【駅員小松ゆうなの業務日誌】

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 双葉学園鉄道をご存知だろうか? 恐らく学生のほぼ全てがその存在を知らないだろう。  数十年前、東京湾の埋立地に学園都市が建造される計画が持ち上がった頃。  一般の鉄道網と、学園を直結する鉄道を新設することが決定されていた。  さっそく埋立地直下に地下駅が建造され、島から掘り進めていた海底トンネルは、JR京葉線の地下トンネルにまで到達する。JR京葉線と接続し、東京駅と学園を直結する構想があったのだ。  しかし、学園都市や学園の存在を秘匿とすることが後から決まり、事実上、本土から直通する鉄道の計画は中止となった。  もしもこれが実現していれば、本土から通学する学生や、新幹線から直接乗り換えてくる教員・要人などで、双葉学園鉄道は通勤通学路線として栄えていたはずである。  地下には用無しとなった未成線の遺構が、もうかれこれ二十年以上眠り続けているとのだと、学園の鉄道同好会は興奮しながら解説する。  小松ゆうな(こまつゆうな)は、退屈そうな表情で今日も駅事務室の椅子に座る。退屈なあまり、自分のノートパソコンを無線LANに接続し、時間を潰していた。 「ほんと、いつも暇でしょうがない駅だねえ。客を一人も見ない駅って、あっていいもんかなあ?」  そう、小松は悪態をついた。もう、誘導チャイムのピンポンという音も聞きたくない。長時間被っている制帽が鬱陶しかったので、デスクに放り投げる。湿った額に、エアコンの強風があたって気持ちよかった。デスクの制帽は真新しくて、双葉学園鉄道の社紋が光沢を放っていた。  双葉学園駅。  学園直下にある地下駅である。  薄暗い地下のコンコースには、誰もいない。「学園」と駅名にあるのに、学生らしき人影はまったくない。  それもそのはずだ。この鉄道は旅客営業をしていないのだ。  駅なのに、券売機も無ければ改札機も無い。広大なスペースの一角に、ぽつんと小松のいる改札口があるのみであった。  もともとはJRと直結し、電車通学の生徒で賑わうはずの駅だった。  ところが、周知のように双葉学園は存在そのものが秘密とされ、そのような計画は中止となってしまったのだ。  双葉学園鉄道には二つの駅があり、一つが小松の配置されている「双葉学園」駅、もう一つが住宅街に位置する「学園都市」駅である。  学園都市駅から先は長い海底トンネルとなり、やがてJR京葉線とこっそり合流する。何事もなかったかのように地上に出て、JR潮見駅に着く。  120キロ運転が可能な規格の高さ。ラッシュ時には一時間に十本以上の運転が可能な配線。センスあふれる美しい設計のコンコース。最大十両編成が進入可能な島式ホーム。  立派な通勤路線となるはずであった双葉学園鉄道は、今日もこうして己の役割を果たすことなく、ひっそりと営業している。 「電車乗るお客さんがいなくちゃ、しょうがないでしょうがあ。こんな鉄道、運営する意味あるんですかあ?」 「あるに決まってるだろう。貨物列車のあるおかげで、この島に物資を大量に運べるのだから」  そう、駅の責任者である六谷純子(ろくたにじゅんこ)は言った。入社十年目。大手私鉄の駅に出向した経験もある、ベテランの女性駅員だ。「そのために、私たちはこの駅に配置されている」 「そうは言っても、こうして誰ともお話をすることなく一日が終わるのは、気が狂っちゃいそうですよう」 「ふふ。それでたんまりお給料とボーナスがもらえるんだ。美味しい仕事じゃないか」  小松は優雅にそう言った六谷を、うっとりと見上げた。二十九歳と、自分より十歳年上の六谷にこの新米駅員は憧れていた。  まつげの長い釣り目、ふわふわと腰まである茶髪(本当はそういうルーズな容姿をして仕事をするのはいけないことである)。  かわいいけどどこか堅苦しくて、窮屈な制服から突き出ている、形のいいバスト。  高等部を出たばかりの小松は、こういう堂々とした女性になりたいと常日頃思っている。 「ま、お前も鉄道員ならそうやって遊んでないで、事務室掃除のひとつでもしたらどうだ? 民間じゃ、こんなにもぬるくはないぞー?」 「はあい。わかりましたあ」  そそくさと、自分のパソコンを小松は片付けた。制帽もちゃんと被った。 「改札は私が立っているからな。貨物列車までまだ時間があるし、雑務でもしながらここにいるよ」  と、六谷は自分の制帽を被って言う。制帽に巻かれた輝かしい銀線は、指導者としての職掌。  いつか、自分も六谷さんぐらい立派な立場になりたいな。改札の椅子から立ちながら、小松は憧れの眼差しを彼女に向けた。 「地下駅はホコリが絶えず吹き荒れて、溜まりやすい。食事をしたり、寝泊りしたりするわけだから、安全衛生を保つのも大事な仕事だ。黒ずんでいるところとか、よく拭いといてくれ」 「了解しましたあ」  双葉学園鉄道は前述の理由で本来の役割をなくしてしまったが、存続されることとなった。  それは、島への物資輸送に、鉄道の存在が重要であるからだ。  島は大きな橋で本土と繋がっており、トラック輸送でこまごまとした物資は運ばれている。  しかし、大きな物を大量に運ぶときや、重すぎる物(例えば変圧器といったもの)を運ぶときには、鉄道貨物輸送のほうが良い。  JR京葉線は既存の貨物路線ネットワークと密接に繋がっており、そこにも大きなメリットはあった。学園と日本全国は、線路一本で繋がっていると言っても過言ではない。  モップで休憩室の床を拭きながら、小松は壁にかけられている「双葉学園駅構内配線図」を見た。ここは終点であるが、島式ホームがあって機回し線が設定されている。要は、機関車が貨車を引いて終点までやってきても、用意に方向転換して戻っていける構造だということだ。  また、地下の電車留置線もあり、そこへ進路を切り替えて列車を誘導するのも、この駅の管轄だ。もしも旅客営業を始めていれば、通勤電車をこの車庫に留めておく計画であったのだが、今は非番の電気機関車が昼寝をするのに使われている。  と、このような役目が駅にあるため、信号を扱えて指導もできる六谷が配置されているのだ。  そしてもう一人、ペーペーの枠として小松が配置されている。本日は六谷と小松で、この駅は営業されていた。  一通り清掃を終えると、小松は財布を持って夕飯の買い物に出る。昼食は六谷、夕食は小松の担当だ。  駅入口のシャッターを半分開けると、目の前にはつい最近まで通っていた学園の校門があった。計画的に町は整備されているのだ。  小松はウサギのように巣穴からぴょこっと出てくると、きちんとシャッターを閉める。  薄汚れた白いシャッターには「双葉区水道局汚水タンク」と黒い丸文字で書かれていた。なるほど上手いカモフラージュだ。  近くのスーパーで夕飯の材料を買う。夕方のセールと火曜特売が重なり、異能者の主婦たちは殺気立っていた。  五月になっていた。初夏の陽射しは暖かいが、夕方になるとまだまだ肌寒い。薄いベージュの上着を小松は着ている。はたから見たら、誰にも駅員だということはわからない。  ドリンクコーナーでジュースを選んでいる生徒たちがいた。この前までは、自分も学生としてこんな無邪気な笑顔をしていたに違いない。 (はあ。学園にもどりたいなあ)  小松はため息をついた。楽しそうに遊んでいる彼らに対して、この島には、こっそりとみんなの生活を支えている駅員さんがいるんだということを、声高に主張したかった。それができないことが非常に辛かった。  米を研ぎ終わって炊飯器に入れ、おかずの調理にとりかかろうとしたときだった。 『運転司令! 聞こえるか!』 『はいこちら運転司令! 防護発砲操作中の第903列車、どうしましたか?』  小松は手を拭きながら事務室に入った。無線に耳を傾けていた六谷はこう言う。 「こんな平和な鉄道で防護発砲か。何か線路にトラブルでもあったのか?」  ボールペンを片手に、厳しい目つきを無線機器に向けている六谷を、小松は心配そうに見ていた。 『異音感知! 何か大きな物体と衝突して・・・・・・うわあ、く、ラルヴァ、ラルヴァだ』 『ラルヴァ? 場所は?』 『ええと、双葉学園駅! 双葉学園駅・場内信号機の手前!』 「ウチのすぐ近くじゃないか! 行くぞ、小松!」 「ハイ!」 「お前は戸締りをして後から来い! 私が先に現場へと向かう!」  六谷は制帽を目深に被り、事務室を飛び出した。  六谷が線路を全力で走っていくと、やがて緊急停車をしている機関車のヘッドライトが見えてきた。しかし、まばゆいヘッドライトは、トンネルの壁にはいつくばっていた異形をまざまざと映し出していた。 「うっ・・・・・・」  たまらず六谷は息を呑んでいた。  ゴキブリだ。  それも、体長およそ2m。  こんなひどい光景があってもいいのか? こんなひどい悪夢があっていいものか? 六谷の額に汗がにじむ。ゴキブリは、彼女が世界で一番嫌いなものだ。怒りがこみあげてくる。  老年の機関士が一人、ゴキブリと戦っていた。きえええいと吼え、筋力強化で太くなった腕を振り回す。  しかしゴキブリはびくともせず、綱引きに使うあの太い綱のような触手で、機関士を払いのけた。彼は、六谷の立ち尽くす足元まで吹っ飛ばされてきた。 「大丈夫か!」 「ぐぐう・・・・・・流石に老いたなあ・・・・・・。あと一年で定年だというのに、無念だ・・・・・・」 「物理攻撃が効かないのか。これはまずいな」 「倒せ! こいつは何としてでも絶対に倒せ! さもないと地下トンネルに万単位で繁殖し、機関車も、貨車も、駅舎も何もかもを喰らい尽くすぞ!」  六谷は、それを聞いて一瞬くらりと後ろに倒れかけた。 「それだけじゃない! このトンネルはJRに繋がっている。このままでは表社会にラルヴァの存在が知られることになる! ここで異能者が止められなかったら、事態は社会的に深刻なものとなるぞ・・・・・・!」 「サイテーだ! 私も現場に出て十年目だが、こんなにサイテーな仕事は始めてだ!」  怒鳴りながら、六谷は手に力を込める。彼女の体が発熱し、長い茶髪がゆらゆら揺れだした。 「フン。ちょっと臭いが、我慢しなよ。じいさん」  両腕を前に突き出し、手のひらを標的に向けた。スパークがばちばちと収束し、ボーリングの弾を思わせる大きな弾が具現する。 「『Cannonball』! 絶対に生きて帰さない! FIRE!」  ドンと、大砲は火を吹いた。六谷の制帽が後ろに飛ばされた。弾丸は、巨大なゴキブリの横っ腹目掛けて突き進み・・・・・・。  大爆発を見せた。  ところが、恐ろしいことに頑丈なゴキブリはその形をとどめていた。触手や羽に、ぱちぱちと火の手が上がっているのみであった。  機関士がぎりっと、歯を軋ませてこう言う。「ば・・・・・・化物め!」 「いいや、勝負あった。フン、またつまらないものをぶっ飛ばしてしまった」  その瞬間、ゴキブリが火の海に包まれたのだ。まず透明な羽が燃えて落ちた。ゴキブリはきりきり絶叫すると、苦痛のあまり、ガサガサ走り回った。  火の玉となったゴキブリはそのままトンネルの向こうへと暴走し・・・・・・ぱたりと動きを止め・・・・・・絶命した。 「やった・・・・・・。あの化物を倒しちまったぜ・・・・・・うっ臭え・・・・・・」 「だから言っただろ? ゴキブリは体が油でいっぱいだから、燃やすとよく燃えるんだ。どうだ、形容しがたい嫌な匂いだろ?」 「うぇっぷ・・・・・・こりゃきついわ」 「事務室で見かけたときとか、容赦なくライターで燃やしてやった。フン、ゴキブリなんて、みんな地下からいなくなってしまえばいいのに!」  そう、六谷は燃えカスを遠くに眺めながら吐き捨てた。 「うわあ、ちょっとマズいぞこりゃ。機関車が脱線している」  運転を再開させるために、安全の点検をしていた機関士がそう言った。「司令に一報入れないと」と、運転室に入っていった。 「いや、その心配はない。・・・・・・おーい、小松ー!」 「・・・・・・はあい。あれえ? 戦闘終わっちゃったんですかあ」  ぽてぽてと走ってやってきた小さな女の子の駅員は、のんきな声でそう言った。手には六谷の制帽を持っており、それを受け取ってから六谷はこう指示をする。 「お前には仕事があるぞ。この機関車を線路に乗せてほしい」  機関士がそれを聞いてたまらずびっくりし、「おい、いくら異能者といってもそりゃちょっと無理だろ。いったい何トンあると思って」とまで言って、止められる。機関車が大きく後ろに傾いたため、しりもちをついたのだ。 「よいしょー。・・・・・・六谷さん、どうですかあー?」 「もうちょい左。あとちょっと左。よし、下ろしていいぞ」 「はあい」  ズドンと、EF210型電気機関車・双葉学園鉄道所属機が、線路に復帰する。小松は機関車を前方から持ち上げて傾け、台車をきちんと線路に乗せたのだ。  そんな小松を、六谷が後ろからすっぱたく。「もうちょっと優しく扱えバカ! JRの機関車だったら、壊したらただじゃすまないんだぞ!」 「うへえ、ごめんなさあい」  小松の特殊能力『怪力』は、実に鉄道員に向いている能力であった。  機関士は運転室で、一人腰を抜かしていた。  物資輸送の貨物列車は駅で荷扱いを終えると、大幅な遅延を伴って帰っていった。  乗り入れ先のJRには、機関車の故障という理由を一方的に突きつけ、事件をもみ消した。一般社会にラルヴァの存在を知られてはならない。  この日最後の貨物列車を見送った後、駅業務は終了する。夜二十五時。六谷は休憩室の机で業務日誌を書いていた。  六谷は日誌に「ゴキブリ型ラルヴァが出たから燃やしてやった。列車が脱線したが、討伐後、何事もなかったようにすぐ復帰させた。機関車・貨車・物資に異常なし。排煙口が住宅街にあるため、原因不明の異臭騒ぎに発展したようだ」と記入する。「ゴキブリ絶対に許さないよ。事務室内で見つけ次第、即滅殺するように」  明日出てくる反対番の人間のために、こうして引継ぎ事項を書いておくのだ。  業務日誌を閉じたとき、風呂上りの小松がタオルで髪を拭きながらやってきた。ぼーっと呆けた顔をして、とことこと歩いてくる。まだまだ子供みたいなやつだな、と六谷は微笑む。 「こ、これから成長しますもん!」と、小松が自分の胸をぐんと突き出した。  そんなこと言ってるんじゃないよ、バカ。と、六谷はタバコに火をつけながら大笑いした。 &br() &br() #right(){&bold(){&sizex(4){&link_up(最初に戻る)}}} ---- |>|>|BGCOLOR(#E0EEE0):CENTER:&bold(){【駅員小松ゆうなの業務日誌】}| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){作品}|>|駅員小松ゆうなの業務日誌 [[2日目>【駅員小松ゆうなの業務日誌 2日目】]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){登場人物}|>|[[小松ゆうな>小松 ゆうな]] [[六谷純子>六谷 純子]]∥[[藤神門御鈴]] [[水分理緒]] [[加賀杜紫穏>加賀杜 紫穏]] [[早瀬速人]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){登場ラルヴァ}|>|ゴキブリ| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){関連項目}|>|[[双葉学園鉄道]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){LINK}|>|[[トップページ]] [[作品保管庫]] [[登場キャラクター]] [[NPCキャラクター]] [[今まで確認されたラルヴァ]]|
 双葉学園鉄道をご存知だろうか? 恐らく学生のほぼ全てがその存在を知らないだろう。  数十年前、東京湾の埋立地に学園都市が建造される計画が持ち上がった頃。  一般の鉄道網と、学園を直結する鉄道を新設することが決定されていた。  さっそく埋立地直下に地下駅が建造され、島から掘り進めていた海底トンネルは、JR京葉線の地下トンネルにまで到達する。JR京葉線と接続し、東京駅と学園を直結する構想があったのだ。  しかし、学園都市や学園の存在を秘匿とすることが後から決まり、事実上、本土から直通する鉄道の計画は中止となった。  もしもこれが実現していれば、本土から通学する学生や、新幹線から直接乗り換えてくる教員・要人などで、双葉学園鉄道は通勤通学路線として栄えていたはずである。  地下には用無しとなった未成線の遺構が、もうかれこれ二十年以上眠り続けているとのだと、学園の鉄道同好会は興奮しながら解説する。  小松ゆうな(こまつゆうな)は、退屈そうな表情で今日も駅事務室の椅子に座る。退屈なあまり、自分のノートパソコンを無線LANに接続し、時間を潰していた。 「ほんと、いつも暇でしょうがない駅だねえ。客を一人も見ない駅って、あっていいもんかなあ?」  そう、小松は悪態をついた。もう、誘導チャイムのピンポンという音も聞きたくない。長時間被っている制帽が鬱陶しかったので、デスクに放り投げる。湿った額に、エアコンの強風があたって気持ちよかった。デスクの制帽は真新しくて、双葉学園鉄道の社紋が光沢を放っていた。  双葉学園駅。  学園直下にある地下駅である。  薄暗い地下のコンコースには、誰もいない。「学園」と駅名にあるのに、学生らしき人影はまったくない。  それもそのはずだ。この鉄道は旅客営業をしていないのだ。  駅なのに、券売機も無ければ改札機も無い。広大なスペースの一角に、ぽつんと小松のいる改札口があるのみであった。  もともとはJRと直結し、電車通学の生徒で賑わうはずの駅だった。  ところが、周知のように双葉学園は存在そのものが秘密とされ、そのような計画は中止となってしまったのだ。  双葉学園鉄道には二つの駅があり、一つが小松の配置されている「双葉学園」駅、もう一つが住宅街に位置する「学園都市」駅である。  学園都市駅から先は長い海底トンネルとなり、やがてJR京葉線とこっそり合流する。何事もなかったかのように地上に出て、JR潮見駅に着く。  120キロ運転が可能な規格の高さ。ラッシュ時には一時間に十本以上の運転が可能な配線。センスあふれる美しい設計のコンコース。最大十両編成が進入可能な島式ホーム。  立派な通勤路線となるはずであった双葉学園鉄道は、今日もこうして己の役割を果たすことなく、ひっそりと営業している。 「電車乗るお客さんがいなくちゃ、しょうがないでしょうがあ。こんな鉄道、運営する意味あるんですかあ?」 「あるに決まってるだろう。貨物列車のあるおかげで、この島に物資を大量に運べるのだから」  そう、駅の責任者である六谷純子(ろくたにじゅんこ)は言った。入社十年目。大手私鉄の駅に出向した経験もある、ベテランの女性駅員だ。「そのために、私たちはこの駅に配置されている」 「そうは言っても、こうして誰ともお話をすることなく一日が終わるのは、気が狂っちゃいそうですよう」 「ふふ。それでたんまりお給料とボーナスがもらえるんだ。美味しい仕事じゃないか」  小松は優雅にそう言った六谷を、うっとりと見上げた。二十九歳と、自分より十歳年上の六谷にこの新米駅員は憧れていた。  まつげの長い釣り目、ふわふわと腰まである茶髪(本当はそういうルーズな容姿をして仕事をするのはいけないことである)。  かわいいけどどこか堅苦しくて、窮屈な制服から突き出ている、形のいいバスト。  高等部を出たばかりの小松は、こういう堂々とした女性になりたいと常日頃思っている。 「ま、お前も鉄道員ならそうやって遊んでないで、事務室掃除のひとつでもしたらどうだ? 民間じゃ、こんなにもぬるくはないぞー?」 「はあい。わかりましたあ」  そそくさと、自分のパソコンを小松は片付けた。制帽もちゃんと被った。 「改札は私が立っているからな。貨物列車までまだ時間があるし、雑務でもしながらここにいるよ」  と、六谷は自分の制帽を被って言う。制帽に巻かれた輝かしい銀線は、指導者としての職掌。  いつか、自分も六谷さんぐらい立派な立場になりたいな。改札の椅子から立ちながら、小松は憧れの眼差しを彼女に向けた。 「地下駅はホコリが絶えず吹き荒れて、溜まりやすい。食事をしたり、寝泊りしたりするわけだから、安全衛生を保つのも大事な仕事だ。黒ずんでいるところとか、よく拭いといてくれ」 「了解しましたあ」  双葉学園鉄道は前述の理由で本来の役割をなくしてしまったが、存続されることとなった。  それは、島への物資輸送に、鉄道の存在が重要であるからだ。  島は大きな橋で本土と繋がっており、トラック輸送でこまごまとした物資は運ばれている。  しかし、大きな物を大量に運ぶときや、重すぎる物(例えば変圧器といったもの)を運ぶときには、鉄道貨物輸送のほうが良い。  JR京葉線は既存の貨物路線ネットワークと密接に繋がっており、そこにも大きなメリットはあった。学園と日本全国は、線路一本で繋がっていると言っても過言ではない。  モップで休憩室の床を拭きながら、小松は壁にかけられている「双葉学園駅構内配線図」を見た。ここは終点であるが、島式ホームがあって機回し線が設定されている。要は、機関車が貨車を引いて終点までやってきても、用意に方向転換して戻っていける構造だということだ。  また、地下の電車留置線もあり、そこへ進路を切り替えて列車を誘導するのも、この駅の管轄だ。もしも旅客営業を始めていれば、通勤電車をこの車庫に留めておく計画であったのだが、今は非番の電気機関車が昼寝をするのに使われている。  と、このような役目が駅にあるため、信号を扱えて指導もできる六谷が配置されているのだ。  そしてもう一人、ペーペーの枠として小松が配置されている。本日は六谷と小松で、この駅は営業されていた。  一通り清掃を終えると、小松は財布を持って夕飯の買い物に出る。昼食は六谷、夕食は小松の担当だ。  駅入口のシャッターを半分開けると、目の前にはつい最近まで通っていた学園の校門があった。計画的に町は整備されているのだ。  小松はウサギのように巣穴からぴょこっと出てくると、きちんとシャッターを閉める。  薄汚れた白いシャッターには「双葉区水道局汚水タンク」と黒い丸文字で書かれていた。なるほど上手いカモフラージュだ。  近くのスーパーで夕飯の材料を買う。夕方のセールと火曜特売が重なり、異能者の主婦たちは殺気立っていた。  五月になっていた。初夏の陽射しは暖かいが、夕方になるとまだまだ肌寒い。薄いベージュの上着を小松は着ている。はたから見たら、誰にも駅員だということはわからない。  ドリンクコーナーでジュースを選んでいる生徒たちがいた。この前までは、自分も学生としてこんな無邪気な笑顔をしていたに違いない。 (はあ。学園にもどりたいなあ)  小松はため息をついた。楽しそうに遊んでいる彼らに対して、この島には、こっそりとみんなの生活を支えている駅員さんがいるんだということを、声高に主張したかった。それができないことが非常に辛かった。  米を研ぎ終わって炊飯器に入れ、おかずの調理にとりかかろうとしたときだった。 『運転司令! 聞こえるか!』 『はいこちら運転司令! 防護発砲操作中の第903列車、どうしましたか?』  小松は手を拭きながら事務室に入った。無線に耳を傾けていた六谷はこう言う。 「こんな平和な鉄道で防護発砲か。何か線路にトラブルでもあったのか?」  ボールペンを片手に、厳しい目つきを無線機器に向けている六谷を、小松は心配そうに見ていた。 『異音感知! 何か大きな物体と衝突して・・・・・・うわあ、く、ラルヴァ、ラルヴァだ』 『ラルヴァ? 場所は?』 『ええと、双葉学園駅! 双葉学園駅・場内信号機の手前!』 「ウチのすぐ近くじゃないか! 行くぞ、小松!」 「ハイ!」 「お前は戸締りをして後から来い! 私が先に現場へと向かう!」  六谷は制帽を目深に被り、事務室を飛び出した。  六谷が線路を全力で走っていくと、やがて緊急停車をしている機関車のヘッドライトが見えてきた。しかし、まばゆいヘッドライトは、トンネルの壁にはいつくばっていた異形をまざまざと映し出していた。 「うっ・・・・・・」  たまらず六谷は息を呑んでいた。  ゴキブリだ。  それも、体長およそ2m。  こんなひどい光景があってもいいのか? こんなひどい悪夢があっていいものか? 六谷の額に汗がにじむ。ゴキブリは、彼女が世界で一番嫌いなものだ。怒りがこみあげてくる。  老年の機関士が一人、ゴキブリと戦っていた。きえええいと吼え、筋力強化で太くなった腕を振り回す。  しかしゴキブリはびくともせず、綱引きに使うあの太い綱のような触手で、機関士を払いのけた。彼は、六谷の立ち尽くす足元まで吹っ飛ばされてきた。 「大丈夫か!」 「ぐぐう・・・・・・流石に老いたなあ・・・・・・。あと一年で定年だというのに、無念だ・・・・・・」 「物理攻撃が効かないのか。これはまずいな」 「倒せ! こいつは何としてでも絶対に倒せ! さもないと地下トンネルに万単位で繁殖し、機関車も、貨車も、駅舎も何もかもを喰らい尽くすぞ!」  六谷は、それを聞いて一瞬くらりと後ろに倒れかけた。 「それだけじゃない! このトンネルはJRに繋がっている。このままでは表社会にラルヴァの存在が知られることになる! ここで異能者が止められなかったら、事態は社会的に深刻なものとなるぞ・・・・・・!」 「サイテーだ! 私も現場に出て十年目だが、こんなにサイテーな仕事は始めてだ!」  怒鳴りながら、六谷は手に力を込める。彼女の体が発熱し、長い茶髪がゆらゆら揺れだした。 「フン。ちょっと臭いが、我慢しなよ。じいさん」  両腕を前に突き出し、手のひらを標的に向けた。スパークがばちばちと収束し、ボーリングの弾を思わせる大きな弾が具現する。 「『Cannonball』! 絶対に生きて帰さない! FIRE!」  ドンと、大砲は火を吹いた。六谷の制帽が後ろに飛ばされた。弾丸は、巨大なゴキブリの横っ腹目掛けて突き進み・・・・・・。  大爆発を見せた。  ところが、恐ろしいことに頑丈なゴキブリはその形をとどめていた。触手や羽に、ぱちぱちと火の手が上がっているのみであった。  機関士がぎりっと、歯を軋ませてこう言う。「ば・・・・・・化物め!」 「いいや、勝負あった。フン、またつまらないものをぶっ飛ばしてしまった」  その瞬間、ゴキブリが火の海に包まれたのだ。まず透明な羽が燃えて落ちた。ゴキブリはきりきり絶叫すると、苦痛のあまり、ガサガサ走り回った。  火の玉となったゴキブリはそのままトンネルの向こうへと暴走し・・・・・・ぱたりと動きを止め・・・・・・絶命した。 「やった・・・・・・。あの化物を倒しちまったぜ・・・・・・うっ臭え・・・・・・」 「だから言っただろ? ゴキブリは体が油でいっぱいだから、燃やすとよく燃えるんだ。どうだ、形容しがたい嫌な匂いだろ?」 「うぇっぷ・・・・・・こりゃきついわ」 「事務室で見かけたときとか、容赦なくライターで燃やしてやった。フン、ゴキブリなんて、みんな地下からいなくなってしまえばいいのに!」  そう、六谷は燃えカスを遠くに眺めながら吐き捨てた。 「うわあ、ちょっとマズいぞこりゃ。機関車が脱線している」  運転を再開させるために、安全の点検をしていた機関士がそう言った。「司令に一報入れないと」と、運転室に入っていった。 「いや、その心配はない。・・・・・・おーい、小松ー!」 「・・・・・・はあい。あれえ? 戦闘終わっちゃったんですかあ」  ぽてぽてと走ってやってきた小さな女の子の駅員は、のんきな声でそう言った。手には六谷の制帽を持っており、それを受け取ってから六谷はこう指示をする。 「お前には仕事があるぞ。この機関車を線路に乗せてほしい」  機関士がそれを聞いてたまらずびっくりし、「おい、いくら異能者といってもそりゃちょっと無理だろ。いったい何トンあると思って」とまで言って、止められる。機関車が大きく後ろに傾いたため、しりもちをついたのだ。 「よいしょー。・・・・・・六谷さん、どうですかあー?」 「もうちょい左。あとちょっと左。よし、下ろしていいぞ」 「はあい」  ズドンと、EF210型電気機関車・双葉学園鉄道所属機が、線路に復帰する。小松は機関車を前方から持ち上げて傾け、台車をきちんと線路に乗せたのだ。  そんな小松を、六谷が後ろからすっぱたく。「もうちょっと優しく扱えバカ! JRの機関車だったら、壊したらただじゃすまないんだぞ!」 「うへえ、ごめんなさあい」  小松の特殊能力『怪力』は、実に鉄道員に向いている能力であった。  機関士は運転室で、一人腰を抜かしていた。  物資輸送の貨物列車は駅で荷扱いを終えると、大幅な遅延を伴って帰っていった。  乗り入れ先のJRには、機関車の故障という理由を一方的に突きつけ、事件をもみ消した。一般社会にラルヴァの存在を知られてはならない。  この日最後の貨物列車を見送った後、駅業務は終了する。夜二十五時。六谷は休憩室の机で業務日誌を書いていた。  六谷は日誌に「ゴキブリ型ラルヴァが出たから燃やしてやった。列車が脱線したが、討伐後、何事もなかったようにすぐ復帰させた。機関車・貨車・物資に異常なし。排煙口が住宅街にあるため、原因不明の異臭騒ぎに発展したようだ」と記入する。「ゴキブリ絶対に許さないよ。事務室内で見つけ次第、即滅殺するように」  明日出てくる反対番の人間のために、こうして引継ぎ事項を書いておくのだ。  業務日誌を閉じたとき、風呂上りの小松がタオルで髪を拭きながらやってきた。ぼーっと呆けた顔をして、とことこと歩いてくる。まだまだ子供みたいなやつだな、と六谷は微笑む。 「こ、これから成長しますもん!」と、小松が自分の胸をぐんと突き出した。  そんなこと言ってるんじゃないよ、バカ。と、六谷はタバコに火をつけながら大笑いした。 &br() &br() #right(){&bold(){&sizex(4){&link_up(最初に戻る)}}} ---- |>|>|BGCOLOR(#E0EEE0):CENTER:&bold(){【駅員小松ゆうなの業務日誌】}| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){作品}|>|駅員小松ゆうなの業務日誌 [[2日目>【駅員小松ゆうなの業務日誌 2日目】]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){登場人物}|>|[[小松ゆうな>小松 ゆうな]] [[六谷純子>六谷 純子]]∥[[藤神門御鈴]] [[水分理緒]] [[加賀杜紫穏>加賀杜 紫穏]] [[早瀬速人]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){登場ラルヴァ}|>|ゴキブリ| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){関連項目}|>|[[双葉学園鉄道]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){LINK}|>|[[トップページ]] [[作品保管庫]] [[登場キャラクター]] [[NPCキャラクター]] [[今まで確認されたラルヴァ]]|

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