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冬木 弘道<実在の選手>


冬木 弘道(ふゆき こうどう(本名:ひろみち) 1960年5月11日 - 2003年3月19日
1979年、国際プロレスに入門後、全日本プロレス→SWS→WAR→FMW→WEWと渡り歩く。
全日本時代は天龍源一郎の付き人を務め、同じ若手であった三沢光晴と仲がよかったと言われる。
海外遠征後「サムソン冬木」とリングネームを改名。後に天龍が起こした「天龍同盟」に参加。
後に同士である川田利明とタッグチーム「フットルース」を起こす。

その後、大将格である天龍源一郎がSWS(後に崩壊)、WARを起こすと移籍。
この頃、本名にリングネームを戻し、主要イメージとなる、「理不尽大王」を自称。
正統派プロレスが多いWARの中、リング上でコントを披露する等、「怖さ・悪さ」だけでなく「ユーモア」を含めた
今までに無いヒールイメージを植え付け、「冬木軍」として、邪道、外道と共に異色の存在感を示す。
後に、リングネームの「弘道」の読み方を「こうどう」に変える。

WARを離脱後、冬木軍プロモーションを起こし、FMWに参戦。チーム・ノーリスペクトを結成。
リング内外を牛耳るパフォーマンスやハヤブサ達正規軍との戦いで今まで以上に
「理不尽」さを発揮したヒールぶりが見られた。

FMW活動停止後、2002年3月にエンターテイメント性を主体にしたWEWを旗揚げ宣言。
2002年4月7日、プロレスリング・ノアにて三沢光晴と15年ぶりのシングル戦を行い、
正統派プロレスでも高い技術を見せる。
しかし、2日後に直腸ガンを理由に引退宣言。4月14日にノアの全面協力の下、引退試合を行う。
(この時の収益金は全て、冬木に送られたといわれる)
5月5日にWEWの旗揚げ戦をプロデューサーとして見守る。だが、既にガンは転移しており、2003年3月19日に逝去。
葬儀の場では、今まで慕ってきた者、対立していた者を含め、多くのレスラー達の彼の死を惜しむ声があった。
皮肉にも、2ヵ月後に橋本真也との一夜限りの電流爆破デスマッチが決定した後だった。

得意技は寄声を発し、突撃する地団駄ラリアット小指の角度が違う 冬木スペシャル