壊物機 第三話 後編2

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  ・・・・・・  目が覚めると平らな石の祭壇に寝そべっていた。  その部屋は全体が石造りの旧い建築であることを匂わせ、なぜか俺が寝そべる祭壇の対面にもう一つ祭壇が置いてある。部屋の両端に祭壇がある形だ。  どういうわけか部屋から出入りするための扉はどこにも見当たらない。窓らしき穴はあるが、恐ろしいことに宇宙空間が見えてしまっている。 「……夢だな、これ」  まだ目は覚めていなかったようだ。  石造りの硬い寝床だが仕方ない。もう一度眠って目が覚めるのを待とう。夢の中で寝れば目が覚めると聞いたことがある。少なくともこんな珍奇な空間に目を通さずに済むだろう。  ……しかし夢なのに感触があるってなんか変じゃないだろうか、別にどうでもいいことだが。 「寝よう」 「寝るなこのド阿呆!」  眠ろうとしたところを、突然の罵声とともに祭壇から蹴り落とされた。やはり蹴られた痛みと落ちた痛みはしっかりと感じてしまう。リアルな夢だ。  まぁ、それは置いといて。 「何しやがる……あ?」  俺は立ち上がり、俺を蹴り落としてくれた奴を見る。  仁王立ちで俺を睨みつけるそいつはこの十日の間恐ろしく見覚えのある顔だったが、同時に見覚えのない顔だった。 「…………ウォフ、か?」  思わず疑問文で口にする。  そいつの顔の造詣はどう見てもウォフだった。しかし同時にウォフとの相違点が多かった。  まず肌の色。ウォフが色白だったのに反して、そいつの色は深い褐色だった。  次に眼帯。ウォフの顔に掛かっていたあの黒い眼帯がそいつの顔には掛かっていない。それに衣装もフリフリのドレスやメイド服ではなく、南国の布のような服だ。  そして右腕。機械だったウォフの右腕と異なり、そいつの右腕は生身(というのも変かもしれないが)だった。だからと言って左腕が機械な訳でもない。  総評。こいつはウォフではない。ウォフもどきだ。  まぁ、それはそれとして。 「でいッ」 「きゃんっ!?」  とりあえず一発ぶん殴った。  夢の中だからか、そいつが軽いからかは知らないが冗談のように吹っ飛んで反対の祭壇まで転がっていく。  そのままピクリとも動かない。 「……死んだか」 「死なんわ!!」  そいつは吹っ飛ばされたときの倍のスピードでリターンしてきた。  しかもドロップキックで、だ。  今度は俺が祭壇まで吹っ飛ばされた。 「……ッ! テメェ……」 「睨むな! 今のはどう考えてもいきなり殴ったお前が悪いんだぞ!! 私のは正当な仕返しだ!」 「お前が先に蹴り落としたじゃねえか!」 「あんなもの攻撃のうちに入らんわ! 人に呼ばれておいていきなり寝るお前が悪い!」  ……呼ばれて? 「おい、この珍奇な部屋に俺を呼んだのはお前なのか?」 「珍奇とか言うな! 私の住処だぞ!」 「そうか。住人含めて珍奇なんだな」 「……捻り潰してやろうか?」  そいつはそう言うと、言葉通り文字通りに変形を始めた。  ウォフがそうだったように弾機と発条と歯車と螺子に分解され……人の姿よりも巨大な姿に再構成される。  ただし、それは右腕だけだった。  ウォフ・マナフの右腕だけがそこにあった。まるでウィトルウィウスとの戦いの時のように。 「お前……!」 『フハハハハ! ようやく理解したかこの戯けが!』  満足したのか、右腕は元のウォフもどきの姿に戻った。  そしてふんぞり返って俺を見下している。……ウォフと同じ顔な分、余計にむかつく。  なので。 「フッフッフ、そうとも! へっぽこなお前とのろまなあれが巨人モドキに苦戦しているのを助けたのは私だ! さあ崇めろ! 奉れ! 土下座しあたたたたたたたた!?」  人体破壊作法を両腕同時に極めた。 「お、お前な!? こんなことして只で済むとぎゃーーーー!?」  ついでに背骨。  弾機と発条と歯車と螺子で出来てても人体破壊作法極められるくらいには人体構造に近いんだな、などと考えながら俺は技を掛ける。  人体破壊作法はそれから都合一分半、ウォフもどきが泣いてギブアップするまで続いた。 「痛いよう痛いよう……うぅ、女に手を上げると罰が当たるぞ」 「人を二度も足蹴にする女相手にフェミニストやるほどお人好しでも善人でもねえよ。で、お前が俺をこの珍奇部屋に呼んだわけか?」 「珍奇言うな! ……ああ、そうだ! 私がお前をこの空間に呼んだ! お前が寝こけていたようだからな。お前と話す丁度いい機会だと思ってこの精神世界に呼び寄せた。銃弾を撃ち込んでくれた礼もしたかったしな!」  ……どうやらあれを根に持っていたらしい。  それとあのときのウォフ・マナフはこいつが動かしていたことが確定した。 「お前はウォフ・マナフの右腕なのか?」 「右腕などとは呼ぶな。これでも名はある」 「へぇ、名前は?」 「訳あって正式名称は名乗れん。ゆえに悪心と名乗らせてもらおう」 「……永劫機にも中二病ってあんのか」 「おい、お前また失礼なこと考えてないか? 悪心という名にはちゃんと意味があるんだぞ」 「ウォフの『中』の悪い心ってことか? いわゆる多重人格なのか、お前は」 「違うな。ウォフ・マナフの『外』の悪い心だ。混ざり合うのは私達の名の由来たる対立神の定義に反する。とは言っても、私があれの右腕として間借りし、あれの支配下にあるのもまた事実。遺憾だ」 「対立神、ねぇ」  ……逆立ちしても神様ってほど大したもんじゃねえだろ。あいつは。  ただそれでも悪心が何を言いたいのかは実のところ中二病云々ではなくちゃんと理解できている。  ウォフ・マナフはゾロアスター教の神の名前で、裁きの神にして善心の神の名だ。  そしてゾロアスター教は、善悪の対立構造を主題とする宗教。当然、善心の神の対極である悪心の神も定義されている。  恐らくは、ウォフもこいつもそこから名づけられているんだろう。  そうするとわざわざ名乗ってもらわんでもこいつの正式名称は丸分かりなんだが、まぁ言うのも無粋か。  しかし、対立構造ね。 「ところでウォフは瑪瑙で出来てるわけだが、お前も瑪瑙製なんだよな? 右腕なんだし」 「うむ。知っているか? 瑪瑙という名は馬の脳に似ていることから名づけられたそうだ。脳の宝石とは私達の力に似合いだとは思わんか?」 「なるほど」  時間感覚を狂わす力と、脳に類似した宝石。  さらに言えば右脳と左脳の対立。  六時が表す長針と短針の対立。  ウォフ・マナフと悪心の対立。  須らく相似系。偶然なのか狙ったのかはわからんがよく出来ている。 「永劫機は超科学だけでなく魔術的な要素も大なり小なり絡む。因果関係を絡ませてこじつけて多少なりとも能力を上げようとしたとも考えられるな。特に私達を作った開発チームは変わり者だから十分ありえる」 「変わり者?」 「私達の思想的な意味ではない方の対立構造もその一つだ。善と悪は対立し続ける。悪がなければ善はなく、逆様に言えば悪があれば善もある。どちらかが壊れても、もう一方が無事なら他のパーツ同様に修復できる」 「だから胴体の、ウォフの時計を壊されても直ったってわけか」 「もっとも、それらにキャパシティを取られているせいで二つも時計を積んでいる割に時間操作の力は他の姉妹に引けを取る形になっているがな」  ……|時感狂化《マッドタイム》だと厳密には時間操ってないしな。 「同じ開発チームの他の永劫機だと、機体自体のステータスをとことんアンバランスにしたり、時間消費が分からない仕様になっていたりと……何にしても無茶をやらなきゃ気がすまないのが私達の開発チームだったな」  俺の苦労の大本はそいつらか。どうせならもっとまともに強い機体として創ってくれれば……ん? 「……時間消費?」 「私達が消費する契約者の時間の目盛りだ。これがわからないと中々不便だが、安心しろ私達はちゃんとそれが把握できている」 「初耳だぞ」 「大した問題はないだろう。把握できているのだからこれからはちゃんと」 「時間を消費ってのはどういうことだ?」 「…………」  悪心が信じられないという顔で俺の顔を見る。  やがて恐る恐る、俺に俺が知らなかったことを尋ねてくる。 「……おい、まさか、言ってなかったのか? あのたわけは」 「初耳だ」 「…………馬鹿かあれは。馬鹿だなあれは。よりにもよって……それは愚かという言葉ですら片付かん、戯けだ」  どうやら俺がそれを知らないというのは相当重要な問題だったようだ。 「……わかった契約者。私が話そう。一から十まで教える」  悪心という肩書きの割には世話焼きらしい。 「我々永劫機は例外なく、――使用者の時間を食って動く」  悪心は言葉の意味を一つ一つ理解させるように話す。 「食う、ってのは?」 「文字通り、時間を食う。何の時間を食い、消費するのかは永劫機毎に異なる。寿命を削るもの、体年齢を進ませるもの……様々な時間の消費方法があるが私とあれは『活動時間』を食う」 「活動時間?」 「お前の起きている時間だ。相手の時間感覚を狂わせる私とあれの消費するものとしては適当だろう?」  相手の時間感覚を狂わせ、強制的に相手の活動時間を無為化する時感狂化。だからこそ、その代償も契約者の活動時間ってわけか。 「当たり前だが、使う力が増すほど消費する時間も多くなる」 「そうか。一回時計を壊された後で力が上がったのは消費する時間を増やしたからか」  ここに来る前の異常な眠さは使った分を支払わされたって訳だ。 「増やした……か。少し違うぞ、契約者。私は、ウォフ・マナフの標準値の力しか使っていない」 「?」 「胸の時計、ウォフ・マナフの中枢時計が壊されただろう? あの後、奴が修復して目を覚ますまでは私が全ての制御を代行していた。私は、ウォフ・マナフが本来出せる標準値の力を使っていただけだ」 「なら今までの笑えるほど弱かったウォフ・マナフは?」 「あれが自分でパワーを抑えていたのだろう」  わざわざそんなことをしていた理由は……。 「俺の時間を消費しないためか……」 「だろうな。消費するのが活動時間と言っても、消費しすぎれば待っている結末は悲惨だ。死ぬまで眠ることになる」 「……そりゃ悲惨だ」 「しかしそれでも、あれは戯けだ。どうしようもない戯けだ」  悪心は深く息を吐き出し、心の底からと思われる声を吐露する。 「力を制限して……それで契約者を死なせては元も子もないだろうが……!」  ふと、俺はウォフがこの三日間、何を悩んでいたのか分かった気がした。  ウォフはこのことを悩んでいたんだろう。  力の制限をやめて、力を取り戻して俺達を襲う敵と戦うか。  力を制限し続けて、俺の時間を削らないようにするか。  悩み続けて、それでも答えが出ないままダ・ヴィンチとの戦いになり、時計を壊され、悪心に制御が移り、俺の時間を消費して、勝った。  だからそれを知ったあのときにウォフは泣きながらあんなことを言ったんだろう。 『ごめん、なさい…………』 「……やっぱポンコツでバカで阿呆でしょうがねえな、あいつは」  つくづく、呆れる。むかつく。 「一遍言ってやらねえと、な」  そうと決まれば、寝てなどいられねえんだが。 「なぁ悪心、時間消費がわかるつったよな?」 「何を聞きたいのかはわかるぞ。あの戦闘で私が消費した時間は戦闘時間が短かったこともあって数日分。何もしなくても何日か経てば自然と目が覚める程度だった」 「何もしなくても、ってことは何かすればもっと早く目が覚めるのか? それに『だった』ってことはもう短くなってるのか?」 「人間かラルヴァかを殺して時間を奪えばいい。それを自らが消費する時間の代わりにできる」  時間を奪って代わりに、ね。  そりゃ戦う度に操縦者が寝たり死んだりしてたらしょうがねえからな。当然っちゃあ当然のシステムではある、が。 「…待った、俺はダ・ヴィンチを殺してないしラルヴァでもそんな覚えはないぞ」 「お前の消費した時間を軽減したのは前の貯金だ。十日前のな」  十日前、俺とウォフが初めてあった日。あの日は……。 「あのゴーレム使いか」 「そう、あの人間の時間だ。と言ってもあれが出力を抑えていたとはいえ、数度の戦闘と今回の私の戦闘で貯金はもう使いきった。どうするんだ?」 「どうするんだと言われてもな」  もう戦わないか、また他者を害するか、次は自分の身を削るか、あるいは他の何かをしなければならない。しかし今はそんなことより、 「とりあえずウォフの奴に二言三言言ってやりたい気分だ」 「……それもいいだろう。じきに目も覚める。ほら」  悪心が部屋の壁の一角を指さす。するとそこに今まではなかった扉が備えつけられていた。 「あの扉から外に出ればお前は目覚める」 「そうか……色々ありがとな、悪心」 「な、なに?」  俺が礼を言うのがそんなに意外だったのか、悪心は動揺していた。 「永劫機について知っておかなきゃならないことを教えてもらった。それにウィトルウィウスとの戦いでも助けてもらった形になるからな。やっぱ感謝はするべきだろう?」 「……そ、そうとも! 感謝しろ! 参拝しろ! お百度参りだ!」 「そこまではしねえよ」  つうかどこに参ればいいんだ。ここの祭壇か? 「んじゃ、起きるかな」 「そうか。あの戯けはキチンと叱りつけておけ」  悪心は祭壇に腰掛けたままひらひらと手を振る。 「そういやお前はここから出れねえのか?」 「今は出れん」 「それだと退屈そうだな」 「……そうでもない。そこの窓から色々なものが見れるようになっているからな、退屈などしないさ」  宇宙空間とか見えてるしなぁ……。 「ま、いいか。それじゃ近いうちにこっちに招待してくれや」 「……なに?」  悪心は不思議そうに首を傾げる。 「お前にはまだ聞きたいことがあるしな。それに言っただろう?」  あのウィトルウィウスとの戦いで。 「『お前も含めて俺のもんだ』。だから俺が会いたいときに会いにくるぜ?」 「――――」 「んじゃ、起きるとするぜ。またな」 「……また、な」  そうして俺は扉を開け、現実へと帰還した。  ・・・・・・・・・・  扉を開けるのと、瞼を開けるのは同時だったように思う。  目を覚ますと俺は見知らぬ天井を見上げていた。 「…………」  一先ず記憶の確認。夢……ではなくあの珍奇な精神世界でのことは起きているときの出来事と同様にしっかりと覚えている。  次に現実の自分の状況を確認。周りを見回すと、そこがどこかの喫茶店の中であることは分かった。カウンターの中では店主らしい男がコーヒーの豆を挽いており、客らしき人影もいくつか見える。その内の一人は見覚えがあった。俺と一緒に攫われたあの少女だ。  上体を起こして気づいたが、どうやら俺は店内の長椅子の上に寝かされていたらしい。  それにしても、店の雰囲気が奇妙に旧い。ほんの十年の歴史しかない街のはずなのに店内のインテリアのデザインは六十、七十年代のそれだ。店主の趣味か? 「お、目が覚めたのか」  店内にいたうちの一人が俺の起床に気づいて寄ってきた。  日本人の顔立ちの若さから逆算して、大体俺より少し上くらいの男。多少整った顔立ちをしているものの、妙にバカそうな表情がそれを帳消しにして余りある。 「いくら揺さぶっても起きないから心配したんだぜ? 連れのお嬢ちゃんは泣きっぱなしだったしな。あ、俺の名前は真崎春人、ここは喫茶アミーガであの人が店主のおやっさんだ。それと」 「はじめまして」  店内には俺を除いて四人の人間がいた。真崎某、店主、少女。そして最後の一人。  俺よりは年上だろうが、若い女性だ。美人とも言える。  ただし彼女から受ける印象はそういう単純なものだけではなく、もっと複雑な……シンパシーとでも言うべきものを感じる。 「安達遊衣よ。今日は娘が助けてもらったみたいね」 「……ラスカルだ」  娘……というのはこの少女のことだろう。少女の年齢と彼女の年齢の計算が少し合わない気がする。夫のほうが犯罪的な嗜好の持ち主だったのか? 「一つ訂正させてもらうと助けたんじゃなくて単に俺が狙われてそれに巻き込まれただけだ」 「それでもこうして無事だったんだから、お礼の一つも言わせて」 「…………」  どうにもむずかゆく居心地が悪い。それは単に礼を言われるべきでないところで礼を言われただけでなく、奇妙な違和感がここにあるからだ。 「……ところで、俺の連れがどこにいるか知らないか?」  今の俺の手元に瑪瑙懐中時計はないし、動いているらしいことは感覚で伝わってくる。なら、ウォフは人間の姿でどこかにいるんだろう。 「そうね、ちょっとあの子のことであなたに話さなきゃいけないことがあるの」  ……? 「調子悪くして倒れでもしたのか?」  言ってから、ありえないと否定する。調子が悪いなら人間形態ではなく懐中時計になっているはずだ。 「似たようなもの、ね……。ついて来てもらえるかしら。凛、ちょっとここで待っててね」 「うん! でもママ、浮気はしちゃ駄目よ」  少女の子供らしくない(ある意味子供らしいストレートな)注意に真崎某が色めき立つ。 「浮気!? おいお前! 遊衣さんに手を出したらただじゃおかないからな!」 「誰が出すか」 「俺!」 「…………」  第一印象通りのバカだったらしい。  そんな掛け合いをしているうちに彼女はもう店から出ていた。バカの真崎某は放っておいて俺も喫茶店を後にする。  店の外はもう夕暮れだった。地下演習場に連れて行かれたのが昼前で、それから戦いに掛かった時間などを計算しても楽々四、五時間は経っている計算になる。 「……時間の消費、か」  悪心が言っていた数日分よりは随分と少なくなっている。国に帰ったらあのゴーレム使いにも墓くらい作ってもいいかもしれない。  と、俺が考えている間に彼女はまた先に行ってしまっている。……少しは待ってくれていてもいいんじゃねえか。  そんなに早く向かわなきゃならないのか。  あるいは、早くここから離れなきゃならないのか。 「…………」  どちらにしても着いて行くしかなかった。  この街の外周部にあったらしいあの喫茶店から十分ほど歩くと、街を囲む東京湾と接する海岸に辿りついた。  十年前までは近代都市の港湾として平均的な、有り体に言えば汚染された水質だった東京湾は、この双葉区の建設と共に行われた東京湾浄化計画によってリゾート地と遜色ない美しさとなっているとは聞いていた。  その情報は正しく、車に乗って眺めているだけでは分からなかったがこうして海岸に下りればはっきりとその清浄さが分かる。  それで、わざわざこんな場所まで連れてきて何の話をするのか。  俺は彼女の言葉を待つ。  彼女の第一声は 「私も、永劫機の契約者よ」  俺が予想していたものの一つだった。  ああ、やっぱりか。というのが俺の感想だった。  驚きはしたがこの街に他の永劫機がいることは分かっていたし納得もした。初対面のときから感じていたシンパシーはそれだったのだ、と。 「それと……この子達を生み出した計画に所属していた人間でもあるわ」  彼女はそう言うと瑠璃で造られた懐中時計を取り出す。  その瑠璃懐中時計は見慣れた過程を経て、人の形に変わる。  黒服を纏った黒髪黒瞳の美女。しかし、その衣服の端々の意匠もまたウォフの服によく似ていた。 「はじめまして……。永劫機午前五時の天使、ロスヴァイセです」  自分以外の契約者とウォフ以外の永劫機との初対面、か。 「……それで、ウォフについて話さなきゃならないことってのは何だ?」  恐らくだが、話があるというのは嘘じゃないだろう。ウォフがまだ無事に生きているのは感じる。これで俺達を害するつもりなら俺が寝ている間にいくらでも出来たはずだ。 「永劫機を作った組織の人間だって言ったな? あいつを回収に来たのか?」 「いいえ……。永劫機開発計画自体はもう終わっているの。だから私がそのメンバーとしてウォフ・マナフを回収することはないわ」  ……なるほどな。センドメイルばかりであいつの開発者が襲ってこないと思えば、もう潰れてたってことか。  これで想定してた敵のほとんどは消えたことになるな。 「けれど、場合によってはこの世界に散らばった永劫機は全て回収するつもりよ。……私個人として、ね」  ……何? 「もしも永劫機を悪用しようとする人間が……強い力を持つ永劫機を野望の道具としか考えない人間の手に渡っていたなら私はあの子達を取り戻すわ」  親心か、もしくは正義感か。  どっちにしてもそれは俺と相性が悪い。 「……なら、ウォフを取り戻すってことか」  この、悪党《ラスカル》の魔の手から。 「いいえ?」  ……………………。 「いやいやいやいや、ちょっと待て。何で『どうしてそんなこと聞くのかしら?』みたいな顔してんだ。今の話の流れだとどう考えても俺から取り戻すって流れだったろうが!」 「あら? 取り戻して欲しかったの?」 「んなわけあるか! だがよ、俺は悪党だぞ? ウォフにもう会ってるなら、俺がどういう人間でどういう経緯と目的でウォフを手に入れたか知ってるんじゃねえのか?」  武器商人で、金で買って、兵器として量産するつもりだった。  思い返すと自分でも非の打ち所がないほどにクロだった。 「そうね。たしかにそれだけなら、私はあの子を取り戻すためにあなたと戦ったわ」 「だったら」 「私達がトンネルの中であなた達を見つけたとき……あの子が何て言ったと思う?」 「……何て言ったんだ?」 「『私はどうなってもいいですから、御主人様を助けてください』。代償で眠りに落ちたあなたを抱きかかえて、泣きながらそう懇願したの」 「…………」 「永劫機はね、好きじゃない契約者のためにそんな言葉は絶対言わないわ。あの子は本心からあなたを助けたいと思っていた」 「…………」 「だから、あなたとあの子の絆を断ち切ることはしないわ」 「……あいつはどこに?」  彼女は砂浜の向こうを指さした。 「迎えにいってあげて。……あの子も今回の件で傷ついているはずだから」 「あー、随分ボロボロにやられてたしな」 「ラスカル君?」 「冗談だっての、笑顔で睨まねえでくれ。……んじゃ、迎えにいってやるかな。と、そうだ」  俺は胸のポケットに入っていた名刺ケースを取り出し、万年筆で名刺の裏面に俺の携帯電話の番号をメモして彼女に渡した。  今回の騒動の件でまた学園側からあれこれ聞かれると面倒なので、退出許可は出てないがウォフと合流したらすぐに学園を出る。だからこれは今のうちに渡しておくべきだろう。 「これは?」 「俺の連絡先だ。永劫機の契約者同士、ちったぁ連絡取り合う手段があってもいいしな。それと必要ならうちの会社の武器を用立てしてやるよ。なんかの役には立つだろ」 「そうね。なら私の番号も伝えておいたほうがいいかしら?」 「こっちから聞きたいことができるかもしれねえしな。あ、そういや一個聞いときたいことがあった」 「なにかしら」  俺はウォフに初めて出会ってから抱いていた疑問の一つを彼女に問うた。 「あの妙に装飾過多で微妙趣味なゴスロリデザインしたのどこのどいつよ?」 「…………」  なぜか笑顔のまま無言でぶっ飛ばされた。  砂に靴底を沈めながら海岸を海に沿って歩く。西に顔を向ければ海を挟んだ先の街並みに夕日が沈みかけている、じきに夜になりそうだ。  俺の国では見慣れない光景を背景に海岸線を進むと、夕日の色と砂の色に混じって人の形の影が砂浜の上にポツリと落ちていた。誰のものかは言うまでもない。 「潮風浴びたら錆びるぞ、ポンコツ」  俺が声をかけるとウォフは驚いたように、怯えたように小さく肩を震わせた。 「御主人……さま」 「夕日を眺めて黄昏れでもしてたのか? らしくねえな」 「…………」  ウォフは避けるように俺から視線を逸らす。前ならむかついてお仕置きの一つもしたところだが、悪心の話を聞いた後なら逸らした理由も分かる。 「俺の時間を食ったのがそんなに後ろめたいか?」 「! 御主人様、どうして!?」 「ある奴から聞いた。永劫機は戦うたびに契約者の時間を食うってな」 「遊衣さんから、聞いたんですね……」  なんか勘違いしている。  しかしそれを指摘する間もなく、俺が永劫機の秘密を知っているとわかったからかウォフは俺と視線を合わせる。  ウォフは何かの覚悟を決めた顔をしていた。 「御主人様……。私は、三つ……嘘をついていました」 「へえ?」  三つ、か。 「一つ目はもうご存知ですが、永劫機の仕組みです。契約者の時間を消費する、あるいは生物を殺して時間を奪って戦う。どうしたって壊すことしか、奪うことしかできない。どうしたって終わらせてしまう壊れた理屈の機械。それが……永劫機です」  最終的には誰にも益をもたらさずマイナスしか残さない。あるいは、ゼロ。  それが永劫機なのだとウォフは言う。 「ま、それはもう知ってることだ。二つ目は?」 「御主人様との契約は……事故じゃないんです」  ……何? 「私の、意志でした」 「…………」  俺は言葉を無くした。  俺とウォフが契約したあの唐突すぎた出来事が事故でなく、ウォフ自身の意図によるものだった? 「本来なら、永劫機は契約者の合意がなければ契約できません。けれど私は……壊れてますから。契約者の合意無しに一方的に契約を結ぶことが出来ます。だから私は……、契約しました」  なぜ?  そう、なぜだ。  なぜウォフは俺と契約を交わしたのか。それがわからない。  しかしウォフはその理由を語らず、三つ目の嘘を口にした。 「三つ目は、私がいつでも力を得ることが出来たことです。力を……取り戻せることをずっと黙っていたことです」 「……お前が時間の消費を抑えていたからか」  ようやく二つ目の嘘の困惑から回復し、言葉を口にした。 「はい。本来の出力よりも低い出力に抑えることで、御主人様の消費する時間を減少させてました」 「それは俺のためか?」 「……いいえ。私のためです。御主人様のところにいたかったから、ウォフ・マナフという道具のデメリットがばれないようにしていたんです。ただの、弱いけれどただの道具として扱われるために」 「…………」  思い出されるのは三日前の夜。リムジンの車中に現れたラルヴァの残した言葉。 『一つ、他人が言ったことを鵜呑みにしちゃいけません。相手が嘘偽りを交えて話してる可能性も考えましょう』  それはつまりは、ウォフの三つの嘘のこと。 「御主人様が力を得るために手を尽くしたことは知ってました。アルフレドさんとの戦いで力を抑えたままじゃ絶対に御主人様を守れないことも分かっていました。だけど私は、それを何とかできる力が自分にあるのに、御主人様にそれを伝えることさえ悩んで、結局出来なくて……。私は……」  ウォフの目からポロポロと、涙がこぼれる。  機械であるはずのウォフから……。 「滑稽、ですよね……。私は道具なのに……、怯えてたんです。御主人様に私の嘘が知られて、見放されるのが怖かったんです。そのままじゃ、御主人様の命が危ないのも分かってたのに……自分が嫌われたくないから、何も言えなかった」 「……ウォフ」 「御主人様の、言葉のとおりだったんです」  ウォフの声が震え、声がかすれる。 「私は、疫病神。あなたを勝手に巻き込んだくせに、力以外渡せない。力しか渡せるものがないのに、力を渡せば、あなたから時間を奪ってしまう。そうすることさえ躊躇って、あなたの命を危険に晒す……どうしようもない壊れ物」 「どうしようもない……壊物機《永劫機》」 「…………」 「御主人様、こんな私のことはここに捨てていってください。こんなガラクタ同然の私でも、この潮風は錆びつかせて本当のガラクタにしてくれるかもしれません」  ウォフは言うべきこと、言い残したいことを全て言ってしまったのか俺に背を向けてまた海へと顔を向ける。  俺は、ウォフの言葉を聞き終えてどう言葉を返すべきか迷った。  あいつの嘘、自分の考え、悪心との会話、永劫機という存在、これからのこと。それら全てがぐちゃぐちゃとしたまま頭の中を駆け回り、結局は何も言うことが出来ない。  何も言葉を口にすることが出来ない俺は――――無言のままウォフを担ぎ上げた。 「きゃっ!?」  ウォフの軽い身体を担ぐ形から背負う形になおして、二人分に増えた重さで砂浜に足を沈めながら、帰路を歩く。 「御主人様っ! どうする気ですか!?」 「帰る」 「帰るって……。私は、あなたに災いを振りまく疫病神ですよ!」 「知ってる」  ほとんど脊髄反射のように、ウォフの言葉に応える。 「まともに主人に尽くすことも出来ない、主人にいくつも嘘をついた道具です!」 「知ってるよ」  ただ知ってるから、知ってると言う。考えるまでもない言葉。 「欠陥だらけの、……どうしようもない壊れ物です!」 「知ってるっての」  そんな問答をしているうちに、俺の頭はかけるべき唯一の言葉《本心》を自分の中から見つけ出した。  ああ、まったく。話はこんなに単純で最初からわかりきってるじゃねえか。 「だったらお前はこのことを知ってるか?」 「何を……」 「永劫機ウォフ・マナフはポンコツで、スタイルが悪くて、服装も変で、たまに生意気で、本当にどうしようもない……」 「俺の相棒だ」 「……………………ぁ」  ウォフは俺の相棒。そんなものは出会ったその日に決めたことで、覆した覚えなんて一度もない。  だから、それがウォフの嘘に返す俺の唯一つの答え。 「始まりが嘘だっただの、秘密を黙ってただの、今日の戦いがどうだっただの……んなことくらいでお前を手放すか阿呆」 「…………」  ウォフの体に触れている背中を通じて、ウォフの体が小刻みに震えたのがわかった。  やがて、堪え切れなかったのか嗚咽がただ『泣く』という行為に変わっていた。  ウォフがなぜ泣いているのか。ウォフが今何を思っているのか。そんなのは俺にはっきりとわかることじゃない。  ただ、悲しいとは感じて欲しくないと、それだけ思った。  泣き止んだウォフを背負いながら俺は双葉区と本土を繋ぐ橋へと歩いていた。  歩くのは手間だったが、もうバスに乗りたいなんて気持ちは欠片も湧かないから仕方ない。  橋の警備は相手が一般人なら時間狂化でどうにかできるだろう。異能力者だったなら別の手で出ることを考えればいい。  そんな風にあまり深く考えず俺は歩を進めていた。 「御主人様、重くないですか?」 「時計より重くて俺より軽いな」 「当たり前です……」  別にもう背負う必要も無かったが、下ろすタイミングをなくしてしまった。  そうして歩いていてふと、一つ聞いていないことがあったと思い出した。 「なぁ、お前は何で俺を契約者に選んだんだ?」 「え。ええと、その……」  俺がウォフに尋ねると、ウォフは答えづらそうに言いよどんだ。 「あ、あの……怒ったり笑ったりしません、か?」 「しない」   たぶん。 「じゃあ言いますけど……。その、私達永劫機と契約できる素養がある人って少ないんですよ」 「それでか?」 「いえ、そうじゃないです……。開発チームから流れてマスカレード・センドメイルに拾われてからも素養がある人はいたんです。でも、どの人とも契約する気になれなくて……。ずっと反応がないふりをして過ごしてて……、そしたらある日盗まれて、御主人様のところに売られて」  ああ、あの日か。 「私を手に入れた御主人様は、まず私を磨いてくれましたよね。その手つきが優しくて……なんだか爽やかで……」 「……それが理由か?」 「ち、違います……、それもありますけど、…………顔が」  顔? 「御主人様の顔がすごく好みで……」 「顔かよ!!」  思わず大声でつっこんだ。 「お、怒らないって言ったのに」 「怒ってねえよ! 怒ってねえけど……あぁったく!」  もうどう反応していいかも分からない。俺が契約された理由がさして人より美形というわけでもないこの顔のせいだとは思わなかった。つうかなんだそれ。どう対応すりゃいいんだ。  お返し(と言うのも変だが)に少しいじわるな質問をする。 「じゃあウォフ。爽やかで優しそうな第一印象と顔で選んだけど実は真逆の悪党《ラスカル》だったお前の御主人様を今はどう思ってるんだ?」 「そんなの決まってます……」 「この世界で、一番大好きですっ♪」 「…………」  ほんと、どう対応すりゃいいんだろうか。  つうかひょっとして告白なんだろうか。 「お、お返事は?」  告白だった。 「時計より好きで俺よりは嫌いだな」 「結局どこに入るんですか!?」  俺とウォフが出会ってから十日、俺達の最初の物語はこうして幕を閉じた。  壊れた悪党と壊れかけた嘘つきは出会い、相棒になった。  これが、最初の物語。  まだ先へと続く第一歩。  この先にはまだ無数の物語が待つ。  双葉学園、永劫機、悪心、ナイトヘッド、この後の物語のキーワードは始まりの物語の中でさえ散りばめられていた。  そして、俺達の知らない場所で動き始めた物語もあった。  それを俺が知るのはその物語が終わってからのことだった。  壊物機 第三話  了  ・・・・・・  ・OTHER NOTES  2009年某月某日  作戦概要  合衆国は太平洋上の無名島に建設された秘密研究所及び当該研究所で開発されていた兵器の鎮圧作戦を開始。  作戦名『ブレイクエッグ』  上陸戦力は合衆国第八異能力者部隊『シヴ』、第九異能力者部隊『パリンクロン』、フリーランサー『魂売り《ソウルバイヤー》』、『ウィル&ジャン』。  海上戦力として航空母艦『アーノルド』を中心とした分艦隊を配置。  想定される敵戦力は機械化重装ラルヴァ・通称『マシンモンスター』個体数不明、研究所の防御システム、フリーランサー『アルフレド』、『アインハンダー』。  最重要目的は当該研究所所長『リリー・E・サラディン』の暗殺及び開発中の巨大機械化重装ラルヴァ『Ⅹ』の起動前破壊、関連データの抹消。  作戦終了  『リリー・E《エラー》・サラディン』の暗殺に成功。関連データの抹消に成功。  ただし上陸戦力は『シヴ』と『パリンクロン』の生存者を残し壊滅。  敵戦力は『マシンモンスター』壊滅。『アルフレド』逃亡、『アインハンダー』生死不明。  追記事項  当該研究所にてワンオフナンバーⅩⅩⅦ『至天ノ道筋《シルクロード》』出現。  作戦目標『Ⅹ』起動確認。  これより海上戦力による二体の殲滅を目的とした第二次作戦を決行する。  事後記録  航空母艦『アーノルド』――轟沈  僚艦――全滅(全艦船轟沈)  死者数――二千六百七十二人  三日後に救出された生存者の証言から、被害は『至天ノ道筋《シルクロード》』ではなく『Ⅹ』一体による被害と判明。  二週間後、認定機関は『Ⅹ』をワンオフと認定することが決定。  研究所に残されていた研究者の日記から『Ⅹ』の名称が判明。  以後『Ⅹ』は『怪獣兵器《メルカバ》』を正式名称とし、合衆国最上級敵対目標の一つに指定。  『怪獣兵器《メルカバ》』の現在地――不明。

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