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「相談があるんだ枕木《まくらぎ》くん。女性の裸っていったいどうなっているんだろうか」
昼食中に突然そんなことを言われて、枕木|歩《あゆむ》は口に含んでいたコーヒー牛乳を噴き出してしまった。
「ゴホッゴホッ! 何を言い出すんだよ委員長!」
学校童子《がっこうわらし》である枕木に相談しに来たのは、学級委員長である小林《こばやし》だった。中二なのに髪の毛を七三にわけ、銀縁メガネがやけに似合っている。成績も素行もすこぶる優秀な委員長の鏡と言った少年だ。
まさかそんな小林から『女性の裸』なんて言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
「大丈夫か委員長。熱でもあるんじゃないのか?」
「何を言っているんだ。ぼくは至って健康体だ。毎日乾布摩擦をかかさずしているからね。肉体と精神を健やかにしてこそ、勉学の道は開かれるんだよ」
ふふんっと自慢げに小林はメガネをくいっと上げた。
「なんでまた女の裸を見たいなんて言い出すんだよ……」
いやむしろ自分たちの年なら異性に興味を示すことのほうが健全なのだが、どうも真面目一貫の小林が言うと違和感があると枕木は思った。
「ぼくはね、もっともっと知識の見聞を広げたいんだよ。ただ学校の勉強が出来るだけではなんの意味もない。もっとたくさんのことを知る必要があるんだ」
「それと女の裸と何の関係があるんだ?」
「子供の頃から世界旅行をして様々な物を今までに見たけれど、ぼくは生まれてこのかた一度も女性の裸体を見たことが無いんだよ。うちの家は厳しくてね、漫画やその他の雑誌も見せてもらえないし、テレビも禁止だったんだ。だけど親元を離れた今こそがチャンスだとぼくは思う。すべての知識を得るためには、異性への知識も完璧でなければならないんだ。由緒正しき小林家の跡取りとしてね!」
小林は拳を振り上げ力説を始めた。正直その思想にはついていけないが、女の裸が気になると言うのはある意味真っ当な相談だ。
それと言うのも、学園都市だけあってこの双葉区において未成年のエロ規制は結構厳しい。街の書店にあるエッチな雑誌や漫画はまず学生が買えないだろうし、怪しげなDVDショップも利用できない。インターネットも規制されていることが多いのでなかなかそういう機会がないのだ。
「しかし色々な相談を受けてきたけど、ここまでストレートな相談は無かったな」
さてはてどうしたものかと枕木は椅子の背もたれに体重をかけながら腕を組んだ。さすがに中等部の自分がエッチなビデオや本を入手するのは難易度が高い。すぐに風紀委員に捕まってしまうだろう。そんなのはごめんだ。
「うーん……彼女でも作ったら?」
「何を言うんだ。学生が不純異性交遊なんてダメに決まっているだろう!」
「お前なぁ……」
面倒くさいやつだなと枕木は呆れた。
「そうだ。図書室に行けば『中学生の保健体育』って本があるから。それ見れば性知識ぐらい簡単につくさ」
「何を言ってるんだ。図書室の本なんてすべて読んでいる。ぼくは保健体育だって成績五だよ。だがあの本には実際に裸が載っているわけじゃないだろう」
「うーん。じゃあどうするんだ」
「そうだ。枕木くん。確か今日の五時限目、女子は体育だったね」
そう言って小林は名案を思い付いたとばかりに手をポンと打つ。枕木は嫌な予感がした。
「よし、実際に見てこよう!」
「まてまてまてまて! それは犯罪だっての!」
突然教室を出ていこうとした小林の腰に抱きつき、枕木は必死に制止した。
「ええい。離してくれ枕木くん。ぼくにはやらないといけないことがあるんだ!」
「お前さっきまで不純異性交遊はダメとか言ってたじゃないか。覗きはもっとダメだっていうの!」
なんとか小林は落ち着きを取り戻したようで、誤魔化すようにメガネをくいくいくいっと上げていた。そんなにメガネずれるなら買い換えろよ、と枕木は心の中で毒づく。
「……すまない。少しばかり取り乱したようだ」
「別にいいさ。ちゃんと僕が力になるから、一緒に考えよう」
「そういえば枕木くん。きみは確か『|電波使い《テレパス》』だったよね」
「ああ。そうだよ」
小林が言う通り、枕木の異能は精神感応系である。精神波の送受信が可能なのだ。
「だったらこのぼくに夢の中で女性の裸を見せておくれよ。きみならぼくに暗示をかけて特定の夢を見せることぐらい可能だろ?」
「まあそれはできるけど」確かに電波使いの枕木は自身のイメージを対象に流し込むことができ、暗示をかけて幻覚や夢を見せることぐらい朝飯前だ。
「うん。じゃあ物は試しだ。やってみよう。じゃあ僕の目をじっくりと見つめてくれ」
枕木はそう言って小林と数秒ほど見つめ合った。
※ ※ ※
その日の夜、枕木に暗示をかけてもらった小林は、布団の中でわくわくしながら眠りについた。
しばらくして小林は夢を見始める。
夢の中では小林好みの大和撫子が和服姿で現れた。大人っぽい色気を振りまきながら少しずつ着物の帯を解いていく。
(おっ。おおおお!)
夢の中で小林は興奮する。夢の中とは言え。ようやく自分の長年の夢が叶うのだ。
女性は帯を地面に落とし、後ろを向きながらはらりと着物をはだけさせていった。そして艶やかな背中が丸見えになり、小林の興奮は絶頂を迎える。
そうしてすべての着物が地面に落ち、女は小林の方へと振り返った。
憧れの女の裸。女体の神秘をようやく小林は――
※ ※ ※
「枕木くん!」
さらに翌朝、小林は勢いよく教室に飛び込んできた。枕木は小林の怒りの形相に面食らう。
「や、やあ。いい夢見れた?」
「冗談じゃないよ! 肝心な部分全部にモザイクがかかっていたじゃないか!」
「仕方ないだろ。僕だって女の裸なんて見たことないんだから!」
枕木が見せられる幻覚や夢には限界がある。自分がイメージできないものは流し込むことができないのだ。枕木もまた悩み多き童貞《チェリー》の一人であった。
「うう。最後の望みも潰えてしまった。ぼくはもう諦めるしかないのか……」
小林はがっくりと項垂れた。別に十八歳を迎えるまで待てばいいじゃないか、と思ったが、それまで我慢できないのは同じ思春期である枕木もよく理解できた。
しかし実際問題これ以上自分にはどうすることもできないのではないのだろうか。出来る限り生徒の相談を投げ出したくはないのだが、自分の手に余ることを無理にするわけにはいかない。
枕木が頭を抱えていると、ポケットの携帯電話がブルブルと震えた。
「メールだ。誰からだろう」
開いてみると『学校童子通信』からのメールだった。学園に数いる学校童子同志の情報を纏めて“本物《オリジナル》の学校童子”から定期的にメールが届くのだ。
「なになに。『最近夜になると女の露出狂が現れる。生徒のトラウマになりかねないので変態や変質者に注意するべし』か」
その情報を目にし、これだ! と枕木は思った。
「どうしたんだ枕木くん。真剣に考えてくれよ」
メールに夢中になっている枕木に小林は苛立っているようだったが、枕木はニヤリと不敵な笑みを浮かべて彼の肩を掴んだ。
「まかせてくれ委員長。僕が必ずきみの望みを叶えてみせる」
空がすっかり真っ暗になった頃、枕木と小林は人気の無い道を歩いていた。周囲には明かりも少なく、月明かりとわずかな電灯だけが二人を照らす。
「ほんとに僕の願いが叶うんだろうね。怒られるのを覚悟してぼくは寮を抜け出してきたんだよ」
「平気さ。『学校童子通信』の情報によるとこの辺りによく女の露出狂が現れるらしい。女の裸を見ることができないなら、見せてもらえばいいのさ」
心配そうにする小林をよそに、枕木はわくわくしながら露出狂が現れるのを待った。枕木もまた男子中学生らしく、裸が見られるこのチャンスを逃す手は無いと思った。
「うわああああああああ!」
ブラブラと夜の道をしばらく歩いていると、前方から人の叫び声が聞こえ、男が逃げるように走ってくるのが目に入る。
「露出狂だあああああああ!」
と叫びながら男は枕木たちの横を猛スピードで駆けぬけていく。
「ビンゴ。どうやら大当たりらしいぜ委員長」
「あ、ああ」
枕木たちは目の前の闇を注視する。すると全身を隠すようなトレンチコートを着込んでいる美女が姿を現した。厚手のコートの上からでも豊満な肉体を持っていることが分かる。
露出狂がブスだったりしたらどうしようかと思ったが、どうやらその心配はなさそうだ。枕木も小林も手に汗を握る。
「ん?」
でも待てよ。この女が露出狂の痴女だとして、なぜさっきの男は逃げ出したんだろう。美女の裸を見て逃げ出す男がいるのだろうかと枕木は不思議に思った。
「見ろ枕木くん。いよいよだぞ」
小林は興奮したようにメガネを光らせて見入っていた。
「わたし、キレイ?」
美女は二人に近づいて、そう尋ねる。
「は、はい。とってもキレイです!」
小林は即答する。すると、美女はトレンチコートの前をばさりと広げ、その下の素肌を風にさらした。
だがその女の裸を見て枕木は気を失いそうになる。女の身体は化け物そのものだった。無数の触手が生え、巨大な口がぽっかりと開き、鋭い牙が見え、中からは巨大な舌べらが伸びてよだれを垂らしている。
「これでもキレイかしら―――――――!」
ぎゃはははと不気味な笑い声を上げ、女は枕木たちに異形を見せつけるようにして近づいてきた。
「うぎゃあああああああああああああああああ!」
枕木は一目散に逃げ出した。あんなものを見せつけられたらトラウマ必須である。まさか露出狂の正体が化物《ラルヴァ》だったとは予想外だ。
だが横を見ても小林の姿は無い。一緒に逃げ出したと思ったのに、後ろに目を向けるとまだ小林はその場に留まっていた。
恐怖で動けないのだろうか、早く助けに戻らなくてはと枕木は思ったが、
「すごい! なんて美しさだ! これが女性の裸! 女体のすべて! 思っていたよりもずっと綺麗だ! 感動的だ!」
と露出狂の裸を見て大喜びしていた。
「え? 本当? わたし本当にキレイ? こんな体なのに? 嬉しいわ!」
露出狂の化物は小林の言葉に頬を紅潮させ、恥ずかしそうにはにかんでいる。
「……当人同士が満足ならそれでいいか。もう放っておこう」
枕木は呆れかえりながらそのまま家路についた。
「いやあ。枕木くん、きみには感謝してもしきれないよ!」
翌朝になると、小林はテカテカと顔を光らせて枕木に礼を言ってきた。
「あの後あの女性……あっ、さっちゃんって言うんだけどね。さっちゃんといい雰囲気になってね……一気に大人の階段を上ってしまったよ。ほら、見てくれ、プリクラを一緒に撮ったんだ」
小林は嬉しそうに昨日出会った露出狂の化物のことを語る。
枕木は頬杖をつきながらあれでいいのかよとか、不純異性交遊はダメって言ってたじゃないかとか、色々言いたいことがあったが、とりあえずこう言った。
「おめでとう委員長。末永くお幸せに」
なんだかんだで楽しそうな小林のことを、少しだけ羨ましいと枕木は思った。
おわり
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