【立浪姉妹の伝説 第七話】

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 つまらない算数の時間のときに、その放送はかかった。 「ただいま、学園に非常事態宣言が出されました。児童のみなさんは先生の指示に従って、絶対に校舎から出ないでください」  立浪みくは不安そうにして窓の外を見る。  どうりで表が騒がしいと思っていた。まだまだ幼くて戦うことのできない猫の子供だが、感覚でなんとなくわかるのだ。担任がものすごく緊張した顔で、モバイル手帳を使って職員室とやりとりをしている。それを見るに、かなり深刻な事件が発生していることが予想できた。  ラルヴァだろうか。これまでのものとは比較にならないぐらい、強いラルヴァが出たのだろうか。  でも、いくら強い敵が出てきても、みかとみきがいるから大丈夫だ。みくはにっこり微笑んで、面白くない授業が止まったことを喜んだ。成績はいいくせして、授業が退屈で大嫌いなのである。 「ガンバレ、みかお姉ちゃん。みきお姉ちゃん!」  彼女はそう、朝からずっと続く晴天に呟いた。    立浪姉妹の伝説 -その栄光と末路-     第七話 マイクの願い 「くそお・・・・・・。計画がかなり、狂ってしまったようだ・・・・・・」  与田は保健委員の治癒能力者に、切断された左腕を治療してもらっていた。  彼の計画はこうだった。まず、立浪みきが熊を惨殺する映像を高等部の生徒に配信することで、彼らの恐怖心・絶望感を徹底的に煽る。研究所で記録されていた姉妹の戦闘シーンも、一緒に送信した。特に二人が与田技研の擬似ラルヴァに対して繰り広げた修羅のような戦いぶりは、みんなを怖がらせるのに大いに役立った。誰も、それが与田によって仕組まれた戦闘だということに気づかない。  とことん恐怖心や不信感を煽ったあとは、生徒を一同に集めて扇動をするのみ。「ラルヴァの立浪姉妹が校庭にいるぞ!」。こう、部下が大声を出すだけで十分だった。ラルヴァに対して好戦的な異能者たちは、ぞろぞろと与田の仕組んだ通りに校庭へとやってくる。ざっと数えたところ三百人ほどの生徒が集まっていたのを見て、与田はほくそ笑んでいた。  彼のアジテーションは、そのほとんどが一部の異能者たちにとって事実に基づく内容であったのが、たちが悪かった。ラルヴァに肉親を殺されたり不幸な人生を背負わされたりして、異能者としての生涯を始めた者も少なくない。ラルヴァに対して尋常でない憎しみを抱いている生徒たちは、この与田の描いた茶番劇の、最高の役者となって動いてくれた。  与田の目的は、高等部の生徒で力を合わせて立浪姉妹を始末することであった。彼女らは絶対に「愛する仲間たち」に対して抵抗しないだろうし、大人しく死んでくれるはずだと見通しを立てていたほどだった。  醒徒会ではなく、学園の生徒のみんなで姉妹を処刑することに意味がある。だから、高等部の生徒たちをひと時の感情によって騙した。当時高等部一年生の与田光一にはこのとき、大きな「野望」があったのである。 「おい! まだ治療は終わらないのか! 早く立浪姉妹がどうなったのか見たいんだよ!」 「ご、ごめんなさい! 今、ようやく終わりました!」 「腕が繋がっただけか。くっ、左腕が重たい・・・・・・! 石膏の偽モノとすりかえられたかのようだ・・・・・!」 「申し訳ございません! 私程度の力じゃ、腕をくっつけるのがやっとで、全快させることまではできませんでした」 「この役立たずが! 三流の無能な治癒能力者しかいないのか、この学園は!」  口汚く罵られた保健委員の女の子は傷つき、両手で顔面を覆って泣いてしまう。与田はちっと舌打ちをした。完璧な治癒能力者とはそうそう簡単にめぐり合えないものだな、と呟きながら。 「光一さま!」  と、救護班のテントに彼の側近が駆けつける。幼少の頃から彼に従うこの男は、与田が大怪我をしたと聞いて、一目散に本社から学園に直行してきた。 「姉妹はどうなっている!」と、与田はまずそれをきいた。 「暴走した立浪みきと、姉の立浪みかが戦闘状態に入っています!」 「姉妹同士で殺し合いか。ふん、ラルヴァらしく乱暴な奴らだ」 「恐らく立浪みきは、ラルヴァとして完全に覚醒してしまっているようです。姉の問いかけにもまるで反応を見せません。それよりも彼女によって、死者こそ出ていませんが重症となった生徒が多数出ております」 「だからラルヴァは早く始末するに限るんだ! 今はどうなった? 姉は妹を止められたのか?」 「いいえ・・・・・・」と、側近の牛島は言った。「立浪みかが、殺されかけています」  校庭に残っている学生たちは、猫耳姉妹が繰り広げる殺し合いを心配しながら見ていた。  立浪みかは、大の字になって校舎のコンクリートに埋め込まれている。  そして、ゆっくりと歩いて近づいてくる血に濡れた自分の妹――立浪みきの姿をぼんやり眺めていた。  2016年当時に優秀な強さを誇ったみかでも、一人だけ分の悪い天敵が存在した。  それが、立浪みきだった。  彼女の万能な鞭や後ろに下がる戦い方が、みかを無力化してしまうのだ。機動力で翻弄しようとしても、伸縮自在な鞭の攻撃範囲内だと封じられてしまう。短剣を握って近接戦闘に持ち込もうとしても、みきは素早く後ろに下がってしまい、どうしても追いつくことができずに反撃されてしまう。  たとえ刃先を直撃させることができても、いかんせんパワー不足なみかはダメージを与えることができず、思ったような攻めができなかった。 「・・・・・・うがあああああ!」  瞳を緑に輝かせ、背後の校舎を吹き飛ばすぐらいの勢いでみかは妹に斬りかかった。  それをたやすく、みきは鞭で弾き飛ばしてしまう。羽虫を手で追い払うような、とてもあっさりとした動作であった。  グラウンドを転げまわって、しばらく横に倒れたままうめき声をあげる。まったく自分の攻撃が通用しない。自分の力ではみきを止めてやれないのか? みかはそう思っただけで悔しくなり、膝に両手をつきながらも立ち上がってみせた。  そんな彼女のかかとに、しゅるしゅると黒い鞭が巻きつく。 「あうっ・・・・・・」  また、顔面から転倒させられる。唇を切った血だらけの顔を、みきはグラウンドに引きずりまわすことで蹂躙した。その場でくるりと一回りし、みかを引きずって校庭に大きな円を描いてみせる  たとえ実の姉を惨たらしくいたぶっても、みきはもう何の感情も示さない。向かってくる敵として、とことん苛め抜くのみ。それが血塗れ仔猫のやり方だった。  数回、鞭で背中を激しく叩いた。みかの悲鳴が何度も学園に響く。夏服の白いブラウスにどんどん、細かい切れ込みが赤く滲んで付いていく。  そんな惨い光景を、校庭に残った高等部の生徒たちははらはらしながら見守っていた。あれだけ威勢の良かったラルヴァ殲滅派がほとんど血塗れ仔猫を前にして逃亡してしまい、この場にいるのはラルヴァを友人に持ったり、ラルヴァを使役したり、また、みかやみきと同じ、ラルヴァや異形の血が混在している異能者たちであった。彼らはこの場から立ち去れなかった。  彼らは共通してむなしい気持ちを持っていた。「後悔」だ。  みかとみきを、どうしてあのような可哀相な目に合わせてしまったのだろう?  与田の扇動を熱心に聞いていた者はだんだん目の色が変わって、魔物のような恐ろしい形相をしていた。そんな彼らを止めてやる必要があったのではないか? 悪質な煽り立てを止めることが、自分たちにはできたのではないか? 無駄な殺戮も起こらなかったのではないか?  立場を表明すべきであったのだ。私は彼女らを敵とは思わない、と。『ラルヴァ』を殲滅するべき悪の総称だとは思わない、と。しかしこうなってしまっては、何もかもがもう遅い・・・・・・。 「みき、もうこんなことはやめておくれ・・・・・・」  そんな姉猫の訴えかけを、みきはみかを宙に吊るすことで手ひどく無視した。みかは鞭が完全に首に入ってしまわないよう、両手で必死に握っていた。  ボロボロの姉は空高く吊るされて、生徒たちに晒されている。みかは足をばたつかせながら、そんな彼らを見下ろしていた。かつて仲間であった異能者たちに痛めつけられるという、数分前の悲しい出来事を思い起こす。 (それでも、あいつらを見捨てられるわけないよ・・・・・・)  ここで自分が敗北してしまったら、みきは間違いなく学園の生徒を皆殺しにしてしまうだろう。高等部だけでなく、被害が中等部にも及んでしまうかもしれない。下手したら、みくの初等部にまでみきは踏み込み、子供たちを血祭りに上げてしまうかもしれない。 (絶対に、みんなを守ってみせる・・・・・・)  立浪みかは自分をラルヴァだと罵り、痛めつけた彼らのために戦い抜く覚悟を決めた。彼女は今日まで何度も、学園や島のみんなを守るため戦線に出てきた。自分の力を使ってきた。 「自分の力を、仲間のために」。それはたとえ事態がこんなことになってしまっても揺らぐことのない、みかの純粋な気持ちだった。 「あたしは絶対に学園のみんなを守ってみせる!」  吊るされながらもそう宣言してみせた。そんな彼女のことを、ここにいる異能者たちは固唾を飲んで見つめている。握りこぶしを作って震えている。あの猫耳少女はたとえ自分が仲間に裏切られても、彼らために命を懸けて戦おうとしているのだ。その強い気持ちが彼らの心に大きく響いていた。  ぐんと、みかは下へ乱暴に引っ張られてしまい、頭から地面に叩きつけられる。反動でまた宙に飛ばされ、もう一度グラウンドに叩きつけられた。  みきはニヤニヤ不気味に笑いながら、姉猫を何度も何度も校庭に叩きつける。何度も宙に半円を描いてみせる。  ばしん。ばしん。ばしん。  小麦粉の塊を机にでも叩きつけるかのように、みきはみかを徹底的に、執拗に攻撃した。  動くことのできない彼女の背中に、本気の一振りを浴びせる。みかは涙を四方に散らし、声にならない叫び声をあげて完全に突っ伏した。ようやく止まった残忍な猛攻のあと、陥没してしまった穴の中で、みかはうつ伏せになったままぐったり倒れ――、  が、そのときみかの翠眼が、爆発したように輝く。 「うおおおおおおお!」  みかは立ち上がった。瞬時にみきの鞭を両手で握り締めた。みきの体を投げ飛ばすように宙に振り上げ、一本背負いをする感じで地面に叩きつけてしまう。 「・・・・・・まだまだあたしぁ、こんなとこでくたばるわけにはいかねーんだよおおお!」  もう一度みきを振り上げて、地面に衝突させる。そして反動で浮いたところを、今度は頭上でぶんぶん回してしまう。縄を遠くに飛ばすあの要領でみきを回し、さっきのお返しとばかりに高等部の校舎めがけて放った。  黒ずくめの体が校舎に激突し、真っ白なコンクリートの砂煙が上がった。  これには相当効いたようで、みきは突っ込んでいった校舎から這い出ると、血反吐を軽く吐きながらよろよろ出てきた。  みかも、ぜえぜえ苦しそうに呼吸をして、おぼつかない足取りでみきに近づく。 「みきぃ・・・・・・。お願いだ、目を覚ましてくれぇ・・・・・・」  と、みかはもう一度妹に呼びかける。 「本当はそんなことをするのが嫌なんだろう? 勝手におかしな自分に支配されて、辛い思いしているんだろう? 今も心の中で泣いているんだろう?」  今の体力やダメージの蓄積を考えれば、これが最後のチャンスかもしれなかった。もうなりふりかまわず、みかは本音をぶつけることで妹に接することにした。 「立浪みきはそんな黒い耳をしていない! そんな汚い赤の瞳をしていない! しっかりしやがれみきぃ! そんな偽者に支配されるほどお前は弱っちいヤツなのか! そんな偽者に屈服してわんわん泣いているほど、お前は泣き虫なヤツなのか! ・・・・・・それともまだ、お前はあたしの助けがないと生きていけないのかああああああ!」  涙を撒き散らしながら、みかはみきに向かって腹の底から怒鳴る。  やがて二人は至近距離で対峙した。みきはそんな姉の必死の呼びかけを、じっと見つめて聞いていた。 「もうやめてくれよお・・・・・・。お前がまた自分の中で泣いていると思うと、あたしは辛いんだよお。こればっかりはお姉ちゃん、助けに行きたくても行けないんだよお・・・・・・。本当はこれからもずっとお前のことを守ってやりたいのに、何も出来ずにこうして訴えかけるぐらいしかできないなんて、あたしは辛くて死んでしまいそうなんだよお・・・・・・」  そのとき、血塗れ仔猫が始めて口を開いた。 「なら、死ねば?」  どすんと、わき腹に鞭が刺さる。みかの渾身の呼びかけは、ついに届かなかった。  異能者たちは思わず悲鳴を上げて目を逸らした。  みきは、どうしてこの立浪みかという女が自分に対して必死に懇願するのか、本当にわからなかった。  気づけば彼女はグラウンドに降り立っていた。役割はただ一つ。無害なマイクを惨殺した愚かな人間どもに制裁を加えるのみ。お仕置きするのみ。宿命に従って鞭を奮い、切り裂き、大量に血を浴びた。  なぜ、この女はこうまでして不可解な抵抗を見せるのだろう。  なぜ、この女はこうまでして自分におかしなことを呼びかけるのだろう。  自分は人間を罰するためにこの島に降りてきた『ラルヴァ』であるのに。醜い人間を根こそぎむしり取るために生まれた『ラルヴァ』であるはずなのに。この女は自分に対し、誰に必死な言葉を投げかけているのか、非常に理解に苦しんだ。  血濡れ仔猫は冷めた赤の瞳でみかを見下ろす。みかは腹部から背中にかけて鞭を貫通されてしまい、仰向けになったまま動けない。小さな口元から血が滴り落ちている。  それに――。この女はどうしてこうまでして、『人間』を守ろうとするのか?  殲滅派によって蹂躙された無垢な命。どちらが悪であるかは明白であるはずなのに、この女ときたらなおも、『人間』どもの味方を演じようとしている。どうしてだ? なぜだ?  あれこれこの女のために考えても、理解できないものはできない。やはり『人間』の味方として血祭りに上げるのみ。  激しく出血してもがき苦しむみかに、みきはとどめを刺すため鞭を振りかぶった。  しかし、彼女はとても嫌そうに舌打ちをしながら、ぱっと真後ろを振り返る。 「もうやめやがれぇーーー!」  背後から第三者による襲撃を受けたのだ。筋骨粒々な上半身をさらけ出した男子生徒のとび蹴りを、みきは鞭を束ねて縦にかざすことで防御した。人間のくせしてかなり威力が高く、やや後方に吹き飛んだが踏みとどまった。  横から餌を取り上げられた仔猫は激怒する。人間ごときが調子付きやがって! そう思いながら、邪魔を入れたあの男から殺してやろうと鞭を握り直したときだ。今度は黄緑色をしたエネルギーボールが真後ろからぽんぽん飛んできて、彼女は目を丸くする。再び鞭を使って、三発をガードしてから二発を左右後方に弾き飛ばした。女子生徒が自分に向けて光学兵器を向けているのを見た。  みきが異能者たちの奇襲に気をとられているあいだ、みかのもとへ治癒能力者が駆け寄り、彼女に温かい魔法をかける。それは、与田に役立たずとまで罵られた保健委員の少女であった。 「傷が少しずつ治っていく・・・・・・? 君は、こんなあたしの味方をしてくれるのかい・・・・・・?」 「うん! これ以上、与田なんかの思い通りにはさせたくない! あなたたちは有害な『ラルヴァ』なんかじゃない! 私たちの味方であり仲間なんだから負けないでぇ!」  失ったとばかり思っていた仲間の存在に、みかの瞳が生き返ったように緑に輝く。 「頑張れぇー! 立浪みかぁー!」  誰かがそう叫んだ。みきはゆっくりとそいつのほうを振り向き、ばしんと地面を鞭で叩いて殺意を示す。だがそのような脅しはもう、この場にいる異能者たちには通用しない。 「そうよ! たとえあなたにラルヴァの血が流れていても、あなたはその力で何度も学園や島の人たちを守ってくれた!」 「与田の言うことなんて気にしてはいけない! 味方はここにいるぞ!」  いっせいに沸き起こった声援。みきは全校生徒がみかを敵視していると思い込んでいただけに、彼女に味方する生徒たちの出現に強く当惑していた。彼女を応援する生徒などいるわけがないとまで、彼女は思っていた。  不意に地面から笑い声が聞こえてきて、彼女はきっとみかを睨みつける。治癒能力者に逃げるよう先に促してから、みかはみきにこう言った。 「みき、聞こえるかい? みんなの声。たとえあたしたちがラルヴァだってことをお前が証明しちまっても、こうしてあたしたちのことを庇ってくれる仲間がいるんだ。・・・・・・マイクだって、そうだっただろう?」  人間どもによってバラバラにされた小熊の名を聞いた瞬間、みきはわなわなと怒りに震える。マイクを殺した人間どもを許せるわけがないのだ。愚かな人間どもはすべて、ラルヴァの手によって殲滅させられるべきなのだ。そんな彼女に対し、異能者たちからこんな言葉がかけられる。 「みきちゃん、目を覚ましてぇ!」 「本当はそんなことしたくないんだろ? しっかりしろぉ!」 「自分に負けないで! 悪い『ラルヴァ』の血に負けないで!」  ぐるっと彼らのほうを振り向いた。口を半開きにしてしまうぐらい、彼女は心に強い衝撃を受けた。額に汗を滲ませ、目を大きく開いて愕然としていた。  こいつらは私に対して何を言っているんだ!   自分に対して声援を送り始めた異能者たちに、みきはひどく混乱していた。 「春奈先生が帰ってきたらすごく悲しむぞ! それで本当にいいのか?」  大好きだった担任教師の名を耳にしたとたん、ぎりっと、歯軋りが大きな音を立てる。『ラルヴァ』と口汚く罵られるよりも、このようにして人間どもに優しく扱われるほうが、血塗れ仔猫にとってよほど気に食わないのである。『ラルヴァ』として人間どもから憎悪と怨嗟の眼差しを浴びるのが、彼女にとって最高の賛辞であるはずなのに。  冗談じゃない。人間がこんな黒ずくめの醜い自分を庇うだと? 人間どもが、有害な『ラルヴァ』である自分を悠長に励ますだと? ふざけるな!   みきは怒りに任せて鞭を振り、姉の頬を乱暴に打った。殴られたように真横へ倒されてしまったみかの背中に、黒い影がゆらりゆらりと接近する。  その華奢な背中の皮を、べろりと剥いで泣かしてやる――!  そう思っただけでみきはにたりと微笑み、白いブラウスを鞭の先端で切り裂いてしまった。異能者たちは、迫り来る残酷な展開に目を覆う者もあれば、とっさの援護射撃を加えようと武器を構えた者もいた。  ところが。 「・・・・・・あ」  と、血塗れ仔猫の口から声が漏れ出る。  みかの背中には、右肩から腰にかけて大きな傷が走っていたのだ。  それはラルヴァである彼女にとって、生まれて初めて目にしたはずのものなのに。あるはずのない過去の記憶へと、即座に直結してしまう。 「・・・・・・へへ、覚えるか知らないけど。これはね、お前がまだみくぐらいのときにラルヴァに襲われたとき、あたしがお前をかばって喰らった傷だよ」  と、生々しい傷跡を露わにされたみかは、笑ってそう言った。  みきの赤い目が潤いを帯びて、ゆらゆらと揺れだした。血塗れた瞳に見えてきたのは、昔懐かしい田舎の山々と、毎日わんわん泣いていた自分自身。  みかと一緒に山に入って遊んでいたとき、みきは野生のリスと遭遇した。だがそれは小動物ではなく、リスのラルヴァであったのだ。  涎の滴り落ちる鑿のような門歯を向けられ、九歳のみきは腰を抜かしてすくみあがった。そんなみきを庇うようにして守ったのが、ほんの一歳年上である、姉のみかだった。 「もちろんあんときゃ、猫耳も出せなかったし短剣も出せなかった。だから、あたしはお前に覆いかぶさって守ってやることぐらいしかできなかった。それでも、あたしはお姉ちゃんとしてお前を絶対に守ってやりたかった」  背中を噛み千切られるように大きく抉られてしまった。でも、みかは悲鳴を上げない。歯を食いしばり、涙の一粒も出すまいとこらえてみせたのだ。それだけ見たリスのラルヴァは、幼い子供の勇気に感服したのか、それとも何かをその背中から汲み取ったのか、大人しく去ってしまった。 「だから・・・・・・みき。これ以上暴れるのなら、そろそろあたしもやるこたやるよ。お前を殺して、お前を止めてやる。たとえ刺し違えてでもお前を止めて、救って、守ってやる。どんなことがあっても、絶対にお前を守ってやる!」  また立ち上がってみせた。左右にふらつきながらもその手に短剣を、もう一度呼び寄せてみせた。  それはあまりにも堂々とした姉の姿。頼りになる、強い自分の姉さん。  気弱で弱虫な性格のため、いつも田舎の子供にいじめられてきた。鼻水を垂らして泣き喚く自分の隣には、いつでもみかがいてくれた。自分の隣にはいつも、みかがいた。  たとえ自分がこのように真っ黒になって、どうしようもない悪魔になってしまっても。この妹思いの姉さんはこうして傷だらけになりながら、弱虫な自分を守ってくれる。この人は本当に昔から、仲間思いの妹思いだった。そういう人だった。  そうだ、自分はずっとこの背中に守られてきたのだ。  血濡れ仔猫の瞳が涙で潤んでいる。戦意を喪失した彼女は鞭をゆっくり下ろし、消滅させた。  ・・・・・・そして、それは起こった。  みきは自分のもとに、茶色い毛皮に包まれた小さな脚が近づいてくるのを見た。 「マイ・・・・・・ク・・・・・・?」 「みき姉ちゃん・・・・・・!」  みきは愕然とした。異能者たちによって始末されたはずの小熊のラルヴァが、自分のすぐ目の前のいるのだ。 「ダメだよ、そんなことしたら。みき姉ちゃんは悪いラルヴァじゃなくて異能者なんだから、そんなことをしてはいけないんだ」  マイクは悲しそうにそう言った。ぽかんとしていた血塗れ仔猫の目から、涙が流れ落ちる。 「この世界にはみき姉ちゃんと同じように、ラルヴァと人間の境目がない人たちがたくさんいる。たとえ純粋なラルヴァであっても、人間たちと仲良く暮らしたいと願っている奴らがいっぱいいるんだ。ラルヴァすべてを悪だと決め込むのは、どうしてか人間だけがしていることなんだ」  と、彼はみきに言った。マイクの言葉には、『ラルヴァ』であることに深く傷ついて自分を見失ってしまった、みきの心を救い出す力があった。  みかも「どういうことだよいったい・・・・・・」と、この幻想のような一コマを眺めている。 「今の世の中では、そんな善良な彼らが人間たちによって、強い偏見でもって迫害され、殺害されている。僕はそれがずっと嫌だった。大きな疑問だったし、一人のラルヴァとしてとても悲しかった。この手で何とかしていきたいと思っていた。だけど皮肉にも、僕がその格好の例となってしまった・・・・・・」  両方の手のひらを眺めながら、マイクはみきに言う。そして彼は、どうしても彼女に伝えたかった「ある願い」を語り始めた。 「どうかみき姉ちゃんには、そんな悲しいことのない、優しい世界を作っていってほしい。人間とラルヴァが仲良く暮らす素敵な社会。人間と僕らとのあいだに偏見も差別も迫害もない、綺麗な世界。僕は死んじゃったから、それはもうできない。・・・・・・ふふ、夢だったんだ。僕らラルヴァと人間たちが幸せに暮らす、社会を作っていくこと」  立浪みきは、自分が『ラルヴァ』であることに大きく絶望していた。そして、マイクを殺した血も涙もない人間たちを前にして、人間を強く憎む『ラルヴァ』に覚醒してしまった。  しかし、人間たちに殺されたラルヴァのマイクは彼らを決して恨むことはなく、このようにして死んでもなお、人間とラルヴァが共生できる社会の構築を熱望しているのだ。  マイクはみきに、彼女が今後歩むべき「本当の生き方」を教えようとしている。凶暴な血にまかせて人間たちを襲うことが、彼女にとって正解の人生であるはずがない。彼女がこれからどのようにして己の血と向き合い、付き合っていけばいいのかを彼は伝えたかった。 「繊細で優しい心の持ち主であるみき姉ちゃんならね、僕の夢をかなえることができると思うんだ。みき姉ちゃん、どうか僕の夢を代わりに叶えてほしい。だから、もうそんな黒い服を着ているのはやめて。そんな赤くて怖い目をするのはやめて。これまで通り、この学校のみんなに優しく接してほしい」  強固に閉じ込められていた立浪みきの本来の心が、膨れ上がっていく。殻を破らんとばかりに膨張していく。入れ替わるようにして、血濡れ仔猫の残虐な心がすっと消えていった。  それを見たマイクはにっこりと笑ってくれた。 「みき姉ちゃんはそのオッドアイのほうがずっと可愛いよ。・・・・・・じゃあ、ここまでのようだから、そろそろおしまいにしておくね。父ちゃんもね、みき姉ちゃんに倒されたのは自分の責任だって納得してたよ? だから、本当に気にしないで?」  マイクの全身が透き通る。それでも差し出された小さな手は温かくて柔らかくて、確かな存在がそこにあった。みきはその手をしっかりと握っていた。 「短い間だったけれど、みき姉ちゃんに会えて本当によかった。父ちゃんと一緒にずっと見守っているからね。独りじゃないよ、ずっと一緒だよ」  彼は双葉島の青空に溶け込むように消えていった。 「姉さん・・・・・・!」  みかは一瞬驚いてから、小さな八重歯を見せる。 「みき・・・・・・。お前・・・・・・!」  奇跡が起こった。ラルヴァの血に目覚めたみきが、姉猫の名を呟いたのだ。みかの必死な訴えとマイクの願いが、精神的に幽閉されていたみきの心に届いたのだ。  ラルヴァの赤い瞳がすっと消滅し、もとのオッドアイが浮き出るよう復活する。それだけ見ると、みかは涙を滲ませて喜んだ。 「戻ってきてくれたんだな! もう、手間取らせやがってえ! 心配かけやがってえええ! うわああああああん!」  ぼんやり呆けている次女に、長女が正面から抱きついた瞬間。  わっとグラウンドに歓声が上がった。最後まで彼女たちを見守っていた生徒たちは、いっせいに校庭へと走り出して、立浪姉妹をじかに囲む。 「みきちゃんが元に戻ってくれた! やったぁー!」 「おめでとう、本当におめでとう!」 「君たちを庇ってやれなくてほんとうに悪かった。今度、君たちを悪く言うような奴らがまた大声を出していたら、みんなで守っていくことにするよ!」 「俺たちは何度も立浪姉妹に守られてきたのに・・・・・・。俺たちだって君たちを守っていかなければならないんだということを、痛感させられたよ」 「ラルヴァだっていいじゃない。それがダメだったらここにいるみんな、処刑されることになっちゃうよ?」  高等部の男子学生はそう言うと、巨大なヒキガエルのラルヴァを召還してみせた。 「これ、僕の友達だよ。物心付いたころからずっと一緒。いつもこいつの力を借りて僕は戦うんだ。こんな子まで人類の敵だなんて、与田は頭がおかしいよ」  主に賛同するように、ヒキガエルは「げこ」と鳴いた。  その隣に立っていた背の低い女子の全身が、白く発光する。すると、立浪姉妹のそれよりももっと柔らかな毛皮に包まれた、けもの耳と尻尾が風に揺れていた。 「ボクは犬の血が流れてて、犬の力を使って戦うの。つまりボクも君たちと一緒なんだよ」  みかは、校庭に残ってくれた異能者たちが次々とラルヴァを召還してみせたり、血を覚醒させて変身してみせたりするところを見ていた。それは動物であったり、強そうな精霊であったり。色とりどりの様々な異形が一列に並んで、飛んだり跳ねたり、鳴いたり吼えたりしている。みきに飛び掛った筋肉質の男子生徒がニッと白い歯を見せて微笑むと、一瞬にして竜を思わせるクリーチャーに変身してみせる。  うるっと瞳がまた濡れる。与田たちに責めたてられて絶望していた自分が、馬鹿みたい。「こんなことって、こんなことって・・・・・・!」と、ぼろぼろ涙を流しながら感動していた。  ここで一人、別の男子生徒がみかとみきの前にやってきた。 「俺はラルヴァの霊魂を、一定時間だけこの場に呼び戻すことができる。死んだラルヴァたちの力を借りて戦闘したり、彼らの無念を晴らす手助けをしたりしている。さっきのマイクくんも、それで召還してみせたんだ。彼はみきちゃんにどうしても伝えたいことがあったようだからね」  と、長身長髪の男子高校生は言った。みかはすべての合点がいったように、笑顔を向ける。 「与田は一部の生徒を扇動して騒ぎを巻き起こした、とんでもない問題児だ! どうか彼の言うことなどは気にしないで、これまで通り普通に学園生活を送ってほしい。そして、マイクくんの夢も君たち姉妹が引き継いでいくといい。・・・・・・人間たちに不当に弾圧されて、失意のうちにこの世を去っていくラルヴァもね、かなり多いんだよ」  高等部二年生の彼は、名前を宇野秋夜《うのしゅうや》といった。 「みんな、ありがとう・・・・・・! 本当にありがとう・・・・・・!」  立浪みかは次女を抱きしめたまま、みんなに向かって礼を言った。  青空の向こうから潮風が運ばれて、姉妹の前髪を優しくなで上げる。やや強めの横風はばたばたと音を立てて、校庭を通っていく  誰もが、今回の騒動の終わりを確信していた。  そう、誰もが。  高等部の生徒にたちによるまさかのカミングアウトを、与田光一は信じられないものを見ているかのような目をして、遠巻きに眺めていた。  与田はラルヴァを擁護・愛護する層のことを忘れていたわけではない。今回の計画において、一番障害となりうる懸念事項とまで彼は位置づけていた。だが、これほどにまでラルヴァを敵だと思わない学生が増えていた現実を前にし、半ば呆然としていた。 「これほどにまで、伝統ある双葉学園にも平和ボケが進んでいたとは・・・・・・!」  もうこうなってしまっては、立浪姉妹を双葉学園の生徒の手によって殺させる計画は、破綻してしまったのも同然だった。 「・・・・・・帰るぞ、牛島!」  そう、悔しそうにして白衣を翻す。その両目にあるものは、立浪姉妹への強い憎しみであった。その場から逃げるように、校門の脇に付けてあった会社の車に乗り込む。  そんな風にして学校を早退し、研究所へ向かう途中。彼の携帯電話が鳴った。モバイル手帳とは別に保有しているもので、主に学校から会社へ直接やり取りするための内線電話だった。  しかし、声の主は学園内部からかけていた。与田の持つ、強力で強固な人脈のパイプである。どうやら彼が立ち去ったあと、立浪姉妹に動きがあったようなのだ。  学園の重要人物である大物の話を聞いた与田は、不敵な笑みを見せた。黒縁のメガネを、片手でむしるように外し取った。  ・・・・・・まだだ。僕の計画は、まだ終わっていない。  僕には誰にも明かしたことのない、大きな「野望」がある。  絶対に僕は双葉学園をこの手中に収めるため、それを達成してみせる!  あの姉妹を絶対に、生かしておかない―― &br() &br() &br()
 つまらない算数の時間のときに、その放送はかかった。 「ただいま、学園に非常事態宣言が出されました。児童のみなさんは先生の指示に従って、絶対に校舎から出ないでください」  立浪みくは不安そうにして窓の外を見る。  どうりで表が騒がしいと思っていた。まだまだ幼くて戦うことのできない猫の子供だが、感覚でなんとなくわかるのだ。担任がものすごく緊張した顔で、モバイル手帳を使って職員室とやりとりをしている。それを見るに、かなり深刻な事件が発生していることが予想できた。  ラルヴァだろうか。これまでのものとは比較にならないぐらい、強いラルヴァが出たのだろうか。  でも、いくら強い敵が出てきても、みかとみきがいるから大丈夫だ。みくはにっこり微笑んで、面白くない授業が止まったことを喜んだ。成績はいいくせして、授業が退屈で大嫌いなのである。 「ガンバレ、みかお姉ちゃん。みきお姉ちゃん!」  彼女はそう、朝からずっと続く晴天に呟いた。    立浪姉妹の伝説 -その栄光と末路-     第七話 マイクの願い 「くそお・・・・・・。計画がかなり、狂ってしまったようだ・・・・・・」  与田は保健委員の治癒能力者に、切断された左腕を治療してもらっていた。  彼の計画はこうだった。まず、立浪みきが熊を惨殺する映像を高等部の生徒に配信することで、彼らの恐怖心・絶望感を徹底的に煽る。研究所で記録されていた姉妹の戦闘シーンも、一緒に送信した。特に二人が与田技研の擬似ラルヴァに対して繰り広げた修羅のような戦いぶりは、みんなを怖がらせるのに大いに役立った。誰も、それが与田によって仕組まれた戦闘だということに気づかない。  とことん恐怖心や不信感を煽ったあとは、生徒を一同に集めて扇動をするのみ。「ラルヴァの立浪姉妹が校庭にいるぞ!」。こう、部下が大声を出すだけで十分だった。ラルヴァに対して好戦的な異能者たちは、ぞろぞろと与田の仕組んだ通りに校庭へとやってくる。ざっと数えたところ三百人ほどの生徒が集まっていたのを見て、与田はほくそ笑んでいた。  彼のアジテーションは、そのほとんどが一部の異能者たちにとって事実に基づく内容であったのが、たちが悪かった。ラルヴァに肉親を殺されたり不幸な人生を背負わされたりして、異能者としての生涯を始めた者も少なくない。ラルヴァに対して尋常でない憎しみを抱いている生徒たちは、この与田の描いた茶番劇の、最高の役者となって動いてくれた。  与田の目的は、高等部の生徒で力を合わせて立浪姉妹を始末することであった。彼女らは絶対に「愛する仲間たち」に対して抵抗しないだろうし、大人しく死んでくれるはずだと見通しを立てていたほどだった。  醒徒会ではなく、学園の生徒のみんなで姉妹を処刑することに意味がある。だから、高等部の生徒たちをひと時の感情によって騙した。当時高等部一年生の与田光一にはこのとき、大きな「野望」があったのである。 「おい! まだ治療は終わらないのか! 早く立浪姉妹がどうなったのか見たいんだよ!」 「ご、ごめんなさい! 今、ようやく終わりました!」 「腕が繋がっただけか。くっ、左腕が重たい・・・・・・! 石膏の偽モノとすりかえられたかのようだ・・・・・!」 「申し訳ございません! 私程度の力じゃ、腕をくっつけるのがやっとで、全快させることまではできませんでした」 「この役立たずが! 三流の無能な治癒能力者しかいないのか、この学園は!」  口汚く罵られた保健委員の女の子は傷つき、両手で顔面を覆って泣いてしまう。与田はちっと舌打ちをした。完璧な治癒能力者とはそうそう簡単にめぐり合えないものだな、と呟きながら。 「光一さま!」  と、救護班のテントに彼の側近が駆けつける。幼少の頃から彼に従うこの男は、与田が大怪我をしたと聞いて、一目散に本社から学園に直行してきた。 「姉妹はどうなっている!」と、与田はまずそれをきいた。 「暴走した立浪みきと、姉の立浪みかが戦闘状態に入っています!」 「姉妹同士で殺し合いか。ふん、ラルヴァらしく乱暴な奴らだ」 「恐らく立浪みきは、ラルヴァとして完全に覚醒してしまっているようです。姉の問いかけにもまるで反応を見せません。それよりも彼女によって、死者こそ出ていませんが重症となった生徒が多数出ております」 「だからラルヴァは早く始末するに限るんだ! 今はどうなった? 姉は妹を止められたのか?」 「いいえ・・・・・・」と、側近の牛島は言った。「立浪みかが、殺されかけています」  校庭に残っている学生たちは、猫耳姉妹が繰り広げる殺し合いを心配しながら見ていた。  立浪みかは、大の字になって校舎のコンクリートに埋め込まれている。  そして、ゆっくりと歩いて近づいてくる血に濡れた自分の妹――立浪みきの姿をぼんやり眺めていた。  2016年当時に優秀な強さを誇ったみかでも、一人だけ分の悪い天敵が存在した。  それが、立浪みきだった。  彼女の万能な鞭や後ろに下がる戦い方が、みかを無力化してしまうのだ。機動力で翻弄しようとしても、伸縮自在な鞭の攻撃範囲内だと封じられてしまう。短剣を握って近接戦闘に持ち込もうとしても、みきは素早く後ろに下がってしまい、どうしても追いつくことができずに反撃されてしまう。  たとえ刃先を直撃させることができても、いかんせんパワー不足なみかはダメージを与えることができず、思ったような攻めができなかった。 「・・・・・・うがあああああ!」  瞳を緑に輝かせ、背後の校舎を吹き飛ばすぐらいの勢いでみかは妹に斬りかかった。  それをたやすく、みきは鞭で弾き飛ばしてしまう。羽虫を手で追い払うような、とてもあっさりとした動作であった。  グラウンドを転げまわって、しばらく横に倒れたままうめき声をあげる。まったく自分の攻撃が通用しない。自分の力ではみきを止めてやれないのか? みかはそう思っただけで悔しくなり、膝に両手をつきながらも立ち上がってみせた。  そんな彼女のかかとに、しゅるしゅると黒い鞭が巻きつく。 「あうっ・・・・・・」  また、顔面から転倒させられる。唇を切った血だらけの顔を、みきはグラウンドに引きずりまわすことで蹂躙した。その場でくるりと一回りし、みかを引きずって校庭に大きな円を描いてみせる  たとえ実の姉を惨たらしくいたぶっても、みきはもう何の感情も示さない。向かってくる敵として、とことん苛め抜くのみ。それが血塗れ仔猫のやり方だった。  数回、鞭で背中を激しく叩いた。みかの悲鳴が何度も学園に響く。夏服の白いブラウスにどんどん、細かい切れ込みが赤く滲んで付いていく。  そんな惨い光景を、校庭に残った高等部の生徒たちははらはらしながら見守っていた。あれだけ威勢の良かったラルヴァ殲滅派がほとんど血塗れ仔猫を前にして逃亡してしまい、この場にいるのはラルヴァを友人に持ったり、ラルヴァを使役したり、また、みかやみきと同じ、ラルヴァや異形の血が混在している異能者たちであった。彼らはこの場から立ち去れなかった。  彼らは共通してむなしい気持ちを持っていた。「後悔」だ。  みかとみきを、どうしてあのような可哀相な目に合わせてしまったのだろう?  与田の扇動を熱心に聞いていた者はだんだん目の色が変わって、魔物のような恐ろしい形相をしていた。そんな彼らを止めてやる必要があったのではないか? 悪質な煽り立てを止めることが、自分たちにはできたのではないか? 無駄な殺戮も起こらなかったのではないか?  立場を表明すべきであったのだ。私は彼女らを敵とは思わない、と。『ラルヴァ』を殲滅するべき悪の総称だとは思わない、と。しかしこうなってしまっては、何もかもがもう遅い・・・・・・。 「みき、もうこんなことはやめておくれ・・・・・・」  そんな姉猫の訴えかけを、みきはみかを宙に吊るすことで手ひどく無視した。みかは鞭が完全に首に入ってしまわないよう、両手で必死に握っていた。  ボロボロの姉は空高く吊るされて、生徒たちに晒されている。みかは足をばたつかせながら、そんな彼らを見下ろしていた。かつて仲間であった異能者たちに痛めつけられるという、数分前の悲しい出来事を思い起こす。 (それでも、あいつらを見捨てられるわけないよ・・・・・・)  ここで自分が敗北してしまったら、みきは間違いなく学園の生徒を皆殺しにしてしまうだろう。高等部だけでなく、被害が中等部にも及んでしまうかもしれない。下手したら、みくの初等部にまでみきは踏み込み、子供たちを血祭りに上げてしまうかもしれない。 (絶対に、みんなを守ってみせる・・・・・・)  立浪みかは自分をラルヴァだと罵り、痛めつけた彼らのために戦い抜く覚悟を決めた。彼女は今日まで何度も、学園や島のみんなを守るため戦線に出てきた。自分の力を使ってきた。 「自分の力を、仲間のために」。それはたとえ事態がこんなことになってしまっても揺らぐことのない、みかの純粋な気持ちだった。 「あたしは絶対に学園のみんなを守ってみせる!」  吊るされながらもそう宣言してみせた。そんな彼女のことを、ここにいる異能者たちは固唾を飲んで見つめている。握りこぶしを作って震えている。あの猫耳少女はたとえ自分が仲間に裏切られても、彼らために命を懸けて戦おうとしているのだ。その強い気持ちが彼らの心に大きく響いていた。  ぐんと、みかは下へ乱暴に引っ張られてしまい、頭から地面に叩きつけられる。反動でまた宙に飛ばされ、もう一度グラウンドに叩きつけられた。  みきはニヤニヤ不気味に笑いながら、姉猫を何度も何度も校庭に叩きつける。何度も宙に半円を描いてみせる。  ばしん。ばしん。ばしん。  小麦粉の塊を机にでも叩きつけるかのように、みきはみかを徹底的に、執拗に攻撃した。  動くことのできない彼女の背中に、本気の一振りを浴びせる。みかは涙を四方に散らし、声にならない叫び声をあげて完全に突っ伏した。ようやく止まった残忍な猛攻のあと、陥没してしまった穴の中で、みかはうつ伏せになったままぐったり倒れ――、  が、そのときみかの翠眼が、爆発したように輝く。 「うおおおおおおお!」  みかは立ち上がった。瞬時にみきの鞭を両手で握り締めた。みきの体を投げ飛ばすように宙に振り上げ、一本背負いをする感じで地面に叩きつけてしまう。 「・・・・・・まだまだあたしぁ、こんなとこでくたばるわけにはいかねーんだよおおお!」  もう一度みきを振り上げて、地面に衝突させる。そして反動で浮いたところを、今度は頭上でぶんぶん回してしまう。縄を遠くに飛ばすあの要領でみきを回し、さっきのお返しとばかりに高等部の校舎めがけて放った。  黒ずくめの体が校舎に激突し、真っ白なコンクリートの砂煙が上がった。  これには相当効いたようで、みきは突っ込んでいった校舎から這い出ると、血反吐を軽く吐きながらよろよろ出てきた。  みかも、ぜえぜえ苦しそうに呼吸をして、おぼつかない足取りでみきに近づく。 「みきぃ・・・・・・。お願いだ、目を覚ましてくれぇ・・・・・・」  と、みかはもう一度妹に呼びかける。 「本当はそんなことをするのが嫌なんだろう? 勝手におかしな自分に支配されて、辛い思いしているんだろう? 今も心の中で泣いているんだろう?」  今の体力やダメージの蓄積を考えれば、これが最後のチャンスかもしれなかった。もうなりふりかまわず、みかは本音をぶつけることで妹に接することにした。 「立浪みきはそんな黒い耳をしていない! そんな汚い赤の瞳をしていない! しっかりしやがれみきぃ! そんな偽者に支配されるほどお前は弱っちいヤツなのか! そんな偽者に屈服してわんわん泣いているほど、お前は泣き虫なヤツなのか! ・・・・・・それともまだ、お前はあたしの助けがないと生きていけないのかああああああ!」  涙を撒き散らしながら、みかはみきに向かって腹の底から怒鳴る。  やがて二人は至近距離で対峙した。みきはそんな姉の必死の呼びかけを、じっと見つめて聞いていた。 「もうやめてくれよお・・・・・・。お前がまた自分の中で泣いていると思うと、あたしは辛いんだよお。こればっかりはお姉ちゃん、助けに行きたくても行けないんだよお・・・・・・。本当はこれからもずっとお前のことを守ってやりたいのに、何も出来ずにこうして訴えかけるぐらいしかできないなんて、あたしは辛くて死んでしまいそうなんだよお・・・・・・」  そのとき、血塗れ仔猫が始めて口を開いた。 「なら、死ねば?」  どすんと、わき腹に鞭が刺さる。みかの渾身の呼びかけは、ついに届かなかった。  異能者たちは思わず悲鳴を上げて目を逸らした。  みきは、どうしてこの立浪みかという女が自分に対して必死に懇願するのか、本当にわからなかった。  気づけば彼女はグラウンドに降り立っていた。役割はただ一つ。無害なマイクを惨殺した愚かな人間どもに制裁を加えるのみ。お仕置きするのみ。宿命に従って鞭を奮い、切り裂き、大量に血を浴びた。  なぜ、この女はこうまでして不可解な抵抗を見せるのだろう。  なぜ、この女はこうまでして自分におかしなことを呼びかけるのだろう。  自分は人間を罰するためにこの島に降りてきた『ラルヴァ』であるのに。醜い人間を根こそぎむしり取るために生まれた『ラルヴァ』であるはずなのに。この女は自分に対し、誰に必死な言葉を投げかけているのか、非常に理解に苦しんだ。  血濡れ仔猫は冷めた赤の瞳でみかを見下ろす。みかは腹部から背中にかけて鞭を貫通されてしまい、仰向けになったまま動けない。小さな口元から血が滴り落ちている。  それに――。この女はどうしてこうまでして、『人間』を守ろうとするのか?  殲滅派によって蹂躙された無垢な命。どちらが悪であるかは明白であるはずなのに、この女ときたらなおも、『人間』どもの味方を演じようとしている。どうしてだ? なぜだ?  あれこれこの女のために考えても、理解できないものはできない。やはり『人間』の味方として血祭りに上げるのみ。  激しく出血してもがき苦しむみかに、みきはとどめを刺すため鞭を振りかぶった。  しかし、彼女はとても嫌そうに舌打ちをしながら、ぱっと真後ろを振り返る。 「もうやめやがれぇーーー!」  背後から第三者による襲撃を受けたのだ。筋骨粒々な上半身をさらけ出した男子生徒のとび蹴りを、みきは鞭を束ねて縦にかざすことで防御した。人間のくせしてかなり威力が高く、やや後方に吹き飛んだが踏みとどまった。  横から餌を取り上げられた仔猫は激怒する。人間ごときが調子付きやがって! そう思いながら、邪魔を入れたあの男から殺してやろうと鞭を握り直したときだ。今度は黄緑色をしたエネルギーボールが真後ろからぽんぽん飛んできて、彼女は目を丸くする。再び鞭を使って、三発をガードしてから二発を左右後方に弾き飛ばした。女子生徒が自分に向けて光学兵器を向けているのを見た。  みきが異能者たちの奇襲に気をとられているあいだ、みかのもとへ治癒能力者が駆け寄り、彼女に温かい魔法をかける。それは、与田に役立たずとまで罵られた保健委員の少女であった。 「傷が少しずつ治っていく・・・・・・? 君は、こんなあたしの味方をしてくれるのかい・・・・・・?」 「うん! これ以上、与田なんかの思い通りにはさせたくない! あなたたちは有害な『ラルヴァ』なんかじゃない! 私たちの味方であり仲間なんだから負けないでぇ!」  失ったとばかり思っていた仲間の存在に、みかの瞳が生き返ったように緑に輝く。 「頑張れぇー! 立浪みかぁー!」  誰かがそう叫んだ。みきはゆっくりとそいつのほうを振り向き、ばしんと地面を鞭で叩いて殺意を示す。だがそのような脅しはもう、この場にいる異能者たちには通用しない。 「そうよ! たとえあなたにラルヴァの血が流れていても、あなたはその力で何度も学園や島の人たちを守ってくれた!」 「与田の言うことなんて気にしてはいけない! 味方はここにいるぞ!」  いっせいに沸き起こった声援。みきは全校生徒がみかを敵視していると思い込んでいただけに、彼女に味方する生徒たちの出現に強く当惑していた。彼女を応援する生徒などいるわけがないとまで、彼女は思っていた。  不意に地面から笑い声が聞こえてきて、彼女はきっとみかを睨みつける。治癒能力者に逃げるよう先に促してから、みかはみきにこう言った。 「みき、聞こえるかい? みんなの声。たとえあたしたちがラルヴァだってことをお前が証明しちまっても、こうしてあたしたちのことを庇ってくれる仲間がいるんだ。・・・・・・マイクだって、そうだっただろう?」  人間どもによってバラバラにされた小熊の名を聞いた瞬間、みきはわなわなと怒りに震える。マイクを殺した人間どもを許せるわけがないのだ。愚かな人間どもはすべて、ラルヴァの手によって殲滅させられるべきなのだ。そんな彼女に対し、異能者たちからこんな言葉がかけられる。 「みきちゃん、目を覚ましてぇ!」 「本当はそんなことしたくないんだろ? しっかりしろぉ!」 「自分に負けないで! 悪い『ラルヴァ』の血に負けないで!」  ぐるっと彼らのほうを振り向いた。口を半開きにしてしまうぐらい、彼女は心に強い衝撃を受けた。額に汗を滲ませ、目を大きく開いて愕然としていた。  こいつらは私に対して何を言っているんだ!   自分に対して声援を送り始めた異能者たちに、みきはひどく混乱していた。 「春奈先生が帰ってきたらすごく悲しむぞ! それで本当にいいのか?」  大好きだった担任教師の名を耳にしたとたん、ぎりっと、歯軋りが大きな音を立てる。『ラルヴァ』と口汚く罵られるよりも、このようにして人間どもに優しく扱われるほうが、血塗れ仔猫にとってよほど気に食わないのである。『ラルヴァ』として人間どもから憎悪と怨嗟の眼差しを浴びるのが、彼女にとって最高の賛辞であるはずなのに。  冗談じゃない。人間がこんな黒ずくめの醜い自分を庇うだと? 人間どもが、有害な『ラルヴァ』である自分を悠長に励ますだと? ふざけるな!   みきは怒りに任せて鞭を振り、姉の頬を乱暴に打った。殴られたように真横へ倒されてしまったみかの背中に、黒い影がゆらりゆらりと接近する。  その華奢な背中の皮を、べろりと剥いで泣かしてやる――!  そう思っただけでみきはにたりと微笑み、白いブラウスを鞭の先端で切り裂いてしまった。異能者たちは、迫り来る残酷な展開に目を覆う者もあれば、とっさの援護射撃を加えようと武器を構えた者もいた。  ところが。 「・・・・・・あ」  と、血塗れ仔猫の口から声が漏れ出る。  みかの背中には、右肩から腰にかけて大きな傷が走っていたのだ。  それはラルヴァである彼女にとって、生まれて初めて目にしたはずのものなのに。あるはずのない過去の記憶へと、即座に直結してしまう。 「・・・・・・へへ、覚えるか知らないけど。これはね、お前がまだみくぐらいのときにラルヴァに襲われたとき、あたしがお前をかばって喰らった傷だよ」  と、生々しい傷跡を露わにされたみかは、笑ってそう言った。  みきの赤い目が潤いを帯びて、ゆらゆらと揺れだした。血塗れた瞳に見えてきたのは、昔懐かしい田舎の山々と、毎日わんわん泣いていた自分自身。  みかと一緒に山に入って遊んでいたとき、みきは野生のリスと遭遇した。だがそれは小動物ではなく、リスのラルヴァであったのだ。  涎の滴り落ちる鑿のような門歯を向けられ、九歳のみきは腰を抜かしてすくみあがった。そんなみきを庇うようにして守ったのが、ほんの一歳年上である、姉のみかだった。 「もちろんあんときゃ、猫耳も出せなかったし短剣も出せなかった。だから、あたしはお前に覆いかぶさって守ってやることぐらいしかできなかった。それでも、あたしはお姉ちゃんとしてお前を絶対に守ってやりたかった」  背中を噛み千切られるように大きく抉られてしまった。でも、みかは悲鳴を上げない。歯を食いしばり、涙の一粒も出すまいとこらえてみせたのだ。それだけ見たリスのラルヴァは、幼い子供の勇気に感服したのか、それとも何かをその背中から汲み取ったのか、大人しく去ってしまった。 「だから・・・・・・みき。これ以上暴れるのなら、そろそろあたしもやるこたやるよ。お前を殺して、お前を止めてやる。たとえ刺し違えてでもお前を止めて、救って、守ってやる。どんなことがあっても、絶対にお前を守ってやる!」  また立ち上がってみせた。左右にふらつきながらもその手に短剣を、もう一度呼び寄せてみせた。  それはあまりにも堂々とした姉の姿。頼りになる、強い自分の姉さん。  気弱で弱虫な性格のため、いつも田舎の子供にいじめられてきた。鼻水を垂らして泣き喚く自分の隣には、いつでもみかがいてくれた。自分の隣にはいつも、みかがいた。  たとえ自分がこのように真っ黒になって、どうしようもない悪魔になってしまっても。この妹思いの姉さんはこうして傷だらけになりながら、弱虫な自分を守ってくれる。この人は本当に昔から、仲間思いの妹思いだった。そういう人だった。  そうだ、自分はずっとこの背中に守られてきたのだ。  血濡れ仔猫の瞳が涙で潤んでいる。戦意を喪失した彼女は鞭をゆっくり下ろし、消滅させた。  ・・・・・・そして、それは起こった。  みきは自分のもとに、茶色い毛皮に包まれた小さな脚が近づいてくるのを見た。 「マイ・・・・・・ク・・・・・・?」 「みき姉ちゃん・・・・・・!」  みきは愕然とした。異能者たちによって始末されたはずの小熊のラルヴァが、自分のすぐ目の前のいるのだ。 「ダメだよ、そんなことしたら。みき姉ちゃんは悪いラルヴァじゃなくて異能者なんだから、そんなことをしてはいけないんだ」  マイクは悲しそうにそう言った。ぽかんとしていた血塗れ仔猫の目から、涙が流れ落ちる。 「この世界にはみき姉ちゃんと同じように、ラルヴァと人間の境目がない人たちがたくさんいる。たとえ純粋なラルヴァであっても、人間たちと仲良く暮らしたいと願っている奴らがいっぱいいるんだ。ラルヴァすべてを悪だと決め込むのは、どうしてか人間だけがしていることなんだ」  と、彼はみきに言った。マイクの言葉には、『ラルヴァ』であることに深く傷ついて自分を見失ってしまった、みきの心を救い出す力があった。  みかも「どういうことだよいったい・・・・・・」と、この幻想のような一コマを眺めている。 「今の世の中では、そんな善良な彼らが人間たちによって、強い偏見でもって迫害され、殺害されている。僕はそれがずっと嫌だった。大きな疑問だったし、一人のラルヴァとしてとても悲しかった。この手で何とかしていきたいと思っていた。だけど皮肉にも、僕がその格好の例となってしまった・・・・・・」  両方の手のひらを眺めながら、マイクはみきに言う。そして彼は、どうしても彼女に伝えたかった「ある願い」を語り始めた。 「どうかみき姉ちゃんには、そんな悲しいことのない、優しい世界を作っていってほしい。人間とラルヴァが仲良く暮らす素敵な社会。人間と僕らとのあいだに偏見も差別も迫害もない、綺麗な世界。僕は死んじゃったから、それはもうできない。・・・・・・ふふ、夢だったんだ。僕らラルヴァと人間たちが幸せに暮らす、社会を作っていくこと」  立浪みきは、自分が『ラルヴァ』であることに大きく絶望していた。そして、マイクを殺した血も涙もない人間たちを前にして、人間を強く憎む『ラルヴァ』に覚醒してしまった。  しかし、人間たちに殺されたラルヴァのマイクは彼らを決して恨むことはなく、このようにして死んでもなお、人間とラルヴァが共生できる社会の構築を熱望しているのだ。  マイクはみきに、彼女が今後歩むべき「本当の生き方」を教えようとしている。凶暴な血にまかせて人間たちを襲うことが、彼女にとって正解の人生であるはずがない。彼女がこれからどのようにして己の血と向き合い、付き合っていけばいいのかを彼は伝えたかった。 「繊細で優しい心の持ち主であるみき姉ちゃんならね、僕の夢をかなえることができると思うんだ。みき姉ちゃん、どうか僕の夢を代わりに叶えてほしい。だから、もうそんな黒い服を着ているのはやめて。そんな赤くて怖い目をするのはやめて。これまで通り、この学校のみんなに優しく接してほしい」  強固に閉じ込められていた立浪みきの本来の心が、膨れ上がっていく。殻を破らんとばかりに膨張していく。入れ替わるようにして、血濡れ仔猫の残虐な心がすっと消えていった。  それを見たマイクはにっこりと笑ってくれた。 「みき姉ちゃんはそのオッドアイのほうがずっと可愛いよ。・・・・・・じゃあ、ここまでのようだから、そろそろおしまいにしておくね。父ちゃんもね、みき姉ちゃんに倒されたのは自分の責任だって納得してたよ? だから、本当に気にしないで?」  マイクの全身が透き通る。それでも差し出された小さな手は温かくて柔らかくて、確かな存在がそこにあった。みきはその手をしっかりと握っていた。 「短い間だったけれど、みき姉ちゃんに会えて本当によかった。父ちゃんと一緒にずっと見守っているからね。独りじゃないよ、ずっと一緒だよ」  彼は双葉島の青空に溶け込むように消えていった。 「姉さん・・・・・・!」  みかは一瞬驚いてから、小さな八重歯を見せる。 「みき・・・・・・。お前・・・・・・!」  奇跡が起こった。ラルヴァの血に目覚めたみきが、姉猫の名を呟いたのだ。みかの必死な訴えとマイクの願いが、精神的に幽閉されていたみきの心に届いたのだ。  ラルヴァの赤い瞳がすっと消滅し、もとのオッドアイが浮き出るよう復活する。それだけ見ると、みかは涙を滲ませて喜んだ。 「戻ってきてくれたんだな! もう、手間取らせやがってえ! 心配かけやがってえええ! うわああああああん!」  ぼんやり呆けている次女に、長女が正面から抱きついた瞬間。  わっとグラウンドに歓声が上がった。最後まで彼女たちを見守っていた生徒たちは、いっせいに校庭へと走り出して、立浪姉妹をじかに囲む。 「みきちゃんが元に戻ってくれた! やったぁー!」 「おめでとう、本当におめでとう!」 「君たちを庇ってやれなくてほんとうに悪かった。今度、君たちを悪く言うような奴らがまた大声を出していたら、みんなで守っていくことにするよ!」 「俺たちは何度も立浪姉妹に守られてきたのに・・・・・・。俺たちだって君たちを守っていかなければならないんだということを、痛感させられたよ」 「ラルヴァだっていいじゃない。それがダメだったらここにいるみんな、処刑されることになっちゃうよ?」  高等部の男子学生はそう言うと、巨大なヒキガエルのラルヴァを召還してみせた。 「これ、僕の友達だよ。物心付いたころからずっと一緒。いつもこいつの力を借りて僕は戦うんだ。こんな子まで人類の敵だなんて、与田は頭がおかしいよ」  主に賛同するように、ヒキガエルは「げこ」と鳴いた。  その隣に立っていた背の低い女子の全身が、白く発光する。すると、立浪姉妹のそれよりももっと柔らかな毛皮に包まれた、けもの耳と尻尾が風に揺れていた。 「ボクは犬の血が流れてて、犬の力を使って戦うの。つまりボクも君たちと一緒なんだよ」  みかは、校庭に残ってくれた異能者たちが次々とラルヴァを召還してみせたり、血を覚醒させて変身してみせたりするところを見ていた。それは動物であったり、強そうな精霊であったり。色とりどりの様々な異形が一列に並んで、飛んだり跳ねたり、鳴いたり吼えたりしている。みきに飛び掛った筋肉質の男子生徒がニッと白い歯を見せて微笑むと、一瞬にして竜を思わせるクリーチャーに変身してみせる。  うるっと瞳がまた濡れる。与田たちに責めたてられて絶望していた自分が、馬鹿みたい。「こんなことって、こんなことって・・・・・・!」と、ぼろぼろ涙を流しながら感動していた。  ここで一人、別の男子生徒がみかとみきの前にやってきた。 「俺はラルヴァの霊魂を、一定時間だけこの場に呼び戻すことができる。死んだラルヴァたちの力を借りて戦闘したり、彼らの無念を晴らす手助けをしたりしている。さっきのマイクくんも、それで召還してみせたんだ。彼はみきちゃんにどうしても伝えたいことがあったようだからね」  と、長身長髪の男子高校生は言った。みかはすべての合点がいったように、笑顔を向ける。 「与田は一部の生徒を扇動して騒ぎを巻き起こした、とんでもない問題児だ! どうか彼の言うことなどは気にしないで、これまで通り普通に学園生活を送ってほしい。そして、マイクくんの夢も君たち姉妹が引き継いでいくといい。・・・・・・人間たちに不当に弾圧されて、失意のうちにこの世を去っていくラルヴァもね、かなり多いんだよ」  高等部二年生の彼は、名前を宇野秋夜《うのしゅうや》といった。 「みんな、ありがとう・・・・・・! 本当にありがとう・・・・・・!」  立浪みかは次女を抱きしめたまま、みんなに向かって礼を言った。  青空の向こうから潮風が運ばれて、姉妹の前髪を優しくなで上げる。やや強めの横風はばたばたと音を立てて、校庭を通っていく  誰もが、今回の騒動の終わりを確信していた。  そう、誰もが。  高等部の生徒にたちによるまさかのカミングアウトを、与田光一は信じられないものを見ているかのような目をして、遠巻きに眺めていた。  与田はラルヴァを擁護・愛護する層のことを忘れていたわけではない。今回の計画において、一番障害となりうる懸念事項とまで彼は位置づけていた。だが、これほどにまでラルヴァを敵だと思わない学生が増えていた現実を前にし、半ば呆然としていた。 「これほどにまで、伝統ある双葉学園にも平和ボケが進んでいたとは・・・・・・!」  もうこうなってしまっては、立浪姉妹を双葉学園の生徒の手によって殺させる計画は、破綻してしまったのも同然だった。 「・・・・・・帰るぞ、牛島!」  そう、悔しそうにして白衣を翻す。その両目にあるものは、立浪姉妹への強い憎しみであった。その場から逃げるように、校門の脇に付けてあった会社の車に乗り込む。  そんな風にして学校を早退し、研究所へ向かう途中。彼の携帯電話が鳴った。モバイル手帳とは別に保有しているもので、主に学校から会社へ直接やり取りするための内線電話だった。  しかし、声の主は学園内部からかけていた。与田の持つ、強力で強固な人脈のパイプである。どうやら彼が立ち去ったあと、立浪姉妹に動きがあったようなのだ。  学園の重要人物である大物の話を聞いた与田は、不敵な笑みを見せた。黒縁のメガネを、片手でむしるように外し取った。  ・・・・・・まだだ。僕の計画は、まだ終わっていない。  僕には誰にも明かしたことのない、大きな「野望」がある。  絶対に僕は双葉学園をこの手中に収めるため、それを達成してみせる!  あの姉妹を絶対に、生かしておかない―― &br() &br() #right(){&bold(){&sizex(4){&link_up(最初に戻る)}}} ---- |>|>|BGCOLOR(#E0EEE0):CENTER:&bold(){【立浪姉妹の伝説】}| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){作品}|>|[[第一話>【立浪姉妹の伝説 第一話】]] [[第二話>【立浪姉妹の伝説 第二話】]] [[第三話>【立浪姉妹の伝説 第三話】]] [[第四話>【立浪姉妹の伝説 第四話】]] [[第五話>【立浪姉妹の伝説 第五話】]] [[第六話>【立浪姉妹の伝説 第六話】]] [[第七話>【立浪姉妹の伝説 第七話】]] [[最終話>【立浪姉妹の伝説 最終話】]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){登場人物}|>|[[立浪みか>立浪 みか]] [[立浪みき>立浪 みき]] [[遠藤雅>遠藤 雅]] [[立浪みく>立浪 みく]] [[与田光一>与田 光一]]∥[[藤神門御鈴]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){登場ラルヴァ}|>|[[リンガ・ストーク]] [[ガリヴァー・リリパット]] [[マイク]] [[血塗れ仔猫]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){関連項目}|>|[[双葉学園]]| |BGCOLOR(#E0EEE0):&bold(){LINK}|>|[[トップページ]] [[作品保管庫>投稿作品のまとめ]] [[登場キャラクター>作品登場キャラ設定]] [[NPCキャラクター>NPC設定]] [[今まで確認されたラルヴァ]]|

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