【Black of Luck】

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 Black of Luck 「どうしよう」  そんな言葉を思わず口に出してしまったのは、あまりにも今の状況が進退窮まっているからだろう。  今の自分の状況、『ここは高級住宅地』、『一軒家の二階』、『広い部屋』、『目の前に女性の死体が置かれている』、『部屋中血塗れ傷だらけ』、『死体以外にこの部屋にいるのは私だけ』、『トドメにドンドンとこの部屋の扉を叩く音と「警察だ!」という声が聞こえる』。  ああ、うん、これ、やばい。  傍から見ても間違いなく私が殺人事件の犯人だわ。  『被害者』の女性の双眸は余程恐ろしい目にでも遭ったという風に見開かれ、しかも女性の腹部は“ヒラキ”になっていて内臓がない。生きたままそれが行われたことを示すように部屋中が血で真っ赤だ。猟奇殺人である。お腹の中から吐き気がしてくる。  ベランダの割れたガラス戸から吹き込む風だけが場違いに涼やかだ。 「どうしよう」  再度声に出してしまう。  そこの窓から逃げてしまおうか。ここは二階だし家の周りにパトカー。  隠れてやり過ごそうか。見つかったらいよいよ申し開きができなくなる。  じゃあいっそ扉を開けて「おまわりさん! 助けてください!」と泣きつこうか。泣きついても犯人だと思われそうだ。  どうすれば犯人扱いされずに済むかを考えていたが、考えているうちに扉は強引に破られて、ボウっと突っ立っていた私はあっという間に取り押さえられてしまった。血だまりの床に押し倒された拍子に吐きそうになったが我慢した。  そして現在は重要参考人として取調べ中。  現行犯として逮捕されなかったのは、部屋中血塗れだったのに押し倒されたときについたもの以外の血には汚れていなかったことと凶器を私が所持していなかったかららしい。  でもあの家は私の家じゃないし、死体の人は見ず知らずの他人だし、死体と二人っきりだったのも私なのでむしろ犯人材料の方が多い。  状況が状況なのでほぼ犯人扱いで凶器の在り処を聞かれていたりする。凶器の在り処なんて聞かれても私には答えられないのに。  しかし「犯人じゃありません」、「何も見てません」と言っても信じてもらえない。ていうか怒られた。まぁ、客観的に見ても九割犯人なので仕方ない。  そんなお互いにNOを言い合う不毛な取調べを八時間も続けていい加減にお腹も減ってきた頃、取調室に来訪者がやってきた。  最初は「あ、カツ丼?」とか思ったのだけどそれは当てが外れた。  入ってきたのは私より少しだけ年上の、けれど社会人としてはまだ若そうな女の人だった。  女の人は取り調べの刑事さんに何事かを告げるとそのまま刑事さんを退室させてしまった。部屋の隅に立っていた他の刑事さんも一緒に出て行ってしまった。  「若いけどこの人は偉い人なのだろうか?」と思っていると女の人は刑事さんの座っていた椅子に腰掛けてジッと私の目を見始めた。 「何でしょう?」 「あなた、随分と落ち着いているのね」  落ち着いている、と言われても。  犯人じゃないと言っても信じてもらえないしお腹も減ったし喉も渇いたしであんまり落ち着いてはいない。せめて野菜ジュースとか飲みたい。 「あなたの目、殺人を犯したにしては動揺していないわ」 「だから私は犯人じゃありませんって」 「でも、犯人じゃないにしても人の死を目の当たりにしているのに動揺していないのはおかしいんじゃないかしら? 警察が取り押さえたときも随分と冷静だったみたいじゃない」 「そんなことないですよ。吐くのを我慢するのに必死だっただけです」  ていうかこの人、『警察が』って言ったけど……この人は警察の人じゃないの? 「ふふ、やめましょうよ。一般人の振りは」  ? 「あなた、異能力者でしょう?」 「…………」 「警戒しないで、私も異能力者よ。私はビブラート。“オメガサークル”という組織の構成員の一人」  ビブラートさんか。髪が黒いから日本の人かと思ったけど、外国人だったんだ。 「ああ、ビブラートというのはコードネームよ。表向きは杉坂楓と名乗っているわ」  コードネーム、スパイ映画みたいでかっこいいなぁ。 「私の素性を明かしたところで、あなたに聞きたいことは二つ。一つはあなたが何者か、どこの組織に所属しているか。もう一つは、あなたが本当は何を見たか、よ」 「所属も何も、組織なんて言えるものには何も入っていませんよ。大学だって中退しましたし、入っているのは映画館の割引会員くらいです。」 「そう、フリーランスなのね。それとも自分以外が異能を持っていることも知らずに生きてきたのかしら」  フリーランスという言葉の意味はよく分からないけど何やら彼女の中では結論を出されてしまったらしい。それにしても一方的によく喋る人だ。 「元々あなたの素性にさほどの興味があったわけではないから、この質問はもういいわ。重要なのはもう一方、あなたが何を見たか、よ」 「何、を……?」 「言っておくけれど、私はもう自分の名前も所属もあなたに話している。この上であなたが黙秘したり何も知らないのなら……表向きあなたが犯人ということにして“終わらせる”けれど。どうする?」  一方的によく喋る人は一方的に最後通牒を私に突きつけたのだった。  一方的によく喋る人――楓さんの要求に肯くと私はすぐに釈放された。それこそ拍子抜けするくらい何の手続きもなくあっさりと。 「警察の中にも私の同僚がいるのよ」  また漫画みたいな話だ。事実は小説より奇なり、だろうか。  血に汚れた服を楓さんが用意していた服に着替え(服のサイズがピッタリだった。ちょっと怖い)、警察署の外に出ると楓さんは「そこで待っていなさい」と言ってどこかに行ってしまった。  ちょっとだけ「今のうちに逃げちゃおうかな」なんて考えが頭をよぎったけどやめておいた。後が怖そうだし……『首輪つき』にされてちゃ逃げられない。  私は直接触れないように首の辺りをなぞった。皮膚には何の感触もないけど、首には見えない糸のようなものが巻きついてる。多分これ、逃げたら首を切り落とすとかそういう仕組みだ。  私に気づかれないようにこれを仕掛けたってことは、私が一人になって見せかけの自由を得たときにどう行動するかも見てるってことだろうなぁ。  気づいたけど。 「待たせたわね」  戻ってきた楓さんは車に乗ってきていた。赤くて速そうなスポーツカー、随所にある馬のエンブレムが結構カッコイイ。あと高そう。  でもちょっと大きくて無骨なカーナビが不似合いだ。 「助手席に乗りなさい」  促されるまま助手席に座ろうとしたけど、傷をつけやしないかとヒヤヒヤソワソワしながらになってしまった。きっと事件現場のときより挙動不審だったと思う。  それでもなんとか傷をつけずに乗れたけど、楓さんは少し嫌そうな顔になった。 「……シャワー浴びなかったの? まだ血の匂いがするわよ」 「浴びましたよ。匂い、取れてませんか?」 「取れてないわね。私は自分の手が汚れるような殺しはしないからあまり感じていなかったけれど、血ってこんなに匂いがしつこいのね」  さらっと怖いこと言われたような。  楓さんは「まぁ、いいわ」と言って車を発進させた。 「これからある場所に向かうけれど、道中であなたにさっきの質問の答えを聞くわ」 「さっきの?」 「あなたが何を見たか、よ」  ああ、そういえばまだそれについて何も話していなかった。でも、 「取調室で話しても良かったんじゃ……」 「時間が押しているの。それに、あんまり長居すると私達以外の連中まで寄ってくるもの。こうして移動中に済ませるのが時間的にもセキュリティ的にもベストなのよ」  どうやらコードネームがある世界の人達は色々複雑な事情を抱えているらしい。 「じゃあ話してもらおうかしら、何を見たのか」 「そうですね……」  私は少し考えて、正直に見たものを見たまま話すことにした。 「虎です」 「虎?」 「羽の生えた黒い虎が男の子を食べているのを見たんです」  警察には言わなかったことを言った。けど、多分この人は自然にこれを事実として受け止めてくれるだろうと思った。それは正解で、楓さんは「時間と場所は?」と続けて尋ねてきた。 「私があの家で警察に捕まる二時間くらい前だから、丁度午前零時くらいですね。あのマンションから少し離れた場所にある繁華街の路地裏です」 「どうして見つけたの?」 「夕飯を済ませた帰りに、路地の奥まった方から匂いがしたんです」 「匂い?」 「これの」  そう言って私は私を――私から漂う血の匂いを指した。 「それで路地に入ってみたらピチャピチャ音がして、こっそり覗いて見たら虎が人を食べてました」 「……被害者の見た目は?」 「暗がりでよくは見えませんでしたけど、多分男の子で学校の制服みたいなのを着てましたね」 「……………………」  私の証言に、楓さんの目は正面を見たまま鋭さを増した。まるでそこにいない何かを睨んでいるようだ。 「助けようとは思わなかったの?」  ? 「何を?」 「その男の子を」 「助けられませんよ、暗がりでも分かるくらい死んでましたから。首を千切られて食べられてる人間はどうしたって手遅れでしょう?」 「……そうね。その後は?」 「虎は食べ終えたらそのままどこかに飛んでいきました。それを追いかけていった先にあの家があって、そこに出来たのがあの惨状です」 「飛んでいった虎をどうやって追跡したのかしら」 「私、超能力者なんで」 「能力の詳細は?」 「それは……」 「詳細は?」 「……空気操れます」  言わなかったら首を落とされる気がしたのでばらしてしまった。これまで親兄弟にも内緒にしていたのに。 「そう、双葉のワールウィンドと同系統の能力かしらね」  多分また間違った結論なんだろうけどその双葉ワールウィンドさんの能力が何かもわからないので肯定も否定もしなかった。 「どうして追跡できたかはわかったわ。けど、どうして追跡したの?」 「へ?」 「好き好んで関わりあうには血生臭い話でしょう。金銭の利があるわけでもないのに」  たしかに。普通は空飛ぶ人食い虎なんて追いかける手段があったとしても追いかけたくはない。私の場合は……。 「その、好奇心で」  好奇心。それに尽きた。 「好奇心は猫を殺すわよ」 「虎に殺されますか……」  なんて、冗談にもならないことを言って私の証言は終わった。 「あの、こっちからも質問していいですか?」 「構わないわよ。質問にもよるけどね」 「この車、どこに向かってるんですか?」 「あら、そっちを聞くのね」 「?」  そっち? 「まぁ、いいわ。今はその人食い虎を追ってるのよ。正式名称は【黒天虎】ってラルヴァだけどね」 「らるヴぁ?」 「怪物、妖怪、モンスターと訳していいわ。元々そういう意味のラテン語だもの。私達は、最初からその黒天虎を狩るために派遣されてきたの」  私『達』?  疑問が浮かんだけど、その疑問を口に出して挟む間もなく楓さんは言葉を連ねる。 「最近、私達の組織に繋がった人間が黒天虎に食い殺される事例が多発していたの。偶然と言うには偏りすぎていたから“聖痕”……敵対組織の破壊工作だと断定されたわ。だからこれ以上の被害を防ぐために、黒天虎の現在地に当たりをつけて私達三人が派遣された」 「私達三人?」 「私と、弟と妹よ。もう、二人とも死んでしまったけれど。弟はあなたも見ているはずよ。食い千切られていたんだったかしら?」 「…………」  あー、そうか。こんなタイミングだけど分かった。  この人、一方的に喋ってないと弟さん達亡くしたことで感情が一杯一杯になっちゃうんだな。だからずっと喋ってるんだ。 「妹も、そう遠くない場所でハラワタを食べつくされた死体になっているのが発見されたそうだから、黒天虎にやられたんでしょうね」 「その……ご愁傷様です」 「いいわ。任務だし、こんな世界に身を置いているんだもの。もっと酷い死に方も生かされ方も覚悟していたわ。ええ、そうよ。こんなのはまだマシな死に方だったから、弟達は幸運よ」  顔、そう言ってませんけど。 「それに、無駄死にでもないわ。私達の脳には発信機が埋め込まれているから、今なら黒天虎の胃の中の発信機の反応を追える。今向かっているのはそこよ」  ああ、カーナビにしてはちょっと変わった表示だと思ったらそういうことだったのか。  でも脳の中に発信機があるって怖い世界だ。 「でも、それじゃ時間との勝負ですよね。なんでわざわざ時間をロスしてまで私を警察署まで迎えに来て同行させたんですか?」 「一つは目撃者と思しきあなたから直接情報を聞きたかったから。もう一つは……助力を頼むため」 「助力?」  って、私に? 「組織は今回の件に私達三人以上の戦力は送り込まない。送り込むとしても、その頃には弟の発信機が意味を為さなくなる。だから、この地域にいる戦力は私と、黒天虎と遭遇して生き残ったあなただけよ」 「私は」 「とぼけても無駄よ。あの部屋の惨状、被害者の血で汚れていたけれど同時に争った痕もあった。それは、あなたがあの家で黒天虎とやりあった証明よ」 「……被害者の人も能力持っててその人が争ったってケースは?」 「争ったにしては腹部の捕食痕以外は綺麗すぎたわ。妹の死体もそうだったけど、戦闘力がない人間はハラワタだけ食べるみたいね、あの虎は」 「妹さん、戦えなかったの?」 「妹は探査用の異能だから。きっともう一人と離れたところを狙われたのね」  ああ、なるほど。道理で。 「私の推測としては、あの虎を追跡していたあなたはあの夜三人目の犠牲者である女性の死体を発見。けれど今度は黒天虎にも発見される。そこであなたはやむなく応戦、何とか黒天虎を退けたけれど物音と異臭で通報を受けた警察に逮捕された、ってところじゃないかしら?」 「大体あってますね」 「だから助力を頼みたいのよ。戦闘用の異能力者だった弟でも敵わなかったあの黒天虎を退けたあなたに、私があの黒天虎を討ち果たして任務を達成する手伝いを、ね」  任務を達成するって言ってるけど楓さん。  あなたの目、弟と妹の仇が討ちたいって言ってますよ。 「勿論お礼はするわ。礼金も、一千万までなら動かせる」 「要らないです」  一千万なんて大金もらっても使いようがない。だから、 「代わりに、終わったらお昼食べさせてください。私、お腹減ってるんで」 「わかったわ、……ありがとう」 「いえいえ」  ――お礼を言われることでもないんだけどな。  三十分ほどして、私と楓さんは市内の山中にいた。 「発信機の反応はこの先、八百メートルってくらいね」 「……近いですね」  鬱蒼とした木々や起伏のある斜面に阻まれているから分かりにくいが直線距離で言えばもう目と鼻の先だ。  まして相手は虎をグレードアップさせたような怪物。私や、楓さん――新たな餌が来たことにも気づいているはずだ。  だから、逃げるか来るかは五分五分、かな。  正解は、 「来るわよ!」  後者だった。  昨日の晩に『食事』をしてからは何も食べていなくて飢えたのか、こちら目掛けて飛来してくるのを感じる。第六感以前に発信機の反応と、風上から漂ってくる獣と血の匂いが接近を伝える。 「疾ィッ!!」  楓さんは気迫と共に両の腕を振るった。  すると、木々の合間から差し込む日光に反射するキラキラとした光が見え、直後に前方に並び立つ木々が両断された。  あれは多分、私の首に巻きついているものと同じ糸。  空気の振動を感じるから、恐らくは糸を超高速で振動させて桁外れの切断力を持つ糸鋸にしているのだろう。糸自体も特殊なものかもしれない。  それが首に巻きついていると思うとゾッとする威力だったけど、それでも切れたのは木だけだった。  倒れる木々の合間を掻い潜って、黒い影――黒天虎が楓さんに飛来する。  私は咄嗟に周囲の空気を固めて黒天虎に向けて発射し、ぶつける。けど、わずかに体勢を崩しただけで効いた様子はない。やっぱり遠距離じゃろくに使えない。  ただ、楓さんにはその間隙で十分だったようだ。 「封ッ!」  瞬時に巻き戻った糸が、黒天虎の全身を締め上げる。  そしてそのまま、超振動する糸で黒天虎を細切れに裂いた。  直後に、彼女の弟よりも無残にバラバラになった黒天虎の死骸が地面に落ちて……楓さんは弟の仇を討った。  終わってみれば呆気なかった。  きっと、楓さんが弟より強かったのもあるのだろうけど、黒天虎はあっさりと倒れた。 「……こんなものなのかしら」  楓さんも私と同じ感想を持ったらしい。でも、これが結果。強敵とは呼べない相手でも、劇的な展開でなくても、楓さんは弟の仇を討ったのだ。  ――だから、もうこれでいいんじゃないかな? 「深手を負い、『司令塔』が殺されていれば……この程度のラルヴァだったのね」  ――って、思ったのにさ。  私は空気を手刀に合わせて収束・振動させて首に巻きついている糸を切断した。  直後、地面に落ちた糸が唸るような音を上げて地面を弾いた。 「何するんですか楓さん」 「あの家で死んでいた被害者。あいつは組織のブラックリストに載っていた。『虎威』のアリューシャ、黒天虎を使役する異能力者。私達の目的は始めから黒天虎とアリューシャをセットで殺すことだった」  ……ああ、最初からあの女性を一般人だとは認識してなかったんだ。 「しかしアリューシャは死んでいた。しかもハラワタを食べられてね。最初は黒天虎の制御をしくじって食い殺されたのかと思ったけど、争った形跡があったので否定したわ。アリューシャは獣使いであって、戦闘などできないはずだもの」 「……で?」 「私の本当の推測はこうよ。アリューシャはあの家で、何者かと交戦し殺され――食い殺された。黒天虎は主を守れず、深手を負ったまま山中へと逃亡した。じゃあ、アリューシャを殺したのは誰か?」  まぁ、分かりきってますよね。もう。 「お前だ」  はいそうです。  傍から見ても犯人だけど、自分から見ても犯人でした。 「お前は繁華街の路地裏で弟と黒天虎が交戦しているのを見た、いやあるいは本当にもう終わってしまっていたのかしらね。あのときはまだ『獣使い』が生きていて、黒天虎も強敵だったでしょうから」  正解。虎が男の子を食っていたのは本当だけど、横にはそれを楽しそうに見てる女の人もいました。 「あなたは黒天虎を追跡。そしてあの家に辿りついた。戦闘を仕掛けたのがあなたかアリューシャかは分からないけれど、あなたが勝ってアリューシャは食い殺されたのね」 「仕掛けたのはあっちですよ。「あなたも刺客かしらぁ?」とかすごいドSっぽく言われてから襲われました」  その後、泣き叫びながら死んだけど。 「そう。でもそれはいいのよ。アリューシャは敵だし、見方によってはあなたが弟の仇を討ってくれたとも言えるわ。人を虎に食わせ続けた女が食人嗜好の餌食になったのも良い気味だわ。けどね」  あ、そろそろ爆発しそうかな。 「私の妹まで同じ手口で殺されてたのはどういうこと!!」  殺到する超振動糸の群れ、周囲の空気を弾くように動かして後方に吹き飛ぶことで辛うじて回避する。 「黒天虎の仕業って言ってませんでした?」  私は回避し続けながら、楓さんは追撃し続けながら言葉を交わす。 「虎が、人間の腹を綺麗に捌いてから内臓だけ食べるわけない!」  ごもっともで。  虎は弟さんにやったようにゴリゴリ齧って食べるもの。  人間を行儀よく食べるのなんて、人間くらいのものだろうね。  昨晩は本当に珍しい夜だった。人を食べてすぐに人を食べているモノに遭うなんて。好奇心が湧いて追いかけたらもう一人食べることになったけど。  でも二人も食べたから食べ過ぎて吐き気がしたね。取り押さえられたときも吐かないように必死だったよ。吐いたら一発でバレるし。 「何で! 妹を殺した!!」  堰を切ったように楓さんは怒声を上げながら私を殺そうとする。  ……私が妹さんを殺したって確信していただろうに、さっきまであんな勘違いしてるフリの演技を続けていたなんてすごいね、楓さん。  そんなに私を殺したかったの? 「何で食い殺した! お前もラルヴァなのッ!?」 「私は正真正銘に人間ですよ。妹さんを殺したのは「あなたも聖痕?」とか訳のわからないこと言いながら銃を突きつけてきたからです」  あのときは何でそういう行動をしてきたのかさっぱりわからなかったけれど、車の中で聞いた話で探査系なら私がそういうものだって気づいたのも道理だと思った。  あと車の中と言えば、血の匂いはきっと私の口から漂っていたんだろうね。 「食い殺したのはどうして!」  どうして、ね。 「楓さん、こんな話知ってますか? 快楽殺人鬼の感じている快楽、元となる欲求は性欲に近いんだそうです」  何かの番組だか、本だかで知ったうろ覚えだけれど。そんなことを聞き知っていた。  そのときから、私の中の衝動と合わせて思っていたのだ。 「でも不思議じゃないですかね? 人間が生きるのに必要な欲は三つあるんだから性欲以外の二つの快楽殺人鬼もいるんじゃないか、って」  まして、普段は使わなくてもいい性欲なんて欲求よりも……食欲はずっと強い。 「そう言えば、名乗ってなかったので名乗ります」 「獅子食獅子《シシバミ・レオ》です。末短くご愛顧を」  いい加減にお腹も減った。  黒天虎で終わっていれば、楓さんと一緒に普通のご飯を食べて終われたのに。  少し残念、昨日二人も食べたから、しばらくは普通のご飯でよかったのに。  本当に残念。楓さん、ちょっぴり好きだったのに。  周囲一帯の空気を私の周囲に収束させる。  楓さんは糸を使って私を殺そうとするけど、折悪しく集められた空気が巻き起こす乱気流は糸を翻弄して正確な狙いを定めさせない。  そうして大気の収束・圧縮を終えたとき、私の姿は変容していた。  分厚くて、光も通さない空気の毛皮に覆われた私。きっと真っ黒なライオンみたい。  これが私の力で、鎧で、爪牙で、――ナプキンだ。 『イタダキマス』  決着は、黒天虎との戦いよりもあっさりしていた。  楓さんの糸は私の鎧を切れなかったし、私の爪は易々と楓さんの体を裂いた。  だから、私はあっさりと食事ができた。  楓さんは車のときよりもずっと怖い目で私を見ていたし、叫んでもいたみたいだけれど、空気の鎧に阻まれた私の耳には届かなかった。  楓さんが動かなくなったころに、私も食事を終えた。いつもみたいに空気で口の周りの血を飛ばして、顔を拭く。エチケットは大切です。  後に残ったのは妹さんやアリューシャという女の人と同じ、ヒラキになった楓さん。  ちょっぴり好きだったから、ちょっぴり悲しい。  でも仕方ない。食い殺していいのは襲ってきた人だけだから、襲ってきたら食い殺さないと。  けど、楓さんも妹さんも薬品くさくてあまり美味しくはなかったです。 『サテト』  急いでここから早く逃げないと。  発信機が埋め込まれてるって言っていたし、警察と繋がりがあるなら私のこともすぐに組織とやらに伝わってしまっているだろうから。  この街を出て、他の町に行こう。襲ってきた人は食べられるけれど、あまり多くちゃ食べきれない。  ああ、そうだ。野菜ジュースも飲みたいな。栄養が偏ると体に悪いから。  兎にも角にも人殺しの人食い、私――獅子食獅子はどこかへと去っていくのでした。  私にとっては日常で、私以外にはめでたくない。  そんな終わり方で今日の私はお終いです。
 Black of Luck 「どうしよう」  そんな言葉を思わず口に出してしまったのは、あまりにも今の状況が進退窮まっているからだろう。  今の自分の状況、『ここは高級住宅地』、『一軒家の二階』、『広い部屋』、『目の前に女性の死体が置かれている』、『部屋中血塗れ傷だらけ』、『死体以外にこの部屋にいるのは私だけ』、『トドメにドンドンとこの部屋の扉を叩く音と「警察だ!」という声が聞こえる』。  ああ、うん、これ、やばい。  傍から見ても間違いなく私が殺人事件の犯人だわ。  『被害者』の女性の双眸は余程恐ろしい目にでも遭ったという風に見開かれ、しかも女性の腹部は“ヒラキ”になっていて内臓がない。生きたままそれが行われたことを示すように部屋中が血で真っ赤だ。猟奇殺人である。お腹の中から吐き気がしてくる。  ベランダの割れたガラス戸から吹き込む風だけが場違いに涼やかだ。 「どうしよう」  再度声に出してしまう。  そこの窓から逃げてしまおうか。ここは二階だし家の周りにパトカー。  隠れてやり過ごそうか。見つかったらいよいよ申し開きができなくなる。  じゃあいっそ扉を開けて「おまわりさん! 助けてください!」と泣きつこうか。泣きついても犯人だと思われそうだ。  どうすれば犯人扱いされずに済むかを考えていたが、考えているうちに扉は強引に破られて、ボウっと突っ立っていた私はあっという間に取り押さえられてしまった。血だまりの床に押し倒された拍子に吐きそうになったが我慢した。  そして現在は重要参考人として取調べ中。  現行犯として逮捕されなかったのは、部屋中血塗れだったのに押し倒されたときについたもの以外の血には汚れていなかったことと凶器を私が所持していなかったかららしい。  でもあの家は私の家じゃないし、死体の人は見ず知らずの他人だし、死体と二人っきりだったのも私なのでむしろ犯人材料の方が多い。  状況が状況なのでほぼ犯人扱いで凶器の在り処を聞かれていたりする。凶器の在り処なんて聞かれても私には答えられないのに。  しかし「犯人じゃありません」、「何も見てません」と言っても信じてもらえない。ていうか怒られた。まぁ、客観的に見ても九割犯人なので仕方ない。  そんなお互いにNOを言い合う不毛な取調べを八時間も続けていい加減にお腹も減ってきた頃、取調室に来訪者がやってきた。  最初は「あ、カツ丼?」とか思ったのだけどそれは当てが外れた。  入ってきたのは私より少しだけ年上の、けれど社会人としてはまだ若そうな女の人だった。  女の人は取り調べの刑事さんに何事かを告げるとそのまま刑事さんを退室させてしまった。部屋の隅に立っていた他の刑事さんも一緒に出て行ってしまった。  「若いけどこの人は偉い人なのだろうか?」と思っていると女の人は刑事さんの座っていた椅子に腰掛けてジッと私の目を見始めた。 「何でしょう?」 「あなた、随分と落ち着いているのね」  落ち着いている、と言われても。  犯人じゃないと言っても信じてもらえないしお腹も減ったし喉も渇いたしであんまり落ち着いてはいない。せめて野菜ジュースとか飲みたい。 「あなたの目、殺人を犯したにしては動揺していないわ」 「だから私は犯人じゃありませんって」 「でも、犯人じゃないにしても人の死を目の当たりにしているのに動揺していないのはおかしいんじゃないかしら? 警察が取り押さえたときも随分と冷静だったみたいじゃない」 「そんなことないですよ。吐くのを我慢するのに必死だっただけです」  ていうかこの人、『警察が』って言ったけど……この人は警察の人じゃないの? 「ふふ、やめましょうよ。一般人の振りは」  ? 「あなた、異能力者でしょう?」 「…………」 「警戒しないで、私も異能力者よ。私はビブラート。“オメガサークル”という組織の構成員の一人」  ビブラートさんか。髪が黒いから日本の人かと思ったけど、外国人だったんだ。 「ああ、ビブラートというのはコードネームよ。表向きは杉坂楓と名乗っているわ」  コードネーム、スパイ映画みたいでかっこいいなぁ。 「私の素性を明かしたところで、あなたに聞きたいことは二つ。一つはあなたが何者か、どこの組織に所属しているか。もう一つは、あなたが本当は何を見たか、よ」 「所属も何も、組織なんて言えるものには何も入っていませんよ。大学だって中退しましたし、入っているのは映画館の割引会員くらいです。」 「そう、フリーランスなのね。それとも自分以外が異能を持っていることも知らずに生きてきたのかしら」  フリーランスという言葉の意味はよく分からないけど何やら彼女の中では結論を出されてしまったらしい。それにしても一方的によく喋る人だ。 「元々あなたの素性にさほどの興味があったわけではないから、この質問はもういいわ。重要なのはもう一方、あなたが何を見たか、よ」 「何、を……?」 「言っておくけれど、私はもう自分の名前も所属もあなたに話している。この上であなたが黙秘したり何も知らないのなら……表向きあなたが犯人ということにして“終わらせる”けれど。どうする?」  一方的によく喋る人は一方的に最後通牒を私に突きつけたのだった。  一方的によく喋る人――楓さんの要求に肯くと私はすぐに釈放された。それこそ拍子抜けするくらい何の手続きもなくあっさりと。 「警察の中にも私の同僚がいるのよ」  また漫画みたいな話だ。事実は小説より奇なり、だろうか。  血に汚れた服を楓さんが用意していた服に着替え(服のサイズがピッタリだった。ちょっと怖い)、警察署の外に出ると楓さんは「そこで待っていなさい」と言ってどこかに行ってしまった。  ちょっとだけ「今のうちに逃げちゃおうかな」なんて考えが頭をよぎったけどやめておいた。後が怖そうだし……『首輪つき』にされてちゃ逃げられない。  私は直接触れないように首の辺りをなぞった。皮膚には何の感触もないけど、首には見えない糸のようなものが巻きついてる。多分これ、逃げたら首を切り落とすとかそういう仕組みだ。  私に気づかれないようにこれを仕掛けたってことは、私が一人になって見せかけの自由を得たときにどう行動するかも見てるってことだろうなぁ。  気づいたけど。 「待たせたわね」  戻ってきた楓さんは車に乗ってきていた。赤くて速そうなスポーツカー、随所にある馬のエンブレムが結構カッコイイ。あと高そう。  でもちょっと大きくて無骨なカーナビが不似合いだ。 「助手席に乗りなさい」  促されるまま助手席に座ろうとしたけど、傷をつけやしないかとヒヤヒヤソワソワしながらになってしまった。きっと事件現場のときより挙動不審だったと思う。  それでもなんとか傷をつけずに乗れたけど、楓さんは少し嫌そうな顔になった。 「……シャワー浴びなかったの? まだ血の匂いがするわよ」 「浴びましたよ。匂い、取れてませんか?」 「取れてないわね。私は自分の手が汚れるような殺しはしないからあまり感じていなかったけれど、血ってこんなに匂いがしつこいのね」  さらっと怖いこと言われたような。  楓さんは「まぁ、いいわ」と言って車を発進させた。 「これからある場所に向かうけれど、道中であなたにさっきの質問の答えを聞くわ」 「さっきの?」 「あなたが何を見たか、よ」  ああ、そういえばまだそれについて何も話していなかった。でも、 「取調室で話しても良かったんじゃ……」 「時間が押しているの。それに、あんまり長居すると私達以外の連中まで寄ってくるもの。こうして移動中に済ませるのが時間的にもセキュリティ的にもベストなのよ」  どうやらコードネームがある世界の人達は色々複雑な事情を抱えているらしい。 「じゃあ話してもらおうかしら、何を見たのか」 「そうですね……」  私は少し考えて、正直に見たものを見たまま話すことにした。 「虎です」 「虎?」 「羽の生えた黒い虎が男の子を食べているのを見たんです」  警察には言わなかったことを言った。けど、多分この人は自然にこれを事実として受け止めてくれるだろうと思った。それは正解で、楓さんは「時間と場所は?」と続けて尋ねてきた。 「私があの家で警察に捕まる二時間くらい前だから、丁度午前零時くらいですね。あのマンションから少し離れた場所にある繁華街の路地裏です」 「どうして見つけたの?」 「夕飯を済ませた帰りに、路地の奥まった方から匂いがしたんです」 「匂い?」 「これの」  そう言って私は私を――私から漂う血の匂いを指した。 「それで路地に入ってみたらピチャピチャ音がして、こっそり覗いて見たら虎が人を食べてました」 「……被害者の見た目は?」 「暗がりでよくは見えませんでしたけど、多分男の子で学校の制服みたいなのを着てましたね」 「……………………」  私の証言に、楓さんの目は正面を見たまま鋭さを増した。まるでそこにいない何かを睨んでいるようだ。 「助けようとは思わなかったの?」  ? 「何を?」 「その男の子を」 「助けられませんよ、暗がりでも分かるくらい死んでましたから。首を千切られて食べられてる人間はどうしたって手遅れでしょう?」 「……そうね。その後は?」 「虎は食べ終えたらそのままどこかに飛んでいきました。それを追いかけていった先にあの家があって、そこに出来たのがあの惨状です」 「飛んでいった虎をどうやって追跡したのかしら」 「私、超能力者なんで」 「能力の詳細は?」 「それは……」 「詳細は?」 「……空気操れます」  言わなかったら首を落とされる気がしたのでばらしてしまった。これまで親兄弟にも内緒にしていたのに。 「そう、双葉のワールウィンドと同系統の能力かしらね」  多分また間違った結論なんだろうけどその双葉ワールウィンドさんの能力が何かもわからないので肯定も否定もしなかった。 「どうして追跡できたかはわかったわ。けど、どうして追跡したの?」 「へ?」 「好き好んで関わりあうには血生臭い話でしょう。金銭の利があるわけでもないのに」  たしかに。普通は空飛ぶ人食い虎なんて追いかける手段があったとしても追いかけたくはない。私の場合は……。 「その、好奇心で」  好奇心。それに尽きた。 「好奇心は猫を殺すわよ」 「虎に殺されますか……」  なんて、冗談にもならないことを言って私の証言は終わった。 「あの、こっちからも質問していいですか?」 「構わないわよ。質問にもよるけどね」 「この車、どこに向かってるんですか?」 「あら、そっちを聞くのね」 「?」  そっち? 「まぁ、いいわ。今はその人食い虎を追ってるのよ。正式名称は【黒天虎】ってラルヴァだけどね」 「らるヴぁ?」 「怪物、妖怪、モンスターと訳していいわ。元々そういう意味のラテン語だもの。私達は、最初からその黒天虎を狩るために派遣されてきたの」  私『達』?  疑問が浮かんだけど、その疑問を口に出して挟む間もなく楓さんは言葉を連ねる。 「最近、私達の組織に繋がった人間が黒天虎に食い殺される事例が多発していたの。偶然と言うには偏りすぎていたから“聖痕”……敵対組織の破壊工作だと断定されたわ。だからこれ以上の被害を防ぐために、黒天虎の現在地に当たりをつけて私達三人が派遣された」 「私達三人?」 「私と、弟と妹よ。もう、二人とも死んでしまったけれど。弟はあなたも見ているはずよ。食い千切られていたんだったかしら?」 「…………」  あー、そうか。こんなタイミングだけど分かった。  この人、一方的に喋ってないと弟さん達亡くしたことで感情が一杯一杯になっちゃうんだな。だからずっと喋ってるんだ。 「妹も、そう遠くない場所でハラワタを食べつくされた死体になっているのが発見されたそうだから、黒天虎にやられたんでしょうね」 「その……ご愁傷様です」 「いいわ。任務だし、こんな世界に身を置いているんだもの。もっと酷い死に方も生かされ方も覚悟していたわ。ええ、そうよ。こんなのはまだマシな死に方だったから、弟達は幸運よ」  顔、そう言ってませんけど。 「それに、無駄死にでもないわ。私達の脳には発信機が埋め込まれているから、今なら黒天虎の胃の中の発信機の反応を追える。今向かっているのはそこよ」  ああ、カーナビにしてはちょっと変わった表示だと思ったらそういうことだったのか。  でも脳の中に発信機があるって怖い世界だ。 「でも、それじゃ時間との勝負ですよね。なんでわざわざ時間をロスしてまで私を警察署まで迎えに来て同行させたんですか?」 「一つは目撃者と思しきあなたから直接情報を聞きたかったから。もう一つは……助力を頼むため」 「助力?」  って、私に? 「組織は今回の件に私達三人以上の戦力は送り込まない。送り込むとしても、その頃には弟の発信機が意味を為さなくなる。だから、この地域にいる戦力は私と、黒天虎と遭遇して生き残ったあなただけよ」 「私は」 「とぼけても無駄よ。あの部屋の惨状、被害者の血で汚れていたけれど同時に争った痕もあった。それは、あなたがあの家で黒天虎とやりあった証明よ」 「……被害者の人も能力持っててその人が争ったってケースは?」 「争ったにしては腹部の捕食痕以外は綺麗すぎたわ。妹の死体もそうだったけど、戦闘力がない人間はハラワタだけ食べるみたいね、あの虎は」 「妹さん、戦えなかったの?」 「妹は探査用の異能だから。きっともう一人と離れたところを狙われたのね」  ああ、なるほど。道理で。 「私の推測としては、あの虎を追跡していたあなたはあの夜三人目の犠牲者である女性の死体を発見。けれど今度は黒天虎にも発見される。そこであなたはやむなく応戦、何とか黒天虎を退けたけれど物音と異臭で通報を受けた警察に逮捕された、ってところじゃないかしら?」 「大体あってますね」 「だから助力を頼みたいのよ。戦闘用の異能力者だった弟でも敵わなかったあの黒天虎を退けたあなたに、私があの黒天虎を討ち果たして任務を達成する手伝いを、ね」  任務を達成するって言ってるけど楓さん。  あなたの目、弟と妹の仇が討ちたいって言ってますよ。 「勿論お礼はするわ。礼金も、一千万までなら動かせる」 「要らないです」  一千万なんて大金もらっても使いようがない。だから、 「代わりに、終わったらお昼食べさせてください。私、お腹減ってるんで」 「わかったわ、……ありがとう」 「いえいえ」  ――お礼を言われることでもないんだけどな。  三十分ほどして、私と楓さんは市内の山中にいた。 「発信機の反応はこの先、八百メートルってくらいね」 「……近いですね」  鬱蒼とした木々や起伏のある斜面に阻まれているから分かりにくいが直線距離で言えばもう目と鼻の先だ。  まして相手は虎をグレードアップさせたような怪物。私や、楓さん――新たな餌が来たことにも気づいているはずだ。  だから、逃げるか来るかは五分五分、かな。  正解は、 「来るわよ!」  後者だった。  昨日の晩に『食事』をしてからは何も食べていなくて飢えたのか、こちら目掛けて飛来してくるのを感じる。第六感以前に発信機の反応と、風上から漂ってくる獣と血の匂いが接近を伝える。 「疾ィッ!!」  楓さんは気迫と共に両の腕を振るった。  すると、木々の合間から差し込む日光に反射するキラキラとした光が見え、直後に前方に並び立つ木々が両断された。  あれは多分、私の首に巻きついているものと同じ糸。  空気の振動を感じるから、恐らくは糸を超高速で振動させて桁外れの切断力を持つ糸鋸にしているのだろう。糸自体も特殊なものかもしれない。  それが首に巻きついていると思うとゾッとする威力だったけど、それでも切れたのは木だけだった。  倒れる木々の合間を掻い潜って、黒い影――黒天虎が楓さんに飛来する。  私は咄嗟に周囲の空気を固めて黒天虎に向けて発射し、ぶつける。けど、わずかに体勢を崩しただけで効いた様子はない。やっぱり遠距離じゃろくに使えない。  ただ、楓さんにはその間隙で十分だったようだ。 「封ッ!」  瞬時に巻き戻った糸が、黒天虎の全身を締め上げる。  そしてそのまま、超振動する糸で黒天虎を細切れに裂いた。  直後に、彼女の弟よりも無残にバラバラになった黒天虎の死骸が地面に落ちて……楓さんは弟の仇を討った。  終わってみれば呆気なかった。  きっと、楓さんが弟より強かったのもあるのだろうけど、黒天虎はあっさりと倒れた。 「……こんなものなのかしら」  楓さんも私と同じ感想を持ったらしい。でも、これが結果。強敵とは呼べない相手でも、劇的な展開でなくても、楓さんは弟の仇を討ったのだ。  ――だから、もうこれでいいんじゃないかな? 「深手を負い、『司令塔』が殺されていれば……この程度のラルヴァだったのね」  ――って、思ったのにさ。  私は空気を手刀に合わせて収束・振動させて首に巻きついている糸を切断した。  直後、地面に落ちた糸が唸るような音を上げて地面を弾いた。 「何するんですか楓さん」 「あの家で死んでいた被害者。あいつは組織のブラックリストに載っていた。『虎威』のアリューシャ、黒天虎を使役する異能力者。私達の目的は始めから黒天虎とアリューシャをセットで殺すことだった」  ……ああ、最初からあの女性を一般人だとは認識してなかったんだ。 「しかしアリューシャは死んでいた。しかもハラワタを食べられてね。最初は黒天虎の制御をしくじって食い殺されたのかと思ったけど、争った形跡があったので否定したわ。アリューシャは獣使いであって、戦闘などできないはずだもの」 「……で?」 「私の本当の推測はこうよ。アリューシャはあの家で、何者かと交戦し殺され――食い殺された。黒天虎は主を守れず、深手を負ったまま山中へと逃亡した。じゃあ、アリューシャを殺したのは誰か?」  まぁ、分かりきってますよね。もう。 「お前だ」  はいそうです。  傍から見ても犯人だけど、自分から見ても犯人でした。 「お前は繁華街の路地裏で弟と黒天虎が交戦しているのを見た、いやあるいは本当にもう終わってしまっていたのかしらね。あのときはまだ『獣使い』が生きていて、黒天虎も強敵だったでしょうから」  正解。虎が男の子を食っていたのは本当だけど、横にはそれを楽しそうに見てる女の人もいました。 「あなたは黒天虎を追跡。そしてあの家に辿りついた。戦闘を仕掛けたのがあなたかアリューシャかは分からないけれど、あなたが勝ってアリューシャは食い殺されたのね」 「仕掛けたのはあっちですよ。「あなたも刺客かしらぁ?」とかすごいドSっぽく言われてから襲われました」  その後、泣き叫びながら死んだけど。 「そう。でもそれはいいのよ。アリューシャは敵だし、見方によってはあなたが弟の仇を討ってくれたとも言えるわ。人を虎に食わせ続けた女が食人嗜好の餌食になったのも良い気味だわ。けどね」  あ、そろそろ爆発しそうかな。 「私の妹まで同じ手口で殺されてたのはどういうこと!!」  殺到する超振動糸の群れ、周囲の空気を弾くように動かして後方に吹き飛ぶことで辛うじて回避する。 「黒天虎の仕業って言ってませんでした?」  私は回避し続けながら、楓さんは追撃し続けながら言葉を交わす。 「虎が、人間の腹を綺麗に捌いてから内臓だけ食べるわけない!」  ごもっともで。  虎は弟さんにやったようにゴリゴリ齧って食べるもの。  人間を行儀よく食べるのなんて、人間くらいのものだろうね。  昨晩は本当に珍しい夜だった。人を食べてすぐに人を食べているモノに遭うなんて。好奇心が湧いて追いかけたらもう一人食べることになったけど。  でも二人も食べたから食べ過ぎて吐き気がしたね。取り押さえられたときも吐かないように必死だったよ。吐いたら一発でバレるし。 「何で! 妹を殺した!!」  堰を切ったように楓さんは怒声を上げながら私を殺そうとする。  ……私が妹さんを殺したって確信していただろうに、さっきまであんな勘違いしてるフリの演技を続けていたなんてすごいね、楓さん。  そんなに私を殺したかったの? 「何で食い殺した! お前もラルヴァなのッ!?」 「私は正真正銘に人間ですよ。妹さんを殺したのは「あなたも聖痕?」とか訳のわからないこと言いながら銃を突きつけてきたからです」  あのときは何でそういう行動をしてきたのかさっぱりわからなかったけれど、車の中で聞いた話で探査系なら私がそういうものだって気づいたのも道理だと思った。  あと車の中と言えば、血の匂いはきっと私の口から漂っていたんだろうね。 「食い殺したのはどうして!」  どうして、ね。 「楓さん、こんな話知ってますか? 快楽殺人鬼の感じている快楽、元となる欲求は性欲に近いんだそうです」  何かの番組だか、本だかで知ったうろ覚えだけれど。そんなことを聞き知っていた。  そのときから、私の中の衝動と合わせて思っていたのだ。 「でも不思議じゃないですかね? 人間が生きるのに必要な欲は三つあるんだから性欲以外の二つの快楽殺人鬼もいるんじゃないか、って」  まして、普段は使わなくてもいい性欲なんて欲求よりも……食欲はずっと強い。 「そう言えば、名乗ってなかったので名乗ります」 「獅子食獅子《シシバミ・レオ》です。末短くご愛顧を」  いい加減にお腹も減った。  黒天虎で終わっていれば、楓さんと一緒に普通のご飯を食べて終われたのに。  少し残念、昨日二人も食べたから、しばらくは普通のご飯でよかったのに。  本当に残念。楓さん、ちょっぴり好きだったのに。  周囲一帯の空気を私の周囲に収束させる。  楓さんは糸を使って私を殺そうとするけど、折悪しく集められた空気が巻き起こす乱気流は糸を翻弄して正確な狙いを定めさせない。  そうして大気の収束・圧縮を終えたとき、私の姿は変容していた。  分厚くて、光も通さない空気の毛皮に覆われた私。きっと真っ黒なライオンみたい。  これが私の力で、毛皮で、――ナプキンだ。 『イタダキマス』  決着は、黒天虎との戦いよりもあっさりしていた。  楓さんの糸は私の毛皮を切れなかったし、私の爪は易々と楓さんの体を裂いた。  だから、私はあっさりと食事ができた。  楓さんは車のときよりもずっと怖い目で私を見ていたし、叫んでもいたみたいだけれど、空気の鎧に阻まれた私の耳には届かなかった。  楓さんが動かなくなったころに、私も食事を終えた。いつもみたいに空気で口の周りの血を飛ばして、顔を拭く。エチケットは大切です。  後に残ったのは妹さんやアリューシャという女の人と同じ、ヒラキになった楓さん。  ちょっぴり好きだったから、ちょっぴり悲しい。  でも仕方ない。食い殺していいのは襲ってきた人だけだから、襲ってきたら食い殺さないと。  けど、楓さんも妹さんも薬品くさくてあまり美味しくはなかったです。 『サテト』  急いでここから早く逃げないと。  発信機が埋め込まれてるって言っていたし、警察と繋がりがあるなら私のこともすぐに組織とやらに伝わってしまっているだろうから。  この街を出て、他の町に行こう。襲ってきた人は食べられるけれど、あまり多くちゃ食べきれない。  ああ、そうだ。野菜ジュースも飲みたいな。栄養が偏ると体に悪いから。  兎にも角にも人殺しの人食い、私――獅子食獅子はどこかへと去っていくのでした。  私にとっては日常で、私以外にはめでたくない。  そんな終わり方で今日の私はお終いです。

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