【僕の魔女マリ】

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 自転車で夜の町を駆けると、耳がしびれたように痛くなった。  交差点のコンビニエンスストアでは、アルバイトの男が二人、店の前で簡素なカウンターを設置しケーキを売っている。一人がサンタクロース、もう一人がトナカイの、工夫の無いありふれた衣装だ。 「よくやるなぁ」  彼らの根性に感心し、僕は青信号を見て自転車のペダルを踏み込んだ。  せめてケーキでも買っていってあげようかと思ったが、やめる。先ほど進学塾の緊迫した授業を終えたばかりで、残念ながらそんな浮かれた気分にはなれない。  高校受験まで三ヶ月を切っている。日常的な自学自習のかいあり、僕は偏差値七十程度をキープできている。この調子で行けば僕は県内の有名私立高校に進学し、そこからさらに東大もしくは京大を目指していくことになるだろう。もちろん就職先も、それ相応のものに迎え入れてもらえるに違いない。  僕がそうなることで大喜びをするのは、両親と親戚ぐらいである。  だけど僕はというと、そうでもないのであった。  僕は屋根に上って星空を眺めていた。勉強していて、気が散ってきたからである。  残念ながら今晩は雲に覆われていた。かなり表は冷えている。耳を澄ますと静けさそのものが鈍重な低音の塊となり、町中に圧し掛かっているのがわかった。  進路のことを考えると、勉強に集中できなくなる。このまま流されるままに進んでいいのかと。この自動的に進行していく人生が、本当に正しいとは信じられなかった。自分の生き方はもっと別のものであるはずだと、心のどこかで思っているのだろう。  遠くで点滅する青信号を見つめていたときだ。下のほうから飼い猫の鳴き声がしてきた。 「シロ」  屋根に上ってきた黒猫を脇に寄せる。小学生のときに拾ってきた仔猫も、今では立派な体格をしたいい歳の雄猫だ。 「雪、降りそうだね」  僕は語りかける。外はさらに冷え込み、風も出てきた。雪が降ろうとするときの、これから何かが始まりそうな緊張感に町は包まれる。  そしてそのとき、右手の方向にぱっと淡い光が発生した。  振り向くと、白いマントに身を包んだ女の子が、白い星屑とともに天から降りてきたところであった。 「あ……」  僕はあまりにも疲れていて、夢を見ているのかとさえ思う。  彼女は両手で箒にぶら下がり、ふわふわ綿雪のように下降して僕の家の屋根に片足を付ける。とん、ともう一方の足も落ち着けた。そして箒を手元で回し、縦に向ける。 「君は」  その後が言葉にならない。箒を持ち、三角帽子とマントを身につけた「魔女」。そんな摩訶不思議な人物が僕の前に姿を現したのだ。  だが、いち早く彼女に飛びついた奴がいる。僕の猫だ。 「シロ」  驚いたことに、彼女は飼い猫の名前を知っていた。 「そうね、あなたは忘れてるはずないからね」  魔女は駆け寄ってきたシロを持ち上げ、いとおしげに抱きしめる。白き魔女が黒猫を抱き、舌で舐められ、涙を浮かべている様子。それはとても幻想的な光景だった。  そして彼女は僕のほうを向く。ウサギを思わせる赤い色素の瞳。すると僕の心臓は狂気に魅入り、高鳴り始める。でも、彼女に見つめられるとなぜか切ない気持ちになった。 「おめでとう」  そんな意外な言葉を耳にした。それはどういう意味なのだろう。 「あなたは『双葉学園』に入学する資格を得た。今日はそれを伝えに来た」  アスファルトにかかって溶けゆく雪のように、彼女は淡々と話し続ける。 「日本に存在する唯一の異能者・ラルヴァ専門教育機関。あなたは異能者であることが後の調査で判明した。我が校の高等部に入学してほしいとのこと」 「僕が異能者……?」 「だから、私はあなたを迎えに来た。あなたもずっと、私を待ち続けていたはず」  魔女はあくまでも事務的に、そのような非常識な用件を伝えてきた。  だけど、その突拍子の無い話に僕の頭は怖いぐらいに冷静でいる。彼女との遭遇に、自然と宿命めいたものを感じていたのだ。 「君の言ってること、何となくわかる」  僕は立ち上がる。魔女は思っていた以上に背が低かった。彼女は赤い目を上に向けると、無機質な表情を崩し、少し笑って感慨深そうに「背、伸びたね」と言ってくれた。 「君は誰?」 「それをこれから、私と探しに行こ」  魔女は箒を横に向け、そっと手を離す。箒は落下せずその場で浮遊していた。「異能」を直接目の当たりにすると、やはりまだ夢を見せられているような気にさせられてしまう。  箒は彼女が腰掛けても落ちることはなく、しっかり支えて浮いている。 「さ、乗って」  魔女が手を差し出した。彼女の言われるままに、僕はゆっくり右手を伸ばす。  手と手がつながったとき、彼女の「あったかい」というしっとりした声が漏れた。  そうして魔女にさらわれてしまった僕は、今日まで暮らしてきた町の上空を飛んでいた。  飛行機を操縦しているわけでもなく、グライダーで風に乗って泳いでいるわけでもない。紛れもなく彼女の力で僕らは空中を飛んでいる。心地よい冷気が僕の額と目玉を乾かした。  彼女は横向きになって座り、可愛く両足を揃えている。僕はというと箒にまたがって、彼女の左肩にしっかり両手を添えていた。  箒の穂の先から、ピュアホワイトの尾が引いている。僕らは二人で一つの彗星になり、十二月二十四日の夜空を旅している。  地上の人間に発見されたらどうなるんだろうと心配したが、学園から持ち込んできたステルスアイテムを使用しているという返事が帰ってきた。要するに、こうして飛行していても見つかることはないらしい。  やがて眼下に、どこも明かりのついていないコンクリートの建物が見えてきた。 「あれが私たちの通っていた小学校」 「やっぱ一緒の学校だったんだ。そんな気がしたんだ」 「それだけ?」 「ごめん、それ以上思い出せない」  町を横断する国道は二車線に拡張され、昔からあったスーパーは別のスーパーに名前を変えている。大掛かりな製鉄所はとっくに解体されて駅前再開発の更地となり、鉄道の踏み切りもいつのまにかアンダーパスにとって変えられていた。 「あそこで私は力に目覚めた」  魔女がそう語りながら指を差すのは、国道沿いにある小さな林である。かつては道路を包み込むよう広く存在していたが、周辺はとっくに伐採され整理され、今では鉄筋コンクリートのマンションの密林が席巻してきている。  その林の中に、昔からよく小学生が寄り道をする小さな祠がある。 「そこで拾った仔猫がシロ」 「君の言うとおりだよ。シロはここで拾った」 「じゃあ、何で『シロ』って付けたのか、覚えてる?」 「……よく覚えてないんだ」 「私が付けたからだよ」  ぷいっと、魔女は拗ねたような感じで進行方向を向いてしまう。  きっと僕が昔のことを思い出せないからなのだろう。ここで記憶を取り戻さなければ、魔女は今日を最後に、永遠に僕の前に姿を現さなくなるような気がした。  そのとき、もう二度と彼女にどこにも行って欲しくないような、一人にしてほしくないような、胸が張り裂けそうな切ない気持ちになる。  僕らはあたり一面が真っ黒な、開けた空間に降り立った。  波の音が聞える。僕らが眠りにつく間も、波は永遠に砂浜を洗い続ける。海沿いの県道は車の量もまばらで、僕らの周りは水の音と潮の匂いしかしない。 「この辺りで、私たちは別れた」  白い魔女は静かに言う。この海岸が僕らにとって大切な、神聖な場所であることは僕もおぼろげながらもわかっていた。 『ずっとここで待ってるからね』  ふと脳裏によぎる、自分が言ったらしい真っ直ぐで一途な言葉。それはあまりにも遠すぎて、前世のことのようにさえ感じられる。  この砂埃だらけの町で繰り広げられた、甘酸っぱい香りのする思い出。あと少しで僕は全てを取り戻そうとしている。それなのに、あと一歩及ばない。 「ねえヒロくん、まだ思い出せないの?」  魔女は白い帽子を脱ぎ捨て、泣き出しそうな表情で僕の顔を見た。摩訶不思議な存在から何の変哲のない女の子の姿へと戻った、そんな彼女に僕の心はときめく。 「ヒロくん、か。何か懐かしい」 「じゃあ、私のことも思い出して!」  と、そのとき僕の体は真綿のようなマントに包まれた。自分の唇が、熱くて柔らかいものに覆われる。僕は魔女に口付けをされたのだ。  そしてその瞬間、口いっぱいに「イチゴ」の甘い香りが広がったのである。波の大きなざわめきしか耳に入らなくなったとき、今まで封印されていた想い出が鮮やかに蘇る。  いつも教室の片隅で座っていた、ぶっきらぼうな女の子。 「白」の絵の具を使わない、「白」が嫌いな女の子。  木登りが得意で、仔猫を助けに行った女の子。  僕が一生、この町で待ち続けると決心した大切な女の子。  そうだ、どうして思い出せなかったのだろう。その子は僕のファーストキスを奪い、「好きだよ」と言ってくれた、紛れもない僕が世界で一番大好きな女の子じゃないか。 「マリちゃん」  ようやく僕は、彼女の本当の名前を口にする。 「待ってた。僕、ずっと待ってた……」 「迎えに来たよ、ヒロくん」  その言葉を聞いたとき、僕は感激のあまり声を上げて泣いてしまった。何も出来ないそんな僕を、マリちゃんは優しく抱きしめてくれる。  僕らの長い旅は終わった。マリちゃんは魔女になってこの町に帰ってきたのだ。  空飛ぶ不思議な箒にまたがって、浜辺から僕の部屋に戻ってきた。 「ところでマリちゃん、これからどうするの?」  時計を見ると二十三時を過ぎており、とても遅い時間になっていた。まさかこれから自力で飛行し、双葉島に帰還するのだろうか。  するとマリちゃんは僕の部屋のカーテンを完全に締め切り、少し震えた声でこう言う。 「ヒロくん、私のこと、好き?」  いきなりの質問に驚き、僕はついどぎまぎしてしまう。 「ヒロくんの気持ち、まだ聞いてない。お願い、教えて」 「好きだよ」  我ながら情けない、相手に届きそうもない直球だ。彼女は不満そうに小首を傾げる。それに僕はどうにもならなくなり、もどかしくてむしゃくしゃした気分になった。 「好きだよ!」  ほとんどやけっぱちな声の大きさで、僕はマリちゃんに自分の気持ちを打ち明けた。  それから僕は彼女の顔を直視できず、目線を落としてしまう。そんななか、手をマリちゃんに取られて引っ張られた。  え? と思って前を向いたときには、僕の左手は彼女の乳房に触れていた。 「んっ」  マリちゃんが僕の手をとり、自分の胸に導いたのである。彼女の顔も、僕に負けないぐらい真っ赤だ。  瞬間的に僕の脳みそはゆだってしまい、ずんずんと体内から巨大な音が響いて聞えてくる。よくわからないうちに指は勝手に動き出してしまい、深い弾力のあるそれをぐにぐに楽しんでしまった。触れて見て初めてわかる、かなりの大きさ。柔らかさ。  そしてマリちゃんが立っていられなくなり、ぐらっと僕の体に身を預けてきたとき、やっとのことで人間的な理性が追いついてくる。全てを理解した僕は、彼女にこうきいた。 「いいの?」  それに、マリちゃんはこく、こく、と涙ぐみながら了承する。  その顔を見てしまったとき、僕は僕の何もかもを解き放つことに至った。今にも溶け出してしまいそうな濡れた雪うさぎと、奥深くまで混ざり合う。  双葉区東双葉二丁目、あおば荘二〇二号室。  僕の新しい住所だ。手荷物を片手に建物の前でたたずんでいると、たまたま下の階の住人が玄関から顔を出してきた。郵便物を見に来たようである。僕は自分から挨拶をした。 「こんにちは。今度越してきた平田広海です」 「どうも、遠藤です」  普通そうな人だった。  なにせ珍獣怪獣など日常茶飯事だとか言われる双葉島、どんな住人がいるものかとやきもきさせられたが、幸い下の人は人畜無害そうな人だったのでほっとする。  手荷物といっても、飼い猫の入っているケースだけだった。大掛かりな荷物はとっくに運び込まれていることだろうから、足りない分は現地で調達するつもりである。 「あれ」  二〇二号室の鍵が開いている。開けっ放しにされたのだろうかと、僕は中を覗いた。 「にゃー」  学校の制服を着たマリちゃんが、大きな段ボール箱に入って座っていた。 「何してるの?」 「……何となく」  彼女は顔を赤らめる。箱には「拾ってください」と油性マジックで書かれていた。引越しの際に発生したダンボールで遊んでいたようである。  と、僕はここで気づく。 「って、何この荷物?」  すでに一人暮らしの準備を終えているはずの僕の部屋に、またいくつも引越しの段ボール箱が運び込まれていたのだ。 「私の」 「どういうこと? 寮暮らしはどうしたの?」 「もう独りは嫌だ」  この歳で同棲生活を経験するとは夢にも思わない。でも、これぐらい刺激的でないと新生活は楽しくないと思った。  マリちゃんに連れられ、僕は今年から通うことになる「双葉学園」に案内された。  彼女は魔女式航空研究部、通称「魔女研」の、春休み中の活動中だとか。よりどりみどりの魔女が集結する様子はぜひとも見てみたいと思った。 「変なこと言わないでね」 「言わないよ」 「ヒロくんえっちだから」  ただ単に僕をみんなに紹介したいだけのようである。  外を歩いているだけでうっすらと眠気が押し寄せる。「春が来たんだな」と実感していたとき、隣のマリちゃんが僕にこうきいた。 「良かったの? 進学校じゃなくても」 「うん」  本当は、家では相当揉めた。僕の決意を明るみにしたとたん母さんは放心状態になり、父さんも感情的になってしまったけど、僕は僕の進みたい方向を貫き通した。まあ、こうしてお互い距離を置いて時間も経過したとき、いつしか彼らも理解してくれることだろう。 「こうして一緒にいるのが、僕の望んだ道だから」 「え? 今なんて言ったの?」 「なんでもない」 「教えてよ!」  桜の花のように笑顔を咲かせるマリちゃんを見て、僕は思う。  あのときの物憂げな少女がこんなにもきれいになるなんて、誰が想像しただろう? 異能に目覚め、双葉学園に通い、魔女として空を飛ぶことが、彼女の本来あるべき姿だったのだ。誰にも可愛がられないアヒルの子は、白鳥を思わせる美しい魔女だった。 「そういえば、何でマリちゃんだけ白いの?」  話を逸らす意味でも、僕は素朴な疑問を彼女にきいてみる。というのも、魔女研の魔女たちは黒い帽子に黒いマントを着用するのが標準らしいからだ。 「ヒロくんがそんなこときいて、どうするの?」 「いや、すごく似合ってて、可愛いから」 「あなたが好きって言ってくれたからだよ」  また一つ、僕の青いハートは打ち砕かれる。  彼女の眩しい微笑みをみたとき、僕はそのさらに先にある幸せな未来を展望することができた。マリちゃんのためにも、新しい人生をしっかり歩んでいこうとあの空に誓う。  この子は一生大事にする。絶対に僕が幸せにする。  2019年、春。新たな決意とともに、僕たちの新たな旅路は始まった。      &bold(){マリ三部作はこれで完結です。ありがとうございました。} ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
 自転車で夜の町を駆けると、耳がしびれたように痛くなった。  交差点のコンビニエンスストアでは、アルバイトの男が二人、店の前で簡素なカウンターを設置しケーキを売っている。一人がサンタクロース、もう一人がトナカイの、工夫の無いありふれた衣装だ。 「よくやるなぁ」  彼らの根性に感心し、僕は青信号を見て自転車のペダルを踏み込んだ。  せめてケーキでも買っていってあげようかと思ったが、やめる。先ほど進学塾の緊迫した授業を終えたばかりで、残念ながらそんな浮かれた気分にはなれない。  高校受験まで三ヶ月を切っている。日常的な自学自習のかいあり、僕は偏差値七十程度をキープできている。この調子で行けば僕は県内の有名私立高校に進学し、そこからさらに東大もしくは京大を目指していくことになるだろう。もちろん就職先も、それ相応のものに迎え入れてもらえるに違いない。  僕がそうなることで大喜びをするのは、両親と親戚ぐらいである。  だけど僕はというと、そうでもないのであった。  僕は屋根に上って星空を眺めていた。勉強していて、気が散ってきたからである。  残念ながら今晩は雲に覆われていた。かなり表は冷えている。耳を澄ますと静けさそのものが鈍重な低音の塊となり、町中に圧し掛かっているのがわかった。  進路のことを考えると、勉強に集中できなくなる。このまま流されるままに進んでいいのかと。この自動的に進行していく人生が、本当に正しいとは信じられなかった。自分の生き方はもっと別のものであるはずだと、心のどこかで思っているのだろう。  遠くで点滅する青信号を見つめていたときだ。下のほうから飼い猫の鳴き声がしてきた。 「シロ」  屋根に上ってきた黒猫を脇に寄せる。小学生のときに拾ってきた仔猫も、今では立派な体格をしたいい歳の雄猫だ。 「雪、降りそうだね」  僕は語りかける。外はさらに冷え込み、風も出てきた。雪が降ろうとするときの、これから何かが始まりそうな緊張感に町は包まれる。  そしてそのとき、右手の方向にぱっと淡い光が発生した。  振り向くと、白いマントに身を包んだ女の子が、白い星屑とともに天から降りてきたところであった。 「あ……」  僕はあまりにも疲れていて、夢を見ているのかとさえ思う。  彼女は両手で箒にぶら下がり、ふわふわ綿雪のように下降して僕の家の屋根に片足を付ける。とん、ともう一方の足も落ち着けた。そして箒を手元で回し、縦に向ける。 「君は」  その後が言葉にならない。箒を持ち、三角帽子とマントを身につけた「魔女」。そんな摩訶不思議な人物が僕の前に姿を現したのだ。  だが、いち早く彼女に飛びついた奴がいる。僕の猫だ。 「シロ」  驚いたことに、彼女は飼い猫の名前を知っていた。 「そうね、あなたは忘れてるはずないからね」  魔女は駆け寄ってきたシロを持ち上げ、いとおしげに抱きしめる。白き魔女が黒猫を抱き、舌で舐められ、涙を浮かべている様子。それはとても幻想的な光景だった。  そして彼女は僕のほうを向く。ウサギを思わせる赤い色素の瞳。すると僕の心臓は狂気に魅入り、高鳴り始める。でも、彼女に見つめられるとなぜか切ない気持ちになった。 「おめでとう」  そんな意外な言葉を耳にした。それはどういう意味なのだろう。 「あなたは『双葉学園』に入学する資格を得た。今日はそれを伝えに来た」  アスファルトにかかって溶けゆく雪のように、彼女は淡々と話し続ける。 「日本に存在する唯一の異能者・ラルヴァ専門教育機関。あなたは異能者であることが後の調査で判明した。我が校の高等部に入学してほしいとのこと」 「僕が異能者……?」 「だから、私はあなたを迎えに来た。あなたもずっと、私を待ち続けていたはず」  魔女はあくまでも事務的に、そのような非常識な用件を伝えてきた。  だけど、その突拍子の無い話に僕の頭は怖いぐらいに冷静でいる。彼女との遭遇に、自然と宿命めいたものを感じていたのだ。 「君の言ってること、何となくわかる」  僕は立ち上がる。魔女は思っていた以上に背が低かった。彼女は赤い目を上に向けると、無機質な表情を崩し、少し笑って感慨深そうに「背、伸びたね」と言ってくれた。 「君は誰?」 「それをこれから、私と探しに行こ」  魔女は箒を横に向け、そっと手を離す。箒は落下せずその場で浮遊していた。「異能」を直接目の当たりにすると、やはりまだ夢を見せられているような気にさせられてしまう。  箒は彼女が腰掛けても落ちることはなく、しっかり支えて浮いている。 「さ、乗って」  魔女が手を差し出した。彼女の言われるままに、僕はゆっくり右手を伸ばす。  手と手がつながったとき、彼女の「あったかい」というしっとりした声が漏れた。  そうして魔女にさらわれてしまった僕は、今日まで暮らしてきた町の上空を飛んでいた。  飛行機を操縦しているわけでもなく、グライダーで風に乗って泳いでいるわけでもない。紛れもなく彼女の力で僕らは空中を飛んでいる。心地よい冷気が僕の額と目玉を乾かした。  彼女は横向きになって座り、可愛く両足を揃えている。僕はというと箒にまたがって、彼女の左肩にしっかり両手を添えていた。  箒の穂の先から、ピュアホワイトの尾が引いている。僕らは二人で一つの彗星になり、十二月二十四日の夜空を旅している。  地上の人間に発見されたらどうなるんだろうと心配したが、学園から持ち込んできたステルスアイテムを使用しているという返事が帰ってきた。要するに、こうして飛行していても見つかることはないらしい。  やがて眼下に、どこも明かりのついていないコンクリートの建物が見えてきた。 「あれが私たちの通っていた小学校」 「やっぱ一緒の学校だったんだ。そんな気がしたんだ」 「それだけ?」 「ごめん、それ以上思い出せない」  町を横断する国道は二車線に拡張され、昔からあったスーパーは別のスーパーに名前を変えている。大掛かりな製鉄所はとっくに解体されて駅前再開発の更地となり、鉄道の踏み切りもいつのまにかアンダーパスにとって変えられていた。 「あそこで私は力に目覚めた」  魔女がそう語りながら指を差すのは、国道沿いにある小さな林である。かつては道路を包み込むよう広く存在していたが、周辺はとっくに伐採され整理され、今では鉄筋コンクリートのマンションの密林が席巻してきている。  その林の中に、昔からよく小学生が寄り道をする小さな祠がある。 「そこで拾った仔猫がシロ」 「君の言うとおりだよ。シロはここで拾った」 「じゃあ、何で『シロ』って付けたのか、覚えてる?」 「……よく覚えてないんだ」 「私が付けたからだよ」  ぷいっと、魔女は拗ねたような感じで進行方向を向いてしまう。  きっと僕が昔のことを思い出せないからなのだろう。ここで記憶を取り戻さなければ、魔女は今日を最後に、永遠に僕の前に姿を現さなくなるような気がした。  そのとき、もう二度と彼女にどこにも行って欲しくないような、一人にしてほしくないような、胸が張り裂けそうな切ない気持ちになる。  僕らはあたり一面が真っ黒な、開けた空間に降り立った。  波の音が聞える。僕らが眠りにつく間も、波は永遠に砂浜を洗い続ける。海沿いの県道は車の量もまばらで、僕らの周りは水の音と潮の匂いしかしない。 「この辺りで、私たちは別れた」  白い魔女は静かに言う。この海岸が僕らにとって大切な、神聖な場所であることは僕もおぼろげながらもわかっていた。 『ずっとここで待ってるからね』  ふと脳裏によぎる、自分が言ったらしい真っ直ぐで一途な言葉。それはあまりにも遠すぎて、前世のことのようにさえ感じられる。  この砂埃だらけの町で繰り広げられた、甘酸っぱい香りのする思い出。あと少しで僕は全てを取り戻そうとしている。それなのに、あと一歩及ばない。 「ねえヒロくん、まだ思い出せないの?」  魔女は白い帽子を脱ぎ捨て、泣き出しそうな表情で僕の顔を見た。摩訶不思議な存在から何の変哲のない女の子の姿へと戻った、そんな彼女に僕の心はときめく。 「ヒロくん、か。何か懐かしい」 「じゃあ、私のことも思い出して!」  と、そのとき僕の体は真綿のようなマントに包まれた。自分の唇が、熱くて柔らかいものに覆われる。僕は魔女に口付けをされたのだ。  そしてその瞬間、口いっぱいに「イチゴ」の甘い香りが広がったのである。波の大きなざわめきしか耳に入らなくなったとき、今まで封印されていた想い出が鮮やかに蘇る。  いつも教室の片隅で座っていた、ぶっきらぼうな女の子。 「白」の絵の具を使わない、「白」が嫌いな女の子。  木登りが得意で、仔猫を助けに行った女の子。  僕が一生、この町で待ち続けると決心した大切な女の子。  そうだ、どうして思い出せなかったのだろう。その子は僕のファーストキスを奪い、「好きだよ」と言ってくれた、紛れもない僕が世界で一番大好きな女の子じゃないか。 「マリちゃん」  ようやく僕は、彼女の本当の名前を口にする。 「待ってた。僕、ずっと待ってた……」 「迎えに来たよ、ヒロくん」  その言葉を聞いたとき、僕は感激のあまり声を上げて泣いてしまった。何も出来ないそんな僕を、マリちゃんは優しく抱きしめてくれる。  僕らの長い旅は終わった。マリちゃんは魔女になってこの町に帰ってきたのだ。  空飛ぶ不思議な箒にまたがって、浜辺から僕の部屋に戻ってきた。 「ところでマリちゃん、これからどうするの?」  時計を見ると二十三時を過ぎており、とても遅い時間になっていた。まさかこれから自力で飛行し、双葉島に帰還するのだろうか。  するとマリちゃんは僕の部屋のカーテンを完全に締め切り、少し震えた声でこう言う。 「ヒロくん、私のこと、好き?」  いきなりの質問に驚き、僕はついどぎまぎしてしまう。 「ヒロくんの気持ち、まだ聞いてない。お願い、教えて」 「好きだよ」  我ながら情けない、相手に届きそうもない直球だ。彼女は不満そうに小首を傾げる。それに僕はどうにもならなくなり、もどかしくてむしゃくしゃした気分になった。 「好きだよ!」  ほとんどやけっぱちな声の大きさで、僕はマリちゃんに自分の気持ちを打ち明けた。  それから僕は彼女の顔を直視できず、目線を落としてしまう。そんななか、手をマリちゃんに取られて引っ張られた。  え? と思って前を向いたときには、僕の左手は彼女の乳房に触れていた。 「んっ」  マリちゃんが僕の手をとり、自分の胸に導いたのである。彼女の顔も、僕に負けないぐらい真っ赤だ。  瞬間的に僕の脳みそはゆだってしまい、ずんずんと体内から巨大な音が響いて聞えてくる。よくわからないうちに指は勝手に動き出してしまい、深い弾力のあるそれをぐにぐに楽しんでしまった。触れて見て初めてわかる、かなりの大きさ。柔らかさ。  そしてマリちゃんが立っていられなくなり、ぐらっと僕の体に身を預けてきたとき、やっとのことで人間的な理性が追いついてくる。全てを理解した僕は、彼女にこうきいた。 「いいの?」  それに、マリちゃんはこく、こく、と涙ぐみながら了承する。  その顔を見てしまったとき、僕は僕の何もかもを解き放つことに至った。今にも溶け出してしまいそうな濡れた雪うさぎと、奥深くまで混ざり合う。  双葉区東双葉二丁目、あおば荘二〇二号室。  僕の新しい住所だ。手荷物を片手に建物の前でたたずんでいると、たまたま下の階の住人が玄関から顔を出してきた。郵便物を見に来たようである。僕は自分から挨拶をした。 「こんにちは。今度越してきた平田広海です」 「どうも、遠藤です」  普通そうな人だった。  なにせ珍獣怪獣など日常茶飯事だとか言われる双葉島、どんな住人がいるものかとやきもきさせられたが、幸い下の人は人畜無害そうな人だったのでほっとする。  手荷物といっても、飼い猫の入っているケースだけだった。大掛かりな荷物はとっくに運び込まれていることだろうから、足りない分は現地で調達するつもりである。 「あれ」  二〇二号室の鍵が開いている。開けっ放しにされたのだろうかと、僕は中を覗いた。 「にゃー」  学校の制服を着たマリちゃんが、大きな段ボール箱に入って座っていた。 「何してるの?」 「……何となく」  彼女は顔を赤らめる。箱には「拾ってください」と油性マジックで書かれていた。引越しの際に発生したダンボールで遊んでいたようである。  と、僕はここで気づく。 「って、何この荷物?」  すでに一人暮らしの準備を終えているはずの僕の部屋に、またいくつも引越しの段ボール箱が運び込まれていたのだ。 「私の」 「どういうこと? 寮暮らしはどうしたの?」 「もう独りは嫌だ」  この歳で同棲生活を経験するとは夢にも思わない。でも、これぐらい刺激的でないと新生活は楽しくないと思った。  マリちゃんに連れられ、僕は今年から通うことになる「双葉学園」に案内された。  彼女は魔女式航空研究部、通称「魔女研」の、春休み中の活動中だとか。よりどりみどりの魔女が集結する様子はぜひとも見てみたいと思った。 「変なこと言わないでね」 「言わないよ」 「ヒロくんえっちだから」  ただ単に僕をみんなに紹介したいだけのようである。  外を歩いているだけでうっすらと眠気が押し寄せる。「春が来たんだな」と実感していたとき、隣のマリちゃんが僕にこうきいた。 「良かったの? 進学校じゃなくても」 「うん」  本当は、家では相当揉めた。僕の決意を明るみにしたとたん母さんは放心状態になり、父さんも感情的になってしまったけど、僕は僕の進みたい方向を貫き通した。まあ、こうしてお互い距離を置いて時間も経過したとき、いつしか彼らも理解してくれることだろう。 「こうして一緒にいるのが、僕の望んだ道だから」 「え? 今なんて言ったの?」 「なんでもない」 「教えてよ!」  桜の花のように笑顔を咲かせるマリちゃんを見て、僕は思う。  あのときの物憂げな少女がこんなにもきれいになるなんて、誰が想像しただろう? 異能に目覚め、双葉学園に通い、魔女として空を飛ぶことが、彼女の本来あるべき姿だったのだ。誰にも可愛がられないアヒルの子は、白鳥を思わせる美しい魔女だった。 「そういえば、何でマリちゃんだけ白いの?」  話を逸らす意味でも、僕は素朴な疑問を彼女にきいてみる。というのも、魔女研の魔女たちは黒い帽子に黒いマントを着用するのが標準らしいからだ。 「ヒロくんがそんなこときいて、どうするの?」 「いや、すごく似合ってて、可愛いから」 「あなたが好きって言ってくれたからだよ」  また一つ、僕の青いハートは打ち砕かれる。  彼女の眩しい微笑みをみたとき、僕はそのさらに先にある幸せな未来を展望することができた。マリちゃんのためにも、新しい人生をしっかり歩んでいこうとあの空に誓う。  この子は一生大事にする。絶対に僕が幸せにする。  2019年、春。僕たちの新たな旅路は始まった。      &bold(){マリ三部作はこれで完結です。ありがとうございました。} ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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