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「ねぇねぇ」
「はい?」
 いつもどおり唯先輩が私の部屋に遊びに来て、二人でごろごろしていると、不意に唯先輩が何かを思いついたように話しかけてきた。
 どうせまたどうでもいいことを思いついたんだろうなぁ……。相手にするなとは思うんだけど、なぜか反応してしまう。どうしてだろ?
 それだけ、この人のことが気になってるってことか。認めたくはないけど。
 そんなことを考えながら、唯先輩の言葉に耳を傾ける。何だかんだいっても、やっぱり気になるものは気になる。
「あずにゃんの初恋ってどんなのだった~?」
「…………へ?」
 一瞬、何を言われたのか理解できなくて、間の抜けた声を出してしまう。この人は、突然何を……。
「だから、初恋だよ~」
「初恋、ですか……」
 初恋話。今時の女の子なら誰もが嬉々として食いついてくる話だ。唯先輩もやっぱりこういう話が好きなのだろう。瞳の耀き具合でそれが解ってしまう。
 だけど、私は……。
 初恋話をしている人に、みんな共通していることがある。初恋が成就したか、もしくは振られたけど吹っ切れたか。
 そういう人は、自分が辛くならないから、喜んで参加してくる。思い出に昇華できたらそれは立派な話の種だ。
 私は違う。
 そもそも成就なんかしてないし、もちろん告白する勇気も無いから吹っ切れることもできない。きっと、この初恋はずっと胸の中に残ってるんだろうな……。
「うん。あずにゃんの初恋ってどんなのだったの?」
 そして過去形。
 唯先輩は、私の初恋がすでに終わってると思い込んでるんだろうな……。元凶にそう言われるのは、やっぱりちょっと辛い。
「私の初恋は、まだ終わってませんよ?」
「あ、そうなの?」
 思い切ってそう告げると、唯先輩は意外そうな顔。やっぱり、この年で初恋が終わってないのは珍しいのかな……。でも、それはしょうがない。
 小さい頃から音楽に打ち込んできて、恋愛に感けてる暇が無かったから。高校生になって、ようやく恋がどういうものなのかを理解できた。
 ――その相手が、これだ。
 目の前には、肩透かしを食らわされたよ~、と悲しそうに泣いている唯先輩。
 こんなので泣かないでくださいよとは思うけど、これもまたこの人の魅力、か。
「そうだ!」
「きゃっ」
 突然、大きな声を上げて立ち上がる唯先輩。その際、ガタンという音がしたから、びっくりして不覚にも悲鳴を上げてしまった。物が落ちてきたぐらいで、恥ずかしい……。
「どうしたんですか急に」
 さっきの悲鳴を取り繕うようにしてそう尋ねる。これでまたくだらないことを言われたら、さすがに怒りますよ?
 そんな私の視線に気付かずに、唯先輩はこれまた笑顔で、床に座り込みながら私に話しかけてくる。相変わらず立ち直りが早いんだから……。というか、どうして立ち上がったりしたんですか。
「それじゃ、あずにゃんの初恋を教えてよっ」
「だから、まだ終わってないと」
「違うの! その終わってない初恋を教えてってことっ!」
「はぁ!?」
 この人は何を考えてるんだ……。終わってない初恋を人に話すなんて普通はしないでしょ……。あなたには常識が無いんですか?
 唯先輩の発言にびっくりして――というか呆れて、ついつい失礼な言葉をたくさん言ってしまった。
 だけど、唯先輩はずっと笑顔で私を見つめている。こういうところでの精神力の強さはある意味尊敬できるけど、少しは堪えてほしかったな……。
「ね、ね、いいでしょ?」
「いやですよっ」
「どうして?」
「どうしてもですっ!」
 私の言葉に、唯先輩はほっぺたをぷくぅと膨らませる。その膨れ具合がまたかわいい……って、何考えてるんだろ、私。
 恥ずかしい気がして、思わず赤面してしまった。気を紛らわせるために、まだ膨れている唯先輩を宥めてみる。
「まぁまぁ。他のことならいくらでも話してあげますから」
「やだっ」
「やだって……」
 そして断念。
 今の唯先輩は駄々っ子と変わらない、というか駄々っ子より質が悪いかもしれない。
 駄々っ子なら餌をあげると機嫌を直してくれるけど、この人は餌、つまりは他の話をあげても機嫌がよくならない。
 ややこしい、面倒臭い。
 この人の性格もそうだけど、それよりも未だに私が唯先輩と一緒にいる理由が解らない。
 こうまでしてご機嫌取りをする必要がどこにあるの? 今日はもう失礼しますと言って家に帰ればいいじゃない。
 そう何度も自分に言い聞かせてるけど、どうしても帰ろうと思えない。この人から離れたくない。一緒にいたい。
 これは重症だなぁ……と思いながら、最終手段に出る。
「それじゃ、等価交換ということで」
「とうかこうかん?」
「そうです、等価交換。私の初恋話を聞きたいのなら、唯先輩の初恋話も聞かせてください」
「私の?」
「はい。そうすれば、お互い初恋話をしたから、どちらが損とか得とかできなくなりますよね?」
「そうだね~」
 できればこの時点で拒否してもらいたかったけど、そこは駄々っ子以上の唯先輩。私の話を聞くためならどんなことでもやるみたいだ。
 ……仕方ない、か。私も唯先輩の初恋話には興味があるし、本当に等価交換になりそうだなぁ。
「それじゃ、どっちから先に話す?」
「唯先輩からどうぞ」
 さすがにこれを先に話す勇気は、私には無い。
 唯先輩は先に話すことを何とも思ってないのか、いつもと変わらないほわほわとした雰囲気のまま、語り始める。
「私の初恋は――」
「はい」
 ついつい身を乗り出してしまう。……いや、だって気になりますし、しょうがないじゃないですか。そんな目で見ないでくださいよ。
 だけど、唯先輩は中々話し出してくれない。閉じた口をもごもごさせて、言おうかどうか迷ってるみたい。……あぁもうじれったい!
「唯先輩」
「な、何?」
「早く話してくださいよ」
「う、うん……」
 頷いたものの、唯先輩はまだ迷っている感じだ。思い切って口を開こうとしても、結局は首を振ってまた口を閉じてしまう。これの繰り返し。
 そんなに悩むのなら初恋話なんて止めましょうよ、と提案してみたけど、唯先輩は頑として首を縦に振らない。そこまでして私の初恋が知りたいんですか……。
 というか、最初の勢いはどこに消えちゃったんですか。今更話すのを躊躇うなんて、先輩らしくないですよ。言うのなら早くしてください。
 そんな私の心の声が聞こえた訳では無いだろうけど、唯先輩はようやく意を決したように口を開く。――真っ直ぐに私を見据えながら。
「私の初恋はね」
「はい」
 ……ゴクリ。自然と、喉が鳴る。唯先輩の瞳を見つめていると、何だか吸い込まれそうな感じだ。
 唯先輩はまた数秒間逡巡している様子だけど、その間も私から視線を外さない。……ちょっと、いや、かなり恥ずかしい。
 居た堪れなくなって、私が目を逸らそうと思ったら、そのタイミングで唯先輩が口を開き、ようやく言葉を発した。
「私の初恋のひとはね――あずにゃん、だよ」
「……………………へ?」
 たっぷり、秒針が数回動く間、私は呆けてしまっていた。この人は、今、何と言った? 初恋が、私?
 一気に頬が上気して、心臓もフル稼働する。まともに唯先輩の顔が見れない。思考がぐるぐると回転する。何も考えられない。
 堪らなくなって目を逸らすと、唯先輩はそれを追いかけてまた私と目線を合わせてくる。その様は、まるで捕食する肉食獣みたい。
 尤も、食べられるのは肉体じゃなくて、精神――心なのだけれど。
 逃げても逃げても追いかけてくる唯先輩。今の私はサバンナでチーターに食べられる直前のガゼルだ。もうどうにでもなれ。
 えへへ、と頬を桜色に染めながら照れくさそうに笑っている先輩。私としっかり目が合ったことに安堵した様子で、続きを話し始める。
「一目惚れ、だったんだ」
 唯先輩は、つっかえつっかえ、言葉を選びながら語り続ける。必死に、自分の気持ちを伝えるために。
「最初に部室で出会ったときかな? 私って、自分で言うのも何だけど、かわいいものを見抜く目はあるんだ」
「そうみたいですね」
 ときどき、独特なセンスで理解できないものがあるけど、その他は私もかわいいと思えるものばかりだし。
「最初にあずにゃんを見たとき――部室に入ってきたときだけど、この子が軽音部に入ったら、みんなのアイドルになるんだろうなって思ったんだ」
「そんなに最初からですか」
「うん。だけど、実際そうなったよね。りっちゃんも、ムギちゃんも――さわちゃんだってあずにゃんのことを猫可愛がりしてるもん」
 もちろん私もだけどね、と最後に一言付け加えて、一旦言葉を切る。
 思い返してみれば、確かに皆さん――先生も含めて、やたらと私を気にかけてくれているような気がする。唯先輩のスキンシップが印象に残りすぎて気付かなかったけど……。
 ――そうか、私、愛されてたんだ……。
 その事実を教えられて、胸がほわほわと暖かくなった。嬉し涙を少しだけ滲ませて、自然と頬が緩んでしまう。
 唯先輩は、そんな私を見てにっこりと笑う。その様子に何だか気恥ずかしくなり、ついつい俯いてしまった。顔が見えなくても、唯先輩が笑っているのを気配で感じる。
 秒針が数回回る間、そんな時間を過ごしていると、不意に唯先輩がさっきまでとは打って変わって、沈んだ声を出した。
「だけど、そのうち、みんなのことが疎ましくなってきたんだ……」
 唯先輩がこんな声を出すなんて初めてだから、不思議に思って顔を上げると、目の前には、今にも泣きだしそうな唯先輩の顔。
「あずにゃんを可愛がるのは私だけでいいって……、そんな風に考えちゃって……」
 ぽろぽろと、大きな瞳から大粒の涙が零れる。堰を切ったように次々と、止め処なく溢れてくる。
「最低だよね、私。こんなの、先輩失格だよ……」
 一旦泣き出すと、感情の制御ができなくなるらしい。普段のおちゃらけた雰囲気は鳴りを潜め、周囲の人――私まで悲しくなるぐらいに、沈んでいる。
 そんなことないですよ、そう言葉をかけてみても、ネガティブ思考に嵌ってしまった唯先輩には届かない。
 どうしたらいいんだろう……と、私が考えあぐねていると、この人は更にとんでもないことを言い出した。
「こんな私なんかが……、あずにゃんと一緒にいちゃ、だめだよね……」
「――はぁ?」
 何を言われたのか理解できなくて、唯先輩を問い質そうとすると、唯先輩はそそくさと帰り支度をし始めた。
「ちょ、ちょっと……、唯先輩?」
「ごめんね? 私、もう抱きついたりとかしないから」
 ――だから、バイバイ……梓ちゃん。

「……へ?」
 我に返ったときには、すでに唯先輩の姿は部屋から消えていて、そして、耳には唯先輩の最後の言葉が残っていて――!
「唯先輩!?」
 慌てて叫んでみても、返ってくるのは静寂だけ。先輩の声は、聞こえない。あのふわふわとした、独特な声は、もう……。
 そう考えると、全身の力が一気に抜けて、そのまま床にへたり込んでしまう。
「ゆい、せんぱい……」
 自然と、涙が出てくる。さっき流していたものとは真逆の、悲しい涙。しょっぱい涙。
 だけどきっと、あのひとはもっとしょっぱい涙を流していたはずだ。だって、あんなに悲しそうな顔をしていたのだから。
 ……今となっては、もう過去のことだけど。
 そう、過去なんだ。もう、今までの唯先輩とは会えない。去り際に残したひとつの言葉が、脳裏に浮かんでくる。
 ――バイバイ。梓ちゃん。
 その言葉は、つまりそういうことなのだ。もう今までのようにベタベタしてこないし、呼び名も変えるという意味なのだろう。
「いやだなぁ……。寂しいよ……」
 自然と、そんな言葉が漏れる。『唯先輩』がいなくなって、寂しい。
 うっとうしく感じることもあったけど、それが無くなると、やっぱり寂しい。体が、あのひとの体温を求めている。以前のように、ぎゅっと抱きしめてほしい。
 それは、私の我侭だ。何度も何度も止めてくださいと言っておきながら――しかも、それが原因で唯先輩を傷付けておきながら、なんて自分勝手なんだろう。
 傷付けた。そう、私が先輩を傷付けたんだ。私がもう少し素直に接していたら、こんなことにはならなかった。唯先輩がいなくなるという、最悪のシナリオは生まれなかったはずだ。
「最悪だ、私」
 そう呟いて、私は独り、涙が枯れるまで泣き続けた。

 何分ぐらい経っただろうか。時計を見ようと思い横を見ると、小さなケースが視界に入った。
 手にとってみると、見覚えのある物だった。確か、大切な物をしまい込んで、そのまま無くしたと思っていたもの。
 ……恐らく、唯先輩が立ち上がった拍子に、どこかから落ちてきたのだろう。そう思いながら蓋を開けてみる。
 そして、その中に入っていた写真を手にとって、そこに写っているひとを見て――
「唯先輩っ!」
 ひとつ、大きく名前を呼んで私は立ち上がった。返事はもちろん無いが、脳裏に唯先輩の声が聞こえた気がする。
 その声をもう一度実際に聞くために、私は走り出す。まだ、間に合う。いや、絶対にそうしないとだめだ。なぜなら……。
 なぜなら――写真に写っていたのは、笑顔で私に抱きついている唯先輩と、嫌々ながらも頬が緩んでいる私だったのだから。

「ハッ、ハッ、ハッ」
 私は走っている。目的地を知らずに。ただただ、唯先輩を見つけるためだけに全力で走っている。
 とっくに全身が悲鳴を上げているが、それでも足の動きは緩めない。
 ――きっと、今一番辛いのはあのひとなのだから。
 そうして、いつもの通学路を走り続けていると、やがて見慣れた後ろ姿が見えてくる。
「唯先輩!!!」
 息を切らせながらも、ありったけの声で名前を呼ぶ。と、唯先輩は一瞬びくっとして、後ろを振り返り、そして私の姿を認めると、びっくりした様子で、歩くスピードを速める。
「唯先輩!!!!」
 更に大きな声で名前を呼んで、私も走る速度を上げる。絶対に、逃がしませんから!
 気分はまるで捕食者だ。サバンナで逃げ惑う獲物を捕まえるために根気強く追い続ける。そうしていると、やがて標的との距離が縮まって、最後には――
「唯先輩!!!!!!!」
 両腕を大きく拡げて、唯先輩に飛び掛る。体に、唯先輩の体温を感じる。
「あ、あずにゃ……梓ちゃん?」
 まだその呼び方ですか、止めてくださいよ、と言いたかったのに、疲れで声が出ない。唯先輩の肩にもたれながら、ゼーハーと荒い呼吸を繰り返す。
「ど、どうして追いかけてきたの? な、何で私なんか――」
 声が出ないし、何より先輩のネガティブ思考が煩わしくなって、私は唯先輩を優しく、ぎゅっと抱きしめた。いつも先輩が私にしてくれるように。
 往来のど真ん中で、人々の注目を浴びているけど、気にしない。こんなの、唯先輩を失うことに比べたら屁でもないのだから。
「いいですか? 唯先輩」
 ようやく言葉を発すると、腕の中で唯先輩がぴくりと動いたのが解る。なに……? と、小さな、か細い声で呟いた。
「一回しか言いませんから、よぉく聴いててくださいね」
 腕の中で首だけを縦に振る唯先輩。何を言うのだろうと私を見つめてくる。少し、赤くなった瞳で見つめられて、私の決意は早くも挫けそうになる。
 ……だけど、逃げちゃだめだ。ちゃんと言わなきゃ、唯先輩は戻ってこない。先輩を傷付けたのは私なんだから、これぐらいの罰は受けなきゃだめなんだ。
 腕の中のだいすきなひとの笑顔を取り戻すために、私は口を開く。
「私の初恋は――」



Fin