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 今日は朝から唯先輩の様子がおかしい。
 登校時に唯先輩を迎えに行ったとき、いつもならすぐに抱きついてくるのに、今日は抱きついてこなかった。
 通学路を歩いているときも、いつもなら真っ先に手を繋ごうと言ってくるのに、今日は言ってこなかった。
 学校に着いても、いつもなら私の教室まで付いて来るのに、今日は下駄箱で分かれてそのまま自分の教室へと向かってしまった。
 後でムギ先輩に訊くと、授業中も上の空で、心ここにあらずだったらしい。
 ムギ先輩は「あれは恋わずらいね」なんて言ってたけど、本当なのだろうか。
 私の隣でギターの練習をしている唯先輩を、ちらりと横目で眺めてみる。
 全然集中できてなくて、何度も何度も同じミスをしているけど、先輩はそれに気付いてないのか、ミスを直そうとせずに、そのまま弾き続けている。
「唯先輩?」
「ほぇ?」
 返事をして、私のほうに振り向いたけど、その視線は私を通り抜けてどこか遠くを見ている。そして、その表情はやはり、心ここにあらずといった感じだ。
 ……先輩、あなたは一体何を考えているんですか?
 心の中で問いかけても、答えなんて返ってくる訳が無い。それに、たとえ声に出して言ったとしても、今の唯先輩だと答えてくれないだろう。
 唯先輩の眼中に、私はいない。
「……ッ」
 そう考えると、不思議と胸が締め付けられるような気持ちになった。愛用のむったんを膝の上に置いて、自由になった両手で唯先輩の肩を掴んで前後に揺さぶる。
 それでも唯先輩は私を見てくれない。私はほとんど泣きじゃくるようにして何度も、何度も唯先輩の名前を呼びながら、体を揺さぶり続けた。
 すると――
「……ぁ……」
「先輩!」
 小さな呟きと共に、どこか遠くを見ていた視線がぴったりと私を捉えた。その様子に、安堵する。ようやく、唯先輩に見てもらえた。
 だけど――
「あずにゃんか……。ごめん、私、そろそろ帰るね」
「え?」
「行かなきゃならないところがあるから」
 呆然とする私に目を向けないで、唯先輩はそそくさと帰り支度を始めてしまった。
 いつもならのんびりとするはずなのに、今日は妙に急いでいる。そのくせ気分は上々らしく、ルンルンと鼻歌まで聞こえてきた。
 やがて、荷物をまとめ終えた先輩は、ひょいっと鞄を背中に背負い込んで、音楽室の扉を開いた。
 どうしよう……、何か言わないと。
「あ、あの」
「それじゃ、また明日ー」
 だけど、呼び止めようとする私の声に耳を向けないで、唯先輩は素早く音楽室を出て行ってしまった。
 バタン、というドアの閉まる音を聞きながら、私は帰り際の唯先輩の表情を思い出す。
 ……うきうきと、まるでこれから誰かと会うのを楽しみにしているような、そんな笑顔だった。
『恋わずらい』
 確かに、さっきの唯先輩の顔はそんな感じで、そう考えると、
 ――胸の奥が、チクリと痛んだ。

「……で?」
「へ?」
 随分と長い間突っ立っていたみたいだ。ムギ先輩の声でようやく現実世界へと意識が戻ってくる。
「あ、あの、唯先輩は?」
「唯ちゃんならとっくに帰ったじゃない」
「あ、そ、そうですよね……はぁ」
 あれが夢だったらと思ってムギ先輩に尋ねるも、返ってきたのは悲しい現実。やっぱり、唯先輩は……。
「それで?」
「えっ」
 またしても思考の渦に飲み込まれそうになった私を、ムギ先輩が引き戻してくれる。
 一度ならず二度も助けてもらうなんて、感謝しなきゃ。
「あ、あの」
「唯ちゃんのことが大好きな梓ちゃん。さて、これからどうするのかしら?」
「……は?」
 一瞬にして感謝の気持ちが消え失せてしまった。この人は急に何を言い出すんだ……。
 ムギ先輩は相変わらずにこにことした笑みを崩さず、静かに私を見つめている。その表情に、何もかも見透かされているような気分になり、ふぃっと目を逸らしてしまった。
「梓ちゃんは、唯ちゃんのことが好きなのよね?」
「そんなこと無いですよ」
「そんなことあるわよ」
「どうしてですか」
「だって、唯ちゃんが出て行ったとき、梓ちゃんとっても悲しそうな顔していたもの」
「それは……」
 確かに。
 あのとき、私の声に返事をしないで出て行った唯先輩を見たとき、私は確かに悲しかった。……なぜかは解らないけど。
「だから、唯ちゃんのことが好きだからでしょ?」
「どうしてそうなるんですか」
「呆れた……、本当に解らないの?」
「解りません。だから訊いてるんじゃないですか」
 私が真剣にそう尋ねると、ムギ先輩はやれやれと肩を竦めた。
「それじゃ訊くけど、唯ちゃんが出て行ったとき、梓ちゃんは悲しかったのよね?」
「はい」
「唯ちゃんが恋わずらいしてるって訊いて、どう思った?」
「……よく解りません」
「解らない?」
「本当に解らないんです。何だか、胸の奥に針が刺さったような痛みを感じただけで……」
「それが、恋よ」
「え」
「梓ちゃんの感じた胸の奥のチクリとした痛み。これは恋をしている人に共通の感覚よ」
「そうなんですか?」
「えぇ。どうしてそんな感覚になるのかは解らないけど、きっと切なくて狂おしい気持ちがそうさせているんでしょうね」
「はぁ」
 私が唯先輩に恋をしている。
 その事実を、すんなりと受け止めることができたのは、薄々感付いていたからだろう。
 解っていた。だけど、それを認めるのは何となく悔しかったから、今まで目を逸らしていた事実。
 だけど、気付いて、認めてしまえば、それはこんなにも自然に体に溶け込む。
 切なくてほろ苦いけど、それ以上に心が暖かくなるような、そんな感じ。
「それじゃ、改めて訊くけど」
「はい?」
 唯先輩と一緒にいるときに感じるのと似たような感覚を味わっていると、不意にムギ先輩が声をかけてきた。
「梓ちゃんは、これからどうするの?」
「どうする、って……」
「唯ちゃんを追いかけないの?」
「……あ」
 そうだった。
 唯先輩は多分、誰かと会うために帰ったんだった。その相手は、唯先輩が恋をしている相手なんだろうけど。
 それを否定できたらまだよかったけど、残念ながら否定できるだけの材料が無い。
 朝からの唯先輩の様子。そして、私の心の奥を読んだムギ先輩が恋わずらいと言ったのだから、それは事実としか考えられない。
「梓ちゃん」
「はい」
「真実を知るのが怖いのは解るけど」
「……はい」
「それでも、ようやく自分の気持ちが解ったんだから、それをちゃんと伝えないとだめよ?」
「――はいっ!」
 勢いよく返事をして、私も帰り支度を始める。ずっと膝の上に置きっぱなしだったむったんを身長にケースの中へ入れて、その他の小道具を鞄にぽいぽいと放り込んでいく。
「それじゃ、今日はこれで」
「頑張ってね」
「はい! ありがとうございました、ムギ先輩!」
 私の感謝の言葉に、ムギ先輩はきょとんとした表情になり、やがて、にっこりとした笑顔を向けてくる。
「どういたしまして、自分に素直になるのよ」
「はい!」
 そして、私は音楽室の扉を開いた――

 さて、校門を出たのはいいけど、唯先輩はどこにいるのだろうか。
 困った。探すにも目的地がないと動きようが無い。
 ……と思っていたら、見慣れた路地裏に唯先輩らしき人影を発見できて、ほっと一息吐く。
 先輩は、しゃがみ込んで何かと喋ってるみたいだけど、ここからじゃよく見えない。
「唯先輩」
 声をかけて先輩の背中へと歩み寄ると、次第にそこにいる生物が見えてきた。
 ――猫だ。
 唯先輩の足元にいるのは、たくさんの子猫たちだった。
「どうしたんですか、その猫」
「わっ……何だ、あずにゃんかぁ、驚かさないでよ」
「別にそんなつもりじゃ……、それより、この子たちは?」
「可愛いでしょ~」
「や、そういうのじゃなくて……、まぁいいや」
 久しぶりに唯先輩のどこかズレた雰囲気を感じれて嬉しかったから、少々のボケには目を瞑る。いつもならすぐにツッコミを入れていただろうけど……、これが恋ってものなのかな。
 何より、猫とじゃれている唯先輩が本当に幸せそうだったから、それに水を差すのも野暮だと思ったのだ。子猫たちを見つめる先輩の瞳は、正に恋する乙女の……ってあれ?
「もしかして先輩」
「うん?」
「まさかとは思いますが、猫に恋してたりします?」
「あれ~? よく解ったねあずにゃん」
「……っ」
 その答えに、私はずっこけてしまった。
 まさか、そんなオチだったなんて。真剣に悩んだ私が馬鹿みたいじゃないですか。唯先輩らしいですけど、あんまりですよ。
 言ってやりたいことはたくさんあったけど、やっぱり唯先輩の笑顔を崩したくなかったから、胸の内に留めておくことにする。
 代わりに――
「おぅ?」
「ぎゅーっ」
 いつも先輩が私にしてくれるように、先輩の体を後ろからぎゅっと抱きしめた。そうすると、唯先輩独特のふわふわとした匂いが鼻孔をくすぐって、何とも言えない暖かい気持ちになる。
「あずにゃん、積極的だね~」
「たまには、いいでしょう」
「そうだね、たまには」
 いいかもねと呟いて、唯先輩は先輩の首に回した私の両腕をぎゅっと両手で掴んで、更に引き寄せる。
「わわっ」
 意外に力強く引っ張られて、そのまま唯先輩に凭れ掛かってしまった。
「ねぇ、あずにゃん」
「はい?」
「だいすき、だよ」
 その言葉に。
 予想もしなかったその言葉に、私はどきりとする。だけど、すぐにこれはいつものすきなんだと考えて、冷静になった。
 先輩は本当にずるい。いつも私が言おうとしたことを先に言うんだから。だから、今日は仕返しをしてあげようと思う。
「唯先輩」
「なに?」
「私も、先輩のことが、だいすきですよ」
 告白と同時に、唯先輩の左頬に私の唇を押し付ける。その行為に、唯先輩はびっくりとした表情になったけど、すぐに笑顔になった。
「あずにゃんにちゅうされちゃった」
「しちゃいましたね」
「どうしてちゅうなんてしたの?」
「たまには、いいでしょう」
 結局、本当の気持ちを言えずに、ごまかしてしまう。
 唯先輩は大して気にもせずに、ただ一言「そっか」と呟いてまた子猫たちとじゃれ付き始めた。
 その様子を見て、私は決心する。
 いつか、絶対に、あなたに告白しますから。
 ――だから、そのときまで待っててくださいね?



Fin