ある日。
「梓ちゃんは、唯ちゃんのことが好きなのよね?」
 いつものように音楽室の扉を開けると、先に来ていたムギ先輩が開口一番、そんなことをのたまった。
 この人は、また何を意味の解らないことを……。
「そんなわけないじゃないですか」
 荷物を置きながら、否定しておく。
 ムギ先輩が変なことを言うのはいつものことだし、無視しようかと思ったけど、さすがにこれは聞き捨てならない。
 誰が唯先輩のことを好き? 私が? そんなことありえない。
「ほんとに?」
「ほんとですよ」
 大体、いつもいつも私に抱きついてきて、困ってるのに……。嫌だと言っても止めてくれないし、質が悪い。
 や、まぁ、抱きつかれること自体は別に嫌なわけじゃなくてむしろ好きだけどって何をいってるんだ私は。
 とにかく、せめて人目を考えてほしいということです、はい。
「うーん、やっぱり好きじゃないのかしら?」
「しつこいですよ」
 ムギ先輩は、普段から私たちをくっつけようとするけど、今日はいつもに増してプッシュしてくる。ほっといてください。
 そんな気持ちが言葉に出てしまったのか、返事をおざなりに済ませてしまった。これじゃ私が機嫌悪いみたいだ。
 ……でも、もし本当に機嫌が悪いのだとしたら、それは――
「そういえば、最近、唯ちゃんとりっちゃんの仲良いわよね」
 考えていたことを話題に出されて、体がぴくりと反応する。
「そう、ですね……」
 そう。
 最近、唯先輩と律先輩の仲が良いのだ。
 元々仲が良かった二人だけど、最近は以前にも増してスキンシップが激しくなっている。
 抱き合う頻度が2倍ぐらいになり、ティータイムでおやつのあ~んが日常的になってすらいる。いつかの休日に二人で腕を組んで出かけているのを目撃したこともある。
 これじゃ、まるで。
「恋人みたい、かしら?」
「はい――って何で私の考えていたことが解ったんですか」
「だって、顔に出ていたわよ?」
「マジですか」
 どんな顔をしていたんだろう。
「ほら、こんな顔よ」
「わぁー、わかりやすい」
 完全に顔に出ていたから、ついつい棒読み口調になってしまう。これはやってられない。
 昔から顔に出やすいと言われ続けていたけど、ここまで完全に出ていたなんて……、ショックだ。
「ふふ、梓ちゃんは正直者なのよ」
「馬鹿にしてるんですか?」
「まさか。嘘が吐けないなんてすばらしいことじゃない」
「はぁ、そうですか」
 なんだろう、褒められているのに全然嬉しくない……。要するに嘘が吐けない真人間じゃなくて嘘が吐けない間抜けってことだし。
「で、何の話でしたっけ」
「唯ちゃんとりっちゃんが恋人って話よ」
「憶測を事実にしないでください」
「あら、ごめんね」
 悪びれもせずに舌をぺろりと出すムギ先輩に呆れてしまう。しかもその仕草が妙に似合っているのがまた……。
「はぁ……。で、ムギ先輩はどう考えているんですか?」
「何がかしら?」
「あの二人の関係ですよ」
「あら、やっぱり気になるのね」
「う。そりゃ、まぁ、同じ部員ですし……」
「ふぅん? まぁいいわ」
 面白そうに私を眺めていたムギ先輩は、やがて視線を宙に移して、自分の考えを話し出す。
「あの二人が付き合っているのかどうかは知らないけど、関係は親密になっているわね」
「親密に?」
「ええ。少なくとも、お互いの家に泊まりに行くぐらいの関係には、ね」
「――ッ」
 ガタン、と耳障りな音が部室に響く。音の発生源は、私がさっきまで座っていたいす。急に立ち上がってから倒れてしまったみたいだ。
 まったく無意識の行動で、私がどうして立ち上がったのか解らない。一体、何が私の気持ちをかき回したのか……。
「どうかした?」
「い、いえ、別に……」
 向かい側のいすに座りながら紅茶を片手にそう尋ねてくるムギ先輩に「何でもないです」と言う。
 声が震えていたけど、ムギ先輩は大して気にせずに、一言「そう」とだけ言って、話を続けた。
「さすがに家の中で何をしているのかまでは知らないけど、二人の距離は確実に縮まっているでしょうね」
「そう、ですか」
 震える唇を無理やり動かして、なんとか相槌を打つ。
 この話が嘘だとは思えなかった。ムギ先輩の戯言だとはとても思えない。ムギ先輩はこういう嘘を吐くような人じゃないし、それに、ここ最近の二人の行動がそれに真実味を持たせている。
「梓ちゃん、大丈夫?」
「なにが、ですか」
「顔が真っ白よ」
 そう言われて、手近な所にあった鏡を見てみると、映っているのはすっかり色の落ちてしまった自分の顔。
「……気にしないでください」
「大丈夫なの?」
「はい」
 本当は大丈夫じゃないけど、そう言って続きを促す。
「そう……、なら、続きを話すけど、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫ですから、早く話してください」
 努めて普段どおりに言うと、ムギ先輩は少し逡巡して、だけどすぐに口を開いた。
「そこで、距離が縮まった二人はどうなるか。もう周りから見たらあの子達はバカップルよね」
「そう、ですね」
「でも二人はそれを否定してるの」
「そうなんですか」
 少し、ほっとする。あの二人が違うと言っているのという事実が、ここまで嬉しいなんて。
「だけど、私は納得いかないから、りっちゃんの家に唯ちゃんが泊まりに行った日、ずっと部屋の壁に耳を押し付けていたの。
「捕まりますよ」
 滅茶苦茶不審者じゃないですか。
「まぁ、何度か職質を受けたけれど、それにめげずに私は中の様子を探っていたの」
「そうですか」
 もう突っ込む気力もない。
「そして、夜の8時ぐらいに、中から女の子の喘ぎ声が聞こえてきたの――二人分の」
 頭の中が真っ白になった。
「カーテンはしてるから、中の様子は見えないけど、あれは間違いなくやってたわね。誰と誰が、なんて言うまでもないでしょうけど」
 止めて、もう言わないで……。
 そんな思いがまた顔に出ていたのか、ムギ先輩は続きを話さなくなった。
「そこで、最後に聞きたいのだけれど」
「なん……ですか……?」
 朦朧とする意識の中、なんとか返事を返す。
「梓ちゃんは、唯ちゃんのことをどう思っているの?」
「私は――」
 その言葉を最後に、私の意識は暗闇へと沈んでいった……。

「……あずにゃん、あずにゃん!」
「んぅ……」
 聞きなれた声に体を揺り動かされ、ぱちりと目を開ける。
 背中に感じるのはふわふわとした布団の感触。これは唯先輩の部屋のベッドかな……。
 実に数週間ぶりなのに、完璧に覚えている自分に苦笑する。
「あずにゃん!」
「わぁっ!?」
 と、しばらくごろごろしていようと思っていたら、突然誰かに抱きしめられた。この呼び方と独特の匂いは唯先輩だ。
 腕の隙間から相手の顔を覗き込むと、今にも泣きそうな唯先輩。
「ちょ、ちょっと、どうしたんですか先輩」
「うわぁん! よかったよあずにゃぁん!!!」
「きゃぁ!」
 私の話を聞かずに抱きしめる力を強める先輩。嫌なはずなのに、なぜだかほっとしてしまう。やっぱり、このひとに抱きしめられるのは安心するからかな……。
 しばらく唯先輩に抱きしめられたままの状態でいると、唯先輩はようやく私から体を離した。
 ……寂しいとか思ってませんから。
「それで、私はどうして唯先輩の部屋にいるんですか?」
 私の記憶が正しければさっきまで部室にいたはずだけど……。
「あずにゃん、覚えてないの?」
「なにがですか」
「あずにゃん、部室で倒れたんだよ? 貧血だって、保健室の先生が言ってた」
「ひんけつ……」
 時間を遡って、どうして私が貧血になったのか、部室でムギ先輩に聞いた話を思い出して――
「ゆゆゆゆゆっ」
「ど、どうしたのあずにゃん、落ち着いて」
 そして、いい子いい子をしようと私の頭に手を持ってきた。……けど。
「――へ?」
 唯先輩はぽかんとしている。見つめているのは今さっき私が叩いた先輩の右手。
 傷ついたその手は、まるで私の心みたいだ。
「ど、どうして……」
 訳が解らないといった表情で私を見つめてくる。だけど、それは私も同じだ。
「律先輩というものがありながら、どうして私を部屋に連れ込んでるんですか!」
「……へ?」
 今度は違う意味で呆ける唯先輩。
「な、なんのこと?」
「惚けないでください! 唯先輩は律先輩と付き合ってるんでしょう!?」
 私の言葉に、唯先輩はしばらく腕を組んで、そしてようやく意味が解ったのか笑顔で口を開く。
「私は――」
 これから言われるであろう事実に身構える。ムギ先輩に言われるよりも唯先輩本人に言われるほうが何千倍もショックが大きいから。
「私はりっちゃんとは付き合ってないよ」
 …………は?
「や、でも、だって」
「あずにゃんはどうして私とりっちゃんが付き合ってると思ったの?」
「それは――」
 私は、ムギ先輩から聞いた事実を全部唯先輩に話す。
 全部聞き終えると、唯先輩はけらけらと笑い出した。
「なんなんですか、もう」
「あはは、ムギちゃんも結構悪戯好きだなぁって」
「はぁ?」
 意味が解らない。この人は一体何を言っているんだ。
「それじゃ、ネタばらししちゃうけど、ムギちゃんのお話は全部ほんとのこと」
「だったら」
「待って、まだ決めつけるのは早いよ」
「……はい」
「これを全部話すのはちょっと恥ずかしいんだけど、簡単に言うとりっちゃんに協力してもらってたんだ」
「なにをですか」
「あずにゃんを落とすための作戦」
「なっ……」
「おやつのあ~んやデートはあずにゃんに嫉妬させるためだったんだ」
「それじゃ、お泊りとかは」
「それは単純に相談会議」
「そうだったんですか……」
 それじゃ、本当に二人は付き合ってなかったんだ……。や、でも。
「それなら、喘ぎ声はどうなるんですか」
「それは……、多分、アレかな?」
「あれ?」
「りっちゃんに、これだけは見とけって言われてビデオを渡されたんだけど、なんだか女の人が二人で裸になって遊んでるだけだったよ」
「遊んでるだけって……」
「一応二人で最後まで見たけど、何が楽しかったんだろう? りっちゃんはなんだか顔が赤くなってたけど……」
「そう、ですか……」
 これが唯先輩だ。唯先輩はきれいなままだということを理解して、安心した。でも、律先輩はお節介を焼きすぎですよ……。
「最後にひとつ言っておくとね」
 唯先輩は今までのほわほわとした雰囲気から一変、真面目な顔で私を見つめてくる。
「なんですか?」
 こんな唯先輩を見るのは初めてのことだから、反応に困ってしまう。なんというか妙にかっこよくて恥ずかしい。
 そして、そのまま私の耳元に口を持ってきて――
「私の好きな人は、後にも先にもあずにゃんだけ、だよ」
 ――そんなことを囁いてくるから、困る。
「な、な、な……」
「あずにゃんは、どうなのかな?」
 頬が一気に上気して、脳がトロトロに溶けているのに、さらに追い討ちをかけてくる先輩。
 その眼は、反則ですよ……。
「わ、わたしは……」
 頬をうっすらと桜色に染めて、潤んだ瞳で私の言葉を待っている唯先輩に、返事を返そうとしても、言葉が出てこない。
 だけど、言わなくちゃ。私のだいすきなひとの気持ちに応えないと。
 ――でも言葉が出ない。
『梓ちゃんは、唯ちゃんのことが好きなのよね?』
 ええ、好きですよ、大好きです。愛してます。なのにそれを伝えるための口が動きません。
『それなら、行動で示せばいいじゃない』
 行動?
『そう、言葉が出ないならキスをすればいいじゃない。それが最大級の愛情表現よ』
 ……キスですか。
『そう、やっちゃいなさい』
 恥ずかしいけど、うん。確かにこれしかないな。
 未だに私の言葉を待ち続けている唯先輩の頬を両手で挟んで、唇を押し付ける。
 唯先輩は私の行動に目を見開いたけど、すぐに瞳を閉じて私に体を委ねてくる。私も瞳を閉じると、腰に腕が回される気配を感じる。
 たっぷりと唯先輩の唇を味わって、先輩から体を離す――腰に腕が回されているから、少ししか離れなかったけど。
「ぁ……」
 少し物足りなさそうな唯先輩。
 その表情を見て、言葉を発する。今度は自然と口が開いた。
「愛してますよ、唯先輩」
「本当に?」
「えぇ、世界で一番、貴方のことを愛しています」
「あずにゃん……」
「先輩……」
 そしてもう一度、今度はさっきよりも深く唯先輩に口付けた――



Fin

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最終更新:2009年09月23日 22:05