【人外戦線/『花宴の件姫』前編】



 一

 闇だ。
 自分は闇そのものだ。
 夜の闇に溶け込み、気配を消し、息を殺し、誰にも気づかれないようにしなければならない。
 森の茂みから獣のように目だけを光らせ、道なき道を歩いている少年はそう頭の中で反芻していた。その少年、小録《おろく》晃《あきら》は小柄で、幼い顔立ちをしているが妙にギラギラとした目つきをしている。
 時刻はもう丑三つ時を迎え、夜空に輝く月と星以外にその場には光は無い。人工的なものが一切排された森の中から晃は足音を立てずにゆっくりと歩を進めていく。彼の無音の歩は大したもので、辺りには虫の這う音と、時折聞こえる梟の間延びした鳴き声だけが冷たい空気の中に響いている。
(寒い――なんて泣きごとは言ってられーな……)
 晃は白い息を吐きながら自虐するように嗤う。
 この今の状況も自分で望んだことだ。寒さは苦手ではあるが文句は言えない。
 やがて遠くからかすかに光が洩れているのを晃は見た。その光の方向へ森を進んでいくと、やがて森は終わり里に出ることが出来た。
 茂みの先は崖になっており、なんとか晃はすべり落ちないように踏みとどまる。
(ここが、鬼泣村《おになきむら》……)
 晃はその崖の上から里にある村を見下ろす。
 そこは村と呼ぶにはあまりに小さく、家屋の数も両指で数えられるほどだ。集落と呼んだほうが妥当ではないかと晃は思った。
 だが、その村の中心には朽ちた村には似つかわしくないほどの大御殿がそびえたっている。どうやら先ほど見えた光はこの家の灯りのようである。
 厳格な雰囲気を醸し出している巨大な屋敷。最初晃はお寺か何かかとも思ったが、どうやらそこは一応民家であるみたいだ。その屋敷には黒服の男たちや、険しい顔をしている着物の男たちが何人もいた。
(あれが花宴《はなうたげ》家の屋敷みたいだな。思ったよりずっと大きい。こりゃあ少し厄介だぜ)
 晃はそう心の中で呟くが、その言葉とは裏腹に、かすかに歪んでいる口元からは怖気づいているというよりはどこか嬉しそうな、浮足立っているような印象を受ける。
 彼が村を見つめていると、かすかにポケットが震えた。
 晃はそっとポケットの中のものを取り出す。それは学生証型の端末で、携帯電話の機能も果たしているものである。晃は通話ボタンを押し、できるだけ小声で応答する。
「誰だ」
『やあ晃くん。首尾はどう?』
 すると、端末の向こうから若い女の声が聞こえてきた。
 その人物が誰かすぐに悟り、晃は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ユキか……。隠密行動中に連絡してくんなってあれほど――」
『“さん”をつけなさい。私はあなたを心配してるのよ』
「嘘ついてんじゃねえよ。あんたが誰かを心配するなんてありえないね。それで、連絡してきたってことは何か情報があるんだろうな?」
 晃は苛立ちながらそう促した。ユキと呼ばれた女は、感情の感じられない笑い声をかすかにあげて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
『面白いことを教えてあげるわ晃くん。花宴はどうやら強力な殺し屋を雇っているという情報が手に入ったわ』
「…………」
『どうする? 怖いでしょ。きっと相手はプロの殺し屋よ。一介の学生が相手にできるのかしら。引き返す? こっちとしては別の異能者を派遣してもいいんだけど』
「けっ、笑わせんなよ。俺が引き返す? 敵を前にして?」
『…………へえ』
「俺を誰だと思っている深淵の魔女め。俺は両面《りょうめん》族の戦士だ。立ちふさがる敵は全員砕いて削ってぶっ飛ばしてやる」
 晃は急に語調を荒くし、吐き捨てるようにユキに向かってそう答えた。
『うふふ。かっこいいわね晃くん。本当に男前だわ。濡れちゃうわ。もう大洪水よ。帰ってきたらエッチなこといっぱいしましょうね』
「…………気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ。俺は女なんかに興味はねえ。もう切るからな」
 ユキとの会話にうんざりした晃は一方的に電話を切り、端末をポケットにしまい込んだ。
 晃の服装は登山に相応しくない赤いジャージ姿に、下は子供っぽいハーフパンツ。しかしおかしなのはそれだけではない。
 奇妙なことに彼の後頭部には仮面がくくりつけられている。
 それはまるで頭の前後に二つ顔があるように見える。
 その仮面は禍々しくも髑髏を模してあり、その後ろの顔は、じっと森の闇を見つめている。
 彼は――小録晃は両面族と呼ばれる一族の一人である。神通力を操り、人を超えた力を持ち、秘術に通じる|人外の存在《ラルヴァ》の一族。古来日本では妖怪天魔、悪鬼羅刹の類として恐れられてきた。
 それと同時に晃は双葉学園の生徒でもあった。
 よくジャージの胸元を見ると、きちんと双葉学園の文字が刺繍されている。彼はそこの高等部の二年に席を置いている。
「ここには俺を殺せる奴がいるのか……」
 晃は少しだけ寂しそうにそう呟く。だがその言葉も虚しく夜の闇にかき消えていくだけである。
 晃は崖を降りる前に準備を始める。
 準備と言ってもグローブに指を通し登山靴の紐をきつく結んでいるだけだ。
 晃にとってグローブは、自分の手を護るためのものではない。むしろ殴った相手に対する配慮である。己の硬い拳がもろに人間の頭にでも当たれば、鍛えてもいない人間はそれだけで死ぬ可能性があるからだ。
 人を超えた力を持つ両面族の武闘派は武器を使用しない。
 その代わりに己の肉体が凶器となる。
 それは誇りでもあった。自分たちは人間とは違う。人間のように武器や兵器などは使わない。武器とは人間同士の争いの中で生まれたものだ。両面族は身内同士で醜い争いはしない。
 そう思っていたが、以前に学園で両面同士の衝突があったことを思い出し、また晃は馬鹿馬鹿しいと口を歪ませる。
(昔とは違う。俺も変わっていかなきゃならない……だけど)
 晃は己の手のひらをぎゅっと握りしめる。
 孤高にして誇り高い両面族の戦士が、人間の庇護を受け、人間の命を受けてこうして任務に赴いている。人間を嫌いながらもこうして生きるしかない自分を晃は嘲笑う。
(他の連中みたいに平和に生きるよりましだ。たとえ人間の言いなりであろうと、戦場から離れてぬくぬくと生きるなんてごめんだね)
 晃は地面に落ちている枯葉を踏みしめながら村へと歩いていく。
 戦いだ。
 戦闘だ。
 戦争だ。
 血と骨の戦場こそが自分の生きる場所だと晃は思っている。それを奪われるくらいならば、戦場が与えられるならば人間の言いなりでも構わない。
 矛盾し、歪んでいる考えだとは自覚している。それでも戦うために自分は生まれてきたのだ。
 そうして両面の魔人は、鬼の泣く村へと足を踏み入れていったのであった。


 二


 学園から与えられた任務は二つ。
 一つは先に鬼泣村へと潜入し、連絡が途絶えた学園が派遣した調査団たちの救出。
 もう一つはこの鬼泣村の地主、花宴家に捕えられてしまっているラルヴァの保護。
 そのラルヴァとは“件《くだん》”。
 日本のラルヴァの中でも希少種で、滅多に人前に姿を現さない。その能力ゆえに一部の権力者や組織から狙われることが多いのだという。
 件とは伝承としても有名な存在だ。妖怪、いや、神の使いとも言われることがある件は半牛半人の姿をしていて、人語を操り予言をする怪物である。学園側も何度か件と遭遇したことがありラルヴァと認定している。その予言能力ゆえ、一部の権力者などに悪用されることがあるため、保護の対象になっていた。
 そしてこの鬼泣村の花宴の人間もまた、その件を屋敷に閉じ込め、その予言に従い権力を貪ってきたらしい。こんな山奥の村にいながらも、花宴が莫大な資産を持っているのはそれゆえだ。
 そうしてその調査のために学園の調査団たちが派遣されたのだが、それから数日、連絡がつかなくなり、恐らく捕えられてしまったのだと学園側は判断した。
 幸い(と言うべきかわからないが)その調査団の中には学園の生徒はいなかったようである。
 そうして対ラルヴァ、対異能者の訓練をされてきた晃が村へと赴くことになったのだ。
(まったく。いつの時代も鬼や妖怪より人間のが厄介なんだよ……)
 晃は身を屈め、這うように出来るだけ物影に隠れるように村の中を移動していく。視線を村の中心に向けると、あの屋敷だけに灯りがついていて、他の家屋は電気が通っていないのか、総て真っ暗になっている。いや、そもそも人の気配すらほとんどしない。
 その方が好都合だと思い、晃は屋敷の裏側の塀へと向かう。できるだけ気付かれない方がいい。正面から入っていっても大騒ぎになるだけであろう。
 晃は助走をつけ、塀に向かって走り出す。そうして音も立てずに跳躍し、塀に一度足を添えた後、そのままそれを踏み台にしてもう一度跳躍し、塀の上に手をかけてなんなく登っていく。
 ちょうどそこには庭の樹が何本も生えており、おかげで影になって晃の姿は解りづらくなっているだろう。
 晃は塀から飛び降り、なんなく着地――するはずであったが、ジャージの襟が木の枝に引っかかり、ボキボキという激しい木の枝の折れる音が鳴り響く。そのおかげでバランスを崩した晃は無音着地に失敗し、どすんとまたもや大きな音を立ててしまった。
(くそ、しまった!)
 間抜けにも尻もちをついてしまい、慌ててどこかに隠れようとするが時すでに遅く、何人かの黒服がこちらに気付いたようである。
「誰だそこにいるのは!」
「出てこい!」
 晃は走った。
 花宴の屋敷の庭は広く、駆けまわるには十分すぎる広さがある。日本庭園というのか、池や灯篭、松の木がそろっている。
 ししおどしと、小さな人工滝から聞こえる爽やかな水音が心を安らげるが、今の晃にとってそれは余計な雑音でしかない。
(こうなったらやるしか――)
 晃は樹の影から飛び出し、向かってくる黒服たちと対峙した。黒服は四人。顔立ちを見るだけで向こうもプロだということがわかった。村のチンピラというわけではないようである。
「かかってこいよドサンピン!」
 晃は中指を立てて挑発し、戦いやすい足場へと誘導する。落ち葉や芝生、砂利の少ない場所に来ると、晃は走っていた方向とは逆の方を向き、黒服たちのほうへと突っ込んでいく。
「|また《・・》侵入者か!」
 黒服のその言葉に晃はここに学園の調査団員が拉致されていることを悟る。最悪生きているかどうかわからないが、確認しなくてはならないだろう。
 黒服の一人はボクシングのようなファイティングポーズをとり、とんとんと足でリズムを刻んでいる。そして向かってくる晃に向かって渾身の右ストレートを繰り出した。男の大きな拳が晃の視界を覆うが、晃は紙一重でそれを避け、流れるように男の伸びきった右腕を自身の左手の甲で逸らし、残った右手で男の肘を反対側に突き上げた。すると難なく男の腕は大きな音を立ててへし折れる。
「ぎゃあああああああああ!」
 腕を折られた黒服の男は叫び声を上げ、そのまま膝をつき腕を押さえている。ただ腕が折られているだけではなく、折れた骨が皮膚を貫通し、肘から血塗れの骨が伸びているのが見える。男の腕は完全に破壊されてしまったようだ。
 だが晃は間髪いれずにその倒れこんでいる黒服の顔面を、靴底に鉄板を仕込んだ登山靴で容赦なく踏みつける。鼻の骨が曲がり、歯も何本も折れ、その黒服は完全に気を失ってしまう。
 だが油断している暇は無い。今度は二人がかり、左右から黒服が飛びかかってきた。
 晃はバックステップで少しだけ距離をとる。男たち二人はぶつかりそうになり、一瞬だけ動きを止めた。それを狙ってた晃は左側の黒服の股間を蹴りあげる。男が少しだけうずくまった瞬間、顎に向かって鋭く拳を突き上げる。がくんと脳を揺さぶられた男はそのまま倒れ込むんでしまう。晃はすぐに振り返って、蹴りを繰り出していた右側の黒服軸足を払い、地面に崩れ落ちた男の心臓部分目がけてまたもや踏みつけた。
 べきべきと肋骨の砕ける感触が晃の足から伝わってくる。男は口から血を流し、白目をむいて痙攣を起こしている。
 その破壊の快感に酔いしれ、ほんの一瞬だけ晃はにやりと笑った。
 だがその一瞬の笑いは、月明かりに照らされ修羅のように不気味で恐ろしいものに見えたであろう。
「動くな!」
 ふっと晃が声の方へと視線を向けると、最後の一人が拳銃を構え、彼に向かって銃口を向けている。
「動くな? 嫌だね。俺に命令すんじゃねえ」
 晃は男の忠告を無視し、ずんずんと男のほうへと歩いていく。拳銃を前にしても晃は一切臆することなく、むしろニタニタと笑っている。
「バカが。撃たないとでも思ってるのか」
 男は冷静にそう言い、拳銃の引き金を絞った。
 パァン――という乾いた音が響き、薬きょうが地面に落ちる音も聞こえる。それほどまでに場は静まりかえっていた。
 しかし、撃ったはずの黒服の男の顔には余裕は見えない。むしろ目の前の光景に驚き、目を剥いている。
「痛てえな。ほんと痛てえ。銃ってのは人間が開発した武器の中で一番嫌いなんだよ……」
 そこには左手のひらに風穴を開きながらも、悠然と立っている晃の姿があった。
 穴の開いた左手からは血が流れ続けているが、それ以外にはどこも怪我をしている様子はない。どうやら晃は弾丸を左手で受け流したようである。
「う、うおおおおおおお!」
 すぐに黒服は第二射を放とうと、晃の頭に照準を合わせるが、爆発するかのように晃は駆け出し一瞬で間合いを詰め、手首に手刀を決めて拳銃を払い落す。そのまま晃は男の左足の膝の付け根を思い切り踏みつけて完全にへし折ってしまう。そのまま喉元に拳をぶち込み、落ちた拳銃を蹴り払って近くの池へと落とす。
 こうして一瞬にして黒服四人は再起不能となってしまった。
「脆い。脆いな人間共! こんなものか人間! 俺を殺してみろ!」
 晃はそう叫びながら白い溜め息を大きく吐く。余裕の表情をしているが、撃ち抜かれた左手には痛ましい穴があき、どくどくと血が流れ続けている。
(ふん。しかしどうするかな……)
 晃がそう考えているとパチパチパチという拍手の音が聞こえてきた。
 晃が睨みつけるようにその方向を振り向くと、そこには数人の体格のいい男たちと、威厳のある風格をした着物姿で鷲鼻が特徴的な老人が手を叩いている。
 老人に取り巻く黒い空気を感じ取り、晃はすぐにその老人が誰かを悟る。
「あんたがここの当主、花宴《はなうたげ》|恭一郎《きょういちろう》か」
「いかにも。私が花宴だ。しかし見事だな。高い金で雇った護り屋たちを一瞬でねじ伏せるとは。最初にここに来た連中とは違うようだな」
 老人は醜悪な笑みを浮かべてそう言った。
 彼こそがこの村の当主にして裏の財界で名を馳せている花宴恭一郎である。決して表の世界に出ることはないが、彼の影響力は大きく、様々な組織とも通じているという。
「その最初に来た連中はどうした? 生きてるのか?」
 晃はキッと花宴を睨みつける。後ろの護衛たちが彼を捕えようと前へでようとするが、花宴は手でそれを制した。
「死んだよ。あの若い連中には悪いが“件”を引き渡すわけにはいかんのでな」
 花宴はくくくと枯れ木のような細い体を揺らしながら嗤っている。それを聞き晃の顔はさらに険しくなっていく。
「あの連中はあたしが殺したのさ」
 晃が花宴を睨みつけていると、そんな声が花宴の後ろから聞こえてきた。その声の主は護衛の男たちを押しのけ、晃の前へと姿を現す。
 それは少女であった。
 見た目だけならば恐らく晃と同年代くらいに見える。
 その少女は艶のある黒い長髪で、チェックのスカートに黒タイツ。古着のようなジージャン、首元を隠すかのように長いマフラーをぐるぐると巻いている。少々やぼったい印象を受けるが、彼女が手にしている物のせいでそんな印象は消し飛んでしまう。
 少女が持っているのは柄の長い斧である。戦斧と呼ばれる類のもので、武器として破壊に特化している斧である。
 その少女は斧を地面に引きずるように持ち歩き、氷のように冷たい瞳で晃を睨んでいる。
「誰だお前……」
「この子は私が雇った殺し屋さんだ。実にいい働きをしてくれてね。最初に来た若い連中を面白いくらい簡単に殺してくれたよ」
 花宴は長く白い顎鬚をさすりながら思い出し笑いをしていた。そんな花宴の様子を無視し、晃はくんくんと鼻を動かし、少女にのみ視線を向けている。血の臭いに交じっている異質の臭い。それは晃が良く知る臭いである。
「くせえ、くせえなお前。てめえ人間じゃないな」
 晃にそう言われ、少女はぴくりと眉を動かした。
「隠そうとしてもわかるんだよ。どれだけ人間みたいに香水で誤魔化そうとしても化物の臭いは消せねーんだよ」
 晃にそう言われた少女は不気味にふっと笑った。少女は宙を飛んでいた蛾を手で掴みとり、あろうことかその蛾をそのまま口に含んでばりばりと食べ始めていた。口からは蛾の羽と足が飛び出している。それはまったくもって奇妙な光景で、ごく普通の見た目の少女が虫を食んでいるなんて異常であろう。
 少女はぷっと蛾の筋を吐きだし、晃に向かってこう言った。
「よくわかったな少年A。あたしは確かに人間じゃない。飛頭蛮《ひとうばん》と呼ばれる妖怪――いや、お前らが言うところのラルヴァだ」
「飛頭蛮だって? お前飛頭蛮族か」
 晃はその名前に聞き覚えがあった。
 飛頭蛮。胴体から首が離れ、夜な夜な首を飛ばして虫や小動物を喰らう妖怪の一族。同じ妖の類である両面族の晃もまた、その飛頭蛮族のことについて多少は知っていた。
「そうだ。あたしは首を飛ばす飛頭蛮一族の末裔。だが――」
 その瞬間、目の前にいたはずの少女の姿が消えた。
 晃が驚いている間にバヅンという激しい音が後方から響き、振り向く前にその音が何の音なのかを晃は知ることになる。
「まじかよ……」
 その音と共に晃の目の前に四人の男の首が降ってきたのであった。
 それは先ほどの黒服四人の顔で、苦悶の表情のまま固まったその瞳で晃と目が合う。
 ようやく晃が振り返ると、そこにはその倒れていた四人の胴体がある。その頭頂部には何も無く、ただ噴水のような鮮血が溢れ出ているだけである。
 そしてその血のシャワーを浴びて、その少女は悠然と立っていた。彼女の持っている斧には血がこびりついている。
「もっとも、あたしが飛ばすのは|他人の首《・・・・》だけどね」
 血を浴びながらも笑みを浮かべるその姿は、まさに悪鬼のごとくで、人間とは別種の存在なのだということがわかるであろう。
 油断していたとは言え晃の視界から瞬時に外れ、一瞬にして後ろに倒れていた黒服四人の首を切断するなんて芸当は普通の人間では不可能であろう。
「ふざけんなよてめえ……」
「あら。怒ってるのかい。こいつらはきみを襲った連中だ死んでも何も思わないだろう。それにこんな役立たずの護り屋は生きている価値なんて――」
「この俺が折角殺さないように努力したのに、勝手に殺してんじゃねえよ!」
 少女は晃の予想外の言葉に驚いて黙ったが、すぐに呆れたように溜息をついた。
「ふむん。なるほど。そうか。お前も御同類《・・・》ってわけだね」
 自虐するように嗤い、少女は晃に向かっていきなり駆けだした。
「ちっ――」
 晃はそれに対応しようと拳を突き出すが、その直後に視界が回転し、彼の身体の上下感覚が失われていく。
 壁に衝突したかと思ったが、壁だと思ったそれは地面で、晃は自分が地面に組み伏せられていることをようやく理解した。あの少女が晃の腕を固め、馬乗りになっているようである。頭上から少女の冷たい声が降ってくる。
「その後頭部の仮面、貴様は両面族の戦鬼か。化物の臭いを発しているのは貴様も同じだな」
 少女は晃の頭にある仮面を見つめてそう言った。どうやら飛頭蛮である彼女もまた、両面族のことについて知っているようである。
「しかし妙だな。鬼面や狐面などは見たことあるが、骸骨の面をつけた両面族は見たことがない……」
 少女は不思議そうに晃の後頭部につけられている仮面を指でなぞる。おぞましい骸の形をした仮面の、その虚空の瞳が少女を見つめている。
「俺の仮面に触るんじゃねえ」
 ドスの聞いた声で晃はそれを咎める。少女はふんと鼻を鳴らし、仮面から手を離した。
「お互い哀れなものだな。あたしは殺し屋に堕ち、お前は双葉学園という人間の機関で同族《ラルヴァ》を殺しているんだろ。あたしもお前も人間に飼われるなんて因果だな」
「一緒にするんじゃねえ。俺は自分の意思で戦ってるんだ」
「あたしには違いがわからないねえ……」
 少女は憐れむようにそう言い、ばっと斧を振り上げる。
 だがその斧が晃の首を吹き飛ばす前に「やめなさい、李玲《リーリン》ちゃん」という花宴の言葉により、晃の首の皮ぎりぎりのところで斧はぴたりと止まった。
「何故止めるんです我が主。こいつは両面族という好戦的な化物の一族です。今殺しておかないと厄介ですよ」
「だからだよ李玲ちゃん」
 花宴の言葉にその少女―李玲と呼ばれた彼女は頭にクエスチョンマークを浮かべる。
「その小僧も私のコレクションにするんだよ。“件”のようにね」
「しかし……」
「件に飛頭蛮に両面宿儺《りょうめんすくな》。最高じゃないか……くくく」
 花宴は下卑た笑みを浮かべ、目を細める。だがその瞳は濁っており、どこか狂気を感じさせるものである。
「下種が……」
 李玲に抑えつけられながらも晃は花宴を睨みつけそう呟いた。すると花宴は笑みを消し、手に持っていた杖で思い切り晃の顔を何度も何度も叩きつける。晃の顔は流血し、酷い痣がついていく。
「化物の小僧がこの私を下種だと! 化物が! 化物が! この花宴恭一郎を下種と申すか!」
 そうして十数回ほど晃の顔を殴り、ぐったりしたところで、息を切らした花宴はようやく手を止める。老体にはこれだけでも体力を使うようで、後ろの護衛たちに身体を支えられている。
「ふぅーふぅー……。李玲ちゃん。そいつを“件”と同じ地下の座敷牢へ閉じ込めておいておくれ」
「御意」
「いや、その前に――」
 未だにぎらついた目で花宴を睨んでいる晃を見て、花宴は口を歪ませ、悪戯を思いついた子供のように邪悪な笑みを浮かべる。
「抵抗できんようにそいつの両腕を切り落としておけ。くくくく。この私を下種と言った罰だ愚か者めが」
「……御意」
 そうして李玲は動けない晃の腕を押さえつけ、斧を構える。
「悪く思うなよ。あたしが飛ばすのは首専門なんだが、主の命令では仕方があるまい」
 李玲がそう呟いた一瞬後、斧は振り下ろされて晃の両腕は宙を舞った。







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