【怪物記 第七話前編】

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怪物記 第七話 [[ラノで読む>http://rano.jp/1220]] 怪物記  こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。  お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。                       ――蜘蛛の糸  ・・・・・・  別れ谷、そう呼ばれる渓谷が西日本に存在する。  元々は一座の岩山だったが地殻変動で別たれ、谷となった。そんな経緯でできたために別れ谷の名称で呼ばれている。  別れ谷は枯れ谷であり、底に川は流れておらず木も植生していない。草食の動物は一匹たりとも生息していない。逆に別れ谷の周囲、東の不倒山、西の爬蔵森、北の垂芽川《たるめがわ》は水も豊富で多くの生物が棲家としている。  だが、別れ谷にも生物はいる。  別れ谷はこの日本においてある一系統のラルヴァの中心地だ。  そのラルヴァの系統は蜘蛛。  四対八足を持ち昆虫の定義より外れ、糸を吐き、巣を構えて獲物を捕らえ捕食する生物。別れ谷は日本の蜘蛛型ラルヴァの聖地なのだ。  そして別れ谷が蜘蛛型ラルヴァの聖地である理由は、そこに蜘蛛型ラルヴァの王が棲むからである。  別れ谷に君臨する蜘蛛の王は名を――【女王蜘蛛】という。 第七話 【女王蜘蛛】  ・OTHER SIDE  蜘蛛型ラルヴァの総本山である別れ谷の南には網里町という小さな町があった。  六十年ほど前に別れ谷に蜘蛛型ラルヴァが数知れず群生していることが分かったときにはもう網里町はあったが蜘蛛の主である女王蜘蛛は人間に友好的であり、蜘蛛型ラルヴァが町を襲うことも無く、結果として別れ谷は放置された。  均衡が崩れる事件が発生したのは三日前。  突如として網里町を蜘蛛の軍団が襲い、町の住民を一人残らず連れ去った。  蜘蛛の聖地が聖地たる由縁である女王蜘蛛の儀式に必要な生贄とするために。  女王蜘蛛が子を生むための糧とするために。  かくして別れ谷一帯は住民を救出しようとする人間と女王蜘蛛を防衛する蜘蛛の戦場となった。  双葉学園は戦闘可能なレベルに達している学生を多数動員し、国内の他の異能力者組織や組織に所属しないフリーランサーとも連携して事態の解決に当たった。  しかし、作戦の立案は困難を極めた。  空爆や空中からの戦闘員投下は雲と地上の間に鋼糸で巣を張る巨大蜘蛛【天蜘蛛】の結界によって不可能。  空間移動能力者では送れる戦闘員に限りがあり、戦力を漸次投入すれば各個撃破される恐れがある。  試行錯誤の結果、ある作戦が決行された。  真っ向勝負。東西南北四方からの包囲制圧作戦である。  東――不倒山  仰々しい名前に反して美しい景色に恵まれ、平時は一般の登山客も多い不倒山。  その不倒山も今日この日ばかりは日本で最も戦火の激しい地帯となっていた。 「こちら伝馬! 地面からでけえのやちいせえのがうじゃうじゃ出てきやがった!」  通信機モバイルを片手に伝馬京介が叫ぶ。  彼の前方、山の斜面には山肌を埋め尽くさんばかりに蜘蛛の群れが次々と土中から姿を現していた。 「馬鹿、大きい小さいだけじゃわからないだろ。だからラルヴァのデータを予習しておけと言ったんだ。  こちら不倒山方面部隊氷浦より作戦指揮所に連絡、不倒山には【鬼蜘蛛】と【土蜘蛛】を中心とした蜘蛛型ラルヴァが多数展開しています。その数、目測で凡そ千」  それら全ての蜘蛛が、別れ谷を目指して行軍していた異能力者達に襲い掛かってくる。 「質は決して負けていませんし学園生とフリーランサー、他の異能組織との連携でこちらも百人近くはいますが、物量に差があるため突破は困難です。不倒山方面部隊は別れ谷への到着が遅れます」 「クソッ! こんな蜘蛛の子軍団なんざ俺が蹴散らしてやる!」  京介が両足に魂源力を集中、赤い脚部鎧を掃討戦仕様で展開。  絨毯の如く侵攻してくる蜘蛛の群れの一角を切り裂くように一直線に駆け抜け、進路上の土蜘蛛を十五体纏めて爆砕する。  同行する異能力者からと感嘆の声が上がるが、すぐさまその穴を補充するように土中から新たな土蜘蛛が現れる。 「お前は成人異能力者と連携して鬼蜘蛛をやれ! 土蜘蛛は僕と他の学生で叩く!」  自身とチームメンバーである姫川哀へと迫ってきた土蜘蛛を氷浦宗麻が異能で押し止め、洋剣でバラバラに切断する。 「あー、木刀が体液でぐしょぐしょっす……てかこないだも虫退治したばっかりなのにまた虫退治っす」  近くでは神楽二礼が木刀で土蜘蛛の頭を叩き潰し、 「このまえ俺が倒した土蜘蛛よりも何回りか小さいな。防衛に数が必要になって成長しきってないのまで出してきたってことか?  けど手加減はしないぜ、ガナル・クロー!」  赤きパワーストーン、カーネリアンで全身を包んだ戦士、木山仁ことガナリオンは両手から生やしたモース硬度7の爪で次々と土蜘蛛を切り裂く。 「姫川さんは鬼蜘蛛以上の大物が出てきたときに備えてください」 「うん……!」  不倒山での軍団戦闘が始まった。  西――爬蔵森 「うー、このもり、クモ男くさいねー」  アクリス・ナイトメアはそう言って鼻を押さえていた。 「どんな匂いですの!? そもそもどんな鼻してますの!? それと気が散るからぷるんぷるんと胸を揺らさないでいただきたいですわアクリスさん!」  パーティ『クルセイダー』のリーダーである甘利がつっこみを入れ、その後ろでは堂下大丞が不安そうな顔で彼の所属するパーティ『ダイアンサス』のリーダーである坂上撫子の顔を見る。 「撫子先輩、やっぱり……」 「だろうな。相手に少しでも知能があれば、ここに兵を配するだろう……来るぞ!」  撫子の警告の直後、空が見えないほどに広がっている木々の枝を揺らし、ラルヴァが彼らの前に姿を現す。 『キキッ、キキ!』  そのラルヴァは蜘蛛の頭と小さく猫背だが人型の体をもっていた。 「本当にクモ男が出てきましたわ!?」 「ユリ、これは」 「【蜘蛛猿】、猿のしなやかさと蜘蛛の糸と毒を使って集団で狩りをするえげつないラルヴァね」 「たしかに……」  蜘蛛猿は異能力者達を樹上から囲むような形で配置についていた。  戦闘を開始した瞬間、一斉に糸と毒を吐きかける包囲陣形だ。 「おい、蜘蛛が出たぞ。合体したらどうだ?」 「馬鹿言え。蜘蛛は昆虫じゃない。それより半分猿なんだしお前が合体したらどうだ?」 「断る! 今日は折角犬を連れて来ているしな!」 「俺だって今回はバッタを連れて来てるんだ!」  共に生物との合体変身を異能とする二階堂志郎と二階堂悟郎は互いの合体相手を手に持ちながらエヘンと胸を張り合った。 「そんなことよりこの数は……」 「ひゃくよりいっぱいいるよー。鳴き声たくさん、ほかにもいっぱいいるねー」 「こちらはダイアンサス、クルセイダーを中心に計四十七人。数の上では半分ほど……」 「なら、負けませんわね」 「そういうことだ」  撫子と甘利が不敵な笑みを浮かべると各員が戦闘態勢をとる。 「『我、命ず』――『殲滅せよ!』」  アクリスが詠唱によって自らのリミッターを解除し、 「「合体変身!!」」  二階堂兄弟がそれぞれの連れていた生物との合体で緑色のバッタ男と青い犬男に変身し、 「いくぞ!」  撫子が右手に敵を一撃切断する桃色の爪を形成した。  その瞬間、脅威を感じ取った蜘蛛猿が糸と毒を吐く。  だが蜘蛛猿の攻撃は結界能力者の張った結界に阻まれ、  結界が張られる直前に飛び出したアクリスの拳が、志郎のキックが、悟郎の剣が、撫子の爪が、四匹の蜘蛛猿を瞬く間に粉砕する。 「戦闘開始!」  南――網里町  四方からのルートにはもちろん網里町からのルートも含まれていた。  むしろこのルートこそは車両による兵員輸送が可能な舗装された道と蜘蛛型ラルヴァが展開しづらい平坦な地形であることを考慮し、四つの中では最も突破確率が高いルートとされ、自衛隊などの非異能力者も含めて最も多くの人員を投入していた。  だが、 「は、ハンドルが利かない……!?」  市街に進入して間もなく全ての自衛隊車両がその制御を失い迷走し始めた。  ある車両は本来の最高速度を上回る速度で壁に激突し、ある車両は縦に何度も回転し、またある車両は河川に沈んだ。  同伴した自衛隊はほぼ全滅状態だった 「どうなってんだ、こいつは?」  僅かに残った無事な車両――対異能コーティングが施されたジープを運転していた上尾慶介は怪訝そうに呟いた。 「電子機械のコントロールか? 違う、むしろ車輪に何か細工されたみたいだったな」  まるで、車輪の“回転”そのものをどうにかされてしまったような。 「上尾さん! 無事ですか?」  停車した彼のジープに五人の人影が近づく。身体強化特化パーティ、久留間戦隊だ。 「お、久留間か。お前らのほかに無事な連中は?」 「異能力者組は負傷者も出ましたけどまだいけます。でも自衛隊の方はさっきの攻撃で死傷者が多すぎて……」 「攻撃? やっぱこいつはラルヴァが仕掛けてきた攻撃か?」  上尾の質問に久留間はゆっくり首を振って否定する。 「これはラルヴァの攻撃じゃありません、この攻撃を仕掛けてきたのは……」 「――俺やなあ」  軽い関西弁が聞こえた直後、彼らの前方から巨大な車輪が高速で転がってくる。  否、それは車輪ではない。それは――水車だった。 「なっ!?」  数秒で眼前に迫ってきた水車を上尾はジープを急発進させ辛うじて回避する。  しかし、水車はすぐさまUターンして後方から追ってくる。 「久留間戦隊、アタック!」  久留間の号令を受け久留間戦隊のメンバーが四方から水車を攻撃し一人一撃の計四撃で高速回転する水車を木っ端微塵に砕く。 「はぁん? なんや、御付きの人らも結構強いやないか」  水車を砕かれて声の主が姿を現す。  目元まで隠れたニット帽と、複数の金属ディスクをぶら下げたジャケット、背中にギターケースを背負った大道芸人か何かにしか見えない男。  今の水車による攻撃と、自衛隊の部隊を壊滅させた張本人。  “聖痕《スティグマ》”の工作員、回転する黄金軸《スピニング・スピンドル》のスピンドル。 「やっぱりあなたですか。でも、どうして?」 「そら俺らはラルヴァ信仰の“聖痕”やからな。ラルヴァを護るために働くこともあるわ」  建物の陰から数人の人影が姿を現す。  いずれも“聖痕”の構成員、戦闘型異能力者だ。 「で、どうするんや? 俺らは人間相手のドンパチ慣れとるけどあんたらはそうやないやろ。蜘蛛の前に俺らと戦うか?」  スピンドルは尋ねつつ、自らの魂源力を彼女らのすぐ傍のマンホールの蓋に浸透させる。  スピンドルの魂源力と回転指令を受け取った蓋は高速で回転し、ジープの後部座席に搭乗した女子生徒の頭部へと跳ね飛ぶ。  マンホールの蓋が人の頭部など軽く粉砕する速度と重量で彼女に迫り、 「或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害」  見えない壁――結界に弾き飛ばされた。  不意打ちを防がれ僅かに眉を顰めたスピンドルに笑みを含めた声がかけられる。 「戦うかですって? そんなのはじめから決まってるわ」  その声は上尾のジープの後部座席から発せられた。  上尾慶介は本来Team.KAMIOと呼ばれるパーティのリーダーであり、普段彼が運転するジープにはパーティメンバーである炎輪使い、サイコキノ、氷結能力者の少女たちが同乗している。  しかしこの作戦にあたり、彼は普段のメンバーではなく他の異能力者を乗せる役目を担っていた。彼がジープに乗せ、ここまで運んできた異能力者とは 「対人戦闘喜んで♪」  かつて醒徒会に反旗を翻したテロリスト。  黒井揚羽と九十九唯の二人である。 「は?」  揚羽の返答にスピンドルが疑問符を浮かべるより早く揚羽が髪を風に流すと、その髪から奇妙な光の粒子が放たれた。  スピンドルは自らに迫る光の粒子に悪寒を覚え、回避する。  直後、スピンドルの後方にあった樹木が一瞬で枯れ、凍り、崩壊していった。 「……これ、当たったら死ぬんちゃうかな?」  黒井揚羽の異能『モルフォ蝶の燐粉』。  その古代蝶の燐粉は電子機器を狂わせ、触れた者の水分を完全に奪い去り気化冷却により凍てつかせ崩壊させる。  無論、生身の人間に使えば必殺となる攻撃である。 「条件付きってのは気に入らないけれど、能力の制限も解除されて久々の大暴れよ。“聖痕”ってところにも私達の力を見せ付けてあげるわ♪」 「頑張ろうね揚羽ちゃん!」  そして彼女たちはノリノリで必殺を人間に使う気である。 「じゃあ、あたしたちもやろうか」 「「「「了解」」」」  揚羽らに加え、久留間戦隊も戦闘に加わる。  さらには、 「危ねーわね。危うく星条旗じゃなくて日の丸の車の中で死ぬとこだったわ。でも流石に頑丈だわね、日本車」  横転した自衛隊車両のドアを蹴り破るカウボーイブーツ。  車中の少女はその勢いのままクルリと回るように飛び出し、金髪のツインテールを揺らして地面に立つ。  そして眼前の“聖痕”の構成員を睥睨しながらこう言った。 「で? やったのどいつ?」  双葉学園きっての対人戦エキスパート。銃の風紀委員長、山口・デリンジャー・慧海――デンジャーが参戦した。 「……俺、信仰心薄いほうやけどあんたらに比べたらラルヴァが神様に見えるわ」  愛用の銃を握った彼女の笑みは、ひどく邪悪だった。  かくして網里町では一方的な戦いが始まった。  別れ谷――上空  天蜘蛛はジャンボ旅客機に倍する巨体をもつ蜘蛛型最大のラルヴァである。  普段は雲の中に棲み空気中の水分を食んで生きているが、体の維持に必要である動物性タンパク質が欠乏すると雲と地上の間に結界とも言える魂源力を帯びた鋼糸の巣を張り、大小の鳥類、ラルヴァ、果ては飛行機を捕らえて捕食する。  どのようにしてその巨体を雲の中に置き続けているのか、雲と地上の間にどうやって巣を張るのか、生態に謎の多いラルヴァであるが今の問題はその生態ではない。  天蜘蛛が別れ谷の上空から別れ谷の周囲を囲う蜘蛛の巣状の結界を張っていることが問題だった。これではヘリなどでの輸送はできず、住民を連れて脱出しようとしても上空の天蜘蛛が見逃さないだろう。  救出作戦を成功させるために天蜘蛛の排除は必須条件だった。  初めは自衛隊の地対空誘導ミサイルと遠距離砲撃型の異能力者による攻撃がなされた。しかしどちらも鋼糸結界に阻まれ天蜘蛛本体には攻撃が届かず、失敗。  次いで自衛隊のF35―ライトニングⅡによる近接攻撃が試みられたが、失敗した。  だが、結界に接近したF35のパイロットの証言が一筋の光明をもたらした。  証言によれば天蜘蛛の鋼糸結界には人間大の隙間がいくつも開いていたという。  つまり、飛行能力をもつ異能力者ならば鋼糸結界の中に潜り込み、天蜘蛛本体を攻撃できる。  双葉学園は臨時の空戦部隊を組織し対天蜘蛛攻略作戦を開始した。  まるで飛行機雲のように空に十色の光のラインが曳かれる。  それは“魔女”の箒の先から流れる魂源力の光だ。  ――魔女。数少ない飛行能力者にして特定のアイテム・箒を使うことで天空を翔ける少女たち。彼女らはその箒に自身とパートナーであるガンナー、あるいは“乗客”を乗せ、別れ谷上空を我が物とする天蜘蛛へと向かっていた。  双葉学園の魔女式航空研究部、通称『魔女研』の十五人の魔女のうち、別れ谷に派遣されたのは十名。加えて五名のガンナーだ。メンバーは新米魔女とガンナーのチームが五つ、そして先輩の魔女が五人。  魔女研の部長をはじめとした四人の魔女は今も学園の防空を担当しており、副部長である柊キリエは先日の戦闘による負傷からまだ復帰していない。 「こちらガンナーレッド。モバイルの表示だと鋼糸結界到達まであと二分です」  それらの事情からこの作戦における現場指揮官となったガンナーレッド、久世空太が作戦指揮所にいるキリエに報告する。 『了解した。  みんな、聞いてほしい。今回の相手は君達がこれまで戦ってきたラルヴァの中では最も巨大で、強大だ。  同時に、最も遅い。【コルウス】のような翼はなく、飛ぶこともできない。分厚い結界に護られて空からぶら下がっているだけだ。そんなものに空を占領させ続けるわけにはいかない。  そして、君達ならたとえどれだけ巨大でもそんなものには負けない。そうだろう?』 「はい!」  キリエの言葉に赤い魔女、瀬野葉月が答える。他の魔女やガンナーも一様に力強く肯く。  そして彼女らは鋼糸結界の隙間を潜り抜け、天蜘蛛との戦闘に突入する。  同時に、先輩魔女の箒に跨っていた乗客が箒から飛び降りる。 「ただ垂直に宇宙を目指して飛べばいいのとは違って空を高速で飛びまわるのは重力のせいでちょっとやりづらいからな。運んでくれて助かったよ」  宙間戦闘能力を有するサイコキノ、一番星ヒカル。 「お陰で変身時間をフルに使える! いくぞシュン! 合体変身!!」  鳥類との合体変身能力者にして二階堂兄弟の次男、二階堂待郎。  彼らに続いて双葉学園の生徒や他組織の異能力者が箒から飛び立ち、天蜘蛛に攻撃を開始する。  対する天蜘蛛も巨大な脚を振り回し、鋼糸をばら撒いて迎撃する。  別れ谷上空での激闘が始まった。  最南方――作戦指揮所  網里町の入り口よりさらに1キロほど南に軍用テント――別れ谷作戦の指揮所が設営されていた。  本来ならば別れ谷の女王蜘蛛を監視するための施設が網里町の中にあったのだが、そこは蜘蛛型ラルヴァの襲撃と同時に壊滅している。その代用に急ごしらえした作戦指揮所がこの軍用テントだった。  軍用テントは普通のテントとは比べるべくもないサイズではあるが、複数の端末や計器が並んでいるので随分手狭になっている。情報の整理に当たっている担当員たちもどこか窮屈そうにしている。  先ほどから作戦指揮所には多くの情報がもたらされており、それらの情報は東西南、そして上空での戦闘に関するものだ。 「状況はどこも膠着しているようね」 「はい」  指揮所に置かれた作戦デスクの傍で生徒ではない、二人の成人女性――双葉学園の生徒課長の都治倉と教師の春奈・C・クラウディウスが言葉を交わす。 「今回は多くの人命がかかっているから自衛隊も協力的だけど、それでも上手くはいかないものね」 「東は幼体まで投入した数で防衛する作戦のようですからどうしても手間取りますし、西は地形を利用したゲリラ戦を仕掛けられてます。上空の敵は天蜘蛛だけですけどかなりの大型ラルヴァですから手こずってるみたいです。それに南には“聖痕”が介入を……」 「何とかなるでしょう。あの娘に加えて先日の事件で醒徒会と五分に戦った七人のうちの二人、おまけに久留間戦隊もついているんだから」 「そうですね。けど、あたしの能力が使えればそこを突破口にできるかもしれないのに……」  春奈の視線は作戦デスク上の地図に描かれた不倒山に向けられている。そこには彼女が受けもっている高等部1Bの生徒が多く参加していた。 「駄目よ。あなたの役目はいずれかの部隊が防衛網を突破した後にあるわ」  春奈は対ラルヴァ用イージスシステムとも言うべき異能の持ち主であるが、現在はある事情からその異能『ザ・ダイアモンド』を温存させられていた。 「わかってます、今は心配することしかできないんですね……」  春奈は堪えるように下唇を噛んだ。  彼女たちが話している間にも戦況は少しずつ動いている。  数の不利、サイズの不利はあったが全ての戦線で五分以上の状態を保っている。しかし、五分から大きく動くこともない。決して負けてはいないが押し切れもしない。  ただ、一ヶ所を除いては。 「……?」  指揮所の学園生スタッフの一人であり、ラルヴァ限定の神眼ともいえる異能『位相界の眼』を使い、ラルヴァの位置情報を見ていた覘弥乃里は北の垂芽川のラルヴァ反応がおかしいことに気づいた。弥乃里から情報を受け取り処理していた四方山智佳もまたそれに気づく。 「それにしても、つい最近北海道で蟲型が大量発生したばかりなのにここでもまたこれだけの数が出るなんてね。その前には時留蜻蛉の事件もあったし、ここまで大きな騒動が続くといい加減疲れてくるわ」 「このまま規模が大きくなったらいずれ<ワンオフ>が出てくるかもしれませんね」 「歳之瀬先生みたいなこと言わないで。もしも」 「北、垂芽川付近のラルヴァに動きがありました」  都治倉と春奈の会話は止め、『位相界の眼』が感知したラルヴァの反応を映すモニターへと目を向ける。  そこにはほんの一分前まで二百近いラルヴァの反応があったが、今は唯の一つしか光点は映ってなかった。  北――垂芽川  垂芽川は北にある湖を水源とし南へと流れ、別れ谷の手前で東西に分かれ東の不倒山の麓と西の爬蔵森の中を通り、二本の分流は下流の網里町付近でまた一つになって海へと流れていく。  上空から見るとちょうど垂芽川が別れ谷を囲う地形になっている。  源流である北の垂芽川の川幅はおよそ百メートル。  フナやコイなどの魚類が多数生息していたが、事件が起こってからはその生態系も一変している。  アメンボの如く水上を滑る水蜘蛛など水場での戦闘に特化した蜘蛛型ラルヴァの配置が確認され、水中戦を強いられれば苦戦は避けられないと考えられていた。  だが、 「川が……ありませんね」  双葉学園醒徒会の副会長である水分理緒は目の前の光景を見て困ったように頬に手を当て、首を傾げた。  彼女は今回の作戦において動員された二人の醒徒会役員の一人だった。彼女の役目は水をコントロールする異能を駆使しての水棲ラルヴァの全滅。さらには垂芽川を一時的に割り、あたかもモーゼの奇跡のように異能力者部隊に垂芽川を通過させることだった。  しかし、当の垂芽川は消失しており、川が流れているはずの場所には代わりに ――半径1キロほどの原生林が広がっていた。 「なんで川が森になってんのよ? そりゃ水の中に入らなくて済んだのはいいけど、いくらなんでもおかしいわよ」 「この地図不良品? 図書券もらえるかしら」  垂芽川方面部隊のメンバーもあまりに前情報と違う風景に疑問を抱いている。まさか川が森になっているなどという状況は想定外でどう対処すべきかもわからなかった。 「作戦指揮所へ、聞こえますか? 垂芽川方面部隊の水分です。  垂芽川に到着したのですけど、なぜか川がなくなって森になってるんです。ラルヴァの姿も見当たりません」 『こっちでもラルヴァの消失は確認しました。ところで水分さん、森ってなんですか?』 「その、まるで南米かどこかのジャングルにしか見えない森が川の代わりにあるんです」  水分はそう言ったが川は流れている。ただし、上流から原生林に流れ込んだまま決して、下流に流れてこないのだ。 『ジャングル……智佳さん、少し調べて欲しいのだけど』 『もう調べてあります。三分前にナンバー59の監視エリアからナンバー59が消失。垂芽川付近の衛星写真と監視画像で原生林を比較、98.62%一致しました』 『そんな……!?』 「先生?」  指揮所の動揺が通信モバイルから伝わってくる。この森に……何かあるのか。 『水分さん、単刀直入に言います。垂芽川方面部隊は作戦を中止して撤退してください』 「ですが……」 『その森を刺激しないで撤退して!』  森を刺激するなと春奈は言った。  だが、その忠告は遅きに失した。  何十人という異能力者、それだけの魂源力が近づくこと自体が既に森を刺激していた。  ここに集まっていた二百体の蜘蛛型ラルヴァのように。 「この音、なに?」 「……獣か?」 「動物が吼えているみたい……」  それまでは静寂そのものだった眼前の森の中から、唐突に無数の野獣の鳴き声が轟く。 『感あり! 森の中にラルヴァの反応……一万、二万……さらに増加中!』 『生存に必要な生活圏が明らかにあの森の面積を超えているわ。やっぱり学説どおりあの森は見かけだけの入り口で内側に異空間でもあるのかしら。何にしろ……、あれの口が今開いた』 『水分さん!!』  人々の驚愕を嘲笑うかのようにさらなる超常現象が起きる。  森が――動き出した。  ゆっくりと歩くような速さで水分らへと近寄ってくる。  その森の中には、昼間だというのに幾つもの獣の眼が赤く輝いている。  餌が森に放り込まれるのを待っているかのように。 「そういうことですか。川は……そこにいた蜘蛛ごと飲み干されてしまったのですね」  得心したように、されどかすかに苦い顔をして水分はため息をついた。 「水の中の方がマシ、だったかもね」 「副会長。この森はまさか……」 「――<ワンオフ>」  カテゴリービースト中級Cノ3  <ワンオフ>登録番号LⅨ――【武装森林《グルジオラス》】  ある一点をターミナルとしながら、空間移動で世界中を不定期に移動する旅する大地。かのエンブリオ同様に無数のビーストラルヴァを内包する――環境型ラルヴァである。  グルジオラスは垂芽川の水流・霊脈に混ざった水棲の蜘蛛型ラルヴァの大量の魂源力を感知し、自らと内部のラルヴァの腹を軽く満たすために二百体の蜘蛛型ラルヴァを捕食すべくこの垂芽川に出現したのだった。  そして、グルジオラスは次なるターゲットを自らに近づいてきた人間たちに定めた。 「……作戦指揮所へ、わたしたちはこれからグルジオラスを引きつけてここから離脱します」 『!』 「このままここにグルジオラスを放置すれば最悪別れ谷に向かいます。そうなれば……別れ谷に捕らわれている人々の命が危険にさらされてしまうでしょう。  ですから、わたしたちがグルジオラスを引きつけて別の安全な地帯へ誘導します」 『待って! 水分さ』  水分は手にしていた通信モバイルの電源を落とし、作戦指揮所からの返答を遮った。 「……すみません、勝手に決めてしまって」  彼女は部隊のメンバーに向き直り、頭を下げた。  ほとんど彼女の一存で部隊全体を危険にさらす決断を下してしまった形だが、部隊のメンバーにそれを非難する様子は無かった。 「ま、仕方ないわよ。ただ逃げるよりは随分ましな選択だわ」 「そうね。それに、もう目をつけられたみたいだし」  他のメンバーも口々に言葉を発するが、いずれも水分の決断を肯定するものだった。 「みなさん……」 「で、どっちに誘導するの副会長?」 「北へ向かいましょう。あの場所に辿りつければ勝算はあります」 「OK。ちょっとした遠足になりそうね。けど」 「ただ引き付けるだけでは済まないようだ」 「らしいわね」  メンバーの一人の女子生徒がその身体の一部、爪を猫のそれのように伸ばし水分の右方の空間を貫いた。  さらに一人の男子生徒が硬質化した拳を左方の空間に叩きつけ、また別の女子生徒が水分の後方に火柱を巻き起こす。  そして、三方から水分を狙っていたビーストラルヴァは刺殺・殴殺・焼殺されて息絶えた。 「少し、激しい運動をすることになりそうですね」  否、四方。真上から水分を狙っていた鳥型ラルヴァは水分の放った水弾で撃墜されている。  部隊のメンバーはビーストラルヴァの出所、グルジオラスへと目を向ける。  視線の先では……グルジオラスの中のビーストラルヴァが少しずつ森の外へと姿を現し始めていた。  最南方――作戦指揮所  指揮所は重苦しい空気に包まれていた。  <ワンオフ>との遭遇。それがどれほどの事態か真に理解している者は半数といなかったが、理解した半数の表情と水分との通信の途絶が知らぬ者にも深刻さを伝えていた。  その中で、春奈は作戦デスクの上の地図を凝視していた。 (グルジオラスは足が速いラルヴァじゃない。誘導しながらの防御戦闘に徹すれば、水分さんなら大丈夫……)  別れ谷の北では水分達がグルジオラスと戦っている。東でも、西でも、南でも、空でも、双葉学園の学生達が、彼女の教え子達が必死に戦っている。教師である自分がただ心配するだけでいいわけがない。自分がすべきは――。 「水分さんのおかげで北の障害は消えました。那美さん、突入部隊の準備はできてますか?」 「できてるわよ」  春奈の問い掛けに春奈と同じく双葉学園の有する数少ない成人異能力者の一人であり一級の戦闘系異能力者である難波那美が答えた。  突入部隊。それがこの二段構えの別れ谷作戦の二段目だ。  東西南北から攻め入ると同時に、制空権を奪っている天蜘蛛を空戦部隊が攻撃。  五方のいずれかに穴が開いたならそこから六番目の部隊、突入部隊が方面部隊の残存戦力と共に別れ谷に突入。人質の救出を行うと同時に、首魁である女王蜘蛛を討滅する。  春奈の役割は完全に相手のテリトリーであり、最も苦戦を強いられるであろう別れ谷の内部で突入部隊の指揮を取ること。彼女の能力があれば相手のテリトリーの中であろうと五分で戦える。 「私とミナに、時坂君、皆槻さん、結城さん、八島さん、伊万里さん、龍河君とあなた、それに外部のフリーランサーを加えた計十人。これが突入部隊のメンバーよ」  双葉学園の中でも戦闘能力に特化した『荒神の左手』の那美とミナ、永劫機メフィストフェレスのマスター時坂祥吾、『ワールウィンド』の皆槻直、生徒会役員の一人である龍河弾。治癒能力『ペインブースト』の結城宮子。攻撃と治癒双方の能力を発揮できる八島キョウカ。周囲の人間に迫る死の危険を察知できる『アウト・フラッグス』の巣鴨伊万里。そして対ラルヴァイージスシステムとも言うべき指揮能力『ザ・ダイアモンド』の春奈。  彼女らが双葉学園の選出した別れ谷内部への突入メンバーだった。   「北の部隊と合流することはできません。けど、今を逃せば防衛網が復活するかもしれません。だから……」 「これより……別れ谷突入作戦を決行します!」  ・・・・・・  私こと語来灰児が資料を読んでいると、地響きが私の体を揺らし爆音が耳を打った。  耳を澄ませば幽かに人の声やラルヴァの断末魔が聞こえる。 「……双葉学園が救出作戦に乗り出したか」  戦闘の音は東西南北の四方から……いや、上空も加えて五方から届いてくる。どうやら五つの部隊による包囲制圧作戦を選択したようだ。  それと、推測だが別働隊としてこの城への突入部隊もあるだろう。  やり方としては間違っていないし、双葉学園の戦力をもってすれば可能だ。ただし一つ問題がある。  この別れ谷の城への侵入は周囲の制圧とはわけが違う。  なぜなら巣を張り待ち構えることこそが蜘蛛の真骨頂。  地形全てが蜘蛛の巣であるこの城は蜘蛛にとってのホームであり、人間にとって完全なるアウェー。内部での戦いは熾烈を極めるだろう。  しかし双葉学園もさるもの。その程度のことは読んで対抗手段を用意しているだろう。  何にしても。 「彼らがここに辿りつくまでに済まさねばなるまい」  私は三日前から女王蜘蛛の城にいる。  運が悪かったのか、良かったのか。起こるべくして起きたと言うべきか。あるいは自業自得か。  二百年に一度の女王蜘蛛の産卵の儀式。過去の文献や星の位置などで大まかな日取りを調べ、可能ならば拝見したいと網里町を訪れ、蜘蛛による住民の『集団誘拐事件』に巻き込まれた。  かくして町にいた私は三日前に網里町の住民と一緒に蜘蛛型ラルヴァによって捕らえられてしまった。もっとも、今は捕らわれていた部屋からは出ているのだが。 「さて、と」  確認のために携帯端末をチェックすると、私の端末にも作戦についての大まかな概要くらいは入っていた。ひょっとすると姿はなくてもラルヴァ研究のために同伴していると思われたのかもしれない。  やはり作戦は五方からの同時制圧作戦と突入部隊による住民の救出及び女王蜘蛛の撃破だ。もう突入部隊は動き出しているらしい。 「急ぐか」  丁度立ち上がったとき、爆発による地響きが城を揺らし、私はよろめいて壁に手をついた。岩の感触があるが、これは岩ではなく蜘蛛の糸だ。【岩蜘蛛】という名のラルヴァが分泌する糸は空気に触れると岩のように硬質化する性質がある。  壁は滑らかな平面に仕上げられており、城の通路もまた滑らかに平らで、床・壁・天井で正確な四角形を描き、壁面に細工が彫られている。【火遼鬼】の住処に似ているが、こちらの方が洗練された印象を受ける。何より驚くべきはこれが全て蜘蛛の糸で出来ていることだ。  岩蜘蛛は糸を使って崖の壁面に袋状の巣を作成する。この城もまたそうして作られている。そして多数の岩蜘蛛を使い、時間をかけて作られたため城のサイズは通常の巣と桁が三つ四つ違う。なにせ谷が三分の二ほどこの城で埋まっている。(別れ谷の外部からは城が見えないようにカモフラージュしていたようだが)  これだけの城、外で戦うラルヴァの数、流石は蜘蛛の王と言ったところか。支配力は人間の王侯貴族かそれ以上だろう。いや、人望か。 「惜しいな……」  私は心中の感想を吐露して、城の中枢に向けて歩き出した。
怪物記 第七話 [[ラノで読む>http://rano.jp/1220]] 怪物記  こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。  お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。                       ――蜘蛛の糸  ・・・・・・  別れ谷、そう呼ばれる渓谷が西日本に存在する。  元々は一座の岩山だったが地殻変動で別たれ、谷となった。そんな経緯でできたために別れ谷の名称で呼ばれている。  別れ谷は枯れ谷であり、底に川は流れておらず木も植生していない。草食の動物は一匹たりとも生息していない。逆に別れ谷の周囲、東の不倒山、西の爬蔵森、北の垂芽川《たるめがわ》は水も豊富で多くの生物が棲家としている。  だが、別れ谷にも生物はいる。  別れ谷はこの日本においてある一系統のラルヴァの中心地だ。  そのラルヴァの系統は蜘蛛。  四対八足を持ち昆虫の定義より外れ、糸を吐き、巣を構えて獲物を捕らえ捕食する生物。別れ谷は日本の蜘蛛型ラルヴァの聖地なのだ。  そして別れ谷が蜘蛛型ラルヴァの聖地である理由は、そこに蜘蛛型ラルヴァの王が棲むからである。  別れ谷に君臨する蜘蛛の王は名を――【女王蜘蛛】という。 第七話 【女王蜘蛛】  ・OTHER SIDE  蜘蛛型ラルヴァの総本山である別れ谷の南には網里町という小さな町があった。  六十年ほど前に別れ谷に蜘蛛型ラルヴァが数知れず群生していることが分かったときにはもう網里町はあったが蜘蛛の主である女王蜘蛛は人間に友好的であり、蜘蛛型ラルヴァが町を襲うことも無く、結果として別れ谷は放置された。  均衡が崩れる事件が発生したのは三日前。  突如として網里町を蜘蛛の軍団が襲い、町の住民を一人残らず連れ去った。  蜘蛛の聖地が聖地たる由縁である女王蜘蛛の儀式に必要な生贄とするために。  女王蜘蛛が子を生むための糧とするために。  かくして別れ谷一帯は住民を救出しようとする人間と女王蜘蛛を防衛する蜘蛛の戦場となった。  双葉学園は戦闘可能なレベルに達している学生を多数動員し、国内の他の異能力者組織や組織に所属しないフリーランサーとも連携して事態の解決に当たった。  しかし、作戦の立案は困難を極めた。  空爆や空中からの戦闘員投下は雲と地上の間に鋼糸で巣を張る巨大蜘蛛【天蜘蛛】の結界によって不可能。  空間移動能力者では送れる戦闘員に限りがあり、戦力を漸次投入すれば各個撃破される恐れがある。  試行錯誤の結果、ある作戦が決行された。  真っ向勝負。東西南北四方からの包囲制圧作戦である。  東――不倒山  仰々しい名前に反して美しい景色に恵まれ、平時は一般の登山客も多い不倒山。  その不倒山も今日この日ばかりは日本で最も戦火の激しい地帯となっていた。 「こちら伝馬! 地面からでけえのやちいせえのがうじゃうじゃ出てきやがった!」  通信機モバイルを片手に伝馬京介が叫ぶ。  彼の前方、山の斜面には山肌を埋め尽くさんばかりに蜘蛛の群れが次々と土中から姿を現していた。 「馬鹿、大きい小さいだけじゃわからないだろ。だからラルヴァのデータを予習しておけと言ったんだ。  こちら不倒山方面部隊氷浦より作戦指揮所に連絡、不倒山には【鬼蜘蛛】と【土蜘蛛】を中心とした蜘蛛型ラルヴァが多数展開しています。その数、目測で凡そ千」  それら全ての蜘蛛が、別れ谷を目指して行軍していた異能力者達に襲い掛かってくる。 「質は決して負けていませんし学園生とフリーランサー、他の異能組織との連携でこちらも百人近くはいますが、物量に差があるため突破は困難です。不倒山方面部隊は別れ谷への到着が遅れます」 「クソッ! こんな蜘蛛の子軍団なんざ俺が蹴散らしてやる!」  京介が両足に魂源力を集中、赤い脚部鎧を掃討戦仕様で展開。  絨毯の如く侵攻してくる蜘蛛の群れの一角を切り裂くように一直線に駆け抜け、進路上の土蜘蛛を十五体纏めて爆砕する。  同行する異能力者からと感嘆の声が上がるが、すぐさまその穴を補充するように土中から新たな土蜘蛛が現れる。 「お前は成人異能力者と連携して鬼蜘蛛をやれ! 土蜘蛛は僕と他の学生で叩く!」  自身とチームメンバーである姫川哀へと迫ってきた土蜘蛛を氷浦宗麻が異能で押し止め、洋剣でバラバラに切断する。 「あー、木刀が体液でぐしょぐしょっす……てかこないだも虫退治したばっかりなのにまた虫退治っす」  近くでは神楽二礼が木刀で土蜘蛛の頭を叩き潰し、 「このまえ俺が倒した土蜘蛛よりも何回りか小さいな。防衛に数が必要になって成長しきってないのまで出してきたってことか?  けど手加減はしないぜ、ガナル・クロー!」  赤きパワーストーン、カーネリアンで全身を包んだ戦士、木山仁ことガナリオンは両手から生やしたモース硬度7の爪で次々と土蜘蛛を切り裂く。 「姫川さんは鬼蜘蛛以上の大物が出てきたときに備えてください」 「うん……!」  不倒山での軍団戦闘が始まった。  西――爬蔵森 「うー、このもり、クモ男くさいねー」  アクリス・ナイトメアはそう言って鼻を押さえていた。 「どんな匂いですの!? そもそもどんな鼻してますの!? それと気が散るからぷるんぷるんと胸を揺らさないでいただきたいですわアクリスさん!」  パーティ『クルセイダー』のリーダーである甘利がつっこみを入れ、その後ろでは堂下大丞が不安そうな顔で彼の所属するパーティ『ダイアンサス』のリーダーである坂上撫子の顔を見る。 「撫子先輩、やっぱり……」 「だろうな。相手に少しでも知能があれば、ここに兵を配するだろう……来るぞ!」  撫子の警告の直後、空が見えないほどに広がっている木々の枝を揺らし、ラルヴァが彼らの前に姿を現す。 『キキッ、キキ!』  そのラルヴァは蜘蛛の頭と小さく猫背だが人型の体をもっていた。 「本当にクモ男が出てきましたわ!?」 「ユリ、これは」 「【蜘蛛猿】、猿のしなやかさと蜘蛛の糸と毒を使って集団で狩りをするえげつないラルヴァね」 「たしかに……」  蜘蛛猿は異能力者達を樹上から囲むような形で配置についていた。  戦闘を開始した瞬間、一斉に糸と毒を吐きかける包囲陣形だ。 「おい、蜘蛛が出たぞ。合体したらどうだ?」 「馬鹿言え。蜘蛛は昆虫じゃない。それより半分猿なんだしお前が合体したらどうだ?」 「断る! 今日は折角犬を連れて来ているしな!」 「俺だって今回はバッタを連れて来てるんだ!」  共に生物との合体変身を異能とする二階堂志郎と二階堂悟郎は互いの合体相手を手に持ちながらエヘンと胸を張り合った。 「そんなことよりこの数は……」 「ひゃくよりいっぱいいるよー。鳴き声たくさん、ほかにもいっぱいいるねー」 「こちらはダイアンサス、クルセイダーを中心に計四十七人。数の上では半分ほど……」 「なら、負けませんわね」 「そういうことだ」  撫子と甘利が不敵な笑みを浮かべると各員が戦闘態勢をとる。 「『我、命ず』――『殲滅せよ!』」  アクリスが詠唱によって自らのリミッターを解除し、 「「合体変身!!」」  二階堂兄弟がそれぞれの連れていた生物との合体で緑色のバッタ男と青い犬男に変身し、 「いくぞ!」  撫子が右手に敵を一撃切断する桃色の爪を形成した。  その瞬間、脅威を感じ取った蜘蛛猿が糸と毒を吐く。  だが蜘蛛猿の攻撃は結界能力者の張った結界に阻まれ、  結界が張られる直前に飛び出したアクリスの拳が、志郎のキックが、悟郎の剣が、撫子の爪が、四匹の蜘蛛猿を瞬く間に粉砕する。 「戦闘開始!」  南――網里町  四方からのルートにはもちろん網里町からのルートも含まれていた。  むしろこのルートこそは車両による兵員輸送が可能な舗装された道と蜘蛛型ラルヴァが展開しづらい平坦な地形であることを考慮し、四つの中では最も突破確率が高いルートとされ、自衛隊などの非異能力者も含めて最も多くの人員を投入していた。  だが、 「は、ハンドルが利かない……!?」  市街に進入して間もなく全ての自衛隊車両がその制御を失い迷走し始めた。  ある車両は本来の最高速度を上回る速度で壁に激突し、ある車両は縦に何度も回転し、またある車両は河川に沈んだ。  同伴した自衛隊はほぼ全滅状態だった 「どうなってんだ、こいつは?」  僅かに残った無事な車両――対異能コーティングが施されたジープを運転していた上尾慶介は怪訝そうに呟いた。 「電子機械のコントロールか? 違う、むしろ車輪に何か細工されたみたいだったな」  まるで、車輪の“回転”そのものをどうにかされてしまったような。 「上尾さん! 無事ですか?」  停車した彼のジープに五人の人影が近づく。身体強化特化パーティ、久留間戦隊だ。 「お、久留間か。お前らのほかに無事な連中は?」 「異能力者組は負傷者も出ましたけどまだいけます。でも自衛隊の方はさっきの攻撃で死傷者が多すぎて……」 「攻撃? やっぱこいつはラルヴァが仕掛けてきた攻撃か?」  上尾の質問に久留間はゆっくり首を振って否定する。 「これはラルヴァの攻撃じゃありません、この攻撃を仕掛けてきたのは……」 「――俺やなあ」  軽い関西弁が聞こえた直後、彼らの前方から巨大な車輪が高速で転がってくる。  否、それは車輪ではない。それは――水車だった。 「なっ!?」  数秒で眼前に迫ってきた水車を上尾はジープを急発進させ辛うじて回避する。  しかし、水車はすぐさまUターンして後方から追ってくる。 「久留間戦隊、アタック!」  久留間の号令を受け久留間戦隊のメンバーが四方から水車を攻撃し一人一撃の計四撃で高速回転する水車を木っ端微塵に砕く。 「はぁん? なんや、御付きの人らも結構強いやないか」  水車を砕かれて声の主が姿を現す。  目元まで隠れたニット帽と、複数の金属ディスクをぶら下げたジャケット、背中にギターケースを背負った大道芸人か何かにしか見えない男。  今の水車による攻撃と、自衛隊の部隊を壊滅させた張本人。  “聖痕《スティグマ》”の工作員、回転する黄金軸《スピニング・スピンドル》のスピンドル。 「やっぱりあなたですか。でも、どうして?」 「そら俺らはラルヴァ信仰の“聖痕”やからな。ラルヴァを護るために働くこともあるわ」  建物の陰から数人の人影が姿を現す。  いずれも“聖痕”の構成員、戦闘型異能力者だ。 「で、どうするんや? 俺らは人間相手のドンパチ慣れとるけどあんたらはそうやないやろ。蜘蛛の前に俺らと戦うか?」  スピンドルは尋ねつつ、自らの魂源力を彼女らのすぐ傍のマンホールの蓋に浸透させる。  スピンドルの魂源力と回転指令を受け取った蓋は高速で回転し、ジープの後部座席に搭乗した女子生徒の頭部へと跳ね飛ぶ。  マンホールの蓋が人の頭部など軽く粉砕する速度と重量で彼女に迫り、 「或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害」  見えない壁――結界に弾き飛ばされた。  不意打ちを防がれ僅かに眉を顰めたスピンドルに笑みを含めた声がかけられる。 「戦うかですって? そんなのはじめから決まってるわ」  その声は上尾のジープの後部座席から発せられた。  上尾慶介は本来Team.KAMIOと呼ばれるパーティのリーダーであり、普段彼が運転するジープにはパーティメンバーである炎輪使い、サイコキノ、氷結能力者の少女たちが同乗している。  しかしこの作戦にあたり、彼は普段のメンバーではなく他の異能力者を乗せる役目を担っていた。彼がジープに乗せ、ここまで運んできた異能力者とは 「対人戦闘喜んで♪」  かつて醒徒会に反旗を翻したテロリスト。  黒井揚羽と九十九唯の二人である。 「は?」  揚羽の返答にスピンドルが疑問符を浮かべるより早く揚羽が髪を風に流すと、その髪から奇妙な光の粒子が放たれた。  スピンドルは自らに迫る光の粒子に悪寒を覚え、回避する。  直後、スピンドルの後方にあった樹木が一瞬で枯れ、凍り、崩壊していった。 「……これ、当たったら死ぬんちゃうかな?」  黒井揚羽の異能『モルフォ蝶の燐粉』。  その古代蝶の燐粉は電子機器を狂わせ、触れた者の水分を完全に奪い去り気化冷却により凍てつかせ崩壊させる。  無論、生身の人間に使えば必殺となる攻撃である。 「条件付きってのは気に入らないけれど、能力の制限も解除されて久々の大暴れよ。“聖痕”ってところにも私達の力を見せ付けてあげるわ♪」 「頑張ろうね揚羽ちゃん!」  そして彼女たちはノリノリで必殺を人間に使う気である。 「じゃあ、あたしたちもやろうか」 「「「「了解」」」」  揚羽らに加え、久留間戦隊も戦闘に加わる。  さらには、 「危ねーわね。危うく星条旗じゃなくて日の丸の車の中で死ぬとこだったわ。でも流石に頑丈だわね、日本車」  横転した自衛隊車両のドアを蹴り破るカウボーイブーツ。  車中の少女はその勢いのままクルリと回るように飛び出し、金髪のツインテールを揺らして地面に立つ。  そして眼前の“聖痕”の構成員を睥睨しながらこう言った。 「で? やったのどいつ?」  双葉学園きっての対人戦エキスパート。銃の風紀委員長、山口・デリンジャー・慧海――デンジャーが参戦した。 「……俺、信仰心薄いほうやけどあんたらに比べたらラルヴァが神様に見えるわ」  愛用の銃を握った彼女の笑みは、ひどく邪悪だった。  かくして網里町では一方的な戦いが始まった。  別れ谷――上空  天蜘蛛はジャンボ旅客機に倍する巨体をもつ蜘蛛型最大のラルヴァである。  普段は雲の中に棲み空気中の水分を食んで生きているが、体の維持に必要である動物性タンパク質が欠乏すると雲と地上の間に結界とも言える魂源力を帯びた鋼糸の巣を張り、大小の鳥類、ラルヴァ、果ては飛行機を捕らえて捕食する。  どのようにしてその巨体を雲の中に置き続けているのか、雲と地上の間にどうやって巣を張るのか、生態に謎の多いラルヴァであるが今の問題はその生態ではない。  天蜘蛛が別れ谷の上空から別れ谷の周囲を囲う蜘蛛の巣状の結界を張っていることが問題だった。これではヘリなどでの輸送はできず、住民を連れて脱出しようとしても上空の天蜘蛛が見逃さないだろう。  救出作戦を成功させるために天蜘蛛の排除は必須条件だった。  初めは自衛隊の地対空誘導ミサイルと遠距離砲撃型の異能力者による攻撃がなされた。しかしどちらも鋼糸結界に阻まれ天蜘蛛本体には攻撃が届かず、失敗。  次いで自衛隊のF35―ライトニングⅡによる近接攻撃が試みられたが、失敗した。  だが、結界に接近したF35のパイロットの証言が一筋の光明をもたらした。  証言によれば天蜘蛛の鋼糸結界には人間大の隙間がいくつも開いていたという。  つまり、飛行能力をもつ異能力者ならば鋼糸結界の中に潜り込み、天蜘蛛本体を攻撃できる。  双葉学園は臨時の空戦部隊を組織し対天蜘蛛攻略作戦を開始した。  まるで飛行機雲のように空に十色の光のラインが曳かれる。  それは“魔女”の箒の先から流れる魂源力の光だ。  ――魔女。数少ない飛行能力者にして特定のアイテム・箒を使うことで天空を翔ける少女たち。彼女らはその箒に自身とパートナーであるガンナー、あるいは“乗客”を乗せ、別れ谷上空を我が物とする天蜘蛛へと向かっていた。  双葉学園の魔女式航空研究部、通称『魔女研』の十五人の魔女のうち、別れ谷に派遣されたのは十名。加えて五名のガンナーだ。メンバーは新米魔女とガンナーのチームが五つ、そして先輩の魔女が五人。  魔女研の部長をはじめとした四人の魔女は今も学園の防空を担当しており、副部長である柊キリエは先日の戦闘による負傷からまだ復帰していない。 「こちらガンナーレッド。モバイルの表示だと鋼糸結界到達まであと二分です」  それらの事情からこの作戦における現場指揮官となったガンナーレッド、久世空太が作戦指揮所にいるキリエに報告する。 『了解した。  みんな、聞いてほしい。今回の相手は君達がこれまで戦ってきたラルヴァの中では最も巨大で、強大だ。  同時に、最も遅い。【コルウス】のような翼はなく、飛ぶこともできない。分厚い結界に護られて空からぶら下がっているだけだ。そんなものに空を占領させ続けるわけにはいかない。  そして、君達ならたとえどれだけ巨大でもそんなものには負けない。そうだろう?』 「はい!」  キリエの言葉に赤い魔女、瀬野葉月が答える。他の魔女やガンナーも一様に力強く肯く。  そして彼女らは鋼糸結界の隙間を潜り抜け、天蜘蛛との戦闘に突入する。  同時に、先輩魔女の箒に跨っていた乗客が箒から飛び降りる。 「ただ垂直に宇宙を目指して飛べばいいのとは違って空を高速で飛びまわるのは重力のせいでちょっとやりづらいからな。運んでくれて助かったよ」  宙間戦闘能力を有するサイコキノ、一番星ヒカル。 「お陰で変身時間をフルに使える! いくぞシュン! 合体変身!!」  鳥類との合体変身能力者にして二階堂兄弟の次男、二階堂待郎。  彼らに続いて双葉学園の生徒や他組織の異能力者が箒から飛び立ち、天蜘蛛に攻撃を開始する。  対する天蜘蛛も巨大な脚を振り回し、鋼糸をばら撒いて迎撃する。  別れ谷上空での激闘が始まった。  最南方――作戦指揮所  網里町の入り口よりさらに1キロほど南に軍用テント――別れ谷作戦の指揮所が設営されていた。  本来ならば別れ谷の女王蜘蛛を監視するための施設が網里町の中にあったのだが、そこは蜘蛛型ラルヴァの襲撃と同時に壊滅している。その代用に急ごしらえした作戦指揮所がこの軍用テントだった。  軍用テントは普通のテントとは比べるべくもないサイズではあるが、複数の端末や計器が並んでいるので随分手狭になっている。情報の整理に当たっている担当員たちもどこか窮屈そうにしている。  先ほどから作戦指揮所には多くの情報がもたらされており、それらの情報は東西南、そして上空での戦闘に関するものだ。 「状況はどこも膠着しているようね」 「はい」  指揮所に置かれた作戦デスクの傍で生徒ではない、二人の成人女性――双葉学園の生徒課長の都治倉と教師の春奈・C・クラウディウスが言葉を交わす。 「今回は多くの人命がかかっているから自衛隊も協力的だけど、それでも上手くはいかないものね」 「東は幼体まで投入した数で防衛する作戦のようですからどうしても手間取りますし、西は地形を利用したゲリラ戦を仕掛けられてます。上空の敵は天蜘蛛だけですけどかなりの大型ラルヴァですから手こずってるみたいです。それに南には“聖痕”が介入を……」 「何とかなるでしょう。あの娘に加えて先日の事件で醒徒会と五分に戦った七人のうちの二人、おまけに久留間戦隊もついているんだから」 「そうですね。けど、あたしの能力が使えればそこを突破口にできるかもしれないのに……」  春奈の視線は作戦デスク上の地図に描かれた不倒山に向けられている。そこには彼女が受けもっている高等部1Bの生徒が多く参加していた。 「駄目よ。あなたの役目はいずれかの部隊が防衛網を突破した後にあるわ」  春奈は対ラルヴァ用イージスシステムとも言うべき異能の持ち主であるが、現在はある事情からその異能『ザ・ダイアモンド』を温存させられていた。 「わかってます、今は心配することしかできないんですね……」  春奈は堪えるように下唇を噛んだ。  彼女たちが話している間にも戦況は少しずつ動いている。  数の不利、サイズの不利はあったが全ての戦線で五分以上の状態を保っている。しかし、五分から大きく動くこともない。決して負けてはいないが押し切れもしない。  ただ、一ヶ所を除いては。 「……?」  指揮所の学園生スタッフの一人であり、ラルヴァ限定の神眼ともいえる異能『位相界の眼』を使い、ラルヴァの位置情報を見ていた覘弥乃里は北の垂芽川のラルヴァ反応がおかしいことに気づいた。弥乃里から情報を受け取り処理していた四方山智佳もまたそれに気づく。 「それにしても、つい最近北海道で蟲型が大量発生したばかりなのにここでもまたこれだけの数が出るなんてね。その前には時留蜻蛉の事件もあったし、ここまで大きな騒動が続くといい加減疲れてくるわ」 「このまま規模が大きくなったらいずれ<ワンオフ>が出てくるかもしれませんね」 「歳之瀬先生みたいなこと言わないで。もしも」 「北、垂芽川付近のラルヴァに動きがありました」  都治倉と春奈の会話は止め、『位相界の眼』が感知したラルヴァの反応を映すモニターへと目を向ける。  そこにはほんの一分前まで二百近いラルヴァの反応があったが、今は唯の一つしか光点は映ってなかった。  北――垂芽川  垂芽川は北にある湖を水源とし南へと流れ、別れ谷の手前で東西に分かれ東の不倒山の麓と西の爬蔵森の中を通り、二本の分流は下流の網里町付近でまた一つになって海へと流れていく。  上空から見るとちょうど垂芽川が別れ谷を囲う地形になっている。  源流である北の垂芽川の川幅はおよそ百メートル。  フナやコイなどの魚類が多数生息していたが、事件が起こってからはその生態系も一変している。  アメンボの如く水上を滑る水蜘蛛など水場での戦闘に特化した蜘蛛型ラルヴァの配置が確認され、水中戦を強いられれば苦戦は避けられないと考えられていた。  だが、 「川が……ありませんね」  双葉学園醒徒会の副会長である水分理緒は目の前の光景を見て困ったように頬に手を当て、首を傾げた。  彼女は今回の作戦において動員された二人の醒徒会役員の一人だった。彼女の役目は水をコントロールする異能を駆使しての水棲ラルヴァの全滅。さらには垂芽川を一時的に割り、あたかもモーゼの奇跡のように異能力者部隊に垂芽川を通過させることだった。  しかし、当の垂芽川は消失しており、川が流れているはずの場所には代わりに ――半径1キロほどの原生林が広がっていた。 「なんで川が森になってんのよ? そりゃ水の中に入らなくて済んだのはいいけど、いくらなんでもおかしいわよ」 「この地図不良品? 図書券もらえるかしら」  垂芽川方面部隊のメンバーもあまりに前情報と違う風景に疑問を抱いている。まさか川が森になっているなどという状況は想定外でどう対処すべきかもわからなかった。 「作戦指揮所へ、聞こえますか? 垂芽川方面部隊の水分です。  垂芽川に到着したのですけど、なぜか川がなくなって森になってるんです。ラルヴァの姿も見当たりません」 『こっちでもラルヴァの消失は確認しました。ところで水分さん、森ってなんですか?』 「その、まるで南米かどこかのジャングルにしか見えない森が川の代わりにあるんです」  水分はそう言ったが川は流れている。ただし、上流から原生林に流れ込んだまま決して、下流に流れてこないのだ。 『ジャングル……智佳さん、少し調べて欲しいのだけど』 『もう調べてあります。三分前にナンバー59の監視エリアからナンバー59が消失。垂芽川付近の衛星写真と監視画像で原生林を比較、98.62%一致しました』 『そんな……!?』 「先生?」  指揮所の動揺が通信モバイルから伝わってくる。この森に……何かあるのか。 『水分さん、単刀直入に言います。垂芽川方面部隊は作戦を中止して撤退してください』 「ですが……」 『その森を刺激しないで撤退して!』  森を刺激するなと春奈は言った。  だが、その忠告は遅きに失した。  何十人という異能力者、それだけの魂源力が近づくこと自体が既に森を刺激していた。  ここに集まっていた二百体の蜘蛛型ラルヴァのように。 「この音、なに?」 「……獣か?」 「動物が吼えているみたい……」  それまでは静寂そのものだった眼前の森の中から、唐突に無数の野獣の鳴き声が轟く。 『感あり! 森の中にラルヴァの反応……一万、二万……さらに増加中!』 『生存に必要な生活圏が明らかにあの森の面積を超えているわ。やっぱり学説どおりあの森は見かけだけの入り口で内側に異空間でもあるのかしら。何にしろ……、あれの口が今開いた』 『水分さん!!』  人々の驚愕を嘲笑うかのようにさらなる超常現象が起きる。  森が――動き出した。  ゆっくりと歩くような速さで水分らへと近寄ってくる。  その森の中には、昼間だというのに幾つもの獣の眼が赤く輝いている。  餌が森に放り込まれるのを待っているかのように。 「そういうことですか。川は……そこにいた蜘蛛ごと飲み干されてしまったのですね」  得心したように、されどかすかに苦い顔をして水分はため息をついた。 「水の中の方がマシ、だったかもね」 「副会長。この森はまさか……」 「――<ワンオフ>」  カテゴリービースト中級Cノ3  <ワンオフ>登録番号LⅨ――【武装森林《グルジオラス》】  ある一点をターミナルとしながら、空間移動で世界中を不定期に移動する旅する大地。かのエンブリオ同様に無数のビーストラルヴァを内包する――環境型ラルヴァである。  グルジオラスは垂芽川の水流・霊脈に混ざった水棲の蜘蛛型ラルヴァの大量の魂源力を感知し、自らと内部のラルヴァの腹を軽く満たすために二百体の蜘蛛型ラルヴァを捕食すべくこの垂芽川に出現したのだった。  そして、グルジオラスは次なるターゲットを自らに近づいてきた人間たちに定めた。 「……作戦指揮所へ、わたしたちはこれからグルジオラスを引きつけてここから離脱します」 『!』 「このままここにグルジオラスを放置すれば最悪別れ谷に向かいます。そうなれば……別れ谷に捕らわれている人々の命が危険にさらされてしまうでしょう。  ですから、わたしたちがグルジオラスを引きつけて別の安全な地帯へ誘導します」 『待って! 水分さ』  水分は手にしていた通信モバイルの電源を落とし、作戦指揮所からの返答を遮った。 「……すみません、勝手に決めてしまって」  彼女は部隊のメンバーに向き直り、頭を下げた。  ほとんど彼女の一存で部隊全体を危険にさらす決断を下してしまった形だが、部隊のメンバーにそれを非難する様子は無かった。 「ま、仕方ないわよ。ただ逃げるよりは随分ましな選択だわ」 「そうね。それに、もう目をつけられたみたいだし」  他のメンバーも口々に言葉を発するが、いずれも水分の決断を肯定するものだった。 「みなさん……」 「で、どっちに誘導するの副会長?」 「北へ向かいましょう。あの場所に辿りつければ勝算はあります」 「OK。ちょっとした遠足になりそうね。けど」 「ただ引き付けるだけでは済まないようだ」 「らしいわね」  メンバーの一人の女子生徒がその身体の一部、爪を猫のそれのように伸ばし水分の右方の空間を貫いた。  さらに一人の男子生徒が硬質化した拳を左方の空間に叩きつけ、また別の女子生徒が水分の後方に火柱を巻き起こす。  そして、三方から水分を狙っていたビーストラルヴァは刺殺・殴殺・焼殺されて息絶えた。 「少し、激しい運動をすることになりそうですね」  否、四方。真上から水分を狙っていた鳥型ラルヴァは水分の放った水弾で撃墜されている。  部隊のメンバーはビーストラルヴァの出所、グルジオラスへと目を向ける。  視線の先では……グルジオラスの中のビーストラルヴァが少しずつ森の外へと姿を現し始めていた。  最南方――作戦指揮所  指揮所は重苦しい空気に包まれていた。  <ワンオフ>との遭遇。それがどれほどの事態か真に理解している者は半数といなかったが、理解した半数の表情と水分との通信の途絶が知らぬ者にも深刻さを伝えていた。  その中で、春奈は作戦デスクの上の地図を凝視していた。 (グルジオラスは足が速いラルヴァじゃない。誘導しながらの防御戦闘に徹すれば、水分さんなら大丈夫……)  別れ谷の北では水分達がグルジオラスと戦っている。東でも、西でも、南でも、空でも、双葉学園の学生達が、彼女の教え子達が必死に戦っている。教師である自分がただ心配するだけでいいわけがない。自分がすべきは――。 「水分さんのおかげで北の障害は消えました。那美さん、突入部隊の準備はできてますか?」 「できてるわよ」  春奈の問い掛けに春奈と同じく双葉学園の有する数少ない成人異能力者の一人であり一級の戦闘系異能力者である難波那美が答えた。  突入部隊。それがこの二段構えの別れ谷作戦の二段目だ。  東西南北から攻め入ると同時に、制空権を奪っている天蜘蛛を空戦部隊が攻撃。  五方のいずれかに穴が開いたならそこから六番目の部隊、突入部隊が方面部隊の残存戦力と共に別れ谷に突入。人質の救出を行うと同時に、首魁である女王蜘蛛を討滅する。  春奈の役割は完全に相手のテリトリーであり、最も苦戦を強いられるであろう別れ谷の内部で突入部隊の指揮を取ること。彼女の能力があれば相手のテリトリーの中であろうと五分で戦える。 「私とミナに、時坂君、皆槻さん、結城さん、八島さん、伊万里さん、龍河君とあなた、それに外部のフリーランサーを加えた計十人。これが突入部隊のメンバーよ」  双葉学園の中でも戦闘能力に特化した『荒神の左手』の那美とミナ、永劫機メフィストフェレスのマスター時坂祥吾、『ワールウィンド』の皆槻直、生徒会役員の一人である龍河弾。治癒能力『ペインブースト』の結城宮子。攻撃と治癒双方の能力を発揮できる八島キョウカ。周囲の人間に迫る死の危険を察知できる『アウト・フラッグス』の巣鴨伊万里。そして対ラルヴァイージスシステムとも言うべき指揮能力『ザ・ダイアモンド』の春奈。  彼女らが双葉学園の選出した別れ谷内部への突入メンバーだった。   「北の部隊と合流することはできません。けど、今を逃せば防衛網が復活するかもしれません。だから……」 「これより……別れ谷突入作戦を決行します!」  ・・・・・・  私こと語来灰児が資料を読んでいると、地響きが私の体を揺らし爆音が耳を打った。  耳を澄ませば幽かに人の声やラルヴァの断末魔が聞こえる。 「……双葉学園が救出作戦に乗り出したか」  戦闘の音は東西南北の四方から……いや、上空も加えて五方から届いてくる。どうやら五つの部隊による包囲制圧作戦を選択したようだ。  それと、推測だが別働隊としてこの城への突入部隊もあるだろう。  やり方としては間違っていないし、双葉学園の戦力をもってすれば可能だ。ただし一つ問題がある。  この別れ谷の城への侵入は周囲の制圧とはわけが違う。  なぜなら巣を張り待ち構えることこそが蜘蛛の真骨頂。  地形全てが蜘蛛の巣であるこの城は蜘蛛にとってのホームであり、人間にとって完全なるアウェー。内部での戦いは熾烈を極めるだろう。  しかし双葉学園もさるもの。その程度のことは読んで対抗手段を用意しているだろう。  何にしても。 「彼らがここに辿りつくまでに済まさねばなるまい」  私は三日前から女王蜘蛛の城にいる。  運が悪かったのか、良かったのか。起こるべくして起きたと言うべきか。あるいは自業自得か。  二百年に一度の女王蜘蛛の産卵の儀式。過去の文献や星の位置などで大まかな日取りを調べ、可能ならば拝見したいと網里町を訪れ、蜘蛛による住民の『集団誘拐事件』に巻き込まれた。  かくして町にいた私は三日前に網里町の住民と一緒に蜘蛛型ラルヴァによって捕らえられてしまった。もっとも、今は捕らわれていた部屋からは出ているのだが。 「さて、と」  確認のために携帯端末をチェックすると、私の端末にも作戦についての大まかな概要くらいは入っていた。ひょっとすると姿はなくてもラルヴァ研究のために同伴していると思われたのかもしれない。  やはり作戦は五方からの同時制圧作戦と突入部隊による住民の救出及び女王蜘蛛の撃破だ。もう突入部隊は動き出しているらしい。 「急ぐか」  丁度立ち上がったとき、爆発による地響きが城を揺らし、私はよろめいて壁に手をついた。岩の感触があるが、これは岩ではなく蜘蛛の糸だ。【岩蜘蛛】という名のラルヴァが分泌する糸は空気に触れると岩のように硬質化する性質がある。  壁は滑らかな平面に仕上げられており、城の通路もまた滑らかに平らで、床・壁・天井で正確な四角形を描き、壁面に細工が彫られている。【火遼鬼】の住処に似ているが、こちらの方が洗練された印象を受ける。何より驚くべきはこれが全て蜘蛛の糸で出来ていることだ。  岩蜘蛛は糸を使って崖の壁面に袋状の巣を作成する。この城もまたそうして作られている。そして多数の岩蜘蛛を使い、時間をかけて作られたため城のサイズは通常の巣と桁が三つ四つ違う。なにせ谷が三分の二ほどこの城で埋まっている。(別れ谷の外部からは城が見えないようにカモフラージュしていたようだが)  これだけの城、外で戦うラルヴァの数、流石は蜘蛛の王と言ったところか。支配力は人間の王侯貴族かそれ以上だろう。いや、人望か。 「惜しいな……」  私は心中の感想を吐露して、城の中枢に向けて歩き出した。

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