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「【ミカとリカ 前編】」(2010/10/28 (木) 23:13:04) の最新版変更点
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ミカとリカ 前編
電気をつけていても夕方であるような、梅雨時の薄暗い朝のことだった。
「あぢぃよぅ・・・・・・」
と、立浪みかは呟いた。ひどく気だるそうな声をしている。
傷だらけの通学鞄に教科書やノートを入れる。今日の時間割を思い出そうとするが、はっきりと覚えていなかったので適当にそれらしい科目のものを詰め込んでしまった。
「朝っぱらからあぢぃよぉう・・・・・・!」
じっとしているだけでも執拗に発汗が促され、顔じゅうからぽたぽたと滴り落ちていった。長すぎる髪も切ってしまいたいとさえ思える季節だが、周りが「かわいい」といってくれるので我慢するしかない。
ワイシャツは湿って胸部に密着し、控えめなサイズのバストの形をくっきり表していた。みかは鞄を手に持ち、自室を出た。廊下から居間に向かって声をかける。
「みき、そろそろ行こうぜー?」
ところが居間にいるはずの次女の返事が来ない。みかは鞄をその場に置いて居間に戻った。
これが普通の日常であるのならみきはとっくに身支度を終えていて、丁寧に磨かれた革靴を履いて玄関にいて、寝ぼけまなこで左右にふらつきながら廊下を歩いてくるみかを急かしてくるはずなのだ。
朝食のバターの香りがほんのかすかに残っている。消灯して真っ暗な居間をよく見渡すと、ソファーのクッションに頭を突っ込んでガタガタ震えている妹のお尻を見た。
「ちょっと、何してんの」
「あうう・・・・・・姉さん、今日はお休みしたいですぅ」
「はぁ? お前は何を言って――」
そのときだ。一瞬、暗かった部屋が白い光によって隈なく明るみにされた。カメラのフラッシュが炊かれたようだった。ややあってゴロゴロと重厚な轟きが聞えてくる。
「はうっ! や、や、やっぱり怖いですぅ――っ! 外出たら死んじゃいますぅ――っ!」
「バカ! 高校生にもなって!」
みかはその醜態にたまらず大声を出し、自分に向けて突き上げられたお尻を両手に持つ。みきをソファーから引きずり出すつもりだ。
「うわぁああん、雷怖いからやだぁ! 堪忍してください!」
「みくだってへっちゃらなのに」
「ダメなものはダメなんですぅ! 自分に落っこちたら死んじゃうんですよう? そんなの怖くて絶対イヤですぅ――っ!」
「ダメ! バカやってねーでとっとと行くぞ!」
「助けてみくちゃ――っ!」
そう泣き叫んだとたんお尻から尻尾が飛び出てきた。「ちょ、おま」とみかは呆れて物も言えない。力を全解放してまで抵抗する気なのだ。負けじとみかも猫耳スタイルで望み、魂源力を繰り出しフルパワーでみきの下半身を引っ張り上げる。
「ぐぐぐ、ああちくしょう、動きやしねぇ」
「やだー! 雷いやぁ――っ!」
「いい加減にしやがれ泣き虫みきぃ――っ!」
顎を天井に向けて頭を倒し、両目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばって力を引き出す。姉妹の異能の発現によって室内の空気が渦を巻き、机に積んである書物のページをぱらぱらめくっていった。重たい家財道具も振動して音を立てていた。
姉妹がそうこうしているうちに時間はどんどん過ぎていった。
みかはぎゃんぎゃん泣き喚く妹を肩に担いで登校し、一年B組の教室に放り込んできた。いったい何事なのとお目目をぱちくりさせている可愛らしい担任に、
「お世話になってまーす! 逃げ出さないようしっかり見張っててくださーい!」
と元気よく言い残して後にする。床に這いつくばって嗚咽を漏らしているみきのことは、あえて無視を決め込むことにした。
一方二年N組の教室では、黒板の前にて担任である男性教諭が腕時計の秒針を注視していた。湿度の高い教室はいつもよりも、ざわつく声がくぐもって聞えてくる。チャイムが鳴った。
「立浪みか、遅刻っと」
そう、教卓の出席簿に記入をしようとしたときだった。教室の戸が開いた。
「おまちどうさまぁ、せんせ?」
一同は廊下のほうを見てぎょっとする。ワイシャツのボタンを一つだけ留め、色白の細いウェストと残念なボリュームの胸元を露にした猫耳少女が、右に左に尻尾を振りながら担任に寄ってきたのだ。長い髪を全て下ろしたうえ、チェック柄のプリーツスカートを限界まで短くしており、細長い両脚をくねらせながら歩いてやってきた。
「まぁねぇ今日はいろいろあったの」
教卓に乗る。クラスメートに体を向けて座る。左脚を高く振り上げて右脚と交差させる。何か白い布が見えたような気がしたが、色気がすさまじく壊滅的だったので、男子たちは特に何の感想も抱くことなく英単語帳の文章に目を戻してしまった。
「あたしの皆勤賞、せんせも知ってるでしょぉー」
エメラルドの瞳を熱っぽく潤ませながら担任の左耳に囁きかけた。彼の顎を手のひらで優しく撫でまわすという暴挙をかます。彼女には初等部から続いている皆勤賞がかかっている。
「えへへ、だからぁ見逃して、にゃ?」
片方の猫耳を折りたたんでウィンクを投げかけ、精一杯担任に媚びた。彼はそんな教え子の前で、無言で握りこぶしをそろりと上げ、みかの脳天めがけて叩き込んだ。
二時間目が終わると教室は購買部へ駆け込む者、グループで固まり一緒にお弁当を食べる者とで騒々しくなる。みかもクラスの親友・中村里香と一緒に弁当をつついていた。みかはまだ今朝のホームルームでの出来事を根に持っていた。
「ったく、気ぃ利かないやつ!」
「でもミカ、けっこうドン引きモンだったよ?」
「あーもー、リカまでそう言う!」
担任の仏頂面を思い出しただけで腹が立ってきた。蒸し暑さのせいでいっそういらいらしてきた。赤いたんこぶを上下させながら、みきの作ったお弁当をかきこむ。すでに昼食を終えた里香は、微笑みを浮かべながらその様子を見守っている。
中村里香とは中等部のときに知り合った。何度かクラスが変わるたびに友達も移り変わりしていくものだが、この里香だけはみかにとってきわめて特別な存在であった。
彼女はかつてテニスが得意だったので、今も初等部のテニスクラブに顔を出して心から楽しそうに指導をしている。「私のぶんまで、テニスを楽しんで」。里香は子供たちにいつもそう言っていた。
「んでリカ。今日もテニスクラブ行くかい?」
みかもそんな里香の活動を支援しており、クラブの運営を手伝っていた。みかがそこまで彼女の力になりたがるのは重大な理由がある。
「どしよ、今日お天気悪いよね?」
真昼にも関わらず、執拗に積み重ねられた雨雲により学園はあたかも夜のような暗さに覆い尽くされていた。昨日から未明にかけてずっと雨が降っていた。このぶんだとテニスコートは水浸しだろう。
「体育館で運動かね? 付き合うよ?」
「いつもありがとミカ、助かるわ」
「へっへん、お友達と子供たちのためならお安い御用よ」
同じクラスの男子生徒が「おーい、ミカリカー」と二人を呼んだ。このN組でも、二人は一組のユニットのようなものとして定着し扱われている。
「ああそうだ、野暮用行かねーと」
「次の準備の手伝いだっけ? ふふふ、ミカは何でも買って出てくれるよね」
「まぁね。あたしゃみんなの役に立ちたいんだ」
誰に対しても笑顔で貸してやれる猫の手になりたい。みかはそう里香に語る。
次の授業は地理のため、黒板に貼り付けるカラー資料を準備室から運び出す作業があった。みかはこういう雑用に喜んで名乗りを上げてきた。
それはラルヴァ退治に関しても同じことが言えた。春先は生理的嫌悪感のすさまじいラルヴァ「リンガ・ストーク・タイプM」の撃破に進んで出て行ったし、先月の「ガリヴァー」のような前代未聞な巨人モンスターに対しても果敢に攻めていった。クラスや学園での名声は、こうした地道な取り組みによるものが効いていた。
「私も行くよ。地理準備室、何階だっけ?」
「案内する。ありがとうな!」
みかがにっこり笑う。サイドポニーの少女も明るい笑顔を見せる。里香は太陽だった。梅雨時の陰鬱な湿り気も無効化させてしまう、心にぽっと明かりを照らしてくれる子だった。
みかにとって里香はお日様であり、彼女と共に行動することは幸せな「日常」そのものであった。
帰りのホームルームを終えて、二人は学園の共同体育館にやってきた。学園に関係する生徒・人間であれば、申請書を書くことで誰でも利用することのできる類の施設である。本日のテニスクラブの活動はみかの昼間に言った通り、室内で軽い運動をするという内容に落ち着いた。
「里香せんせー、こんにちは!」
「こんにちは! 雨で残念だけどしっかりやろう!」
里香の周囲に初等部の女の子が集まってきた。四年生から六年生までの高学年の児童たちを一手に引き受けてテニスをしているのである。彼女は特に女の子からの人望が熱かった。
そしてみかの周りには活発そうな男の子たちが集まっていた。声変わりの始まりかけたざらつきのある、高いトーンの大声が聞えてくる。
「おっすみか!」
「おっすクソガキども!」
「今日こそ倒してやるぜ」
「クックック、やれるもんならやってみな。手加減はしな――」
「どぉおおりゃああああ」
いつの間にかみかの背後に接近していた小学五年生の男の子が、彼女に痛烈なドロップキックを食らわせた。みかは真横に吹っ飛んで床にべちんと顔から叩きつけられる。
「ナイス真太郎!」
「おっしゃぁ――っ! やっとやっつけたぁ――っ!」
小山真太郎は丸顔を真っ赤にし、両腕のガッツポーズをぶるぶる震わせて歓喜を爆発させた。
「転ばせたら焼肉だっけ?」
「焼肉おごってくれるんだよな?」
「やっきにく!」
「やっきにく!」
「やっきにく!」
「・・・・・・クソガキどもめ、もう許さねぇぞぉおおおお――っ!」
猫耳を出したみかが、男の子を捕まえては投げたり放ったりして大暴れをしている。真太郎に激烈なタイガースープレックスをお見舞いさせたとき、はるか高い位置に吊り下げられているいくつかの照明が揺れた。
「ま、バカ猫どもはほっといて、私たちは体操しましょー!」
「はーい!」
と、みかと遊んでいる男子は放置して、女子たちは里香のもと本来の目的であるテニスクラブの活動を始めていた。
「里香コーチ、あの」
「うん? どしたの?」
声をかけてきたのは大島亜由美という五年生の子だった。早いうちから短剣を用いた異能に目覚め、テニスの動きやセンスもいい。きっと将来はいい選手になるだろうなと思っていた。
そして里香の表情が一変して強張る。
亜由美の隣に何かが突っ立っていた。はじめ里香は薄汚い毛玉が直立し、目の前にいるようにしか見えなかった。
「あの、私もテニスしたいです」
辛うじて里香の脳が双葉学園の制服を認識できたので、それが人間でない「ラルヴァ」の児童であることは時間をかけて理解することができた。
「このタヌキさん、テニスコートにいたの。テニスしたいって言うから連れてきました」
そう亜由美は里香に解説した。体こそ人間の子供とほとんど変わらないが、肘や膝を覆い尽くす茶色の体毛や、タヌキそのものの頭部が、彼女を人類ではないまったく別の異形たらしめていた。
つまり、ラルヴァの児童が初等部のテニスクラブにやってきたのだ。学園ではこのようなラルヴァ系の生徒は珍しくなく、むしろ入学を推奨しており、異能者とラルヴァが共存していくための方向性を模索している。
彼らを一方的に倒して駆除するのではなく、共存できるものは共存していこうという考え方だ。
「こんなタヌキですが・・・・・・テニス教えてください、里香コーチ」
ばきぃという何かが砕けた音に、男の子とじゃれあっていたみかが反応した。
そして彼女はとんでもない光景を目の当たりにした。里香がタヌキの小学生を張っ倒したのである。前歯を折られて口元が血まみれのタヌキは、「うげぇえん、いだぁいよぉおお」と悲痛極まりない泣き声を上げていた。
そんな横たわっている小さな毛玉を、里香は本気で蹴りつけた。ドスンという重たい音は別に中身の詰まった鞄を落とした音でも、サンドバッグに拳を叩き込んだ音でもなく、タヌキの子の腹部に里香のつま先がめり込まれた音である。
「げふっ、がふっ、ぉおぇえええ」
血走った眼球から涙を零し、嘔吐するラルヴァの子。その凄惨極まりない現場を目撃することになった初等部の子たちは青ざめた顔で震え、中には腰を抜かして失禁している女の子までいた。
「テニスがしたい? 冗談言わないで」
右手の指をシューズのかかとで踏みつけた。それは中身の骨どころか、小さな指そのものが車に轢かれたミミズのように押しつぶされてしまってかまわないといった具合の、容赦も躊躇もない踏みつけであった。
「あんたらに教えるもんなんて無いわよ」
今度は肘だ。肘を踏みつけた。三種の骨がまとめられている関節が一瞬にしてバラバラにされ、踏みつけられたとたん毛だらけの肘がびょんと跳ねた。何度も何度も響き渡る絶叫を、体育館は賛美歌と間違えているのか高らかに、壮大に、荘厳に反響・共鳴させた。初等部の児童たちの一人ひとりがその歌によって心を揺さぶられ、動けない。言葉が出ない。震えている。
「やめろリカぁ! 何してやがるぅ!」
ようやくみかが里香を羽交い絞めにしてタヌキの子から引き剥がした。児童たちは青ざめた顔をして、口を開けっ放しにしたまま硬直していた。
彼らを導く大人がどこにもいなかった。クラブの顧問は里香とみかを信頼しきっており、いまごろ別室にてやり残した仕事の処理に没頭していることだろう。里香がこのような惨たらしい事件を起こしているとは夢にも思わず。
「おい亜由美ぃ、先生呼べ!」
「え、あ・・・・・・」
この暴行を間近で見る破目になってしまった亜由美は、みかに怒鳴られたことでようやくはっきりと意識を持った。今後、この件が彼女の精神的な発育に黒い影を落としたことは言うまでもなかろう。
「早くしろぉ! ボサっとすんじゃねぇ!」
「は、はぁいぃ!」
今度は揃って突っ立っている男子たちのほうを向いた。
「携帯持ってんだろ! 救急車呼べ! 早く!」
女子と同じように恐怖のどん底に落とされていた彼らも、みかに言われて携帯電話を取りに体育館の隅に固めてある鞄やナップサックのもとへ走っていった。
「離してよミカ! ラルヴァよ! ラルヴァは駆除するのよ!」
「暴れんなリカ! こいつは殺しちゃダメなんだ!」
「私にテニスを教えろとか・・・・・・! ふざけないでよぉ!」
そう里香はヒステリックに喚いた。みかはそれを聞いてとても心が痛んだが、一生懸命両腕に力を込めて里香の暴走を防いでいる。
里香とて双葉学園に通う異能者の一人である。その力は今朝方のみきよりもずっと上で、みかも猫耳を出さないと制圧することが難しいぐらいであった。
そうこうしているうちに顧問が亜由美に呼ばれてすっ飛んできた。児童がケガしたと聞いてはさぞかし顔面蒼白なことだろう。しかし彼が見たものは、血だらけで右腕の捻じ曲がった吐しゃ物まみれのタヌキの女の子であった。怪我どころの問題ではなかった。顧問は不祥事の発生を理解し気が遠くなっていく。しばらくそのまま、そうして何も行動できなかった。児童たちがタヌキの子を気遣い、救急車を呼び、もっと別の大人たちを集めてくる行動に奔走していた。
「リカはな、ラルヴァに選手生命を奪われたんだ」
みかは夕飯に一切手をつけず、風呂にも入らず、歯も磨かず、ずっと居間のソファーに腰を下ろしてうつむいていた。そんな姉の様子を見かね、みきはみくを寝かしつけた後、彼女の隣に座って話を聞いていた。みきも里香のことはよく知っていた。
中村里香は中等部時代、全国大会に到達するぐらいテニスが上手だった。異能とは関係のない別の生まれ持った才能に彼女は心から感謝していたし、誇りにしていた。だからこそ日ごろの練習も怠らず、それはまるで明るい未来に向けてついに一筋の輝きを放つに至ったダイヤの原石のごとき少女であった。
みかは中等部時代テニスクラブに入っていた。そこで、テニス部と兼ねて活動していた中村里香と知り合ったのである。みかには生まれ持つ運動神経と頑固なまでに負けず嫌いな性格があった。何とかして里香に勝とうと日々奮闘し、そして白旗を揚げるころにはすっかり仲の良い親友同士になっていた。
事件は唐突に発生した。テニスコート近辺でラルヴァが出現したのである。全国大会を控えてなるべくなら戦闘を避けたいところであったが、幼稚園が危機にさらされていると聞いて黙っていられるわけがなかった。里香は子供が大好きだった。
自らの異能を駆使し、利き腕を庇いながら戦う長期戦を耐え抜いた。それでも背後の園児たちの応援に押されて里香は戦った。
ラルヴァを異能によって持ち上げ、上空から地面に叩きつけるのが里香の戦闘スタイルだった。まだ中等部生だったので体力や異能力に乏しく、厳しい戦いを強いられた。精一杯の力を振り絞ってラルヴァを持ち上げ、グラウンドに落下させる。これで確実に止めを刺し、戦いも終結する――かに思われた。
地面に衝突する瞬間、それは確信犯的な悪意だったのか、ラルヴァがビーム弾を発射させてきたのである。それは、勝利を目前にして油断を見せていた里香の右腕に直進し・・・・・・。弾は里香の肘を砕いた。
ラルヴァは地面に叩きつけられ死亡した。と同時に、中村里香という一人のテニスプレイヤーも死亡した瞬間であった。
「まさにその瞬間にね、あたしが到着したんだよ。へへ・・・・・・。こういうときに限ってリカとケンカしててさ、一緒じゃなかったんだよ。あの砕けた音は今でも忘れられない」
「初めて聞きました・・・・・・」
「内緒にしてきたもん、リカ守ってやれなくてさ。ぼーっと魂抜けちゃったリカ抱きしめてね、ごめんねごめんね泣きまくったんだよ。――そしたらあたしの耳と尻尾が生えてきて――あたしは『覚醒』した」
とんでもない衝撃のさなか、みきは、苦笑混じりに過去を語る姉猫の横顔を見る。
今までみかは誰にも「覚醒」のときについて語ったことはなかった。みきも何かと「覚醒」の方法について助言を求めてきたが、みかは何も教えてくれなかった。ただ一言だけ繰り返し教えられた「大好きな人を守りたいときに力に目覚める」という言葉の意味が、こんなにも重たいものだとは想像もつかない。
「だからお前にも言わなかった。だって情けないもんな? 友達も守れないなんて」
みかはいつも妹たちに言う。人の役に立てと。島のみんなを助けろと。大切な人を守れと。そうして戦っていくことが自分たちの役割であるということを、みかは抜け殻になった親友と直面したことで悟ったのである。
外は暗闇の中、黙々とした様子でひたすら雨が降り注いでいた。
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ミカとリカ 前編
電気をつけていても夕方であるような、梅雨時の薄暗い朝のことだった。
「あぢぃよぅ・・・・・・」
と、立浪みかは呟いた。ひどく気だるそうな声をしている。
傷だらけの通学鞄に教科書やノートを入れる。今日の時間割を思い出そうとするが、はっきりと覚えていなかったので適当にそれらしい科目のものを詰め込んでしまった。
「朝っぱらからあぢぃよぉう・・・・・・!」
じっとしているだけでも執拗に発汗が促され、顔じゅうからぽたぽたと滴り落ちていった。長すぎる髪も切ってしまいたいとさえ思える季節だが、周りが「かわいい」といってくれるので我慢するしかない。
ワイシャツは湿って胸部に密着し、控えめなサイズのバストの形をくっきり表していた。みかは鞄を手に持ち、自室を出た。廊下から居間に向かって声をかける。
「みき、そろそろ行こうぜー?」
ところが居間にいるはずの次女の返事が来ない。みかは鞄をその場に置いて居間に戻った。
これが普通の日常であるのならみきはとっくに身支度を終えていて、丁寧に磨かれた革靴を履いて玄関にいて、寝ぼけまなこで左右にふらつきながら廊下を歩いてくるみかを急かしてくるはずなのだ。
朝食のバターの香りがほんのかすかに残っている。消灯して真っ暗な居間をよく見渡すと、ソファーのクッションに頭を突っ込んでガタガタ震えている妹のお尻を見た。
「ちょっと、何してんの」
「あうう・・・・・・姉さん、今日はお休みしたいですぅ」
「はぁ? お前は何を言って――」
そのときだ。一瞬、暗かった部屋が白い光によって隈なく明るみにされた。カメラのフラッシュが炊かれたようだった。ややあってゴロゴロと重厚な轟きが聞えてくる。
「はうっ! や、や、やっぱり怖いですぅ――っ! 外出たら死んじゃいますぅ――っ!」
「バカ! 高校生にもなって!」
みかはその醜態にたまらず大声を出し、自分に向けて突き上げられたお尻を両手に持つ。みきをソファーから引きずり出すつもりだ。
「うわぁああん、雷怖いからやだぁ! 堪忍してください!」
「みくだってへっちゃらなのに」
「ダメなものはダメなんですぅ! 自分に落っこちたら死んじゃうんですよう? そんなの怖くて絶対イヤですぅ――っ!」
「ダメ! バカやってねーでとっとと行くぞ!」
「助けてみくちゃ――っ!」
そう泣き叫んだとたんお尻から尻尾が飛び出てきた。「ちょ、おま」とみかは呆れて物も言えない。力を全解放してまで抵抗する気なのだ。負けじとみかも猫耳スタイルで望み、魂源力を繰り出しフルパワーでみきの下半身を引っ張り上げる。
「ぐぐぐ、ああちくしょう、動きやしねぇ」
「やだー! 雷いやぁ――っ!」
「いい加減にしやがれ泣き虫みきぃ――っ!」
顎を天井に向けて頭を倒し、両目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばって力を引き出す。姉妹の異能の発現によって室内の空気が渦を巻き、机に積んである書物のページをぱらぱらめくっていった。重たい家財道具も振動して音を立てていた。
姉妹がそうこうしているうちに時間はどんどん過ぎていった。
みかはぎゃんぎゃん泣き喚く妹を肩に担いで登校し、一年B組の教室に放り込んできた。いったい何事なのとお目目をぱちくりさせている可愛らしい担任に、
「お世話になってまーす! 逃げ出さないようしっかり見張っててくださーい!」
と元気よく言い残して後にする。床に這いつくばって嗚咽を漏らしているみきのことは、あえて無視を決め込むことにした。
一方二年N組の教室では、黒板の前にて担任である男性教諭が腕時計の秒針を注視していた。湿度の高い教室はいつもよりも、ざわつく声がくぐもって聞えてくる。チャイムが鳴った。
「立浪みか、遅刻っと」
そう、教卓の出席簿に記入をしようとしたときだった。教室の戸が開いた。
「おまちどうさまぁ、せんせ?」
一同は廊下のほうを見てぎょっとする。ワイシャツのボタンを一つだけ留め、色白の細いウェストと残念なボリュームの胸元を露にした猫耳少女が、右に左に尻尾を振りながら担任に寄ってきたのだ。長い髪を全て下ろしたうえ、チェック柄のプリーツスカートを限界まで短くしており、細長い両脚をくねらせながら歩いてやってきた。
「まぁねぇ今日はいろいろあったの」
教卓に乗る。クラスメートに体を向けて座る。左脚を高く振り上げて右脚と交差させる。何か白い布が見えたような気がしたが、色気がすさまじく壊滅的だったので、男子たちは特に何の感想も抱くことなく英単語帳の文章に目を戻してしまった。
「あたしの皆勤賞、せんせも知ってるでしょぉー」
エメラルドの瞳を熱っぽく潤ませながら担任の左耳に囁きかけた。彼の顎を手のひらで優しく撫でまわすという暴挙をかます。彼女には初等部から続いている皆勤賞がかかっている。
「えへへ、だからぁ見逃して、にゃ?」
片方の猫耳を折りたたんでウィンクを投げかけ、精一杯担任に媚びた。彼はそんな教え子の前で、無言で握りこぶしをそろりと上げ、みかの脳天めがけて叩き込んだ。
二時間目が終わると教室は購買部へ駆け込む者、グループで固まり一緒にお弁当を食べる者とで騒々しくなる。みかもクラスの親友・中村里香と一緒に弁当をつついていた。みかはまだ今朝のホームルームでの出来事を根に持っていた。
「ったく、気ぃ利かないやつ!」
「でもミカ、けっこうドン引きモンだったよ?」
「あーもー、リカまでそう言う!」
担任の仏頂面を思い出しただけで腹が立ってきた。蒸し暑さのせいでいっそういらいらしてきた。赤いたんこぶを上下させながら、みきの作ったお弁当をかきこむ。すでに昼食を終えた里香は、微笑みを浮かべながらその様子を見守っている。
中村里香とは中等部のときに知り合った。何度かクラスが変わるたびに友達も移り変わりしていくものだが、この里香だけはみかにとってきわめて特別な存在であった。
彼女はかつてテニスが得意だったので、今も初等部のテニスクラブに顔を出して心から楽しそうに指導をしている。「私のぶんまで、テニスを楽しんで」。里香は子供たちにいつもそう言っていた。
「んでリカ。今日もテニスクラブ行くかい?」
みかもそんな里香の活動を支援しており、クラブの運営を手伝っていた。みかがそこまで彼女の力になりたがるのは重大な理由がある。
「どしよ、今日お天気悪いよね?」
真昼にも関わらず、執拗に積み重ねられた雨雲により学園はあたかも夜のような暗さに覆い尽くされていた。昨日から未明にかけてずっと雨が降っていた。このぶんだとテニスコートは水浸しだろう。
「体育館で運動かね? 付き合うよ?」
「いつもありがとミカ、助かるわ」
「へっへん、お友達と子供たちのためならお安い御用よ」
同じクラスの男子生徒が「おーい、ミカリカー」と二人を呼んだ。このN組でも、二人は一組のユニットのようなものとして定着し扱われている。
「ああそうだ、野暮用行かねーと」
「次の準備の手伝いだっけ? ふふふ、ミカは何でも買って出てくれるよね」
「まぁね。あたしゃみんなの役に立ちたいんだ」
誰に対しても笑顔で貸してやれる猫の手になりたい。みかはそう里香に語る。
次の授業は地理のため、黒板に貼り付けるカラー資料を準備室から運び出す作業があった。みかはこういう雑用に喜んで名乗りを上げてきた。
それはラルヴァ退治に関しても同じことが言えた。春先は生理的嫌悪感のすさまじいラルヴァ「リンガ・ストーク・タイプM」の撃破に進んで出て行ったし、先月の「ガリヴァー」のような前代未聞な巨人モンスターに対しても果敢に攻めていった。クラスや学園での名声は、こうした地道な取り組みによるものが効いていた。
「私も行くよ。地理準備室、何階だっけ?」
「案内する。ありがとうな!」
みかがにっこり笑う。サイドポニーの少女も明るい笑顔を見せる。里香は太陽だった。梅雨時の陰鬱な湿り気も無効化させてしまう、心にぽっと明かりを照らしてくれる子だった。
みかにとって里香はお日様であり、彼女と共に行動することは幸せな「日常」そのものであった。
帰りのホームルームを終えて、二人は学園の共同体育館にやってきた。学園に関係する生徒・人間であれば、申請書を書くことで誰でも利用することのできる類の施設である。本日のテニスクラブの活動はみかの昼間に言った通り、室内で軽い運動をするという内容に落ち着いた。
「里香せんせー、こんにちは!」
「こんにちは! 雨で残念だけどしっかりやろう!」
里香の周囲に初等部の女の子が集まってきた。四年生から六年生までの高学年の児童たちを一手に引き受けてテニスをしているのである。彼女は特に女の子からの人望が熱かった。
そしてみかの周りには活発そうな男の子たちが集まっていた。声変わりの始まりかけたざらつきのある、高いトーンの大声が聞えてくる。
「おっすみか!」
「おっすクソガキども!」
「今日こそ倒してやるぜ」
「クックック、やれるもんならやってみな。手加減はしな――」
「どぉおおりゃああああ」
いつの間にかみかの背後に接近していた小学五年生の男の子が、彼女に痛烈なドロップキックを食らわせた。みかは真横に吹っ飛んで床にべちんと顔から叩きつけられる。
「ナイス真太郎!」
「おっしゃぁ――っ! やっとやっつけたぁ――っ!」
小山真太郎は丸顔を真っ赤にし、両腕のガッツポーズをぶるぶる震わせて歓喜を爆発させた。
「転ばせたら焼肉だっけ?」
「焼肉おごってくれるんだよな?」
「やっきにく!」
「やっきにく!」
「やっきにく!」
「・・・・・・クソガキどもめ、もう許さねぇぞぉおおおお――っ!」
猫耳を出したみかが、男の子を捕まえては投げたり放ったりして大暴れをしている。真太郎に激烈なタイガースープレックスをお見舞いさせたとき、はるか高い位置に吊り下げられているいくつかの照明が揺れた。
「ま、バカ猫どもはほっといて、私たちは体操しましょー!」
「はーい!」
と、みかと遊んでいる男子は放置して、女子たちは里香のもと本来の目的であるテニスクラブの活動を始めていた。
「里香コーチ、あの」
「うん? どしたの?」
声をかけてきたのは大島亜由美という五年生の子だった。早いうちから短剣を用いた異能に目覚め、テニスの動きやセンスもいい。きっと将来はいい選手になるだろうなと思っていた。
そして里香の表情が一変して強張る。
亜由美の隣に何かが突っ立っていた。はじめ里香は薄汚い毛玉が直立し、目の前にいるようにしか見えなかった。
「あの、私もテニスしたいです」
辛うじて里香の脳が双葉学園の制服を認識できたので、それが人間でない「ラルヴァ」の児童であることは時間をかけて理解することができた。
「このタヌキさん、テニスコートにいたの。テニスしたいって言うから連れてきました」
そう亜由美は里香に解説した。体こそ人間の子供とほとんど変わらないが、肘や膝を覆い尽くす茶色の体毛や、タヌキそのものの頭部が、彼女を人類ではないまったく別の異形たらしめていた。
つまり、ラルヴァの児童が初等部のテニスクラブにやってきたのだ。学園ではこのようなラルヴァ系の生徒は珍しくなく、むしろ入学を推奨しており、異能者とラルヴァが共存していくための方向性を模索している。
彼らを一方的に倒して駆除するのではなく、共存できるものは共存していこうという考え方だ。
「こんなタヌキですが・・・・・・テニス教えてください、里香コーチ」
ばきぃという何かが砕けた音に、男の子とじゃれあっていたみかが反応した。
そして彼女はとんでもない光景を目の当たりにした。里香がタヌキの小学生を張っ倒したのである。前歯を折られて口元が血まみれのタヌキは、「うげぇえん、いだぁいよぉおお」と悲痛極まりない泣き声を上げていた。
そんな横たわっている小さな毛玉を、里香は本気で蹴りつけた。ドスンという重たい音は別に中身の詰まった鞄を落とした音でも、サンドバッグに拳を叩き込んだ音でもなく、タヌキの子の腹部に里香のつま先がめり込まれた音である。
「げふっ、がふっ、ぉおぇえええ」
血走った眼球から涙を零し、嘔吐するラルヴァの子。その凄惨極まりない現場を目撃することになった初等部の子たちは青ざめた顔で震え、中には腰を抜かして失禁している女の子までいた。
「テニスがしたい? 冗談言わないで」
右手の指をシューズのかかとで踏みつけた。それは中身の骨どころか、小さな指そのものが車に轢かれたミミズのように押しつぶされてしまってかまわないといった具合の、容赦も躊躇もない踏みつけであった。
「あんたらに教えるもんなんて無いわよ」
今度は肘だ。肘を踏みつけた。三種の骨がまとめられている関節が一瞬にしてバラバラにされ、踏みつけられたとたん毛だらけの肘がびょんと跳ねた。何度も何度も響き渡る絶叫を、体育館は賛美歌と間違えているのか高らかに、壮大に、荘厳に反響・共鳴させた。初等部の児童たちの一人ひとりがその歌によって心を揺さぶられ、動けない。言葉が出ない。震えている。
「やめろリカぁ! 何してやがるぅ!」
ようやくみかが里香を羽交い絞めにしてタヌキの子から引き剥がした。児童たちは青ざめた顔をして、口を開けっ放しにしたまま硬直していた。
彼らを導く大人がどこにもいなかった。クラブの顧問は里香とみかを信頼しきっており、いまごろ別室にてやり残した仕事の処理に没頭していることだろう。里香がこのような惨たらしい事件を起こしているとは夢にも思わず。
「おい亜由美ぃ、先生呼べ!」
「え、あ・・・・・・」
この暴行を間近で見る破目になってしまった亜由美は、みかに怒鳴られたことでようやくはっきりと意識を持った。今後、この件が彼女の精神的な発育に黒い影を落としたことは言うまでもなかろう。
「早くしろぉ! ボサっとすんじゃねぇ!」
「は、はぁいぃ!」
今度は揃って突っ立っている男子たちのほうを向いた。
「携帯持ってんだろ! 救急車呼べ! 早く!」
女子と同じように恐怖のどん底に落とされていた彼らも、みかに言われて携帯電話を取りに体育館の隅に固めてある鞄やナップサックのもとへ走っていった。
「離してよミカ! ラルヴァよ! ラルヴァは駆除するのよ!」
「暴れんなリカ! こいつは殺しちゃダメなんだ!」
「私にテニスを教えろとか・・・・・・! ふざけないでよぉ!」
そう里香はヒステリックに喚いた。みかはそれを聞いてとても心が痛んだが、一生懸命両腕に力を込めて里香の暴走を防いでいる。
里香とて双葉学園に通う異能者の一人である。その力は今朝方のみきよりもずっと上で、みかも猫耳を出さないと制圧することが難しいぐらいであった。
そうこうしているうちに顧問が亜由美に呼ばれてすっ飛んできた。児童がケガしたと聞いてはさぞかし顔面蒼白なことだろう。しかし彼が見たものは、血だらけで右腕の捻じ曲がった吐しゃ物まみれのタヌキの女の子であった。怪我どころの問題ではなかった。顧問は不祥事の発生を理解し気が遠くなっていく。しばらくそのまま、そうして何も行動できなかった。児童たちがタヌキの子を気遣い、救急車を呼び、もっと別の大人たちを集めてくる行動に奔走していた。
「リカはな、ラルヴァに選手生命を奪われたんだ」
みかは夕飯に一切手をつけず、風呂にも入らず、歯も磨かず、ずっと居間のソファーに腰を下ろしてうつむいていた。そんな姉の様子を見かね、みきはみくを寝かしつけた後、彼女の隣に座って話を聞いていた。みきも里香のことはよく知っていた。
中村里香は中等部時代、全国大会に到達するぐらいテニスが上手だった。異能とは関係のない別の生まれ持った才能に彼女は心から感謝していたし、誇りにしていた。だからこそ日ごろの練習も怠らず、それはまるで明るい未来に向けてついに一筋の輝きを放つに至ったダイヤの原石のごとき少女であった。
みかは中等部時代テニスクラブに入っていた。そこで、テニス部と兼ねて活動していた中村里香と知り合ったのである。みかには生まれ持つ運動神経と頑固なまでに負けず嫌いな性格があった。何とかして里香に勝とうと日々奮闘し、そして白旗を揚げるころにはすっかり仲の良い親友同士になっていた。
事件は唐突に発生した。テニスコート近辺でラルヴァが出現したのである。全国大会を控えてなるべくなら戦闘を避けたいところであったが、幼稚園が危機にさらされていると聞いて黙っていられるわけがなかった。里香は子供が大好きだった。
自らの異能を駆使し、利き腕を庇いながら戦う長期戦を耐え抜いた。それでも背後の園児たちの応援に押されて里香は戦った。
ラルヴァを異能によって持ち上げ、上空から地面に叩きつけるのが里香の戦闘スタイルだった。まだ中等部生だったので体力や異能力に乏しく、厳しい戦いを強いられた。精一杯の力を振り絞ってラルヴァを持ち上げ、グラウンドに落下させる。これで確実に止めを刺し、戦いも終結する――かに思われた。
地面に衝突する瞬間、それは確信犯的な悪意だったのか、ラルヴァがビーム弾を発射させてきたのである。それは、勝利を目前にして油断を見せていた里香の右腕に直進し・・・・・・。弾は里香の肘を砕いた。
ラルヴァは地面に叩きつけられ死亡した。と同時に、中村里香という一人のテニスプレイヤーも死亡した瞬間であった。
「まさにその瞬間にね、あたしが到着したんだよ。へへ・・・・・・。こういうときに限ってリカとケンカしててさ、一緒じゃなかったんだよ。あの砕けた音は今でも忘れられない」
「初めて聞きました・・・・・・」
「内緒にしてきたもん、リカ守ってやれなくてさ。ぼーっと魂抜けちゃったリカ抱きしめてね、ごめんねごめんね泣きまくったんだよ。――そしたらあたしの耳と尻尾が生えてきて――あたしは『覚醒』した」
とんでもない衝撃のさなか、みきは、苦笑混じりに過去を語る姉猫の横顔を見る。
今までみかは誰にも「覚醒」のときについて語ったことはなかった。みきも何かと「覚醒」の方法について助言を求めてきたが、みかは何も教えてくれなかった。ただ一言だけ繰り返し教えられた「大好きな人を守りたいときに力に目覚める」という言葉の意味が、こんなにも重たいものだとは想像もつかない。
「だからお前にも言わなかった。だって情けないもんな? 友達も守れないなんて」
みかはいつも妹たちに言う。人の役に立てと。島のみんなを助けろと。大切な人を守れと。そうして戦っていくことが自分たちの役割であるということを、みかは抜け殻になった親友と直面したことで悟ったのである。
外は暗闇の中、黙々とした様子でひたすら雨が降り注いでいた。
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