯の我儘――:2009/07/21(火) 12:33:26.66 ID:qGjR6UHA0 (……しかし、まあ)  僕はこんな状況なのに、吃驚するほど落ち着いていた。  唯の赤らんだ顔、震える体、呼吸により激しく上下する胸――  先ほどまでの僕だったら、間違いなく動揺してしまっていたはずの  条件が揃っているのにもかかわらず、だ。 (やっぱり、気持ちを吐き出しちゃったから、かな)  そこで、唯をじっと見つめている自分に気がつく。 「……ごめん、今からどくよ」  少し離れる。僕と唯の間に隙間ができる。  こんなに赤面し、狼狽しているのだ。  当然、彼女はそこから抜け出るものだとばかり考えていた。 922 :回想――唯の我儘――:2009/07/21(火) 12:35:15.29 ID:qGjR6UHA0  しかし―― 「こ、このまま……」  僕の考えに反して、唯はその場から移動しようとはしなかった。  そして、口をもごもごとさせながら何かを僕に言おうとしている。 「えっ? なに?」  彼女の声はあまりにもか細かったため、よく聞こえなかった。 「こ、このままでも、いい、よ?」  顔をカーッとさせながら、言い直す。  さきほどよりもはっきりとしていた。 「な、なんか、この空気、好きだなあって……  なんでなのか、わからない、けど……」  しどろもどろになりながら、彼女は僕に言う。  それは要するに―― 「こ、このままの体勢でいて、ってこと?」 「……」  唯は、無言で首肯した。 924 :回想――唯の我儘――:2009/07/21(火) 12:37:32.50 ID:qGjR6UHA0 「い、いや、そんなこと言っても――明日の勉強しないと。  失敗したら、憂ちゃんや真鍋はどうなると思う?」  心配する、はずだ。僕は真鍋のことはよく分からないが、  すくなくとも憂は心の底から嘆くだろう。 「さあ、そろそろ始めるよ。こんなことをしてる場合じゃ――」  ない、と続けようとしたところで僕ははたと動きを止める。  唯が淋しそうな顔で、上目遣いをしてきたからだ。 「――す、少しだけ」  少しの間を挟み、ようやく唯が言葉を口にする。 「もう、数分だけ……お、おねがい」  懇願する口調で、そう続けた。 「……」  我儘だ。  溜息をつき、僕はその場から少し体を動かし、ベッドに寝転がる。  部屋の壁と唯の体の隙間に収まる僕。 925 :回想――唯の我儘――:2009/07/21(火) 12:39:36.48 ID:qGjR6UHA0 「――さすがにさっきの体勢じゃ、無理。  だから、これで我慢してくれ」  僕は横たわりながら、こちらを向いている唯の顔を見つめて、言う。  せめてもの譲歩、である。  これで彼女のモチベーションが上がるなら―― 「う、うん……ありがと!」  しどろもどろになりながらも、唯の顔は喜色満面である。  そんなに嬉しいこと、なのだろうか。 「――少し休んだら、すぐに始めるからな」  僕は彼女の顔を見つめながら、そう釘をさす。  唯も僕に、遠慮がちに視線を返しながら 「わ、わかった……!」  と答えた。  なんだか、妙に気恥ずかしい。  二人して見つめ合いながら、僕はそんなことを考えていた。 514 :回想――ちっぽけなつながり――:2009/07/22(水) 00:43:09.34 ID:7N7pJw/B0  僕は隣によこたわる唯の顔を見ている。  そこに、答えを探したかった。  ――僕は、なんなんだ?  今日何度もそのことを自問し、挙句の果てに唯に対して感情を爆発させてしまった。  そして、今もずっと考えている。  未練がましい、と自分でも思う。  ただ、あんなに頑なだった僕の心を和らげたのは―― 「な、なに?」  やっぱり、僕の目の前にいる平沢唯ということになる。 「いや、見ているだけだよ」 「そ、そんな風にじっと見つめられると……眠れ、ないよ」 「さっき十分に眠っただろ。これ以上寝ちゃうと、あとで全然集中できなくなるよ」 「……う~」  唯は僕の発言に対し独特な声で、唸る。  その声には、どこか恥ずかしそうな響きがこもっていた。 517 :回想――ちっぽけなつながり――:2009/07/22(水) 00:45:10.80 ID:7N7pJw/B0  ――とにかく、気になっている。  なぜ、唯が僕の心を変えたのか?  その理由が全く分からない。    さきほどまで、僕の心にはっきりと存在していた気恥ずかしさはなりをひそめ  今は胸の内で好奇心が燻っていた。 「……ねえ、唯」 「な、なに」 「――僕は一体どうしてしまったんだろう?」 「……えっ?」 「普段の僕は、努めて周りの人間に接しようとしないし、こんな風に誰かの前で不安定になることもなかった。  それがおかしくなったのは――」  君の家に来てからだ、と僕は続ける。 「いや、あるいは図書室での遭遇から――」  少し、悔しそうにして言う。 524 :回想――ちっぽけなつながり――:2009/07/22(水) 00:47:23.73 ID:7N7pJw/B0  僕はここでふと気付いた。  もしかしたら、憂との出会いも僕の変化に一役買っていたのかもしれない。  どうも、彼女は放っておけないというか、どこか危なっかしいというか。  そんな彼女のあたふたとしている姿を見ているとき、少しばかり心配してしまった  のもまた事実だ。  これも、普段の僕からは考えられないこと、だ。 「君はどう考える? なにがきっかけだったんだろう」  僕は切実にその答えを知りたかった。  つい勢いあまって、唯に顔をグッと近付けてしまう。 「え、えと……顔、近い、よ」 「今は見逃してくれ。とにかく、知りたい」  この際、唯の顔が火照っているだとか、僕の体に伝わってくる唯の鼓動がすさまじいことになっているだとか  そういうことはどうでもいい。  おそらく、普段の僕だったら躊躇していただろう。  いや、まずこんな行動を起こそうなどと考えようともしなかったはずだ。 529 :回想――ちっぽけなつながり――:2009/07/22(水) 00:50:32.91 ID:7N7pJw/B0 「えーとんーと……」  唯はしどろもどろになりながらも、考えてくれているらしい。  その一生懸命な素振りを見て、僕は微笑ましい気分にもなった。 「あーでもないこーでもない……」  相当悩んでくれているらしく、唯の頭から煙が出てくるのが見えてきそうなほどだ。 「――あっ」  唯は何かに気がついたらしく、ポンと手を打つ。 「なにか分かったのか!?」 「う、うん……たぶん、あれ、かな?」 「あれ」とは一体なんのことだ。 「それが、答えか?」  唯は迷った末に、こくりと頷いた。 「学校にいたとき、見つけたものがあるんだよ」  ベッドに横たわったまま、彼女は話し出した。 「最初は何だろう? って思ったんだけどね。  ――何か、見たことあるなあ、って思って」  そう言うと、名残惜しそうにベッドから降り、鞄のあるところに辿りつく。  そして、その中をがさごそと調べ始める。 531 :回想――ちっぽけなつながり――:2009/07/22(水) 00:52:22.86 ID:7N7pJw/B0 (……一体、何を探しているんだろう?)  僕は疑問に思った。  しかし、いくら考えても明確な答えがでてくるわけでもなく―― 「はい、これだよ」  唯が何かを取り出すのを、待つことしかできなかった。 「これは……」  僕はまじまじとそれを見つめる。  そうしながら、心のどこかで納得していた。  そうか、こういうことだったのか、と。 「今日忘れちゃってたでしょ?」 「……うん、そうだ」  彼女が手に持っているのは、一冊の本。  僕が昼休み、図書室に行っていなかったら、生じなかったであろうつながり。  それを見ながら、僕は偶然というものに嘆息する。 535 :回想――ちっぽけなつながり――:2009/07/22(水) 00:55:04.03 ID:7N7pJw/B0 「これを届けるために、僕を――?」 「うん、だから探してたんだよ」   (そういえば、あいつが言ってたな)  ――平沢がお前のことを探してたぞ。  あの言葉の意味が今はっきりと分かった。 「もしかして下校時まで――?」 「うん、探したよ」 「そんなことわざわざしなくたって、別に学校で返してくれれば」 「だ、だって……こ、困っちゃうと思ったし」 「いや、別に責めてるわけじゃなくて」  唯の慌てた素振りに苦笑する。 537 :回想――ちっぽけなつながり――:2009/07/22(水) 00:57:01.98 ID:7N7pJw/B0 「ただ、なんて言えばいいのやら――」  わざわざ学校帰りにまで追いかけてきて、その目的がこんなちっぽけなつながり  のためだったなんて。  普通だったらそんなことをするだろうか?  しかしながら、「平沢唯ならしょうがない」で説明できてしまうのが空しい。  彼女のお人好しぶりは、ここまでだったのか。 (こりゃ、憂ちゃんも惹かれるわけだ)  唯がずっとこんな性格だったとすれば、幼いころからその姿を見ている  憂は、彼女のことを魅力的に思うだろう。  それが、禁断の感情に発展してしまうのは――  (って、僕は何を考えてるんだ!)  ぶんぶんと首を振り、その考えを打ち払う。

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