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「あれ? これはもしかして」
枕木《まくらぎ》歩《あゆむ》が帰宅しようと下駄箱から靴を取り出そうとすると、中にピンク色の手紙が入っていた。封筒はハートマークのシールで止められていて、いかにも意味深である。
「やった。ラブレターだ」
枕木は胸を高鳴らせて開封する。すると中に入っていた便箋には可愛らしい丸字でこう書かれていた。
『枕木くんへ。お話したいことがあります。放課後、校舎裏まで来てください。向日《ひなた》葵《あおい》より』
枕木は歓喜のあまりその場で飛び跳ねた。差出人の葵は、枕木が密かに思いを寄せていた隣のクラスの美少女である。くりくりとした丸い目に、お姫様のようなドリル状の髪の毛。いつもぬいぐるみを抱いていて庇護欲をくすぐられる。
自分には高値の花と諦めていたが、まさか葵からラブレターを貰えるなんて夢にも思っていなかった。
「いやあ。もてる男はつらいなぁ」
誰にも見られないように手紙をポケットに入れて、スキップをしながら枕木は大好きな葵が待つ校舎裏へ向かった。
「枕木くん。あなた学校童子《がっこうわらし》なんだよね。わたしの相談も聞いてくれる? 実はわたし好きな人がいるんだけど……ってあれどうしたの?」
枕木はがっくりと項垂れで地面を膝につく。
そうだよな。こういうオチだよな。全然気にしてないって。わかってたよ、と自分自身に言い聞かせて涙をこらえた。
「な、なんでもないよ日向さん。ちょっと現実に絶望しただけさ」
「そう、ならいいんだけど。あのね。わたしあなたのクラスの藤浦《ふじうら》くんのことが好きなの」
「え、あの藤浦のこと?」
藤浦は特別悪いやつではないが、ちゃらちゃらしていてあまり女癖が良くないという噂を聞いたことがある。しかし同じ中二なのにどうしてこうも恋愛経験に差が出てくるのだろうか。枕木は藤浦のことを恨めしく、あるいは羨ましく思った。
「いやあ。やめておいた方がいいよあいつは」
「そんな。わたし藤浦くんのこと大好きなのに。枕木くんは協力してくれないの? うう、ひっく……」
葵は猫のぬいぐるみを抱きしめながらポロポロと涙を流し始めた。女の子の涙に弱い枕木はぎょっとして慌ててしまう。
「わ、わかったよ日向さん。僕が学校童子としてきみの恋を応援するから」
「ほんと? 嬉しい!」
葵は喜びを表すように枕木の手を取った。白くて柔らかい憧れの女の子の手に触れ、枕木は顔を真っ赤にする。ああ、女の子って素晴らしい。
「でも、僕みたいな男子に恋愛相談するよりも女友達に相談したほうがいいんじゃないかな。頼ってくれるのは嬉しいけど、僕じゃあまり力になれないかもしれないよ」
「ううん。いいの。あのね、わたしが枕木くんにお願いしたいのはね、『恋のおまじない』の協力をしてほしいからなの」
「恋の――おまじない?」
枕木が首を傾げて尋ねると「うん」と葵は頷いた。
「あのね、女子の間で話題になってるんだけど、好きな人の髪の毛を大事に持っているとその相手と結ばれるんだって」
「へえ。初めて聞いたな」
その手のまじないはやっぱり女子の間では定番らしい。学校童子としてそういう情報も耳に入れておかないとダメだなと枕木は思った。
「それでね、頼みっていうのはあなたに藤浦くんの髪の毛を一本、取ってきてもらいたいの。それ以外は無理言わないから、お願い」
「オーケー。恋のおまじないのために髪の毛を一本手に入れてくればいいんだね。お安い御用さ」
恋のおまじないなんていうのは結局気休めだ。そんなのを信じているなんて本当に葵は可愛いと。それに下手にキューピッドを演じるよりも今回は楽な依頼だろうと、枕木は思った。
「――とは言ったものの。案外人の髪の毛を取るって難しいかもしれないな」
翌日、枕木は席に座って談笑している藤浦を見つめた。素直に髪をくれって言っても怪しまれるし、勝手に抜いたりなんかしたら怒られるだろう。藤浦はやけ外見や髪型に気を使っている男子で、いつも髪に整髪料を塗りたくるほどの念の入りようだ。
「何かで藤浦の気を引き付けている間ならやれるかもしれない」
そういえば前に藤浦は犬が大好きだって話をしていたことを枕木は思いだす。
「犬か。ならあいつの助けを借りるとするか」
枕木は中庭に出て、ポケットからビーフジャーキーを取り出した。
「学校童子八号――――――――――! こーい!」
枕木がビーフジャーキーを掲げてそう叫ぶと、遠くから一匹の柴犬が駆け寄って来る。なぜかその犬の頭には枕木と同じ黒い学帽が乗っていた。
「ワンワンワーン(わーいおやつだワン)!」
「よしよしよし。いい子だ。よく来たなマユゲ」
犬はハァハァとベロを出して枕木に飛びつき、ビーフジャーキーにかぶりつく。
この犬――通称マユゲは学園に迷い込んで生徒に悪戯で眉毛の落書きをされているところを、“本物の学校童子”にスカウトされた、八番目の学校童子だ。
双葉学園には枕木と同じ学校童子の代理人が何人もいる。ちなみに枕木は第九号の肩書である。
なぜ犬なんかスカウトしたんだろうと枕木は思ったが「人間の中には動物の方が相談しやすい奴もいる」ということらしい。確かにペットに愚痴を漏らすという人はいるだろう。だがこの学園では猫派が大半を占めるということを計算に入れてなかったようだ。
このマユゲも犬でありながら異能者であり、枕木と同じ『|電波使い《テレパス》』なので、お互い念話でコミュニケーションが成立していた。
「よし。いいかマユゲ。この消しゴムの持ち主をお前のその可愛さでひきつけておくんだ。上手く言ったら今度はホネッコボーンをあげるぞ」
枕木は藤浦が使用していた消しゴムの臭いをマユゲに嗅がせて覚えさせる。
「ワンワン(わかったよマクラギくん。まかせて欲しいワン)!」
マユゲは臭いを辿って藤浦の下へと勢いよく駆け出した。それを後から追って、枕木は作戦を開始する。
昼休み、藤浦が腹ごなしにブラブラと敷地内を歩いていると、目の前に可愛らしい柴犬が座っていた。
「な、なんて可愛いんだ……!」
この学園に来てからは寮生活になってしまった犬好きの藤浦は、ペットも飼うこともできず、犬のモフモフとした毛並に飢えていた。藤浦はきょろきょろと周囲を見渡す。誰もいない。
男の自分が犬を溺愛しているところなんて誰にも見られたくはない。人がいないのを確認した藤浦は、犬が逃げないのを確認してゆっくりと近づいて行く。
「よーしよしよしよし! 可愛いなあ。野良犬かお前。なんだこのマユゲ、かわいそーにー。いやあ可愛い!」
犬はアホ面のまま気持ちよさそうに撫でられていた。藤浦は我慢しきれなくなったのか、犬を押し倒してその柔らかいお腹に顔を埋める。
「うほーあったけー!」
それはもうすごい幸せそうな顔であった。
「あの藤浦があんな顔するなんて。マユゲ、恐るべし」
枕木は校舎の屋上から、マユゲに抱きつく藤浦を見下ろしていた。枕木の足にはバンジージャンプで使用されるゴム製の紐がつけられており、それは鉄柵に繋がれている。
「よし、マユゲの毛並に溺れている今がチャンスだ。行くぞ!」
そしてそのまま枕木は、屋上から真っ逆さまにダイブした。
凄まじい速度で地面が近づいてくる。だがバンジーの紐のおかげで頭が地面と激突するかしないかのスレスレで停止し、枕木は藤浦の背後に降りることができた。
「そりゃ」
枕木はさっと素早く藤浦の髪の毛を引き抜く。
「いでっ!」と藤浦が振り返るよりも早く、枕木のバンジーはゴムの反動でまた上がっていった。どうやら上手くいったようで、藤浦は「?」と誰もいない背後を見つめて首をかしげている。
「やったー。作戦成功!」
びょんびょんっとゴムの反動で落ちたり跳ねたりを繰り返しながら、枕木は手に入れた藤浦の髪の毛を見つめた。
「これで日向さんも喜ぶだろうな」
相手の髪の毛を大事に持っているとその二人は結ばれる。なんていうのは他愛もないよくある恋のまじないだ。だけどもしかしたら本当にこのおまじないは成功するのかもしれない。
そこでふと、枕木の心の中の悪魔が彼にささやいた。
『自分の髪の毛を藤浦のだって言って日向葵に渡してやれよ。そうすればもしかして恋が成就しちゃうかもしれないぞ』
それはとんでもない名案だった。だが学校童子としてそんな相手を騙すようなことはできない。
「ダメだダメだ。そんなことは絶対ダメだ!」
ぶんぶんと頭を振って妄想を振り払おうとしたが、一度頭に浮かんだことはなかなか消えない。
枕木は葵のことが本当に大好きなのだ。あの子と付き合いたい。だけど彼女を裏切るような真似なんかできるわけがない。
「うう……」
しばらくの間、バンジーの紐に揺られながら枕木は葛藤していた。
「ありがとう枕木くん!」
枕木が真空パックに詰めた髪の毛を葵に手渡すと、彼女は満面の笑顔で抱きついてきた。ふんわりとした髪の毛が鼻に当たり、女の子独特のいい匂いに悶絶しそうになる。このまま抱きしめることができたらどんなにいいか。枕木は彼女の腰に手を回しそうになるが、なんとか理性を保って堪えた。
「……いや、こんなこと大したことじゃないさ」
そう言って枕木は葵から距離を取る。
結局枕木はきちんと藤浦の髪の毛を葵に渡すことにした。そうだ。自分は代理とは言え学校童子。生徒の悩みを解消するのが使命なのだ。たとえ恋愛のことでも、私欲に走ってはいけない。
「じゃあね日向さん。きみの恋を応援してるよ」
そう言ってそそくさと枕木は葵から去っていった。これ以上葵を見ていたら泣いてしまうかもしれない。
「ワンワン(元気出すんだワン)」
中庭の芝生に腰を下ろしながら失恋の悲しみに暮れていると、マユゲが器用にもぽんっと枕木の肩に前足を乗せ、慰めてくれたのだった。
それから翌日のこと。
枕木の耳に教室で生徒同士がしていた妙な噂話が入った。
「なあお前知ってるか。藤浦のやつ日向葵と付き合ってたらしいけど、この間日向のことをフッたらしいぜ」
「まじかよもったいねえ。というかあいつら付き合ってたのかー」
「なんでも藤浦のやつ他にも何人も女子と付き合ってて、それがバレて修羅場になったって話だ。他の女選んで日向を捨てたんだと」
「酷い話だな。あいつ女子たちに刺されても文句言えないぞ」
枕木は耳を疑った。
藤浦と葵が付き合っていた? それでふられた?
それは一体いつの話だ。まさか昨日の今日でそんな昼ドラみたいな展開が起きたわけではないだろう。ということは昨日の段階では既に葵はふられた後だった……?
よりを戻したいがためにあの恋のまじないを試してみようと思ったのだろうか。
枕木が席につきながら考え込んでいると件の藤浦が登校してきた。噂話をしていた生徒もたちもばつが悪そうに解散していく。
枕木は藤浦の顔を見て驚いた。なぜか凄まじくやつれていたのだ。げっそりとしていて顔色も悪い。しかも足を骨折しているのか、ギプスをつけて松葉杖をついている
そんな藤浦は、枕木と目が合うと彼の方へと近づいきた。
「なあ枕木。お前学校童子なんだろ。悩み相談してくれるっていう」
「う、うん」
「助けてくれ! ここのところ俺は毎日怪我してるんだよ。きっと誰かが俺に呪いをかけているんだ!」
泣きながら藤浦は枕木の手を握った。
※ ※ ※
草木も眠る丑三つ時。街にある某神社から釘を打つ音が聞こえてくる。
「あははははは。死ね! 死ね藤浦! 女をなんだと思っているのよ!」
頭に蝋燭を巻き、白装束を身に着けた葵が、半狂乱になりながら藁人形に向けて五寸釘を打ちこんでいた。
「昨日は足を狙ったから、今日は腕を打ってあげるわ! 明後日はとうとう胸に打ち込んであげるのよ!」
そんな葵の様子を鳥居の影から枕木は見つめる。
藁人形の中には、枕木が手に入れた藤浦の髪の毛が入っているのだ。もしあのまま自分の毛を渡していたら……枕木はぞっとして身を震わせる。
「女って……怖いなぁ……」
早く止めなければならないが、できれば近づきたくないなあと、枕木は内心思っているのであった。
おわり
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