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少年追い易く信頼成り難し ◆5xPP7aGpCE



この島が本来何と呼ばれていたのかは判らない。
元々の住民の姿は既に無く、今島に居るのは外からの新参者のみであり彼らにもその知識は無い。
彼らの内何人かが短時間の探索で島の手掛かりを求めたものの島内地図から看板や住宅の表札に至るまで
島の固有名詞が入るべき所には全て日本の命名法からは考えられないアルファベット3文字だけが記されていた。

すなわち『ksk島』と―――

その島の一角、海から程近い立地の本来は観光客向けらしきショッピングモールを、怯えた表情の少年が飛び出してきた所から今回の話は始まる。



       ※       ※       ※       ※



「はっ!はっ!はっ!はっ…!!」

碇シンジはとにかく必死だった。
観光客向けの土産物店や体験工房の並ぶ通りを走る途中、突然後ろに何かが落下したらしい衝撃と轟音に襲われたが振り返って確かめる余裕すら無い。
とにかくここに留まるのは危険、頭を占めているその警告に突き動かされて無我夢中でさらに強く足を動かした。
元より規模も大きくないモールである、少し走ればすぐ敷地外へ出てしまう。

死にたくない、死にたくない、死にたくない。
とにかくここから逃げよう、でも僕は何処へ行けば!?
すぐみくる達が追いかけてくる、早く離れなきゃ!

店舗群を抜けそのまま駐車場を横断し、道路に出たシンジは走りながらパニックに陥った頭で自分の逃げ道を考える。
目の前は海岸ですぐ近くに海が迫っている―――駄目だ、隠れる場所も無いし直ぐ見つけられてしまう!
このまま道路を走って逃げる?―――やっぱり駄目だ!こんな開けた場所僕の足じゃ逃げられない!
じゃあ戻って何処かの店に隠れる?―――出来ない!戻ったら隠れる前に捕まる!

モタモタしているとみくる達に捕まる、シンジは焦りながら幾つかの選択肢を考えて潰し最後に至った結論として道路の脇へ飛び出した。
そこは茂みだった、むっとした草の青臭い臭いが呼吸の度に鼻腔を満たす中、腕が傷つくのも構わず必死に草を掻き分けてとにかく島の奥へと向かう。
モールの方からは今度は何発もの銃声が響いてきた、更なる恐怖に怯えつつシンジは一刻も早くここを離れたいと思った。
冷静に考えれば地図も食料も水すら持たず、更に禁止エリアの情報も知らずに闇雲に見通しの悪い場所を動くなど誰が見ても無謀極まりない行動である。

しかし、極度に追い詰められた(と思い込んだ)シンジが何より優先したのは命の確保。
あのままモールに留まっているよりも今の状態の方がマシだ―――それが碇シンジの結論だった。



       ※       ※       ※       ※



「ムハ~、どうやらここから山の方へ向かってしまったようですな」
「道路の真ん中を走るのが危ない、と気付く程度の判断力は残されているみたいね。すぐに追いかけましょう!」
「万太郎くんの事も気になりますけど…今は任せるしか無いですね」

一方こらちはジ・オメガマンへの対処をキン肉万太郎に任せてきた二人と一匹、即ちハム、朝比奈みくる、川口夏子である。
遅れてモールを飛び出した時にシンジの姿は駐車場にも道路にも海岸にも見当たらなかった。
しかし注意して周囲を見渡すと道路脇の茂みが不自然に踏み荒らされており、ちぎれた草の新鮮な断面からもここを通ったのはシンジ以外に考えられなかった。
早速夏子を先頭にハム、みくるの順番で茂みの奥へと入り踏み跡を急ぎ足で辿り始める。
既に陽は高く昇っており、強い日差しによって草の中は蒸れていた。
暑さに慣れている夏子や大自然に親しんでいるハムはともかく、一番アウトドアと縁遠いみくるが三人分の踏み跡を通れば良い最後尾になるのは適切な配置と言うべきか。

「お二人共、ちょっと宜しいですか? このままシンジさんに追いつく前に我輩は聞きたい事があるのですが」

だが、百メートルも歩かない内に突然ハムが立ち止まりるとそんな事を言い出した。
ハムの後ろを歩いていたみくるは当然止まらざるを得ず、夏子も訝しげな表情でハムの方を振り返る。

「何かしら? 今はのんびり話している程暇じゃないと思うのだけど」
「ムハ、焦る必要はありません。シンジさんの事は踏み跡を辿れば追いつけます、それより我輩は何の考えも無しにシンジさんを追う事の方が気になるのです」
「ではせめてゆっくりでも良いので進みながら話していただけませんか?さすがにここで止まっている訳にもいきません」

突然だったが二人も先を急ぎつつ一応話を聞く気はある様だ。
その事に満足したのかハムは歩みを再開する、但し先程よりもゆっくりと。

「では我輩の質問です、突然シンジさんが出て行ってしまった原因に本当に心当たりは無いのですか?」

シンジが眠っている最中、ハムは万太郎と共に別室で彼と夏子の話し合いの結果を待っていた。
だからこそシンジが目覚めてから夏子或いはみくるとの間で何があったのかが判らない。
夏子は先程万太郎に対してこっちが聞きたいと言っていたが落ち着いた状況の今、改めてハムは聞いてみたのだ。

「…無いわね。その時は私と様子を見に来た朝比奈さんとの間でちょっと話をしていたのだけど、その時突然飛び起きてそのまま飛び出したのよ」
「それは確かに突然ですね。では話の内容に問題は無かったのですか?シンジさんに誤解されるような内容であったのかもしれません」
「それも無いと私は思います、少なくともシンジくんの名前は一度も出してませんし…途中から聞いていたとしても危ない内容ではありません」

その点は二人も気になっていたのだろう、考えている間にハムの歩くゆっくりしたペースに自然と歩調を合わせてしまった事に気付かない。

あの時交わしていた会話は筆談をカムフラージュする為の軽い雑談でしかなかった。
具体的には互いの疲れ具合や大まかな行き先の確認程度、しかもすぐシンジが飛び起きた為にごく短時間しか行っていない。
シンジの寝ていた場所からは筆談の内容は見えず、見えていたものといえば彼にとって見知らぬ天井と二人の会話する姿だけのはずだ。

「どうやら我輩の判断ミスです、夏子さんに話していただければ誤解が解けると思いましたが…話そうともしなかったという事はシンジさんの状態は予想以上に悪かった。それに気付けませんでした」
「それを言うなら私にも原因はあるわ、最初に考えた通りシンジ君を紐で縛っていればこんな事にはならなかった」
「私もです、縛るは可哀相と反対しましたし…、だからと言って縛っておけば良かったなんて思ってもいないのですけど」

夏子とシンジだけの対話を提案した事をハムが詫びると二人共自分達にも原因は在ると口にした。
まさかシンジが話も聞かずに飛び出すとは予想していなかったのは誰も同じ、責任は誰に在る訳でも無いのであるが何となく空気が重くなる。

「話を変えて次の質問に行きましょう、夏子さんは何故30分以上経ったのに出発しようとしなかったのですか? E-10は既に禁止エリアになってしまいましたよ?」
「それについては何も言い訳はできないわ…一言で言うとシンジ君を少しでも休ませてあげたかった、私の甘い考えが原因よ」
「夏子さん!それは甘い考えなんかじゃ…」

ハムが気になっていた点を前を歩く夏子に問いかけるとそんな答えが返ってきた。
そしてその内容は夏子を冷静な判断が出来ると評していたハムはもちろん、みくるにとっても意外なものであった。
しかし夏子はみくるの言葉を遮って口を開く。

「言っていなかったけど私には弟が居る、名前は春夫。だからこそなのかしら、年下のシンジ君を放っておけなかった原因は」

歩く度にがさがさと草を踏みしめる音が何故か二人と一匹の耳に大きく聞こえる、ハムとみくるは黙って夏子の言葉を聴き続けた。
その弟とシンジは見た目も性格も全く似ていないらしいが話し振りから普段兄弟想いの彼女にとっては完全に見捨てる事が出来なかったらしい。
夏子自身も自分の心がよく判らないそうだが大きく外れてはいないだろうとみくるは思った。

「それに私はシンジ君の事を言葉で傷つけてしまったかもしれない、それも気にする原因なのかしらね」

淡々と語り終えて夏子は自分でもらしくない、と思った。
弟は大事だがシンジは完全に赤の他人だし相手を傷つけたからといって普段は気にする事も無い。
なのにこの島で初めて出会った少年を気にかけるのは自分でも原因がわからない。
先程口に出した事も自然に口から出た訳であるがそれが自分の本心なのかは夏子本人にも判断が付かない。
思わず「はあ」とため息が出る。
脳裏のもやもやを振り払うようにティバックからペットボトルを取り出すと一口だけ喉を潤した。
それを見てハムもみくるも自分のペットボトルを取り出すと水分補給を図る。
冷たい水(ティバックの中に入れている間は温まらないらしい)がこんなに美味しいと思ったのは久しぶりです、とみくるは思う。
気温もだんだんと上昇しておりハムを除いた二人の背中には汗で衣服が貼り付いてしまっていた。
そういえばシンジは水も持っていないと二人と一匹は改めて気付く。

「色々話してくださってありがとうございます夏子さん、ですがこのままシンジさんに追いついたとして話を聞いてくれるとはとても思えないんです」
「ハムさん、でも放っておく訳にいきません。何とかシンジ君を連れて帰って万太郎さんとも合流しませんと」
「そうね、こうなったら無理にでも話を聞いてもらうしか無いと思う」

ペースは先程と同じだが話しているうちに傾斜は徐々に険しくなり周囲の木の数も増している。
陽はさらに高くなっている筈なのに木が増えた事で木陰が増え、やや薄暗くなっていた。
背の高い草の中を進んでいたはずであるがいつの間にか森の入り口にまで進んでいたらしい。
前方に目を向けると草の踏み跡に加え、木の枝がそれに沿う様に折れておりシンジの通り道をはっきりと示している。
気のせいか踏み跡も途中で所々で乱れており、体力の低下から姿勢を崩した結果だろうと一目で判った。
このまま行けばやがて追いつくのは間違いない。

「すいません、夏子さんもみくるさんもここで止まって下さい。シンジさんを連れて帰るかどうするか、我輩の意見を言わせていただけないですか?」

ここでハムは再び立ち止まった。
その内容とシンジはここから程近いという確信から夏子とみくるも今度は素直に立ち止まる。

「また突然ね、一応聞いておきましょう。朝比奈さんは構わないかしら?」
「はい、シンジ君ももう遠くないみたいですし…ハムさんの考えも聞いておきたいです」

出会って間もないこの『モンスター』が何を言い出すのかと二人は腰を落ち着けた。
自分もシンジへの対処には困っている。
頭が回り、抜け目の無い性格の彼の提案は聞く価値があると夏子は踏んだ。
みくるにしても意見は多い方が良いらしい。

「その前に一つ確認させてください、お二人共このままシンジさんを捕まえたとして素直に一緒に来てくれると思っているのでしょうか?」

そう言ってハムが夏子とみくるの顔を見比べる。
しかし二人が何かを言う前に浮かんだその表情からハムは答えを直ぐに察した。

「ムハ~、二人共手詰まりですか。これでは追いついて連れ戻したとしても元の木阿弥ですね」
「シンジ君が考えを改めてくれる、というのは流石に楽観的過ぎますよね…」
「あの怯えた表情と慌て様、私もあそこまで追い詰められた状態の人は見たことが無いわ」

ハムの脳裏には自分と万太郎を見て焦点の合わない眼で滅茶苦茶にナイフを振り回すシンジの姿が、
みくるの脳裏には突然ナイフを振りかぶって自分に襲い掛かってきた豹変したシンジの姿が、
夏子の脳裏には必死な表情で拳銃の引き金を引こうとするシンジの姿がありありと思い出された。

「シンジさんの島に来てからの経緯は店の中で簡単に聞きましたが…、恐らくはそれだけでは無くてここに来る前から既に追い詰められていたのかもしれないですね」
「そうかもしれないわ、私もシンジ君から元居た世界での話はあまり聞いていないけど。だとすれば私達が無理に話しても納得してくれない可能性は高い」
「そんな!ではどうするつもりなんですか!?流石に見捨てる訳にはいきません…」

説得による解決に目処が立たない事にみくるは表情を曇らせる。
しかし夏子をそれに対する答えを用意してると思われるハムに視線を向けて話すように促した。
みくるもそれに気付きハムに注目する。

「落ち着いて聞いてください。結論から言いますと我輩はシンジさんを今は連れ戻さない方が良いと考えます」
「っ!それはどういう意味ですか!?」

説得が無理だから見放すという事か。
みくるは思わずハムに詰め寄る。
夏子といえばそれも選択肢の一つとして考えていた節がありあまり驚いた様子は無かった。

「勘違いしないでください、我輩は見捨てるとは一言も言っておりません。ただシンジさんにはしばらく時間が必要だと思うのです」
「時間?時間が経てば考えを改めるというの?だとしたら甘いわね」

時間を置いて頭を冷やした所で果たして一緒に行動できるのか。
何故自分達に襲い掛かってきたのかそもそもそこが解らないのだ。

「話は最後まで聞いてください、頭を冷やして落ち着いてもらうという意味ももちろん有りますがその間に私達が出来る事があるのです」
「私達が出来る事?シンジ君にはこのまま隠れてもらって私達が脱出の方法を探すという意味で良いのかしら」

それがハムの意見なら夏子としても理解できなくも無い、先程朝比奈さんから主催者に関わる情報を伝えられたばかりなのだから。
もっともハムにはまだ話しては無いが。
しかしハムはそれも不正解とばかりに首を横に振る。

「ムハ~、それでは半分だけ正解ですね。先程話した様にシンジさんがああなった原因が元の世界からあるのでしたら元の世界の知り合いに解決してもらうのが良い、そう思いませんか?
 つまりこういう事です、この先シンジさんと接触して素直に我輩達の事を信頼してくれるのでしたらそれで良し、信頼してもらえない場合当分見つかり難い場所に隠れていてもらいます。
 その場合シンジさんが隠れている間に我輩達は北へ向かってシンジさんの知り合いの方を探して保護か説得を依頼するんです、もちろんその間に考えを改めてもらえれば言う事はありません」

それを聞いて夏子は内心舌を巻いた。
シンジの為とは言いつつ、説得が不調に終われば(むしろその可能性が高い)ハムの元からの目的である市街地での仲間集めに直ぐ行動を切り替えられる。
さらに彼の知り合いを探すという名目で夏子達と協力の元積極的に他者と関われる他、途中アクシデントでシンジの名が放送で流れたとしてもハムは大して責任を被らずに済む。
万太郎が何と言うかは判らないが途中見失った等、言い訳はいくらでも効く。
この提案にハムのシンジを思う気持ちがどの程度含まれているのか不明だがそれは問題ではない。
夏子もハムと目的の大部分は一致している為、この提案に反対する理由は少ないのだ。

「でも、さすがにシンジ君が危険過ぎます!」

その少ない反対理由、シンジの安全性についてすぐさまみくるが心配の声を上げた。
しかしハムもそれは予想のうちらしく平然として説明を続ける。

「確かに隠れていても危険はあるでしょう、しかしそれはこの島の何処に居ても同じだと思うのです。それに我々もあの空から降ってきた怪人と戦っても勝てる自信は少ないでしょう?
 情けない事ですがそんな我輩達とシンジさんが一緒に行動したとしても変わりはありません。それならシンジさんに立ち直ってもらって頼りになる人に保護を求めた方が良いと思いませんか?
 正直今のシンジさんを積極的に保護してくれるのは万太郎さんの様なよっぽどのお人好しぐらいです、しかし立ち直ってくれるのなら保護する方も気楽に応じてくれるのではないでしょうか、
 それに人のあまり通らない山の中と危険人物も当然居るでしょう市街地ではどちらが安全かと思いますが」

連れても連れて行かなくても危険性には大して変わりない。
むしろ人の多い市街地に向かう方が危険性が高まるのではないかとハムは丁寧に解説する。
反論できずに黙ってしまったみくるに対してハムはさらに畳み掛ける。

「みくるさんの気持ちもよ~く判ります、しかしここはシンジさんの気持ちも考えてあげてください」
「え?シンジさんの気持ちですか?一体どういう…」

シンジの安全を気にかけているはずなのにそう言われてみくるは戸惑いの表情を浮かべた。

「今のシンジさんは我輩達が見た通り大変混乱している状態です、そんなシンジさんを無理に連れまわすのは彼を更に追い詰める行為では無いのですか?」
「それは!でも、やっぱり…」

果たして嫌がるシンジを無理に連れ戻すのは正しいのか?
その行為に正当性はあるのかと問われればみくるも強く言えない。
彼女の気持ちが動いている事を確かめてハムは駄目押しを行う。

「もちろんシンジさんの身の安全には配慮します、幸い我輩の支給品に使えそうな品がありますからそれを使ってもらいます」

そう言ってハムは自らのティバックを開く。
そこから取り出された物に夏子は少しだけ眉を潜めたものの既に彼女はハムの提案に乗っても良いと考え始めていた。
ポン、と黙っているみくるの肩に夏子は軽く腕を乗せる。

「朝比奈さん、とりあえずは最初だけハムに任せてみようと思います。その結果如何でその後どうするか判断しても良いでしょう?」
「夏子さんがそう言うのでしたら…」

夏子が賛成に回った事、そして最初の結果如何と聞いてみくるも心配が消えないながら納得する。

「ムハ、決まりですね。それでは最初は我輩がシンジさんに会ってみますので二人はこれを使ってその様子を伺ってください。
 夏子さんとみくるさんと話さえしようとしなかったのでしたなら今回は我輩が行くのが順当でしょう」

ハムはさらに別の支給品を取り出すと夏子に差し出した。
夏子は説明書ごとそれを受け取ると隣のみくると顔を見合わせる。
そして手際よくこれからの手順を説明するハムとその内容に夏子もみくるも更なる驚きを隠せなかった。



       ※       ※       ※       ※



一方、そんな会話が成されていた少し前の事。

次第に深くなる森の中、シンジはただひたすら荒い呼吸を繰り返しながら必死に足を動かした。
いや、動かそうとしたが驚くほどゆっくりとしか前に進まない。
足だけでない、腕もこんなに重かったのかと思うほど持ち上がらず枝を掴んでもすぐ腕が離れてしまう。
さらに水分補給もせずに走り続けたせいで喉の渇きは尋常ではない。
汗は服から染み出る程流れているのに口の中は粘っこい唾しか出てこない。

「喉、渇いたな…」

ふらふらになりながら近くの木にもたれ掛かる。
追いつかれるという恐怖よりも今は自分を襲う暑さと乾きの方がシンジには恐ろしかった。


そもそもこんなはずじゃなかった。

夏子は厳しいけど頼りになる人で、僕の事を助けてくれた。
意見の違いもあったけど夏子さんなりに考えた末だという事は理解できた。
けど、そこにあの女がやって来て。
あの女―――

みくる。
そうだ、あの朝比奈みくるが全部仕組んだ事なんだ。
夏子さんを騙して、北に向かわせようとして―――しかし僕にそれを気付かれてしまった。
僕が逃げようとすると化け物を呼び寄せて無理矢理自分の所にを連れ戻した。
そして僕を勘違いだ何だと誤魔化して丸め込もうとしていたんだ。
夏子さんはあいつにすっかり騙されてしまったんだ。
一緒に居たあの変な奴はみくると同じ主催者の手先かもしれない。

だから捕まるわけにいかない。
アスカ、カヲル君…僕を助けてよ。
暑いよ。
水、水が欲しいよ…

シンジの意識は朦朧としていた。
暑さと無理な運動で大量の汗を流した事で脱水症状に陥りかけていたのだった。
通常はそのような場合、すぐさま木陰で横になり水分の補給を行わなければならない。
しかし今のシンジには荷物も無く、横になるべきと声を掛ける仲間も居なかった。
ただ幽鬼の様に木に身体を預けながら少しずつ森の中を移動する。
だが、それも直ぐに限界が来た。

何かに足を取られたのか、シンジの身体がどさりと前方に倒れ込む。
そのせいで失いかけていた意識が覚醒したがもはや身体を動かす気にはなれなかった。

駄目だ、止まっていちゃ駄目なのに動けない。
喉が渇いた、水…
水!?

薄ぼんやりした視界の先で何かがキラキラと輝いている。
耳を澄ますと木がざわめく音に混じって何かが流れる音が確かに聞こえた。

―――川だ!

シンジは疲れも忘れて思わず眼を見開いた。
それは小さくて、僅かな流れではあったが確かに地図にも記された川だった。
森の中を横切る窪んだ地形に沿ってサラサラと水が流れている。
眼を輝かせたシンジは這い進むように身体を前方に向かわせて顔を小川の中に突っ込んだ。

「ゴクッ!ゴクッ!ぷはぁっ!」

生き返った、無我夢中で水を喉に流し込みながらシンジは心からそう思った。
水はほどよく冷えており暑かった身体も冷えてゆく。
気の済むまで飲んだ後、小川の横に大の字に仰向けになってシンジはようやく人心地が付いてきた。

「これから僕はどうすれば…」

落ち着いてくると地図も食料、水も一切持っていない現状が最悪だという事をひしひしと実感する。
だからといってシンジには今からモールに戻る気にもなれなかった。

今度は殺されてもおかしくない。
第一地図やコンパスも無いのに闇雲に動けない、学校でも注意されたんだった。
学校…、トウジ、ケンスケ、カヲル君、綾波、みんな僕の前から居なくなってしまった。
アスカはこの島に居るみたいだけど会えて無い、僕は独りぼっちだ…

一人で居る事に心細さを感じ、シンジは思わず自分の身体を抱きしめる。
突然の声がそんなシンジに掛けられたのはその時だった。




「シンジさん!シンジさんじゃないですか!」

聞き覚えの無い声に思わずシンジは上体を起こす。
一瞬誰かが来てくれたという安堵を感じてしまったが、声の主を確認してたちまちシンジの表情が引きつる。

「お、お前はっ!? うわぁーっ!」

森の中に少年の悲鳴が響きわたる。
何しろシンジの視線の先に居たのは人間ではなかったのだからある意味当然の反応かもしれない。
姿かたちだけならシンジにもお馴染みの動物だったのだがその大きさが人間サイズ、更に立って喋るとなればもはや別の生き物と言って良い。

あ、あいつはみくるが呼んだ化け物の仲間だ!
もう追いつかれたのか!?
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!
死にたくない、死にたくない、死にたくない!

シンジは無我夢中で手に触れた石を喋るウサギに向かって投げつける。
狙いなんてあったものでは無い、ただ手に掴んだものを闇雲に投げ続けた。

「来るな!来るな!来るなーーっ!」

少ない体力を使って声を張り上げ大きさに関わらず石を投げる。
当たったのかどうか確認する余裕も無い、ただ自分を追ってきた喋るウサギを追い払いたい。
どれ程石を投げたのかわからないがふとシンジが気が付くとウサギは頭を抱えてガタガタと身体を震わせていた。

「え?あれっ…?」

投げた石が何処か急所に当たりでもしたのだろうか、あまりのあっけなさにシンジは驚き戸惑った。
するとウサギが酷く怯えきった表情でシンジを見ながらズリズリと後退し始めた。

「ひ、ひいっ…、命ばかりはお助けを…」

涙目で命乞いされ、シンジはこいつ全然大した事ないんじゃいか?と思い始めた。
試しに小さな石を投げつけてやると顔の近くを掠めただけに関わらずひっ、と更に怯えた表情を見せる。
それを見たシンジは自分とウサギでは人間の自分の方が強いんじゃないか、と少しずつ自信を取り戻し始めた。

「何だよ!そんなに弱いくせに何故僕を追って来たんだよ!」

震えるウサギに対しシンジは思わず強気に出た。
威嚇するように落ちていた木の枝を拾って前に向かって振り回す。

「な!?一体何の事です? わ、我輩は夏子さんやみくるさんともはぐれて、敵から必死に逃げた先でようやくシンジさんを見つけたんです…」

そのあまりにも意外な言葉にシンジは戸惑うがすぐに信じる気にもなれなかった。

「嘘だっ!そうやって僕をあの女の元に連れ戻そうとしているんだ!」
「ほ…本当です!、シンジさんが飛び出した直後に敵がやって来て皆バラバラになって…」

そう言うと喋るウサギはボロボロと涙を零し始めた。
よほど怖い目に遭ったのか、身体を縮めて嗚咽している。
しかしシンジはそんなウサギに対して警戒心を緩めたり慰めようともせず、歯を食いしばって木の枝を振り下ろしてきた。

「嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!、夏子さんと同じ様に僕を騙す様みくるに命令されたんだろう!」

絶叫しながらピシリピシリとウサギを繰り返し叩く。
ウサギは腕で枝を受けつつ必死で弁解を繰り返した。

「は、話を聞いて下さい!あのみくるさんが人を騙しているなんて何かの間違いです…」

腕をウサギにしがみ付かれてシンジの動きが止まる。
その間必死にウサギはみくるの弁解とシンジの事が心配だと繰り返していたが聞く度にシンジの苛立ちは強まっていった。

「黙れーーっ!!みくるは主催者の手先なんだ!そんな女の事もお前なんかの事も信じられる訳ないじゃないか!!」

渾身の力を込めてしがみ付いたウサギを突き飛ばすとシンジは木の枝を大きく振りかぶる。
しかしそれが振り下ろされる前にウサギは悲鳴を上げながら茂みの奥へと逃げ去ってしまった。

「はあっ!はあっ!はあっ…!」

完全にウサギが居なくなったと思ったシンジは膝をついて荒い呼吸を繰り返した。
また疲れてしまったけど今度は休んでもいられない、あのウサギが仲間を連れて戻ってくるかもしれないと考えたシンジは枝を杖代わりに立ち上がり、落ちているティバックに気が付いた。

「あのウサギが落としていった物なんだ」

何時までもぐずぐすしてはいられない。
思わぬ戦利品だがここで中身を確認している暇は無かった。

「みくるを何とかしないと…でも大人は誰も信用できない…」

そんな独り言を呟くと、シンジはそのまま川に沿って森の奥へと消えていった。
後には静寂が戻り、ただこんこんと水の流れる音が静かに草を揺らすだけだった。



       ※       ※       ※       ※



「ムハ~、お二人共しっかり聞いてましたでしょうか? 残念ながら説得は失敗でしたが成果はありました」

再び場面は変わり、喋るウサギ即ちハムが走り去った先では茂みの中から浮かない表情の二人の女性が姿を現していた。
先程シンジとハムが接触した場所からの距離は数十メートルといったところか。
しかし間には多数の樹木が茂り、シンジからは全く見えない場所である。

「まさかシンジ君が朝比奈さんの事をそんな風に思い込んでいたなんて。何をどうしたらそんな考えに至ったのかしら」
「それよりハムさんは大丈夫なのですか? 随分シンジ君に叩かれてしまった様ですけど…」
「我輩は全然平気です!体力の落ちたシンジ君の腰も入っていない枝ごとき何て事はありません、ムハハハハハ!」

夏子は明らかになったシンジの心の内に驚きを隠せず、みくるも非情に驚いたが真っ先にハムの心配をしたのは彼女らしいというべきか。
接触の間、ずっと茂みの中で聞き役に徹していた二人は耳からヘッドフォンを取り外してため息を吐く。

「思った以上の性能ね、一言も漏らさずに二人のやり取りを拾ってくれたわ」

ハムの支給品である高性能指向性マイク、それを使うことで夏子とみくるはシンジに気付かれる事無く接触の様子を伺っていたのである。
その電源をOFFにすると二人と一匹は改めて今後の事を話し合い始めた。

「自分がどうにも出来る弱い相手でしたらシンジさんも余裕を持って向き合ってくれると思いましたが…、それでも結果はご覧の通りでした」

そう言ってハムが肩を竦める。
ハムとしても説得が成功に終わる可能性は低いと予想していた為にそれ程落胆した様子は見られなかった。

「それでもシンジさんが逃げた理由が見えてきたので接触した甲斐がありました。我輩と万太郎さん、夏子さんもみくるさんに操られているとは驚きです」
「判っているだろうけど朝比奈さんはそんな人で無いのは間違いないわ」
「もちろんです、我輩これでも人を見る目はあるつもりです。ムハッ」

釘を刺す夏子に対してハムは軽く笑った。
しかしみくるの表情は優れない。

「しかしどうして…私がシンジくんを騙すなんて思ったのでしょう?」
「そうね、そこが私にも全く判らないわ」

先ほどからみくるはそれを何度も考えていたが納得のいく答えは浮かばなかった。
心当たりが無い訳ではない、主催者である長門と自分の関係を知ったのだとすれば主催者の手先と思われても仕方ない。
しかしみくるがそれをモールに居た他人に明かしたのは夏子が初めてだ。
それ以前は夜中に一人の少女に話しただけ、少女はそれ以後見ていない。
二人の接触中、夏子もそれに思い当たったらしく目で問いかけられたが首を振って否定するしかなかった。
ハムはこちらをキョトンと見ているが長門との繋がりをまだ明かして良いのか判らない。

(エスパーでも無い限り判らないはずです)

何気なく思った、そして次の瞬間みくるの背中を何かが走りぬけた。

(エスパー、超能力―――まさか!?)

みくるは愕然とした。
ひょっとしたらシンジは超能力者ではないのだろうか?
それなら誰にも話さなかったはずの自分と長門の関係を知ったのも納得がいく。
しかも実際にみくるは超能力者と身近に付き合っていたのだ。

(さすがに考えすぎかもしれません、ですが注意はしておきます)

シンジに何らかの特殊能力が有って長門との関係を知られたとしても何故主催者の手先と決め付けられ、夏子やハム達を騙したと受け取られたのかは判らない。
しかし他に思い当たる理由が無い以上は『碇シンジは超能力者』という可能性を念頭にいれた。

「みくるさん、何か気付きましたか?」

そんなみくるの様子が気になったのだろう、ハムが話して欲しいと言ってきた。
だが説明の為には自分と長門との関係を明かす必要がある。
どうしましょう、と夏子の方を見るが彼女はまだ時期早々と言いたげな視線を返す。

「…わたしにも確信の持てる答えは浮かびません。だからこの話は今はお終いにさせて下さい」

結果、その原因を探る事は後へと先送りする事が決定した。
みくるがすまなそうにハムを見ながらそう言うと思わず顔を伏せる。
如何にも何か隠しているという態度ではあったがハムは特に気にした様子は無かった。

「別に良いですよ、二人が今話すべきでは無いと判断したのでしたら我輩もこれ以上は聞きません」
「…ごめんなさい」

そんなハムにみくるが謝る。
仕方無いとは判っているがそうせずにはいられなかった。

「話を変えましょう。夏子さん、みくるさん、これからシンジさんを捕まえますか?」

それはハムが提案した行動計画に賛同するか否か、その回答を訊ねている事に他ならない。
元よりハムの接触の結果を見て夏子とみくるは答えを出す事になっていたのである。
一瞬沈黙が支配する、最初に夏子が口を開いた。

「北へ向かいましょう。説得の見込みが無くなった以上、ここに居ても仕方ないわ」
「わかりました、夏子さんは賛成という事ですね」

ハムが念を押すと夏子は無言で頷く。
三人の内、二人が賛成に回った以上決したと言えるがハムはみくるの回答も待つ。

「…そうですね、シンジくんには信頼できる相手に話してもらった方が判ってくれるかもしれません」
「全員の意見が一致しましたか、決まりですね」

みくるはまだシンジの事が心配ではあったが、そんなシンジが何より自分を疑っている事がショックだった。
ここに残していくのも気がかりだが無理に連れ戻したとしても問題が解決する自信が無い。
なら、ハムの提案に乗る方がシンジの為になるのではないか、そんなふうに考えてしまう。
二人と一匹は互いに顔を見合わせて異論は無い事を確認した。
ここからはシンジを置いて北に向かう事を前提とした話が行われるのだ。

「それで夏子さん、みくるさん、肝心のシンジさんのお知り合いについて心当たりは?」

ハムが探し人について訊ねる。
シンジの交友関係についてはハムは何も知らないのだ。

「アスカ、という女の子が参加していると聞いているわ」
「アスカちゃん!? 私、会っています! ゲームが始まった頃、森の中で会いました!」

夏子が呟いた名前にみくるが驚いて反応した。
まさか身近な人物が答えを知っているとは思うはず無く、それを聞いた夏子も驚いた。

「ムハ~!凄い偶然ですね、詳しく話を聞かせてください」
「会ったとはいいますけど近くに居た女の子の保護をお願いして直ぐに別れてしまいました。どちらに向かったのか見当も付きません」
「それでも姿を知っているというのは大きいわ、これから接触を試みるとしても一度会った相手なら警戒心も多少薄くなるでしょう」

そう言われてみくるは夏子とハムにアスカの容姿や服装を伝える。
シンジと同年齢の、彼とは対照的な気の強い女の子の事を。
何となく涼宮さんとキョンくんの関係が浮かんだが二人がどんな関係なのかは判らない。
それでも元の世界の知り合いと会えるのは大きいとみくるは思った。

「市街地でそのアスカさんとパソコンを探すのが当面の目的ですね、ですが出発の前にちょっとした作業が必要です」

そう言うとハムが先程シンジと接触した小川のほとりへと歩き始める。
何をする気なのか、と夏子とみくるはその後を追った。

「シンジさんと我輩達の踏み跡を誰かが見付ければシンジさんが見つかるかもしれません、ちょっとしたカムフラージュですよ」

ハムは手早く争いの跡を消す作業に取り掛かっていた。
シンジの靴跡やハム自身の足跡、不自然に散らばった石などを丁寧に抹消してゆく。
二人が見ても手馴れている、と思える程滑らかな動きで痕跡はたちまち消えていった。

「これでお終いです、シンジさんがこの奥に行ったとは判らないでしょう?」

川に沿って上流に向かったはずのシンジが通った証拠は注意深く見ても二人の目には全く映らなかった。
その手際のよさに夏子もみくるも一言も文句は言えない。

「でも今までずっと付けてきた踏み跡はどうするんですか?」
「ああ、それなら我輩達がこれからその先を市街地まで付けてゆくのですよ」

みくるの疑問にハムが即答する。
成る程、三人と一匹分の足跡から一人分消えたとしてもまず判らない。
これで誰かが痕跡を辿ったとしてもシンジにたどり着く事は無い、という訳だ。

「それにちゃんとシンジさんは禁止エリアの書かれた地図と食料、それに例の道具を持っていってくれました。あれで当分は過ごせるでしょう」

つまりはこういう事だ。

単純に食料と水を届けたのでは罠と疑われて捨てられるかもしれない。
その為、テイバックを落として去っても不自然ではない状況を作り出すことで疑われる事無くシンジに必要な品を届けたという訳である。
ハムの演技にはその様な意図も含まれていたのだった。


「でも、その為にハムさんのティバックが無くなったんですね」

みくるがすまなそうな視線をハムに向ける。
予め自分の必要な分は抜いてあったがそれでも荷物を持ち運ぶのに便利なティバックを失ったのは痛い。

「なら私のティバックをハムさんに差し上げます、中身全部という訳にはいきませんけど」

そう言ってみくるは自分のティバックをハムに差し出した。
しかしハムはそれを受け取る事無く押し留める。

「これは受け取る訳にはいきません、あれは我輩が勝手にやった事です。それに荷物の事でしたらご安心を。
 夏子さん、紐を少し頂けませんか?」
「これ? 構わないわよ」

夏子が自らの支給品であるビニール紐を取り出すとハムは何回かに分けてそれを切り出す。
するとハムは拾ってきた手ごろな枝の端に手際よく紐を括り付けペットボトルや食料の袋、それに最後の支給品というジェットエッジを吊り下げて肩に担いだ。
いわゆる旅人スタイルだ。

「我輩ならこれで大丈夫です!話の続きは歩きながらという事でそろそろ出発しましょう」

言うが早いかハムは茂みを掻き分けて北へと歩き出した。

「あ、待ってください!」
「まったく、得体の知れないウサギね」

みくるが慌てて後を追い、夏子は感じたままを呟くがそこに悪意は込められていなかった。
策士で抜け目の無い奴である事は間違いないが外見からしてどこか憎めない。
まだその胸中は計り知れていないがひとまず提案に乗ってみましょうと夏子は思った。

ちらり、とシンジが居るだろう方向を振り返るが重なる木々に阻まれてその姿は見えない。

「…死ぬんじゃないわよ」

それだけを呟くと後は振り返ること無く先を行く一人と一匹の後を追う。
果たしてこの選択は正しかったのか、それは今は誰にも判らない。



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迷走失意 されどこの不運は連鎖のごとく 碇シンジ 少年いずくんぞ獣人の志を知らんや
川口夏子
朝比奈みくる
ハム






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