【出られない部屋】

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   出られない部屋  今日のような涼しい夜に、ビール片手に野球観戦をする。こんなにも幸福を感じる楽しみはない。  俺の部屋はありふれたアパートのありふれたワンルームで、小さなタンスと、テレビが置いてある。だが、一つだけ場違いなものがある。  老朽化したデスクだ。備え付けの家具である。  このアパートは、双葉学園が学生のために用意しているアパートの中では古参のものだ。唯一の備品である机はかなり使い込まれ、年季が入っている。最初の学生から俺に至るまで、何人の人間が使用したことだろう。  このデスクは癖が強く、右の引き出しの鍵が常時かかっていて、開かないことが特筆として挙げられる。鍵を誰かが紛失したらしい。  無理に中を開けようとすると机全体がギシギシ悲鳴を上げ、下手なことはできなかった。何せ備品だ。余計なことをして破壊して、痛い出費に繋がることだけは避けたかった。俺は引き出しの中身には興味が無かった。 『三振! 山本昌、勝ち投手の権利を手にして交代です』  テレビ中継は横浜スタジアムの、対中日戦の試合だった。  五十三歳にして六回を投げきり、ベンチに下がっていく背番号三十四。直球はこの歳にして力があり、よく伸びる。一体いつまで現役生活を続ける気なのか。  冷えた風が吹き込んできて、表の木々がさあっと囁いている。焼き鳥の最後の一本を食べ、ちびちびと苦くなったビールを口にした。  それから中継ぎが打線に捉まり、逆転を許すどころか代わるたびボコボコにされたので見るのを止める。仰向けに寝っころがる。  そのまま目をつむると、すぐにテレビの音声が遠くなっていった。  大きなくしゃみをして目が覚めた。起き上がる。  鼻水まで垂れた。外からは冷たい空気が入り込んでおり、腹が出ていたせいか調子が悪い。テレビもいつの間にか放送が終了している。  とりあえず便所に行きたくて立ち上がった。だが、そのとき強い眩暈がして足がもつれてしまう。  そのまま備品のデスクに突っ込み、膝が引き出しに直撃する。するとふとした拍子で、右の引き出しが開いてしまったのだ。  酔いが一気に吹っ飛ぶ。膝の痛みがどうでもよくなったぐらいだ。鍵が破損してしまったのである。 「やっべぇ」  よその家で、立派な壺でも割ってしまったときのような焦り。何せ自分の物ではないのだ。  壊れてしまったものは仕方ないので、謎に包まれていた中身をのぞいてみることにする。引き出しは想像以上に重たく、手首に筋が浮き上がるぐらい力を入れて引っ張り出すことができた。  すると、茶色く日焼けした紙が出てきたのだ。  それも一枚ではない。五枚ほど重なっていた。  ぼくはAと言います。ふたば学園にかよっていた小学二年生です。  力が入らなくて、字を書くのもむずかしいです。いまにもしんでしまいそうです。けど、書いておこうとおもいます。  へやから出られません。  もう百日ぐらいおなじ日がつづいています。  まい日が五月二十七日の日よう日です  たすけてください。  お父さんはいません。まえのおうちにいます。  お母さんは、あさおきたらいませんでした。  ぼくひとりだけです。  ひとりぼっちです。  まい日ほとんどおなじ天気で、おなじように一日がおわります。  テレビはつきますが、いっつもおなじのしかやってません。  やきゅうを見ても、だいたいドラゴンズがかっておわりです。  ニュースステーションも小いずみそうり大じんのことしかやってません。  なんかいもなんかいもこのへやを出ようとしました。  だけどなぜかできないんです。  げんかんもあかないし、まどもあきません。  おふろばのまどもだめでした。  まどのそとはよその子があそんでて、がんばってこえをかけました。  でも、その子たちはぼくのこえがきこえないようで、きづいてくれません。  フライパンをつかってかべをこわそうともおもいましたが、あまりにもかたすぎて、フライパンがまがってしまいました。でもつぎの日にはもとにもどっています。  こわれたものは必ず元にもどってしまうのです。  いやになって、あばれたときにこわしたテレビとか机とか、みんななおっていました。  火をつけてアパートをもやせばいいと気づいたときはとてもうれしくなりましたが、ざんねんなことにだいどころの火はつきませんでした。  れいぞうこの中はいつも食べものが入ってますが、おなじものしかないのでつらいです。  だからおなかがすくことはないし、ふとんでねられるからずっと生きていけるけど、ぼくの心はもうぼろぼろです。  そんなまい日でも、たまにすごくちがうときがありました。  ドラゴンズが、ベイスターズにまけてしまう日があったのです。  五十回ぐらいおなじやきゅうを見ましたが、こんなことははじめてでした。そのときは、やっと五月二十七日がおわってくれるとすごくよろこんでしまいました。  でも、目がさめたら五月二十七日でした。  1 井ばた  2 せき川  3 立なみ  4 ゴメス  5 山さき  6 井上  7 ティモンズ  8 中村  9 山本昌  ぼくはもうげんかいです。  生きているのがすごくつらいです。  どうしてぼくはここからでられないの?  どうしてぼくはひとりぼっちなの?  どうしてお母さんいないの?  だから、しぬことにきめました。  水どうから水が出るのを見て、ぼくはきめました。  これからおふろに水をためて、わざとしのうと思います。  この手がみはほんとうはお母さんによんでもらいたくて、書きました。  お母さん、ごめんなさい。  その次の日はとても忙しかった。  手紙を拝見して二度びっくりした俺は、すぐに警察や学園といった関係各所に連絡をし、この不気味な事件について調べてもらった。  すると建物を管理している人間から、興味深い話を聞けた。  もともとこのアパートは双葉島の造成直後に建てられた古いもので、昔は移住してきた一般異能者家庭が住んでいた。  俺の部屋で暮らしていた、とある母子家庭があった。母親は子供を捨てて蒸発したそうだが、その後愛人とともに惨殺された状態で発見された。子供のほうは行方不明となっており、現在も発見されないまま今日に至る。  知るんじゃなかったと思えるぐらい、曰くつきの物件だったというわけだ。  あれから数日が経過した。手紙の件はアパートの住人に滅茶苦茶気味悪がられてしまったが、すぐに忘れてしまった様子で特に混乱は見られない。  手紙の内容は、今思い出してみてもぞっと寒気がしてくる。  部屋から出られない。毎日が五月二十七日。  どうしてAという少年はこんな目に遭ってしまったのだろう。ラルヴァもしくは悪意ある異能者の仕業にしか思えないが、自分がそうなってしまったらと考えただけで恐ろしい。たとえ俺がいくら考えても、部屋を出られるとは思えなかったから。  何より怖かったのは、無造作に並べられた人名。  あれは2001年頃の、中日ドラゴンズのスターティングメンバ―だ。  ということは、あの子は2001年の五月二十七日に閉じ込められたということになる。首相が小泉であることも納得がいく。  何はともあれ、行方がつかめないとはいえAは死んだのだ。この手紙がただ一つ残された証明だ。それを俺が発見した。  自分の部屋で起こった出来事なだけに、前とはうってかわって居心地悪いことこの上ない。ユニットバスで子供が自殺したというし、俺もいつこの部屋から出られなくなるか、などと思ってしまうと一日でも早く引き払いたくなる。  ……俺は現実から目を背けている。  Aが自殺によって生き地獄から解放されたのが、日焼けした手紙を見た後での認識である。周囲もそう思っている。  けど手紙を読む限り、そんなことはありえないことがわかるのだ。  何を思ったか俺は、まっさらな紙を取り出し、マジックで大きくこう書いていた。 「A、まだきみはそこにいるのかい?」  その紙を、もう一枚の紙とともに右の引き出しに入れておいたのだ。  俺は一体何をしようとしているのだろう。こんな意味の無い、わけのわからない行為に及んでいることが全く持って不可解だ。想像できるか? 十八年も同じ部屋に閉じ込められ、同じ一日を繰り返させられる苦痛を。  しばらくゼミやサークル活動に追われてすっかりそのことを忘れていたが、今こうやって古い机に座り勉強をしていて、ようやく思い出すことができた。机に紙を入れて三日経っていた。  本当、我ながらばかげている。  震える右手は、魔界に繋がる右の引き出しを開ける。  紙が一枚減っていた。  真っ白だった紙に、何か大きく文字が書かれている。 「たすけて」 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
   出られない部屋  今日のような涼しい夜に、ビール片手に野球観戦をする。こんなにも幸福を感じる楽しみはない。  俺の部屋はありふれたアパートのありふれたワンルームで、小さなタンスと、テレビが置いてある。だが、一つだけ場違いなものがある。  老朽化したデスクだ。備え付けの家具である。  このアパートは、双葉学園が学生のために用意しているアパートの中では古参のものだ。唯一の備品である机はかなり使い込まれ、年季が入っている。最初の学生から俺に至るまで、何人の人間が使用したことだろう。  このデスクは癖が強く、右の引き出しの鍵が常時かかっていて、開かないことが特筆として挙げられる。鍵を誰かが紛失したらしい。  無理に中を開けようとすると机全体がギシギシ悲鳴を上げ、下手なことはできなかった。何せ備品だ。余計なことをして破壊して、痛い出費に繋がることだけは避けたかった。俺は引き出しの中身には興味が無かった。 『三振! 山本昌、勝ち投手の権利を手にして交代です』  テレビ中継は横浜スタジアムの、対中日戦の試合だった。  五十三歳にして六回を投げきり、ベンチに下がっていく背番号三十四。直球はこの歳にして力があり、よく伸びる。一体いつまで現役生活を続ける気なのか。  冷えた風が吹き込んできて、表の木々がさあっと囁いている。焼き鳥の最後の一本を食べ、ちびちびと苦くなったビールを口にした。  それから中継ぎが打線に捉まり、逆転を許すどころか代わるたびボコボコにされたので見るのを止める。仰向けに寝っころがる。  そのまま目をつむると、すぐにテレビの音声が遠くなっていった。  大きなくしゃみをして目が覚めた。起き上がる。  鼻水まで垂れた。外からは冷たい空気が入り込んでおり、腹が出ていたせいか調子が悪い。テレビもいつの間にか放送が終了している。  とりあえず便所に行きたくて立ち上がった。だが、そのとき強い眩暈がして足がもつれてしまう。  そのまま備品のデスクに突っ込み、膝が引き出しに直撃する。するとふとした拍子で、右の引き出しが開いてしまったのだ。  酔いが一気に吹っ飛ぶ。膝の痛みがどうでもよくなったぐらいだ。鍵が破損してしまったのである。 「やっべぇ」  よその家で、立派な壺でも割ってしまったときのような焦り。何せ自分の物ではないのだ。  壊れてしまったものは仕方ないので、謎に包まれていた中身をのぞいてみることにする。引き出しは想像以上に重たく、手首に筋が浮き上がるぐらい力を入れて引っ張り出すことができた。  すると、茶色く日焼けした紙が出てきたのだ。  それも一枚ではない。五枚ほど重なっていた。  ぼくはAと言います。ふたば学園にかよっていた小学二年生です。  力が入らなくて、字を書くのもむずかしいです。いまにもしんでしまいそうです。けど、書いておこうとおもいます。  へやから出られません。  もう百日ぐらいおなじ日がつづいています。  まい日が五月二十七日の日よう日です  たすけてください。  お父さんはいません。まえのおうちにいます。  お母さんは、あさおきたらいませんでした。  ぼくひとりだけです。  ひとりぼっちです。  まい日ほとんどおなじ天気で、おなじように一日がおわります。  テレビはつきますが、いっつもおなじのしかやってません。  やきゅうを見ても、だいたいドラゴンズがかっておわりです。  ニュースステーションも小いずみそうり大じんのことしかやってません。  なんかいもなんかいもこのへやを出ようとしました。  だけどなぜかできないんです。  げんかんもあかないし、まどもあきません。  おふろばのまどもだめでした。  まどのそとはよその子があそんでて、がんばってこえをかけました。  でも、その子たちはぼくのこえがきこえないようで、きづいてくれません。  フライパンをつかってかべをこわそうともおもいましたが、あまりにもかたすぎて、フライパンがまがってしまいました。でもつぎの日にはもとにもどっています。  こわれたものは必ず元にもどってしまうのです。  いやになって、あばれたときにこわしたテレビとか机とか、みんななおっていました。  火をつけてアパートをもやせばいいと気づいたときはとてもうれしくなりましたが、ざんねんなことにだいどころの火はつきませんでした。  れいぞうこの中はいつも食べものが入ってますが、おなじものしかないのでつらいです。  だからおなかがすくことはないし、ふとんでねられるからずっと生きていけるけど、ぼくの心はもうぼろぼろです。  そんなまい日でも、たまにすごくちがうときがありました。  たとえばドラゴンズが、ベイスターズにまけてしまう日がありました。  それをはじめて見たときは、やっと五月二十七日がおわってくれるとすごくよろこんでしまいました。  でも、目がさめたら五月二十七日でした。  1 井ばた  2 せき川  3 立なみ  4 ゴメス  5 山さき  6 井上  7 ティモンズ  8 中村  9 山本昌  ぼくはもうげんかいです。  生きているのがすごくつらいです。  どうしてぼくはここからでられないの?  どうしてぼくはひとりぼっちなの?  どうしてお母さんいないの?  だから、しぬことにきめました。  水どうから水が出るのを見て、ぼくはきめました。  これからおふろに水をためて、わざとしのうと思います。  この手がみはほんとうはお母さんによんでもらいたくて、書きました。  お母さん、ごめんなさい。  その次の日はとても忙しかった。  手紙を拝見して二度びっくりした俺は、すぐに警察や学園といった関係各所に連絡をし、この不気味な事件について調べてもらった。  すると建物を管理している人間から、興味深い話を聞けた。  もともとこのアパートは双葉島の造成直後に建てられた古いもので、昔は移住してきた一般異能者家庭が住んでいた。  俺の部屋で暮らしていた、とある母子家庭があった。母親は子供を捨てて蒸発したそうだが、その後愛人とともに惨殺された状態で発見された。子供のほうは行方不明となっており、現在も発見されないまま今日に至る。  知るんじゃなかったと思えるぐらい、曰くつきの物件だったというわけだ。  あれから数日が経過した。手紙の件はアパートの住人に滅茶苦茶気味悪がられてしまったが、すぐに忘れてしまった様子で特に混乱は見られない。  手紙の内容は、今思い出してみてもぞっと寒気がしてくる。  部屋から出られない。毎日が五月二十七日。  どうしてAという少年はこんな目に遭ってしまったのだろう。ラルヴァもしくは悪意ある異能者の仕業にしか思えないが、自分がそうなってしまったらと考えただけで恐ろしい。たとえ俺がいくら考えても、部屋を出られるとは思えなかったから。  何より怖かったのは、無造作に並べられた人名。  あれは2001年頃の、中日ドラゴンズのスターティングメンバ―だ。  ということは、あの子は2001年の五月二十七日に閉じ込められたということになる。首相が小泉であることも納得がいく。  何はともあれ、行方がつかめないとはいえAは死んだのだ。この手紙がただ一つ残された証明だ。それを俺が発見した。  自分の部屋で起こった出来事なだけに、前とはうってかわって居心地悪いことこの上ない。ユニットバスで子供が自殺したというし、俺もいつこの部屋から出られなくなるか、などと思ってしまうと一日でも早く引き払いたくなる。  ……俺は現実から目を背けている。  Aが自殺によって生き地獄から解放されたのが、日焼けした手紙を見た後での認識である。周囲もそう思っている。  けど手紙を読む限り、そんなことはありえないことがわかるのだ。  何を思ったか俺は、まっさらな紙を取り出し、マジックで大きくこう書いていた。 「A、まだきみはそこにいるのかい?」  その紙を、もう一枚の紙とともに右の引き出しに入れておいたのだ。  俺は一体何をしようとしているのだろう。こんな意味の無い、わけのわからない行為に及んでいることが全く持って不可解だ。想像できるか? 十八年も同じ部屋に閉じ込められ、同じ一日を繰り返させられる苦痛を。  しばらくゼミやサークル活動に追われてすっかりそのことを忘れていたが、今こうやって古い机に座り勉強をしていて、ようやく思い出すことができた。机に紙を入れて三日経っていた。  本当、我ながらばかげている。  震える右手は、魔界に繋がる右の引き出しを開ける。  紙が一枚減っていた。  真っ白だった紙に、何か大きく文字が書かれている。 「たすけて」 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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