【立浪姉妹の伝説 第四話】

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  らのらのhttp://rano.jp/1080    立浪姉妹の伝説 -その栄光と末路-    第四話 大熊のラルヴァ   二十一時を回った、遅い時刻。  立浪みかは帰宅するなり、すぐに寝室のベッドに突っ伏した。前のめりに倒れるよう、彼女はばったりと倒れこんだ。 「はあー、いくらなんでも百体連続でロボットと戦うのは無理だってぇ!」  そう、わざとらしく大声で言ってみせる。  しかし、みかは本当に疲れていた。本当はそのように明るく振舞うことが困難なぐらい衰弱していた。彼女の思ったほど、声は出ていなかった。  そんなみかの枕元に、三女のみくがやってくる。ボロボロになった姉を前にして、涙が溜まっていた。みかはそれを見ると、傷だらけの顔で笑みを作ってみせた。 「なーに泣いてんだい。お姉ちゃんは全然平気だよ。こんなの全然、へっちゃらだよ」  そして、寝室に次女・立浪みきがやってくる。お気に入りのジャンパースカートには、数多くの切れ込みやこげついたような黒い穴、自分の血液などが付着していた。 「足腰がもうふらふらです・・・・・・。みくちゃ、ごめんね。私の代わりにごはん作ってもらっちゃって」 「そんなのどうだっていいのよ! もうやめなよ! 私には連中の意図がわからない! どうしてこんなにボロボロになるまで、研究に付き合うの?」  みくは、涙をたくさん絨毯に零しながら二人に怒鳴った。  みくは寂しくてしかたがなかった。楽しかった姉妹の日常が、どこからおかしくなってしまったのだろう? いったい誰が幸せな日常を奪ったのだろう? どうしてこんなことになってしまったのだろう?  本当は夕方にみんなでご飯を作って、おしゃべりでもしながら夕飯を食べて、みんなで一緒にお風呂に入って、みんなで一緒にゆっくり眠りに着きたいのに。みくは幸せな日常を奪った超科学の連中を、心から憎んだ。  みかとみきが超科学者たちの研究に力を貸すようになってから、遅い時間に帰宅する日が続いていた。連日遅くまでロボットと戦わされ、与田技研お得意の家芸である擬似ラルヴァともたくさん戦わされた。それも、パラメータが極端に振られた強敵との、むやみな戦闘を強いられた。身体検査では、裸から内蔵まで隅から隅までまるまる見られ、血液も大量に採られてきた。  姉妹の疲労は目に見えて蓄積されていった。みきの担任が彼女の衰弱ぶりを気にかけていたが、今、その担任は日本にいない。もう誰も、姉妹にやめるよう促す者はいなかった。この幼い三女だけを除いては。 「死んじゃったらどうすんのよお・・・・・・えっぐ、ひっく・・・・・・」 「私たちは死なないよ、みくちゃ。また今度、一緒にお料理しようね」  帰りが遅く、疲れで料理もできないほどであった。だから姉妹の食事は、九歳のみくがすべて一人で作っていた。みきから伝授された手料理の腕は、皮肉もこのような形で役に立っていた。 「どうしてって、まー、世界の平和のためかなあ」  みかが仰向けに転がってから、みくの質問にそう答えた。 「私も姉さんと一緒。この力でみんなを守っていきたいから、頑張ってるんだ」と、みきもそう言った。「私たちのこの強大な力は、ラルヴァと戦っていくみんなや、力を持たない普通の人々、社会、そして優しい暮らしを守っていくためにあると思うの。私はこの 島の人たちが好き。学園のみんなも大好き。そんな人たちを、一人も死なせたくない。かけがえのないもののためなら、私はいくらでも頑張れるよ」  自分の力を、人の役に立つために使うこと。  みくが、二人からしっかりと教えられてきたことだ。つまりは、そういうことをみきは言っているのだ。  それは幼い三女にとって、理解できるようで・・・・・・できなかった。  彼女はもっと、姉たちにかまって欲しかった。一緒に遊んでほしかった。優しくしてほしかった。 「でも・・・・・・でも」  泣きべその治まらないみくを、みかがベッドから起き上がって抱きしめた。 「お前は寂しんぼの甘えんぼだからなあ。いつも一人にしてごめんなあ」  そう、三女の頭を撫でて言った。 その温もりと匂いを確かめるように、可愛がる。 「あたしたちはちょっと他の奴らとは違って、妙に強すぎる部分があるんだ。それがどうしてかは、あたしにも、みきにもよくわかっていない。もっと自分の力をコントロールできるようになるためにも、超科学の兄ちゃんらの力を借りたいとこなんだよ」  みか自身も、数日前の件を複雑に思っていたことだろう。ロボットと戦っているうちに膨れ上がっていった、破壊の衝動。圧倒的な強さ。自分でも恐ろしいとさえ彼女は感じていた。  そんな長女の気持ちを察したか、みきもこう言った。 「私たちの力は、まれに自制を失って暴走しかける場合がありますからね・・・・・・」 「・・・・・・わかったよ。二人がそう言うのならもういい! 知らない!」  拗ねたみくは、みかの抱擁を振りほどくと部屋から出て行ってしまった。二人の姉たちは、そんな怒りんぼな末っ子のことをくすくす笑って見送った。 「みくちゃには、申し訳ないですね」 「まあね。でも、あと少しの辛抱だよ」  と、妹の温もりが恋しいみかは言った。 「早くやることやって、終わらせて、また三人でゆっくり過ごして暮らそう。あたしは島のみんなを守ることに生きがいを感じてるけど・・・・・・。それでもやっぱり、一番大切なのは『家族』なんだから」  はい、同感です。みきはそう言った。  そんな二人の気持ちが通じたのか、与田は気を利かせて二人に休暇を与えた。それは偶然の出来事であった。 「やっぱ過労で目に見えて弱ってたんだってさ。ふん、そんだけ働かせたのはどこのどいつなんだかなあ」 「あの人の嫌な顔を見る必要がないんですよね、とっても嬉しいです」 「うわー。みき、お前も言うねえ。お姉ちゃんゾッとしちゃったぞ」  などとふざけて小突きあいながら、二人は園内を歩いていた。  いい天気が続くのが嬉しい。今朝もからっと晴れた洗濯日和で、みきは溜まっていた洗濯物を一気に始末することができた。  そうして工学部の研究塔から、急ぎ足で校門を目指しているところであった。時刻はまだ十五時過ぎ。早く家に帰り、寂しがるみくを二人で徹底的に可愛がってやろうと目論んでいた矢先のことであった。  二人の白い猫耳が、ビンと立ち上がったのだ。足を止め、真面目な目つきをして同じ方向を瞬時に振り向いた。 「・・・・・・あら残念。出たようだね、みき」 「そのようですね。行きますか?」 「当然だろう! 早く終わらせて、みくのところへ帰ろう! 今晩はあの子を寝かさないぐらいイチャイチャしてやろう!」  校門を飛び出すと、マンションとは違う方向へ走っていった。途中から塀に登り、民家の屋根に飛び上がる。姉妹は空を飛ぶようにして島を移動していった。  当時の双葉島には、住宅地を造成している箇所がまだ存在していた。  現場は山を切り崩しているところであった。最初に造られた人工の山を、住宅用地として転用するためである。非常に稀なケースであったが、島も完成から二十年近く経っているのでこのような土地の整理も度々あったのだ。  現場に近づくと、黄色いヘルメットを被った工事の作業員や監督者が、おそろしい形相をして走ってきた。重傷者が出ている。大怪我を負った者は全身血まみれで、肩に担がれていたりタンカで運ばれたりしていた。 「どうしたの! 何があったの!」と、みかは逃げてきた一人を捕まえてきいた。 「野獣が、野獣が山から下りてきて襲いかかってきて、ひいいいいい?」  彼はみかの手を振りほどくと、一目散に逃げてしまう。そして、ずどんと背後から聞こえてきた、足音らしき轟音。  姉妹は、ショベルカーやダンプカーを押し倒してはつかみ上げて投げ飛ばす、黒い毛皮に包まれた異形を見る。 「何だあ、でっけえ! すっごくでっけえ!」 「熊でしょうか? 一般的な動物である熊を逸脱してます」 「典型的なビーストタイプのラルヴァだね」  二人がそう言っている間にも、巨大な熊は雄たけびを上げながら重機を持ち上げ、ミニカーを与えられた子供のように投げつける。切り崩して露出した山肌に、ダンプカーを叩きつける。 「すごい怒りようですね。彼は何をこんなにも主張しているんでしょうか?」 「参ったなあ。勢い余って町のほうまで出ちゃいそうだなあ」  みかがそう言ったとき、熊がこちらをギロリと睨みつけた。二匹の仔猫はどきっとして驚いた。  熊は大木をばきばき引っこ抜くと、それを片手投げで姉妹にぶつけてきた。 「ちょっとおおおお!」 「いやああああああ!」  二つに割れるよう、姉妹は左右に飛んだ。弾丸と化した大木はそのまま真っ直ぐ飛んでいき、遠くに消えていった。 「おいおい、こりゃ抑えないとまずいぞ。かわいそうだけど、やっつけよう」 「はい!」  みかとみきは同時に瞳を輝かせ、完全体へと移行した。  ハンマーのような大きすぎる拳で、熊がみかに殴りかかる。  それを、みかは真正面から受け止めた。 「ぎいいいいいい! 最近なぜか、こんな力勝負ばかりだなあああああ?」  と、歯を軋ませながら言った。小さなシューズが未舗装の道路にどんどん埋め込まれていった。  分が悪いと早々に判断したみかは、その拳を振りほどいて自慢のグラディウスを具現させた。左腕を後ろに振りかざし、熊の大腿に斬りかかる――、が。  がきんと、短剣は弾き飛ばされてしまった。みかは驚いて、「げ! 何だよ、こいつの筋肉すごく硬いぞ!」と大声を出す。  そうして後ろを向いたところを、熊に思い切り殴られてしまった。大型トラックに轢かれるように、みかは大きな拳によって吹き飛ばされてしまった。 「姉さん!」  熊とは距離をとっていたみきのところまで、彼女は吹っ飛ばされて転げまわってきた。みかは辛そうに苦悶の表情を浮かべた。 「やべ・・・・・・。胸骨折れちゃったかもしれない。ちょっとしんどい」  その一言に、みきの心臓がとくんと呼応した。 (私がやるしかない)  姉さんが無理なら、私が今ここでやっつけるしかない。  即座にそんなことを思ったのだ。  暴れて吼え続ける熊のことをじっと見据えている彼女に、仰向けのみかはこう指示を与えた。 「みき、応援がくるまで時間を稼いでくれ。お前の戦い方なら、それができる」 「・・・・・・姉さん。私に全部まかせてください」 「え? お前、無理しなくても」 「私があの熊を、撃破してみせます!」  みきはオッドアイを瞬かせた。姉猫の「ちょっと、おい! みき!」という制止も振り切って、彼女は鞭を右手に飛びかかる。  熊は二匹目の仔猫に対しても攻撃の手を緩めない。握りこぶしを道路に叩きつけては路面を割り、裏拳を繰り出しては山肌を砕き、踏み潰さんと跳躍しては、島をぐらぐら揺さぶった。野獣の咆哮をあげるそのたび、よだれを滝のようにだらだら流していた。  そんな猛攻を、みきは辛うじて回避することができた。姉ほど俊敏な・華麗なものではないが、不恰好でも何とか攻撃を受けずにやりすごすことができた。  しかし、そんな次女を熊はつかみ上げてしまった。ぎりぎりと、みきの華奢な体を締め上げる。 「あああああ!」 「み、みき・・・・・・ぐっ!」  みかはぐらりと立ち上がり、左手に短剣を呼び戻す。近づこうとするが、怪我によってまともに歩行ができない。  握り締められているみきは、やっとのことで自分の右腕を出すことができた。再び鞭を右手に呼び寄せ、熊のわき腹にばちんと一発叩き込んだ。  熊は痛そうにして叫び声を上げると、みきを解放する。彼女は崩れるようにして地面に手を突くと、けほけほと喉元を押さえながら咳き込んだ。 「みき! 何やってんだ!」と、みかが怒っている。「どうして後ろに下がる戦い方をしない! お前らしくもない! お前じゃ無理だから、おとなしく無茶はやめろ!」  お前じゃ無理だから。  その台詞に、また、どくんと心臓が呼応した。 (私じゃ無理・・・・・・? そんなわけがない・・・・・・)  と、みきはみかの言ったことを真っ向から振り払って、自分にこう強く言い聞かせる。 (私だって、私だって猫の血筋を持ってるんだから! 姉さんに負けないぐらいの力があるはずなんだから!)  右手に青い鞭を握り、もう一度瞳を輝かせる。しかし、その両目が次に見たものは、自分を押しつぶさんとばかりに降りかかる熊の握り拳であった。 「あ、嘘、しまった」  巨体に日を隠される。みきの絶望に歪んだ顔面に、黒い影が覆いかぶさった。 「みきいいいいい!」  みかは精一杯の大声で叫んだ。  そして、それは起こった。  みかの叫び声が上がったのと、ほぼ同時であった。みきはとっさに、熊の顔面目掛けて鞭を射出していたのだ。まさに無我夢中であった。  鞭の先端は、熊の右目に直撃する。熊は絶叫を轟かせながらその場で肩膝をついた。  眼窩から噴き出た、大量の鮮血。  みきは「血」が苦手である。そんな彼女は真下から残酷な光景を目の当たりにしたあげく、熱湯のような血液を全身に浴びてしまった。 「あ、あ、あ」  彼女の両目から涙が溢れ、喉の奥からかすれた悲鳴が出てくる。  どくん。どくん。  みきの心臓がただならぬ速さで鼓動を始めた。もう彼女の手に負えないぐらい心拍は加速を続け、暴れ続け、とてつもないものになっていった。  立浪みきは、異能者として精神的に弱すぎた。  温和で優しすぎること。繊細な泣き虫であること。争いごとがもともと苦手であること。「血」をまともに見ることができないこと。そして、みかに対するただならぬコンプレックス。  ・・・・・・だからこそ、己の内在に眠り続けていたその「力」に、付け入られたのかもしれない。  ぞくぞくと凍てつくような悪寒が治まらない。まったく治まらない。唇を震わせたままで、彼女は無心のままにもう一度、鞭を横に振ってみた。  熊は眼球を潰されたショックで、全身の鋼のような筋肉を弛緩させていた。  左ひじから先が、ゴトリと切断されて落下する。それはまるで、林檎が木の枝から落ちたかのようだった。  血液はますます工事現場を赤く染め上げる。乾いた泥のこびりついた重機も、黄色い山肌も、みんなみんな赤くなっていった。みきも無表情ままで、ますます血に濡れていった。  しかし、その無表情には「恍惚」と言い換えられるものがあった。  彼女は理解する。このゾクゾクと自分を震わせる感覚は、「悪寒」なんかじゃない。 「快感」だ・・・・・・!  血を見るたびに、浴びるたびに、己をびしびしと仰け反らせるエクスタシー。  快感というものは、そこに到達するまでに強い勇気を必要とするものだ。立ちはだかる恐怖に果敢に立ち向かい、乗り越えることで到達することができるのだ。天国にたどり着くことができたら、あとはむさぼるように幸福を享受するのみ。快楽のとりこになるのみ。  みきの口角が、ゆっくりと上向いていく。いつものおっとりとした優しい表情をぶち壊し、物々しい牙を露出させる。  熊の涙に濡れている片目だけが、その恐ろしい変化を目撃していた。先ほどの勇ましさはもはや微塵もない。怯える子犬のような表情で、どんどんあとずさっていった。  みきが、一歩前へ踏み出した。熊は背中に山肌が触れたのを感じた。追い詰められたのだ。  懇願した。命だけは助けて欲しいと懇願した。俺には一人息子がいるんだと、見逃すよう必死に懇願した。まったく違う別の色に塗り替えられてしまった彼女の両目に、彼は一生懸命訴え続けた。  そんな無様な熊のラルヴァに対して、みきは慈悲でも恩赦でもなく。  鞭の先端を顔面にめり込ませた。 「みき! もうよせ! もういい! やめろぉ!」  みかは左右にふらつきながら、暴走を続ける次女を止めるために前へ進む。  凄惨だった。熊は顔面を潰され、中身をかき回され、四肢を切断され。  巨大な胴体も、切り開かれたこの山のごとく縦に切り裂かれて・・・・・・。それでもなお、みきは鞭を何度も叩きつけて、無言で淡々と熊の肉体を刻み続けた。  やっとのことでみかが彼女の背中まで到達し、その肩に右手を置く。 「もう終わったんだ! そこまでやる必要はない、もうやめるんだ!」  みきはゆっくりと、その目を自分の長女に向ける。  彼女の瞳は、赤い血の色に塗り替えられていた。 「ひいっ!」  たまらず、みかは視線を逸らしてしまった。それからもう一度、恐る恐るみきと向き合う。 「・・・・・・姉さん?」  そこにあったのは、いつものきれいなオッドアイだった。みきは普段の、弱弱しい頼りなさそうな表情に戻っていた。  そして彼女は前を向いて、言葉を失う。 「何・・・・・・これ・・・・・・?」  肉塊。路面を埋め尽くすよう巻き散らかされた、肉塊。おびただしい量の血液が、まるで過剰にかけられたソースのように赤々と広がっている。  自分の両手も見る。自分の両手もまた、熊の血によって真っ赤に染まっていた。 「これ、私が、やったの・・・・・・? 嘘でしょ・・・・・・」  そう消え入るように呟きながら、みきはその場に崩れ落ちた。 「みき!」  みかはそんな彼女を抱きかかえてやる。気を失ってしまったようだ。  そんな彼女たちの前に、小柄な動物が寄ってくる。それは小熊であった。  小熊はぽてぽてと死体に近づくと、二本足で立ち上がり、急激に身長が伸びる。やがて、人間の少年と大差ない背丈・骨格に変化した。 「・・・・・・父ちゃん!」  彼は震えながらそう言った。はっきりと人の言葉をしゃべった。ばしゃんと血溜まりを踏むと、残された上半身に飛び込んでおいおい泣き喚く。 「お前、この熊の子供だったのか・・・・・・!」  翠眼を見開きながら、みかはそう言った。  双葉学園の「超科学者・有識者会議」に招かれた醒徒会のメンバーは、誰もが言葉を発することもできず、黙りこんでしまっていた。 「・・・・・・と、いかがでしたでしょうか。以上が立浪みきの正体です」と、与田光一は彼らに言った。「立浪みきが、『ラルヴァ』としての本性を発揮させた瞬間です」  スクリーンには、立浪家の次女がラルヴァの熊を惨殺する、決定的な瞬間が映し出されていた。そのむごすぎる映像に、醒徒会のうちの一人は退出してしまったほどであった。  まず熊の額を鞭で割り、ダウンさせる。それから腕と脚を一本ずつ、鞭で斬ったりねじ切ったりして辺りに血液を撒き散らす。熊の悲鳴が山中に響き渡る。  その喉元を、あの猫娘は掻っ切って黙らせた。頚動脈を切断されて、鮮血が山なりに吹き上がる。  立浪みきは血に濡れてにたにた笑いながら、無言ですっと右腕を上に上げる。  ざくん。すると、切れ込みを入れられた熊の腹がぱっくりと割れてしまい、内臓が盛り上がるように露出した。  もはや悲鳴も上げられない熊は、眼球が飛び出そうなぐらいに目を見開き、ぴくぴくと痙攣していた。最後、熊の顔面に鞭の先端が突き刺さった。  骨や筋肉や、脳髄をすべてミキサーにでもかけて混ぜ合わせてしまうように、立浪みかは鞭の先で熊の顔面の中身を、嬉々としてかき混ぜていた・・・・・・。  本当に、ひどい光景であった。学園のアイドルが、まさかこんな行動に出るなんて。  何よりも、彼女の禍々しいぐらいに赤く輝く視線が醒徒会のメンバーを戦慄させていた。 「一連の映像は、私の情報収集ロボット『コレクター』で撮影したものです。  本日、住宅地造成中の山にて、熊のラルヴァが発生し、工事現場を強襲しました。それを素早く察知した立浪姉妹は、すぐさま現場に急行しました。私もその情報をつかんでから、急遽『コレクター』を現場へ派遣しました。そこで私どもが目撃したのが・・・・・・残念なことに、このような現実であったということです」  そう、与田は目を瞑って神妙に報告をする。 「これは、本当にラルヴァの血なのか?」と、醒徒会の副会長がきいた。「彼女たちの主張する、猫の血が暴走した結果じゃないのか? 確かに惨たらしいと思うが、私たち学園生はこの力に何度も助けられてきたというのも事実なんだ」  超科学者を代表して醒徒会に調査結果を報告している与田は、白衣を着た自分の部下からA4サイズの資料を受け取った。それを醒徒会に配布する。 「生物学部とラルヴァ学部の共同調査による結果が、つい数時間前に判明しました」  ご覧ください、と、与田は言った。2016年当時の醒徒会長はそれに目を通すと、言葉を失った。 『被検体両名の遺伝子から、ラルヴァの物と思わしき因子を検出。過剰な戦闘能力を鑑みて、必要な処置を行う必要あり』  もう、あれこれ反論する者は出なかった。双葉学園の誇る両学部による調査なら、この結果は確実だ。絶対だ。 「我々は血液検査といった身体検査も、すべて隈なく実施し、調べ上げました。遺伝子レベルで証明されてしまえば、もう調査は佳境を越えたも同然です。非常に残念ですが、仮説は証明されました」 「そんな・・・・・・立浪姉妹が・・・・・・」  醒徒会長は涙を零しながらそう言った。まさか、誇りある双葉学園にラルヴァが紛れ込んでいたなんて。学園のみんなに愛されている猫耳姉妹が、ラルヴァだったなんて。 「いいですか、醒徒会長。これは由々しき事態です」  与田は感情の一切こもっていない口調で、静かに語り始めた。黒縁のメガネがプロジェクターの明かりに反射して、白く浮かび上がっている。真剣な表情をしているはずなのに、どこか不気味な雰囲気が漂ってくる。 「『醒徒会』とは何でしょうかね? 会長?」  会長は与田と向き合った。初めは彼が何を言い出したのか、理解できなかった。与田は会長の返事を待つことなく、こう続ける。 「それは学園の頂点であり、トップであることを意味します。そうですね? 会長?」 「・・・・・・ああ、そうだ。我々醒徒会が、この学園のトップであり、上限であり、抑止力だ」 「どんな脅威に対しても」 「どんな殺戮に対しても」 「必ずそれらを抑えることのできる、最後の砦。学園最強の集団。それが醒徒会であると、僭越ながら私も心得ております」  醒徒会の面々は全員下を向いて、与田のほうを見ることもしない。彼がこれから意見しようとしていることが、もうわかっているからだ。 「ならば、むやみに強すぎる生徒は粛清しなければなりませんね。なぜならば、醒徒会は学園最強の集団であり、リミッターであるのだから」 「・・・・・・」 「もっと言えば、立浪姉妹は学園の希望でも、可愛いアイドルでも、誇りある学園生でもありません。『ラルヴァ』です。人類の敵なのです。脅威なのです」  今日までラルヴァによって、人間社会にどれだけの被害が出たことでしょう?   どれだけの、目を覆いたくなるような悲劇が生まれたことでしょう?  恋人を無残に殺された女性もいます。  クラスメートをいっぺんに数人、奪われてしまった担任もいます。  手塩にかけて育ててきた娘を血祭りに上げられた父親だっています。  大切な人を奪われた悲しみ。憎しみ。  冷たい言い方をすれば――それはしょうがないことなのでしょうか?   ここは『ラルヴァ』がいる世界だから、しょうがないことなのでしょうか?  『ラルヴァ』のしわざだからしょうがない、と片付けられてもよいことなのでしょうか?  どんな理不尽な暴力であっても、『ラルヴァ』だからどうしようもない。そう、被害者が泣きを見るようなこのままの世の中で、私たち学園生はそれでいいのでしょうか?  いいえ、違いますとも。今こそ異能者が立ち上がるときです。  これ以上、血や涙が流されないよう、異能者が先頭を切って『ラルヴァ』と立ち向かっていくべきです。一般人と違ってそれができるのは異能者です。そうでしょう?  一般人の暮らしや明るい未来を守ることのできるのは、我々異能者だけです。そうでしょう? 『ラルヴァ』は人類の脅威です。カラスだろうがゴキブリだろうが、無害だろうが友好的だろうが、関係ありません。『ラルヴァ』は異能者によってすべて殲滅されるべき害悪の総称です。  その害悪を倒すのが我々異能者の『役割』であり『存在意義』。そうでしょう、会長?  ・・・・・・立浪姉妹は『ラルヴァ』なのですから、いつ彼女らが我々を欺いて、島を、学園を破滅へ追い込むかわかりません。憎き『ラルヴァ』は総じて、そういう奴らですからねえ。  あの熊のように、島の無力な住人が一人一人蹂躙され、血塗られても良いのでしょうか?   女性や子供の肉塊が、商店街のアーケードを赤く染めるように転がって続く無残な光景が、現実となって良いのでしょうか?   学園に通う一般人の生徒が、犠牲となっても良いのでしょうか?  私は嫌です。断固として受け入れられないIFの世界です。  与田は気の済むまで語りつくすと、醒徒会長のほうを向いて、はっきりとこう言った。 「立浪姉妹を始末するべきです」  そして、今日この日の最高の笑みを、彼は見せる。 「人類の敵・脅威である立浪姉妹を、醒徒会が始末するべきです。・・・・・・いや、今こそ学園生の力を結集させて、強敵を始末するべきです」 &bold(){「それが我々異能者のやるべきことなのです」} &br() &br() &br()
  らのらのhttp://rano.jp/1080    立浪姉妹の伝説 -その栄光と末路-    第四話 大熊のラルヴァ   二十一時を回った、遅い時刻。  立浪みかは帰宅するなり、すぐに寝室のベッドに突っ伏した。前のめりに倒れるよう、彼女はばったりと倒れこんだ。 「はあー、いくらなんでも百体連続でロボットと戦うのは無理だってぇ!」  そう、わざとらしく大声で言ってみせる。  しかし、みかは本当に疲れていた。本当はそのように明るく振舞うことが困難なぐらい衰弱していた。彼女の思ったほど、声は出ていなかった。  そんなみかの枕元に、三女のみくがやってくる。ボロボロになった姉を前にして、涙が溜まっていた。みかはそれを見ると、傷だらけの顔で笑みを作ってみせた。 「なーに泣いてんだい。お姉ちゃんは全然平気だよ。こんなの全然、へっちゃらだよ」  そして、寝室に次女・立浪みきがやってくる。お気に入りのジャンパースカートには、数多くの切れ込みやこげついたような黒い穴、自分の血液などが付着していた。 「足腰がもうふらふらです・・・・・・。みくちゃ、ごめんね。私の代わりにごはん作ってもらっちゃって」 「そんなのどうだっていいのよ! もうやめなよ! 私には連中の意図がわからない! どうしてこんなにボロボロになるまで、研究に付き合うの?」  みくは、涙をたくさん絨毯に零しながら二人に怒鳴った。  みくは寂しくてしかたがなかった。楽しかった姉妹の日常が、どこからおかしくなってしまったのだろう? いったい誰が幸せな日常を奪ったのだろう? どうしてこんなことになってしまったのだろう?  本当は夕方にみんなでご飯を作って、おしゃべりでもしながら夕飯を食べて、みんなで一緒にお風呂に入って、みんなで一緒にゆっくり眠りに着きたいのに。みくは幸せな日常を奪った超科学の連中を、心から憎んだ。  みかとみきが超科学者たちの研究に力を貸すようになってから、遅い時間に帰宅する日が続いていた。連日遅くまでロボットと戦わされ、与田技研お得意の家芸である擬似ラルヴァともたくさん戦わされた。それも、パラメータが極端に振られた強敵との、むやみな戦闘を強いられた。身体検査では、裸から内蔵まで隅から隅までまるまる見られ、血液も大量に採られてきた。  姉妹の疲労は目に見えて蓄積されていった。みきの担任が彼女の衰弱ぶりを気にかけていたが、今、その担任は日本にいない。もう誰も、姉妹にやめるよう促す者はいなかった。この幼い三女だけを除いては。 「死んじゃったらどうすんのよお・・・・・・えっぐ、ひっく・・・・・・」 「私たちは死なないよ、みくちゃ。また今度、一緒にお料理しようね」  帰りが遅く、疲れで料理もできないほどであった。だから姉妹の食事は、九歳のみくがすべて一人で作っていた。みきから伝授された手料理の腕は、皮肉もこのような形で役に立っていた。 「どうしてって、まー、世界の平和のためかなあ」  みかが仰向けに転がってから、みくの質問にそう答えた。 「私も姉さんと一緒。この力でみんなを守っていきたいから、頑張ってるんだ」と、みきもそう言った。「私たちのこの強大な力は、ラルヴァと戦っていくみんなや、力を持たない普通の人々、社会、そして優しい暮らしを守っていくためにあると思うの。私はこの 島の人たちが好き。学園のみんなも大好き。そんな人たちを、一人も死なせたくない。かけがえのないもののためなら、私はいくらでも頑張れるよ」  自分の力を、人の役に立つために使うこと。  みくが、二人からしっかりと教えられてきたことだ。つまりは、そういうことをみきは言っているのだ。  それは幼い三女にとって、理解できるようで・・・・・・できなかった。  彼女はもっと、姉たちにかまって欲しかった。一緒に遊んでほしかった。優しくしてほしかった。 「でも・・・・・・でも」  泣きべその治まらないみくを、みかがベッドから起き上がって抱きしめた。 「お前は寂しんぼの甘えんぼだからなあ。いつも一人にしてごめんなあ」  そう、三女の頭を撫でて言った。 その温もりと匂いを確かめるように、可愛がる。 「あたしたちはちょっと他の奴らとは違って、妙に強すぎる部分があるんだ。それがどうしてかは、あたしにも、みきにもよくわかっていない。もっと自分の力をコントロールできるようになるためにも、超科学の兄ちゃんらの力を借りたいとこなんだよ」  みか自身も、数日前の件を複雑に思っていたことだろう。ロボットと戦っているうちに膨れ上がっていった、破壊の衝動。圧倒的な強さ。自分でも恐ろしいとさえ彼女は感じていた。  そんな長女の気持ちを察したか、みきもこう言った。 「私たちの力は、まれに自制を失って暴走しかける場合がありますからね・・・・・・」 「・・・・・・わかったよ。二人がそう言うのならもういい! 知らない!」  拗ねたみくは、みかの抱擁を振りほどくと部屋から出て行ってしまった。二人の姉たちは、そんな怒りんぼな末っ子のことをくすくす笑って見送った。 「みくちゃには、申し訳ないですね」 「まあね。でも、あと少しの辛抱だよ」  と、妹の温もりが恋しいみかは言った。 「早くやることやって、終わらせて、また三人でゆっくり過ごして暮らそう。あたしは島のみんなを守ることに生きがいを感じてるけど・・・・・・。それでもやっぱり、一番大切なのは『家族』なんだから」  はい、同感です。みきはそう言った。  そんな二人の気持ちが通じたのか、与田は気を利かせて二人に休暇を与えた。それは偶然の出来事であった。 「やっぱ過労で目に見えて弱ってたんだってさ。ふん、そんだけ働かせたのはどこのどいつなんだかなあ」 「あの人の嫌な顔を見る必要がないんですよね、とっても嬉しいです」 「うわー。みき、お前も言うねえ。お姉ちゃんゾッとしちゃったぞ」  などとふざけて小突きあいながら、二人は園内を歩いていた。  いい天気が続くのが嬉しい。今朝もからっと晴れた洗濯日和で、みきは溜まっていた洗濯物を一気に始末することができた。  そうして工学部の研究塔から、急ぎ足で校門を目指しているところであった。時刻はまだ十五時過ぎ。早く家に帰り、寂しがるみくを二人で徹底的に可愛がってやろうと目論んでいた矢先のことであった。  二人の白い猫耳が、ビンと立ち上がったのだ。足を止め、真面目な目つきをして同じ方向を瞬時に振り向いた。 「・・・・・・あら残念。出たようだね、みき」 「そのようですね。行きますか?」 「当然だろう! 早く終わらせて、みくのところへ帰ろう! 今晩はあの子を寝かさないぐらいイチャイチャしてやろう!」  校門を飛び出すと、マンションとは違う方向へ走っていった。途中から塀に登り、民家の屋根に飛び上がる。姉妹は空を飛ぶようにして島を移動していった。  当時の双葉島には、住宅地を造成している箇所がまだ存在していた。  現場は山を切り崩しているところであった。最初に造られた人工の山を、住宅用地として転用するためである。非常に稀なケースであったが、島も完成から二十年近く経っているのでこのような土地の整理も度々あったのだ。  現場に近づくと、黄色いヘルメットを被った工事の作業員や監督者が、おそろしい形相をして走ってきた。重傷者が出ている。大怪我を負った者は全身血まみれで、肩に担がれていたりタンカで運ばれたりしていた。 「どうしたの! 何があったの!」と、みかは逃げてきた一人を捕まえてきいた。 「野獣が、野獣が山から下りてきて襲いかかってきて、ひいいいいい?」  彼はみかの手を振りほどくと、一目散に逃げてしまう。そして、ずどんと背後から聞こえてきた、足音らしき轟音。  姉妹は、ショベルカーやダンプカーを押し倒してはつかみ上げて投げ飛ばす、黒い毛皮に包まれた異形を見る。 「何だあ、でっけえ! すっごくでっけえ!」 「熊でしょうか? 一般的な動物である熊を逸脱してます」 「典型的なビーストタイプのラルヴァだね」  二人がそう言っている間にも、巨大な熊は雄たけびを上げながら重機を持ち上げ、ミニカーを与えられた子供のように投げつける。切り崩して露出した山肌に、ダンプカーを叩きつける。 「すごい怒りようですね。彼は何をこんなにも主張しているんでしょうか?」 「参ったなあ。勢い余って町のほうまで出ちゃいそうだなあ」  みかがそう言ったとき、熊がこちらをギロリと睨みつけた。二匹の仔猫はどきっとして驚いた。  熊は大木をばきばき引っこ抜くと、それを片手投げで姉妹にぶつけてきた。 「ちょっとおおおお!」 「いやああああああ!」  二つに割れるよう、姉妹は左右に飛んだ。弾丸と化した大木はそのまま真っ直ぐ飛んでいき、遠くに消えていった。 「おいおい、こりゃ抑えないとまずいぞ。かわいそうだけど、やっつけよう」 「はい!」  みかとみきは同時に瞳を輝かせ、完全体へと移行した。  ハンマーのような大きすぎる拳で、熊がみかに殴りかかる。  それを、みかは真正面から受け止めた。 「ぎいいいいいい! 最近なぜか、こんな力勝負ばかりだなあああああ?」  と、歯を軋ませながら言った。小さなシューズが未舗装の道路にどんどん埋め込まれていった。  分が悪いと早々に判断したみかは、その拳を振りほどいて自慢のグラディウスを具現させた。左腕を後ろに振りかざし、熊の大腿に斬りかかる――、が。  がきんと、短剣は弾き飛ばされてしまった。みかは驚いて、「げ! 何だよ、こいつの筋肉すごく硬いぞ!」と大声を出す。  そうして後ろを向いたところを、熊に思い切り殴られてしまった。大型トラックに轢かれるように、みかは大きな拳によって吹き飛ばされてしまった。 「姉さん!」  熊とは距離をとっていたみきのところまで、彼女は吹っ飛ばされて転げまわってきた。みかは辛そうに苦悶の表情を浮かべた。 「やべ・・・・・・。胸骨折れちゃったかもしれない。ちょっとしんどい」  その一言に、みきの心臓がとくんと呼応した。 (私がやるしかない)  姉さんが無理なら、私が今ここでやっつけるしかない。  即座にそんなことを思ったのだ。  暴れて吼え続ける熊のことをじっと見据えている彼女に、仰向けのみかはこう指示を与えた。 「みき、応援がくるまで時間を稼いでくれ。お前の戦い方なら、それができる」 「・・・・・・姉さん。私に全部まかせてください」 「え? お前、無理しなくても」 「私があの熊を、撃破してみせます!」  みきはオッドアイを瞬かせた。姉猫の「ちょっと、おい! みき!」という制止も振り切って、彼女は鞭を右手に飛びかかる。  熊は二匹目の仔猫に対しても攻撃の手を緩めない。握りこぶしを道路に叩きつけては路面を割り、裏拳を繰り出しては山肌を砕き、踏み潰さんと跳躍しては、島をぐらぐら揺さぶった。野獣の咆哮をあげるそのたび、よだれを滝のようにだらだら流していた。  そんな猛攻を、みきは辛うじて回避することができた。姉ほど俊敏な・華麗なものではないが、不恰好でも何とか攻撃を受けずにやりすごすことができた。  しかし、そんな次女を熊はつかみ上げてしまった。ぎりぎりと、みきの華奢な体を締め上げる。 「あああああ!」 「み、みき・・・・・・ぐっ!」  みかはぐらりと立ち上がり、左手に短剣を呼び戻す。近づこうとするが、怪我によってまともに歩行ができない。  握り締められているみきは、やっとのことで自分の右腕を出すことができた。再び鞭を右手に呼び寄せ、熊のわき腹にばちんと一発叩き込んだ。  熊は痛そうにして叫び声を上げると、みきを解放する。彼女は崩れるようにして地面に手を突くと、けほけほと喉元を押さえながら咳き込んだ。 「みき! 何やってんだ!」と、みかが怒っている。「どうして後ろに下がる戦い方をしない! お前らしくもない! お前じゃ無理だから、おとなしく無茶はやめろ!」  お前じゃ無理だから。  その台詞に、また、どくんと心臓が呼応した。 (私じゃ無理・・・・・・? そんなわけがない・・・・・・)  と、みきはみかの言ったことを真っ向から振り払って、自分にこう強く言い聞かせる。 (私だって、私だって猫の血筋を持ってるんだから! 姉さんに負けないぐらいの力があるはずなんだから!)  右手に青い鞭を握り、もう一度瞳を輝かせる。しかし、その両目が次に見たものは、自分を押しつぶさんとばかりに降りかかる熊の握り拳であった。 「あ、嘘、しまった」  巨体に日を隠される。みきの絶望に歪んだ顔面に、黒い影が覆いかぶさった。 「みきいいいいい!」  みかは精一杯の大声で叫んだ。  そして、それは起こった。  みかの叫び声が上がったのと、ほぼ同時であった。みきはとっさに、熊の顔面目掛けて鞭を射出していたのだ。まさに無我夢中であった。  鞭の先端は、熊の右目に直撃する。熊は絶叫を轟かせながらその場で肩膝をついた。  眼窩から噴き出た、大量の鮮血。  みきは「血」が苦手である。そんな彼女は真下から残酷な光景を目の当たりにしたあげく、熱湯のような血液を全身に浴びてしまった。 「あ、あ、あ」  彼女の両目から涙が溢れ、喉の奥からかすれた悲鳴が出てくる。  どくん。どくん。  みきの心臓がただならぬ速さで鼓動を始めた。もう彼女の手に負えないぐらい心拍は加速を続け、暴れ続け、とてつもないものになっていった。  立浪みきは、異能者として精神的に弱すぎた。  温和で優しすぎること。繊細な泣き虫であること。争いごとがもともと苦手であること。「血」をまともに見ることができないこと。そして、みかに対するただならぬコンプレックス。  ・・・・・・だからこそ、己の内在に眠り続けていたその「力」に、付け入られたのかもしれない。  ぞくぞくと凍てつくような悪寒が治まらない。まったく治まらない。唇を震わせたままで、彼女は無心のままにもう一度、鞭を横に振ってみた。  熊は眼球を潰されたショックで、全身の鋼のような筋肉を弛緩させていた。  左ひじから先が、ゴトリと切断されて落下する。それはまるで、林檎が木の枝から落ちたかのようだった。  血液はますます工事現場を赤く染め上げる。乾いた泥のこびりついた重機も、黄色い山肌も、みんなみんな赤くなっていった。みきも無表情ままで、ますます血に濡れていった。  しかし、その無表情には「恍惚」と言い換えられるものがあった。  彼女は理解する。このゾクゾクと自分を震わせる感覚は、「悪寒」なんかじゃない。 「快感」だ・・・・・・!  血を見るたびに、浴びるたびに、己をびしびしと仰け反らせるエクスタシー。  快感というものは、そこに到達するまでに強い勇気を必要とするものだ。立ちはだかる恐怖に果敢に立ち向かい、乗り越えることで到達することができるのだ。天国にたどり着くことができたら、あとはむさぼるように幸福を享受するのみ。快楽のとりこになるのみ。  みきの口角が、ゆっくりと上向いていく。いつものおっとりとした優しい表情をぶち壊し、物々しい牙を露出させる。  熊の涙に濡れている片目だけが、その恐ろしい変化を目撃していた。先ほどの勇ましさはもはや微塵もない。怯える子犬のような表情で、どんどんあとずさっていった。  みきが、一歩前へ踏み出した。熊は背中に山肌が触れたのを感じた。追い詰められたのだ。  懇願した。命だけは助けて欲しいと懇願した。俺には一人息子がいるんだと、見逃すよう必死に懇願した。まったく違う別の色に塗り替えられてしまった彼女の両目に、彼は一生懸命訴え続けた。  そんな無様な熊のラルヴァに対して、みきは慈悲でも恩赦でもなく。  鞭の先端を顔面にめり込ませた。 「みき! もうよせ! もういい! やめろぉ!」  みかは左右にふらつきながら、暴走を続ける次女を止めるために前へ進む。  凄惨だった。熊は顔面を潰され、中身をかき回され、四肢を切断され。  巨大な胴体も、切り開かれたこの山のごとく縦に切り裂かれて・・・・・・。それでもなお、みきは鞭を何度も叩きつけて、無言で淡々と熊の肉体を刻み続けた。  やっとのことでみかが彼女の背中まで到達し、その肩に右手を置く。 「もう終わったんだ! そこまでやる必要はない、もうやめるんだ!」  みきはゆっくりと、その目を自分の長女に向ける。  彼女の瞳は、赤い血の色に塗り替えられていた。 「ひいっ!」  たまらず、みかは視線を逸らしてしまった。それからもう一度、恐る恐るみきと向き合う。 「・・・・・・姉さん?」  そこにあったのは、いつものきれいなオッドアイだった。みきは普段の、弱弱しい頼りなさそうな表情に戻っていた。  そして彼女は前を向いて、言葉を失う。 「何・・・・・・これ・・・・・・?」  肉塊。路面を埋め尽くすよう巻き散らかされた、肉塊。おびただしい量の血液が、まるで過剰にかけられたソースのように赤々と広がっている。  自分の両手も見る。自分の両手もまた、熊の血によって真っ赤に染まっていた。 「これ、私が、やったの・・・・・・? 嘘でしょ・・・・・・」  そう消え入るように呟きながら、みきはその場に崩れ落ちた。 「みき!」  みかはそんな彼女を抱きかかえてやる。気を失ってしまったようだ。  そんな彼女たちの前に、小柄な動物が寄ってくる。それは小熊であった。  小熊はぽてぽてと死体に近づくと、二本足で立ち上がり、急激に身長が伸びる。やがて、人間の少年と大差ない背丈・骨格に変化した。 「・・・・・・父ちゃん!」  彼は震えながらそう言った。はっきりと人の言葉をしゃべった。ばしゃんと血溜まりを踏むと、残された上半身に飛び込んでおいおい泣き喚く。 「お前、この熊の子供だったのか・・・・・・!」  翠眼を見開きながら、みかはそう言った。  双葉学園の「超科学者・有識者会議」に招かれた醒徒会のメンバーは、誰もが言葉を発することもできず、黙りこんでしまっていた。 「・・・・・・と、いかがでしたでしょうか。以上が立浪みきの正体です」と、与田光一は彼らに言った。「立浪みきが、『ラルヴァ』としての本性を発揮させた瞬間です」  スクリーンには、立浪家の次女がラルヴァの熊を惨殺する、決定的な瞬間が映し出されていた。そのむごすぎる映像に、醒徒会のうちの一人は退出してしまったほどであった。  まず熊の額を鞭で割り、ダウンさせる。それから腕と脚を一本ずつ、鞭で斬ったりねじ切ったりして辺りに血液を撒き散らす。熊の悲鳴が山中に響き渡る。  その喉元を、あの猫娘は掻っ切って黙らせた。頚動脈を切断されて、鮮血が山なりに吹き上がる。  立浪みきは血に濡れてにたにた笑いながら、無言ですっと右腕を上に上げる。  ざくん。すると、切れ込みを入れられた熊の腹がぱっくりと割れてしまい、内臓が盛り上がるように露出した。  もはや悲鳴も上げられない熊は、眼球が飛び出そうなぐらいに目を見開き、ぴくぴくと痙攣していた。最後、熊の顔面に鞭の先端が突き刺さった。  骨や筋肉や、脳髄をすべてミキサーにでもかけて混ぜ合わせてしまうように、立浪みかは鞭の先で熊の顔面の中身を、嬉々としてかき混ぜていた・・・・・・。  本当に、ひどい光景であった。学園のアイドルが、まさかこんな行動に出るなんて。  何よりも、彼女の禍々しいぐらいに赤く輝く視線が醒徒会のメンバーを戦慄させていた。 「一連の映像は、私の情報収集ロボット『コレクター』で撮影したものです。  本日、住宅地造成中の山にて、熊のラルヴァが発生し、工事現場を強襲しました。それを素早く察知した立浪姉妹は、すぐさま現場に急行しました。私もその情報をつかんでから、急遽『コレクター』を現場へ派遣しました。そこで私どもが目撃したのが・・・・・・残念なことに、このような現実であったということです」  そう、与田は目を瞑って神妙に報告をする。 「これは、本当にラルヴァの血なのか?」と、醒徒会の副会長がきいた。「彼女たちの主張する、猫の血が暴走した結果じゃないのか? 確かに惨たらしいと思うが、私たち学園生はこの力に何度も助けられてきたというのも事実なんだ」  超科学者を代表して醒徒会に調査結果を報告している与田は、白衣を着た自分の部下からA4サイズの資料を受け取った。それを醒徒会に配布する。 「生物学部とラルヴァ学部の共同調査による結果が、つい数時間前に判明しました」  ご覧ください、と、与田は言った。2016年当時の醒徒会長はそれに目を通すと、言葉を失った。 『被検体両名の遺伝子から、ラルヴァの物と思わしき因子を検出。過剰な戦闘能力を鑑みて、必要な処置を行う必要あり』  もう、あれこれ反論する者は出なかった。双葉学園の誇る両学部による調査なら、この結果は確実だ。絶対だ。 「我々は血液検査といった身体検査も、すべて隈なく実施し、調べ上げました。遺伝子レベルで証明されてしまえば、もう調査は佳境を越えたも同然です。非常に残念ですが、仮説は証明されました」 「そんな・・・・・・立浪姉妹が・・・・・・」  醒徒会長は涙を零しながらそう言った。まさか、誇りある双葉学園にラルヴァが紛れ込んでいたなんて。学園のみんなに愛されている猫耳姉妹が、ラルヴァだったなんて。 「いいですか、醒徒会長。これは由々しき事態です」  与田は感情の一切こもっていない口調で、静かに語り始めた。黒縁のメガネがプロジェクターの明かりに反射して、白く浮かび上がっている。真剣な表情をしているはずなのに、どこか不気味な雰囲気が漂ってくる。 「『醒徒会』とは何でしょうかね? 会長?」  会長は与田と向き合った。初めは彼が何を言い出したのか、理解できなかった。与田は会長の返事を待つことなく、こう続ける。 「それは学園の頂点であり、トップであることを意味します。そうですね? 会長?」 「・・・・・・ああ、そうだ。我々醒徒会が、この学園のトップであり、上限であり、抑止力だ」 「どんな脅威に対しても」 「どんな殺戮に対しても」 「必ずそれらを抑えることのできる、最後の砦。学園最強の集団。それが醒徒会であると、僭越ながら私も心得ております」  醒徒会の面々は全員下を向いて、与田のほうを見ることもしない。彼がこれから意見しようとしていることが、もうわかっているからだ。 「ならば、むやみに強すぎる生徒は粛清しなければなりませんね。なぜならば、醒徒会は学園最強の集団であり、リミッターであるのだから」 「・・・・・・」 「もっと言えば、立浪姉妹は学園の希望でも、可愛いアイドルでも、誇りある学園生でもありません。『ラルヴァ』です。人類の敵なのです。脅威なのです」  今日までラルヴァによって、人間社会にどれだけの被害が出たことでしょう?   どれだけの、目を覆いたくなるような悲劇が生まれたことでしょう?  恋人を無残に殺された女性もいます。  クラスメートをいっぺんに数人、奪われてしまった担任もいます。  手塩にかけて育ててきた娘を血祭りに上げられた父親だっています。  大切な人を奪われた悲しみ。憎しみ。  冷たい言い方をすれば――それはしょうがないことなのでしょうか?   ここは『ラルヴァ』がいる世界だから、しょうがないことなのでしょうか?  『ラルヴァ』のしわざだからしょうがない、と片付けられてもよいことなのでしょうか?  どんな理不尽な暴力であっても、『ラルヴァ』だからどうしようもない。そう、被害者が泣きを見るようなこのままの世の中で、私たち学園生はそれでいいのでしょうか?  いいえ、違いますとも。今こそ異能者が立ち上がるときです。  これ以上、血や涙が流されないよう、異能者が先頭を切って『ラルヴァ』と立ち向かっていくべきです。一般人と違ってそれができるのは異能者です。そうでしょう?  一般人の暮らしや明るい未来を守ることのできるのは、我々異能者だけです。そうでしょう? 『ラルヴァ』は人類の脅威です。カラスだろうがゴキブリだろうが、無害だろうが友好的だろうが、関係ありません。『ラルヴァ』は異能者によってすべて殲滅されるべき害悪の総称です。  その害悪を倒すのが我々異能者の『役割』であり『存在意義』。そうでしょう、会長?  ・・・・・・立浪姉妹は『ラルヴァ』なのですから、いつ彼女らが我々を欺いて、島を、学園を破滅へ追い込むかわかりません。憎き『ラルヴァ』は総じて、そういう奴らですからねえ。  あの熊のように、島の無力な住人が一人一人蹂躙され、血塗られても良いのでしょうか?   女性や子供の肉塊が、商店街のアーケードを赤く染めるように転がって続く無残な光景が、現実となって良いのでしょうか?   学園に通う一般人の生徒が、犠牲となっても良いのでしょうか?  私は嫌です。断固として受け入れられないIFの世界です。  与田は気の済むまで語りつくすと、醒徒会長のほうを向いて、はっきりとこう言った。 「立浪姉妹を始末するべきです」  そして、今日この日の最高の笑みを、彼は見せる。 「人類の敵・脅威である立浪姉妹を、醒徒会が始末するべきです。・・・・・・いや、今こそ学園生の力を結集させて、強敵を始末するべきです」 &bold(){「それが我々異能者のやるべきことなのです」} &br() &br() #right(){&bold(){&sizex(4){&link_up(最初に戻る)}}} ---- |>|>|BGCOLOR(#E0EEE0):CENTER:&bold(){【立浪姉妹の伝説】}| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){作品}|>|[[第一話>【立浪姉妹の伝説 第一話】]] [[第二話>【立浪姉妹の伝説 第二話】]] [[第三話>【立浪姉妹の伝説 第三話】]] [[第四話>【立浪姉妹の伝説 第四話】]] [[第五話>【立浪姉妹の伝説 第五話】]] [[第六話>【立浪姉妹の伝説 第六話】]] [[第七話>【立浪姉妹の伝説 第七話】]] [[最終話>【立浪姉妹の伝説 最終話】]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){登場人物}|>|[[立浪みか>立浪 みか]] [[立浪みき>立浪 みき]] [[遠藤雅>遠藤 雅]] [[立浪みく>立浪 みく]] [[与田光一>与田 光一]]∥[[藤神門御鈴]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){登場ラルヴァ}|>|[[リンガ・ストーク]] [[ガリヴァー・リリパット]] [[マイク]] [[血塗れ仔猫]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){関連項目}|>|[[双葉学園]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){LINK}|>|[[トップページ]] [[作品保管庫>投稿作品のまとめ]] [[登場キャラクター>作品登場キャラ設定]] [[NPCキャラクター>NPC設定]] [[今まで確認されたラルヴァ]]|

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