「【時計仕掛けのメフィストフェレス 劇場版第一部「地獄編」1】」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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この物語はフィクションであり、
実在の人物・団体・事件、および
双葉学園とは一切関係ありません。
【双葉学園映画倫理委員会】
一九九九の年、七の月
空から恐怖の大王が降ってくるだろう
アンゴルモアの大王を蘇らせる為
マルスはその前後を幸せによって統治するだろう
――諸世紀より抜粋
A.D.1999.7.11 23:52 東京湾埠頭
夜の闇を、稲光が引き裂いた。
打ち付ける雨の中に佇む少年の姿を、その光が照らす。髪も服も、雨に濡れて肌にべっとりと張り付いている。
青ざめた肌、紫に変色した唇。震える手足、そして……老人のように白くなった髪の毛。その姿から、彼が今にも倒れそうなほどに疲弊しているのが容易に見て取れる。
だが、少年は倒れない。
死者もかくやというその体で唯一、生命力を感じさせる、鬼気迫る瞳で一点を見る。
執念、怨念、執着、切望、渇望、憎悪、憤怒……あらゆる感情がその瞳の中で渦を巻く。
雷光が夜を引き裂く。
アスファルトを叩く雨の音の中、唇が小さく、喘鳴と共に言葉を吐き出す。
「……る……」
その眼光が見据えるのは、東京湾の彼方。
建設中の人口島。建設重機の照明にライトアップされたそれは、嵐の中で不気味にその姿を浮かび上がらせている。
それはまるで、骸の都市。
少年は歩く。震える足を一歩、また一歩と前に投げ出して。
「始まる……」
手を伸ばす。
だがそれは、決して縋るように手を伸ばすのではなく、掴むように。握り潰し否定するかのように、手を伸ばす。
雨に打たれて冷え切った手には、もはや指先の感覚は無い。
だがそれでも、手を伸ばす。憎悪と共に。絶望を掻き毟るかのように。
「狂った時代が……闇の世紀が、始まる……!」
夜の闇を、稲光が引き裂いた。
「世界の崩壊が……だけど……」
少年は血を吐くように叫ぶ。
「止めてやる……」
ありったけの決意と、憎悪をこめて。
「必ず……もう二度と、繰り返させてなるものか……!!」
A.D.2019.7.9 13:15 岩手県山中
森の中を、必死に巫女服の少女が走る。
少女にとってこの森は庭も同然である。だがそれでも、追っ手が自動車で、それも山道を楽々に走破出来る特殊使用のジープでなら話は別だ。
ましてや、相手は普通の人間ではない。
探査能力に特化した、特殊能力を保持する人間……異能者と呼ばれる、超常の人類である。
どれだけ、この森が少女のテリトリーであろうとも……異能の者達を擁する組織、オメガサークルの狩猟者が相手では、まさしく彼女は獲物に過ぎない。
「はっ、は……はっ、あぅっ!」
足を樹の根に取られ、倒れる少女。
「くっ……」
なんとか立ち上がるものの、ジープの音はすぐ後ろに迫っている。
そして……銃声が響く。
「……っ!」
彼女に直撃はしなかったものの、すぐそばの地面を穿つ銃弾。
ブレーキ音が、少女の心を絶望に染める。追いつかれた。
「なんだ、もう終わりか?」
鼻ピアスをしたドレッドヘアの軽薄そうな男が銃を肩に担いで笑う。
「稲倉神無《いなくらかんな》……だな? 人違いだったら謝った後で犯して殺す。合ってるなら犯して拉致だ。OK?」
「いや、ターゲットに手ぇつけんなよ」
「OKだろ。どうせただの実験動物だ」
「違いねぇ。おっぱいでけぇしな」
笑いながら、ジープから降りる狩猟者たち。
「組織の命により君を確保に来た。奴はこう言ってるが、素直に従うならこの場での身の安全は保障する。
少なくとも彼に手は出させないよ」
長髪の青年が笑顔で告げる。だが神無には理解できた。この青年は、一片たりとも目が笑っていない。
そして、それはつまり、素直に従わないのなら――何の保障もしない、と言っているのだ。
「……っ」
足が震える。
三対一では到底勝てない。ましてや彼女の力は戦闘向きではないのだ。
そしてわざわざ名指しで追ってくる以上は、その力も知られていると思って間違いないだろう。
つまりは、対処されていると思ったほうがいい。
現に、この狩猟者達は――彼女を追い詰めているにも関わらず、ある程度の距離を保ったままだ。
三人とも、銃を手にしている。彼らの本来の異能がどのようなものであれ、神無に対しては銃で捕獲するスタンスだろう。
銃口の大きさを見るに、スタン用のゴム弾か、あるいは捕獲用ネット弾。
神無に勝ち目はない。逃げ出そうとしたところで、立ち上がって後ろを向いた直後に撃たれるのが関の山だ。
絶体絶命のまさにその時――
「待ていっ!!」
森に声が反響する。
「とうっ!」
掛け声と共に、宙返りをしながら人影が飛び出し、神無と男達の間に着地する。
「双葉学園レスキュー部、参上っ!! ……ああ、こんなヒーローっぽい名乗りやってみたかったっス」
びしっ、とポーズを取る少年。そしてその隣に立つ少女。
菅誠司と市原和美。名乗ったとおり、双葉学園のレスキュー部という部活に所属する、双葉学園の生徒だ。
ちなみに、名前だけでよく勘違いされるが、誠司が少女のほうで和美が男性のほうである。
「なら参上、だけで終わらせてなさい、市原。本音漏らしてるとださいよ」
「あ、部長。いや、つい……男の子として当然っス」
「状況わかってんの? しかし……」
誠司は連中を見る。
「ラルヴァが暴れている隙にこんな事してる連中がいるなんてね。
火事場泥棒というか、なんというか……恥ずかしくないの?」
そう、今現在、この山中は閉鎖されている。
山の中で巨大なラルヴァが暴れている、という情報が入り、討伐隊が編成された。
現在、選りすぐりの異能者たちがそのラルヴァ「ダイダラボッチ」と戦っている。
だが巨体のこのラルヴァが暴れれば、ましてや戦いになれば多くの被害が出るだろう事は想像に難くない。
故に、双葉学園レスキュー部はいつものごとく「自己責任」で現場へと赴いた。
そして、その判断は正しかったと言えるだろう。
彼女たちが出張らなければ、この少女は捕らえられていただろうから。
「女の子を追い回して、恥を知りなさい、下衆」
「貴様ら、双葉学園の連中か……」
「そういうお前らは……」
「答える義務は無いッ!!」
言うが早いか、オメガサークルの異能者達三人は地面を蹴って襲い掛かる。
「ああもう、趣を理解できない連中はこれだから嫌いっスよ!」
「ここは私たちが引き受ける。あなたは早く逃げなさい!」
軽合金製の棍を構え、誠司は叫ぶ。
そして、戦いが始まった。
神無は走る。
自分を守ってくれた二人を置いて逃げるのは抵抗があったが、そこに残るほうが彼女達の心遣いを踏み躙る事になるぐらいはわかっている。
だから、今はとにかく逃げて、彼女達も安全になるように――
「ここを抜けて、橋を――」
つり橋を渡る。そして橋を落とせば、もう敵は追ってこれないだろう。
橋を落とせば後々色々と村の人とかも困るだろうけど、この谷にかかる橋はここだけではないし、命には代えられない。
森を抜ける。
だが――
「! そん、な――」
谷に出ると、そこにあったはずの吊り橋は見事に落とされていた。
「悪いなぁ、巫女さん。あんまりうろちょろとされるとこっちかて困るんや」
上空から声がかかる。
「……誰ですか!?」
神無は声の方向わ見上げる。木の枝に腰かけ、神無を見下ろす男は、目元が見えないほど目深に被られたニット帽と、ジャラジャラと金属製のディスクがぶら下がったジャケットが特徴的だった。
「俺か? 俺は回転する黄金軸、のスピンドル君や。
安心しぃや。俺は別にあんたを捕まえようとしにきたんやないで。むしろ逆や、助けに来たんや。
まあ、傍から見たら同じかもしれんけど、少なくとも俺らはお嬢ちゃんを実験動物にするつもりはないで?」
そう言いながら、スピンドルは軽い足取りで樹上から降りる。
「同、じ……?」
スピンドルの発言に不穏なものを感じ取り、神無は後ずさる。
「そうやなぁ。稲倉神無ちゃん、君の身柄を確保する、ってぇ点では同じや。
ああでも安心しぃ、俺らはちぃとは紳士的やで? 少なくとも、「死体でもいい」とか、そんな野暮な事は言わん。
まあ……暴れるようなら手足の五本や六本は捻る事になるけどな? まあ、治癒能力者もおるし問題ないやろ。
ちゅーわけでな、大人しゅうついてきてくれんか?」
「……っ」
笑みを浮かべながら、指先でディスクを回すスピンドル。
ああ、この人もそうだ、と神無は思った。
顔だけで笑ってても、その内は笑っていない。
そして、人を傷つけること、人を殺す事に躊躇をしない。
「そないに怖がられるとショックなんやけどなあ。
つーか、助けは来んで? あのねーちゃんたちはオメガサークルとドンパチ中、双葉学園の連中はダイダラさんとガチンコ中や。
そんな中でここに来るのは、よっぽど都合のいい正義の味方か、あるいはどんだけ間の悪いアホか、どっちかやな?」
A.D.2019.7.9 13:25 同山中
巨体が木々を揺らす。
物理法則にまともに当てはめると、まずその自重で潰れてしまう事は確実であろうその巨体で、ラルヴァは暴れていた。
大きさにして、ざっと見て約15メートルほど。
まるでアニメに出てくる巨大ロボットのような巨体。だがそれは紛れも無く生身の肉体である。それも筋骨粒々な。
討伐隊の生徒達が、それと戦っている。だが状況はかんばしくない。
「ふむ」
戦場から離れて陣取った場所で、語来灰児はそれを観察する。
「あの巨体、しかし……映像には映らない。この分だと、ラルヴァに縁無き一般人達がどれだけ認識出来てるかも怪しいな」
「どういうこと? 語来さん」
今回の作戦の指揮者である、春奈・C・クラウディウスが聞く。
確認された巨大ラルヴァ。その為に討伐隊は規模が大きくなり、その指揮官として「金剛の皇女」と呼ばれる彼女が投入される程であった。
そして、一部では「ラルヴァ博士」と名高い語来灰児もまたブレインとして狩り出されている。
それほどに今回の件が危険視される理由は、ひとえに――
「あれだけ、でかいのに認識されないって」
そう、「でかい」のだ。
こんな巨大なラルヴァが山中をのっそのっそと歩けば、一般人に見つかる可能性が高い。それは何としても防がねばならぬ事態だ。
「たぶん、半実体……いや、どちらでもある? しいて言えば、幻、蜃気楼、霧や雲に写る影……」
灰児は人差し指を空に向けてさす。
「アレは、古くから伝わる山の神――ダイダラボッチ、だ」
「ダイダラボッチ……」
名前だけは聞いたことがある。有名な妖怪だ。確か、山に現れる巨人……
「ダイダラボッチはいくつもの呼び名や姿がある。あれはまだ小さいほうだな」
「いやあれで?」
「あれでだ。でいだらぼっち、だいらんぼう、だいだらぼう、でいらんぼう、だいらぼう、だだぼう……場所や伝承によって色々な名前がある。
伝承によれば数百メートル級のものもいるらしい」
「すっ……!? さすがにそれは、そんなのがいたら……!」
「ああ、大惨事さ。だが実在は確認されているものの、被害は実はそんなに出ていないし、山に住んでいる信仰深い人の前にしか姿を現さないことも多い。
そんな巨体が歩いているなら、村人以外にも、遠くかに確認されて然るべきなのに、だ。
つまり……ダイダラボッチと呼ばれるラルヴァは、ある種の幻影だと考えられている。山の気候、自然現象の神格《ラルヴァ》化だな。
分類としてはカテゴリーエレメント。ただし時々は確実に実体化する」
「確かに……」
春奈は唇を噛む。
ついさっき、空を飛んでいた一人が盛大にふっ飛んでいったのは記憶に新しい。
衝撃は激しかったが、フィードバックされたダメージは致命的ではなかったので、死んではいないはずだが。
「でも、それならどうすればいい?」
「簡単だ」
灰児は言う。
「幾つかの想定パターンはあるが、基本として……あれが自然現象のラルヴァ化なら、その特性を受け継いでいる、いや引きずっている。
つまり……幻なら、その発生条件をひとつずつ潰していけばいい」
「簡単に言うけど、それは……」
それは例えるなら、雨を止ませるためには雲を吹き飛ばせばいい、と軽く言うようなものだ。
確かに理屈としては簡単だが、それを実行するのは大変だと言うことをこの男はわかっているのだろうか。
「そこを何とかするのが、あなたの役目だろう、『金剛の皇女』。無論私も出来る限りの事はする」
「……わかったよ」
そう答え、春奈は戦場を見る。そして意識を集中し、生徒達に指令を送る。
今は時間を稼ぎ、足止めを最優先、と。
その戦いを見ながらに、しかし少し妙だ、と灰児は熟考する。
山の神、ダイダラボッチ。その習性もまた多様であるために断定はしづらいが、このダイダラボッチが……ここの「山の神」が暴れだす理由が、灰児には見当がつかない。
ダイダラボッチの伝承は多岐にわたり、その多くは山や沼を作る、運ぶなどの国生みの神としての側面が強い。
その大きな足跡などで山の人々に迷惑をかけたりもするが、迷惑なだけで悪意は無い場合が多いのだ。むしろ人助けをする場合もある。
そしてそういった山の神が暴れだし、人に危害を加える理由は……「山の領域を侵す」事があげられる。
森林伐採、ダム開発……そういった自然破壊に対しての山の神性の怒りがラルヴァとなり、人々に鉄槌を与えるのはよくある話だ。
だが、この山にはそう言った過度の自然破壊が、少なくとも灰児たちが知っている限りでは存在しない。
怒る理由が見当たらない……それが灰児の違和感だ。
もしかしたら、そこにこそ答えがあるのかもしれない。
情報がまだ足りない。灰児は、再び戦いの場に視線を移した。
空を飛べる異能者は、案外と希少である。
魔女の名を関する飛翔異能者集団もいるが、今回は別の任務とかち合ってしまい、召集できなかった。
このような巨体を相手に、空を飛べず、遠距離攻撃も不得手な異能者たちはどう戦えばいいか。
近寄れば踏み潰されかねない。そして足にいくら攻撃を与えてもその巨体ゆえに大したダメージにはならないだろう。
ではどうする?
答えは、こうだ。
「いけッ!」
星崎真琴が三浦孝和の背中に触れる。直後、その姿はかき消え、そしてダイダラボッチの眼前に現れる。
「んなろぉおおおおっ!!」
槍を振りかぶり、ダイダラボッチの頭部に叩きつける。
直後、孝和の姿がかき消え、反撃に振るわれたダイダラボッチの拳が宙を切る。
次の瞬間、皆槻直がダイダラボッチの背後に現れる。
「っせぇえええい!」
ブラスナックルを叩き込む。ぐらりと頭部が揺れる。
ダイダラボッチはすぐさま腕を振るうが、直は真琴の異能で転移し、その場から姿を消す。
そう、星崎真琴の持つ異能力は、いわゆる転移能力……テレポーテーションである。
とりわけ他者転移を彼女は得意とする。その転移の異能力を活かしたヒットアンドウェイ。これが春奈の導き出した戦略だ。
そしてそれは今の所功を奏している。
だが、それでも決定打は与えられていない。
このまま膠着状態になれば、こちらの敗北は見えている。
そして、さらに言うならば……
「時坂はどうしたっ!?」
「ダイダラボッチの直撃を受けてふっ飛ばされたまま行方不明!」
「くっ……!」
現状、一人脱落。
接近しすぎて捕まり、そのまま投げられて飛んでいったのだ。春奈の言では、死んではいないということだが。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
ダイダラボッチが吼える。
それを双葉学園の生徒達は、冷や汗を押し隠して睨み付ける。
負けるわけには行かない。これを放置していると、このまま街に降り、最悪の事態が待っている――
A.D.2019.7.9 同時刻 同山中
スピンドルと神無の間を裂くように、何かが飛来する。
「なんやあっ!?」
予期せぬ飛来物に、あわてて後ろに飛ぶスピンドル。
土煙が晴れると、そこには――少年の姿があった。
「なんやぁっ!?」
その声に、少年は立ち上がり振り向く。
尻餅をつく神無を守るように。
「なんとか無事だと思えば、ラブシーンに遭遇……って訳でもなさそうだな」
神無の姿を見て、少年は状況を察する。
よくわからないが、目の前のニット帽の男に対して怯えの表情を見せる女の子。
こういう場合、十中八九悪いのは男だろう。間違っていてもそれはそれだ。
「間が悪いというかなんというか」
自嘲しながら少年は呟く。さすがにこの状況、放っておくわけにはいかない。
すぐに戦いの場に戻る事は、どうやら出来なさそうだ。後で春奈先生に思いっきり怒られるのは覚悟しておかなければならないだろう。そう考えると気が重い。
その祥吾の内心の絶望を知らずか、スピンドルは肩をすくめる。
「えらい言い草やなあ? 実はそうかもしれんやろ? そーいうプレイっちゅう奴。ヤボなお人は嫌われるで?
……で、何モンや、お前」
へらへらした笑みを浮かべたまま、声のトーンを変えるスピンドル。
それに対し、少年は言った。
「名乗るようなものじゃない。時坂祥吾、ただの悪魔使いだ」
時計仕掛けのメフィストフェレス THE MOVIE
LOST TWENTY ――La Divina Commedia――
第一部【地獄篇(インフェルノ)】
A.D.2019.7.9 13:30 某所
規則正しい時計の音が不自然に反響する薄暗いモニター室には、幾つもの映像が流れている。
それらは、みな戦いの記録であった。
過去に撮られたもの、ライブで流されているもの、そして……未来に撮られたもの。
その中の幾つかを、壮年の男は魅入られたように凝視する。
岩手県山中での戦い。
監視カメラを仕掛けた小型ロボットでも飛ばしているのだろうか。どのような方法によるものか、双葉学園生徒達の戦いを、彼は把握していた。
特に男が興味を引かれているのは、モニターに映る一人の少女。神無の姿。
「見つけたぞ……」
男は笑う。
確信する。時が来たと。手駒は揃ったと。
「世界は、これで……救われる」
そして、男の背後に控えていた少女は、花のように可憐な微笑を浮かべる。
ただし、花は花でも――虫を捕らえ、喰らうような、腐臭に満ちた食虫植物の微笑みではあるが。
「貴方の御意志のままに――時逆様」
A.D.2019.7.9 13:30 岩手県山中
「終わりやっ!」
スピンドルはディスクを投げる。魂源力を込めたディスクは高速回転で空を裂き、スピンドルの意のままに敵を襲う。
「っ!」
それを転がりながら避わす祥吾。だが、スピンドルのディスクは物理法則を無視した軌道を描き、再び祥吾を襲う。
「危ないっ!」
神無が叫ぶ。
その声にはじかれるように、祥吾が手をかざす。だが間に合わない。いや、そもそも間に合うかどうか以前に、それは悪手だ。
手で受け止めてしまえば、そしてそれで傷を負ってしまえば、そこで勝負は決まる。祥吾は知らない。スピンドルの異能は、ただ武器を回転させ操るものではない。
魂源力を込めたものを「回転させる」能力だ。故に、彼の魂源力のこもったディスクによって傷つけられたものは、その傷口から魂源力が浸透する。
そうなってしまえば、異能者が相手だろうと、少なくともその部位は「捻る」ことが出来る。
腕を捻り折ってしまえば、戦力は激減する。そして更なる追撃をかけ続ければ、勝負は決まりだ。
スピンドルは勝利を確信する。
だが――
掲げられた祥吾の腕。
その手に重なるように――
「んなっ!?」
巨大な腕が出現する。それはスピンドルの放ったディスクをその鋼の掌で受け止める。
火花を激しく散らし、その腕はディスクを掴み――破壊する。
そして、現れるそれは腕だけではない。
空間から浮かび上がるように、微細な歯車、発条、鋼線――それらが絡み合い、クロームの巨躯を瞬時に構成する。
「……永劫機《アイオーン》……」
神無がその名を呟く。
3メートルの巨大な、黒い姿。
鋼のフレームと歯車で構成されたそれは、ゆっくりとその体を起こす。
巨大な尻尾と翼、そしてせり出した角は、まさに悪魔の如き威容。
時計仕掛かけの悪魔、永劫機メフィストフェレス。
「……それがカラクリかいな。道理であんだけ吹っ飛んできて、そないに怪我してないワケやな」
そう、ダイダラボッチとの戦いで、祥吾はメフィストフェレスの背に乗って接敵し……そして投げ飛ばされた。
これがもし、祥吾だけならば今頃は完璧に墜落死しているだろう。
だが祥吾は死んではいない。永劫機が、メフィストフェレスが護るのだ。伴侶のように、召使のように、奴隷のように。
「言っただろ。悪魔使いだって」
「ああ、とびっきりの悪魔やなあ。時計仕掛けの悪魔……なるほどな、オモロイわ」
そのスピンドルの言葉に、祥吾は不安を覚える。
「……知ってるのか」
「そりゃまあ、俺らを何やと思うてんのや? ラルヴァを崇め信仰する、シンコーシューキョー? ちょっと違うか。まあそんなもんやからな。
人造のラルヴァ、時喰らいの魔物、時計仕掛けの悪魔。聖痕が保護して迎え入れたがっとるラルヴァのリストでも上位やで?」
でも今は後回しやけどな、とスピンドルは言う。
そしてスピンドルは、両手に、いや指にディスクをかけ、高速回転させる。
「ええで、幾らでも時を止めて見ろや。
あんたが時を止めるんなら、俺は……」
ニヤリ、とスピンドルは笑う。
「その時計の針を回してみせる」
A.D.2019.7.9 13:37 同山中
春奈は焦っていた。
異能の力は無限ではない。真琴の精神力もそろそろ限界に近づいてきている。
だが、ダイダラボッチは健在だ。幾度と無くダメージを与えようとも、倒れる気配は無い。
「まだ突破口はつかめないの!?」
春奈が悲鳴に近い声を上げる。
「まだだ、もう少し考えさせてくれ」
灰児は珍しくその表情に焦りを浮かべながら、戦場を凝視する。
だが未だ、突破口はつかめていない。それを告げると、春奈は苛立たしそうに呟く。
「というか、そんな考えがそもそも無理なんじゃないの? ブロッケンの巨人だか蜃気楼だか知らないけど、原因を絶つなんて……」
その言葉に、灰児の脳裏に何かが閃く。
原因。蜃気楼……
そう、蜃気楼とは密度の異なる大気中で光が屈折し起こる現象だ。そういう自然現象に過ぎない。
そしてこのダイダラボッチはその自然現象が神格化した、山の神だと思っていた。
だが、その前提そのものが違っていたとしたら?
蜃気楼によって起きたラルヴァではなく、ラルヴァが蜃気楼なら。
自然現象ではない蜃気楼……つまりは、神話伝承としての蜃気楼。
「そうか。失念していた。蜃気楼……!」
灰児は春奈に声をかける。
「春奈先生、探査能力の適応範囲を広げてほしい」
「どういうこと?」
「周囲に別のラルヴァがいる可能性が高い。それも、川、池、海といった水源だ。地下水脈や井戸は除外していい。
この条件でラルヴァの反応の探索を」
「……わかった」
春奈は頷き、意識を集中して知覚圏を拡大させる。
「……北、無い。東、無い……南……!? 一体、うん……確かにいる」
「巨大な貝のようなラルヴァではないか?」
「そこまではわからない、けど……確かにそうかもしれない。川に……じっとしている。結構大きいけど静かで……」
「ビンゴだ。最低限の人数を足止めに起きつつ、その川にいるラルヴァを叩かせるんだ。それがおそらく本体だ」
「ダイダラボッチに、本体……?」
その春奈の疑問に、灰児は振り向いて答える。
「違うよ。蜃気楼の、『蜃』さ」
A.D.2019.7.9 13:40 同山中
眼前の敵は、取るに足らないゴミのはずだった。
自分達は、選ばれたエリートである。異能力研究組織たるオメガサークルにおいてその能力を強化された戦士。
対異能者用に調整され、多くの在野の異能者を狩り、捕らえてきた実績と実力がある。
双葉学園だか何だか知らぬが、所詮は生ぬるい学園で育っただけの連中だ。
オメガサークルのエージェントに、狩猟者《イェーガー》に勝てるわけが無い。
勝てるわけが無い――はずなのに!
すでに、仲間の一人は倒されてしまった。それは在り得ない出来事だ。
絶対必中の呪いの銃弾。
ひとたび引き金を引き銃口から放たれれば百発百中、今まであえて外した場合を除き、一度たりとも外したことの無いその銃撃が……今回に限り、悉く外れた。
否、外されてしまった。
「馬鹿な……」
いくらここが森の中とはいえ、木々程度の障害物は苦にならない。
軌道を計算し、障害物をすり抜け、最短で確実なコースで的を撃ち貫く。それが何故?
そう、彼らには理解できない。
敗因は主に二つ。一つは、己の力を過信し、そして誇示したこと。
ほんの二発。
空に向けて撃ち、市原の足元を穿つ。そして、誠司の武器を撃ち落す。
力の誇示のため、余裕を見せ付けたそのニ発が、致命的なミスだった。
そしてもう一つの敗因は……実戦経験の差。無論、彼らとて確かに多くの戦いを繰り広げてきた。
だが彼らは、自分より強いもの達に出会ったことが無い。
対して菅誠司は――双葉学園では無能力者にカテゴライズされる、「異能の力の発言を確認されていない」人間だ。
故に彼女は、異能者やラルヴァとの戦いは、言うなれば常に「強者との戦い」であった。
自らよりも強い異能を持ち、それを操る者との戦い……それを繰り広げ、生き延びてきたその機転と経験。
誠司はたった二発で、その異能の特性を推測し、理解した。
確実に、最短距離で狙ってくる追尾弾。なるほど、必殺必中、これほどに御しやすい能力もなかなか無い。
森に入り木々を盾にする。だがその程度の障害物は確かにいとも簡単に潜り抜けてくるだろう、確実に。
故に、誘導しやすいのだ。
確実に当ててくるならば、それを狙い叩き落すもまた容易である。
そして自らの異能に絶対の自信を持つ者ほど――それが破られたときの揺れ幅は激しい。
そこを、棍で銃を叩き落し、返す一撃で喉を突く。
それで、まず一人だ。
「くそ、こいつ……何、だっ!?」
男は恐慌する。
在り得ない。眼前の女は、異能の力を使わずに仲間を倒した。
そして男はさらなる可能性に恐慌する。
もし、こいつが異能の力を使えばどうなる――?
「さあ」
その内心の焦りを見抜いてか、誠司は余裕の笑みで棍を突きつける。
「まだやる?」
A.D.2019.7.9 13:40 同山中
轟音が森を揺るがす。
「んなぁああっ!?」
次々と倒れてくる巨木を、祥吾と永劫機メフィストフェレスは必死に回避する。
だが木々の茂る森の中ではその巨体ゆえに動きが取りづらく、一方スピンドル軽やかに木々に触れていく。
そう、触れるだけだ。
触れた部分が次々と、捻じ切れて巨木がヘシ折れ、そして倒れてくる。
単純な物量攻撃。それも連続して襲ってくる倒木は、存外に厄介なものだった。
「ほらほらほら、まだまだ行くでぇっ!」
「自然を大切にって習わなかったんかいっ!?」
「ガッコのセンセが死ね言うたら死ぬんかいなっ!?」
「そういう話じゃねぇだろっ!」
「そういう……話やっ!」
一際巨大な樹が、捻じ切れる。そして音を立ててメフィストフェレスを襲う。
だが――
「へぇ」
スピンドルが愉快そうに声を上げる。
「なるほどなあ。確かに、止まっとるわ」
その巨木は、メフィストフェレスに直撃する寸前で静止していた。
その樹だけでなく、同時に捻じ切られた幾本もの倒木も、そして飛び去っている鳥や虫も、全てが静止していた。
「よし、これで――」
ひとまずは、と祥吾は後ろに跳躍しようとする。
だが――
「甘いわ。まるでファーストチッスのように甘いで?」
その言葉と共に、戦慄が走る。拙い。
スピンドルは、静止している巨木に、軽く手を置き、そして力を流し込む。
ただ、“回れ”と。
そして――
「回転はな、ただ綺麗にくるくると回るだけが能やない」
その力を込めた所は、樹の先端部分。
そして、そこを「支点」として――宙に静止した巨木は、一気に縦回転する!
それはまさしく、巨大な腕、あるいはハンマーを振り回すかのように。
「んなっ――!?」
回転、という言葉に騙されていた。そう、これも確かに、端を支点とした「回転」である。
その遠心力を乗せた横殴りの一撃は、
「ぐあっ――!」
『くうっ――!』
永劫機メフィストフェレスを直撃し、そのまま殴り飛ばす。
そして、その隙を縫って――回転するディスクが木々をすり抜けて、永劫機メフィストフェレスの右腕に突き刺さる。
「っ! しまっ――」
その傷自体に大したダメージは無い。
だが、傷をつけられてしまった、それが致命的だ。
「回れ――!」
スピンドルの言葉と共に、永劫機メフィストフェレスの右腕が、耳障りな金属音を立てて……捻じ切られた。
「ぐわぁあああああああああっ!!」
絶叫する祥吾。
永劫機の受けたダメージは、そのまま契約者にフィードバックされる。
右腕を捻られたなら、祥吾の腕もまた捻られる。千切れ落ちていないだけ僥倖だろうが――祥吾の右腕は二度と使い物にならないであろうことは、傍から見ても明らかだ。
「ぐ、ぐぅあああっ、が――ッ!! う、あがぅ……!!」
膝を折り、脂汗をかき悶絶する祥吾に、スピンドルは勝利を確信する。
召喚系、操作系の異能者――特に、このような強力なモノを操る者の弱点は、ひとえにその強さだ。強さが裏返り弱点となる。
強い力を持つが故に、その力を破られ、自身にダメージが入ると、その心は容易に折れる。
召喚系能力者は特に、戦いをゲーム感覚で行うものが多い。
ましてや、強力な時計仕掛けの悪魔を操るものならば――ただ一度心が折れてしまえば、あとは赤子の手を捻るより容易いだろう。
「ああらら、痛そうやなあ。痛いやろなあ。だが簡便や、これも仕事やからなあ。さ、次は左手イこか、それとも足? まあ安心しとき、首は最後にとっといてやるさかいに」
やさしく声をかけながら、さらなる処刑宣言を下すスピンドル。
ここで逃げ出すもよし、自棄になって突っ込んでくるもよし。
どちらにせよ、これで詰みだ。勝負はこの瞬間に決着した――
A.D.2019.7.9 13:47 同山 渓谷下流
そこには、霧が立ち込めていた。
深い霧はその中にいるものの姿を隠す。
だがそれはあくまでも視覚的に、だ。
臭いや音などを消す訳ではない。ましてや、広域の探知能力を持ってすれば、それは隠匿にはならない。
そう、そこにある巨大な貝のラルヴァ――『蜃鬼楼』あるいは『蜃』と呼ばれるもの。
蜃気楼を生み出す妖怪として古くから伝わってきたものだ。
それは今、巨大なダイダラボッチを投影している。
そう、これが双葉学園の生徒達と戦っていたダイダラボッチの本体なのだ。
そしてそれさえ判明すれば、
打ち倒すのは――容易い。
「そこぉおおおおっ!!」
蜃の上空より響く、裂帛の気合。
果たして蜃に反撃能力があるかどうかは知らないが、仮にあったとしてもその暇すら与えられなかっただろう。
敷神楽鶴祁の刀の一撃により、蜃はその殻ごと両断され、絶命した。
A.D.2019.7.9 13:47 同山中
「――っ!?」
オメガサークルの男達のポケットに振動が走る。
通信機にセットしていた信号。振動が二回。それは即ち――時間切れ。仕掛けたダイダラボッチの敗北である。
まさか、あの仕組みが見破られるとは思わなかった。
気づかずにむきになって、無為な特攻を繰り返し疲弊するものだとばかり踏んでいたのだが。
まさに番狂わせばかりである。
「……くっ」
ここは退くしかない。本気を出せば、目の前の二人ぐらいなら何とかなるかもしれない。だが、ダイダラボッチに引き付けていた連中がもしも加勢に来たら――
敗退ではない。あくまでも戦略的撤退である。
二人は倒れた仲間を引きずって、ジープで逃走した。
「……ふう、なんとか追い払ったっスね」
「あんた何もしてないじゃない」
「いや、これからする所だったんスよ?」
「はいはい」
適当にあしらう誠司。だがまあ、それは口だけではないのだろうということぐらいは誠司にも判る。
油断に付け込んで一人潰したものの、それで相手が本気を出して襲ってきたなら、市原の異能に頼りつつの短期決戦に持ち込まねば危なかっただろう。
「さて、あのコ追わなきゃね」
レスキュー部としての責務を続いて果たさなければならない。
あくまでもレスキュー部は、救出を任務とする部活動なのだ。
「地獄の果てまで追って捕まえるわよ」
「……部長、それは正義の味方の台詞じゃねぇっスよ!?」
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この物語はフィクションであり、
実在の人物・団体・事件、および
双葉学園とは一切関係ありません。
【双葉学園映画倫理委員会】
一九九九の年、七の月
空から恐怖の大王が降ってくるだろう
アンゴルモアの大王を蘇らせる為
マルスはその前後を幸せによって統治するだろう
――諸世紀より抜粋
A.D.1999.7.11 23:52 東京湾埠頭
夜の闇を、稲光が引き裂いた。
打ち付ける雨の中に佇む少年の姿を、その光が照らす。髪も服も、雨に濡れて肌にべっとりと張り付いている。
青ざめた肌、紫に変色した唇。震える手足、そして……老人のように白くなった髪の毛。その姿から、彼が今にも倒れそうなほどに疲弊しているのが容易に見て取れる。
だが、少年は倒れない。
死者もかくやというその体で唯一、生命力を感じさせる、鬼気迫る瞳で一点を見る。
執念、怨念、執着、切望、渇望、憎悪、憤怒……あらゆる感情がその瞳の中で渦を巻く。
雷光が夜を引き裂く。
アスファルトを叩く雨の音の中、唇が小さく、喘鳴と共に言葉を吐き出す。
「……る……」
その眼光が見据えるのは、東京湾の彼方。
建設中の人口島。建設重機の照明にライトアップされたそれは、嵐の中で不気味にその姿を浮かび上がらせている。
それはまるで、骸の都市。
少年は歩く。震える足を一歩、また一歩と前に投げ出して。
「始まる……」
手を伸ばす。
だがそれは、決して縋るように手を伸ばすのではなく、掴むように。握り潰し否定するかのように、手を伸ばす。
雨に打たれて冷え切った手には、もはや指先の感覚は無い。
だがそれでも、手を伸ばす。憎悪と共に。絶望を掻き毟るかのように。
「狂った時代が……闇の世紀が、始まる……!」
夜の闇を、稲光が引き裂いた。
「世界の崩壊が……だけど……」
少年は血を吐くように叫ぶ。
「止めてやる……」
ありったけの決意と、憎悪をこめて。
「必ず……もう二度と、繰り返させてなるものか……!!」
A.D.2019.7.9 13:15 岩手県山中
森の中を、必死に巫女服の少女が走る。
少女にとってこの森は庭も同然である。だがそれでも、追っ手が自動車で、それも山道を楽々に走破出来る特殊使用のジープでなら話は別だ。
ましてや、相手は普通の人間ではない。
探査能力に特化した、特殊能力を保持する人間……異能者と呼ばれる、超常の人類である。
どれだけ、この森が少女のテリトリーであろうとも……異能の者達を擁する組織、オメガサークルの狩猟者が相手では、まさしく彼女は獲物に過ぎない。
「はっ、は……はっ、あぅっ!」
足を樹の根に取られ、倒れる少女。
「くっ……」
なんとか立ち上がるものの、ジープの音はすぐ後ろに迫っている。
そして……銃声が響く。
「……っ!」
彼女に直撃はしなかったものの、すぐそばの地面を穿つ銃弾。
ブレーキ音が、少女の心を絶望に染める。追いつかれた。
「なんだ、もう終わりか?」
鼻ピアスをしたドレッドヘアの軽薄そうな男が銃を肩に担いで笑う。
「稲倉神無《いなくらかんな》……だな? 人違いだったら謝った後で犯して殺す。合ってるなら犯して拉致だ。OK?」
「いや、ターゲットに手ぇつけんなよ」
「OKだろ。どうせただの実験動物だ」
「違いねぇ。おっぱいでけぇしな」
笑いながら、ジープから降りる狩猟者たち。
「組織の命により君を確保に来た。奴はこう言ってるが、素直に従うならこの場での身の安全は保障する。
少なくとも彼に手は出させないよ」
長髪の青年が笑顔で告げる。だが神無には理解できた。この青年は、一片たりとも目が笑っていない。
そして、それはつまり、素直に従わないのなら――何の保障もしない、と言っているのだ。
「……っ」
足が震える。
三対一では到底勝てない。ましてや彼女の力は戦闘向きではないのだ。
そしてわざわざ名指しで追ってくる以上は、その力も知られていると思って間違いないだろう。
つまりは、対処されていると思ったほうがいい。
現に、この狩猟者達は――彼女を追い詰めているにも関わらず、ある程度の距離を保ったままだ。
三人とも、銃を手にしている。彼らの本来の異能がどのようなものであれ、神無に対しては銃で捕獲するスタンスだろう。
銃口の大きさを見るに、スタン用のゴム弾か、あるいは捕獲用ネット弾。
神無に勝ち目はない。逃げ出そうとしたところで、立ち上がって後ろを向いた直後に撃たれるのが関の山だ。
絶体絶命のまさにその時――
「待ていっ!!」
森に声が反響する。
「とうっ!」
掛け声と共に、宙返りをしながら人影が飛び出し、神無と男達の間に着地する。
「双葉学園レスキュー部、参上っ!! ……ああ、こんなヒーローっぽい名乗りやってみたかったっス」
びしっ、とポーズを取る少年。そしてその隣に立つ少女。
菅誠司と市原和美。名乗ったとおり、双葉学園のレスキュー部という部活に所属する、双葉学園の生徒だ。
ちなみに、名前だけでよく勘違いされるが、誠司が少女のほうで和美が男性のほうである。
「なら参上、だけで終わらせてなさい、市原。本音漏らしてるとださいよ」
「あ、部長。いや、つい……男の子として当然っス」
「状況わかってんの? しかし……」
誠司は連中を見る。
「ラルヴァが暴れている隙にこんな事してる連中がいるなんてね。
火事場泥棒というか、なんというか……恥ずかしくないの?」
そう、今現在、この山中は閉鎖されている。
山の中で巨大なラルヴァが暴れている、という情報が入り、討伐隊が編成された。
現在、選りすぐりの異能者たちがそのラルヴァ「ダイダラボッチ」と戦っている。
だが巨体のこのラルヴァが暴れれば、ましてや戦いになれば多くの被害が出るだろう事は想像に難くない。
故に、双葉学園レスキュー部はいつものごとく「自己責任」で現場へと赴いた。
そして、その判断は正しかったと言えるだろう。
彼女たちが出張らなければ、この少女は捕らえられていただろうから。
「女の子を追い回して、恥を知りなさい、下衆」
「貴様ら、双葉学園の連中か……」
「そういうお前らは……」
「答える義務は無いッ!!」
言うが早いか、オメガサークルの異能者達三人は地面を蹴って襲い掛かる。
「ああもう、趣を理解できない連中はこれだから嫌いっスよ!」
「ここは私たちが引き受ける。あなたは早く逃げなさい!」
軽合金製の棍を構え、誠司は叫ぶ。
そして、戦いが始まった。
神無は走る。
自分を守ってくれた二人を置いて逃げるのは抵抗があったが、そこに残るほうが彼女達の心遣いを踏み躙る事になるぐらいはわかっている。
だから、今はとにかく逃げて、彼女達も安全になるように――
「ここを抜けて、橋を――」
つり橋を渡る。そして橋を落とせば、もう敵は追ってこれないだろう。
橋を落とせば後々色々と村の人とかも困るだろうけど、この谷にかかる橋はここだけではないし、命には代えられない。
森を抜ける。
だが――
「! そん、な――」
谷に出ると、そこにあったはずの吊り橋は見事に落とされていた。
「悪いなぁ、巫女さん。あんまりうろちょろとされるとこっちかて困るんや」
上空から声がかかる。
「……誰ですか!?」
神無は声の方向わ見上げる。木の枝に腰かけ、神無を見下ろす男は、目元が見えないほど目深に被られたニット帽と、ジャラジャラと金属製のディスクがぶら下がったジャケットが特徴的だった。
「俺か? 俺は回転する黄金軸、のスピンドル君や。
安心しぃや。俺は別にあんたを捕まえようとしにきたんやないで。むしろ逆や、助けに来たんや。
まあ、傍から見たら同じかもしれんけど、少なくとも俺らはお嬢ちゃんを実験動物にするつもりはないで?」
そう言いながら、スピンドルは軽い足取りで樹上から降りる。
「同、じ……?」
スピンドルの発言に不穏なものを感じ取り、神無は後ずさる。
「そうやなぁ。稲倉神無ちゃん、君の身柄を確保する、ってぇ点では同じや。
ああでも安心しぃ、俺らはちぃとは紳士的やで? 少なくとも、「死体でもいい」とか、そんな野暮な事は言わん。
まあ……暴れるようなら手足の五本や六本は捻る事になるけどな? まあ、治癒能力者もおるし問題ないやろ。
ちゅーわけでな、大人しゅうついてきてくれんか?」
「……っ」
笑みを浮かべながら、指先でディスクを回すスピンドル。
ああ、この人もそうだ、と神無は思った。
顔だけで笑ってても、その内は笑っていない。
そして、人を傷つけること、人を殺す事に躊躇をしない。
「そないに怖がられるとショックなんやけどなあ。
つーか、助けは来んで? あのねーちゃんたちはオメガサークルとドンパチ中、双葉学園の連中はダイダラさんとガチンコ中や。
そんな中でここに来るのは、よっぽど都合のいい正義の味方か、あるいはどんだけ間の悪いアホか、どっちかやな?」
A.D.2019.7.9 13:25 同山中
巨体が木々を揺らす。
物理法則にまともに当てはめると、まずその自重で潰れてしまう事は確実であろうその巨体で、ラルヴァは暴れていた。
大きさにして、ざっと見て約15メートルほど。
まるでアニメに出てくる巨大ロボットのような巨体。だがそれは紛れも無く生身の肉体である。それも筋骨粒々な。
討伐隊の生徒達が、それと戦っている。だが状況はかんばしくない。
「ふむ」
戦場から離れて陣取った場所で、語来灰児はそれを観察する。
「あの巨体、しかし……映像には映らない。この分だと、ラルヴァに縁無き一般人達がどれだけ認識出来てるかも怪しいな」
「どういうこと? 語来さん」
今回の作戦の指揮者である、春奈・C・クラウディウスが聞く。
確認された巨大ラルヴァ。その為に討伐隊は規模が大きくなり、その指揮官として「金剛の皇女」と呼ばれる彼女が投入される程であった。
そして、一部では「ラルヴァ博士」と名高い語来灰児もまたブレインとして狩り出されている。
それほどに今回の件が危険視される理由は、ひとえに――
「あれだけ、でかいのに認識されないって」
そう、「でかい」のだ。
こんな巨大なラルヴァが山中をのっそのっそと歩けば、一般人に見つかる可能性が高い。それは何としても防がねばならぬ事態だ。
「たぶん、半実体……いや、どちらでもある? しいて言えば、幻、蜃気楼、霧や雲に写る影……」
灰児は人差し指を空に向けてさす。
「アレは、古くから伝わる山の神――ダイダラボッチ、だ」
「ダイダラボッチ……」
名前だけは聞いたことがある。有名な妖怪だ。確か、山に現れる巨人……
「ダイダラボッチはいくつもの呼び名や姿がある。あれはまだ小さいほうだな」
「いやあれで?」
「あれでだ。でいだらぼっち、だいらんぼう、だいだらぼう、でいらんぼう、だいらぼう、だだぼう……場所や伝承によって色々な名前がある。
伝承によれば数百メートル級のものもいるらしい」
「すっ……!? さすがにそれは、そんなのがいたら……!」
「ああ、大惨事さ。だが実在は確認されているものの、被害は実はそんなに出ていないし、山に住んでいる信仰深い人の前にしか姿を現さないことも多い。
そんな巨体が歩いているなら、村人以外にも、遠くかに確認されて然るべきなのに、だ。
つまり……ダイダラボッチと呼ばれるラルヴァは、ある種の幻影だと考えられている。山の気候、自然現象の神格《ラルヴァ》化だな。
分類としてはカテゴリーエレメント。ただし時々は確実に実体化する」
「確かに……」
春奈は唇を噛む。
ついさっき、空を飛んでいた一人が盛大にふっ飛んでいったのは記憶に新しい。
衝撃は激しかったが、フィードバックされたダメージは致命的ではなかったので、死んではいないはずだが。
「でも、それならどうすればいい?」
「簡単だ」
灰児は言う。
「幾つかの想定パターンはあるが、基本として……あれが自然現象のラルヴァ化なら、その特性を受け継いでいる、いや引きずっている。
つまり……幻なら、その発生条件をひとつずつ潰していけばいい」
「簡単に言うけど、それは……」
それは例えるなら、雨を止ませるためには雲を吹き飛ばせばいい、と軽く言うようなものだ。
確かに理屈としては簡単だが、それを実行するのは大変だと言うことをこの男はわかっているのだろうか。
「そこを何とかするのが、あなたの役目だろう、『金剛の皇女』。無論私も出来る限りの事はする」
「……わかったよ」
そう答え、春奈は戦場を見る。そして意識を集中し、生徒達に指令を送る。
今は時間を稼ぎ、足止めを最優先、と。
その戦いを見ながらに、しかし少し妙だ、と灰児は熟考する。
山の神、ダイダラボッチ。その習性もまた多様であるために断定はしづらいが、このダイダラボッチが……ここの「山の神」が暴れだす理由が、灰児には見当がつかない。
ダイダラボッチの伝承は多岐にわたり、その多くは山や沼を作る、運ぶなどの国生みの神としての側面が強い。
その大きな足跡などで山の人々に迷惑をかけたりもするが、迷惑なだけで悪意は無い場合が多いのだ。むしろ人助けをする場合もある。
そしてそういった山の神が暴れだし、人に危害を加える理由は……「山の領域を侵す」事があげられる。
森林伐採、ダム開発……そういった自然破壊に対しての山の神性の怒りがラルヴァとなり、人々に鉄槌を与えるのはよくある話だ。
だが、この山にはそう言った過度の自然破壊が、少なくとも灰児たちが知っている限りでは存在しない。
怒る理由が見当たらない……それが灰児の違和感だ。
もしかしたら、そこにこそ答えがあるのかもしれない。
情報がまだ足りない。灰児は、再び戦いの場に視線を移した。
空を飛べる異能者は、案外と希少である。
魔女の名を関する飛翔異能者集団もいるが、今回は別の任務とかち合ってしまい、召集できなかった。
このような巨体を相手に、空を飛べず、遠距離攻撃も不得手な異能者たちはどう戦えばいいか。
近寄れば踏み潰されかねない。そして足にいくら攻撃を与えてもその巨体ゆえに大したダメージにはならないだろう。
ではどうする?
答えは、こうだ。
「いけッ!」
星崎真琴が三浦孝和の背中に触れる。直後、その姿はかき消え、そしてダイダラボッチの眼前に現れる。
「んなろぉおおおおっ!!」
槍を振りかぶり、ダイダラボッチの頭部に叩きつける。
直後、孝和の姿がかき消え、反撃に振るわれたダイダラボッチの拳が宙を切る。
次の瞬間、皆槻直がダイダラボッチの背後に現れる。
「っせぇえええい!」
ブラスナックルを叩き込む。ぐらりと頭部が揺れる。
ダイダラボッチはすぐさま腕を振るうが、直は真琴の異能で転移し、その場から姿を消す。
そう、星崎真琴の持つ異能力は、いわゆる転移能力……テレポーテーションである。
とりわけ他者転移を彼女は得意とする。その転移の異能力を活かしたヒットアンドウェイ。これが春奈の導き出した戦略だ。
そしてそれは今の所功を奏している。
だが、それでも決定打は与えられていない。
このまま膠着状態になれば、こちらの敗北は見えている。
そして、さらに言うならば……
「時坂はどうしたっ!?」
「ダイダラボッチの直撃を受けてふっ飛ばされたまま行方不明!」
「くっ……!」
現状、一人脱落。
接近しすぎて捕まり、そのまま投げられて飛んでいったのだ。春奈の言では、死んではいないということだが。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
ダイダラボッチが吼える。
それを双葉学園の生徒達は、冷や汗を押し隠して睨み付ける。
負けるわけには行かない。これを放置していると、このまま街に降り、最悪の事態が待っている――
A.D.2019.7.9 同時刻 同山中
スピンドルと神無の間を裂くように、何かが飛来する。
「なんやあっ!?」
予期せぬ飛来物に、あわてて後ろに飛ぶスピンドル。
土煙が晴れると、そこには――少年の姿があった。
「なんやぁっ!?」
その声に、少年は立ち上がり振り向く。
尻餅をつく神無を守るように。
「なんとか無事だと思えば、ラブシーンに遭遇……って訳でもなさそうだな」
神無の姿を見て、少年は状況を察する。
よくわからないが、目の前のニット帽の男に対して怯えの表情を見せる女の子。
こういう場合、十中八九悪いのは男だろう。間違っていてもそれはそれだ。
「間が悪いというかなんというか」
自嘲しながら少年は呟く。さすがにこの状況、放っておくわけにはいかない。
すぐに戦いの場に戻る事は、どうやら出来なさそうだ。後で春奈先生に思いっきり怒られるのは覚悟しておかなければならないだろう。そう考えると気が重い。
その祥吾の内心の絶望を知らずか、スピンドルは肩をすくめる。
「えらい言い草やなあ? 実はそうかもしれんやろ? そーいうプレイっちゅう奴。ヤボなお人は嫌われるで?
……で、何モンや、お前」
へらへらした笑みを浮かべたまま、声のトーンを変えるスピンドル。
それに対し、少年は言った。
「名乗るようなものじゃない。時坂祥吾、ただの悪魔使いだ」
時計仕掛けのメフィストフェレス THE MOVIE
LOST TWENTY ――La Divina Commedia――
第一部【地獄篇(インフェルノ)】
A.D.2019.7.9 13:30 某所
規則正しい時計の音が不自然に反響する薄暗いモニター室には、幾つもの映像が流れている。
それらは、みな戦いの記録であった。
過去に撮られたもの、ライブで流されているもの、そして……未来に撮られたもの。
その中の幾つかを、壮年の男は魅入られたように凝視する。
岩手県山中での戦い。
監視カメラを仕掛けた小型ロボットでも飛ばしているのだろうか。どのような方法によるものか、双葉学園生徒達の戦いを、彼は把握していた。
特に男が興味を引かれているのは、モニターに映る一人の少女。神無の姿。
「見つけたぞ……」
男は笑う。
確信する。時が来たと。手駒は揃ったと。
「世界は、これで……救われる」
そして、男の背後に控えていた少女は、花のように可憐な微笑を浮かべる。
ただし、花は花でも――虫を捕らえ、喰らうような、腐臭に満ちた食虫植物の微笑みではあるが。
「貴方の御意志のままに――時逆様」
A.D.2019.7.9 13:30 岩手県山中
「終わりやっ!」
スピンドルはディスクを投げる。魂源力を込めたディスクは高速回転で空を裂き、スピンドルの意のままに敵を襲う。
「っ!」
それを転がりながら避わす祥吾。だが、スピンドルのディスクは物理法則を無視した軌道を描き、再び祥吾を襲う。
「危ないっ!」
神無が叫ぶ。
その声にはじかれるように、祥吾が手をかざす。だが間に合わない。いや、そもそも間に合うかどうか以前に、それは悪手だ。
手で受け止めてしまえば、そしてそれで傷を負ってしまえば、そこで勝負は決まる。祥吾は知らない。スピンドルの異能は、ただ武器を回転させ操るものではない。
魂源力を込めたものを「回転させる」能力だ。故に、彼の魂源力のこもったディスクによって傷つけられたものは、その傷口から魂源力が浸透する。
そうなってしまえば、異能者が相手だろうと、少なくともその部位は「捻る」ことが出来る。
腕を捻り折ってしまえば、戦力は激減する。そして更なる追撃をかけ続ければ、勝負は決まりだ。
スピンドルは勝利を確信する。
だが――
掲げられた祥吾の腕。
その手に重なるように――
「んなっ!?」
巨大な腕が出現する。それはスピンドルの放ったディスクをその鋼の掌で受け止める。
火花を激しく散らし、その腕はディスクを掴み――破壊する。
そして、現れるそれは腕だけではない。
空間から浮かび上がるように、微細な歯車、発条、鋼線――それらが絡み合い、クロームの巨躯を瞬時に構成する。
「……永劫機《アイオーン》……」
神無がその名を呟く。
3メートルの巨大な、黒い姿。
鋼のフレームと歯車で構成されたそれは、ゆっくりとその体を起こす。
巨大な尻尾と翼、そしてせり出した角は、まさに悪魔の如き威容。
時計仕掛かけの悪魔、永劫機メフィストフェレス。
「……それがカラクリかいな。道理であんだけ吹っ飛んできて、そないに怪我してないワケやな」
そう、ダイダラボッチとの戦いで、祥吾はメフィストフェレスの背に乗って接敵し……そして投げ飛ばされた。
これがもし、祥吾だけならば今頃は完璧に墜落死しているだろう。
だが祥吾は死んではいない。永劫機が、メフィストフェレスが護るのだ。伴侶のように、召使のように、奴隷のように。
「言っただろ。悪魔使いだって」
「ああ、とびっきりの悪魔やなあ。時計仕掛けの悪魔……なるほどな、オモロイわ」
そのスピンドルの言葉に、祥吾は不安を覚える。
「……知ってるのか」
「そりゃまあ、俺らを何やと思うてんのや? ラルヴァを崇め信仰する、シンコーシューキョー? ちょっと違うか。まあそんなもんやからな。
人造のラルヴァ、時喰らいの魔物、時計仕掛けの悪魔。聖痕が保護して迎え入れたがっとるラルヴァのリストでも上位やで?」
でも今は後回しやけどな、とスピンドルは言う。
そしてスピンドルは、両手に、いや指にディスクをかけ、高速回転させる。
「ええで、幾らでも時を止めて見ろや。
あんたが時を止めるんなら、俺は……」
ニヤリ、とスピンドルは笑う。
「その時計の針を回してみせる」
A.D.2019.7.9 13:37 同山中
春奈は焦っていた。
異能の力は無限ではない。真琴の精神力もそろそろ限界に近づいてきている。
だが、ダイダラボッチは健在だ。幾度と無くダメージを与えようとも、倒れる気配は無い。
「まだ突破口はつかめないの!?」
春奈が悲鳴に近い声を上げる。
「まだだ、もう少し考えさせてくれ」
灰児は珍しくその表情に焦りを浮かべながら、戦場を凝視する。
だが未だ、突破口はつかめていない。それを告げると、春奈は苛立たしそうに呟く。
「というか、そんな考えがそもそも無理なんじゃないの? ブロッケンの巨人だか蜃気楼だか知らないけど、原因を絶つなんて……」
その言葉に、灰児の脳裏に何かが閃く。
原因。蜃気楼……
そう、蜃気楼とは密度の異なる大気中で光が屈折し起こる現象だ。そういう自然現象に過ぎない。
そしてこのダイダラボッチはその自然現象が神格化した、山の神だと思っていた。
だが、その前提そのものが違っていたとしたら?
蜃気楼によって起きたラルヴァではなく、ラルヴァが蜃気楼なら。
自然現象ではない蜃気楼……つまりは、神話伝承としての蜃気楼。
「そうか。失念していた。蜃気楼……!」
灰児は春奈に声をかける。
「春奈先生、探査能力の適応範囲を広げてほしい」
「どういうこと?」
「周囲に別のラルヴァがいる可能性が高い。それも、川、池、海といった水源だ。地下水脈や井戸は除外していい。
この条件でラルヴァの反応の探索を」
「……わかった」
春奈は頷き、意識を集中して知覚圏を拡大させる。
「……北、無い。東、無い……南……!? 一体、うん……確かにいる」
「巨大な貝のようなラルヴァではないか?」
「そこまではわからない、けど……確かにそうかもしれない。川に……じっとしている。結構大きいけど静かで……」
「ビンゴだ。最低限の人数を足止めに起きつつ、その川にいるラルヴァを叩かせるんだ。それがおそらく本体だ」
「ダイダラボッチに、本体……?」
その春奈の疑問に、灰児は振り向いて答える。
「違うよ。蜃気楼の、『蜃』さ」
A.D.2019.7.9 13:40 同山中
眼前の敵は、取るに足らないゴミのはずだった。
自分達は、選ばれたエリートである。異能力研究組織たるオメガサークルにおいてその能力を強化された戦士。
対異能者用に調整され、多くの在野の異能者を狩り、捕らえてきた実績と実力がある。
双葉学園だか何だか知らぬが、所詮は生ぬるい学園で育っただけの連中だ。
オメガサークルのエージェントに、狩猟者《イェーガー》に勝てるわけが無い。
勝てるわけが無い――はずなのに!
すでに、仲間の一人は倒されてしまった。それは在り得ない出来事だ。
絶対必中の呪いの銃弾。
ひとたび引き金を引き銃口から放たれれば百発百中、今まであえて外した場合を除き、一度たりとも外したことの無いその銃撃が……今回に限り、悉く外れた。
否、外されてしまった。
「馬鹿な……」
いくらここが森の中とはいえ、木々程度の障害物は苦にならない。
軌道を計算し、障害物をすり抜け、最短で確実なコースで的を撃ち貫く。それが何故?
そう、彼らには理解できない。
敗因は主に二つ。一つは、己の力を過信し、そして誇示したこと。
ほんの二発。
空に向けて撃ち、市原の足元を穿つ。そして、誠司の武器を撃ち落す。
力の誇示のため、余裕を見せ付けたそのニ発が、致命的なミスだった。
そしてもう一つの敗因は……実戦経験の差。無論、彼らとて確かに多くの戦いを繰り広げてきた。
だが彼らは、自分より強いもの達に出会ったことが無い。
対して菅誠司は――双葉学園では無能力者にカテゴライズされる、「異能の力の発言を確認されていない」人間だ。
故に彼女は、異能者やラルヴァとの戦いは、言うなれば常に「強者との戦い」であった。
自らよりも強い異能を持ち、それを操る者との戦い……それを繰り広げ、生き延びてきたその機転と経験。
誠司はたった二発で、その異能の特性を推測し、理解した。
確実に、最短距離で狙ってくる追尾弾。なるほど、必殺必中、これほどに御しやすい能力もなかなか無い。
森に入り木々を盾にする。だがその程度の障害物は確かにいとも簡単に潜り抜けてくるだろう、確実に。
故に、誘導しやすいのだ。
確実に当ててくるならば、それを狙い叩き落すもまた容易である。
そして自らの異能に絶対の自信を持つ者ほど――それが破られたときの揺れ幅は激しい。
そこを、棍で銃を叩き落し、返す一撃で喉を突く。
それで、まず一人だ。
「くそ、こいつ……何、だっ!?」
男は恐慌する。
在り得ない。眼前の女は、異能の力を使わずに仲間を倒した。
そして男はさらなる可能性に恐慌する。
もし、こいつが異能の力を使えばどうなる――?
「さあ」
その内心の焦りを見抜いてか、誠司は余裕の笑みで棍を突きつける。
「まだやる?」
A.D.2019.7.9 13:40 同山中
轟音が森を揺るがす。
「んなぁああっ!?」
次々と倒れてくる巨木を、祥吾と永劫機メフィストフェレスは必死に回避する。
だが木々の茂る森の中ではその巨体ゆえに動きが取りづらく、一方スピンドル軽やかに木々に触れていく。
そう、触れるだけだ。
触れた部分が次々と、捻じ切れて巨木がヘシ折れ、そして倒れてくる。
単純な物量攻撃。それも連続して襲ってくる倒木は、存外に厄介なものだった。
「ほらほらほら、まだまだ行くでぇっ!」
「自然を大切にって習わなかったんかいっ!?」
「ガッコのセンセが死ね言うたら死ぬんかいなっ!?」
「そういう話じゃねぇだろっ!」
「そういう……話やっ!」
一際巨大な樹が、捻じ切れる。そして音を立ててメフィストフェレスを襲う。
だが――
「へぇ」
スピンドルが愉快そうに声を上げる。
「なるほどなあ。確かに、止まっとるわ」
その巨木は、メフィストフェレスに直撃する寸前で静止していた。
その樹だけでなく、同時に捻じ切られた幾本もの倒木も、そして飛び去っている鳥や虫も、全てが静止していた。
「よし、これで――」
ひとまずは、と祥吾は後ろに跳躍しようとする。
だが――
「甘いわ。まるでファーストチッスのように甘いで?」
その言葉と共に、戦慄が走る。拙い。
スピンドルは、静止している巨木に、軽く手を置き、そして力を流し込む。
ただ、“回れ”と。
そして――
「回転はな、ただ綺麗にくるくると回るだけが能やない」
その力を込めた所は、樹の先端部分。
そして、そこを「支点」として――宙に静止した巨木は、一気に縦回転する!
それはまさしく、巨大な腕、あるいはハンマーを振り回すかのように。
「んなっ――!?」
回転、という言葉に騙されていた。そう、これも確かに、端を支点とした「回転」である。
その遠心力を乗せた横殴りの一撃は、
「ぐあっ――!」
『くうっ――!』
永劫機メフィストフェレスを直撃し、そのまま殴り飛ばす。
そして、その隙を縫って――回転するディスクが木々をすり抜けて、永劫機メフィストフェレスの右腕に突き刺さる。
「っ! しまっ――」
その傷自体に大したダメージは無い。
だが、傷をつけられてしまった、それが致命的だ。
「回れ――!」
スピンドルの言葉と共に、永劫機メフィストフェレスの右腕が、耳障りな金属音を立てて……捻じ切られた。
「ぐわぁあああああああああっ!!」
絶叫する祥吾。
永劫機の受けたダメージは、そのまま契約者にフィードバックされる。
右腕を捻られたなら、祥吾の腕もまた捻られる。千切れ落ちていないだけ僥倖だろうが――祥吾の右腕は二度と使い物にならないであろうことは、傍から見ても明らかだ。
「ぐ、ぐぅあああっ、が――ッ!! う、あがぅ……!!」
膝を折り、脂汗をかき悶絶する祥吾に、スピンドルは勝利を確信する。
召喚系、操作系の異能者――特に、このような強力なモノを操る者の弱点は、ひとえにその強さだ。強さが裏返り弱点となる。
強い力を持つが故に、その力を破られ、自身にダメージが入ると、その心は容易に折れる。
召喚系能力者は特に、戦いをゲーム感覚で行うものが多い。
ましてや、強力な時計仕掛けの悪魔を操るものならば――ただ一度心が折れてしまえば、あとは赤子の手を捻るより容易いだろう。
「ああらら、痛そうやなあ。痛いやろなあ。だが簡便や、これも仕事やからなあ。さ、次は左手イこか、それとも足? まあ安心しとき、首は最後にとっといてやるさかいに」
やさしく声をかけながら、さらなる処刑宣言を下すスピンドル。
ここで逃げ出すもよし、自棄になって突っ込んでくるもよし。
どちらにせよ、これで詰みだ。勝負はこの瞬間に決着した――
A.D.2019.7.9 13:47 同山 渓谷下流
そこには、霧が立ち込めていた。
深い霧はその中にいるものの姿を隠す。
だがそれはあくまでも視覚的に、だ。
臭いや音などを消す訳ではない。ましてや、広域の探知能力を持ってすれば、それは隠匿にはならない。
そう、そこにある巨大な貝のラルヴァ――『蜃鬼楼』あるいは『蜃』と呼ばれるもの。
蜃気楼を生み出す妖怪として古くから伝わってきたものだ。
それは今、巨大なダイダラボッチを投影している。
そう、これが双葉学園の生徒達と戦っていたダイダラボッチの本体なのだ。
そしてそれさえ判明すれば、
打ち倒すのは――容易い。
「そこぉおおおおっ!!」
蜃の上空より響く、裂帛の気合。
果たして蜃に反撃能力があるかどうかは知らないが、仮にあったとしてもその暇すら与えられなかっただろう。
敷神楽鶴祁の刀の一撃により、蜃はその殻ごと両断され、絶命した。
A.D.2019.7.9 13:47 同山中
「――っ!?」
オメガサークルの男達のポケットに振動が走る。
通信機にセットしていた信号。振動が二回。それは即ち――時間切れ。仕掛けたダイダラボッチの敗北である。
まさか、あの仕組みが見破られるとは思わなかった。
気づかずにむきになって、無為な特攻を繰り返し疲弊するものだとばかり踏んでいたのだが。
まさに番狂わせばかりである。
「……くっ」
ここは退くしかない。本気を出せば、目の前の二人ぐらいなら何とかなるかもしれない。だが、ダイダラボッチに引き付けていた連中がもしも加勢に来たら――
敗退ではない。あくまでも戦略的撤退である。
二人は倒れた仲間を引きずって、ジープで逃走した。
「……ふう、なんとか追い払ったっスね」
「あんた何もしてないじゃない」
「いや、これからする所だったんスよ?」
「はいはい」
適当にあしらう誠司。だがまあ、それは口だけではないのだろうということぐらいは誠司にも判る。
油断に付け込んで一人潰したものの、それで相手が本気を出して襲ってきたなら、市原の異能に頼りつつの短期決戦に持ち込まねば危なかっただろう。
「さて、あのコ追わなきゃね」
レスキュー部としての責務を続いて果たさなければならない。
あくまでもレスキュー部は、救出を任務とする部活動なのだ。
「地獄の果てまで追って捕まえるわよ」
「……部長、それは正義の味方の台詞じゃねぇっスよ!?」
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