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冬木 - (2009/10/20 (火) 19:46:34) のソース

*冬木 弘道<実在の選手>
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冬木 弘道(ふゆき こうどう(本名:ひろみち) 1960年5月11日 - 2003年3月19日
1979年、国際プロレスに入門後、[[全日本プロレス]]→SWS→WAR→FMW→WEWと渡り歩く。
全日本時代は天龍源一郎の付き人を務め、同じ若手であった[[三沢光晴]]と仲がよかったと言われる。
海外遠征後「サムソン冬木」とリングネームを改名。後に天龍が起こした「天龍同盟」に参加。
後に同士である川田利明とタッグチーム「フットルース」を起こす。

その後、大将格である天龍源一郎がSWS(後に崩壊)、WARを起こすと移籍。
この頃、本名にリングネームを戻し、主要イメージとなる、[[「理不尽大王」>ヒール]]を自称。
正統派プロレスが多いWARの中、リング上でコントを披露する等、「怖さ・悪さ」だけでなく「ユーモア」を含めた
今までに無いヒールイメージを植え付け、「冬木軍」として、邪道、外道と共に異色の存在感を示す。
後に、リングネームの「弘道」の読み方を「こうどう」に変える。

WARを離脱後、冬木軍プロモーションを起こし、FMWに参戦。チーム・ノーリスペクトを結成。
リング内外を牛耳るパフォーマンスやハヤブサ達正規軍との戦いで今まで以上に
「理不尽」さを発揮したヒールぶりが見られた。

FMW活動停止後、2002年3月にエンターテイメント性を主体にしたWEWを旗揚げ宣言。
2002年4月7日、[[プロレスリング・ノア>NOAH]]にて[[三沢光晴]]と15年ぶりのシングル戦を行い、
正統派プロレスでも高い技術を見せる。
しかし、2日後に直腸ガンを理由に引退宣言。4月14日にノアの全面協力の下、引退試合を行う。
(この時の収益金は全て、冬木に送られたといわれる)
5月5日にWEWの旗揚げ戦をプロデューサーとして見守る。だが、既にガンは転移しており、2003年3月19日に逝去。
葬儀の場では、今まで慕ってきた者、対立していた者を含め、多くのレスラー達の彼の死を惜しむ声があった。
皮肉にも、2ヵ月後に[[橋本真也>橋本]]との一夜限りの電流爆破デスマッチが決定した後だった。

得意技は寄声を発し、突撃する地団駄[[ラリアット]]、&bold(){小指の角度が違う}[[冬木スペシャル>小指]]等
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