【danger zone4~GORILLA~(前編)】

「【danger zone4~GORILLA~(前編)】」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

【danger zone4~GORILLA~(前編)】」(2009/08/19 (水) 21:17:52) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

[[ラノでまとめて読む>http://rano.jp/1083]] danger zone4 ~GORILLA~(前編)  山口・デリンジャー・慧海の防御力向上訓練、九日間の無断休暇が明けてから数日後、数回目の醒徒会会議。  慧海はいつも通り、会議室の最奥、壁を背にした席で、ブーツを履いた足を大理石の机に乗っけながら、会議に参加していた。  各委員や役員の発言に目もくれず、会議が始まって以来ずっと、手元にある金属片を、セーム革とコンパウンドで磨いている。  慧海が先月から製作を進めている、自身の異能弾丸を発射する武器、レミントン・デリンジャーに装着可能な二銃身サイレンサー。  本体の消音チャンバーは、ウィスキーの携帯容器《メタル・フラスコ》を側《ケース》に使って完成させたが、サイレンサーと銃身の結合に試行錯誤した。  古臭くも確実な捩じ込み式は、楕円二銃身のデリンジャーには装着が難しいし、新世代オートに多いキーロック式は弾道が特定方向にズレる。  慧海は幼成体ラルヴァ救助のため、空母エンタープライズに行った時、海軍の艦乗りが、遊戯射撃《ブリンキング》に使っていた、 私物のルガー22に装着されたサイレンサーに興味を持ち、試射と分解をさせてもらった、ガン雑誌に出ていた個人製作サイレンサーの模作らしい。  特定の固定機構を持たず、銃身に差しこむだけの珍しいサイレンサー、茶筒に蓋が嵌るように、研磨した金属の摩擦密着のみで銃身と結合する。  精密に加工された円筒の歯冠に、義歯に埋め込まれたメタルキャップを被せるだけで固定する、コーヌスクローネ義歯からヒントを得たもの。  ただ、銃身をメタルリングに挿入するだけで、粘性の高い新世代ステンレスのリングが、ゴムのように嵌り、鋼のように安定する。  発射時には、弾丸通過によって起きる銃身の蠕動膨張と発熱で、リングはしっかりと銃身と噛み合い、発射後は手で速やかに抜ける。  固定リングにフロントサイトが嵌る"逃げ"となる溝を掘っておけば、銃身やサイトを加工しなくても装着が可能。  慧海は簡単に装着できて、かつ銃の加工が不要なメタルリング式サイレンサーの製作を決め、数日前に日立金属から材料の新世代ステンレスを入手していた。  自分専用寮のガレージに、キャディラックのメンテナンスや銃の加工のため備え付けてあったボール盤とミニ旋盤で、いくつかのリングを削りだし、 あとは厚いプラチナのコーティングを鏡面仕上げしたデリンジャーの銃身に合わせて、水も漏らさぬ入念な研磨をするのみ。  慧海はここ数日、試作や予備を含めていくつか作ったサイレンサー連結リングの研削と研磨を、授業中も会議中も行っていた。  授業のノートも取らず、会議での発言もせず、ただ楕円筒状のリングを磨いている慧海を、邪魔する命知らずは、今の所は居ない。  慧海は自らの仕事に誰よりも真摯な少女だ、与えられた仕事じゃない、自分の頭で判断し、決断した仕事は、必ずやりとげる。  以前、慧海が海兵隊にいた頃、アーノルド・シュワルツェネッガー国務長官が、慧海の所属する海兵隊異能者部隊"99er's"を視察に訪れた。  対ラルヴァ戦闘フォーメーションの欠陥が明らかになった訓練から、帰投した直後の慧海は、シュワルツェネッガーの顔を見るなり、 「これからフォーメーション会議《ブリーフィング》だ! 邪魔すんじゃねぇ! 」と、怒鳴りつけ、国務長官と報道官を唖然とさせた。  海兵隊の異能者が、模造紙に6色のペンで描く無数のフォーメーション、自身の動線を示す赤いペンを走らせていた慧海は、 まだ居るシュワちゃんに、手近にあったモップを投げつけ「ヒマそーに突っ立ってんなら、その辺掃除しとけ!」  異能の少年少女達、慧海の戦友は、今更な慧海の態度より、人を罵る時だけ淀みない英語にツッコミたい気分だった。    ブリーフィングが終了する頃、緊急出動ベルが鳴り響き、異能者達は国務長官を一顧もせず、各々の異能アイテムを掴みながら駆け出した。  山口・デリンジャー・慧海ことエミー・デリンジャー軍曹は、小隊指揮官《ワンゼロ》として部隊専属のジェットヘリで出動した。  ニューメキシコでの、街ひとつを包む不定形ラルヴァとの戦闘、欠陥のあった以前のフォーメーションでは危なかった。  死地を生き延び、基地に帰った慧海は、オーストリア人の几帳面さで隅々まで綺麗になった異能者部隊の待機室を見て、機嫌をよくし、 アーノルド・シュワルツェネッガー国務長官と報道官による視察と取材、質問を、帰投直後の疲れた体で快く受けた。  シュワちゃんにモップ掃除をやらせた軍曹の話はホワイトハウスでも語り草となったが、なぜか海兵隊異能者部隊の次期予算は少し増え、 デリンジャー軍曹とその部下達は、念願叶って異能者部隊に配備された冷蔵庫と、中に詰まった50ケースのバドワイザーを、皆で拝んだ。  慧海は、醒徒会議の内容を片耳と脳のはしっこで聞きながら、サイレンサー連結リングの仕上げに集中していた。  マイクロメーターや真円ゲージなどあてにならぬ、自分の目と指、時に舌まで使って表面形状を調整する、精密な研磨。  図書館や教会、あるいは教室で、音もなく人やラルヴァを撃つために、自らの仕事に必要な、微声拳銃を作るために。  風紀委員長の立場でありながら、携帯も通じない9日間の無断欠席をした慧海への譴責は、彼女が皆に配ったお土産で、幾分緩和された。  少なくとも、慧海が帰ってきたら、どんなにしおらしくしてようが、キツ~いお仕置きをしてやろうと手ぐすねをひいていた逢洲は、 午後の会議中に図々しく入ってきた慧海をみた途端「はぅあ?」という呻き声と共に、すべての追求意思を消滅させた。  海兵隊パジャマ姿で、ハワイ沖の空母エンタープライズまで呼び出された慧海は、艦で着替えの服を借り、そのまま学園に来た。  山口・デリンジャー・慧海は、米海軍制式作業服のひとつ、海に咲く純白の花と呼ばれる、パンツスタイルのセーラー服を着ていた。  白地に紺のラインが入ったセーラーキャップからこぼれる、金色のツインテール、首のスカーフは、鮮やかな赤の私物に替えている。  ハワイ沖でほんの少し日焼けした慧海、目に眩しい白のセーラー服からは、微かに南太平洋の海と、ブーゲンビリアの香りが漂う。  会議をしていた醒徒会の面々と、風紀委員研修のため、会議を見学していた風紀委員会サポート委員の飯綱百《いづなもも》は、 普段は、その過激な行動ばかり注目されて忘れがちだった、ほぼ白人に近い日米混血少女、慧海の見てくれのよさに、改めて気づいた。  慧海は、自分に向けられた、いつもの抗議するような目とは違う視線を、不思議そうに眺めながら、いつもの彼女と何ら変わらず、 奥の席に座っていた会長の藤神門御鈴をさっさと追い払って座り、素足に履いた白いコットンシューズを、テーブルに乗っける。  慧海の傍若無人な態度を、毎回忍耐強く諌めている逢洲は黙ったまま、セーラー服姿の慧海を、眼球に焼き付けんばかりに注視している。  他の醒徒会役員達も、物珍しい慧海の姿を見て、ちょっと得をした気分になり、とりあえず、無断欠席についての問責は後回しとなった。  会議室に入った慧海の動き、防御を重視し、さりげなく自分の半径2m以内には人を入れぬ曲線を描く歩き方に気づいたのは、 生徒課長の都治倉喜久子《とちくらきくこ じゅうななさい》と、忍者少女の飯綱百《いづなもも》だけだった。  逢洲陰流の皆伝級剣士である逢洲等華も、それに気づくに足る鋭い感覚を養っていたが、今はそれどころじゃない様子で目を血走らせている。  以後、慧海が懲りずに遅刻や欠席をすると、逢洲は「ば…罰として明日はセーラー服で来~い!」と、訳のわからぬ事を言うようになったが、 海軍補給廠から、返納しなくていいと言われた白いセーラー服は、特に船に乗る用も無いので、クローゼットに放りっぱなしになっている。  会議中に乱入してきた慧海は、進行中の議事を無視し、醒徒会の皆にお土産を配った、一応、空母への緊急出動は国家の極秘事項。  まず、逢洲には銃声の中でも会話できる骨伝導カナルの通話ユニットと、銃声はカットするが会話音は通す、ソニックⅢの耳栓《イヤーヴァルヴ》。  カナル・ユニットは秋葉原に行けばBluetoothのものが買えるが、金を払うのも癪だったので、空母管制室に転がってた中古品を持ってきた。  御鈴にはゼリービーンズ、水分には背負う水筒キャメルバッグ、紫穏にはスリングショット・ピストル、百にはスペツナズ・ナイフ。  パジャマ姿で、一銭も持たずに空母を訪れた慧海が、下士官娯楽室で貰い集めてきた、お菓子やオモチャ、タダほど慧海の好きなものはない。  成宮、龍、エヌRには、"空母エンタープライズ饅頭"をひと箱づつあげて済ませた、早瀬には慧海の食い残しの携帯食料《レーション》。  慧海からのはじめてのプレゼントに、彼女の無断欠席も忘れ、ご機嫌だった逢洲は、後に慧海が生徒課長に、お土産として、 F14戦闘機の再配備を記念して、空母内限定で販売、配布していた雄猫《トムキャット》のパンツをあげたのを知り、ひどく嫉妬した。  空母エンタープライズでの、旧友の娘、ジャッキーの救助と、護衛を勤めた伍長の遺体収容を終えた慧海は、双葉学園に帰ることを決め、 借り物のセーラー服姿でハワイ沖の空母から内火艇《カッター》でオアフ島に上陸した後、そのまま真珠湾の太平洋艦隊司令部に向かった。  パジャマ一枚で戦闘機に乗せられ、空母まで運ばれた慧海、地球を四分の一周した先にある日本に帰ろうにも、一文無し。  海兵隊の慧海にとって、こういう都合のいい時だけは"お友達"の海軍で、官費決済用クレジットカードでも借りる積もりだった。  海軍司令部の窓口で少し待たされた後、帰りの足代が支給されることが伝えられ、軍のトラックで空港まで送って貰った。  形式的には予備役海兵隊軍曹の慧海、日航のエコノミーか、よくて韓国かロシアの安売りビジネスクラスだと思ってたが、 民間機をストップさせたホノルル国際空港に着陸したのは、米大統領専用機エアフォース・ワンと、随行予備機エアフォース・ツー。  海軍の象徴たる空母エンタープライズと、国防総省の最重要"人物"ジャクリーヌ・ジャクソンを救った慧海への、ペンタゴンからのささやかな返礼。  大統領専用椅子で昼寝を楽しむ慧海を乗せたボーイング777は、エアフォースワンの特権で成田ではなく羽田空港に着陸した。  VIP区画で降機した慧海は、米大使によって用意されたリムジンを、渋滞を理由に断り、空港のゴミ捨て場で拾ったママチャリに乗って、双葉学園に帰ってきた。  その日の会議、慧海はいつも通りのウェスタンスタイルで、いつも通り最奥の席でテーブルに足を載せながら、ステンレス磨きに集中していた。  会議室のメインモニター前に立った、醒徒会会計監査のエヌ・R・ルールが、各委員の行動予定をモニターに表示させ、各々の委員に確認する。  醒徒会議は、上意下達の日本官僚式会議ではなく、決められた予定は専任者である各委員の意見で、柔軟に変更する。  一応、行動予定表の作成や委員のスケジュール管理等の業務は、醒徒会庶務の早瀬速人が務めることになっているが、 彼は会長や副会長が下す"神の命令"によるパシリで忙しく、実際の庶務業務は効率と秩序の権化であるルールがよく代行していた。 「それでは、山口君」  エヌRに視線を向けられ、名前を呼ばれた慧海は、しばらくキョトンとした顔をしていたが、「あ、あたしか」と言って、手元で磨いていたステンレスのリングを置く。  今は海兵隊異能者部隊のエミー・デリンジャー軍曹ではなく、双葉学園高等部の一年生、風紀委員長の山口・デリンジャー・慧海。  慧海は父親同様に、違法な二重国籍を取得していた、もし日本で殺人犯にでもなったら、パスポートを持って大使館か基地に駆け込めば別人になれる。  「本日、醒徒会長には、蒲田の産業プラザPIOで行われる、ラルヴァ対策会議に出席して頂く、山口君、キミには会長の警護を頼みたいのだが」  慧海は、ブーツを履いたまま机の上に乗せた足を組替えると、サイレンサー連結リングの磨り合わせ作業を再開しながら言った。 「……スーツケースを持ってきて……」  エヌR・ルールが目線だけで聞き返すと、眉間に皺を寄せて複雑な研磨作業をしていた慧海は、手を止め、顔を上げて笑い出す。 「このチビすけを、ペリカンのスーツケースに詰めて会場まで持ってくのよ、ラクだし安全よ、ひっきゃっきゃっきゃ!」  慧海はウェスタンブーツを机の上でガンガン鳴らしながら笑った、隣に座る水分のお茶がひっくり返ったのを気にもしない。  お茶をスカートの前に全部零してしまった水分は、恨みっぽく慧海を見るが、慧海は「蛇口、何いいトシしてお漏らししてんの?」  淡い色の滴をスカートからポタポタ垂らしながら涙目になる水分の姿は、トイレが間に合わなかった子供のようでなかなか可愛らしい。  風紀委員長の慧海と、醒徒会長の御鈴、初対面で饅頭一つをめぐって取っ組み合いをして以来、ケンカの絶えないチビ二人。  慧海は、またちょっとからかってやれば、このチビすけはいつも通り怒って噛みついてくると予想し、テーブルの上の足を伸ばして、 ふたつ隣の御鈴の椅子を爪先でつつきながら、今日はどうやって、このチビの頭を押さえてやろうかと、意地悪な笑みを浮かべていたが、 醒徒会長の藤神門御鈴は、慧海がブーツで蹴り揺さぶっている椅子の上で黙ったまま、俯き始めた、肩を震わせている。 「……いや……いや……はこ…いや…はこのなか…くらいとこ……いや…ひ…ひ…ひっく…ひっぐ…う…う…うわ…うわぁ・・・ん・・・」  顔を上げた御鈴の震える目、見る間に涙が溜まり、頬に流れはじめる、御鈴は真っ赤な顔をくしゃくしゃにして、泣き始めた。 「う…う…うぁぁ~~~ん!せまいのいや~~~はこのなか…いやぁぁ!!あ~~~ん!うぁ~~~~ん!!!」」  御鈴は大声で泣き出した、式神の使い手として、由緒正しき家で厳格な躾を受けた御鈴、何かトラウマがあったのかもしれない。  一応、藤神門御鈴は13才、場所が場所なら汎用ヒト型決戦兵器に乗ったり、男坂の面々と共に死闘を繰り広げてもおかしくない年齢。  しかし、今の御鈴は、すっかり幼児退行してしまった、学園最強の式神使いと言われる、醒徒会長は、ただの幼児となって大声で泣く。  会長を泣かせた慧海はといえば、予想外の反応に戸惑っている、いじくっていたメタルリングが、床に落ちてどっかに転がっていった。  弟も妹も居ず、泣く子の面倒なんて見たことのない、15才の慧海は、目の前でワンワン泣きする御鈴を前に、ただオロオロしている。  慧海はまず、テーブルを挟んだ向かい、出口脇に座る、同じ風紀委員長である逢洲等華に、無駄によく通る声で話しかけた。 「おい、アイス、チビすけ泣いちゃったぞ、何とかしろ」  逢洲は、彼女の得物である二刀、月影と黒陽を鞘から抜き、その手入れに集中している様子、助けを求める慧海に、釣れない返事。 「貴様が泣かせたんだろう、わたしは知らん」  刀に呼気がかからぬよう懐紙を咥えながら、打ち粉で油を落とした月影に丁子油を塗っていた逢洲は、黒陽にシリコンオイルを塗っている。  シリコンオイルと丁子油、どちらが打刀の維持に優れているかは、2chスレでしばしば論争となり、まだ答えは出ていない。  刀を実用品として使っている居合武道家などは、5-56をシュっと吹くだけの人も多いらしいが、逢洲はそこまでものぐさではなかった。  続いて慧海は、会長の隣、逢洲と御鈴の間に座る、書記の加賀杜紫穏の椅子を手で揺さぶって、会長の泣き声を記録する書記仕事を中断させる。 「おい、ドザえもん、このチビにキャンディでもあげて、泣き止ませてくれよ」  一応、紫穏は水死体《ドザエモン》というアダ名に怒る様子は無い、その代わり、慧海のことを「エマちゃん」というヘンな名で呼ぶようになった。  いくら鬼の風紀と呼ばれる自分でも、"閻魔ちゃん"はあんまりだ、せいぜい紫穏が地獄に来たら、何枚でも舌を抜いてやろうと思った。  紫穏は御鈴の横で、回転椅子を左右に揺らし、両手をひらひらさせながら、号泣する御鈴と困り果てる慧海を、はやしたてた。 「♪泣~かした~泣~かした~、会長を~泣かしちゃった~、オトナなのに、子供泣かしちゃった~」  子供の世話をしたことのある方ならおわかりかと思うが、真横でこんなことされた日にゃ、余計に泣き出して収拾つかなくなる。  会議室の隅、出口脇の逢洲と隣り合って座り、議事よりも端末操作に夢中になっていた、醒徒会会計の成宮金太郎に食いついた。 「おい銭金、せっかくそんな、別れた女房の一人二人居そうなツラしてんだ、ガキの面倒くらい見てくれよ」  慧海が最初につけた「キンタマ」というアダ名は、呼ぶたびに赤面する成宮があまりにもキモいという理由で、 慧海が毎週見てるTV番組から取った名前に改名した、一度「成金」と呼んだら、泣きながら怒ったので、それも面倒臭い、  成宮改めキンタマ改め銭金は顔を上げすらしない、個人ディスプレイに映る、どっかのオッサンとチャットで話すのに忙しい。 「今、オレは重要な取引の最中だ、後にしてくれ」  ビジネスマン中学生の成宮は、テンキーを凄いスピードで打ちながら、言葉の通じぬ海外のバイヤーと金銭で会話している。  取引《ディール》に集中している時の成宮は、たぶん真隣で銃撃戦がおっ始まっても、気にもしないだろう。  サウジやアルメニアあたりには、機関銃火の中、平気で双方とトイレットペーパーや原子力空母を取引する商人がザラに居る。  御鈴と慧海の間、さりげなく会長より上座の席に居る副会長の水分に、慧海は縋るような目で、実際、縋りついた。 「え~と…タレ目…じゃなくて水道屋…じゃなくて蛇口…え~と、理緒ちゃ~ん、チビのお守りはお前の仕事だろ~? 頼むよ~」  普段は慧海や、他の醒徒会の面々を、それとなくフォローしてくれる副会長の水分が、プイっと横を向く。 「し…知りません!大体あなたは私を見るたびに、いいトシとか、皆のお母さんとか…わたしはどう見たって、水も滴るピッチピチの16才で…」  涙と鼻水を垂らしながら泣きつづける御鈴、これも一応、水のトラブル、しかし水分理緒はクラシアンのように24時間お任せという訳にはいかなかった。  水分理緒は「じゅうろくさい」と聞いて「え?マジ?」って顔をした醒徒会役員を、自らの脳内にある一生忘れない名簿に書き加えた。 「……え~と……ふじ…ふ…『ふ』は『は』の段ですね…」  水分の「りおちゃんぷんぷんリスト」に書き加えられた人間は、いかに運がよくとも彼女より長くは生きられぬと思ったほうがいい。  万策尽きて四面楚歌、面倒を押し付ける術を失った慧海は、自分の指定席である部屋の最奥、以前の御鈴の指定席だった場所から、 ふたつ隣にある今の会長席、窓際の席まで回転椅子を転がして行くと、大人サイズの椅子にうずくまって泣いている御鈴の横に立つ。  しゃくり上げる御鈴の横で、上下する肩に手を触れた慧海は、室内でも被りっぱなしのテンガロンハットを後ろにずらし、 ヒッコリーの香りと共に零れ出した金色の髪を右手で掻きながら、左手で御鈴の肩に、そっと触れた。 「お…おい…泣くな…な?、…悪かったよ、チビすけ、スーツケースには詰めないから」  幼児退行した御鈴が涙に濡れた目で、慧海を見上げる、いつも意地悪するデンジャー、醒徒会の中でも、本気でぶつかり合った相手。 「…ひっく…えっく…ほんと?…でんじゃー…みすずを…くらいとこに…とじこめない?…こわいことしない…?」  慧海は片手で御鈴の肩を抱きながら、もう一方の右手で胸を、胸に吊った銀色のデリンジャーを、ポンと叩く。 「あぁ、このあたしが、チビすけを会場までエスコートしてあげるわ」  普段はケンカばかりしてるデンジャー、今は泣く自分の横に居てくれる慧海に、御鈴は頬を寄せ、両手を慧海の体に回す。 「…えっく…えっぐ…でんじゃー…ありがとう…みすず…でんじゃーのこと、すきだよ……」  御鈴は、慧海の胸に顔をおしつけた、慧海も苦笑いしながら片手で金髪をかきあげ、もう片方の手で御鈴の髪を、不器用に撫でる。  醒徒会委員会が水分ママと、龍河弾変態パパの一家なら、会長の御鈴は、甘えたがりで甘え上手な末っ子。  そして、慧海は、新しく産まれた御鈴に、パパママやお姉ちゃんを取られた、下から二番目の悪ガキなのかもしれない。  しっかり者の長女役にふさわしい逢洲は、珍しく、それが姉妹の本来の姿のように寄り添っている慧海と御鈴を見ながら、 「お…おい…ちょっとくっつき過ぎなんじゃないのか?会長!…わたしの…じゃなく風紀委員の慧海から離れないか!」  お調子者でマイペースな次女の紫穏は、興味深々な目で二人を見ている、また下の子二人が大ゲンカを始めるのを期待してる顔。  女の強い家族では立場の薄い、男兄弟っぽいエヌR・ルールと成宮金太郎は、蚊帳の外で自分の仕事をしている。  醒徒会の六人と風紀委員二人、大家族は何だかんだで今日も安泰のようだ、これで怪しいお隣さんの蛇蝎一家が居ればフルメンバー。  あと一人、貰われッ子が居たような。  一応、年齢も体格も、そして醒徒会一家での立場も、自分よりほんの少しお姉ちゃんの慧海、その胸に顔をこすりつけた御鈴は、 慧海の一枚800ドルの特注シャツで涙と鼻水を拭き、ちょっと落ち着いた様子だったが、突然自分の体を抱いて震え始めた、また涙を滲ませる。 「でも…おそとにでて…こわ~い"らるぶぁ"におそわれたら…どうしよう…」  まだ幼児退行したままの御鈴の肩に止まる十二支天、白虎、彼女の式神であるびゃっこが、任せとけとばかりに「んな~♪」と鳴いた。  慧海は椅子の上で小さくなっている御鈴の前にしゃがみこみ、青緑の瞳で、御鈴の怯える目に視線を合わせながら、はっきりと言った。 「…ミスズ…わたしを見ろ…大丈夫よ…何があっても、あたしがミスズを守ってやる、あたしは今から、あんたのゴリラよ」  ようやく泣きやんだ御鈴が、慧海の目をのぞきこむ、どう慰めても泣き止まない子は、ほんのちょっとの好奇心で機嫌を直したりする。 「・・・ごりら?・・・」  慧海は自分の胸を叩いた、貧乳で細身の彼女は、胸板も薄かったが、彼女の意思を必ず遂げる保証書が、胸で金属音を発てる。 「そうだ!ゴリラは強いんだ」  御鈴は慧海の顔に両手を当て、日本人より白く滑らかな頬と、欧米人特有の、肉食に適した細く鋭い顎を、確かめるように触った。    皆が和らいだ目で二人を見る中で、逢洲は、御鈴が慧海を独り占めしている姿に、握り締めた刀をギチギチ鳴らして悔しがっている。 「うん…えみがいれば…なにがあっても…あんしん…えみはつよ~いごりらさんだから…」  やっと笑った御鈴の肩に止まるびゃっこは、前足で自分を指しながら「んな?んな!んな~ぉ!!」と、必死でアピールをしていた。         ゴリラ  ゴルゴ13やアメコミ邦訳本等、アメリカ地下社会を題材にしたコミックでは、用心棒《ゴリラ》という表記がしばしば見られる。  シカゴ・マフィアの隠語で"ゴリラ"とは、肉体と腕っ節でボスをガードするコワモテの取り巻き、直衛の拳銃使いを意味する。  御鈴は、慧海を見て、一度視線を外す、泣き止んだものの、まだ幼児退行が収まってない御鈴は、慧海をチラチラと見ている。  もう自分の足で歩ける子供が、母親に、昔よくしてもらった何かをおねだりする時のように、もじもじしながら指をすりあわせる。 「…もうひとつ、おねがいしてもいい・・・?」  慧海は頭の後ろに引っ掛けていた革のテンガロン・ハットを、照れを誤魔化すように深く被り直しながら、渋面で応えた。 「ん~、泣かせちゃったからな、いいわよ、チビすけ、何でもいいな」 「くるままで…だっこして…」  会議室の隅、さっきから落ち着かない様子だった逢洲が、鞘ごと握っていた二振りの刀を放り出して、ガタっと立ち上がった。 「ま・・・待て!慧海!いや特にどうというわけではないが、おまえは風紀委員だ、そして、わたしも風紀委員、うん、そうだ だからこそ、その、おまえは、会長より、先に、その、わたしを、その、だ、だ、だだっだだだ、だっこを、するべきではないか、と…」  身長163cmの逢洲が、剣道家お得意の摺足で、じりじりと慧海に近づく、慧海、danger zoneシリーズ始まって以来最大のピンチ。  慧海は、142cmの細い体で、134cm+厚底靴の御鈴を何とか抱き上げようと、抱えたり担いだり引きずったり悪戦苦闘し、 だっこ、というより下手な二人羽織のような姿で、会議室の出口に向かって、二人仲良く横歩きをしている。  御鈴を抱きかかえながら歩く慧海を捕獲すべく、距離を詰める逢洲の前に、醒徒会広報の大男、龍河弾が立ちふさがった。 「そうかそうか、逢洲君は"抱っこ"をして欲しいのか、じゃあ俺が、この鋼の肉体でだっこしヘクション!」ビリッ  全裸 「ハッハッハ、またしても我が肉体メタモルフォーゼが発動してしまった、これは少々、女のコにはサービスが過ぎるかな?」  今度こそ本気でチョン斬ってやろうと思い、刀に手をかけた逢洲と龍の間に水分が現れる、これがホントの水入り。 「龍さんは、わたくしが抱っこしてさしあげますわ、水の冷たさと清らかさに抱かれる、秘技"水抱き" どちらかといえば愛撫より、拷問のほうで有名になってしまっていますが、まぁ、同じようなものですから」  龍河弾は全裸のまま、どこからか出した水の塊をぶつけられる、そのまま水柱に閉じ込められ、水中バレエ団のような姿でもがいている。  エヌR・ルールと成宮金太郎は、互いを見合わせて「だっこ?」と複雑な表情、何見つめ合ってんだこの二人はw  後ろから来た紫穏が「はいはい、抱っこして欲しいなら、あたしがしてあげるわよ~」と両腕に二人を抱き上げた。  窓際に立って、もがく二人を「ほら高い高~い♪」としていた紫穏は、「疲れちゃった」と、異能の篭った腕を休ませた。  ポイッ   ポイッ  桃色の花が散り、青葉芳しき桜の樹に、醒徒会の会計と会計監査が刺さっている様は、中々に風流なものだったが、 後から、滝のような水流と共に落ちてきた全裸男のおかげで、いささか傾奇《かぶ》いた姿となった。  窓の下に聳え立つ桜の大樹に咲く成宮とエヌR、龍、三輪の花を見下ろした早瀬速人、記述してなかったが一応パシリから帰ってきてた。  今日はまだ撃たれてないことに安心した彼は、哀れ季節外れの開花を披露した三人を見下して、高笑いのひとつもしようとしたが、 突然、背後から飛んできた弾丸を尻に食らって、開け放った窓から吹っ飛ばされ、ソメイヨシノの若葉を彩る花の一輪に加わった。  早瀬が悲しいことに聞き慣れてしまった銃声とは異なる、シュ、という、ガス圧の椅子を上下させたような、消音拳銃の音。 「こら~、チビすけ~、勝手に銃でいたずらしちゃいけないぞ~」  窓から落下していく早瀬が、薄れ行く意識の中で聞いた声は、すっげぇ棒読みだった。  醒生徒会会議室の直下、4人の醒徒会役員が咲いた桜の木、その傍らには、大樹を見上げながら微笑む、巫女服の少女が居た。 「…桜ではなく…菊の花でしたね…」  稀有な異能である観桜能力を備えた生徒、神那岐観古都は、醒徒会からの贈り物、季節外れの満開菊花を楽しんだ。  東京湾の人工島から、蒲田の産業プラザまでの20km少々の道中は、普段は学園の上層部が使用するリムジンに乗って移動することとなった。  自分の車でしばしば学園外まで遊びに出ている慧海は、「あたしのキャディラックで行ったほうが速いわよ」と言ったが、 大音響のマフラーとウーファーを積んだ、900馬力の79年式キャディラック・セヴィルで、産業プラザに乗り込むのは、 後の予算獲得に影響するだろう、ということで、慧海と御鈴は、生徒にはまず使えないリムジンの贅沢に甘んじることとなった。  石敷きの正門前広場が自転車、バイク置き場となっている産業プラザPIO、もしも慧海がキャディラックで行ったなら、 自転車と仕切りのポールをなぎ倒しながら、車体を真横に滑らせて正面入り口前にベタ付けするのが目に見えていた。  ボディを延長加工《ストレッチ》せず、前席と後部座席を隔てる、開閉式の仕切窓《パーテーション》を付け足しただけのショートリムジン。  目立たぬ銀色のベンツを運転しているのは、紺色のスーツを着た若い長身の男、好男子というより、平凡な顔。  カーナビの画像を後席のモニターに出し、慧海に経路を確認したドライバーは、前方の道路を油断なく見ながら、唐突に話した。 「はじめまして、風紀委員長、わたしは…デミ・ヒューマンのラルヴァなんですよ、社会馴化のため、ここで働かせて頂いてます」  会長の御鈴は知っていた、だから、このリムジンに乗るとき、いつもこの丁寧でユーモアもあるドライバーに対して、若干の緊張がある。  学園に来るまでの時期を、軍隊の中でラルヴァを殺すことで過ごしてた慧海は、突然、後席から前席へと上半身を滑り込ませた。 「へ~、ラルヴァなんだ、ところでこのリムジン、新しいメルツェデスじゃないの?こないだまで使ってたトヨタより、こっちの方がいい?」  学園でトップクラスの対ラルヴァ戦闘スコアを持つ、慧海の噂を聞き、警戒、秘匿するよりノーガードで行こう、と決めていたラルヴァは、 リムジンの後席とを隔てるパーテーションの防弾ガラスを開け、前席に体を乗り出して気さくに話しかけてきた慧海を見て、 護衛兼運転手にとって、視線を隠すために欠かせないサングラスを外すと、ピンク色に近い薄赤の瞳で、人懐っこく笑った。 「…やっぱりトヨタよりよく走りますよ、ベンツのアルミエンジンはフロントが軽い…私は高橋 孝也です、よろしくお願いします」  慧海は、目の前のドライバーがラルヴァだということより、学園のリムジンになっている、ベンツのグロッサー・セダンに夢中だった。 「タカハシ・・・タカヤ・・・ん~と、よろしく、タカタカ!あたしは、エミでいいわ」  左手で運転しながら、器用に右手を後ろに伸ばしたラルヴァと握手を交わす慧海を見て、呆気に取られていた御鈴も、横から手を差し出した。 「何度も世話になって挨拶して、まだ握手をしてなかった、よろしく頼む、私は…御鈴ちゃんって…呼んでくれたら…嬉しいぞ」  この高橋孝也という語呂のよすぎる名前は本名のアナグラムで、ラルヴァ言語での本名は、人間の声帯構造では発音できないらしい。 「では、改めてよろしくお願いします、素敵なレディの御鈴ちゃん、私は…アハハっ…そのタカタカって名前で呼ばれたいです」 「よろしく、タカタカ」   「では、これより学園敷地外に出ます、シートベルト着用にご協力ください…何か音楽でもお聞きになりますか?」  東京湾の人工島から、蒲田までの道中のBGMは、タカタカがカーステレオで流そうとした、NHK-FMのバッハではなく、 彼の私物であるオーディオプレイヤーを目ざとく見つけた慧海が、勝手に繋いで大音響で流した、エロゲサントラ集だった。  御鈴は「何だこの楽曲は?何だこの歌詞は?なぜメイドがそんな事をする?なぜ妹がそのような不埒な真似を?」と不思議な様子。  メイドさんロックンロールを皮切りに、双葉学園のリムジンは電波ソングを流しながら、首都高湾岸線を疾走した。  湾岸から首都高環八線で5kmほど陸に入った蒲田、双葉学園から橋経由で20kmほどの、産業プラザPIOまでの、半日の出張。  政府関係者や官僚、制服自衛官によるラルヴァ対策会議、主に予算配分とその運用についての話し合いは、つつがなく進行した。  さっきまで幼児退行していた御鈴は、電子生徒手帳とタッチペンで、真摯にメモを取りながら、会議への聴聞参加をしている。  慧海は会議中も、サイレンサー連結リングの研磨をしていたが、仕上げが大方終わり、延々と続く数字の発表に飽き飽きさせられた。  会議後、何人かの政府関係者が、異能の名門デリンジャー・ファミリーの娘の元に挨拶に来たが、慧海はウェスタンハットを顔に乗せ、居眠りをしていた。  会議への聴聞出席を終えた慧海と御鈴は、会議場となった大田区産業プラザ、その北東側にある職員通用口から出た。  お忍びというわけでもないが、現在リムジンを着けられるのは、大型展示物の搬入口を兼ねた北西側、国道沿いの正面入り口となっている。  自転車が一時的に撤去され、車での来訪者のための臨時ロータリーとなった正面入り口からは、政府関係者が、続々と官用車で帰っている。  政治家の半分くらいが官用車を使わず、秘書と共にsuikaを持って、車より早く時間に正確な電車で帰ってるのは、ご時世だろうか。  それにしても、一度に一台しか車をつけられぬ正面入り口は混んでいて、立場の弱い双葉学園関係者は、後回しになるのはわかりきっていた。  もう一つの理由は、御鈴と一緒に会場に着いた直後、御鈴を待たせて。見取り図を片手に建物を歩き回った慧海の、セキュリティ上の判断。  もしも慧海が殺人者となり、自分自身や御鈴、あるいは人間に与するラルヴァのタカタカを襲うなら、正面玄関から出て、車に乗る時を選ぶ。  架空物語では定番だが、実際には要人暗殺にはほとんど用いられない遠距離狙撃銃など不要、ただ群集に混じって接近し、拳銃で撃てばいい。  オーストリア皇帝、ロバート・ケネディ、オズワルド、ベニグノ・アキノ、サダト、そしてデリンジャーで射殺されたリンカーン大統領。  同じ方法で撃たれた重要人物は、とてもここには書ききれない。  無防備な正面入り口は問題外、細い道路を挟んで、雑居ビルやマンションの並ぶ南西側の出入り口も、撃ち下ろしの位置を取られる。  駐車場と直結した地下の出口など、待ち伏せには格好のポイントだろう、南東側はマンションと公園に面していて、車がつけられない。  慧海は消去法で、ドアを開けると雨避けの空間がある、北東側の職員通用口から帰るのが最も安全と判断した。  細いがリムジンが何とか通れる路地の向こうは、区営の広い駐輪場になっていて、空間は警護する人間にとって、最良の防衛線となる。  何より自分自身が暗殺を実行するなら、一番イヤな場所、慧海はそれに関しては、警護よりも詳しく、経験も豊富だった。  タカタカの運転するベンツが、事前に慧海と時計合わせしたタイミングを守り、一方通行の道をバックで近づいてくるのを確かめた慧海は、 会議への出席で少し疲れた様子の御鈴を戸口の影で待たせた後、通用口から外に出た、建物が台形に引っ込んだ、ドア前のスペースで待つ。  このまま、目の前にリムジンをつけさせれば、無防備に体を晒すことなく乗り込める、慧海は要人警護の教科書的な乗車準備を整えた。  国立機関のリムジンに近隣住民以外の車両進入禁止、一方通行違反をさせているという些細な問題も、教科書の中ではテクニックの一つに過ぎない。  安定した後退走行をしていたベンツが、予定外の急ブレーキをかけた直後、慧海は視界の端で黒い影が動くのを捉えた、三つ。  黒い服を着た男達が、慧海と御鈴を取り囲んでいた、自転車整理や駐禁取締りの老人ボランティア職員には見えない。  三人の黒い男は、拳銃を手にしていた。  人間、特に異能者と敵対関係にあるデミヒューマン型ラルヴァ、彼らの中には、組織化された集団の体を為す者は多い。  その中でも、黒いスーツに黒いネクタイ、黒いセルフレームのサングラス、という格好でキメた、奇妙な一団が居る。  ブラック・ラルヴァと呼ばれる組織、同名の構成員ブラックラルヴァの黒服は、人間とデミヒューマンの皮膚の微妙な質感の違いを誤魔化すためとも言われていて、 双葉学園でラルヴァとの戦闘を指導する、自衛隊出向の教師は、別の理由についても教えてくれた。  戦史の専門家だった自衛官は、モニターに黒い旗、骸骨に交差させた骨をあしらった図案の、海賊旗として知られる旗を表示させた。  私掠旗  19世紀以前、政府より交戦国の商船への略取襲撃許可の下りた公認海賊、私掠船の、敵対国籍船舶への宣戦布告に相当する旗。  指揮下への恭順を示せば危害を加えず、拒否、応戦すれば断固たる攻撃を以って、略取を実行する意思を示した警告。  先に撃たない、無用の殺生はしないという建前、略奪者に伍した船乗りの最後の誇りを示した旗は、後世、海賊旗として有名になった。  自らの所属と、明確な意思を示した後に攻撃をする、人間への敵対を表明したラルヴァの、旗に相当する黒いスーツは、軍服でもあった。  軍服無き、宣戦なき戦いは泥沼化し、最終的には勝者無きまま双方が疲弊する、人類の繰り返した不正規戦争を、ラルヴァは敗北よりも恐れていた。  大規模組織ブラック・ラルヴァの構成員、ラルヴァを分類する研究者には、同じくブラックラルヴァと名づけられているデミヒューマンは、 異能の武器でも、デミヒューマンが人間襲撃時にしばしば使役するビーストラルヴァでもなく、ありふれた拳銃を手にしていた。  いかに異能の達人であろうと、それを使用するのが人間である限り、詠唱だの発動とかに先駆けて撃たれれば、終わり。 「間に合ってよかった、こちらからお帰りになるとは思いませんでした、お手数ですが、近くまでご足労頂けますか?」  三人はどうやら、慧海の背後、建物の中から出てきたらしい、単独での警護の弱点を衝かれた慧海は、歯をかみしめる。  別の出口から素早く出てきた一人が、拳銃を突きつけリムジンをストップさせると同時に、慧海と御鈴の背後から、二人の黒服。  黒服のデミヒューマンを素通りさせる建物警備の甘さ、何より、付け焼刃な防御力強化しか出来なかった自分の、背中の甘さが憎かった。 「ちっ、だからあたしのキャディラックで行けばよかったんだよ」  目に見えるだけで三人の黒服男、そのうちの一人はリムジンの横に立ち、サイドウィンド越しに運転席に向けて拳銃を突きつけている。  肝の据わったタカタカは、大人しく両手を上げる途中、手がぶつかった振りをして、ルームミラーを慧海達が見える角度に動かした。 「我々はあなた達二人を人質に取ります、抵抗しない限り、あなたがたに危害を加えないことは約束します」  三人のブラックラルヴァ、彼らの手には、スミス&ウエッソンの22口径オートマチック拳銃が握られていた。  銃身にはサイレンサーが捩じ込まれている、慧海の作った日曜大工サイレンサーとは異なる、高価そうな軍用減音装置。 「ハッシュ・パピーを持ってくるとはね、趣味が合いそうだわ」  "チビ犬!黙れ!"という名前を持つミシシッピ郷土料理の名を冠した、軍用消音拳銃、ベトナム戦争で採用されて以来、 その名の通り、基地をガードする軍用犬を音も無く片付ける仕事に最適とされた拳銃、無論、人間を撃つ方でも多くの実績を残した。  後にハッシュパピーは、制式拳銃のベレッタやH&Kと、サイレンサー他のアクセサリーを折り詰めにした、総合モジュールユニットに取って替わられたが、 スライド閉鎖式の22口径オートが持つ高い消音効果を好んで、ハッシュパピーを個人購入して使用する軍人は多く、 それを模して、市販されているS&Wに22口径コンバージョンと自作のサイレンサーを組み込む個人マニアは、もっと多かった。  特に、目の前の気取り屋のような、黒ずくめの服を着て戦争気分の連中に、ハッシュパピー消音拳銃は最適の武器だった。  ラルヴァ殺しのため、政府に飼われたチビ二人を脅すのに、チビ犬殺しの銃を持ってくるユーモアは、慧海にとってまことに面白くない。
[[ラノでまとめて読む>http://rano.jp/1083]] danger zone4 ~GORILLA~  山口・デリンジャー・慧海の防御力向上訓練、九日間の無断休暇が明けてから数日後、数回目の醒徒会会議。  慧海はいつも通り、会議室の最奥、壁を背にした席で、ブーツを履いた足を大理石の机に乗っけながら、会議に参加していた。  各委員や役員の発言に目もくれず、会議が始まって以来ずっと、手元にある金属片を、セーム革とコンパウンドで磨いている。  慧海が先月から製作を進めている、自身の異能弾丸を発射する武器、レミントン・デリンジャーに装着可能な二銃身サイレンサー。  本体の消音チャンバーは、ウィスキーの携帯容器《メタル・フラスコ》を側《ケース》に使って完成させたが、サイレンサーと銃身の結合に試行錯誤した。  古臭くも確実な捩じ込み式は、楕円二銃身のデリンジャーには装着が難しいし。軍用オートに多いキーロック式は弾道が特定方向にズレる。  慧海は幼成体ラルヴァ救助のため、空母エンタープライズに行った時、海軍の艦乗りが、遊戯射撃《ブリンキング》に使っていた、 私物のルガー22に装着されたサイレンサーに興味を持ち、試射と分解をさせてもらった、ガン雑誌に出ていた個人製作サイレンサーの模作らしい。  特定の固定機構を持たず、銃身に差しこむだけの珍しいサイレンサー、茶筒に蓋が嵌るように、研磨した金属の摩擦密着のみで銃身と結合する。  精密に加工された円筒の歯冠に、義歯に埋め込まれたメタルキャップを被せるだけで固定する、コーヌスクローネ義歯からヒントを得たもの。  ただ、銃身をメタルリングに挿入するだけで、粘性の高い新世代ステンレスのリングが、ゴムのように嵌り、鋼のように安定する。  発射時には、弾丸通過によって起きる銃身の蠕動膨張と発熱で、リングはしっかりと銃身と噛み合い、発射後は手で速やかに抜ける。  固定リングにフロントサイトが嵌る"逃げ"となる溝を掘っておけば、銃身やサイトを加工しなくても装着が可能。  慧海は簡単に装着できて、かつ銃の加工が不要なメタルリング式サイレンサーの製作を決め、数日前に日立金属から材料の新世代ステンレスを入手していた。  自分専用寮のガレージに、キャディラックのメンテナンスや銃の加工のため備え付けてあったボール盤とミニ旋盤で、いくつかのリングを削りだし、 あとは厚いプラチナのコーティングを鏡面仕上げしたデリンジャーの銃身に合わせて、水も漏らさぬ入念な研磨をするのみ。  慧海はここ数日、試作や予備を含めていくつか作ったサイレンサー連結リングの研削と研磨を、授業中も会議中も行っていた。  授業のノートも取らず、会議での発言もせず、ただ楕円筒状のリングを磨いている慧海を、邪魔する命知らずは、今の所は居ない。  慧海は自らの仕事に誰よりも真摯な少女だ、与えられた仕事じゃない、自分の頭で判断し、決断した仕事は、必ずやりとげる。  以前、慧海が海兵隊にいた頃、アーノルド・シュワルツェネッガー国務長官が、慧海の所属する海兵隊異能者部隊"99er's"を視察に訪れた。  対ラルヴァ戦闘フォーメーションの欠陥が明らかになった訓練から、帰投した直後の慧海は、シュワルツェネッガーの顔を見るなり、 「これからフォーメーション会議《ブリーフィング》だ! 邪魔すんじゃねぇ! 」と、怒鳴りつけ、国務長官と報道官を唖然とさせた。  海兵隊の異能者が、模造紙に6色のペンで描く無数のフォーメーション、自身の動線を示す赤いペンを走らせていた慧海は、 まだ居るシュワちゃんに、手近にあったモップを投げつけ「ヒマそーに突っ立ってんなら、その辺掃除しとけ!」  異能の少年少女達、慧海の戦友は、今更な慧海の態度より、人を罵る時だけ淀みない英語にツッコミたい気分だった。    ブリーフィングが終了する頃、緊急出動ベルが鳴り響き、異能者達は国務長官を一顧もせず、各々の異能アイテムを掴みながら駆け出した。  山口・デリンジャー・慧海ことエミー・デリンジャー軍曹は、小隊指揮官《ワンゼロ》として部隊専属のジェットヘリで出動した。  ニューメキシコでの、街ひとつを包む不定形ラルヴァとの戦闘、欠陥のあった以前のフォーメーションでは危なかった。  死地を生き延び、基地に帰った慧海は、オーストリア人の几帳面さで隅々まで綺麗になった異能者部隊の待機室を見て、機嫌をよくし、 アーノルド・シュワルツェネッガー国務長官と報道官による視察と取材、質問を、帰投直後の疲れた体で快く受けた。  シュワちゃんにモップ掃除をやらせた軍曹の話はホワイトハウスでも語り草となったが、なぜか海兵隊異能者部隊の次期予算は少し増え、 デリンジャー軍曹とその部下達は、念願叶って異能者部隊に配備された冷蔵庫と、中に詰まった50ケースのバドワイザーを、皆で拝んだ。  慧海は、醒徒会議の内容を片耳と脳のはしっこで聞きながら、サイレンサー連結リングの仕上げに集中していた。  マイクロメーターや真円ゲージなどあてにならぬ、自分の目と指、時に舌まで使って表面形状を調整する、精密な研磨。  図書館や教会、あるいは教室で、音もなく人やラルヴァを撃つために、自らの仕事に必要な、微声拳銃を作るために。  風紀委員長の立場でありながら、携帯も通じない9日間の無断欠席をした慧海への譴責は、彼女が皆に配ったお土産で、幾分緩和された。  少なくとも、慧海が帰ってきたら、どんなにしおらしくしてようが、キツ~いお仕置きをしてやろうと手ぐすねをひいていた逢洲は、 午後の会議中に図々しく入ってきた慧海をみた途端「はぅあ?」という呻き声と共に、すべての追求意思を消滅させた。  海兵隊パジャマ姿で、ハワイ沖の空母エンタープライズまで呼び出された慧海は、艦で着替えの服を借り、そのまま学園に来た。  山口・デリンジャー・慧海は、米海軍制式作業服のひとつ、海に咲く純白の花と呼ばれる、パンツスタイルのセーラー服を着ていた。  白地に紺のラインが入ったセーラーキャップからこぼれる、金色のツインテール、首のスカーフは、鮮やかな赤の私物に替えている。  ハワイ沖でほんの少し日焼けした慧海、目に眩しい白のセーラー服からは、微かに南太平洋の海と、ブーゲンビリアの香りが漂う。  会議をしていた醒徒会の面々と、風紀委員研修のため、会議を見学していた風紀委員会サポート委員の飯綱百《いづなもも》は、 普段は、その過激な行動ばかり注目されて忘れがちだった、ほぼ白人に近い日米混血少女、慧海の見てくれのよさに、改めて気づいた。  慧海は、自分に向けられた、いつもの抗議するような目とは違う視線を、不思議そうに眺めながら、いつもの彼女と何ら変わらず、 奥の席に座っていた会長の藤神門御鈴をさっさと追い払って座り、素足に履いた白いコットンシューズを、テーブルに乗っける。  慧海の傍若無人な態度を、毎回忍耐強く諌めている逢洲は黙ったまま、セーラー服姿の慧海を、眼球に焼き付けんばかりに注視している。  他の醒徒会役員達も、物珍しい慧海の姿を見て、ちょっと得をした気分になり、とりあえず、無断欠席についての問責は後回しとなった。  会議室に入った慧海の動き、防御を重視し、さりげなく自分の半径2m以内には人を入れぬ曲線を描く歩き方に気づいたのは、 生徒課長の都治倉喜久子《つじくらきくこ じゅうななさい》と、忍者少女の飯綱百《いづなもも》だけだった。  逢洲陰流の皆伝級剣士である逢洲等華も、それに気づくに足る鋭い感覚を養っていたが、今はそれどころじゃない様子で目を血走らせている。  以後、慧海が懲りずに遅刻や欠席をすると、逢洲は「ば…罰として明日はセーラー服で来~い!」と、訳のわからぬ事を言うようになったが、 海軍補給廠から、返納しなくていいと言われた白いセーラー服は、特に船に乗る用も無いので、クローゼットに放りっぱなしになっている。  会議中に乱入してきた慧海は、進行中の議事を無視し、醒徒会の皆にお土産を配った、一応、空母への緊急出動は国家の極秘事項。  まず、逢洲には銃声の中でも会話できる骨伝導カナルの通話ユニットと、銃声はカットするが会話音は通す、ソニックⅢの耳栓《イヤーヴァルヴ》。  カナル・ユニットは秋葉原に行けばBluetoothのものが買えるが、金を払うのも癪だったので、空母管制室に転がってた中古品を持ってきた。  御鈴にはゼリービーンズ、水分には背負う水筒キャメルバッグ、紫穏にはスリングショット・ピストル、百にはスペツナズ・ナイフ。  パジャマ姿で、一銭も持たずに空母を訪れた慧海が、下士官娯楽室で貰い集めてきた、お菓子やオモチャ、タダほど慧海の好きなものはない。  成宮、龍、エヌRには、"空母エンタープライズ饅頭"をひと箱づつあげて済ませた、早瀬には慧海の食い残しの携帯食料《レーション》。  慧海からのはじめてのプレゼントに、彼女の無断欠席も忘れ、ご機嫌だった逢洲は、後に慧海が生徒課長に、お土産として、 F14戦闘機の再配備を記念して、空母内限定で販売、配布していた雄猫《トムキャット》のパンツをあげたのを知り、ひどく嫉妬した。  空母エンタープライズでの、旧友の娘、ジャッキーの救助と、護衛を勤めた伍長の遺体収容を終えた慧海は、双葉学園に帰ることを決め、 借り物のセーラー服姿でハワイ沖の空母から内火艇《カッター》でオアフ島に上陸した後、そのまま真珠湾の太平洋艦隊司令部に向かった。  パジャマ一枚で戦闘機に乗せられ、空母まで運ばれた慧海、地球を四分の一周した先にある日本に帰ろうにも、一文無し。  海兵隊の慧海にとって、こういう都合のいい時だけは"お友達"の海軍で、官費決済用クレジットカードでも借りる積もりだった。  海軍司令部の窓口で少し待たされた後、帰りの足代が支給されることが伝えられ、軍のトラックで空港まで送って貰った。  形式的には予備役海兵隊軍曹の慧海、日航のエコノミーか、よくて韓国かロシアの安売りビジネスクラスだと思ってたが、 民間機をストップさせたホノルル国際空港に着陸したのは、米大統領専用機エアフォース・ワンと、随行予備機エアフォース・ツー。  海軍の象徴たる空母エンタープライズと、国防総省の最重要"人物"ジャクリーヌ・ジャクソンを救った慧海への、ペンタゴンからのささやかな返礼。  大統領専用椅子で昼寝を楽しむ慧海を乗せたボーイング777は、エアフォースワンの特権で成田ではなく羽田空港に着陸した。  VIP区画で降機した慧海は、米大使によって用意されたリムジンを、渋滞を理由に断り、空港のゴミ捨て場で拾ったママチャリに乗って、双葉学園に帰ってきた。  その日の会議、慧海はいつも通りのウェスタンスタイルで、いつも通り最奥の席でテーブルに足を載せながら、ステンレス磨きに集中していた。  会議室のメインモニター前に立った、醒徒会会計監査のエヌ・R・ルールが、各委員の行動予定をモニターに表示させ、各々の委員に確認する。  醒徒会議は、上意下達の日本官僚式会議ではなく、決められた予定は専任者である各委員の意見で、柔軟に変更する。  一応、行動予定表の作成や委員のスケジュール管理等の業務は、醒徒会庶務の早瀬速人が務めることになっているが、 彼は会長や副会長が下す"神の命令"によるパシリで忙しく、実際の庶務業務は効率と秩序の権化であるルールがよく代行していた。 「それでは、山口君」  エヌRに視線を向けられ、名前を呼ばれた慧海は、しばらくキョトンとした顔をしていたが、「あ、あたしか」と言って、手元で磨いていたステンレスのリングを置く。  今は海兵隊異能者部隊のエミー・デリンジャー軍曹ではなく、双葉学園高等部の一年生、風紀委員長の山口・デリンジャー・慧海。  慧海は父親同様に、違法な二重国籍を取得していた、もし日本で殺人犯にでもなったら、パスポートを持って大使館か基地に駆け込めば別人になれる。  「本日、醒徒会長には、蒲田の産業プラザPIOで行われる、ラルヴァ対策会議に出席して頂く、山口君、キミには会長の警護を頼みたいのだが」  慧海は、ブーツを履いたまま机の上に乗せた足を組替えると、サイレンサー連結リングの磨り合わせ作業を再開しながら言った。 「……スーツケースを持ってきて……」  エヌR・ルールが目線だけで聞き返すと、眉間に皺を寄せて複雑な研磨作業をしていた慧海は、手を止め、顔を上げて笑い出す。 「このチビすけを、ペリカンのスーツケースに詰めて会場まで持ってくのよ、ラクだし安全よ、ひっきゃっきゃっきゃ!」  慧海はウェスタンブーツを机の上でガンガン鳴らしながら笑った、隣に座る水分のお茶がひっくり返ったのを気にもしない。  お茶をスカートの前に全部零してしまった水分は、恨みっぽく慧海を見るが、慧海は「蛇口、何いいトシしてお漏らししてんの?」  淡い色の滴をスカートからポタポタ垂らしながら涙目になる水分の姿は、トイレが間に合わなかった子供のようでなかなか可愛らしい。  風紀委員長の慧海と、醒徒会長の御鈴、初対面で饅頭一つをめぐって取っ組み合いをして以来、ケンカの絶えないチビ二人。  慧海は、またちょっとからかってやれば、このチビすけはいつも通り怒って噛みついてくると予想し、テーブルの上の足を伸ばして、 ふたつ隣の御鈴の椅子を爪先でつつきながら、今日はどうやって、このチビの頭を押さえてやろうかと、意地悪な笑みを浮かべていたが、 醒徒会長の藤神門御鈴は、慧海がブーツで蹴り揺さぶっている椅子の上で黙ったまま、俯き始めた、肩を震わせている。 「……いや……いや……はこ…いや…はこのなか…くらいとこ……いや…ひ…ひ…ひっく…ひっぐ…う…う…うわ…うわぁ・・・ん・・・」  顔を上げた御鈴の震える目、見る間に涙が溜まり、頬に流れはじめる、御鈴は真っ赤な顔をくしゃくしゃにして、泣き始めた。 「う…う…うぁぁ~~~ん!せまいのいや~~~はこのなか…いやぁぁ!!あ~~~ん!うぁ~~~~ん!!!」」  御鈴は大声で泣き出した、式神の使い手として、由緒正しき家で厳格な躾を受けた御鈴、何かトラウマがあったのかもしれない。  一応、藤神門御鈴は13才、場所が場所なら汎用ヒト型決戦兵器に乗ったり、男坂の面々と共に死闘を繰り広げてもおかしくない年齢。  しかし、今の御鈴は、すっかり幼児退行してしまった、学園最強の式神使いと言われる、醒徒会長は、ただの幼児となって大声で泣く。  会長を泣かせた慧海はといえば、予想外の反応に戸惑っている、いじくっていたメタルリングが、床に落ちてどっかに転がっていった。  弟も妹も居ず、泣く子の面倒なんて見たことのない、15才の慧海は、目の前でワンワン泣きする御鈴を前に、ただオロオロしている。  慧海はまず、テーブルを挟んだ向かい、出口脇に座る、同じ風紀委員長である逢洲等華に、無駄によく通る声で話しかけた。 「おい、アイス、チビすけ泣いちゃったぞ、何とかしろ」  逢洲は、彼女の得物である二刀、月影と黒陽を鞘から抜き、その手入れに集中している様子、助けを求める慧海に、釣れない返事。 「貴様が泣かせたんだろう、わたしは知らん」  刀に呼気がかからぬよう懐紙を咥えながら、打ち粉で油を落とした月影に丁子油を塗っていた逢洲は、黒陽にシリコンオイルを塗っている。  シリコンオイルと丁子油、どちらが打刀の維持に優れているかは、2chスレでしばしば論争となり、まだ答えは出ていない。  刀を実用品として使っている居合武道家などは、5-56をシュっと吹くだけの人も多いらしいが、逢洲はそこまでものぐさではなかった。  続いて慧海は、会長の隣、逢洲と御鈴の間に座る、書記の加賀杜紫穏の椅子を手で揺さぶって、会長の泣き声を記録する書記仕事を中断させる。 「おい、ドザえもん、このチビにキャンディでもあげて、泣き止ませてくれよ」  一応、紫穏は水死体《ドザエモン》というアダ名に怒る様子は無い、その代わり、慧海のことを「エマちゃん」というヘンな名で呼ぶようになった。  いくら鬼の風紀と呼ばれる自分でも、"閻魔ちゃん"とは随分だ、せいぜい紫穏が地獄に来たら、何枚でも舌を抜いてやろうと思った。  紫穏は御鈴の横で、回転椅子を左右に揺らし、両手をひらひらさせながら、号泣する御鈴と困り果てる慧海を、はやしたてた。 「♪泣~かした~泣~かした~、会長を~泣かしちゃった~、オトナなのに、子供泣かしちゃった~」  子供の世話をしたことのある方ならおわかりかと思うが、真横でこんなことされた日にゃ、余計に泣き出して収拾つかなくなる。  会議室の隅、出口脇の逢洲と隣り合って座り、議事よりも端末操作に夢中になっていた、醒徒会会計の成宮金太郎に食いついた。 「おい銭金、せっかくそんな、別れた女房の一人二人居そうなツラしてんだ、ガキの面倒くらい見てくれよ」  慧海が最初につけた「キンタマ」というアダ名は、呼ぶたびに赤面する成宮があまりにもキモいという理由で、 慧海が毎週見てるTV番組から取った名前に改名した、一度「成金」と呼んだら、泣きながら怒ったので、それも面倒臭い、  成宮改めキンタマ改め銭金は顔を上げすらしない、個人ディスプレイに映る、どっかのオッサンとチャットで話すのに忙しい。 「今、オレは重要な商談の最中だ、後にしてくれ」  ビジネスマン中学生の成宮は、テンキーを凄いスピードで打ちながら、言葉の通じぬ海外のバイヤーと金銭で会話している。  取引《ディール》に集中している時の成宮は、たぶん真隣で銃撃戦がおっ始まっても、気にもしないだろう。  サウジやアルメニアあたりには、機関銃火の中、平気で双方とトイレットペーパーや原子力空母を取引する商人がザラに居る。  御鈴と慧海の間、さりげなく会長より上座の席に居る副会長の水分に、慧海は縋るような目で、実際、縋りついた。 「え~と…タレ目…じゃなくて水道屋…じゃなくて蛇口…え~と、理緒ちゃ~ん、チビのお守りはお前の仕事だろ~? 頼むよ~」  普段は慧海や、他の醒徒会の面々を、それとなくフォローしてくれる副会長の水分が、プイっと横を向く。 「し…知りません!大体あなたは私を見るたびに、いいトシとか、皆のお母さんとか…わたしはどう見たって、水も滴るピッチピチの16才で…」  涙と鼻水を垂らしながら泣きつづける御鈴、これも一応、水のトラブル、しかし水分理緒はクラシアンのように24時間お任せという訳にはいかなかった。  水分理緒は「じゅうろくさい」と聞いて「え?マジ?」って顔をした醒徒会役員を、自らの脳内にある一生忘れない名簿に書き加えた。 「……え~と……ふじ…ふ…『ふ』は『は』の段ですね…」  水分の「りおちゃんぷんぷんリスト」に書き加えられた人間は、いかに運がよくとも彼女より長くは生きられぬと思ったほうがいい。  万策尽きて四面楚歌、面倒を押し付ける術を失った慧海は、自分の指定席である部屋の最奥、以前の御鈴の指定席だった場所から、 ふたつ隣にある今の会長席、窓際の席まで回転椅子を転がして行くと、大人サイズの椅子にうずくまって泣いている御鈴の横に立つ。  しゃくり上げる御鈴の横で、上下する肩に手を触れた慧海は、室内でも被りっぱなしのテンガロンハットを後ろにずらし、 ヒッコリーの香りと共に零れ出した金色の髪を右手で掻きながら、左手で御鈴の肩に、そっと触れた。 「お…おい…泣くな…な?、…悪かったよ、チビすけ、スーツケースには詰めないから」  幼児退行した御鈴が涙に濡れた目で、慧海を見上げる、いつも意地悪するデンジャー、醒徒会の中でも、本気でぶつかり合った相手。 「…ひっく…えっく…ほんと?…でんじゃー…みすずを…くらいとこに…とじこめない?…こわいことしない…?」  慧海は片手で御鈴の肩を抱きながら、もう一方の右手で胸を、胸に吊った銀色のデリンジャーを、ポンと叩く。 「あぁ、このあたしが、チビすけを会場までエスコートしてあげるわ」  普段はケンカばかりしてるデンジャー、今は泣く自分の横に居てくれる慧海に、御鈴は頬を寄せ、両手を慧海の体に回す。 「…えっく…えっぐ…でんじゃー…ありがとう…みすず…でんじゃーのこと、すきだよ……」  御鈴は、慧海の胸に顔をおしつけた、慧海も苦笑いしながら片手で金髪をかきあげ、もう片方の手で御鈴の髪を、不器用に撫でる。  醒徒会委員会が水分ママと、龍河弾変態パパの一家なら、会長の御鈴は、甘えたがりで甘え上手な末っ子。  そして、慧海は、後から産まれた御鈴に、パパママやお姉ちゃんを取られた、下から二番目の悪ガキなのかもしれない。  しっかり者の長女役にふさわしい逢洲は、珍しく、それが姉妹の本来の姿のように寄り添っている慧海と御鈴を見ながら、 「お…おい…ちょっとくっつき過ぎなんじゃないのか?会長!…わたしの…じゃなく風紀委員の慧海から離れないか!」  お調子者でマイペースな次女の紫穏は、興味深々な目で二人を見ている、また下の子二人が大ゲンカを始めるのを期待してる顔。  女の強い家族では立場の薄い、男兄弟っぽいエヌR・ルールと成宮金太郎は、蚊帳の外で自分の仕事をしている。  醒徒会の六人と風紀委員二人、大家族は何だかんだで今日も安泰のようだ、これで怪しいお隣さんの蛇蝎一家が居ればフルメンバー。  あと一人、貰われッ子が居たような。  一応、年齢も体格も、そして醒徒会一家での立場も、自分よりほんの少しお姉ちゃんの慧海、その胸に顔をこすりつけた御鈴は、 慧海の一枚800ドルの特注シャツで涙と鼻水を拭き、ちょっと落ち着いた様子だったが、突然自分の体を抱いて震え始めた、また涙を滲ませる。 「でも…おそとにでて…こわ~い"らるぶぁ"におそわれたら…どうしよう…」  まだ幼児退行したままの御鈴の肩に止まる十二支天、白虎、彼女の式神であるびゃっこが、任せとけとばかりに「んな~♪」と鳴いた。  慧海は椅子の上で小さくなっている御鈴の前にしゃがみこみ、青緑の瞳で、御鈴の怯える目に視線を合わせながら、はっきりと言った。 「…ミスズ…あたしを見ろ…大丈夫よ…何があっても、あたしがミスズを守ってやる、あたしは今から、あんたのゴリラよ」  ようやく泣きやんだ御鈴が、慧海の目をのぞきこむ、どう慰めても泣き止まない子は、ほんのちょっとの好奇心で機嫌を直したりする。 「・・・ごりら?・・・」  慧海は自分の胸を叩いた、貧乳で細身の彼女は、胸板も薄かったが、彼女の意思を必ず遂げる保証書が、胸で金属音を発てる。 「そうだ!ゴリラは強いんだ」  御鈴は慧海の顔に両手を当て、日本人より白く滑らかな頬と、欧米人特有の、肉食に適した細く鋭い顎を、確かめるように触った。    皆が和らいだ目で二人を見る中で、逢洲は、御鈴が慧海を独り占めしている姿に、握り締めた刀をギチギチ鳴らして悔しがっている。 「うん…えみがいれば…なにがあっても…あんしん…えみはつよ~いごりらさんだから…」  やっと笑った御鈴の肩に止まるびゃっこは、前足で自分を指しながら「んな?んな!んな~ぉ!!」と、必死でアピールをしていた。         ゴリラ  ゴルゴ13やアメコミ邦訳本等、アメリカ地下社会を題材にしたコミックでは、用心棒《ゴリラ》という表記がしばしば見られる。  シカゴ・マフィアの隠語で"ゴリラ"とは、肉体と腕っ節でボスをガードするコワモテの取り巻き、直衛の拳銃使いを意味する。  御鈴は、慧海を見て、一度視線を外す、泣き止んだものの、まだ幼児退行が収まってない御鈴は、慧海をチラチラと見ている。  もう自分の足で歩ける子供が、母親に、昔よくしてもらった何かをおねだりする時のように、もじもじしながら指をすりあわせる。 「…もうひとつ、おねがいしてもいい・・・?」  慧海は頭の後ろに引っ掛けていた革のテンガロン・ハットを、照れを誤魔化すように深く被り直しながら、渋面で応えた。 「ん~、泣かせちゃったからな~、いいわよ、チビすけ、何でもいいな」 「くるままで…だっこして…」  会議室の隅、さっきから落ち着かない様子だった逢洲が、鞘ごと握っていた二振りの刀を放り出して、ガタっと立ち上がった。 「ま・・・待て!慧海!いや特にどうというわけではないが、おまえは風紀委員だ、そして、わたしも風紀委員、うん、そうだ だからこそ、その、おまえは、会長より、先に、その、わたしを、その、だ、だ、だだっだだだ、だっこを、するべきではないか、と…」  身長163cmの逢洲が、剣道家お得意の摺足で、じりじりと慧海に近づく、慧海、danger zoneシリーズ始まって以来最大のピンチ。  慧海は、142cmの細い体で、134cm+厚底靴の御鈴を何とか抱き上げようと、抱えたり担いだり引きずったり悪戦苦闘し、 だっこ、というより下手な二人羽織のような姿で、会議室の出口に向かって、二人仲良く横歩きをしている。  御鈴を抱きかかえながら歩く慧海を捕獲すべく、距離を詰める逢洲の前に、醒徒会広報の大男、龍河弾が立ちふさがった。 「そうかそうか、逢洲君は"抱っこ"をして欲しいのか、じゃあ俺が、この鋼の肉体でだっこしヘクション!」ビリッ  全裸 「ハッハッハ、またしても我が肉体メタモルフォーゼが発動してしまった、これは少々、女のコにはサービスが過ぎるかな?」  今度こそ本気でチョン斬ってやろうと思い、刀に手をかけた逢洲と龍の間に水分が現れる、これがホントの水入り。 「龍さんは、わたくしが抱っこしてさしあげますわ、水の冷たさと清らかさに抱かれる、秘技"水抱き" どちらかといえば愛撫より、拷問のほうで有名になってしまっていますが、まぁ、同じようなものですから」  龍河弾は全裸のまま、どこからか出した水の塊をぶつけられる、そのまま水柱に閉じ込められ、水中バレエ団のような姿でもがいている。  エヌR・ルールと成宮金太郎は、互いを見合わせて「だっこ?」と複雑な表情、何見つめ合ってんだこの二人はw  後ろから来た紫穏が「はいはい、抱っこして欲しいなら、あたしがしてあげるわよ~」と両腕に二人を抱き上げた。  窓際に立って、もがく二人を「ほら高い高~い♪」としていた紫穏は、「疲れちゃった」と、異能の篭った腕を休ませた。  ポイッ   ポイッ  桃色の花が散り、青葉芳しき桜の樹に、醒徒会の会計と会計監査が刺さっている様は、中々に風流なものだったが、 後から、滝のような水流と共に落ちてきた全裸男のおかげで、いささか傾奇《かぶ》いた姿となった。  窓の下に聳え立つ桜の大樹に咲く成宮とエヌR、龍、三輪の花を見下ろした早瀬速人、記述してなかったが一応パシリから帰ってきてた。  今日はまだ撃たれてないことに安心した彼は、哀れ季節外れの開花を披露した三人を見下して、高笑いのひとつもしようとしたが、 突然、背後から飛んできた弾丸を尻に食らって、開け放った窓から吹っ飛ばされ、ソメイヨシノの若葉を彩る花の一輪に加わった。  早瀬が悲しいことに聞き慣れてしまった銃声とは異なる、シュ、という、ガス圧の椅子を上下させたような、消音拳銃の音。 「こら~、チビすけ~、勝手に銃でいたずらしちゃいけないぞ~」  窓から落下していく早瀬が、薄れ行く意識の中で聞いた声は、すっげぇ棒読みだった。  醒生徒会会議室の直下、4人の醒徒会役員が咲いた桜の木、その傍らには、大樹を見上げながら微笑む、巫女服の少女が居た。 「…桜ではなく…菊の花でしたね…」  稀有な異能である観桜能力を備えた生徒、神那岐観古都は、醒徒会からの贈り物、四輪の満開菊花を楽しんだ。  東京湾の人工島から、蒲田の産業プラザまでの20km少々の道中は、普段は学園の上層部が使用するリムジンに乗って移動することとなった。  自分の車でしばしば学園外まで遊びに出ている慧海は、「あたしのキャディラックで行ったほうが速いわよ」と言ったが、 大音響のマフラーとウーファーを積んだ、900馬力の79年式キャディラック・セヴィルで、産業プラザに乗り込むのは、 後の予算獲得に影響するだろう、ということで、慧海と御鈴は、生徒にはまず使えないリムジンの贅沢に甘んじることとなった。  石敷きの正門前広場が自転車、バイク置き場となっている産業プラザPIO、もしも慧海がキャディラックで行ったなら、 自転車と仕切りのポールをなぎ倒しながら、車体を真横に滑らせて正面入り口前にベタ付けするのが目に見えていた。  ボディを延長加工《ストレッチ》せず、前席と後部座席を隔てる、開閉式の仕切窓《パーテーション》を付け足しただけのショートリムジン。  目立たぬ銀色のベンツを運転しているのは、紺色のスーツを着た若い長身の男、好男子というより、平凡な顔。  カーナビの画像を後席のモニターに出し、慧海に経路を確認したドライバーは、前方の道路を油断なく見ながら、唐突に話した。 「はじめまして、風紀委員長、わたしは…デミ・ヒューマンのラルヴァなんですよ、社会馴化のため、ここで働かせて頂いてます」  会長の御鈴は知っていた、だから、このリムジンに乗るとき、いつもこの丁寧でユーモアもあるドライバーに対して、若干の緊張がある。  学園に来るまでの時期を、軍隊の中でラルヴァを殺すことで過ごしてた慧海は、突然、後席から前席へと上半身を滑り込ませた。 「へ~、ラルヴァなんだ、ところでこのリムジン、新しいメルツェデスじゃないの?こないだまで使ってたトヨタより、こっちの方がいい?」  学園でトップクラスの対ラルヴァ戦闘スコアを持つ、慧海の噂を聞き、警戒、秘匿するよりノーガードで行こう、と決めていたラルヴァは、 リムジンの後席とを隔てるパーテーションの防弾ガラスを開け、前席に体を乗り出して気さくに話しかけてきた慧海を見て、 護衛兼運転手にとって、視線を隠すために欠かせないサングラスを外すと、ピンク色に近い薄赤の瞳で、人懐っこく笑った。 「…やっぱりトヨタよりよく走りますよ、ベンツのアルミエンジンはフロントが軽い…私は高橋 孝也です、よろしくお願いします」  慧海は、目の前のドライバーがラルヴァだということより、学園のリムジンになっている、ベンツのグロッサー・セダンに夢中だった。 「タカハシ・・・タカヤ・・・ん~と、よろしく、タカタカ!あたしは、エミでいいわ」  左手で運転しながら、器用に右手を後ろに伸ばしたラルヴァと握手を交わす慧海を見て、呆気に取られていた御鈴も、横から手を差し出した。 「何度も世話になって挨拶して、まだ握手をしてなかった、よろしく頼む、私は…御鈴ちゃんって…呼んでくれたら…嬉しいぞ」  この高橋孝也という語呂のよすぎる名前は本名のアナグラムで、ラルヴァ言語での本名は、人間の声帯構造では発音できないらしい。 「では、改めてよろしくお願いします、素敵なレディの御鈴ちゃん、私は…アハハっ…そのタカタカって名前で呼ばれたいです」 「よろしく、タカタカ」   「では、これより学園敷地外に出ます、シートベルト着用にご協力ください…何か音楽でもお聞きになりますか?」  東京湾の人工島から、蒲田までの道中のBGMは、タカタカがカーステレオで流そうとした、NHK-FMのバッハではなく、 彼の私物であるオーディオプレイヤーを目ざとく見つけた慧海が、勝手に繋いで大音響で流した、エロゲサントラ集だった。  御鈴は「何だこの楽曲は?何だこの歌詞は?なぜメイドがそんな事をする?なぜ妹がそのような不埒な真似を?」と不思議な様子。  メイドさんロックンロールを皮切りに、双葉学園のリムジンは電波ソングを流しながら、首都高湾岸線を疾走した。  湾岸から首都高環八線で5kmほど陸に入った蒲田、双葉学園から橋経由で20kmほどの、産業プラザPIOまでの、半日の出張。  政府関係者や官僚、制服自衛官によるラルヴァ対策会議、主に予算配分とその運用についての話し合いは、つつがなく進行した。  さっきまで幼児退行していた御鈴は、電子生徒手帳とタッチペンで、真摯にメモを取りながら、会議への聴聞参加をしている。  慧海は会議中も、サイレンサー連結リングの研磨をしていたが、仕上げが大方終わり、延々と続く数字の発表に飽き飽きさせられた。  会議後、何人かの政府関係者が、異能の名門デリンジャー・ファミリーの娘の元に挨拶に来たが、慧海はウェスタンハットを顔に乗せ、居眠りをしていた。  会議への聴聞出席を終えた慧海と御鈴は、会議場となった大田区産業プラザ、その北東側にある職員通用口から出た。  お忍びというわけでもないが、現在リムジンを着けられるのは、大型展示物の搬入口を兼ねた北西側、国道沿いの正面入り口となっている。  自転車が一時的に撤去され、車での来訪者のための臨時ロータリーとなった正面入り口からは、政府関係者が、続々と官用車で帰っている。  政治家の半分くらいが官用車を使わず、秘書と共にsuikaを持って、車より早く時間に正確な電車で帰ってるのは、ご時世だろうか。  それにしても、一度に一台しか車をつけられぬ正面入り口は混んでいて、立場の弱い双葉学園関係者は、後回しになるのはわかりきっていた。  もう一つの理由は、御鈴と一緒に会場に着いた直後、御鈴を待たせて。見取り図を片手に建物を歩き回った慧海の、セキュリティ上の判断。  もしも慧海が殺人者となり、自分自身や御鈴、あるいは人間に与するラルヴァのタカタカを襲うなら、正面玄関から出て、車に乗る時を選ぶ。  架空物語では定番だが、実際には要人暗殺にはほとんど用いられない遠距離狙撃銃など不要、ただ群集に混じって接近し、拳銃で撃てばいい。  オーストリア皇帝、ロバート・ケネディ、オズワルド、ベニグノ・アキノ、サダト、そしてデリンジャーで射殺されたリンカーン大統領。  同じ方法で撃たれた重要人物は、とてもここには書ききれない。  無防備な正面入り口は問題外、細い道路を挟んで、雑居ビルやマンションの並ぶ南西側の出入り口も、撃ち下ろしの位置を取られる。  駐車場と直結した地下の出口など、待ち伏せには格好のポイントだろう、南東側はマンションと公園に面していて、車がつけられない。  慧海は消去法で、ドアを開けると雨避けの空間がある、北東側の職員通用口から帰るのが最も安全と判断した。  細いがリムジンが何とか通れる路地の向こうは、区営の広い駐輪場になっていて、空間は警護する人間にとって、最良の防衛線となる。  何より自分自身が暗殺を実行するなら、一番イヤな場所、慧海はそれに関しては、警護よりも詳しく、経験も豊富だった。  タカタカの運転するベンツが、事前に慧海と時計合わせしたタイミングを守り、一方通行の道をバックで近づいてくるのを確かめた慧海は、 会議への出席で少し疲れた様子の御鈴を戸口の影で待たせた後、通用口から外に出た、建物が台形に引っ込んだ、ドア前のスペースで待つ。  このまま、目の前にリムジンをつけさせれば、無防備に体を晒すことなく乗り込める、慧海は要人警護の教科書的な乗車準備を整えた。  国立機関のリムジンに近隣住民以外の車両進入禁止、一方通行違反をさせているという些細な問題も、教科書の中ではテクニックの一つに過ぎない。  安定した後退走行をしていたベンツが、予定外の急ブレーキをかけた直後、慧海は視界の端で黒い影が動くのを捉えた、三つ。  黒い服を着た男達が、慧海と御鈴を取り囲んでいた、自転車整理や駐禁取締りの老人ボランティア職員には見えない。  三人の黒い男は、拳銃を手にしていた。  人間、特に異能者と敵対関係にあるデミヒューマン型ラルヴァ、彼らの中には、組織化された集団の体を為す者は多い。  その中でも、黒いスーツに黒いネクタイ、黒いセルフレームのサングラス、という格好でキメた、奇妙な一団が居る。  ブラック・ラルヴァと呼ばれる組織、同名の構成員ブラックラルヴァの黒服は、人間とデミヒューマンの皮膚の微妙な質感の違いを誤魔化すためとも言われていて、 双葉学園でラルヴァとの戦闘を指導する、自衛隊出向の教師は、別の理由についても教えてくれた。  戦史の専門家だった自衛官は、モニターに黒い旗、骸骨に交差させた骨をあしらった図案の、海賊旗として知られる旗を表示させた。  私掠旗  19世紀以前、政府より交戦国の商船への略取襲撃許可の下りた公認海賊、私掠船の、敵対国籍船舶への宣戦布告に相当する旗。  指揮下への恭順を示せば危害を加えず、拒否、応戦すれば断固たる攻撃を以って、略取を実行する意思を示した警告。  先に撃たない、無用の殺生はしないという建前、略奪者に伍した船乗りの最後の誇りを示した旗は、後世、海賊旗として有名になった。  自らの所属と、明確な意思を示した後に攻撃をする、人間への敵対を表明したラルヴァの、旗に相当する黒いスーツは、軍服でもあった。  軍服無き、宣戦なき戦いは泥沼化し、最終的には勝者無きまま双方が疲弊する、人類の繰り返した不正規戦争を、ラルヴァは敗北よりも恐れていた。  大規模組織ブラック・ラルヴァの構成員、ラルヴァを分類する研究者には、同じくブラックラルヴァと名づけられているデミヒューマンは、 異能の武器でも、デミヒューマンが人間襲撃時にしばしば使役するビーストラルヴァでもなく、ありふれた拳銃を手にしていた。  いかに異能の達人であろうと、それを使用するのが人間である限り、詠唱だの発動とかに先駆けて撃たれれば、終わり。 「間に合ってよかった、こちらからお帰りになるとは思いませんでした、お手数ですが、近くまでご足労頂けますか?」  三人はどうやら、慧海の背後、建物の中から出てきたらしい、単独での警護の弱点を衝かれた慧海は、歯をかみしめる。  別の出口から素早く出てきた一人が、拳銃を突きつけリムジンをストップさせると同時に、慧海と御鈴の背後から、二人の黒服。  黒服のデミヒューマンを素通りさせる建物警備の甘さ、何より、付け焼刃な防御力強化しか出来なかった自分の、背中の甘さが憎かった。 「ちっ、だからあたしのキャディラックで行けばよかったんだよ」  目に見えるだけで三人の黒服男、そのうちの一人はリムジンの横に立ち、サイドウィンド越しに運転席に向けて拳銃を突きつけている。  肝の据わったタカタカは、大人しく両手を上げる途中、手がぶつかった振りをして、ルームミラーを慧海達が見える角度に動かした。 「我々はあなた達二人を人質に取ります、抵抗しない限り、あなたがたに危害を加えないことは約束します」  三人のブラックラルヴァ、彼らの手には、スミス&ウエッソンの22口径オートマチック拳銃が握られていた。  銃身にはサイレンサーが捩じ込まれている、慧海の作った日曜大工サイレンサーとは異なる、高価そうな軍用減音装置。 「ハッシュ・パピーを持ってくるとはね、趣味が合いそうだわ」  "チビ犬!黙れ!"という名前を持つミシシッピ郷土料理の名を冠した、軍用消音拳銃、ベトナム戦争で採用されて以来、 その名の通り、基地をガードする軍用犬を音も無く片付ける仕事に最適とされた拳銃、無論、人間を撃つ方でも多くの実績を残した。  後にハッシュパピーは、制式拳銃のベレッタやH&Kと、サイレンサー他のアクセサリーを折り詰めにした、総合モジュールユニットに取って替わられたが、 スライド閉鎖式の22口径オートが持つ高い消音効果を好んで、ハッシュパピーを個人購入して使用する軍人は多く、 それを模して、市販されているS&Wに22口径コンバージョンと自作のサイレンサーを組み込む個人マニアは、もっと多かった。  特に、目の前の気取り屋のような、黒ずくめの服を着て戦争気分の連中に、ハッシュパピー消音拳銃は最適の武器だった。  ラルヴァ殺しのため、政府に飼われたチビ二人を脅すのに、チビ犬殺しの銃を持ってくるユーモアは、慧海にとってまことに面白くない。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。