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雪女。
人里に降り、人と交わり、子すら妖怪。
それは有名だ。そして他にも、人間と結ばれる妖怪、の伝承は沢山ある。
そう、だけど。
袖引き童子が、人と結ばれたという伝承は――何処にもない。
無いのだ。
少女は、本を閉じてため息をつく。
「柚ちゃん、どうだった?」
その古本屋の店長の女性が声をかけてくる。紬は、黙って首を横に振る。
せっかくわざわざ探してくれたのに申し訳ない、と彼女は思った。確かに欲しい情報について、その本には記載されていたが、それが本人の望む結果かどうかは別であった。
それでも紬は店長の厚意に感謝の笑顔を返す。
……判りきっていたことなのだ。
人と結ばれる妖怪もいる、それは転じて、結ばれぬ妖怪の方が多くて、そして……自分はそちら側なのだと。
最初から。
判りきっていた……ことなのだ。
双葉学園怪異目録
第九ノ巻 鏡の中の悪魔
「そういや、友達から聞いたけど、トイレの鏡の中に出てくる悪魔が願いをかなえてくれるとか……」
女の子たちの会話が、耳に入る。
公園で遊ぶ子供たちの輪だ。かつて、そこに自分は入れなかった。それは当然だ。自分は妖怪と呼ばれるラルヴァ。人と交わらぬ隣人。夕暮れ、夕闇に潜み、時折人の袖を引いて悪戯をする……ただそれだけの存在だ。
妖怪とは、現象に近い。そもそもが、人間が様々な自然現象や動物、あるいは偶然や思い込みといったものに名と姿を想像して与え、擬人化・神格化して語り継ぐことで、それが実体となったものが妖怪だ。
かつては、自分の有り様に疑問を抱くことも無かった。それを当然と受け入れていた。いや、受け入れるという概念すらなく、ただあるがままに、人の袖を引いて悪戯するだけだった。悪戯とは言っても、それを楽しいからするわけでも、したいからするわけでもなく……ただ自分がそういう存在だからそうするだけだった。
いつだっただろうか。
いつものように考えもせず、誰かの袖を引いた。
そしたら……その人間が振り向いて、自分を見て、そして言ったのだ。
『なんだお前。まざりたいのか?』
……それは、初めての経験だった。自分を見た人間、気づいた人間は時々いた。だが、こうやってまっすぐに声をかけてくる人間は初めてだった。
その少年は笑顔ひとつ返し、彼女の手を取って、なかば無理やりに連れ出した。公園へ。人間の子供たちの遊ぶ陽だまりへと。
その時からだ。彼女が、紬がただのそこにあるだけの現象でなくなったのは。
少年の手の暖かさが、紬に鼓動をくれたのだ。
だけど、自分は妖怪だ。どこまで行っても妖怪だ。人とは交われない。結ばれることなどない。
そうやって、諦めていた――だが。
その女の子たちの言葉を、頭の中で繰り返す。反芻する。
『願いをかなえてくれるとか……』
なら、ならば。
この想いも、この願いも、かなえてくれるのだろうか?
「……」
紬はしばしうつむき、そして意を決したように歩き出した。
陽はどっぷりと暮れ、周囲に人の気配は全くない、そんな深夜の学校に、紬は立っていた。
元々、人間にほとんど見られることもなく、力も弱い彼女にとって、こっそりと学内に侵入することは容易であった。
目指すはトイレ。鏡の悪魔が出るというその場所に、紬は歩く。
扉を開ける。
暗闇だ。だが妖怪に闇は意味を成さない。彼女にとっては昼間のようにその光景を見渡せる。その中にあってなお、鏡が不気味に輝いているのを、紬は見た。
「……」
深く呼吸をひとつ、紬はその鏡の前に歩く。
写っているのは、自分だ。
「……?」
そこで違和感に気づく。妖怪とは、鏡に映らないものだ。いや、中には映る妖怪もいるだろう。だが彼女は映らないはずだ。ではなぜか。
『何故って、おかしいことを思うのね。私はそのためにここにきたのでしょう』
「――!?」
息を呑む。自分の声、自分の言葉が、鏡の中から聞こえた。
「あなたは……」
『私よ、私。私は私、袖引き童の鏡の中の写し身。私が探していた、願いをかなえる鏡の悪魔』
鏡像が笑う。その微笑みは、自分の顔でありながら、全く別人のような異質なものだった。まさしく、悪魔の笑みと言えるほどに。
『簡単よ』
鏡像は言う。
『確かに人と私たちは一緒になれない。でもそれは、人間の世界では……の話』
「……それ、は」
本で読んだ。
昔話によくある。たとえば、泉に人を引きずりこみ、雌雄の大蛇となって主として住み続けた蛇の話。
人を引きずりこみ、殺し、その魂を妖怪に、同族に転生させ、添い遂げる……そういった話なら、枚挙に問わない。昔からある、ありふれた……それゆえに確実な、たった一つの冴えたやり方。
『私がその願いをかなえる。この世界に、鏡に引きずり込めば、それはかなう。そう、私は鏡の前に彼を誘い出せばいい。それは簡単なことでしょう?』
そうだ。
彼は、紬を信用している。友達として、おろかにも何の疑いも無く仲良く接してくる。だから……騙すなど簡単だ。
『そう、ただそれだけで、一緒になれる……一緒になりたいんでしょう?』
……でも。
それは。
「……そう。
私はあの人の気を引きたい。
ただ見るしか出来なかった私の手を掴んで、太陽の下に出してくれたあの人の」
『そう、そうよ!』
鏡像の瞳が妖しく輝く。紬はそれに気づいているのかいないのか、言葉を続ける。
そう……
「……一緒にいたい」
それは本心からの願いだ。
だが。
「だけど、違う」
本心からの願いだからこそ……それは違うと、わかる。
『何が違うの?』
「一緒にいたい。でもそれは、断じて、私たちの冷たい世界に引きずり込みたいんじゃない!」
それでは何も変わらない。
紬は、あの陽だまりの中で、一緒にいたいのだ。
冷たい闇へと引きずり込んで貶めるなど、望んでいない。
『一緒にいられると思うの、私たちと、人間が!』
「わからない。だけど……諦めてたらどうにもならない。
言われたから。そんなん諦めないで、一緒に遊ぼうぜ、って」
『願いを放棄するの!?』
「何度も言わせないで。私の願いは……そんなんじゃない」
『……! きさ……!』
その瞬間、鏡の世界に壊れたテレビの砂嵐のようなノイズが走る。そして、それが収まった後、紬の姿をした鏡の中の悪魔は、鏡像は消えていた。
「……うん」
静寂に包まれたトイレで、紬は頷く。
そうだ、自分は何を血迷っていたのだろうか。
紬はトイレを去る。
自分の願いは、見つかった。
いや……最初から、ひとつしかなかったのだ。
「……っ!? 何故、鏡が……私の世界が隔絶される!」
鏡の中から、鏡を叩く。しかし先ほどが壊れたテレビなら、今は完全に沈黙したテレビのように、うんともすんとも言わない。
「なぜ……!」
「トイレの鏡に現れる、鏡の中の悪魔……だけどねぇ、おなじトイレに出る悪魔なら……名前も爵位もない低級悪魔が、この私に勝てるわけないわよねぇ?」
不意に。
後ろから声がかかった。
トイレの個室が開く。左から三番目、いやこの世界では右から三番目と言うべきか。
「お前は……いや、あなたは……!」
その中から出てくるのは、少女。
洋式便器に優雅に腰掛けた、牛の角と尻尾を持つ、悪魔。
「そう、トイレの花子さんかっこ代理かっことじ、イコール……ベルフェゴール」
まるで処刑宣告を下すかのように、ベルフェゴールは言った。
「私はねぇ、男女の幸せな結婚が本当にあるか確かめたいのよねぇ」
一度は絶望した。一度は諦めた。だけど、また探してみる気になれた。
今になって彼女は理解していた。絶望したのは、焦がれていたからだ。幸せに憧れていたからだ。
かつてのその想いは、どれだけ時がたとうとも消えることは無かった。色あせることは無かった。それは彼女にとっての真実だった。悪魔に堕とされてなお、それは大切なものだったのだ。
「見届けたいの。断じて、ちょっかいかけたり、ましてや裏から操ったりしたいわけじゃないのよ。そういうのを見てるだけでも、ムカつくのよねぇ」
だから、許さない。
少女の無垢にして切ない願いを利用し、踏み躙ろうとする存在を、彼女は許さない。
神や仏ならば、罪を赦す事もあるだろう。だが彼女は悪魔である。そして悪魔は罪を望み、罪を好むのだ。歓迎するのだ。
罪とは、その者を地獄へと引きずり落とし、苦しめるための許可証なのだから。
故に――許してなど、やらない。
「人の婚活を邪魔する奴は――」
ベルフェゴールの右腕が肥大化する。
黒く硬質な肌に覆われた、巨大な筋肉を持つ、正真正銘の悪魔の右腕に。
「や、め……!」
鏡像の悪魔が悲鳴を上げる。
その巨腕が、鏡像へ向かって振り降ろされた。
「牛に踏まれて地獄へ落ちろ」
轟音が響く。
その音と揺れが止んだあと、そこには、砕けた鏡の欠片が残されるのみだった。
今日も、少女はそこにいる。
「遊ぼうぜ」
「……うん」
差し伸べられた少年の手を取り、その袖を引き、そして少女は駆け出す。
陽だまりへと。
「最近公園にストーカーが出るんだって、親分が言ってた」
「へぇ、物騒だな」
「世も末である」
「なんでも牛の角と尻尾つけたおっぱいのでかい女だとか」
「……へぇ」
「牛……か」
「……まさか、ね」
「うん、まさかな」
「真逆、なあ……」
寮の部屋で、座敷童子のさやと、夕凪健司、塵塚怪王がそんな話をしていた。
そう不名誉かつ不本意な噂が流れているのも気にせず、今日も、彼女は見守っていた。
「……じれったいわねぇ、押し倒し……は無理か、袖引きちゃんだし。トイレの裏にでも引っ張りこめばいいのにぃ」
了
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雪女。
人里に降り、人と交わり、子すら妖怪。
それは有名だ。そして他にも、人間と結ばれる妖怪、の伝承は沢山ある。
そう、だけど。
袖引き童子が、人と結ばれたという伝承は――何処にもない。
無いのだ。
少女は、本を閉じてため息をつく。
「柚ちゃん、どうだった?」
その古本屋の店長の女性が声をかけてくる。紬は、黙って首を横に振る。
せっかくわざわざ探してくれたのに申し訳ない、と彼女は思った。確かに欲しい情報について、その本には記載されていたが、それが本人の望む結果かどうかは別であった。
それでも紬は店長の厚意に感謝の笑顔を返す。
……判りきっていたことなのだ。
人と結ばれる妖怪もいる、それは転じて、結ばれぬ妖怪の方が多くて、そして……自分はそちら側なのだと。
最初から。
判りきっていた……ことなのだ。
双葉学園怪異目録
第九ノ巻 鏡の中の悪魔
「そういや、友達から聞いたけど、トイレの鏡の中に出てくる悪魔が願いをかなえてくれるとか……」
女の子たちの会話が、耳に入る。
公園で遊ぶ子供たちの輪だ。かつて、そこに自分は入れなかった。それは当然だ。自分は妖怪と呼ばれるラルヴァ。人と交わらぬ隣人。夕暮れ、夕闇に潜み、時折人の袖を引いて悪戯をする……ただそれだけの存在だ。
妖怪とは、現象に近い。そもそもが、人間が様々な自然現象や動物、あるいは偶然や思い込みといったものに名と姿を想像して与え、擬人化・神格化して語り継ぐことで、それが実体となったものが妖怪だ。
かつては、自分の有り様に疑問を抱くことも無かった。それを当然と受け入れていた。いや、受け入れるという概念すらなく、ただあるがままに、人の袖を引いて悪戯するだけだった。悪戯とは言っても、それを楽しいからするわけでも、したいからするわけでもなく……ただ自分がそういう存在だからそうするだけだった。
いつだっただろうか。
いつものように考えもせず、誰かの袖を引いた。
そしたら……その人間が振り向いて、自分を見て、そして言ったのだ。
『なんだお前。まざりたいのか?』
……それは、初めての経験だった。自分を見た人間、気づいた人間は時々いた。だが、こうやってまっすぐに声をかけてくる人間は初めてだった。
その少年は笑顔ひとつ返し、彼女の手を取って、なかば無理やりに連れ出した。公園へ。人間の子供たちの遊ぶ陽だまりへと。
その時からだ。彼女が、紬がただのそこにあるだけの現象でなくなったのは。
少年の手の暖かさが、紬に鼓動をくれたのだ。
だけど、自分は妖怪だ。どこまで行っても妖怪だ。人とは交われない。結ばれることなどない。
そうやって、諦めていた――だが。
その女の子たちの言葉を、頭の中で繰り返す。反芻する。
『願いをかなえてくれるとか……』
なら、ならば。
この想いも、この願いも、かなえてくれるのだろうか?
「……」
紬はしばしうつむき、そして意を決したように歩き出した。
陽はどっぷりと暮れ、周囲に人の気配は全くない、そんな深夜の学校に、紬は立っていた。
元々、人間にほとんど見られることもなく、力も弱い彼女にとって、こっそりと学内に侵入することは容易であった。
目指すはトイレ。鏡の悪魔が出るというその場所に、紬は歩く。
扉を開ける。
暗闇だ。だが妖怪に闇は意味を成さない。彼女にとっては昼間のようにその光景を見渡せる。その中にあってなお、鏡が不気味に輝いているのを、紬は見た。
「……」
深く呼吸をひとつ、紬はその鏡の前に歩く。
写っているのは、自分だ。
「……?」
そこで違和感に気づく。妖怪とは、鏡に映らないものだ。いや、中には映る妖怪もいるだろう。だが彼女は映らないはずだ。ではなぜか。
『何故って、おかしいことを思うのね。私はそのためにここにきたのでしょう』
「――!?」
息を呑む。自分の声、自分の言葉が、鏡の中から聞こえた。
「あなたは……」
『私よ、私。私は私、袖引き童の鏡の中の写し身。私が探していた、願いをかなえる鏡の悪魔』
鏡像が笑う。その微笑みは、自分の顔でありながら、全く別人のような異質なものだった。まさしく、悪魔の笑みと言えるほどに。
『簡単よ』
鏡像は言う。
『確かに人と私たちは一緒になれない。でもそれは、人間の世界では……の話』
「……それ、は」
本で読んだ。
昔話によくある。たとえば、泉に人を引きずりこみ、雌雄の大蛇となって主として住み続けた蛇の話。
人を引きずりこみ、殺し、その魂を妖怪に、同族に転生させ、添い遂げる……そういった話なら、枚挙に問わない。昔からある、ありふれた……それゆえに確実な、たった一つの冴えたやり方。
『私がその願いをかなえる。この世界に、鏡に引きずり込めば、それはかなう。そう、私は鏡の前に彼を誘い出せばいい。それは簡単なことでしょう?』
そうだ。
彼は、紬を信用している。友達として、おろかにも何の疑いも無く仲良く接してくる。だから……騙すなど簡単だ。
『そう、ただそれだけで、一緒になれる……一緒になりたいんでしょう?』
……でも。
それは。
「……そう。
私はあの人の気を引きたい。
ただ見るしか出来なかった私の手を掴んで、太陽の下に出してくれたあの人の」
『そう、そうよ!』
鏡像の瞳が妖しく輝く。紬はそれに気づいているのかいないのか、言葉を続ける。
そう……
「……一緒にいたい」
それは本心からの願いだ。
だが。
「だけど、違う」
本心からの願いだからこそ……それは違うと、わかる。
『何が違うの?』
「一緒にいたい。でもそれは、断じて、私たちの冷たい世界に引きずり込みたいんじゃない!」
それでは何も変わらない。
紬は、あの陽だまりの中で、一緒にいたいのだ。
冷たい闇へと引きずり込んで貶めるなど、望んでいない。
『一緒にいられると思うの、私たちと、人間が!』
「わからない。だけど……諦めてたらどうにもならない。
言われたから。そんなん諦めないで、一緒に遊ぼうぜ、って」
『願いを放棄するの!?』
「何度も言わせないで。私の願いは……そんなんじゃない」
『……! きさ……!』
その瞬間、鏡の世界に壊れたテレビの砂嵐のようなノイズが走る。そして、それが収まった後、紬の姿をした鏡の中の悪魔は、鏡像は消えていた。
「……うん」
静寂に包まれたトイレで、紬は頷く。
そうだ、自分は何を血迷っていたのだろうか。
紬はトイレを去る。
自分の願いは、見つかった。
いや……最初から、ひとつしかなかったのだ。
「……っ!? 何故、鏡が……私の世界が隔絶される!」
鏡の中から、鏡を叩く。しかし先ほどが壊れたテレビなら、今は完全に沈黙したテレビのように、うんともすんとも言わない。
「なぜ……!」
「トイレの鏡に現れる、鏡の中の悪魔……だけどねぇ、おなじトイレに出る悪魔なら……名前も爵位もない低級悪魔が、この私に勝てるわけないわよねぇ?」
不意に。
後ろから声がかかった。
トイレの個室が開く。左から三番目、いやこの世界では右から三番目と言うべきか。
「お前は……いや、あなたは……!」
その中から出てくるのは、少女。
洋式便器に優雅に腰掛けた、牛の角と尻尾を持つ、悪魔。
「そう、トイレの花子さんかっこ代理かっことじ、イコール……ベルフェゴール」
まるで処刑宣告を下すかのように、ベルフェゴールは言った。
「私はねぇ、男女の幸せな結婚が本当にあるか確かめたいのよねぇ」
一度は絶望した。一度は諦めた。だけど、また探してみる気になれた。
今になって彼女は理解していた。絶望したのは、焦がれていたからだ。幸せに憧れていたからだ。
かつてのその想いは、どれだけ時がたとうとも消えることは無かった。色あせることは無かった。それは彼女にとっての真実だった。悪魔に堕とされてなお、それは大切なものだったのだ。
「見届けたいの。断じて、ちょっかいかけたり、ましてや裏から操ったりしたいわけじゃないのよ。そういうのを見てるだけでも、ムカつくのよねぇ」
だから、許さない。
少女の無垢にして切ない願いを利用し、踏み躙ろうとする存在を、彼女は許さない。
神や仏ならば、罪を赦す事もあるだろう。だが彼女は悪魔である。そして悪魔は罪を望み、罪を好むのだ。歓迎するのだ。
罪とは、その者を地獄へと引きずり落とし、苦しめるための許可証なのだから。
故に――許してなど、やらない。
「人の婚活を邪魔する奴は――」
ベルフェゴールの右腕が肥大化する。
黒く硬質な肌に覆われた、巨大な筋肉を持つ、正真正銘の悪魔の右腕に。
「や、め……!」
鏡像の悪魔が悲鳴を上げる。
その巨腕が、鏡像へ向かって振り降ろされた。
「牛に踏まれて地獄へ落ちろ」
轟音が響く。
その音と揺れが止んだあと、そこには、砕けた鏡の欠片が残されるのみだった。
今日も、少女はそこにいる。
「遊ぼうぜ」
「……うん」
差し伸べられた少年の手を取り、その袖を引き、そして少女は駆け出す。
陽だまりへと。
「最近公園にストーカーが出るんだって、親分が言ってた」
「へぇ、物騒だな」
「世も末である」
「なんでも牛の角と尻尾つけたおっぱいのでかい女だとか」
「……へぇ」
「牛……か」
「……まさか、ね」
「うん、まさかな」
「真逆、なあ……」
寮の部屋で、座敷童子のさやと、夕凪健司、塵塚怪王がそんな話をしていた。
そう不名誉かつ不本意な噂が流れているのも気にせず、今日も、彼女は見守っていた。
「……じれったいわねぇ、押し倒し……は無理か、袖引きちゃんだし。トイレの裏にでも引っ張りこめばいいのにぃ」
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