【天使飼いと零式図書委員会 アネモイ 】

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◆ 天使飼いと零式図書委員会 アネモイ ◆ ―― 十才の頃、天使ような光る何かが心臓のなかに封印された。  いまでもかすかに憶えている。  光り輝く少女の後ろ姿。血のように赤黒い鎖に絡み取られ、糸の絡まった小鳥のように空中でわななく光景。  可哀想だな――と思いながら手を伸ばしたそのとき、鎖の根元がわかった。  それは、丁度、私の心臓のある胸のあたりからだろうか。  肉体的な感触はないけれど、たしかに紅黒い鎖は私の心臓の上から伸びて、翼を持ちながら光るその宙に浮いた少女を拘束している。  天使の抵抗などありはしないかのように軽々と引き寄せ、血色の鎖は彼女をとりこもうとしていた。  鎖はまるで生きているかのように脈打ちながら息づく様はどこか穢らわしく、その動き、禍々しい様子は、まるで邪悪に嗤《わら》う蛇のようだ。  光を放つその少女の体は熱も、質感もなにも感じない。  声は聞こえない。記憶に無い。  ただ、彼女の照らしだすまばゆい光を浴びていると気持ちの奥まで透明なっていき、まるで水のように透き通りながら何もかもがなくなってしまう……そんなやわらかな心地よさだけがどこまでも、どこまでも広がっていく。  鎖で縛られた後ろ姿から、その翼越しに見えていた天使の頭が、突然に、こちらを振り返ろうとしていた。  この天使は一体、  今、  どのような表情をしているのだろうか――。  私の記憶はそこまでだ。  天使の顔など憶えていない。  あとは、黒い心臓に天使を封印した十才の子供だけが残されていた……と私は人伝に聞いている。              ☆ 「神話を喰うラルヴァ……ですか?」  ラルヴァには物語や人の精神に関わる非物理的な存在も確認されていて、そのような非物理現象的なラルヴァを専門にした組織も存在する。  その一つが、零式図書委員会。  私、天崎 翼《あまさき つばさ》が1ヶ月ほど前に所属することになった委員会だ。従来ある図書委員とは一線を画しながら、別の組織として活動していて、非物理的なラルヴァの研究及び対処が零式図書委員のメインワークとしている。  その初仕事が――。 「ラルヴァが神話を消していると……」 「僕もまだ詳しいことはわからないんだけどね。どういえばいいかな、図書室の目録になにやら異常が起きているらしいという噂から始まり……といって、とある神話関係の書物の記録が目録にあったりなかったりするという不可解な報告が上がってきたのがそもそもの発端なんだけど」 「あったりなかったり、ですか」  先輩の説明はいまいち要領を得なくてもどかしい。 「そうだね。要はとある本が目録の記憶から見つからないことがあり、消えているというんだ。その報告確認をしていると、消えていたかと思っていた目録の記載が元に戻っていたりして。そんなことを繰り返しながら、そのうち消えていることが多くなった」 「目録から消えるというのは、例えばタイトルが消えているといったことでしょうか?」 「だね。あと、入荷記録や貸し出し記録も消えていたり、記録的にその神話の書籍関連で記載に齟齬が起きていたなどの報告を受けている。  あまりに不審に思われたので調査した結果、どうやら紛失や記入ミスといった類のトラブルではなく――本来あった神話そのものが存在として消滅している可能性が出てきたんだよ」  それでは話の順番がおかしい気がした。 「あの……『書籍が消失』ではなく『神話が消滅』なんですよね」 「うん、そう。本来あるような書物や文字など記録された『媒体』が紛失してしまったから神話や物語といった『情報』までもが失われたというその手の盗難や紛失事件とはそもそも根本的にちがってね、この件では、まずは神話や物語といった『情報』のほうが消滅をはじめていき、次いでその影響として目録の記録や書籍自体という『記録媒体』のほうまでもが引きずられるようにこの物質界から消滅していく――という順序《プロセス》なんだよ。  今はまだ不安定だから消えたり戻ったりしているようだけれど、力が強まれば消える感覚のほうが長くなっていき、やがてあちら側に消えてしまうだろうね」  これは『情報』が消えてから、『媒体』も消滅したという順番になっている事件なのだ。  こうして説明を聞いていると非物理的なラルヴァ現象といわれる意味が少しだけ飲み込めた。 「そして、調査をさらに進めるとラルヴァらしき存在が関与していることも認められたといった流れ。わかるかな」 「はい、うちっぽい事件ですね」 「そう。だから零式にお鉢が回ってきた」  ――神話が消える。  それはまるで神殺し。  心臓がトクンと小さく鳴った。  先輩は、その神話はアネモイだ、と告げた。  アネモイ。  それはギリシア神話の風の神たち。              ☆  そんな神話消失の事件を受けて1ヶ月、私たちは神話を喰らうラルヴァがいるとの結論に達した。  先輩と私は、戦う場所を夜の校庭と定めた。  校庭の中央に一冊の本と白線の円。頭上には黒い空と白銀の満月。 「戦うといっても今回はこちらにイニシアチブがあるから、君はそう気負わなくていいよ。先に『現象』を特定した時点で僕たちの勝ちだから」 「……随分と余裕なんですね」 「まあね。未知の現象を相手にするのは、それはわからないことが一番怖いよね。裏返してみればわかってしまえば何も問題はない。戦いに例えるなら、戦いなんて始まった時点ですでに決しているものさ」 「もしも、何も解明できずわからないままだとしたら?」」 「勝ち目がないときは戦ってはならないし、勝算もなく戦う者を人は愚か者という。これ、兵法の基本だね」  などと余裕しゃくしゃくに胸を張っている先輩に「やらざるを得ない戦いも時にはあると思いますけど」と皮肉を投げかけてみたものの、全身からおもいっきり緊張感が抜け落ちてしまった感は否めない。  はっきりいって、勝つとわかっている戦いは単なるルーチンワークなのだ。  どうやら私の華々しい初仕事は、わかりきった結果を実現させるためだけにただ定められた筋道をなぞるだけの作業になりそうだ。  とはいえ、それでも負けるかもしれない戦いに望むよりはマシなのだろう。初の任務がこれだけ安全な事件というのも確実に経験を積もうとするならラッキーなことかもしれない――とそう思うことにしておいた。 「もうじき草木も眠る丑三つ時を迎えるね。  時計が深夜2時を告げたそのとき、『神話喰い』が動き出す。ラルヴァとして具現化した瞬間を狙いこちらは月の女神の封印術を用いて封じるから」  校庭においた本を取り囲んでいる白線の円が月の術式に必要な魔法陣だ。  『神話喰い』の動きは、記録の調査結果から月の満ち欠けと相関があるらしい。よって、『神話喰い』の使っている月の力をこちらが逆用する形で封印を施すのだそうだ。  私は先輩が手にしているもう一冊の別の書物に目をむけた。 「神話喰いという事象ごと、その本の中で物語として無害化されながら眠りにつかされるんですよね」  前日に先輩から受けたレクチャーを思い出す。  非物理現象型のラルヴァ。  一言で非物理型といってもその種類はさまざまで、おのおのの性質にあった対応がこちらにも必要とされる。  さいわいなことに、今回の『神話喰い』は非物理型のラルヴァによくある典型的なタイプらしく、「神話」という情報的な存在を吸収することで自己の存在を維持させるためのエネルギーに変えている。  だから対処法はほぼマニュアル化されているといっても過言ではないそうだ  でも、これまでは訓練でしか知らなかったラルヴァとの本物の戦闘が今まさにはじまるかと思うと、いくらギャラリー気分とはいえ緊張の高まりを感じはじめていた。  リン……。  先輩の用意した深夜2時を告げるアラームが鳴った。  同時に、天から一陣の疾風が舞い降りて、校庭の中央におかれたオデュッセイアの本がある場所から「風の剣」が放たれた。  大気を切り裂きながらこちらに向かって飛んでくる十数本の風の剣。  剣は先輩の目の前で見えざる壁にぶつかり、荒々しい風のエネルギーを周囲に撒き散らしながら激しく大気の奔流を渦巻かせた。  遠くでガシャンと物が押し潰される音が聞こえて、途端に周囲からいくつも火の手が上がり出す。これはあらかじめ張っておいた結界を維持するために設置しておいた周囲の触媒が破壊されたのだ。  ――結界が、風の剣の負荷に耐えられない。 「先輩! これって非物理的なラルヴァじゃなかったんですか!?」  風の剣だなんて物理攻撃そのものだ。 「天崎、オデュッセイアを見てご覧。生《なま》ラルヴァを初めて肉眼で見たというその感想を教えてほしいね」  校庭に置かれた神話の書「オデュッセイア」の周りには、風の渦が集まりながら1体の人影のようなそれでいて人ではない別の生物のような不気味な陰影を作り出されている。 「あ、あれは……」 「アネモイの四柱神というやつだね。ボレアス、ノトス、エウロス、ゼピュロス。あれは北風かな。知る人ぞ知る神々といったところか」 「カミ――せ、先輩、まさか私たち――」  神と。  神様と戦うなんて、聞いてない。 「か、神様と戦うんですか……!?」  そんなの全然きいてない。  ましてや非物理ラルヴァ専門の私たちがこの圧倒的な破壊力をもった敵を相手にして、一体何ができるというのだろう。  第二陣の剣の放たれた。  「やられる!」と思った瞬間、先輩の目の前でそれら風の剣は弾かれ、またもや圧縮された風のエネルギーが開放されて暴風を撒き散らしながら霧散していく。同時にさっき以上の数で物の潰れる破壊音が周囲から鳴り響きながら火の手が上がり、かろうじて生き残っていた結界の触媒がさらに壊されていく。あきらかに結界はもたない。  風の奔流からどうにか顔を上げた私は、言葉を失った。 「あの、先輩……また一体、影、増えてますよ……」 「当然だよ。言ったよね、アネモイの上位神は四柱の神だって――北風、南風、東風、西風。あと2体増えなければそのほうがおかしい」  この先輩のほうがおかしい。  1体でもあの威力なのに、それが4体なんて、どうかしている。 「あと2体増えたら死んじゃいますよ!」  おかしいのは先輩だと叫びたいのをこらえながらどうすればここから生きて帰れるかだけを私はいつの間にか考えていた。  だって。  人間が神話クラスの神さまに勝てるわけなんて、ない。 「一端逃げましょう先輩――勝算のない戦いはしないんですよね!」  勝手に口のほうが叫んでいて。  神様の数が4つになろうとしている。 「神さまが相手なら逃げたって誰も責めやしません! それに相手は物理系である以上、私たち非物理専門の班ではもう無理です! 体制を立て直してから、しかるべき異能力者たちに対応してもらうべきではありませんか!」  こうしている間にも、私の目にはっきりと残り2体の神さままでもがその姿を捉えられるようになっていた。  ――風の神たちが4体、そろっていた――。  勝算なんて、どこにあるの……。  先輩はこちらを見ていた。  長い髪が暴風に煽られながら乱れていて、その隙間から見えた先輩の表情は恐怖よりも困っているように私には見えた。  私の瞳に別のものが映る。  4体そろった神々が、初撃の4倍に等しい数の「風の剣」を放ってくる。  もう逃げても間にあわない。 「これからがいいところなのに。何だって逃げなければならないんだか」  ピキン。  まるでガラスの管を引き裂くような甲高い音。 「天崎、それとお前はまちがってるよ。僕たちが戦っているのは神さまじゃない。神話を模倣して、神を象り、神に化けているだけの単なる卑猥な一怪物《ラルヴァ》にすぎないのだから」  先輩の視線の先には、4体に具象化した風の神たちが神々しい姿を象っていた。 「やっと全てそろったようだね。じゃあ、さよなら。『神話喰い』」  それだけいって先輩はリボンを解き、ブレザーの胸元をはだけさせる。  丁度心臓のある位置あたりだろうか――  金色の『何か』が飛び出した。  赤黒い血色の鎖で全身を拘束された『ソレ』は、瞬きする間もなく風の神たちに喰いつくと、貫き、千切り、屠り、断罪して、一瞬にしながら4体の神を殺し尽くしていた。 「いっただろう? 『神話喰い』は、神話エネルギーを糧にして成長しただけの非物理系ラルヴァ。正体が割れている時点ですでに勝敗は決まってるんだよ」  ――攻略の目処はついてたから、あとは単純に詰め将棋。  粉々に千切れ飛んだ元神々の御姿をとっていたラルヴァだった『モノ』は、その断片をのこさず金色に輝くソレが持っている一冊の書の中に吸い込まれていく。先ほど先輩が手にしていた零式図書委員が用いるラルヴァ封印用の書物『鎮魂歌全集』。  神話の神々が……いえ、神話を模したラルヴァが消えてしまった。  呆然としている私に向かって、先輩はちょいちょいと指差していた。  先輩が指差していたのは地面だった。  ああ、そういうことか。  直感的に私は察することができた。  あれだけの吹き荒れていた風だったのに、その影響がまるで地面に見られず戦闘前とまったく変わらない姿をしていて、あれほどまでに荒れ狂っていた凶器のような風は、現実に起きていた物理の力ではなかったのだ。  神話喰いのラルヴァが私たちを非物理的な世界に取り込んでいたんだとようやく悟ったのだ。  ラルヴァの世界の中では、たとえ非現実的な力であったとしても、それはとりこまれた者にとっては現実と同じに感じられてしまうバーチャルリアリティのようなものだったのだろう。  神話喰いと対峙した時から、私たちはすでに取り込まれかけていたのか。 「零式の真田 光、ただいまラルヴァの封印を終了しました。天崎と一緒にこれから寝るので明日は休みますからよろしくです」  と、なにやら先ほどまでの緊張感の欠片もない先輩の業務連絡を遠くに聞きながら、私は夜空で輝いている真円の月を見上げた。  そういえば――と私は思い出す。  先輩が出した金色色に輝いていたアレは、人のようでいながら翼を持っていたように思う。  ただし、戦闘だったこともあったのでその表情はよく見えなかったかな……と少しだけ惜しい気がした。  無性にあの天使の顔が気になった。  一体あの金色に輝いていた『何か』は、どのような顔をしながら怪物《ラルヴァ》たちを屠っていたのだろうか。  私は、なぜかあのとき天使は――嗤っていたのではないかと思った。 (天使飼いと零式図書委員会 アネモイ -完- ) ■登場人物 ・真田 光(さなだ ひかり)   双葉学園高等部2年生。零式図書委員会所属。   心臓に天使を封印している。天使を操る異能力を持つ。 ・天崎 翼(あまさき つばさ)   双葉学園中等部1年生。零式図書委員会所属。   新人。 ■ラルヴァ ・『神話喰い』   神話を喰らうラルヴァ。神話という情報的な力を吸収して己の存在を成長させるためのエネルギーに変える。   今回、アネモイの神々が捕食対象となった理由は現在調査中である。 ※零式図書委員会はD級設定です。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
◆ 天使飼いと零式図書委員会 アネモイ ◆ ―― 十才の頃、天使ような光る何かが心臓のなかに封印された。  いまでもかすかに憶えている。  光り輝く少女の後ろ姿。血のように赤黒い鎖に絡み取られ、糸の絡まった小鳥のように空中でわななく光景。  可哀想だな――と思いながら手を伸ばしたそのとき、鎖の根元がわかった。  それは、丁度、私の心臓のある胸のあたりからだろうか。  肉体的な感触はないけれど、たしかに紅黒い鎖は私の心臓の上から伸びて、翼を持ちながら光るその宙に浮いた少女を拘束している。  天使の抵抗などありはしないかのように軽々と引き寄せ、血色の鎖は彼女をとりこもうとしていた。  鎖はまるで生きているかのように脈打ちながら息づく様はどこか穢らわしく、その動き、禍々しい様子は、まるで邪悪に嗤《わら》う蛇のようだ。  光を放つその少女の体は熱も、質感もなにも感じない。  声は聞こえない。記憶に無い。  ただ、彼女の照らしだすまばゆい光を浴びていると気持ちの奥まで透明なっていき、まるで水のように透き通りながら何もかもがなくなってしまう……そんなやわらかな心地よさだけがどこまでも、どこまでも広がっていく。  鎖で縛られた後ろ姿から、その翼越しに見えていた天使の頭が、突然に、こちらを振り返ろうとしていた。  この天使は一体、  今、  どのような表情をしているのだろうか――。  私の記憶はそこまでだ。  天使の顔など憶えていない。  あとは、黒い心臓に天使を封印した十才の子供だけが残されていた……と私は人伝に聞いている。              ☆ 「神話を喰うラルヴァ……ですか?」  ラルヴァには物語や人の精神に関わる非物理的な存在も確認されていて、そのような非物理現象的なラルヴァを専門にした組織も存在する。  その一つが、零式図書委員会。  私、天崎 翼《あまさき つばさ》が1ヶ月ほど前に所属することになった委員会だ。従来ある図書委員とは一線を画しながら、別の組織として活動していて、非物理的なラルヴァの研究及び対処が零式図書委員のメインワークとしている。  その初仕事が――。 「ラルヴァが神話を消していると……」 「僕もまだ詳しいことはわからないんだけどね。どういえばいいかな、図書室の目録になにやら異常が起きているらしいという噂から始まり……といって、とある神話関係の書物の記録が目録にあったりなかったりするという不可解な報告が上がってきたのがそもそもの発端なんだけど」 「あったりなかったり、ですか」  先輩の説明はいまいち要領を得なくてもどかしい。 「そうだね。要はとある本が目録の記憶から見つからないことがあり、消えているというんだ。その報告確認をしていると、消えていたかと思っていた目録の記載が元に戻っていたりして。そんなことを繰り返しながら、そのうち消えていることが多くなった」 「目録から消えるというのは、例えばタイトルが消えているといったことでしょうか?」 「だね。あと、入荷記録や貸し出し記録も消えていたり、記録的にその神話の書籍関連で記載に齟齬が起きていたなどの報告を受けている。  あまりに不審に思われたので調査した結果、どうやら紛失や記入ミスといった類のトラブルではなく――本来あった神話そのものが存在として消滅している可能性が出てきたんだよ」  それでは話の順番がおかしい気がした。 「あの……『書籍が消失』ではなく『神話が消滅』なんですよね」 「うん、そう。本来あるような書物や文字など記録された『媒体』が紛失してしまったから神話や物語といった『情報』までもが失われたというその手の盗難や紛失事件とはそもそも根本的にちがってね、この件では、まずは神話や物語といった『情報』のほうが消滅をはじめていき、次いでその影響として目録の記録や書籍自体という『記録媒体』のほうまでもが引きずられるようにこの物質界から消滅していく――という順序《プロセス》なんだよ。  今はまだ不安定だから消えたり戻ったりしているようだけれど、力が強まれば消える感覚のほうが長くなっていき、やがてあちら側に消えてしまうだろうね」  これは『情報』が消えてから、『媒体』も消滅したという順番になっている事件なのだ。  こうして説明を聞いていると非物理的なラルヴァ現象といわれる意味が少しだけ飲み込めた。 「そして、調査をさらに進めるとラルヴァらしき存在が関与していることも認められたといった流れ。わかるかな」 「はい、うちっぽい事件ですね」 「そう。だから零式にお鉢が回ってきた」  ――神話が消える。  それはまるで神殺し。  心臓がトクンと小さく鳴った。  先輩は、その神話はアネモイだ、と告げた。  アネモイ。  それはギリシア神話の風の神たち。              ☆  そんな神話消失の事件を受けて1ヶ月、私たちは神話を喰らうラルヴァがいるとの結論に達した。  先輩と私は、戦う場所を夜の校庭と定めた。  校庭の中央に一冊の本と白線の円。頭上には黒い空と白銀の満月。 「戦うといっても今回はこちらにイニシアチブがあるから、君はそう気負わなくていいよ。先に『現象』を特定した時点で僕たちの勝ちだから」 「……随分と余裕なんですね」 「まあね。未知の現象を相手にするのは、それはわからないことが一番怖いよね。裏返してみればわかってしまえば何も問題はない。戦いに例えるなら、戦いなんて始まった時点ですでに決しているものさ」 「もしも、何も解明できずわからないままだとしたら?」」 「勝ち目がないときは戦ってはならないし、勝算もなく戦う者を人は愚か者という。これ、兵法の基本だね」  などと余裕しゃくしゃくに胸を張っている先輩に「やらざるを得ない戦いも時にはあると思いますけど」と皮肉を投げかけてみたものの、全身からおもいっきり緊張感が抜け落ちてしまった感は否めない。  はっきりいって、勝つとわかっている戦いは単なるルーチンワークなのだ。  どうやら私の華々しい初仕事は、わかりきった結果を実現させるためだけにただ定められた筋道をなぞるだけの作業になりそうだ。  とはいえ、それでも負けるかもしれない戦いに望むよりはマシなのだろう。初の任務がこれだけ安全な事件というのも確実に経験を積もうとするならラッキーなことかもしれない――とそう思うことにしておいた。 「もうじき草木も眠る丑三つ時を迎えるね。  時計が深夜2時を告げたそのとき、『神話喰い』が動き出す。ラルヴァとして具現化した瞬間を狙いこちらは月の女神の封印術を用いて封じるから」  校庭においた本を取り囲んでいる白線の円が月の術式に必要な魔法陣だ。  『神話喰い』の動きは、記録の調査結果から月の満ち欠けと相関があるらしい。よって、『神話喰い』の使っている月の力をこちらが逆用する形で封印を施すのだそうだ。  私は先輩が手にしているもう一冊の別の書物に目をむけた。 「神話喰いという事象ごと、その本の中で物語として無害化されながら眠りにつかされるんですよね」  前日に先輩から受けたレクチャーを思い出す。  非物理現象型のラルヴァ。  一言で非物理型といってもその種類はさまざまで、おのおのの性質にあった対応がこちらにも必要とされる。  さいわいなことに、今回の『神話喰い』は非物理型のラルヴァによくある典型的なタイプらしく、「神話」という情報的な存在を吸収することで自己の存在を維持させるためのエネルギーに変えている。  だから対処法はほぼマニュアル化されているといっても過言ではないそうだ  でも、これまでは訓練でしか知らなかったラルヴァとの本物の戦闘が今まさにはじまるかと思うと、いくらギャラリー気分とはいえ緊張の高まりを感じはじめていた。  リン……。  先輩の用意した深夜2時を告げるアラームが鳴った。  同時に、天から一陣の疾風が舞い降りて、校庭の中央におかれたオデュッセイアの本がある場所から「風の剣」が放たれた。  大気を切り裂きながらこちらに向かって飛んでくる十数本の風の剣。  剣は先輩の目の前で見えざる壁にぶつかり、荒々しい風のエネルギーを周囲に撒き散らしながら激しく大気の奔流を渦巻かせた。  遠くでガシャンと物が押し潰される音が聞こえて、途端に周囲からいくつも火の手が上がり出す。これはあらかじめ張っておいた結界を維持するために設置しておいた周囲の触媒が破壊されたのだ。  ――結界が、風の剣の負荷に耐えられない。 「先輩! これって非物理的なラルヴァじゃなかったんですか!?」  風の剣だなんて物理攻撃そのものだ。 「天崎、オデュッセイアを見てご覧。生《なま》ラルヴァを初めて肉眼で見たというその感想を教えてほしいね」  校庭に置かれた神話の書「オデュッセイア」の周りには、風の渦が集まりながら1体の人影のようなそれでいて人ではない別の生物のような不気味な陰影を作り出されている。 「あ、あれは……」 「アネモイの四柱神というやつだね。ボレアス、ノトス、エウロス、ゼピュロス。あれは北風かな。知る人ぞ知る神々といったところか」 「カミ――せ、先輩、まさか私たち――」  神と。  神様と戦うなんて、聞いてない。 「か、神様と戦うんですか……!?」  そんなの全然きいてない。  ましてや非物理ラルヴァ専門の私たちがこの圧倒的な破壊力をもった敵を相手にして、一体何ができるというのだろう。  第二陣の剣の放たれた。  「やられる!」と思った瞬間、先輩の目の前でそれら風の剣は弾かれ、またもや圧縮された風のエネルギーが開放されて暴風を撒き散らしながら霧散していく。同時にさっき以上の数で物の潰れる破壊音が周囲から鳴り響きながら火の手が上がり、かろうじて生き残っていた結界の触媒がさらに壊されていく。あきらかに結界はもたない。  風の奔流からどうにか顔を上げた私は、言葉を失った。 「あの、先輩……また一体、影、増えてますよ……」 「当然だよ。言ったよね、アネモイの上位神は四柱の神だって――北風、南風、東風、西風。あと2体増えなければそのほうがおかしい」  この先輩のほうがおかしい。  1体でもあの威力なのに、それが4体なんて、どうかしている。 「あと2体増えたら死んじゃいますよ!」  おかしいのは先輩だと叫びたいのをこらえながらどうすればここから生きて帰れるかだけを私はいつの間にか考えていた。  だって。  人間が神話クラスの神さまに勝てるわけなんて、ない。 「一端逃げましょう先輩――勝算のない戦いはしないんですよね!」  勝手に口のほうが叫んでいて。  神様の数が4つになろうとしている。 「神さまが相手なら逃げたって誰も責めやしません! それに相手は物理系である以上、私たち非物理専門の班ではもう無理です! 体制を立て直してから、しかるべき異能力者たちに対応してもらうべきではありませんか!」  こうしている間にも、私の目にはっきりと残り2体の神さままでもがその姿を捉えられるようになっていた。  ――風の神たちが4体、そろっていた――。  勝算なんて、どこにあるの……。  先輩はこちらを見ていた。  長い髪が暴風に煽られながら乱れていて、その隙間から見えた先輩の表情は恐怖よりも困っているように私には見えた。  私の瞳に別のものが映る。  4体そろった神々が、初撃の4倍に等しい数の「風の剣」を放ってくる。  もう逃げても間にあわない。 「これからがいいところなのに。何だって逃げなければならないんだか」  ピキン。  まるでガラスの管を引き裂くような甲高い音。 「天崎、それとお前はまちがってるよ。僕たちが戦っているのは神さまじゃない。神話を模倣して、神を象り、神に化けているだけの単なる卑猥な一怪物《ラルヴァ》にすぎないのだから」  先輩の視線の先には、4体に具象化した風の神たちが神々しい姿を象っていた。 「やっと全てそろったようだね。じゃあ、さよなら。『神話喰い』」  それだけいって先輩はリボンを解き、ブレザーの胸元をはだけさせる。  丁度心臓のある位置あたりだろうか――  金色の『何か』が飛び出した。  赤黒い血色の鎖で全身を拘束された『ソレ』は、瞬きする間もなく風の神たちに喰いつくと、貫き、千切り、屠り、断罪して、一瞬にしながら4体の神を殺し尽くしていた。 「いっただろう? 『神話喰い』は、神話エネルギーを糧にして成長しただけの非物理系ラルヴァ。正体が割れている時点ですでに勝敗は決まってるんだよ」  ――攻略の目処はついてたから、あとは単純に詰め将棋。  粉々に千切れ飛んだ元神々の御姿をとっていたラルヴァだった『モノ』は、その断片をのこさず金色に輝くソレが持っている一冊の書の中に吸い込まれていく。先ほど先輩が手にしていた零式図書委員が用いるラルヴァ封印用の書物『鎮魂歌全集』。  神話の神々が……いえ、神話を模したラルヴァが消えてしまった。  呆然としている私に向かって、先輩はちょいちょいと指差していた。  先輩が指差していたのは地面だった。  ああ、そういうことか。  直感的に私は察することができた。  あれだけの吹き荒れていた風だったのに、その影響がまるで地面に見られず戦闘前とまったく変わらない姿をしていて、あれほどまでに荒れ狂っていた凶器のような風は、現実に起きていた物理の力ではなかったのだ。  神話喰いのラルヴァが私たちを非物理的な世界に取り込んでいたんだとようやく悟ったのだ。  ラルヴァの世界の中では、たとえ非現実的な力であったとしても、それはとりこまれた者にとっては現実と同じに感じられてしまうバーチャルリアリティのようなものだったのだろう。  神話喰いと対峙した時から、私たちはすでに取り込まれかけていたのか。 「零式の真田 光、ただいまラルヴァの封印を終了しました。天崎と一緒にこれから寝るので明日は休みますからよろしくです」  と、なにやら先ほどまでの緊張感の欠片もない先輩の業務連絡を遠くに聞きながら、私は夜空で輝いている真円の月を見上げた。  そういえば――と私は思い出す。  先輩が出した金色色に輝いていたアレは、人のようでいながら翼を持っていたように思う。  ただし、戦闘だったこともあったのでその表情はよく見えなかったかな……と少しだけ惜しい気がした。  無性にあの天使の顔が気になった。  一体あの金色に輝いていた『何か』は、どのような顔をしながら怪物《ラルヴァ》たちを屠っていたのだろうか。  私は、なぜかあのとき天使は――嗤っていたのではないかと思った。 (天使飼いと零式図書委員会 アネモイ -完- ) ■登場人物 ・真田 光(さなだ ひかり)  双葉学園高等部2年生。零式図書委員会所属。  心臓に天使を封印している。天使を操る異能力を持つ。 ・天崎 翼(あまさき つばさ)  双葉学園中等部1年生。零式図書委員会所属。  新人。 ■ラルヴァ ・『神話喰い』  神話を喰らうラルヴァ。神話という情報的な力を吸収して己の存在を成長させるためのエネルギーに変える。  今回、アネモイの神々が捕食対象となった理由は現在調査中である。 ※零式図書委員会はD級設定です。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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