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304 :西暦 2009年 7月2日:2009/08/10(月) 01:14:15.70 ID:ckJW/eV+0
午前中の授業が終わり昼休みが訪れ、唯達のクラスに澪が梓を連れてやってきた。

「よーう。って律はいないのか……まあいい。ちょっとみんな集まってもらえるか?」
「どしたの? 澪ちゃん。あずにゃんまで」

係の仕事で職員室に行っている律を除いた軽音部メンバーが揃った。

「実は今年も夏休みに合宿をしようと考えているんだ。早めに伝えておこうと思ってな」
「いいねいいね~。そういうの大歓迎~。また新しい水着買いに行かなきゃ!」

唯はさっそく行く気満々になっている。

「……ムギ、今年も頼めるか?」
「うん。早めに頼むから去年よりは広い別荘が借りられるかも知れないわ」
「毎度毎度悪いな……それと唯!仮にもお前は受験生だぞ!今年は遊び無しだからな!」
「え~!?仮にもってどういう……じゃなくて、遊んじゃダメなの?」

唯は思いっきり期待を裏切られたと言わんばかりの顔をしている。

「当たり前だろ。梓には悪いけど今回は練習と勉強だけでいかせてもらう」
「私は別に構いませんけど……」

梓も心なしか残念そうな顔をしていたが、合宿へ行くことには賛同した。
その時、帰りのHRで配る予定のプリントを両手に抱えた律が職員室から戻ってきた。

306 :西暦 2009年 7月2日:2009/08/10(月) 01:17:47.45 ID:ckJW/eV+0
「みんな集まってどうしたんだー?」
「りっちゃん、調度いい時に戻ってきてくれたぁ……」
「どうしたんだ?唯。浮かない顔して」
「澪ちゃんがね、夏休みに合宿しようって言うんだけどね、遊んじゃダメだって……」
「え……」

律は一瞬にして言葉を失った。

「練習以外は勉強漬けって言うんだよ!?りっちゃんも遊びたいよね~?」
「律、まさかお前まで遊びたいとか言う気じゃないだろうな?」
「ちょっと……考えさせてくれないか……」

プリントの束を所定の位置に置くなり律は教室を出て行った。

「律……?」
「行っちゃった」
「りっちゃん、そんなに勉強したくなかったのかしら?」

紬が心配そうに律が出て行ったばかりの扉を見つめながらそう言った。

「律先輩、遊びたかったんでしょうか……」

まだ梓は遊びに重点を置いているようだった。

「あいつ……」

澪だけは律の異変にいち早く気がついたが、それだけで核心に迫ることは難しかった。
いつもと違う親友を見てもホンジュラスへ行く事に繋がるわけがない。

308 :西暦 2009年 7月2日:2009/08/10(月) 01:24:27.03 ID:ckJW/eV+0
昼休み終了の予鈴が鳴る頃にようやく律が帰ってきた。
澪と梓はそれぞれのクラスに戻っていたので、教室では唯と紬だけが律を待っていた。

「りっちゃん、さっきはどうしたの?」
「いやー、ちょっとね。まあそれは部活の時にでも。ていうか次地理じゃん。じゃあなー」

律は口早にそう言うと間髪容れずに、地理選択者のみが集まる教室へ行ってしまった。

「また行っちゃった」

日本史選択の唯と紬は自分達の教室に残り、幕末の政治体制についての授業を受けた。

放課後になりバンド名の由来にもなっているティータイムが始まった。
今日のメニューはアールグレイとロールケーキというベーシックな品だ。

「律、さっきはどうしたんだ?」

ティーカップを手に取る前に澪が律に尋ねた。

「んぐ、そうだよ、あの後もだけど、りっちゃんなんか今日おかしいよ」

ロールケーキを食べながらではあるが唯も澪に続く。

「合宿の件なんだけどさ……悪いけど今回私はパスかな」

律の発言に四人は酷く驚いき、口々に理由を尋ねてきた。

311 :西暦 2009年 7月2日:2009/08/10(月) 01:30:30.76 ID:/92BaDWeO
律はこの機会を逃しては次は無いのではないかと思った。

「いやー、今年の夏は外出禁止令出ててさー。勉強が目的でもたぶんダメだろうなー」

しかし律の口を衝いて出てきたのは、一時凌ぎにしかならない嘘だった。

「私ってそんなに信用ないのかなー? んっふ、困ったものです……」
「律が来れないなら合宿の開催自体を考え直さないとな……」

全員が揃わないと意味が無いと他の3人も思っているらしく、
合宿の話は白紙にしようという流れになったが、律がその流れを食い止めにかかった。

「いやいや!私抜きで行ってくれよ!勉強も大事だしさ!頼む!」

その後も律は自分がいなくなった後の事を思って、必死に懇願し続けた。
律の気迫に負けた澪達は、律不参加で合宿が行うことを渋々承諾した。
殆ど練習をする間もなくその日の部活は終了した。
声には出さなかったが皆が律の様子がおかしいことに気がつきいてきた。

317 :西暦 2009年 7月3日:2009/08/10(月) 01:39:04.91 ID:ckJW/eV+0
明日から週末というだけで、普段に比べて学校全体が
マシュマロみたいにふわふわ浮ついている。
それとは対照的に、浮き足立っている律の姿があった。
律は昨日を境に平静を装うことが出来なくなっている。
授業中もぼーっとしている時間が以前にもまして増え、勉強どころではい。
それは唯や紬の目から見ても一目瞭然だった。
部活にも身が入らずにいつもなら起こさないようなミスを連発した。
律のドラムから鳴らされるリズムは遅れ気味だった。
今日も様子の変な律に、澪が声をかける。

「どうした?また具合悪いんじゃないのか?あれだったら――」
「ゴメン、何でもない!次からは気をつけるから!さ、続けようぜー」

律としてもここで帰宅するわけにはいかなかった。
こうしてこのメンバー達と一緒に過ごせるのもあと少しなのだから。

318 :西暦 2009年 7月3日:2009/08/10(月) 01:44:49.97 ID:ckJW/eV+0
「無理だけはするなよな」

昨日から律が少しおかしいので澪は律を労わる言葉をかけた。

「ありがと。よし、もう一回サビの始めからいくぞ!」

澪の気持ちを察した律もいつものように茶化さなかった。
その後はいつも通りのスティック捌きを披露し、そのままこの日の練習を終えた。
律は寄り道もせずに自宅へと直行した。

「今日も言えなかったな……ヤバいぞ、本格的にヤバい。もう時間無いじゃん……」

律は気を紛らわすためにまだ完結していない漫画を読むことにした。

「こんな時、兄貴ならどうする……?」

319 :西暦 2009年 7月4日:2009/08/10(月) 01:49:31.27 ID:/92BaDWeO
平沢家ではのび太が久しぶりにドラえもんと連絡を取り合っていた。
憂は夕食の買出しへ行っており、唯は久しぶりに買い物に出かけている。

「それで、何か分かった?」
「うーん、それがねぇ――」

内容は現時点ではドラえもん側から施す術は無いということであった。
のび太の正確な位置も補足していないので、救出に向かうことはほぼ不可能に近いからだ。
先にのび太側から何らかのアクションを起こせばそれが引き金となり、
場所を特定する事に繋がる可能性があるとドラえもんは伝えた。

「そう言われてもなぁ……難しいことはよく分からないや」
「僕も考えるから君も何か考えておいてくれ。どうせ何もすることがないんだろう?」
「失礼な!僕だって……言われて見れば最近何もしてない気がしてきた……」
「だろうね。とにかく君はこのままじゃ帰って来られないんだから頑張ってくれよ」
「分かってるよ」

始めこそ勤勉に生活していたのび太ではあったが、日毎に本来のルーズさを
着実に取り戻してきており、部屋も散らかってきた。

「何かあったらそっちから連絡してくれ。しずかちゃん達も心配してるんだぞ」
「うん……分かった。じゃあね」

323 :西暦 2009年 7月4日:2009/08/10(月) 01:52:20.48 ID:ckJW/eV+0
のび太はここにきて初めて自分が元の世界に帰れなかった時のことを想像してみた。
唯や憂とずっと一緒に暮らすわけにもいかないということは分かっていたが、
こちらの世界に愛着がわき始めているのも事実だった。
のび太はとりあえずひみつ道具の確認でもしようかと思ったが面倒になり断念した。
買い物に行っている憂が帰ってくるまで時間があるので、
のび太三大得意技の一つでもある、あやとりをすることにした。

「うーん……腕が鈍ったかな……薬指が上手く動かないじゃないか」

のび太はエッフェル塔を作るのに時間がかかり過ぎたのでぼやいた。
憂が買い物帰ってきた後、のび太は持ってきた道具を見直してみることにした。

「本当に使えそうな道具が無いなぁ……なんだこれ?」

鞄から出てきたのはのび太にはあまり見覚えの無い道具ばかりだった。

「この石ころみたいな道具何だったかなぁ……あまりいい思い出が無い気がするけど」

石に赤いスイッチがついている道具をポイと床に起いて確認作業を続行した。

「小型のロケットに何かついてるな……あと、これはムチ?何に使うんだろう?」

ドラえもんはひみつ道具を適当に置いていったので、名前も使い方も分からない。

324 :西暦 2009年 7月4日:2009/08/10(月) 01:58:05.61 ID:ckJW/eV+0
記憶を頼りに道具を手にとっては置くという作業が続く。

「この粘土は、確か……どうぶつ粘土だったっけな? 役には立たないよね……」

作った動物が自律行動をするという奇妙奇天烈な粘土は、今ののび太には不要だった。

「この調子じゃ使えそうなのは無いだろうなぁ。どうしよう……」

のび太はタイム電話意外に使えそうな道具が無いと判断して作業を中断した。
憂がいる1階へ向かうために階段を下って行った。
その時、唯がちょうど帰ってきたことにのび太は気がついた。

「唯ちゃん、おかえりなさい」

「ただいま~。暑い~」

「おかえり、姉ちゃん。麦茶冷えてるよ。」

気の利く憂が冷えた麦茶を唯に差し出した。

「ありがと~。あ、 りっちゃんからメールだ。」

――あした日曜だけど午前中だけ学校で練習しない?――
軽音部全員に律から練習のお誘いメールが着ていた。

「え~と……うん。私は、行けるよ……っと。」
「律さんって、練習熱心なんだね」
「あれ?そうだったっけ……?」

結局、律の提案がそのまま通り、翌日全員が音楽室に集まることになった。

381 :西暦 2009年 7月5日:2009/08/10(月) 10:39:19.71 ID:ckJW/eV+0
今日は朝から暑かったが、空気が適度に乾燥していて不快指数はそこまで高くない。
朝寝坊をして遅刻しかけている唯が小走りで学校の階段を駆け上がっていた。

「ギリギリセ~フ!」
「唯、もう少し時間にゆとりををだな……」

唯が予定時間ぴったりに音楽室に入ったところで軽音部のメンバーが揃った。

「まあでも、唯ちゃんも一応間に合ったわけだし」

ここで心優しい紬が唯を庇い立てた。

「うーん、ま、それもそうだな。とりあえず全員集まったというわけだ」

そう言って澪は律に視線を向けた。

「いやー、みんな悪いねー。無理言って私のワガママで付き合ってもらっちゃって!」

律は今日集まってもらったことに対しての侘びを入れた。

「そんなことないですよ!律先輩が練習に目覚めてくれて私嬉しいです!あとは……」

梓が少々興奮気味に言って唯の方を一瞥した。

「え? 私?私も一生懸命練習してるよ。家で!」
「ならいいんですけど……」

梓はまだ完全に納得しきっていないのが表情から見て取れる。

382 :西暦 2009年 7月5日:2009/08/10(月) 10:41:54.54 ID:ckJW/eV+0
律はドラムを叩いている間ずっと迷っていた。
昨日全員にメールを一斉送信した時は明日こそはと決意を固めてはいたが、
今のところ言えそうな雰囲気ではないと思い、逃げの姿勢を貫いている。
そうしている間にも刻一刻と練習終了時間が迫ってきた。

「そろそろ時間だな。今日はこの辺で終わりにしよう」

澪が時間通りに練習をストップさせた。
練習の質だけは良く、律のドラムテクニックだけが上がった。
休日に自分から召集をかけて皆に集まってもらい、あえて逆境を作る作戦に出たが、
最終的に不発に終わってしまい、律はより一層気を落とした。


「じゃあ私は鍵返してくるから先に帰ってて。じゃあまた明日!」

音楽室に施錠し終えると、律はそう言い残して一人事務室へ向かった。

383 :西暦 2009年 7月5日:2009/08/10(月) 10:51:34.02 ID:ckJW/eV+0
鍵を返して事務室から昇降口へ帰る途中、合唱部の顧問として学校に来ていた
さわ子と偶然鉢合わせになった。

「あ、さわちゃん……」
「もうみんなには言えた?」

律は力なく首を横に振ることしか出来ない。

「なるほどね……ところで今から時間あるかしら?」
「……え?ああ、うん」
「少し付き合ってもらうわよ」
「はい?」

どうやらさわ子は律をどこかに連れて行こうとしているらしい。
律は校舎の裏にある職員専用駐車場まで連れてこられた。
さわ子はご自慢のサルサレッド色のニュービートルの前に立ち、

「さあ、乗ってちょうだい」

と言って助手席のドアを開けた。
律はさわ子の言われるがままに車に乗り込んだ。

384 :西暦 2009年 7月5日:2009/08/10(月) 10:56:13.82 ID:ckJW/eV+0
さわ子の粗い運転に不安を抱きつつ律は車の中で外の風景を眺めていた。
車内にはさわ子の趣味らしい際どいハードな曲が流れている。
銀閣寺の近くまできていたので外国人観光客の姿が多く目に映るようになった。
さわ子はそのまま近くの駐車場に車を止めた。

「着いたわよ!」
「どこへ行くんだよー?さわちゃん」
「いいからいいから」

さわ子は律の背中を押して歩き始めた。
哲学の道を通っている最中、さわ子にもう一度どこへ行くのか尋ねたが、
さわ子はそろそろ着くとだけしか答えてくれない。
何分か歩いたところで唐突にさわ子が立ち止まった。

「ここよ!」

自信満々にさわ子が東の方角を指差した。

「おいおいおいおい、山登りでもするつもりか?」
「その通り!」

律は何故だかさわ子と共に如意ヶ岳、通称大文字山に登る羽目になった。

385 :西暦 2009年 7月5日:2009/08/10(月) 11:03:41.55 ID:/92BaDWeO
「あ~、暑いわねぇ。もう疲れたわ……」
「自分から誘っておいてそりゃないだろ……でもホントあっついわ」

山道は案外開けていており一個団体で優に登山できる広さであったが、
何分この暑さなので登山客は疎らだ。
律はこの時、さわ子の行動の意図がよく分からなかった。
その後も二人は暑い暑いと文句を付けながらも、小一時間かけて頂上付近に到達した。

「や、やっと着いた。はぁ、疲れた……」
「そ、そうね……それより、りっちゃんこっちよ!」

1、2分歩いたところでようやくさわ子の言う目的地に着いた。

「おー!」
そこは京都市街が展望できるスポットだった。
平たい大地の奥には山並みもよく見える。

「私はちょっと疲れたから向こうで休んでおくわ……」

さわ子は日頃運動していなかったので相当身体にきていた。
律はその後も長い間その光景を眺めていた。
さわ子はそんな律の様子に少し離れた場所から視線を向けていた。

386 :西暦 2009年 7月5日:2009/08/10(月) 11:07:13.14 ID:ckJW/eV+0
「まだ足が言うことを聞かないけど、そろそろ帰るわよ」

ある程度休んだ所でさわ子は律まで聞こえるよう少し大きな声で律に下山を促した。

「分かった。今行くー。ていうかまた歩くのか……」

下り坂は上り坂よりも膝に負担がかかるとよく言うように、
二人とも無意識に上る時よりも長く時間を費やした。
登山口から駐車場までの距離も結構あったのでさわ子の足は限界に近づいていたが、
どうにか駐車場までたどり着いた。

「思っていた以上にキツい道のりだったわね……」
「そ、そうだな……」
「もう、こんな時間……帰りましょうか」

二人は車に乗り込み、さわ子は愛車を発進させた。


さわ子の体力と比例しているのか、赤いビートルは鴨川沿いを北へ、
往路よりも随分ゆっくりと走っている。

388 :西暦 2009年 7月5日:2009/08/10(月) 11:11:11.36 ID:ckJW/eV+0
「なー、さわちゃん、どうして私を山登りなんかに連れて行ったんだ?」

律がずっと気になっていた事を尋ねた。

「それはね……私達二人だけの思い出作りの為よ!!」

さわ子は急におどけて見せた。

「何じゃそりゃ」

律は物凄く久しぶりに人にツッコミを入れた。

車内にはさわ子のフェイバリット『Thank you, my twilight』がかかっている。

「本当はね……りっちゃんに故郷の姿をしっかり目に焼きつけてもらいたかったのよ」
「さわちゃん……」

さわ子はさっきとは一変して真面目な顔をして律に伝えるべきことを伝え始めた。

「この場所はあなたが必ず帰ってくる場所よ。私もここでりっちゃんの帰りを待ってる」
「うん……」

律がか細い声で相槌を打つ。

「後のことは私に任せなさい!意地でも何とかしてみせるから」
「でも……私に言えると思うのか?」
「私からみんなに言うつもりは無いわよ。約束したものね」

389 :西暦 2009年 7月5日:2009/08/10(月) 11:16:10.87 ID:ckJW/eV+0
律は何も言えずに少しの間BGMだけが車内に響いた。

「奇跡って起こらないのかな……?」
「うーん、それはりっちゃん次第なんじゃないかしら?」
「私、次第?」
「あとはみんなを信じることね。そうすれば絶対にみんなもそれに応えてくれるはず」
「そう……だよね……」

律はもう殆ど泣きかけていたが必死に堪えている。

「前途有望な若人よ!下を向くな!前を向け! 足元には必ず道はあるんだから」
「う、うん……さわちゃん、ありがと……私、明日、必ずみんなに言うよ」

こういう時に限って律は不思議と頭が働いた。
強烈な西日が鴨川を背に二人を乗せたビートルを照らしつけているので、
運転手席側からは自分の表情は逆光でよく見えないだろうと。
泣いている姿をさわ子に見られたくなかったので、律は心の中で夕日に感謝した。
さわ子は律の震えた声だけで泣いていることには気がついてはいたが、
それ以上は何も言わずアクセルを吹かした。

390 :西暦 2009年 7月6日:2009/08/10(月) 11:23:17.87 ID:SAUdxyIHO
今日は五日ぶりに真夏日となり、茹だるような暑さが京都全体を覆っている。
空調の利いた教室内は、唯のようなクーラー嫌いの人間以外には
とても快適に勉強する環境が整っていると言える。
クーラーとは関係なく、律は久しぶりに落ち着いていて授業を受けることが出来た。
一度覚悟を決めてしまえば、人は冷静になれるものだと知った。
クラスメイトには悪いが、軽音部で先に告白すると律は決めていた。
ついにその日の授業日程は全て終わっので律は唯と紬と共に音楽室へ向かった。

先に澪と梓の姿があったが、そこにさわ子の姿は無かった。
律は今日こそはさわ子の信頼に応えようと誓った。
同時にそれがさわ子の為ではなく、自分達の為であるという実感がわいてくる。

392 :西暦 2009 7月6日:2009/08/10(月) 11:31:00.97 ID:SAUdxyIHO
「全員揃ったな。じゃあ早速……」
「ムギちゃん、ケーキ!!」
「はい、今日はイチゴのショートケーキよ」

澪が練習開始の合図とろうとしたが、唯が強引に皆を放課後ティータイムへと誘う。
いつもと何も変わらない日常、それはいつも律が臆病風に吹かれる最大の原因だった。
だが今日は一味違う。
やっぱり軽音部はこうでなくっちゃと律は思い、
最後の決意を決める為に右頬をパチンとはたき、自分に渇を入れた。

「よーし、みんな食べ終わったな?実はみんなに話さなきゃいけないことがある!」
「先輩どうしたんですか?」

梓がそう尋ねる横では、最近の律の様子を一番心配していた澪が
どこか不安そうな顔をしている。

「いきなりだけど最後まで私の話を聞いてくれ」
「なになに~?」

唯は興味津々に立ち上がったばかりの律を見上げている。

393 :西暦 2009年 7月5日:2009/08/10(月) 11:33:05.14 ID:2+AR223m0
「え-、この度、わたくし田井中律は、一身上の都合により渡洪することになりました」
「おい、律!お前一体何を言ってるんだ?渡洪って何なんだよ?」

澪が至極普通の反応を見せた。
他の四人も、漫画なら頭上に?が描かれているであろう顔をしている。

「この前調べたらホンジュラスって漢字で洪都拉斯って書くみたいなんだよね……」
「ホンジュラスってお前……本気で言ってるのか?どうせ何かの冗談だろ?」

澪以外の三人は、律と澪の会話を理解しようとするだけで精一杯だった。

「冗談じゃないんだわこれが……本当はもっと早くに言うべきだったんだけどさ……」
「あ!分かった。旅行だろ?クーデター起きたばかりだから気をつけて行ってくるんだぞ」
「ゴメン、澪……旅行じゃない……この場合、移住って言った方が分かり易いかな?」
「……じゃあ勉強が忙しくて合宿に行けないっていうのも?」
「そういういうこと……今まで嘘ついてて悪かったな」

律は今までに澪にも見せたことのない程真剣な顔をしている。
その表情で律が嘘や冗談を言っていないと澪は悟って膝から崩れ落ちた。
そんな澪を見てようやく三人も律が本当の事を言っていると気がついた。
唯はのび太が部屋に現れた時の五倍は驚いている。

395 :西暦 2009年 7月6日:2009/08/10(月) 11:41:05.35 ID:2+AR223m0
澪達に申し訳ないと思いながらも律は出来る限り感情を抑えながら
淡々とこれまでの経緯を説明していった。
両親がダルフール紛争の難民救助に行くこと。
その間は自分と弟の聡はホンジュラスにいる親戚の家に預けられること。
自分達もこのことを知ったのは二週間程前であること。
紛争が一段落するまでは向こうで暮らすということ。
だから今年度卒業できる可能性は殆ど無いということ。
律がここまで説明した時に、澪が口を開いた。

「……それで、いつなんだ?」

もちろん出国する日を尋ねたのだと律はすぐに察したが、一瞬言葉にするのを躊躇った。

「……明後日の夜」
「律、色々といきなり過ぎるぞ!何か変だとは思っていたが!こんな大事な事を!」

澪と当人の律以外の三人は律のリアルな説明を聞いている時から既に泣いていた。

「ゴメン……何となく気づいてたのか……」
「当たり前だろ?私が何年お前と一緒にいると思ってるんだ?」
「えっと、幼稚園からだから……」
「数えんでいい!!」
「痛ってー、何も殴らなくても」

何故か二人はいつものコント調の会話が成立していた。
両者とも無理をしているのは誰の目にも明らかだったが、
そのお陰で唯達をほんの少しだけ元気付けた。

396 :西暦 2009年 7月6日:2009/08/10(月) 11:42:40.40 ID:2+AR223m0
「明日、ここで律の送別会をしないか?」

本当は今一番辛いはずの澪が唐突にそう提案した。

「……え!?明日?」
「明後日だったら時間無いんだろ?」
「いいわね……私は賛成……」

紬が最初に賛成して、その後唯と梓もどうにか喋れるようになり賛成の意を示した。
律はその事に対して素直に礼を述べた。
奇しくも明日は年に一度の七夕。
とりあえず七夕風でいくということだけが何となく決定した。
澪が今からじゃ時間も無いし今日の練習はここまでだな、
と言ってこの日の練習はここで中止という事になった。
勿論、この件を全員納得している訳が無かったのは分かってはいたが、
律は自分の告白は全て終わり、少しだけ肩の荷が下りた気がした。

澪は相当無理をしていたのであろう、

「私が適当に笹持ってくるから各々何か適当に持ってきてくれ」

とだけ言って一足先に音楽室を後にした。
今は澪を一人にさせておくべきたと思い、あえて誰も後を追わなかった。
律は昨日さわ子と別れた後に自宅で何度も脳内シュミレーションを繰り返していたので、
上手く首尾した方だと思ったが、澪の行動だけは想定の範囲外だった。
律としてもやれるだけのことはやったので思い残すことがあるとすれば、
全て明日と明後日にぶつけようと考えた。

398 :西暦 2009年 7月6日:2009/08/10(月) 11:48:34.69 ID:2+AR223m0
唯は浮かない表情のまま帰宅した。

「ただいまぁ……」

家では憂とのび太が唯の帰りを待っていた。

「おかえり、どうしたの?お姉ちゃん」

憂が真っ先に唯の異変に気がついた。

「うぅ……りっちゃんが、りっちゃんが」
「え?律さんがどうかしたの?」

唯は律が明後日ホンジュラスへ行ってしまう事を泣きながら説明した。

「律さんいなくなると……寂しくなるね……」
「え?どうしたの?」

憂には聞き取れたがのび太は唯が何を言っている意味がよく分かっていなかった。

「お姉ちゃんのお友達が外国に引っ越しちゃうんだって……」
「そ、そうだったのか……」

のび太は暫く考えてから、唯を元気付けようと考えた。

「唯ちゃん、元気出して。その友達にはまた会えるじゃない」
「でも……どこか遠い国に行っちゃうんだよ」
「何も別の世界へ行くわけじゃないんだ……僕みたいにね」

400 :西暦 2009年 7月6日:2009/08/10(月) 11:52:38.08 ID:2+AR223m0
「のび太君、もう帰っちゃうの!?」
「まだ帰る方法が分からないけど、その時がきたら僕は元の世界に帰らなくちゃ」
「そうだよね……」

自分に言い聞かせるように唯が頷いた時、憂も寂しげな顔を浮かべていた。
そのことにのび太もようやく気がついたようだ。

「なんか余計しんみりさちゃったね……ごめん」
「あ、晩ご飯もうできてるんだった。早く食べないと冷めちゃうよ」

気を利かせた憂が玄関先にいる二人をリビングの方へ導いた。
三人は重い空気が漂い続けるなか夕食をとった。

「そうだ、明日りっちゃんを送る会があるんだった」
「そうなんだ。学校であるの?」
「うん。そういえば澪ちゃんが笹でも持って来るって言ってた」

そこで憂は明日が七夕だということを思い出した。

401 :西暦 2009年 7月6日:2009/08/10(月) 11:55:53.33 ID:2+AR223m0
「お姉ちゃんは何か持っていかなくていいの?」
「う~ん、折り紙の飾りつけは間に合わないよね……」

唯お得意の折り紙は広い教室を飾るには時間がかかり過ぎてしまう。
何を思ったか、のび太がいきなり立ち上がった。

「いや、みんなで作ればすぐに終わるよ!」
「そうだね。お姉ちゃん、頑張ろう!」

憂もその提案に快く賛同した。

「ありがとう。じゃ、みんなで作ろう」


「――ふぅー、これをテープでくっつけたら終わりだ」

三人で協力して作ると、思いの外早く作業は終わった。

「よく考えたらこれ、学校に持って行くとしたら大変だね……」

全て作り終えてから憂が折り紙の量が多いことに気がついた。

「大丈夫!何としてでも持って行くから!まだまだ余裕があるくらい!」

帰宅後、初めて唯が元気良く喋ったのでのび太もようやく安心した。

「なら、僕からも何か……」

と言って、のび太は使えそうなひみつ道具を取りに部屋に二人を連れて行った。

402 :西暦 2009年 7月6日:2009/08/10(月) 11:58:16.12 ID:2+AR223m0
「手品だと思って何か持っていってよ」

のび太は乱雑にひみつ道具を床に広げて見せた。

「何これ?」
「実は僕にもよく分からなくて……この粘土の使い方が分かってるんだけなんだ」
「普通の粘土に見えるけど」
「この粘土で動物を作るとその動物が動き出すんだ。それだけなんだけどね」
「ホントに?面白そう!だけど、みんな驚いちゃうかな。あ!これは?」

そう言って唯はロケットの形をしたひみつ道具を指差した。

「それ何だっか思い出せないんだよねぇ。たぶん飛ぶんだと思うけどな~」
「何だか分かんないけどすごい!」
「これって……」

その道具を見た瞬間、憂が小さく呟いた。

「ん?何かついてるよ?これ何なのかな?」

唯は道具の付属品に目をとめた。

「たぶんだけど、それ……短冊じゃない?」

そう答えたのはのび太ではなく憂だった。

403 :西暦 2009年 7月6日:2009/08/10(月) 12:01:57.86 ID:2+AR223m0
「ホントだ。そうかも知れない。憂ちゃんよく分かったねぇ」
「うん、大きさとか形とかでなんとなく……」
「でも明日の七夕にはぴったり。これ持っていっていい?」
「もちろん!」

のび太は二つ返事で了承した。
唯とのび太は憂の歯切れが悪かったことには気がつかなかった。


「律さんもだけど、お姉ちゃん……大丈夫かな?それにあのロケット……」
憂は自室に戻ってからも先ほどの道具について考えていた。
「なーんか引っかかるなぁ……でも、そろそろ寝なきゃ」
憂いはおもむろに立ち上がり蛍光灯の灯りを消した。

404 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:09:24.04 ID:2+AR223m0
この日の京都は久々の曇り空で太陽が雲に隠れてしまっていたが、
午後になると雲が少し薄くなってきた。

「さて、飾りつけはだいたい終わったな!」
昨日とは打って変わって調子の良い声で澪が部屋の飾り付けの指揮をとっている。

「何で私の送別会なのに私まで手伝わされたんだよー?」

先ほど帰りのHRで、クラス全体に激震を与えたばかりの律が澪に文句をつけた。

「そのお陰で早く済んだんだ。いいじゃないか」
「なーんか納得いかないんだけど」

とは言いつつも、律は澪が割と元気に見えたので内心少しホッとしていた。
唯が持参した大量の折り紙、紬の持ってきたお菓子をメインとした豪華な食品群、
梓の持ってきた変装グッズ数点、そして澪がどこからか持ってきた笹の木で
音楽室は華麗に変身を遂げた。

「まさに、大改造!!劇的ビフォーアフター SEASON Ⅱって感じだな」
「はい?」
「なんということでしょう……」

残念ながら律の例えは紬には伝わらなかった。
律が一人でつぶやいていると誰かが音楽室に入ってきた。

「遅れてごめんなさいね。あら?良かった。まだ始まっていないようね」

準備完了の時を狙いすましたようなタイミングでさわ子がやってきた。

405 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:10:40.84 ID:2+AR223m0
「さわちゃん、わざとだな……」
「さぁ何のことかしらね、さぁ、始めましょうか」


「えっと、僭越ではございますが、乾杯の音頭をとらせていただきます……」

梓が手にメモを携えてそれを読みながらぎこちなく妙に堅苦しいスピーチを始めた。

「り、律先輩の今後のご健勝と、ご発展をお祈りいたしまして、乾杯」

全員の乾杯という声が部屋に短く響いた。


その後、送別会は滞りなく進み、外もかなり暗くなってきた。

「はぁー食った食った」」

律はずり落ちそうなくらい深く椅子に座って腹部を摩っている。

「あずにゃんはそのコスプレいつまでしてるの?」
「今日は特別なんです!分かりましたもう着替えます!」

梓は顔を赤くして着替えに行った。

406 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:13:56.76 ID:2+AR223m0
ふとさわ子が窓の外を確認してから入り口付近に置いておいた物を取る為に席を立った。

「みんなで屋上に行かない?」

さわ子の両手には花火が入った袋が握られていた。

「お!花火か。いいねー。」
「なんだか合宿を思い出すわぁ~」

紬はかつての夢だった夏の合宿の事を思い返している。
着替えに行っている梓を除いた全員が即座に賛成した。

「ついでにみんなでこれを書かないか?七夕といったらコレだろ」

少し大きめの掌の上に澪お手製と思われる短冊が五枚。

「誰の分とは言わないけど一枚足りないわね……」

さわ子の鋭い視線が澪を襲う。

「べ、別に先生を忘れてたわけじゃ、そ、そうだ!使えそうな紙が鞄の中に……」
「あー!忘れてたっ!!私の分はいいから、それはさわちゃん先生に渡してあげて」

唯が普段は使っていない大き目の鞄からロケット型のひみつ道具を取り出しにかかる。

「やっぱり私のことを忘れていたようね、澪ちゃん……」
「あ、いや……おい!唯が余計なこと言うからだぞ!」

澪は責任転換をしようと試みるが、唯は構わないでロケットを取り出した。

407 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:15:06.26 ID:2+AR223m0
「これで人数分だね!」
「えーと、何これ?」

当然ながらこの奇妙な物体を見て短冊だと瞬時に理解する人間はいなかった。

「空に飛んでいくんだよ!すごいでしょ?」
「あの~唯ちゃん、説明になってない気が……」
「あ、こっちに短冊がついてるんだよ」

紬の指摘を受けてようやく唯も肝心の短冊を見せた。

「短冊は分かったけど、飛ぶとか言われてもなぁ……」

やはり空を飛ぶという言葉がネックになっていたが、
ともかく笹の木と謎のロケット型ひみつ道具を持って屋上へ上がることにした。
その時、何の前触れも無しに部屋の扉が勢い良く開かれた。

「もう絶対に着ませんからね!」

部屋に入るが早いか梓が全員に対して、金輪際猫の格好をしないと堂々宣言。

「梓、屋上へ行くぞ」

律はそれを軽く受け流した。

「え?」

409 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:26:04.68 ID:2+AR223m0
さわ子が屋上の扉を開錠し、笹の木や花火などが運び込まれた。
夕方から夜にかけて京都一帯を包み込んでいた薄い雲は
疎らに散らばり、屋上からは月と星がよく見える。
だがそこには紬の姿だけが見当たらなかった。

「あれ?ムギちゃんは?」

そこに少し遅れてなるほどバケツと印刷されたバケツを二つ持って紬が現れた。

「水を持ってきましたぁ」

花火を楽しむ上で最も忘れてはならない物を紬は熟知している。

「ごめんなさい、私としたことが、完全に忘れていたわ……」
「ありがとな、ムギ。じゃあ花火の前に、短冊に願い事を書くとするか」

澪から順番にふでペンを回して、一人ずつ短冊に思い思いの願い事を書いていった。
書き終わった紬は笹に短冊をつるしに行き、先に書いた澪と梓の短冊に目をとめた。

「やっぱり澪ちゃんも梓ちゃんも同じ事を書いてるのね」

短冊に書かれた内容は言い回しが少しずつ違っているだけで三つとも同じ願いだった。
律の少しでも早い帰国を願う気持ちは皆同じようだ。

410 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:27:34.96 ID:2+AR223m0
「次は私の番ね」
と言ってさわ子が全く悩みもせずにスラスラと願い事を書いていった。

――クリスマスよりも前に素敵な彼ができますように――

あとは律と唯を残すのみとなった。
律はふでペンを堅く握ったままで、なかなか書き始めようとしない。
何を書くか決まらないわけではない。

「うーん……こうして書くとなるとちょっと恥ずかしいな」
「別に笑ったりしないって」

普段の律と澪の立ち位置が完全に逆転していた。
その横では唯が何を書くべきか必死に考えている。

「ところで唯先輩の持ってるそれ何ですか?」

梓はまだロケット型ひみつ道具を知らなかったので唯に尋ねた。

「空を翔ける短冊!」
「え……」
「でも、これが飛んでいっちゃったら短冊も一緒に飛んで行っちゃうね」

唯の言葉を聞いて律は閃いた。

「なあ、唯。そのロケットの短冊私に書かせてくれないか?」
「うん、いいけど、どうして?」
「誰にも見られないで済むから」
「……飛ばす前に見せて!」
「それじゃ意味無いだろ!」

411 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:29:59.22 ID:2+AR223m0
律と唯が書き終わり、花火をする準備が整った。

「さて、唯ちゃんも書き終わったみたいだし、始めるわよ!」

さわ子の号令と同時に次々とチャッカマンが花火に火を点していく。
学校の屋上から六つの光が暗闇に華やかな彩りを与え、
夜空に煌めく星に負けずとばかりに淡くも眩い光を放っている。

「綺麗ね」
「そうですね」
「打ち上げ花火が無いから、これはその代わりだな」

律がロケット型ひみつ道具を打ち上げた。
空に舞い上がる短冊付きロケットは5メートルほどゆっくりと上昇した後、
急加速して上空まで飛んで行き、すぐに肉眼では確認できなくなった。
そこにいる全員が唖然とした顔をしている。

「お、おい唯、あれは一体何だったんだ!?」
「……さぁ?」
「さぁって……」

律が半ば呆れながら空を見上げ、ロケットが通ったばかりの軌道を目でなぞった。

412 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:32:45.23 ID:2+AR223m0
その後はお決まりの線香花火の流れになった。
線香花火がパチパチと小さな音を発している。

「さっきの短冊には何て書いたんだ?」

澪は先ほどの短冊の件が気になったのでさりげなく律に尋ねてみた。

「それはヒミツ」
「ケチ……本当に明日行くんだよな?」
「うん、まあね」

律は意識して口角を上げ短く返答した。

「正直まだ実感がわかないんだよな……」

澪の持つ線香花火の先端から、松葉の形に似た閃光を放つ小さな塊が
万有引力の法則に従ってぽとりと落ちた。
少し間を置いて律が立ち上がった。

「学校も今日までか……」
「そういえば明日はおじさん達が先に行くのか」

律の両親は明日の正午過ぎに日本を発つことになっている。
その見送りに行くので律が登校するのは今日が最後だった。

416 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:37:53.03 ID:2+AR223m0
「私達の出発は夜の11時前なんだけどな」
「見送りに行くよ、みんなで。」

澪が線香花火に火をつけた。

「遠いのに悪いな。お、それが最後の一本だな……」

二人はこの時間に終わりが近づいていることを悟った。

「またここで――」

やっぱ何でもない、と言って、律は言おうとした台詞を中断した。

「変な律」
「うるせーやい!それ終わったら戻るぞ」

自分からこの時間を終わらせることで、けじめをつけようと考えたようだ。


程なくして澪の線香花火は儚く散った。

418 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:45:53.74 ID:SAUdxyIHO
生徒会の仕事を終えた和が帰ろうと昇降口から校庭に出てきた。
振り返ると一つだけ明りのついたままの部屋が目に付いた。

「あら?こんな時間まで?」

だいたいの位置から音楽室だとすぐに気づいた。

「ああ、明日律が外国に行くから……」

和はこの件を唯からのメールで他の人より早く知っていた。
和は暫くの間、昇降口に戻ろうか逡巡していたが、校門の方向へ歩き出した。

「結局さよならが言えなかったわね……でも――」

何故かこの時、和は律が案外早く帰って来るような気がしていた。

420 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:50:08.11 ID:SAUdxyIHO
一方、平沢家では憂が自室の収納スペースから物を沢山ひっぱり出していた。

「確かこの奥に……あ、あった!」

憂は収納スペースの奥の方から何かを発見した。

「やっぱり。でもどうして?」
そこには先ほど律が発射したばかりのロケットに酷似したものが
年季の入った玩具とごったになってしまわれていた。
それを取り出して埃を掃った。
やはりこの小型ロケットにも短冊がついていたが、
そこに何か別の紙も取り付けられていた。

「これは、手紙……」

憂の頭の中で、薄っすらとした記憶がフラッシュバックした。

423 :西暦 2009年 7月7日:2009/08/10(月) 12:54:59.53 ID:SAUdxyIHO
手紙を読み終わった憂は、ロケットに付属してある短冊にボールペンで願い事を書いた。
その後、のび太に気取られないように玄関を出て、近くの公園へと向かった。
公園は都合よく人気が全くなかった。
憂は開けたスペースを見つけ、そこでロケットを打ち上げた。
ロケットは律の時と同じように物凄い速さで垂直上向きに飛んでいった。
「これで良かったんだよね……」


――のび太君が元の世界に帰れませんように――


成層圏を高速で飛翔する小型ロケットにつけられた短冊にはそう書かれていた。