【羽生さんは恋する乙女】

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【羽生さんは恋する乙女】  2月14日。  教室は赤い夕焼けに照らされていた。  ツインテールに結った黒髪を震わせながら、瞳の奥にドス黒い敵意を漲《みなぎ》らせた初等部女子生徒がいる。  彼女の名前は、羽生 奈々瀬(はにゅう ななせ)。  羽生奈々瀬は、とある机の上に置かれたチョコレートの包みをにらみつけていた。  場所は初等部校舎にある3-A教室。  誰もいない無人の教室。  そこは奈々瀬のクラスでもある。  目の前にあるのはきれいにラッピングされたチョコレートで、問題はそれにかわいいハートマークがプリントされていることだった。初等部生徒の羽生奈々瀬はたった一人机の上に置かれたそのハート入りの包みを静かに見下ろす。 「負けてない……負けていないはず……負けるわけがないわ。この私の愛(チョコ)が、こんな不純物な愛(義理チョコ)なんかに……」  義理チョコとはあくまでも彼女の推定である。  というより、羽生さんにとって義理だろうが本命だろうが関係ない。  敵は決して許さない。それが何者であろうともだ。あまりにもシンプルで、それゆえに危険な信念(ポリシー)。  羽生奈々瀬は一旦、自分のチョコをジーッと凝視すると、次いで机のチョコをジトーッと睨み、またもや再び自分のチョコに目を移す。自分のチョコと机上にあるソレをせわしなく交互に見比べる。  突如、視線が止まった。 「ダメだわダメだわ。こんなことやっていてもきりがない。そもそもラッピングだけ見て中身がわかるわけない……そうだ!」  フッと軽く笑みを浮かべた後、邪悪な気配が立ち昇る。 「……開けましょう」  淡いピンク色のリボンがきれいに結ばれたチョコレート(真の愛)は、机の上に置かれたチョコレート(推定義理チョコ)と比べて味でもデザインでも愛情でも愛情でも愛情でも愛情でも、断然、勝っているはずなのだ。  だから後は、その勝利を自分の目で確認するのみ。  そう、羽生奈々瀬が恐れる必要などどこにもない。彼女は勝利していて、それは天地がひっくり返ろうともゆるぎない圧倒的な事実だと信じるだけの確固たる自信を抱いている。が、しかし。それでも。万が一。  この悪魔の誘惑に敗れる可能性が決してないとも言い切れない。  もしも、負けていたとしたら……。  奈々瀬は頭を抱えると「ずーん」と重苦しい擬音が背景に入りそうな勢いで絶望をまというなだれた。 「奈々瀬の愛は……敗北しない……! しない、はず……だってエターナルラヴなのよ……!」  奈々瀬は頭を抱えたまま、「うぎゃ~」や「むぎぃ~」などとうめき声を発しながら、人ならざるあやしげな動きで身悶えはじめる。  ひとり夕焼けの赤い教室の中で奇怪な動きをしている乙女は、まるで呪いの儀式でも行っているかのように見えなくもないが、とはいえそこは双葉学園。魔術や超能力があって当たり前だから怪しげな女生徒の一人や二人など問題ではない。  それよりも、今、羽生奈々瀬にとって最大の問題とはひとえに、この謎のチョコレートの処遇である。  奈々瀬はぴたりと身悶えを止めた。  机上に置かれたチョコレートを仄暗い瞳で睥睨(へいげい)する。 「そうね。破壊しましょう」  五寸釘を構えた奈々瀬は天使のほほえみで口元をゆがめた。  ピシャ、ゴロゴロ……!  教室の窓の外で雷鳴が稲光(いなびか)る。  「待つです待つです止めるですー!」と良心が天使の姿をして奈々瀬を止めようとするが、次の瞬間、悪魔の姿をした本能に四の字固めをかけられ「ギブアップ! ギブアップですー!」と天使は必死でマットを叩く。良心の世界終末戦争(ハルマゲドン)は一瞬にして決着がついたようだ。 「愛の前には何人(なんぴと)も野獣になるの! ラヴとは闘い! ラヴとは弱肉強食! ライオンハートで勝ち取ってこそトゥルーラヴなのよ!」  勝手に机の中をのぞき見るにあきたらず、そのプレゼントに呪いの五寸釘を打ちつけようとする。  愛は時に残酷で、羽生奈々瀬の純粋(ピュア)な心は、人間としての一線を超えなければならないほど猛烈に追いこまれていた。 「さあ、羽生奈々瀬――今こそ愛が試されるとき、本当の愛(リアル・ラヴ)を手に入れるのです!」  1  ・  2  ・  3  ・  ダァー!!  勢いにのせて金槌を手に取った羽生奈々瀬は、天井に向かって腕ごとを猛烈に突き上げ――そこで彼女の動きは止まる。  天を衝くポーズで固まっていた。 「裏切れない……奈々瀬は……様にだけは、嫌われたくない……」  彼女の脳裏に浮かぶのは想い人の笑顔。  すべてを包み込むようなやさしいまなざし。あまいチョコレートのようなビターボイス。繊細でありながら理知的なこころ。それらすべてが羽生奈々瀬を責める。  机の主にしてクラスメートである憧れの男子生徒、舞い散る紅い薔薇の花びらのなかで佇む彼のほほえみ。 ――たとえ恋敵のチョコレートだとしても、それを卑怯な行いで葬るような女があの方に相応しいといえるかしら……。  憎しみと虚栄心にさいなまれた奈々瀬は、全身をプルプルと震わせながら、それでも憎き恋敵のチョコを前にしてどうすることもできない。  ツインテールの黒髪を震わせて唇をかみながら涙を零した。 「嫌われるのはいや……」  夕陽が刺し込み長い影を落とす教室の床に、ぽたぽたと雫が落ちて染みをつくる。奈々瀬は寂しげに立ちすくむことしかできない。  奈々瀬ははっきりと孤独を感じた。  嫉妬する醜い自分。愛される資格のない孤独な自分。人生によくあるほろ苦い絶望だともいえるが、それはまるで深い森の中に足を踏み込んでしまい進むことも戻ることもできなくなった哀れな迷子のようで。 「永遠に泣き続けるしかない無力感が私の魂をさいなみます……ああ、奈々瀬は今世界で最も悲劇的な美少女です……!」  ふいにそのとき、教室の扉がガラガラと開けられた。 「誰!?」  ふわりとカーテンが風に舞い、羽生さんの瞳に少年の姿が映りこむ。 「……羽生さん?」 「はい?」  調子っぱずれな生返事で羽生さんはフリーズする。  妄想内の彼ではない。本物の、辻 宗司狼(つじ そうじろう)がいる。  想い人本人が奈々瀬に訊ねかけた。 「……こんな時間まで残ってどうしたの」 「いえ、その……重大な任務があったので」  とっさに金槌と五寸釘を背後に隠しながら奈々瀬は答えるが、場違いな返答を気にかけていられる余裕などパニックした頭にはあるはずもない。まごうことなき現実の想い人がそこにいて、しかも二人っきりで会話まで交わしている。 ――ふたりっきり。あれ? ふたりっきり?  結論に至るまでざっと10秒。 ――ええと 奈々瀬はいまふたりっきりかしら?  そう、夕焼けに照らされた教室で二人っきり。  奈々瀬が手にしているのはバレンタインデーに備えて全力で作り上げた手作りチョコレートであるならば、もはや全ての舞台が完成している。 ――これは、これはこれはもしかしていまここでロマンティックに告白しろという神から与えられ給うた運命……かしら。いえ、そうにちがいありません。  羽生奈々瀬のなかで答えは出た。  それどころか告白して恋人になり結ばれて結婚して子供をもうけて「あなた、ご飯よ。はい、あーんして」とエプロン姿でかいがいしく世話する健気な若奥様になった将来設計まで組み立てられている。 「ならば。後は実行するのみです」 「……実行?」 「辻くん。いえ、宗司狼様」 「……!」  反応しない宗司狼の態度を呼びかけへの受容と受け取る奈々瀬。 「『恋は人を生かし、また殺す』と無名の詩人が詠んだように、奈々瀬もまた恋に殺されようとしていました。どこにも救いなどありはしないと。ですが、そんな私を救い出してくれる騎士《ナイト》がいるのです。わかっていただけますか?」 「…………………………」  無言であとずさろうとしている宗司狼に構わず間合いをつめて奈々瀬が愛のスペシャルチョコレートを差し出そうと歩みを速める。宗司狼はまるで蛇に睨まれた蛙のように動けない。人、これを絶体絶命という。 「あれぇ? 宗ちゃん教室に入んないの? なんでなんで?」  宗司狼の隣から顔を出したのは、彼の友達である天上院 佑斗(てんじょういん ゆうと)だった。 「誰ですかあなた!?」 「誰ですってそっちこそ誰だよ! ってはにゅーじゃないか!」 「あなたはお馬鹿の天上院佑斗!」  ロマンチックな愛世界がいっぺんに霧散していく。同時に、奈々瀬と宗司狼のしあわせな結婚生活もガラガラと音を立てながら崩壊していった。 「そんなことより宗ちゃん、早くセイバーとっておいでよ。バトルする時間なくなっちゃうじゃないか」 「あ、うん……だね」  ジト目でにらみつけながらプルプル震えている羽生奈々瀬をさりげなく避けつつ辻宗司狼は自分の机にまでくると、ハートマーク入りの包み紙を手に取った。  意外な行動に思わず奈々瀬が声をかける。 「あの辻くん。その包みはチョコレートでは」  宗司狼は困ったように頬を掻いた。 「ああ、これは母上からのプレゼントだから。[[セイバーギア]]の新パーツ、今日に佑斗と勝負するために持ってきた……」  ぶっきらぼうにそれだけ答えると、宗司狼は佑斗と一緒に教室から出て行ってしまった。  足音が徐々に遠ざかっていく。  奈々瀬は一気に脱力してへなへなと崩れ、ぺたんと床の上に座り込んだ。  はぁ、と大きく溜息をつくと、ゆっくりと、無表情に顔を上げた。 「……うふふ、そういうことね。やはり奈々瀬たちの愛にとって最大の障害は天上院佑斗――あのお邪魔虫と、そしてセイバーギア」  ジジジ、と嫉妬の炎を燃やしながら羽生奈々瀬は立ち上がる。渡しそこねたチョコレートを宗司狼の机にそっと入れると、暗い炎を揺らめかせながらつぶやく。 「でも、覚悟するがいいわ。最後に勝利するのは奈々瀬たちよ。なぜなら、愛とは何物よりも尊いのだから……おーほっほっほっほ!」  夕闇に包まれた3-Aの教室に哄笑が響き渡る。  それは恋する乙女の笑い声だった。  ブルブルッと震えて辻宗司狼が振り返る。 「どうしたの、宗ちゃん。セッティングもうできたんだろ」 「あ、いや……うん。ちょっとね……」  とてつもない悪寒を感じた  だが、その正体を宗司狼は知らない。 「ところで宗ちゃんはチョコって貰ったの?」 「バレンタインデーのチョコ? あっと、それならたしか4つか5つほど」 「うわあ、やっぱ宗ちゃんモテモテだな! 俺にもわけてよ!」  どうやら羽生奈々瀬の戦いはまだまだ終わりそうにない。 おしまい ■ ・羽生 奈々瀬(はにゅう ななせ)  双葉学園初等部3-A。恋する乙女。 ・辻 宗司狼(つじ そうじろう)  双葉学園初等部3-A。沈着冷静を信条とする風魔導師。  羽生奈々瀬の想い人。 ・天上院 佑斗(てんじょういん ゆうと)  双葉学園初等部3-A。セイバーギアが大好きな熱血少年。パイロキネシスト。  羽生奈々瀬の同級生。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
【羽生さんは恋する乙女】  2月14日。  教室は赤い夕焼けに照らされていた。  ツインテールに結った黒髪を震わせながら、瞳の奥にドス黒い敵意を漲(みなぎ)らせた初等部女子生徒がいる。  彼女の名前は、羽生 奈々瀬(はにゅう ななせ)。  羽生奈々瀬は、とある机の上に置かれたチョコレートの包みをにらみつけていた。  場所は初等部校舎にある3-A教室。  誰もいない無人の教室。  そこは奈々瀬のクラスでもある。  目の前にあるのはきれいにラッピングされたチョコレートで、問題はそれにかわいいハートマークがプリントされていることだった。初等部生徒の羽生奈々瀬はたった一人机の上に置かれたそのハート入りの包みを静かに見下ろす。 「負けてない……負けていないはず……負けるわけがないわ。この私の愛(チョコ)が、こんな義理チョコなんかに……」  義理チョコとはあくまでも彼女の推定である。  というより、羽生さんにとって義理だろうが本命だろうが関係ない。  敵は決して許さない。それが何者であろうともだ。あまりにもシンプルで、それゆえに危険なポリシー。  羽生奈々瀬は一旦、自分のチョコをジーッと凝視すると、次いで机のチョコをジトーッと睨み、またもや再び自分のチョコに目を移す。自分のチョコと机上にあるソレをせわしなく交互に見比べる。  突如、視線が止まった。 「ダメだわダメだわ。こんなことやっていてもきりがない。そもそもラッピングだけ見て中身がわかるわけない……そうだ!」  フッと軽く笑みを浮かべた後、邪悪な気配が立ち昇る。 「……開けましょう」  淡いピンク色のリボンがきれいに結ばれた奈々瀬のチョコレートは、机の上に置かれた義理チョコと比べて味でもデザインでも愛情でも愛情でも愛情でも愛情でも、断然、勝っているはずなのだ。  だから後は、その勝利を自分の目で確認するのみ。  そう、羽生奈々瀬が恐れる必要などどこにもない。彼女は勝利していて、それは天地がひっくり返ろうともゆるぎない圧倒的な事実だと信じるだけの確固たる自信を抱いている。が、しかし。それでも。万が一。  この悪魔の誘惑に敗れる可能性が決してないとも言い切れない。  もしも、負けていたとしたら……。  奈々瀬は頭を抱えると「ずーん」と重苦しい擬音が背景に入りそうな勢いで絶望をまというなだれた。 「奈々瀬の愛は……敗北しない……! しない、はず……だってエターナルラヴなのよ……!」  奈々瀬は頭を抱えたまま、「うぎゃ~」や「むぎぃ~」などとうめき声を発しながら、人ならざるあやしげな動きで身悶えはじめる。  ひとり夕焼けの赤い教室の中で奇怪な動きをしている乙女は、まるで呪いの儀式でも行っているかのように見えなくもないが、とはいえそこは双葉学園。魔術や超能力があって当たり前だから怪しげな女生徒の一人や二人など問題ではない。  それよりも、今、羽生奈々瀬にとって最大の問題とはひとえに、この謎のチョコレートの処遇である。  奈々瀬はぴたりと身悶えを止めた。  机上に置かれたチョコレートを仄暗い瞳で睥睨(へいげい)する。 「そうね。破壊しましょう」  五寸釘を構えた奈々瀬は天使のほほえみで口元をゆがめた。  ピシャ、ゴロゴロ……!  教室の窓の外で雷鳴が稲光(いなびか)る。  「待つです待つです止めるですー!」と良心が天使の姿をして奈々瀬を止めようとするが、次の瞬間、悪魔の姿をした本能に四の字固めをかけられ「ギブアップ! ギブアップですー!」と天使は必死でマットを叩く。良心の世界終末戦争(ハルマゲドン)は一瞬にして決着がついたようだ。 「愛の前には何人(なんぴと)も野獣になるの! ラヴとは闘い! ラヴとは弱肉強食! ライオンハートで勝ち取ってこそトゥルーラヴなのよ!」  勝手に机の中をのぞき見るにあきたらず、そのプレゼントに呪いの五寸釘を打ちつけようとする。  愛は時に残酷で、羽生奈々瀬の純粋(ピュア)な心は、人間としての一線を超えなければならないほど猛烈に追いこまれていた。 「さあ、羽生奈々瀬――今こそ愛が試されるとき、本当の愛(リアル・ラヴ)を手に入れるのです!」  1  ・  2  ・  3  ・  ダァー!!  勢いにのせて金槌を手に取った羽生奈々瀬は、天井に向かって腕ごとを猛烈に突き上げ――そこで彼女の動きは止まる。  天を衝くポーズで固まっていた。 「裏切れない……奈々瀬は……様にだけは、嫌われたくない……」  彼女の脳裏に浮かぶのは想い人の笑顔。  すべてを包み込むようなやさしいまなざし。あまいチョコレートのようなビターボイス。繊細でありながら理知的なこころ。それらすべてが羽生奈々瀬を責める。  机の主にしてクラスメートである憧れの男子生徒、舞い散る紅い薔薇の花びらのなかで佇む彼のほほえみ。 ――たとえ恋敵のチョコレートだとしても、それを卑怯な行いで葬るような女があの方に相応しいといえるかしら……。  憎しみと虚栄心にさいなまれた奈々瀬は、全身をプルプルと震わせながら、それでも憎き恋敵のチョコを前にしてどうすることもできない。  ツインテールの黒髪を震わせて唇をかみながら涙を零した。 「嫌われるのはいや……」  夕陽が刺し込み長い影を落とす教室の床に、ぽたぽたと雫が落ちて染みをつくる。奈々瀬は寂しげに立ちすくむことしかできない。  奈々瀬ははっきりと孤独を感じた。  嫉妬する醜い自分。愛される資格のない孤独な自分。人生によくあるほろ苦い絶望だともいえるが、それはまるで深い森の中に足を踏み込んでしまい進むことも戻ることもできなくなった哀れな迷子のようで。 「永遠に泣き続けるしかない無力感が私の魂をさいなみます……ああ、奈々瀬は今世界で最も悲劇的な美少女です……!」  ふいにそのとき、教室の扉がガラガラと開けられた。 「誰!?」  ふわりとカーテンが風に舞い、羽生さんの瞳に少年の姿が映りこむ。 「……羽生さん?」 「はい?」  調子っぱずれな生返事で羽生さんはフリーズする。  妄想内の彼ではない。本物の、辻 宗司狼(つじ そうじろう)がいる。  想い人本人が奈々瀬に訊ねかけた。 「……こんな時間まで残ってどうしたの」 「いえ、その……重大な任務があったので」  とっさに金槌と五寸釘を背後に隠しながら奈々瀬は答えるが、場違いな返答を気にかけていられる余裕などパニックした頭にはあるはずもない。まごうことなき現実の想い人がそこにいて、しかも二人っきりで会話まで交わしている。 ――ふたりっきり。あれ? ふたりっきり?  結論に至るまでざっと10秒。 ――ええと 奈々瀬はいまふたりっきりかしら?  そう、夕焼けに照らされた教室で二人っきり。  奈々瀬が手にしているのはバレンタインデーに備えて全力で作り上げた手作りチョコレートであるならば、もはや全ての舞台が完成している。 ――これは、これはこれはもしかしていまここでロマンティックに告白しろという神から与えられ給うた運命……かしら。いえ、そうにちがいありません。  羽生奈々瀬のなかで答えは出た。  それどころか告白して恋人になり結ばれて結婚して子供をもうけて「あなた、ご飯よ。はい、あーんして」とエプロン姿でかいがいしく世話する健気な若奥様になった将来設計まで組み立てられている。 「ならば。後は実行するのみです」 「……実行?」 「辻くん。いえ、宗司狼様」 「……!」  反応しない宗司狼の態度を呼びかけへの受容と受け取る奈々瀬。 「『恋は人を生かし、また殺す』と無名の詩人が詠んだように、奈々瀬もまた恋に殺されようとしていました。どこにも救いなどありはしないと。ですが、そんな私を救い出してくれる騎士《ナイト》がいるのです。わかっていただけますか?」 「…………………………」  無言であとずさろうとしている宗司狼に構わず間合いをつめて奈々瀬が愛のスペシャルチョコレートを差し出そうと歩みを速める。宗司狼はまるで蛇に睨まれた蛙のように動けない。人、これを絶体絶命という。 「あれぇ? 宗ちゃん教室に入んないの? なんでなんで?」  宗司狼の隣から顔を出したのは、彼の友達である天上院 佑斗(てんじょういん ゆうと)だった。 「誰ですかあなた!?」 「誰ですってそっちこそ誰だよ! ってはにゅーじゃないか!」 「あなたはお馬鹿の天上院佑斗!」  ロマンチックな愛世界がいっぺんに霧散していく。同時に、奈々瀬と宗司狼のしあわせな結婚生活もガラガラと音を立てながら崩壊していった。 「そんなことより宗ちゃん、早くセイバーとっておいでよ。バトルする時間なくなっちゃうじゃないか」 「あ、うん……だね」  ジト目でにらみつけながらプルプル震えている羽生奈々瀬をさりげなく避けつつ辻宗司狼は自分の机にまでくると、ハートマーク入りの包み紙を手に取った。  意外な行動に思わず奈々瀬が声をかける。 「あの辻くん。その包みはチョコレートでは」  宗司狼は困ったように頬を掻いた。 「ああ、これは母上からのプレゼントだから。[[セイバーギア]]の新パーツ、今日に佑斗と勝負するために持ってきた……」  ぶっきらぼうにそれだけ答えると、宗司狼は佑斗と一緒に教室から出て行ってしまった。  足音が徐々に遠ざかっていく。  奈々瀬は一気に脱力してへなへなと崩れ、ぺたんと床の上に座り込んだ。  はぁ、と大きく溜息をつくと、ゆっくりと、無表情に顔を上げた。 「……うふふ、そういうことね。やはり奈々瀬たちの愛にとって最大の障害は天上院佑斗――あのお邪魔虫と、そしてセイバーギア」  ジジジ、と嫉妬の炎を燃やしながら羽生奈々瀬は立ち上がる。渡しそこねたチョコレートを宗司狼の机にそっと入れると、暗い炎を揺らめかせながらつぶやく。 「でも、覚悟するがいいわ。最後に勝利するのは奈々瀬たちよ。なぜなら、愛とは何物よりも尊いのだから……おーほっほっほっほ!」  夕闇に包まれた3-Aの教室に哄笑が響き渡る。  それは恋する乙女の笑い声だった。  ブルブルッと震えて辻宗司狼が振り返る。 「どうしたの、宗ちゃん。セッティングもうできたんだろ」 「あ、いや……うん。ちょっとね……」  とてつもない悪寒を感じた  だが、その正体を宗司狼は知らない。 「ところで宗ちゃんはチョコって貰ったの?」 「バレンタインデーのチョコ? あっと、それならたしか4つか5つほど」 「うわあ、やっぱ宗ちゃんモテモテだな! 俺にもわけてよ!」  どうやら羽生奈々瀬の戦いはまだまだ終わりそうにない。 おしまい ■ ・羽生 奈々瀬(はにゅう ななせ)  双葉学園初等部3-A。恋する乙女。 ・辻 宗司狼(つじ そうじろう)  双葉学園初等部3-A。沈着冷静を信条とする風魔導師。  羽生奈々瀬の想い人。 ・天上院 佑斗(てんじょういん ゆうと)  双葉学園初等部3-A。セイバーギアが大好きな熱血少年。パイロキネシスト。  羽生奈々瀬の同級生。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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