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「【キャンパス・ライフ1 その1】」(2009/08/14 (金) 05:18:26) の最新版変更点
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雅は浮かない顔で風呂場の戸を開けた。
小さな箱に収まるように、湯船にはすでに母親がいた。後ろに束ねた長い黒髪と、白いうなじが印象深かった。
「どうしたの、マサくん。早く入らないと風邪引いちゃいますよ?」
「うん、わかった」
彼女は、雅に元気がないわけをすぐに理解した。雅の視線の先には、赤いかさぶたのついた膝小僧があった。
「それ、学校で転んじゃったの?」
雅は母親の気遣いにとても嬉しくなる。「体育の時間、また転んじゃった」と言った。
「前にも同じところを怪我してましたね」
「せっかく治ったと思ったのに・・・・・・。血がめちゃくちゃ出て、痛かった」
だから、熱いお湯につかりたくないんだ。雅はそう言いたくてたまらなかったが、ぐっとこらえた。
もう9歳になる男の子なんだから、いつまでもお母さんに甘えていたらみっともない。
だから、泣き言もわがままも言いたくなかった。雅はこわばった表情で、手桶を使いお湯を汲もうとした。
その手が、母親の行動によって止められた。彼女は湯船から立ち上がった。
肢体を洗い流すように、お湯が白いお腹の上を流れていった。彼女の腰はとても細くて、腰より下はとても丸かった。
雅はたまらず目を逸らした。張りのあって大きなおっぱいを、白い肌からつんと際立つ桃色の乳首を、見るわけにはいかなかったから。
何せ、自分はもう9歳になる男の子なんだから。それはとても恥かしいことだった。
そうしているうちに母親はすのこの上に屈み、雅の怪我をじっと見つめている。
「こんなにすりむいちゃって・・・・・・。かわいそうに・・・・・・」
彼女は膝小僧に向けて手の平をかざした。膝に向けられるカイロのような暖かさを感じながら、雅は、ああ、いつものおまじないをしてくれるんだなと思った。
どんなに怪我をしても、学校で心を痛めても、お母さんはこうして僕を治してくれた。
「痛いの痛いの、とんでけー・・・・・・」
彼女がにっこりと微笑みを向けて手を離すと、僕の膝小僧は何事もなかったかのように、つるつるの綺麗な肌を見せていた。
爽やかな朝のメロディが、ぐっすり眠りについていた雅を起こす。
高速バスは段差を通るたび、軽い衝撃をシートごしに伝える。背中が少し痛かった。寝場所にしては少々無理のある、簡素なリクライニングシートであった。
車内の電灯が点き、同じように眠っていた乗客たちがもそもそと動き出す。背伸びをしたり、携帯を開いたり、シートを元の位置に戻したりしていた。
「おはようございます。間もなくバスは新宿駅南口に到着します。定刻どうりの到着です」と、運転手がアナウンスを入れる。
雅は閉ざされていたカーテンを開く。バスはちょうど高速を降りたところで、信号待ちのため停車をした。
時刻は5時ちょうど。薄暗い甲州街道で活動しているのは、徘徊する浮浪者とゴミをつつくカラスの群れぐらいである。
数分後、バスは新宿駅南口のバスターミナルに到着した。ターミナルスタッフからボストンバッグを受け取ったあと、近場のマクドナルドでソーセージエッグマフィンを食べた。
こうして朝食を取っていれば、約束の時間にちょうどいい頃合になるだろう。
そう、雅は苦いホットコーヒーを口に含んで思った。
遠藤雅は18歳の青年である。10年ほど暮らしていた名古屋から、大学進学のため上京をすることとなった。
もともと関東の山間部に住んでいたのだが、両親の離婚をきっかけとして名古屋に引っ越したのだ。名古屋には父親の親戚が大勢いる。
雅は出来の悪い生徒だった。特に学業の不振さは著しいものがあり、兄妹や父からはとても嫌われた。
「そうやって、おっとりとしていて物事の深刻さを考えないのは、あの女にそっくりだ! 不愉快だ!」
父親に殴り倒されながら、絶対にこんな家を離れてやると常々思ってきた。
大学受験は、そんな雅にとって絶好の機会であった。勉強嫌いな自分とは思えないほど、雅は教科書を読み、問題を繰り返し解いた。
しかし、雅はことごとく首都圏の大学に滑り、結局、地元の三流大学一校のみの合格通知を得る。
意気消沈して辛い春の余暇を送っていたとき、その知らせは届いた。自宅を飛び出すことに諦めが付いたときに、それは届いた。
「合格おめでとうございます。双葉学園」
彼はそのような大学を受けた心当たりがなかった。
雅は甲州街道をくぐり、新宿駅の東口を目指す。
カラスの鳴き声が頭上を駆け巡り、電車が鉄橋を渡る音が聞こえてきた。
雨を防げるところは浮浪者が縦に並ぶように寝転んでおり、そこだけが妙な静けさをたたえている。
「待ち合わせは、このあたりだよなあ・・・・・・?」
合格通知の封筒の中に入っていた、地図を見てそう言った。
雅は双葉学園などという聞いたこともない学校に入学することを、何のためらいもなく決めた。
双葉学園は東京の湾岸埋立地にあり、実家を逃げ出して関東に帰る口実になるからである。
もちろん父親や、優秀な兄貴と妹は反対した。そんなわけのわからない、いたずらのような知らせを鵜呑みにしていいはずがないだろう、と。
しかし、雅は頑なに聞く耳を持たなかった。学費は全て免除されること、住まいも特定の地域に縛られる以外は、ほぼ学園任せでいいということ。
とにかく色々と彼らを納得させることに尽力した。雅はこの学園に巡り会ったことに、何か縁のようなものを感じていた。
「そうかいそうかい。なら勝手にしやがれ。早くこの家を出て行け!」
父親がそう仰ったので、雅は涼しい顔で夜行バスに乗り込み、こうして上京してきた。
この謎の学園は、まず入学日前日に学園の人物が車で迎えにやって来るという。次に居住地となる場所へ移動し、適当な場所で下ろしてもらうそうだ。
雅の場合は新宿駅が待ち合わせの場所に指定されていた。やがて、軽いクラクションのしたほうを見ると、ピンク色のワゴン車が停車しているのを見た。
まだ日は出てもいないのに、フロントガラスにはサンシェードが立てかけられていた。
「長旅ご苦労さまです。眠たくはありませんか? シートを後ろに倒して、少し寝てもかまいませんよ?」
そう、運転手は物静かな声で言った。そうは言うものの、雅はすぐに眠ることはできない。心臓が強く鼓動する音を体の中に感じていた。
ワゴン車はどうしてか、カーテンで閉めきられていた。前の座席ともカーテンで仕切られ、運転手の様子もわからない。
車は再び高速に乗ったようで、ETCを通過する音が聞こえてきた。カーテンを開けて車窓を眺めてみようとしたが、
「いけません! 絶対にカーテンは開けないでください!」
と、先ほどとは全然違う大音声で怒鳴られてしまう。異様な雰囲気の余り、雅はしばらく眠ることが出来なかった。
「少し走れば、すぐ学園の敷地に着きますから。それまでほんの辛抱なんです。ね?」
そう、運転手は迷惑そうにたしなめた。
何やら自分は、日常からどんどん離れていっている気がしてならなかった。
日常とは切り離されたどこか別の世界へ、招かれているような気がしてならなかった。
そんな不安を胸に抱いたまま、雅はうとうとと眠気に包まれる。
夜行バスはどうも、ぐっすり眠れる環境ではないようだ・・・・・・。
「どうもお疲れ様でした。扉が開きますので、出てください。そしてようこそ、双葉学園の敷地へ」
浅い眠りについていた雅は、ボストンバッグを片手にふらふらと降りた。
そこは何の変哲のない住宅地であった。
一軒屋よりも、アパートが多い。それは木造アパートのような古いものではなく、きれいな建物であった。
少し遠くを見渡せば茶色い高層マンションがあり、後ろを振りむくと、見慣れたおなじみのコンビニまである。
どこか遠くの国へ拉致されるかもしれないと恐れていただけに、それは拍子抜けすらさせられる光景であった。
「この埋立地は広くてですね、もう少し先に進んだところに、これから遠藤さんが通われる学園の校舎があります」
雅は真っ直ぐ続く道の先を見つめる。学園らしきものは見当たらず、ずっと住宅が並んでいる。時刻は6時15分。誰もいなかった。
相当、広大な埋立地のようであった。
「まあ、じきに慣れますよ。ここは商業施設やその他の施設はあらかたそろっております。生活に不自由するものは何一つありません」
と、相変らず運転席に引きこもったまま、顔を見せない運転手は言う。
「遠藤さんのアパートは、そこの角を右に曲がったところにあります。すぐにわかりますよ。とりあえずは部屋に入って、荷物を降ろし、明日の入学式に備えてください」
「はい、わかりました」
まずは部屋に行く必要がある。雅は言われたように道を歩き始めた。
二車線の道路は、先の方が白い朝もやで隠れている。かなり真っ直ぐ続いているようだ。
後ろを振り返る。今なお停車し続けている、ピンクのワゴン車が目に入る。
コンビニの向こうに、さらに道は続いていた。
「すごく長い道だなあ・・・・・・」
そう思って前を向いたとたん、雅は先のほうに何か小さな点が動いているのを見つけた。
猫だった。
黒い猫が、悠々と道路を横断しているのだ。
雅はそれを見て安堵を覚えた。なんだ、ここにはちゃんと可愛い住人がいるじゃないか。人気のないあまり、彼はやや孤独を感じていた。
黒猫の、緑色の瞳と目が合った――、
その時だった。
右後ろから巨大な物体がものすごい勢いで押し寄せてきて、隣を追い越していった。
風圧が雅の短い髪を浮かしたと思ったら、ピンク色のワゴン車が真っ直ぐ矢のように爆走していくのを認める。
ドン。
軽めの鈍い音が閑静な住宅地に響く。
さっき新宿から乗ってきたワゴン車が、爆音を上げてはるか彼方、遠くに去っていった。
突然のことに雅は唖然としていた。何が起こった? 今の音はなんだ? 猫はどうなった? あのままだと轢かれていたはずだ?
やがて顔面から血の気が引き、ボストンバッグをその場に落とす。雅は前方の歩道に横たわる、黒猫の体を目指した。
「ちょっと、おい! 何やってんだよ! なんてひどい事を!」
雅は、もうどこにもいないピンクのワゴン車に向かって怒鳴った。
あの加速には、猫を轢き殺す悪意があった。あの運転手は故意に猫を轢いたのだ。
「ひどい・・・・・・ひどすぎる・・・・・・!」。膝を着いて、がっくり両手を着くと、雅は猫の体に涙を零した。「命をむやみに奪いやがって!」
黒猫は目をかっと見開き、白目をむいている。腹からは肉片のこびりついた腸が飛び出ていた。
猫は辛うじて生きていた。ぴくぴく痙攣し、声にならない乾いた悲鳴を、開けっ放しにしている口から懸命に出していた。黒猫はいつ死んでもおかしくはなかった。
湧き出る涙がお湯のように熱かった。雅は、自分の心臓が高鳴っていくのを感じる。同時に、自分の手のひらが、熱く火照っていることに気がつく。ほとんど無自覚のままに、猫の背中を撫でていた。
この黒猫がいったい、どんな悪さをしたとでも言うのか。どんな罰が当たって、こんな悲惨な最期を遂げなければならなかったのか。
「可哀相だよ・・・・・・」と、雅は猫を拾い上げ、その胸に抱きしめた。黄色のパーカーに、血液や肉片が付着した。
そして、自分のありったけの温もりを黒猫に分け与えるようにして、雅は念じた。
どうか、この苦痛をなかったことにしてほしい。
どうか、この最期をなかったことにしてほしい。
この猫が今も感じていることだろう、痛みや苦しみを汲み取りながら、雅は黒猫を抱きしめて強く念じた。
住宅街は相変らず誰の姿も見えない。電線の上ですずめが鳴き、東から昇ってきたまばゆい朝日に喜んでいた。
にゃんと、雅の胸の中から声が聞こえてきた。
彼は驚いて、瀕死の猫を見る。
黒猫はしっかりと、雅の目を見つめていた。きらきら瞳を輝かせ、また、にゃーんと鳴いた。
「あれ・・・・・・? お前、怪我してたはずじゃ・・・・・・?」
雅は猫を抱き上げ、腹の部分を確認した。どこも裂けてはいないし、内蔵も飛び出ていない。
自分のパーカーも、汚れていない。
「おかしいなあ・・・・・・?」
この黒猫は確かにピンクのワゴン車に轢かれて重傷を負い、血を流したはずだった。
でも、この子は何一つ怪我をしていない。
僕の気のせいだったのか?
そう思ったところで、黒猫が雅の頬を舐めた。その舌があまりにもくすぐったくて、つい雅は笑顔になった。
「まあ、何事もなければそれでいっか」と、雅はボストンバッグを取りに戻った。
バッグを肩にかついで歩き出すと、猫も着いてきた。少しも彼から離れようとしない。
まず、アパートについたらやること。それは、こいつの名前を考えてやることかな。
雅は、自分に向けられている黒猫の視線に微笑みながら、そう思った。
その視線が、命を救ってくれたことに対する感謝の視線だということを、雅はまだ知らない。
やや離れた茶色い高層マンションの屋上で、二人の人物が遠くの雅を見つめていた。
「やはり、あの能力は本物のようです。母親からちゃんと継承されたようですね」&footnote(この作品を投稿した日付が6/19であるため、ラルヴァ・醒徒会の設定が反映されていません)
「ええ。とりあえず、入学試験は合格ってところかしら?」
「素直に『小手調べ』と言っておけばいいものを・・・・・・くっくっく」
くるくるとシャープペンを回しながら、敬語の男性は笑った。そしてこう言う。
「『治癒』『修復』。この稀有な力に優れているあの血筋の末裔だけはあります。さすが、あの方の息子だ・・・・・・!」
「力には力で対抗すべし。我々は長年この方針に従い、何人もの有力な異能者を育ててきたわ。しかし、それも限界が見えてきた」
「近年の奴らは、強すぎる・・・・・・!」
「そうね。だから、これからは守りの能力に特化した人材が必須となる。ちょっとばかり、生徒会がそれに気づくのが、遅かったような気もするけど?」
その嫌味に対して、男はきまりの悪そうにこう応える。
「ええ、仰るとおりです。まだまだうちの学園には、そのような能力でもって活躍を見せる生徒はいません。まあ、優秀な彼が来てくれてよかったじゃないですか?」
「ほんと。瀕死の猫を、あっという間に蘇生させてしまうなんてね」
女性はため息をひとつついてからこう言った。
「さすが、雨宮愛(あめみや かな)先輩のご子息だけあるわ」
この作品は「ラノベ執筆スレのみんなでシェアードワールドしようぜ! 」の企画向けに書いたものです
このような取り組みは初めてとなりますので何か指摘をいただければ幸いです
前置きを長く書かないと気がすまないのは私の悪い癖です(H.S)
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