【藤沢君の非合理的強奪】

「【藤沢君の非合理的強奪】」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

【藤沢君の非合理的強奪】」(2010/09/03 (金) 20:44:48) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

[[ラノで読む>http://rano.jp/3198]]  人生の岐路はいくつかある。進学や就職、恋の告白、人との別れや新たな出会い……そういった有り余る選択肢をどう選ぶのかは、今後の生き方を決める上でも重要なターニングポイントとなる。  それはつまりは分岐点。人としてどう進むかを決める大切な岐路である。  そして、一人、化粧室で小さな布着れ一枚を手に持って悩んでいる藤沢来栖《ふじさわくるす》も男としての岐路に立っていた。 『この女性物のパンツを履くべきか、履かざるべきか……それが問題だ』  女性物のパーティドレスを身に纏っていた“彼”はこの傍から見れば至極どーでもいい命題に十五分以上も真剣に悩んでいた。  いや、男性が女性物のパンツを履くべきかどうかと悩んでいる状況そのものが異常である。常識的な知能や理性があれば、この非日常な状況に悩むということ自体が間違っていることに即座に気が付くはずであるし、非常識な理性の持ち主なら問答無用で履いてしまうであろう。  だか、というかだからこそ、彼は真剣に悩んでいた。この一線を乗り越えて、男性としての矜持を失いたくなかったのだ。  遡って二日前の放課後。  藤沢はいつものように風紀委員会から呼び出されると、二人の女性と共に、ある人物の前に立っていた。 「ということで、今回も君の力を借りたいのだが、依存はないな?」 「いやですね……異存はないんですけど、つーか、なんで『異存はないな』って聞きながら女性用の服を机の上に置いているんですか、馬鹿ですか?」  目の前の机の上に置かれているペラペラな布切れを藤沢は指差した。  だか、目の前にいる人物はそんな彼の行動を気にすることもなく言葉を続ける。 「ああ? なるほど!! これに関して君は依存はしていないが、基本的に依頼に異存はないということだな!」 「違うわ!」 「なるほど、それは助かる」 「ちょっと、無視しないで」 「なんにせよ、こちらとしては君が必要なのだ。正確に言うと……」 「ほほう、正確にと言うと……?」  目の前の真剣な目を見つめながら、思わず藤沢が息を呑む。 「君の能力と女装癖だ」 「癖はねーよっ!!」  そんなわけで、少年はパンツ一枚に真剣に悩んでいた。と言うよりも何かが壊れる気がして履けないでいた。結果、男物のパンツで行くことを決め、彼はその小さな布切れを、ドレスと共に渡されたバッグに化粧品と一緒に仕舞い込むことにする。  それまで着ていた男性物の服は、防水袋に入れ、水洗トイレのタンクに放り込む。 「これでいいだろ……」  そう言いながら、藤沢は化粧室の個室を後にする。ドレスということで、股間がスースーするが、それはいつものことだし仕方ないかと諦めながら。  藤沢が外へ出ると、化粧室の入り口には二人の女性が待ち構えていた。いや、他の女性が更衣室に入ることを防いでいるというのが正しいか。 「なんか日を追うごとに化粧が上手くなってるねー! 藤沢……じゃなかった町田《まちだ》ちゃん。オジサンも思わず興奮しちゃったよ!!」  パーティードレス姿の藤沢を上から下まで舐るように見定めながら、下品なことを言うのは辻堂悠希《つじどうゆうき》。今回の任務のメンバーの一人であり、藤沢のクラスメイトだ。  彼女が藤沢の名前を町田と言い直したのは、彼が女装である時にはその名前、町田来栖《まちだくるす》が与えられるからだ。  彼が女装を嫌がっていることを分かっていて、わざとそう言ったのだ。  そんな藤沢をイジることに愉悦を覚える彼女だったが、いつものような制服に黒く長いマフラーに腰に無骨な軍用ポーチというというアレな出で立ちではなく、藤沢と同様に煌びやかなパーティードレスで着飾っていた。大きく開いた胸元とくっきりと見える谷間がなんとも目の毒そうだ。髪型も普段よりもゴージャスにセットされていたが、二本の触覚のような癖毛だけは直らないようで、ひょっこりと飛び出ている。その姿は、日頃の言動や行動から冠されている“残念美人”という称号もどこかへ吹き飛んでしまうほどに魅力的である。  ただ、笑いながら「冗談だってばー」と言いつつ藤沢の背中をバシバシと叩く姿がいつもの残念さを思い出させ、何ともアンバランスであった。 「他意はですね、本当に他意はないんですけど……記念として、しゃ、写真を撮ってもいいかな? 藤沢君」  言うが早いか、携帯を取り出し、藤沢を撮影し出すもう一人の女性は寒川玲子《さむかわれいこ》。辻堂同様に二年I組のクラスメイトであり、クラス委員長であった。  やはり、彼女も二人と同じくパーティー向けの派手なドレスを着ている。身長が二人よりも高いということや生真面目そうな性格もあり、大人びた化粧が施され、どことなく妖しい色気を漂わせる。  藤沢に向かって熱心に携帯のカメラを向けている姿が大人気なかったが……。 「うーん、もうちょっと右側からの角度が……。あと、し《・》な《・》を作ってくれると……」  そんな警護兼バックアップ役の二人の女性の姿を交互に見つめ、藤沢は自分が真剣に悩むべきは女物のパンツを履くか否かではなく、常識的で節度ある仲間だったのではないかと思い始めていた。 「とにかく、会場に急ごう。パーティーが始まっちまう」  それぞれ、履き慣れないハイヒールで何度も躓きながら、彼女たちは目的の場所に歩いていく。そこが、今回の任務の場所なのだ。 「それでは、申し訳ないのですが、ご招待状を見せていただけますか?」  いかにも事務的な笑顔で、毅然とした応対をする受付嬢に対し、藤沢改め町田は女装しているのも忘れ戸惑っていた。 「え? 招待状って……えーと、どこに仕舞ったけか? あ、バッグの中だったかな、でも、この中にはそんなの見当たらないし……ちょ、ちょっと待ってくださいね」 「はい、それでは奥にどうぞ」 「へ!?」 「そんな大事なもの、町田さんに持たせるわけないでしょ?」  隣にいる寒川が、バッグに招待状を仕舞いながらそう言った。 「お…じゃなかった私が信用できないってことかよ?」 「そうじゃないの」  大きくため息をついた後、彼女は言葉を続ける。 「町《・》田《・》さんは、今回の任務で一番重要なのよ。そんなアナタに、雑事まで任せるわけにいかないでしょ? 何より、慌てふためく可愛らしい写真を撮りそこなって失意の私に言うことじゃないわ」 「おい……」 「そうだよー町田ちゃ~ん! 町田ちゃんは任務にだけ没頭してればいいんだってばー」 「乳お化けは黙れ―――――って、しかしスゲェなここは……」  町田は今、自分がいる場所に圧倒されていた。柱一つない広いフロアに高い天井、その天井には豪奢なシャンデリアが飾り付けられ、その下では正装をした男女がグラスを片手に上っ面だけの会話で盛り上がっている。 「やっぱ、セレブってのは違うもんだな……」 「一皮剥けばどいつも同じだと思うよ」  キョロキョロと何かを探しながら辻堂が気もなく返す。 「そうね、裸にすれは、そこにはただの人間がいるだけだし……。というか町《・》田《・》さん、任務は分かってるわよね?」 「分かってるよ――じゃなかった分かってるわ。これでいいのか?」  恥ずかしそうに頬を染めながらボソリと町田が呟く。 「いいわ、いいのよ!! その恥じらい! それこそが私の琴線を揺さぶる……」 「寒川さん、落ち着いて! ね?」  辻堂は急ぎ携帯電話をバッグから取り出そうとする寒川を抑えながら、二人の肩に腕を掛け、顔を近づかせる。 「いい? 私たちの任務は奪還。正確には強奪だけど。それまで、目立つ奇異な行動はしちゃだめだよ?」 「珍しくまともなことを言うな、辻堂」 「そ、そうでしたね」  寒川も落ち着いたのか、いつものような平静を取り戻す。そう、こんなところで身分がバレるわけには行かなかった。彼女(?)たちには失敗するわけにはいかない大事な任務があったからだ。  そんな話をしている内にフロアが歓声でどよめく。どうやら、ターゲットが現れたようだった。 「今回、君たちには、あるアイテムを奪ってきてもらいたい」  風紀委員としてそれなりに地位のある彼女はそう言いながら、数枚の写真と書類の束を彼女と藤沢たちを隔てる机の上にポンと置く。その写真には一人の男とその男のものらしき美しい指輪が写っていた。 「彼の名前は|祖師ヶ谷大蔵《そしがやたいぞう》。ここ数年で急速に成長している祖師谷グループの御曹司だ。明後日、都内のホテルで彼の誕生パーティーがある。その場で、君に彼のはめているその指輪を奪還してもらいたい」 「なんでまた?」  その写真を見つめながら、話が物騒な事になっていることに気がつき、藤沢は思わず質問する。 「これはな、祖師ヶ谷家の家長に代々受け継がれる指輪なのだが、それが強力なマジックアイテムらしくてね。学園としても放っておくことができんのだ」 「随分と面倒な話ですね」 「あくまでもその可能性があるというだけだ。もちろん、検査が終了し害なしと判明すれば速やかに返却するし、ダミーの指輪もこちらで既に用意している。あとは君が実行するだけだ」 「えーと? つまり、俺たちはこの指輪を盗めばいいんですか?」 「違う。盗むのではない。奪還するのだ! 彼の指にはめられた強力なマジックアイテムを強奪するのだ」 「奪還はともかく、強奪は泥棒ですよ先輩。というか奪還も何もこれ学園の物じゃないでしょ?」 「細かいことは置いておけ。まあ、とにかく、そういうことだ。詳しいことは資料を読むといい。君たちの活躍に期待しているぞ」 「そういうことよ藤沢くん」 「そうなんだって藤沢」  藤沢の横に立っていた寒川と辻堂が各々にそう言いながら頷く。 「……というより、こんな大掛かりな計画立てるより普通に先方に説明すれば済むことじゃないんですか?」  写真と一緒に渡された計画書をめくりながら、藤沢が何気なくぽつりと呟く。すると、藤沢の目の前にいる人物の顔色がゆっくりと変わっていく。 「―――――う、うん? そういえばそ……いや、そうじゃない! ほら、異能の力は世の中には秘密だし、じょ情報が漏れて、第三勢力が彼の命を狙っても困るだろ? そ、そんな危険な目にそしがやおーくらさんをさらすわけにはな?」 「すっげー目が泳いでますよ」 「と、とにかくそういうことだ!」 「そういうことよ藤沢くん」 「そうなんだってさ藤沢」 「はいはい、もうどうでもいいよ」  一際にぎやかになる会場に司会者の声が響く。 『本日の主役、祖師ヶ谷大蔵様のご登場です。皆様、盛大な拍手を持ってお迎えください!!』  拍手が鳴り響き、入り口がゆっくりと開く。そして、どこかで聞いたことがあるような荘厳なBGMと共に白いタキシードを着た男性が会場の奥にある壇上にゆっくりと進んでいく。多くの参加者に挨拶され、握手を求められ、中々舞台までたどり着けないでいた。 「ほへえ、ありぇがしょしがや……」  辻堂が、いつの間にか小皿に大量の食べ物を載せて、それを口に運びながら空腹を紛らわしてた。 「そう、彼よ。写真よりは結構男前ね。でも……、指輪が見当たらないわ」 「目がいいなあ寒川」  そう言いながら、町田は辻堂の皿からいつくかをちょろまかし口に放り込む。 「近くを通り過ぎる時に確認したのよ。それとドレスで手を拭くのはやめた方がいいわよ、二人とも」 『ふぁぁい』  口の中の物を飲み込みながら、辻堂と町田の二人は気のない返事をする。 「でも、問題はあの男にどうやって近づくかだよな……」 「だねー。こっちは向こうと面識がないから自然に近づくなんて殆ど不可能。でも何とかなるんじゃ……あ! 町田ちゃん! ねえねねえ、このジュース美味しいよ」 「お前は本当に楽天家――って、そりゃシャンパンじゃねーか!」 「大丈夫だよ、まぢだちゃ~んぬ」  辻堂の頬が見る見る内にピンク色に染まり、足元もおぼつかない様子でフラフラとしている。 「どう見ても大丈夫そうは見えないわね。外の風に当てて、ちょっと彼女の酔いを醒まさせてくるから、あとはお願い」 「え!? ちょっと待てよ、私一人でなんとかしろってーのか…しら?」  町田の声を無視し、辻堂を介抱しながら、寒川が出口へと向かって行く。  完全に孤立。確実な手詰まり。この土壇場でただ一人となり、町田は何とか任務を遂行しなくてはならなくなっていた。 「帰ってこねーな」  キョロキョロを周りを見渡すが、一向に辻堂と寒川が会場に戻ってきた気配もない。  その間にも祖師ヶ谷グループ総帥の祝辞や本日の主役である祖師ヶ谷大蔵のスピーチが始まっていた。  どれもこれも、酷く詰まらない話ばかりであくびが出そうになるものだったが、まるで笑いを指示するADがいるかのように、会場は無駄に盛り上がっていた。  その一方で町田は色々と考えていた。彼の指に指輪がない事実を……。 (付け忘れただけ? 大事な指輪でこのセレモニーだ、それはない? じゃあ、俺たちの計画がバレた? なら今すぐ拘束されているはず。なら持っていても隠している? 可能性としてはそれが一番あるか。でもそうだとしたらその理由は……)  彼の思考を遮るようにスピーカーから大きな声が聞こえてくる。 『さあ! それではここで総帥の蔵人様から、大蔵様へ、グループの象徴であります、指輪の引継ぎが行われます!! 皆様お手を休めて、舞台の方をどうぞ!』  これまで以上に演技じみた司会の声がこの場を盛り上げ、それに惹かれてか、会場の人々がこれまで以上に歓声を上げる。おそらく、これが今日のパーティーのメインイベントなのであろう。  なるほどと町田は納得する。祖師ヶ谷大蔵の指に指輪がないのも道理だった。彼は指輪を隠していたわけでも付け忘れていたわけでもない。まだ、持っていなかったのだ。  つまり、勝負はこれからなのだ。  周りをもう一度見回す。二人は見当たらない。瞬間、町田来栖はこの任務を一人で決行することを決意した。  いくつもののストロボが瞬き、祖師ヶ谷大蔵は嬉しそうに指輪を嵌めた右手を掲げる。業界紙や企業広報誌、一部の地方新聞などで紹介されるのだろう。  それが収まると祖師ヶ谷大蔵は舞台を下り、パーティーの参加者たちと会談し始める。  これがチャンスだと町田は思い、彼に向かって人を掻き分けながら近づいていく。やはり、ヒールが歩きにくい。まだパンプスならばよかったのだが、パーティーらしくないということで、ハイヒールを無理矢理履かされていた。 (もう少し……)  目の前にターゲットが迫る。その右手薬指には指輪が収まっている。問題ない。だが、上手く近づけない。あとは……。  グキ。  焦るあまりに豪快に足をくじき、バランスを崩した身体が前に倒れ込む。反射的に何かに掴まろうとし、一瞬にして掴めそうなそれをしっかりと握り込むが、それは町田の身体を支えるだけの力はなく、一緒にズルリと下がっていく。  悲鳴と嬌声と歓声と罵声。  町田には何が起こったか分からない。事態を把握しようと立ち上がろうとした瞬間、後頭部に衝撃を受け、意識が遠のき、再び床に倒れ込む。 (参ったねこりゃ任務失敗だ……)  意識が混濁するなか、自分の運の悪さを呪う町田だった。 「痛ぅ……」  額に置かれた濡れタオルを手でどけながら、町田はゆっくりと起き上がる。目を開けるとそこは見覚えのない部屋で、彼はベッドに寝かされてた。 「ここは……」 「やあ、気が付いたかい? 全く、突然転んで気を失うなんてとんだハプニングだよ」  背後から声がし、それに振り向く。そこには写真で何度も確認した男の姿がある。  ただし…… 「な、なんでズボン履いてないんですかーっ!?」  目の前に立つ、白いスーツ姿の男は何故か下半身だけはパンツ一丁という奇妙な出で立ちだった。  思わず、町田は手に持ったものを男に投げつける。それが彼の顔にバサリと被さる。彼のズボンだった。 「ハッハッハッ! 君が意識を失っても離さないから仕方なくこういう格好なんじゃないか。それより、せっかく君をここまで運んで介抱してあげたのに、随分と酷い仕打ちだなあ」 「か、介抱?」  町田は部屋をぐるりと見渡す。高そうな調度品ばかりで、ホテルの一室としてはあまりにも広い。おそらく、最上階にあるスイートルームだろう。 (金持ちは違うなー)  そんな気持ちはおくびにも出さず、町田は小さく頭を下げる。 「ご、ごめんなさい。お……私ったら、いつもドジばっかりで、今日も大蔵様に迷惑をかけてしまったみたいで……(モジモジ)」 「いやー、君みたいなカワイイ子にズボンを脱がされるならいつでもオッケーさ。ただ、次は二人きりの時だけにしてくれよ!」  祖師ヶ谷大蔵は町田に向かって悪戯っぽい表情でウインクをする。  大蔵の目から放たれたハートマークを絶妙の間合いで見切りながら、町田は冷静に状況を把握する。密室、二人きり、そして、相手の好意。  今が絶好のチャンスであると心の中で藤沢来栖が叫んでいた。 「あ、あのう……」 「どしました?」 「大蔵様の持ってるゆ……」 「様なんて他人行儀な! もっと気軽に、た・い・ぞ・う、TAIZOUと呼んでくれたまえ」  祖師ヶ谷大蔵はズボンも未だ履かずに、町田の手を優しく握り締める。 「分かりましたたいぞう…さん(うっわー気っ持ち悪いぃ)。やっぱり無理です、呼び捨てなんて(反吐が出そうです)」 「そうか……。なら仕方ない。そうだ! そういえば君の名前を聞いていなかったね眠り姫? 君の名前は?」 「えーと、ふ……町田来栖っていいます」 「ふまちだ? そんな知り合いいたかな? 取引先のご令嬢かな? まあいい。来栖さん。今宵は二人だけのパーティーだよ」  祖師ヶ谷大蔵はそういいながらベッドに腰掛けたままの町田の腰に手をかけ、立ち上がらせる。そして、指を鳴らすとムーディーな音楽が鳴り、照明も何故かピンク色に。 「来栖さん、ボクはね、君に一目惚れしてしまったんだよ……」  生暖かい息を耳もとに吹きかけながら、祖師ヶ谷大蔵は町田に呟く。 (ピーンチ! 俺ピーンチ!! やばい、ヤバイ、色々な意味でヤバイ。これはヤバイ! というか手を握るな、股間を押し付けるな、耳に息吹きかけるな、ケツをまさぐるな、唇をさりげなく奪おうとするなあぁぁぁ!!)  祖師ヶ谷大蔵の左手が町田の顎に軽く触り、そのまま、彼の唇へと誘おうとする。 「待って……(待てやゴラァァ!!)」  町田は唇と唇の間に人差し指を挟み、焦らすような表情で彼に懇願する。 「その前に、私、あなたの指輪に興味があるの……(つーかさっさと見せろよ糞野郎!)」 「え!?」  それに祖師ヶ谷大蔵は意外な表情をする。 「こんなものの何が面白いんだい?」  そう言って大蔵は町田の前に右手を突き出した。 「私、一度ゆっくりこの指輪を見てみたかったんです。宝石とか、女の子は大好きでしょ?」 「だが、これは特別価値のあるものでは……」  その理由が分からず、戸惑う大蔵だったが、瞳を潤ませ、町田が懇願する姿と次の一言に素直に差し出してしまう。 「お願いです! 私にこの指輪を左《・》薬《・》指《・》に嵌めさせてくださいっ!!」  王手飛車取り。完全に積みだった。大蔵は言われるがままに指輪を外し、町田に渡す。 「スゴイですねー。本当にキレイ……」  そう言いながらかれは小声で呟く。 「ロード……」  その瞬間、彼の左手には寸分違わぬダミーの指輪が呼び出される。それは彼の能力、本人は合理的強奪《ローリスクハイリターン》と呼ぶ、一種の物質転移、アポート能力だった。 「ありがとうございます。本当に美しい指輪でしたね」  町田は巧妙に今呼び出したダミーの指輪を彼に手渡す。  当然、今日、初めて手に取った彼にとって、それが本物か偽物かなど分かるわけもない。 (さて、問題はこの危機的状況をどう乗り切るかだなあ……。このままここにいたら確実に俺の正体がバレるし、かといって強引にここから逃げるのも得策じゃない)  そう彼が考えている時だ、部屋の外から剣呑な音が聞こえてくる。言い争う声や叫び声、爆発音。  町田は即座に危険を察知し、大蔵の身体を無理矢理に押し倒し、床に伏せさせる。  間髪いれず、扉が爆発する。  彼がそのまま立っていたらその爆風に巻き込まれて、無事ではすまなかっただろう。 「き、君は一体?」  大蔵は目を白黒させていた。 「いや、あの……」 「どーして男物のパンツを履いてるんだー!?」  そこには爆風でスカートが捲れ、男物のパンツをあらわにした町田来栖の姿があった。 「そ、そっちかよっ!?」  思わず突っ込みを入れてしまう町田。  一方、あまりのことに呆然とする祖師ヶ谷大蔵。声どころか、示している指も大きく震えている。ショックが大きかったのだろう。  ゆっくりと立ち上がり、ベッドの横に転がっているバッグを手にするそして、その場を去る前に一言だけ彼に宣言する。 「そうだよ、俺《・》は男だよ。じゃあな、祖師ヶ谷さん!」  町田来栖はそう言い放つと、ハイヒールを脱ぎ捨て、その場から走り去っていく。  煙の中に彼女、いや彼の姿が消えていく。その姿を呆然と祖師ヶ谷大蔵は見つめていた。  部屋を出ると数人のSPたちが気を失い、女性が二人立っている。 「なるほど……」  全てに合点がいった様子で、町田は二人の女性とともにその場をあとにする。 「一体、どこまでが、お前らの計画だったんだ?」 「彼女が酔ったところからよ。藤沢くん」  寒川は冷静な表情で追っ手に対し、パチンコ玉のような金属を投げ入れ爆発させている。自身が精錬した金属に『強い衝撃を与えると爆発する』という属性を付与するのが彼女の能力。スイートルームの戸を破壊したのも彼女の能力だろう。 「じゃあ、あの時の……」 「せ・い・か・い! 精密に後頭部に当てて気を失わせるるのは大変だったんだよー」  そう嬉しそうに語る辻堂の能力は投げたものを自在に操る能力。あの状況で藤沢の後頭部に気を失わせるほどの物をブチ当てるなど彼女の能力の精度があればこそだった。 「なるほど。全ては俺の知らないところで動いてたってわけだ……それで、この後はどうするんだ?」 『速やかに撤収するのみ』  女性陣二人は迷うことなくそう言い放つ。 「で、それは本当に可能なのか?」 「そりゃ、藤沢の能力でこのためのアイテムをロードすればいいんだよ」 「そうですよ!」 「よし、ロード!」  彼の手元に愛用のベネリM3が呼び出される。町田来栖改め、藤沢来栖はこの状況を酷く愉しんでいた。 「爺、ボクは決めたよ」  爆音と銃声を響かせながら走り去る来栖の後姿を見つめ、なにかの感情が抑えきれないように祖師ヶ谷大蔵は強く両手を握り締めている。 「なにをですかな?」  いつの間にやら白髪の老人が傍に立っている。 「彼を、いや、彼女をボクのお嫁さんにする!」  しばしの沈黙。 「…………え?」 「うん。お嫁さん」 「…………わ、若がご乱心なされたー! 誰か、誰か鎮静剤をっ!!」 「う、うるさい。ボクはもう決めたんだ。絶対に彼女を探し出す」  彼の瞳は恋する少年のそれ、そのものだった。あまりにも純粋で無垢。 「おお、何という穢れのない瞳。分かりましたぞ若。この豪徳寺《ごうとくじ》、執事人生を賭け、必ずや若のためにあやつめを見つけ出してご覧に入れましょう!」 「おう、頼もしいぞ爺!」  熱く抱き合う男二人。そして、そんな禄でもない会話を聞かなかったことは藤沢にとって幸運だった、かもしれない。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
[[ラノで読む>http://rano.jp/3198]]  人生の岐路はいくつかある。進学や就職、恋の告白、人との別れや新たな出会い……そういった有り余る選択肢をどう選ぶのかは、今後の生き方を決める上でも重要なターニングポイントとなる。  それはつまりは分岐点。人としてどう進むかを決める大切な岐路である。  そして、一人、化粧室で小さな布着れ一枚を手に持って悩んでいる藤沢来栖《ふじさわくるす》も男としての岐路に立っていた。 『この女性物のパンツを履くべきか、履かざるべきか……それが問題だ』  女性物のパーティドレスを身に纏っていた“彼”はこの傍から見れば至極どーでもいい命題に十五分以上も真剣に悩んでいた。  いや、男性が女性物のパンツを履くべきかどうかと悩んでいる状況そのものが異常である。常識的な知能や理性があれば、この非日常な状況に悩むということ自体が間違っていることに即座に気が付くはずであるし、非常識な理性の持ち主なら問答無用で履いてしまうであろう。  だか、というかだからこそ、彼は真剣に悩んでいた。この一線を乗り越えて、男性としての矜持を失いたくなかったのだ。  遡って二日前の放課後。  藤沢はいつものように風紀委員会から呼び出されると、二人の女性と共に、ある人物の前に立っていた。 「ということで、今回も君の力を借りたいのだが、依存はないな?」 「いやですね……異存はないんですけど、つーか、なんで『異存はないな』って聞きながら女性用の服を机の上に置いているんですか、馬鹿ですか?」  目の前の机の上に置かれているペラペラな布切れを藤沢は指差した。  だか、目の前にいる人物はそんな彼の行動を気にすることもなく言葉を続ける。 「ああ? なるほど!! これに関して君は依存はしていないが、基本的に依頼に異存はないということだな!」 「違うわ!」 「なるほど、それは助かる」 「ちょっと、無視しないで」 「なんにせよ、こちらとしては君が必要なのだ。正確に言うと……」 「ほほう、正確にと言うと……?」  目の前の真剣な目を見つめながら、思わず藤沢が息を呑む。 「君の能力と女装癖だ」 「癖はねーよっ!!」  そんなわけで、少年はパンツ一枚に真剣に悩んでいた。と言うよりも何かが壊れる気がして履けないでいた。結果、男物のパンツで行くことを決め、彼はその小さな布切れを、ドレスと共に渡されたバッグに化粧品と一緒に仕舞い込むことにする。  それまで着ていた男性物の服は、防水袋に入れ、水洗トイレのタンクに放り込む。 「これでいいだろ……」  そう言いながら、藤沢は化粧室の個室を後にする。ドレスということで、股間がスースーするが、それはいつものことだし仕方ないかと諦めながら。  藤沢が外へ出ると、化粧室の入り口には二人の女性が待ち構えていた。いや、他の女性が更衣室に入ることを防いでいるというのが正しいか。 「なんか日を追うごとに化粧が上手くなってるねー! 藤沢……じゃなかった町田《まちだ》ちゃん。オジサンも思わず興奮しちゃったよ!!」  パーティードレス姿の藤沢を上から下まで舐るように見定めながら、下品なことを言うのは辻堂悠希《つじどうゆうき》。今回の任務のメンバーの一人であり、藤沢のクラスメイトだ。  彼女が藤沢の名前を町田と言い直したのは、彼が女装である時にはその名前、町田来栖《まちだくるす》が与えられるからだ。  彼が女装を嫌がっていることを分かっていて、わざとそう言ったのだ。  そんな藤沢をイジることに愉悦を覚える彼女だったが、いつものような制服に黒く長いマフラーに腰に無骨な軍用ポーチというというアレな出で立ちではなく、藤沢と同様に煌びやかなパーティードレスで着飾っていた。大きく開いた胸元とくっきりと見える谷間がなんとも目の毒そうだ。髪型も普段よりもゴージャスにセットされていたが、二本の触覚のような癖毛だけは直らないようで、ひょっこりと飛び出ている。その姿は、日頃の言動や行動から冠されている“残念美人”という称号もどこかへ吹き飛んでしまうほどに魅力的である。  ただ、笑いながら「冗談だってばー」と言いつつ藤沢の背中をバシバシと叩く姿がいつもの残念さを思い出させ、何ともアンバランスであった。 「他意はですね、本当に他意はないんですけど……記念として、しゃ、写真を撮ってもいいかな? 藤沢君」  言うが早いか、携帯を取り出し、藤沢を撮影し出すもう一人の女性は寒川玲子《さむかわれいこ》。辻堂同様に二年I組のクラスメイトであり、クラス委員長であった。  やはり、彼女も二人と同じくパーティー向けの派手なドレスを着ている。身長が二人よりも高いということや生真面目そうな性格もあり、大人びた化粧が施され、どことなく妖しい色気を漂わせる。  藤沢に向かって熱心に携帯のカメラを向けている姿が大人気なかったが……。 「うーん、もうちょっと右側からの角度が……。あと、し《・》な《・》を作ってくれると……」  そんな警護兼バックアップ役の二人の女性の姿を交互に見つめ、藤沢は自分が真剣に悩むべきは女物のパンツを履くか否かではなく、常識的で節度ある仲間だったのではないかと思い始めていた。 「とにかく、会場に急ごう。パーティーが始まっちまう」  それぞれ、履き慣れないハイヒールで何度も躓きながら、彼女たちは目的の場所に歩いていく。そこが、今回の任務の場所なのだ。 「それでは、申し訳ないのですが、ご招待状を見せていただけますか?」  いかにも事務的な笑顔で、毅然とした応対をする受付嬢に対し、藤沢改め町田は女装しているのも忘れ戸惑っていた。 「え? 招待状って……えーと、どこに仕舞ったけか? あ、バッグの中だったかな、でも、この中にはそんなの見当たらないし……ちょ、ちょっと待ってくださいね」 「はい、それでは奥にどうぞ」 「へ!?」 「そんな大事なもの、町田さんに持たせるわけないでしょ?」  隣にいる寒川が、バッグに招待状を仕舞いながらそう言った。 「お…じゃなかった私が信用できないってことかよ?」 「そうじゃないの」  大きくため息をついた後、彼女は言葉を続ける。 「町《・》田《・》さんは、今回の任務で一番重要なのよ。そんなアナタに、雑事まで任せるわけにいかないでしょ? 何より、慌てふためく可愛らしい写真を撮りそこなって失意の私に言うことじゃないわ」 「おい……」 「そうだよー町田ちゃ~ん! 町田ちゃんは任務にだけ没頭してればいいんだってばー」 「乳お化けは黙れ―――――って、しかしスゲェなここは……」  町田は今、自分がいる場所に圧倒されていた。柱一つない広いフロアに高い天井、その天井には豪奢なシャンデリアが飾り付けられ、その下では正装をした男女がグラスを片手に上っ面だけの会話で盛り上がっている。 「やっぱ、セレブってのは違うもんだな……」 「一皮剥けばどいつも同じだと思うよ」  キョロキョロと何かを探しながら辻堂が気もなく返す。 「そうね、裸にすれは、そこにはただの人間がいるだけだし……。というか町《・》田《・》さん、任務は分かってるわよね?」 「分かってるよ――じゃなかった分かってるわ。これでいいのか?」  恥ずかしそうに頬を染めながらボソリと町田が呟く。 「いいわ、いいのよ!! その恥じらい! それこそが私の琴線を揺さぶる……」 「寒川さん、落ち着いて! ね?」  辻堂は急ぎ携帯電話をバッグから取り出そうとする寒川を抑えながら、二人の肩に腕を掛け、顔を近づかせる。 「いい? 私たちの任務は奪還。正確には強奪だけど。それまで、目立つ奇異な行動はしちゃだめだよ?」 「珍しくまともなことを言うな、辻堂」 「そ、そうでしたね」  寒川も落ち着いたのか、いつものような平静を取り戻す。そう、こんなところで身分がバレるわけには行かなかった。彼女(?)たちには失敗するわけにはいかない大事な任務があったからだ。  そんな話をしている内にフロアが歓声でどよめく。どうやら、ターゲットが現れたようだった。 「今回、君たちには、あるアイテムを奪ってきてもらいたい」  風紀委員としてそれなりに地位のある彼女はそう言いながら、数枚の写真と書類の束を彼女と藤沢たちを隔てる机の上にポンと置く。その写真には一人の男とその男のものらしき美しい指輪が写っていた。 「彼の名前は|祖師ヶ谷大蔵《そしがやたいぞう》。ここ数年で急速に成長している祖師谷グループの御曹司だ。明後日、都内のホテルで彼の誕生パーティーがある。その場で、君に彼のはめているその指輪を奪還してもらいたい」 「なんでまた?」  その写真を見つめながら、話が物騒な事になっていることに気がつき、藤沢は思わず質問する。 「これはな、祖師ヶ谷家の家長に代々受け継がれる指輪なのだが、それが強力なマジックアイテムらしくてね。学園としても放っておくことができんのだ」 「随分と面倒な話ですね」 「あくまでもその可能性があるというだけだ。もちろん、検査が終了し害なしと判明すれば速やかに返却するし、ダミーの指輪もこちらで既に用意している。あとは君が実行するだけだ。何より、君の能力、合理的強奪《ローリスクハイリターン》はこういったすり替えにはうってつけだからな」  藤沢の能力、合理的強奪とは記憶したものをその場に呼び出す能力。出したものを仕舞ったり、他に転送することはできないが、それでも今回のような作戦には適していた。 「えーと? つまり、俺たちはこの指輪を盗めばいいんですか?」 「違う。盗むのではない。奪還するのだ! 彼の指にはめられた強力なマジックアイテムを強奪するのだ」 「奪還はともかく、強奪は泥棒ですよ先輩。というか奪還も何もこれ学園の物じゃないでしょ?」 「細かいことは置いておけ。まあ、とにかく、そういうことだ。詳しいことは資料を読むといい。君たちの活躍に期待しているぞ」 「そういうことよ藤沢くん」 「そうなんだって藤沢」  藤沢の横に立っていた寒川と辻堂が各々にそう言いながら頷く。 「……というより、こんな大掛かりな計画立てるより普通に先方に説明すれば済むことじゃないんですか?」  写真と一緒に渡された計画書をめくりながら、藤沢が何気なくぽつりと呟く。すると、藤沢の目の前にいる人物の顔色がゆっくりと変わっていく。 「―――――う、うん? そういえばそ……いや、そうじゃない! ほら、異能の力は世の中には秘密だし、じょ情報が漏れて、第三勢力が彼の命を狙っても困るだろ? そ、そんな危険な目にそしがやおーくらさんをさらすわけにはな?」 「すっげー目が泳いでますよ」 「と、とにかくそういうことだ!」 「そういうことよ藤沢くん」 「そうなんだってさ藤沢」 「はいはい、もうどうでもいいよ」  一際にぎやかになる会場に司会者の声が響く。 『本日の主役、祖師ヶ谷大蔵様のご登場です。皆様、盛大な拍手を持ってお迎えください!!』  拍手が鳴り響き、入り口がゆっくりと開く。そして、どこかで聞いたことがあるような荘厳なBGMと共に白いタキシードを着た男性が会場の奥にある壇上にゆっくりと進んでいく。多くの参加者に挨拶され、握手を求められ、中々舞台までたどり着けないでいた。 「随分と軽薄そうな男だな」 「ほへえ、ありぇがしょしがや……」  辻堂が、いつの間にか小皿に大量の食べ物を載せて、それを口に運びながら空腹を紛らわしてた。 「そう、彼よ。写真よりは結構男前ね。でも……、指輪が見当たらないわ」 「目がいいなあ寒川」  そう言いながら、町田は辻堂の皿からいつくかをちょろまかし口に放り込む。 「近くを通り過ぎる時に確認したのよ。それとドレスで手を拭くのはやめた方がいいわよ、二人とも」 『ふぁぁい』  口の中の物を飲み込みながら、辻堂と町田の二人は気のない返事をする。 「でも、問題はあの男にどうやって近づくかだよな……」 「だねー。こっちは向こうと面識がないから自然に近づくなんて殆ど不可能。でも何とかなるんじゃ……あ! 町田ちゃん! ねえねねえ、このジュース美味しいよ」 「お前は本当に楽天家――って、そりゃシャンパンじゃねーか!」 「大丈夫だよ、まぢだちゃ~んぬ」  辻堂の頬が見る見る内にピンク色に染まり、足元もおぼつかない様子でフラフラとしている。 「どう見ても大丈夫そうは見えないわね。外の風に当てて、ちょっと彼女の酔いを醒まさせてくるから、あとはお願い」 「え!? ちょっと待てよ、私一人でなんとかしろってーのか…しら?」  町田の声を無視し、辻堂を介抱しながら、寒川が出口へと向かって行く。  完全に孤立。確実な手詰まり。この土壇場でただ一人となり、町田は何とか任務を遂行しなくてはならなくなっていた。 「帰ってこねーな」  キョロキョロを周りを見渡すが、一向に辻堂と寒川が会場に戻ってきた気配もない。  その間にも来賓や祖師ヶ谷グループ総帥の祝辞、本日の主役である祖師ヶ谷大蔵のスピーチへと続いていく。  どれもこれも、酷く詰まらない話ばかりであくびが出そうになるものだったが、まるで笑いを指示するADがいるかのように、会場は無駄に盛り上がっていた。  その一方で町田は色々と考えていた。彼の指に指輪がない事実を。 (付け忘れただけ? 大事な指輪でこのセレモニーだ、それはない? じゃあ、俺たちの計画がバレた? なら今すぐ拘束されているはず。なら持っていても隠している? 可能性としてはそれが一番あるか。でもそうだとしたらその理由は……)  彼の思考を遮るようにスピーカーから大きな声が聞こえてくる。 『さあ! それではここで総帥の蔵人様から、大蔵様へ、グループの象徴であります、指輪の引継ぎが行われます!! 皆様お手を休めて、舞台の方をどうぞ!』  これまで以上に演技じみた司会の声がこの場を盛り上げ、それに惹かれてか、会場の人々がこれまで以上に歓声を上げる。おそらく、これが今日のパーティーのメインイベントなのであろう。  なるほどと町田は納得する。祖師ヶ谷大蔵の指に指輪がないのも道理だった。彼は指輪を隠していたわけでも付け忘れていたわけでもない。まだ、持っていなかったのだ。  つまり、勝負はこれからなのだ。  周りをもう一度見回す。二人は見当たらない。瞬間、町田来栖はこの任務を一人で決行することを決意した。  いくつもののストロボが瞬き、祖師ヶ谷大蔵は嬉しそうに指輪を嵌めた右手を掲げる。業界紙や企業広報誌、一部の地方新聞などで紹介されるのだろう。  それが収まると祖師ヶ谷大蔵は舞台を下り、パーティーの参加者たちと会談し始める。  これがチャンスだと町田は思い、彼に向かって人を掻き分けながら近づいていく。やはり、ヒールが歩きにくい。まだパンプスならばよかったのだが、パーティーらしくないということで、ハイヒールを無理矢理履かされていた。 (もう少し……)  目の前にターゲットが迫る。その右手薬指には指輪が収まっている。問題ない。だが人が多い上に履き慣れないハイヒールで上手く近づけない。あと、少し……。  グキ。  焦るあまりに豪快に足をくじき、バランスを崩した身体が前に倒れ込む。反射的に何かに掴まろうとし、一瞬にして掴めそうなそれをしっかりと握り込むが、それは町田の身体を支えるだけの力はなく、一緒にズルリと下がっていく。  悲鳴と嬌声と歓声と罵声。  町田には何が起こったか分からない。事態を把握しようと立ち上がろうとした瞬間、後頭部に衝撃を受け、意識が遠のき、再び床に倒れ込む。 (参ったねこりゃ任務失敗だ……)  意識が混濁するなか、自分の運の悪さを呪う町田だった。 「痛ぅ……」  額に置かれた濡れタオルを手でどけながら、町田はゆっくりと起き上がる。目を開けるとそこは見覚えのない部屋で、彼はベッドに寝かされてた。 「ここは……」 「やあ、気が付いたかい? 全く、突然転んで気を失うなんてとんだハプニングだよ」  背後から声がし、それに振り向く。そこには写真で何度も確認した男の姿がある。  ただし…… 「な、なんでズボン履いてないんですかーっ!?」  目の前に立つ、白いタキシード姿の男は何故か下半身だけはパンツ一丁という奇妙な出で立ちだった。  思わず、町田は手に持ったものを男に投げつける。それが彼の顔にバサリと被さる。彼のズボンだった。 「ハッハッハッ! 君が意識を失っても離さないから仕方なくこういう格好なんじゃないか。それより、せっかく君をここまで運んで介抱してあげたのに、随分と酷い仕打ちだなあ」 「か、介抱?」  町田は部屋をぐるりと見渡す。高そうな調度品ばかりで、ホテルの一室としてはあまりにも広い。おそらく、最上階にあるスイートルームだろう。 (金持ちは違うなー)  そんな気持ちはおくびにも出さず、町田は小さく頭を下げる。 「ご、ごめんなさい。お……私ったら、いつもドジばっかりで、今日も大蔵様に迷惑をかけてしまったみたいで……(モジモジ)」 「いやー、君みたいなカワイイ子にズボンを脱がされるならいつでもオッケーさ。ただ、次は二人きりの時だけにしてくれよ!」  祖師ヶ谷大蔵は町田に向かって悪戯っぽい表情でウインクをする。  大蔵の目から放たれたハートマークを絶妙の間合いで見切りながら、町田は冷静に状況を把握する。密室、二人きり、そして、相手の自分への好意。  今が絶好のチャンスであると心の中で藤沢来栖が叫んでいた。 「あ、あのう……」 「どしました?」 「大蔵様の持ってるゆ……」 「様なんて他人行儀な! もっと気軽に、た・い・ぞ・う、TAIZOUと呼んでくれたまえ」  祖師ヶ谷大蔵はズボンも未だ履かずに、町田の手を優しく握り締める。 「分かりました、たいぞう…さん(うっわー気っ持ち悪いぃ)。やっぱり無理です、呼び捨てなんて(反吐が出そうです)」 「そうか……。なら仕方ない。そうだ! そういえば君の名前を聞いていなかったね眠り姫? 君の名前は?」 「えーと、ふ……町田来栖っていいます」 「ふまちだ? そんな知り合いいたかな? そういえば取引先にそんな名前があったような……。まあいい。来栖さん。今宵は二人だけのパーティーだよ」 「へ?」  祖師ヶ谷大蔵はそういいながらベッドに腰掛けたままの町田の腰に手をかけ、立ち上がらせる。そして、指を鳴らすとムーディーな音楽が鳴り、照明も何故かピンク色に。 「来栖さん、ボクはね、君に一目惚れしてしまったんだよ……」  生暖かい息を耳もとに吹きかけながら、祖師ヶ谷大蔵は町田に呟く。 (ピーンチ! 俺ピーンチ!! やばい、ヤバイ、色々な意味でヤバイ。これはヤバイ! というか手を握るな、股間を押し付けるな、耳に息吹きかけるな、ケツをまさぐるな、唇をさりげなく奪おうとするなあぁぁぁ!!)  祖師ヶ谷大蔵の左手が町田の顎に軽く触り、そのまま、彼の唇へと誘おうとする。 「待って……(待てやゴラァァ!!)」  町田は唇と唇の間に人差し指を挟み、焦らすような表情で彼に懇願する。 「その前に、私、あなたの指輪に興味があるの……(つーかさっさと見せろよクソ野郎!)」 「え!?」  祖師ヶ谷大蔵は意外な表情をする。 「こんなものの何が面白いんだい?」  そう言って大蔵は町田の前にゆっくりと右手を挿し出した。 「私、一度ゆっくりこの指輪を見てみたかったんです。宝石とか、女の子は大好きでしょ?」 「だが、これは特別価値のあるものでは……」  その理由が分からず、戸惑う大蔵だったが、瞳を潤ませ、町田が懇願する姿と次の一言に素直に差し出してしまう。 「お願いです! 私にこの指輪を左《・》薬《・》指《・》に嵌めさせてくださいっ!!」  チェックメイトに王手飛車取り。完全に積みだった。大蔵は言われるがままに指輪を外し、町田に渡す。 「スゴイですねー。本当にキレイ……」  そう言いながら町田は小声で呟く。 「ロード……」  その瞬間、町田の左手には寸分違わぬダミーの指輪が呼び出される。それは彼の能力、本人は合理的強奪《ローリスクハイリターン》と呼ぶ、アポート能力。 「ありがとうございます。本当に美しい指輪でしたね」  町田は巧妙に今呼び出したダミーの指輪を彼に手渡す。 「今度は君の左薬指のためにとっても素敵な指輪を用意するよハニー」  彼はそう言いながらなんの疑問も持たずに指輪を嵌める。それはそうだ。今日、初めて手に取った彼にとって、それが本物か偽物かなど分かるわけもない。何より、惚れた女性が指輪を入れ替えたなどと思いもしないだろう。 (さて、問題はこの危機的状況をどう乗り切るかだなあ……。このままここにいたら確実に俺の正体がバレるし、かといって強引にここから逃げるのも得策じゃない)  そう彼が考えている時だ、部屋の外から剣呑な音が聞こえてくる。言い争う声や叫び声、爆発音。  町田は即座に危険を察知し、大蔵の身体を無理矢理に押し倒し、床に伏せさせる。  間髪いれず、扉が爆発する。  彼がそのまま立っていたらその爆風に巻き込まれて、無事ではすまなかっただろう。 「き、君は一体?」  大蔵は目を白黒させていた。 「いや、あの……」 「どーして男物のパンツを履いてるんだー!?」  そこには爆風でスカートが捲れ、男物のパンツをあらわにした町田来栖の姿があった。 「そ、そっちかよっ!?」  思わず突っ込みを入れてしまう町田。  一方、あまりのことに呆然とする祖師ヶ谷大蔵。声どころか、示している指も大きく震えている。ショックが大きかったのだろう。  ゆっくりと立ち上がり、ベッドの横に転がっているバッグを手にするそして、その場を去る前に一言だけ彼に宣言する。 「そうだよ、俺《・》は男だよ。じゃあな、祖師ヶ谷さん!」  町田来栖はそう言い放つと、ハイヒールを脱ぎ捨て、その場から走り去っていく。  煙の中に彼女、いや彼の姿が消えていく。その姿を呆然と祖師ヶ谷大蔵は見つめていた。  町田が、部屋を飛び出ると数人のSPたちが気を失い、女性が二人立っている。 「なるほど……」  全てに合点がいった様子で、町田は二人の女性とともにその場をあとにする。 「一体、どこまでが、お前らの計画だったんだ?」 「彼女が酔ったところからよ。藤沢くん」  寒川は冷静な表情で追っ手に対し、パチンコ玉のような金属を投げ入れ爆発させている。自身が精錬した金属に『強い衝撃を与えると爆発する』という属性を付与するのが彼女の能力。スイートルームの戸を破壊したのも彼女の能力だろう。 「じゃあ、あの時の……」 「せ・い・か・い! 精密に後頭部に当てて気を失わせるるのは大変だったんだよー」  そう嬉しそうに語る辻堂の能力は投げたものを自在に操る能力。あの状況で藤沢の後頭部に気を失わせるほどの物をブチ当てるなど彼女の能力の精度があればこそだった。 「なるほど。全ては俺の知らないところで動いてたってわけだ……それで、この後はどうするんだ?」 『速やかに撤収するのみ』  女性陣二人は迷うことなくそう言い放つ。 「で、それは本当に可能なのか?」 「そりゃ、藤沢の能力でこのためのアイテムをロードすればいいんだよ」 「そうですよ!」 「よし、ロード!」  彼の手元に一メートルもの大きさのネイルハンマーが呼び出される。彼はそれを寒川に手渡し、更にロードと叫ぶ。左手には鋼鉄製のカード。これは辻堂の獲物だった。 「面白くなってきた!」  町田来栖改め、藤沢来栖はこの状況を酷く愉しんでいた。 「爺、ボクは決めたよ」  爆音を響かせながら走り去る来栖の後姿を見つめ、なにかの感情が抑えきれないように祖師ヶ谷大蔵は強く両手を握り締めている。 「何をですかな?」  いつの間にやら白髪の老人が傍に立っている。 「彼を、いや、彼女をボクのお嫁さんにする!」  しばしの沈黙。 「…………え?」 「うん。お嫁さん」 「…………わ、若がご乱心なされたー! 誰か、誰か鎮静剤をっ!!」 「う、うるさい。ボクはもう決めたんだ。絶対に彼女を探し出す」  彼の瞳は恋する少年のそれ、そのものだった。あまりにも純粋で無垢。 「おお、何という穢れのない瞳。分かりましたぞ若。この豪徳寺《ごうとくじ》、執事人生を賭け、必ずや若のためにあやつめを見つけ出してご覧に入れましょう!」 「おう、頼もしいぞ爺!」  熱く抱き合う男二人。そして、そんな禄でもない会話を聞かなかったことは藤沢にとって幸運だった、かもしれない。  終わり ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。