【皇女様と猫 後編-Bパート】

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[[ラノで読む(前後編通して)>http://rano.jp/1278]] [[Aパートに戻る>【皇女様と猫 後編-Aパート】]]  学園の中心、白樫の樹の下に座る春奈の異能を介して、『血塗れ仔猫』と『|金剛の皇女《ダイヤモンド・プリンセス》』、遠く離れた二人は会話をする。既に二人の距離など、何の問題でもない。 「あら、私をご指名?……ふふ、人間の思考って、こうやればいいのよね?」 「うん、ちゃんと聞こえている……こっちの声も、聞こえていればいいんだけれど」 「聞こえているわよ。あの子が言っていたわね、春奈せんせー……だったかしら?」 「こっちは、あなたも『立浪みき』って呼べばいい? それとも……」 「『血塗れ仔猫』のままでいいわよ、ふふ、私にぴったりの名前……名付け親に、感謝しなくちゃ。お礼に、全身の血を流して死んでもらおうかしら? それとも、全身バラバラの方がお望みかしら、ねえ、どっちが素敵だと思う?」  本来、春奈の異能ではラルヴァと意思疎通を図ることは不可能だ。それは、ラルヴァが人間と異なる思考形態を持っているからだと考えられる。  つまり、逆説的に言えば『人間と同じ思考形態で考え事をしているラルヴァ』なら、意思疎通が可能なのだ。知能レベルA以上のラルヴァ相手には、たまに成功する……そして今回は、血塗れ仔猫が興味本位で乗ってきた、春奈にとっては最高の展開だ。  ……好奇心は、猫をも殺す。血塗れ仔猫にとっては、余興のつもりなのだろう。だが春奈は、『楔《くさび》』を打ち込む機会を、虎視眈々と狙っていた。 「……あたしの教え子は、かえしてもらうよ。そしてあなたは、あなたがやった事の報いを受けるの」 「ロクに戦える力も無いのに? お笑いね。だいたい、あの子が七人もの人間を殺したのは、言ってみれば『宿命』よ? 回避なんて不可能な、ね」 「立浪さんにも、そう言ったんだよね。何度も何度も、しつこいくらいに。だって、彼女が起きたままじゃあ、いつまでたってもあなたが自由にならないから」  ある対象の肉体を操る、もしくは乗っ取る異能者、ラルヴァの手法は、いくつかのパターンで区分される。意識喪失状態の身体を勝手に操る。対象の精神活動を極度に低下させて、それに成り代わる、対象の弱みや欲望につけ込み間接的に操作する、無意識下に行動原理を刷り込む、等が代表的な例である。『お願いしてやってもらう』という特殊な異能を持つ者も居るが、例外と考えていいだろう。  血塗れ仔猫のやり口は、恐らく二つ目の物だろうと推測した。立浪みきの精神状態を極度に不安定にし、その後で身体を乗っ取る。  『それ』が何故産まれたのかは分からない。異能と共にその『怪物』の資質まで遺伝してしまった、多重人格的な物なのか。外部から漂流し、立浪みきに憑依した精神体とでも言うべきものなのか。しかしそれは、大した問題ではない。問題は、『血塗れ仔猫』が『立浪みき』の身体を乗っ取ろうとしていることであり、希望は、まだ完全に乗っ取られておらず、本来の力を発揮できていないことだ。 「……さあ、何の事かしら」  血塗れ仔猫が、とぼけたような声を出す。それは肯定を意味するのか、否定を意味するのか。 「しつこいよね、『宿命』とか……なら、あなたは、自分の『宿命』は、知っている?」 「そんな物、あるわけ無いじゃない。あの子じゃあるまいし……あえて言うなら『他の何かを殺すこと』かしら? だって楽しいじゃない、弱い奴をひねって、引き裂いて、潰して、自分は強いんだ、って感じるの。分からないかなぁ……?」  嘲《あざけ》るような声が、春奈の頭の中に響いた。それをさらに煽るかのように、血塗れ仔猫の言葉は続く。 「そうそう、あの子に何度か言ってあげたのよ。『妹と先生、次はどっちがいい?』って。そしたらあの子、気が違ったみたいに『やめて、やめて』って泣いて懇願するの。可笑しいったらありゃしない。せっかく選択肢をあげてるのに、見向きもしないの……まあ、それも飽きてきちゃったし。いい加減ウザくなってきちゃった」  ぎゅ、と春奈の手が握られる。言いたい放題言わせるのも、もうそろそろ終わりだ。 「どっちも選ばないから、両方殺してあげるの。あなたはここからちょっと遠いところに居るみたいだから、後回しにするけど……怨むなら、立浪みきを怨むといいわ。まあ、どっちか選んだところで、散々それで責めて、最後にもう片方も殺しちゃうのは変わらないけど。そしてあの子の目の前で、何度でも何度でも、殺してあげるの。殺されるほうは知らないけど、やってる方は楽しいわよぉ?」  にやり、と血塗れ仔猫の顔に笑みが浮かぶ。それは、彼女だからこそ出来る表情であり、他の者がやっとしたら、正気を疑われる。そういう類の、恐ろしい笑みだった。 「あの子、弱っちいくせにしぶとさだけは一人前なんだもの、あの七人の叫びを何度聞かせても何度聞かせても、全然消えようとしやしない。だから、最後の一押しに使うの。立浪みくや、あなたの声はよく効くでしょうね。あの子が守ろうとした声、あの子を守ろうとした声が、一斉に悲鳴をあげるの。ふふ、想像しただけでゾクゾクしてきちゃう……その後は、私を追い詰めたヤツラに、逆襲するの。自由になった私が、人間なんかに負ける筈ないもの……せいぜい他の人間に教えてあげたら? 無駄だろうけどね、フフフ、アハハハハ……!!」  自らの意思を高らかに宣言し、それに酔い、笑いが止まらない、といった様子の血塗れ仔猫。それとは対照的に、墨で塗ったかのように無表情一辺の表情を見せている春奈、彼女が口を開く 「言いたいことは、終わった?……なら、教えてあげる、あなたの『宿命』を」 「未来でも読むっていうの? あなたに、そんな力があるっていうのぉ? ただでさえルール違反の異能を持っているっていうのに。それを複数も持ってるなんて。まるでラルヴァじゃない、あなた」  その一言を無視し、春奈は宣言する。 「『血塗れ仔猫、あなたは、あなたが手にかけた七人によって、死ぬことになる』」 「……はぁ? あいつらが、私をぉ? そんな馬鹿なこと、出来るわけ――」  呆れたような血塗れ仔猫の呟きは、春奈の感情が無い声によって遮られる。 「ないと、思う?……あなたの種族にはできないかもしれない。でも、あなたと違うラルヴァにはある事もあるし、あたしたち……人間の中にもある。万が一、あなたが立浪みくや、あたしや、これから来る追っ手を倒せても、あなたが殺した何人もの人の怨みだけは、受けなければいけない」  じり、と、血塗れ仔猫が一歩引いた感触が走る。無論、実際の距離は遠く離れており、『それ』がどんな動きをしたかは分からない。だが、精神的には確実に、一歩引いた。恐らく初めて聞いただろう、まったく感情がこもらない声と、意図は分からないが、何か恐ろしい事が起こる予兆を告げる声を前にして、気圧された……というよりは、不気味に思ったのだろう。 「あ……あんな弱い力しか持ってない、私に閉じ込められても抵抗する力なんてまったく無い、そんなヤツラが、何か出来るっていうの!?」  精一杯の威勢も柳に風といった形で、春奈は続ける。 「あなたが追っ手に負け続けたのは、本当に立浪さんが心の中に残ってて、邪魔してただけ、だと思う?……戦っている時に、鞭を振るう手にべたり、と髪の毛が這う感触や、踏み込む足にわさわさと、小さな手がいくつも這い回る感覚、そんな物が無かった、って言い切れるかな……それは、身体に這い回っているんじゃなくて、魂を掴まれているの、そしてあたしを殺したとしても、今まで話した事、今から話す事を忘れることは一生できない。人間には、死後の執念っていうのがあるの。怨みを持たれるような殺し方をしたり、悪いことをしたりした人には、死のうと生きようと、いつまでも、いくらでも、怨みに来る」  血塗れ仔猫がこれまで保ってきた威勢が、消えた。ぞわりと毛が立つ感覚を、隠すこともできない。 「だから、あなたはこれから毎日毎夜、そんな死人からの死刑執行を受け続けて、苦しまなければいけない。目に見えない男の子の手に髪の毛を掴まれ、少女達の力の無い手に手足をしっかりと握られて……大島姉妹の手に握られてる力の入ってないロープで、ゆっくり、ゆっくり、首を絞められなきゃいけないの」  また、血塗れ仔猫が一歩引く。その分、春奈は一歩進む。無論それはイメージであり、春奈はずっと白樫の樹の下に座っているだけである。だが、血塗れ仔猫の方は、本当に後じさったかもしれない。 「もしこれが、実体のある物だったら……手を縄で縛られたのなら、引きちぎることができる。足を誰かに組み付かれたのなら、蹴っ飛ばすこともできる。牢屋に入れられても、あなたなら扉を破って出ることだってできる……それでも、魂を捕らえられたら、絶対逃げることはできない。あなたの魂があなたの物である以上、どこまで行ってもついてくる。たとえ、あなたがこの星を抜け出したとしても。そして捕まえてるその手は、あなたについてくる影とおんなじ、力のこもらない手……もうあなたの魂は、その手に掴まって、もがくだけ」  春奈の口が、止まった。  さわさわと芝生を撫でる風の音と共に、ぎし、と何かがひび割れる音が聞こえたような気がする。彼女の近くにある樹ではない。彼女の軽い身体ぐらい、この樹ならいくらでも支えてくれるだろう。 「……そ、そんなもの……いくら来たって、返り討ちにしてやるわよ……!!」  血塗れ仔猫が、心持ち震えたような声で呟く。 「……立浪みくを殺したら、次はあなたよ。せいぜい震えてなさい……!!」 「そしたら、見えない手が四つぐらい、増えることになるだけ……言っておくけど、あたしの怨みは、強いよ?」  血塗れ仔猫は、そこで考えることを止めた。ぷつり、と何かが切れる音と共に、血塗れ仔猫が再び移動する様子を感じる。  最後に、こらえていた感情を全てこめたような声で、叫ぶ。 「立浪……みきさん、頑張って……!!」  もちろん、春奈に未来を予言するような異能は存在しない。いわゆる『魂を操作する』ような力も無い。先ほどまでの口上も、四分の三世紀以上昔の怪奇小説から持ってきたもの、ほぼそのまんまだ。彼女の異能は、純然たるテレパシー、ただ一点である。だが、テレパシーだからこそ可能な芸当もある。  技能が未熟、もしくは制御不可能な精神感応能力を持つ異能者は、『聞きたくない心の声を聞いてしまう』、『聞かれたくない考え事が外に出てしまう』といった事態に陥りやすい。空気を介して伝わる音声ならば、耳を塞ぐことで『聞かない』ことができる。だが、上記のように未熟な共感能力者《エンパス》が聞いたり、精神感応能力者《テレパス》が送ったりする、いわゆる『心への声』は、決して耳を塞ぐことができない。心を閉ざすことが出来れば可能かもしれないが、それは殆どの場合、自己表現の停止に繋がる。  春奈は、それを使って血塗れ仔猫へ、|意識下への刷り込み《サブリミナル》を行った。心の中へ投影する声《テレパシー》は、やもすれば自分の考えそのものだと誤解することもある。そこまで行かなくとも、テレビ放送の間に画像を差し込むだとか、そういった物よりはるかに効果的なのは明白だろう。無論、春奈の異能では表層意識までしかアクセスできず、心の奥底に何かを刻み込む力……放送委員長や、聖痕《スティグマ》の『黒き魔女』といった、いわゆる『洗脳を本職とする異能』には及ぶべくも無い。当人にスルーされてしまえばそこまでだ。  しかし、これで『楔』は叩き込んだ。血塗れ仔猫は、これまで七人を殺したという『自覚』がある。そこに良心の呵責を感じているとか、そういうのは初めから期待していない。彼女が刷り込んだ『殺した相手が、怨みに来る』という暗示で、まだ心の中に残っている立浪みきが、また、血塗れ仔猫と対峙する立浪みくや遠藤雅、そして醒徒会の面々が行う戦いは、少しは有利に……もしかしたら、決定打となるかもしれない。春奈は、それを期待した。  彼女が直接出来るのは、せいぜいここまでだ。後は、実際に対峙する人々に全てを任せるしかない。  身体を、白樫の樹にもたれさせる。一月以上もの間、異能を全力で展開させてきた反動で、体力も、集中力もほとんど底をつきかけている。血塗れ仔猫との対話で、残っている分も殆どを使い切った。それでも、もう少しだけ頑張らなければならない。 「……醒徒会のみんな、聞こえる? 目標を捉えたよ。場所は双葉山展望台、立浪みくさんと、遠藤雅くんが居る……早く行って、決着をつけてきて」  一息つこうとするが、何か重要な問題を思い出したかのように跳ね起きる 「……藤神門さん、聞こえる? 例のものは届かなかったけど、他に出来ることは全部やった……後は、お願い」 『うむ、任せておけ……最後は、私が決めなければならないのだな』 「……ごめんね」 『いや、これが醒徒会長としての役目なのだ……一時間もすれば、全てが終わると思ってくれ』 「わかった、その方向で進めるね」  醒徒会実働メンバーへの連絡を終えた春奈は、続いて醒徒会の残る一人へと話しかける。 「成宮くん、そろそろ準備お願い。『あと一時間で終わる』」 『りょーかい、こんだけの餌だ、大物がバカバカ釣れるだろうぜ』  その連絡を終えた春奈は、今度こそ樹に持たれかかって、目を瞑る。もう頭を働かせる体力は残っていない、異能を使う気力など微塵も残っていない。意識が風に乗って、あっという間に拡散していく。沈みながら広がっていく意識の中で、妙な思考が生まれた。 (……魂って、何だろ?)  魂源力《アツィルト》の字の中に『魂』という漢字が入ってはいるものの、魂そのものについては諸説あり、これといった定説は出ていない。ただし、『自らの魂のコピーを作る』異能だとか『身体を異空間に隠し、魂だけで活動する』異能、さらには『ラルヴァの霊と対話する』異能といったものがある事から『魂、もしくはそれに類する、肉体に依存しない意識体は存在する』という説が有力になってきている。実際のところ、それが何かを解明した人間は居ないのだが。  それだけ考えて、意識が沈みきった。  彼女が眠っている間に、血塗れ仔猫が、自らの殺した者達に殴られた末、消滅することになったのを知るのは、ずいぶんと先の話である。  沢山の夢を見た気がする、  中身はほとんど覚えていない。  幸せな夢だった気がする。  ちらりと、彦野舞華の笑顔を見た気がした  ほとんど見たことが無かったのに  次に目を開けたときに春奈が見たのは、あまり見たことの無い天井だった。頭の下に、あまり柔らかくない枕があるのは、自分の家と同じだ。  ゆっくり、頭を振って起き上がる。身体にかかっていたベッドには、真っ白いシーツがかけてある。自分の家ではピンク色のはずなので、自宅ではない。  次に、自分の着ている物を確認した。白い浴衣のような患者着……患者着と人目で分かったのは、昔ときどき通院していた際に、こういう服を着ている人をよく見たからだ。つまり、ここは病院だ……何があったかは、分からないが…… 「……状況は?」  すぐにでも異能を使い、血塗れ仔猫の件を確認しなければと思った。だが、頭が働かない。まだ眠り足りないという訴えと、お腹が空いたというアラームを同時に受け取り、寝るか、食べるかの二者択一が迫られる。  辺りを見ても、食べ物は無いし。もう少し眠ろうと考えた刹那、視界の端に、自分の教員証と小箱に入った何か引っかかった。テーブルの上に置いてあったようだ。手を伸ばして教員証を取り、確認する。 「病院で携帯触るなって、よく言われてたよね……よかった、半日しか経ってない……これは……そっか」  学内のニュースサイトには、『血塗れ仔猫撃破』の文字が踊っている。トップから繋がるリンクは全てその関連記事という気合の入れようだ。 「寝てる間に、全部終わっちゃったんだぁ……ん?」  いくつかの記事を流し読みしていると、彼女の知っている状況と食い違う点が一つ。  立浪みく、遠藤雅の名前が記事のどこにも見つからないのだ。真っ先に対峙した筈の、彼らの名前が。 (単に藤神門さんを引き立てるためか、醒徒会で隠してくれたのか……)  疑問符を浮かべながら記事を読み進める。どの記事にも『血塗れ仔猫は会長の使い魔である白虎の攻撃で消滅し、塵も残らなかった』とある。これでは、『彼女』がどうなったのか分からない。  釈然としない気持ちを抱えたまま教員証を置き、横にあった小箱へ手を伸ばす。小箱の蓋を開けると、まず一枚の便箋が目に入った。 『ギリギリ間に合わなかったみたいだけど、一応渡しておく。経費はそっち持ちよ』 「……いくらぐらいしたんだろ……」  小箱を持ってきた主は推測がついた。現実的な問題を考えつつ箱の中を探すと、厳重な梱包の中に納まった何かが見つかった。取り出してみると、猫の瞳をかたどった意匠のネックレス。 (……ばれてた?)  ネックレスを元通りに仕舞ったとき、ドアがノックする音が聞こえた。  お見舞いというか、春奈の容態を聞きに来た、二つ隣のクラスの担任である大道寺攻武《だいどうじ いさむ》先生から、二つのことが伝えられた。  始業式の前日に行う職員会議で、血塗れ仔猫事件についての報告を行うこと。既に学内の放送部や新聞部に情報は流れており、事件が決着したことについては把握しているのだろう。  もう一つは…… 「二学期から復学する一年の生徒についてだが……」 「……え? 今、なんて……」 「三年前から行方不明で、つい先ほど見つかった生徒で、本人も復学を希望している――って、どうした!?」  それだけ聞いた時、春奈はベッドに伏せ、嗚咽を漏らすのを止められなかった。攻武は狼狽するばかりで何もいえなかったらしい。  病院に担ぎ込まれた春奈への診断結果は、単なる過労。念のため二日間の入院をする羽目になり、その期間中、春奈はまさかの人物と出会った。  与田光一、遠藤雅を誘拐した事件の際にボコボコにされた傷はもう治っているが、世間から隠れるために夏休み終わりまでここで粘るつもりらしかった。  出会ったのは自動販売機の前、声を掛けてきたのも与田の方が先だった。 「先生……血塗れ仔猫の件、お疲れ様です」 「うん、疲れたよ……」  彼は、春奈の来歴ぐらい調べていたらしい。何か思うところがあって接近したのか、そこのところは分からなかった。  だが彼は、今回の事件の顛末については何も知らなかった。ただでさえ病院に引きこもっている上、外に一切洩らしていない情報がいくつもあるのだ。ある意味当然のリアクションかもしれない。称えるような口調で、与田はさらに続ける。 「浮かない顔ですね、学園の隠れた英雄なんですから、もっと明るい表情をしないと」  少なくとも彼は、『春奈が知っている』ことを知らない。知っていたら、こんな風に話しかけはしなかっただろう。  春奈は、少しだけ釘を刺すことにした。もう少しで我慢の限界だ、少しぐらいならいいだろう。 「そうだね、血塗れ仔猫は消え去ったし、三年前の犠牲者だった立浪さんも戻ってきたし、良かったよ」 「……!?」  与田の表情が、破壊された。 「な、何を……だって、血塗れ仔猫は……」 「白虎のビームをあれだけ浴びちゃったら、跡形も無い。地面の写真、見た? あんな大穴が開いてるのに生きてる人が居たら、会ってみたいよ」  そこの所の事情を知らない与田は、狼狽している……という様子では足りないくらい混乱していた。まるで、自分の亡霊に出会ったように。 「だ、だって、血塗れ……貴女は、どこまで……」 「どこまで知ってるかは分からないけど。みかさんと彦野さんのお墓には、参った方がいいと思うよ。相当怨まれてるだろうから……それじゃあね」  金魚のように口をパクパクさせている与田を放置して、自分の病室に戻ることにした。  もし何かしてくるようなら、今度はあたしが相手になる、と言いたげな背中を見せながら。  金太郎に頼んでおいた内容は、学内の放送委員、全ての新聞部、その他マスコミ関係の部活動と島の報道機関に『血塗れ仔猫討伐完了』のニュースをリークすること。彼女の目論見は決まりすぎるほど決まり、白虎の必殺技で開いた大穴という説得力のある画《え》もあることで、退院する頃には『血塗れ仔猫は、醒徒会によって退治された』という認識で皆、固まっていた。    職員会議も、ほぼ同じ内容で乗り切った。既にチリも残さず消滅している(事になっている)血塗れ仔猫の存在を立証することは、誰にも出来ないのだ。殆どの教師陣は、以前の春奈と同じように三年前の惨劇を知らない。事実を知っている強硬派への牽制のため、敢えて立浪みきの話題も振った。 「三年前に起こった事件……あれも、『血塗れ仔猫』の凶行だったらしいですが……で行方不明になっていた、立浪みきさんが、先日横浜から連絡をくれました。何でも、事件の後記憶を失って、拾ってくれた漁師さんの所で暮らしていたらしいですが……彼女は記憶を取り戻して、今学期から一年生として復学する事となりました」  ここに来て、四方山智佳が発見した『資料室の映像』が生きてくる。もし強硬派が『立浪みきイコール血塗れ仔猫』を主張するような事があれば、春奈はあの映像……秘密の資料室も、要請があれば立ち入り可能だろう……を見せることになる。そこの映像は一般的にはショッキングすぎ、教育方針として『ラルヴァは殺すべき』とわめいている強硬派の教師達は、その方針について厳しく糾弾を受けるだろう。それが分からない彼らではない。  疑問は、会長が貰ったという謎のレポートだ。少なくとも、学内のデータベースにレポートの電子ファイルは存在しなかった。だとすれば、学外……唯一の懸念点が、残ることとなる。  始業式の日、高等部の廊下。  既に他の教室ではホームルームが行われており、人はほとんど居ない。そこに、同じ背丈くらいの二人の少女が歩いてくる。一人は制服、一人は私服で。 「三年ぶりだもん、緊張するよね~」 「……は、はい」 「いちおう、転校生みたいな扱いでいいのかな……『自分の経歴』は覚えてるよね? まあ、養生中ってだけでもいいけど」 「はい、バッチリです」 「……さて、着いちゃった、早いなぁ……」  二人は、教室の前に立つ。制服の少女の方は、ガチガチに緊張していた。 「……って、緊張しすぎじゃないかな?」 「で、でも……」 「ふぅ……まあ、気持ちは分かるけど、だいじょうぶだよ」  私服の少女が、制服の少女の後ろにさりげなく回りこみ、両方の肩を叩く 「ひゃっ……!!」 「だいじょうぶ……あたしは、あなたの味方だから。心配しなくて、いいんだよ」 「……はい……!!」 「それじゃ、あたしが先に入るから、呼んだら入ってきてね」  制服の少女を残して、私服の少女だけが先に教室へと入っていく。その少女が首にかけている手帳型の装置には、表が金、裏が青い、猫の瞳型の意匠がされているストラップがぶら下がっていた。 「あー、なるほど……そういう事だったの」 「どうしたの、新聞の片隅見て一人で納得なんてしちゃって」 「何かあったん?」  学内発行の新聞を見ていた四方山智佳に、友人の重換質《しげかえ まこと》と、覘弥乃里《てん みのり》が絡んでくる。 「前に調べた情報が載ってるとか?」 「ま、そんなとこ」  智佳の指先には、学園の転入、転出者情報が載っている。 『高等部一年    立浪みき(復学-2016年から)』 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
[[ラノで読む(前後編通して)>http://rano.jp/1278]] [[Aパートに戻る>【皇女様と猫 後編-Aパート】]]  学園の中心、白樫の樹の下に座る春奈の異能を介して、『血塗れ仔猫』と『|金剛の皇女《ダイヤモンド・プリンセス》』、遠く離れた二人は会話をする。既に二人の距離など、何の問題でもない。 「あら、私をご指名?……ふふ、人間の思考って、こうやればいいのよね?」 「うん、ちゃんと聞こえている……こっちの声も、聞こえていればいいんだけれど」 「聞こえているわよ。あの子が言っていたわね、春奈せんせー……だったかしら?」 「こっちは、あなたも『立浪みき』って呼べばいい? それとも……」 「『血塗れ仔猫』のままでいいわよ、ふふ、私にぴったりの名前……名付け親に、感謝しなくちゃ。お礼に、全身の血を流して死んでもらおうかしら? それとも、全身バラバラの方がお望みかしら、ねえ、どっちが素敵だと思う?」  本来、春奈の異能ではラルヴァと意思疎通を図ることは不可能だ。それは、ラルヴァが人間と異なる思考形態を持っているからだと考えられる。  つまり、逆説的に言えば『人間と同じ思考形態で考え事をしているラルヴァ』なら、意思疎通が可能なのだ。知能レベルA以上のラルヴァ相手には、たまに成功する……そして今回は、血塗れ仔猫が興味本位で乗ってきた、春奈にとっては最高の展開だ。  ……好奇心は、猫をも殺す。血塗れ仔猫にとっては、余興のつもりなのだろう。だが春奈は、『楔《くさび》』を打ち込む機会を、虎視眈々と狙っていた。 「……あたしの教え子は、かえしてもらうよ。そしてあなたは、あなたがやった事の報いを受けるの」 「ロクに戦える力も無いのに? お笑いね。だいたい、あの子が七人もの人間を殺したのは、言ってみれば『宿命』よ? 回避なんて不可能な、ね」 「立浪さんにも、そう言ったんだよね。何度も何度も、しつこいくらいに。だって、彼女が起きたままじゃあ、いつまでたってもあなたが自由にならないから」  ある対象の肉体を操る、もしくは乗っ取る異能者、ラルヴァの手法は、いくつかのパターンで区分される。意識喪失状態の身体を勝手に操る。対象の精神活動を極度に低下させて、それに成り代わる、対象の弱みや欲望につけ込み間接的に操作する、無意識下に行動原理を刷り込む、等が代表的な例である。『お願いしてやってもらう』という特殊な異能を持つ者も居るが、例外と考えていいだろう。  血塗れ仔猫のやり口は、恐らく二つ目の物だろうと推測した。立浪みきの精神状態を極度に不安定にし、その後で身体を乗っ取る。  『それ』が何故産まれたのかは分からない。異能と共にその『怪物』の資質まで遺伝してしまった、多重人格的な物なのか。外部から漂流し、立浪みきに憑依した精神体とでも言うべきものなのか。しかしそれは、大した問題ではない。問題は、『血塗れ仔猫』が『立浪みき』の身体を乗っ取ろうとしていることであり、希望は、まだ完全に乗っ取られておらず、本来の力を発揮できていないことだ。 「……さあ、何の事かしら」  血塗れ仔猫が、とぼけたような声を出す。それは肯定を意味するのか、否定を意味するのか。 「しつこいよね、『宿命』とか……なら、あなたは、自分の『宿命』は、知っている?」 「そんな物、あるわけ無いじゃない。あの子じゃあるまいし……あえて言うなら『他の何かを殺すこと』かしら? だって楽しいじゃない、弱い奴をひねって、引き裂いて、潰して、自分は強いんだ、って感じるの。分からないかなぁ……?」  嘲《あざけ》るような声が、春奈の頭の中に響いた。それをさらに煽るかのように、血塗れ仔猫の言葉は続く。 「そうそう、あの子に何度か言ってあげたのよ。『妹と先生、次はどっちがいい?』って。そしたらあの子、気が違ったみたいに『やめて、やめて』って泣いて懇願するの。可笑しいったらありゃしない。せっかく選択肢をあげてるのに、見向きもしないの……まあ、それも飽きてきちゃったし。いい加減ウザくなってきちゃった」  ぎゅ、と春奈の手が握られる。言いたい放題言わせるのも、もうそろそろ終わりだ。 「どっちも選ばないから、両方殺してあげるの。あなたはここからちょっと遠いところに居るみたいだから、後回しにするけど……怨むなら、立浪みきを怨むといいわ。まあ、どっちか選んだところで、散々それで責めて、最後にもう片方も殺しちゃうのは変わらないけど。そしてあの子の目の前で、何度でも何度でも、殺してあげるの。殺されるほうは知らないけど、やってる方は楽しいわよぉ?」  にやり、と血塗れ仔猫の顔に笑みが浮かぶ。それは、彼女だからこそ出来る表情であり、他の者がやっとしたら、正気を疑われる。そういう類の、恐ろしい笑みだった。 「あの子、弱っちいくせにしぶとさだけは一人前なんだもの、あの七人の叫びを何度聞かせても何度聞かせても、全然消えようとしやしない。だから、最後の一押しに使うの。立浪みくや、あなたの声はよく効くでしょうね。あの子が守ろうとした声、あの子を守ろうとした声が、一斉に悲鳴をあげるの。ふふ、想像しただけでゾクゾクしてきちゃう……その後は、私を追い詰めたヤツラに、逆襲するの。自由になった私が、人間なんかに負ける筈ないもの……せいぜい他の人間に教えてあげたら? 無駄だろうけどね、フフフ、アハハハハ……!!」  自らの意思を高らかに宣言し、それに酔い、笑いが止まらない、といった様子の血塗れ仔猫。それとは対照的に、墨で塗ったかのように無表情一辺の表情を見せている春奈、彼女が口を開く 「言いたいことは、終わった?……なら、教えてあげる、あなたの『宿命』を」 「未来でも読むっていうの? あなたに、そんな力があるっていうのぉ? ただでさえルール違反の異能を持っているっていうのに。それを複数も持ってるなんて。まるでラルヴァじゃない、あなた」  その一言を無視し、春奈は宣言する。 「『血塗れ仔猫、あなたは、あなたが手にかけた七人によって、死ぬことになる』」 「……はぁ? あいつらが、私をぉ? そんな馬鹿なこと、出来るわけ――」  呆れたような血塗れ仔猫の呟きは、春奈の感情が無い声によって遮られる。 「ないと、思う?……あなたの種族にはできないかもしれない。でも、あなたと違うラルヴァにはある事もあるし、あたしたち……人間の中にもある。万が一、あなたが立浪みくや、あたしや、これから来る追っ手を倒せても、あなたが殺した何人もの人の怨みだけは、受けなければいけない」  じり、と、血塗れ仔猫が一歩引いた感触が走る。無論、実際の距離は遠く離れており、『それ』がどんな動きをしたかは分からない。だが、精神的には確実に、一歩引いた。恐らく初めて聞いただろう、まったく感情がこもらない声と、意図は分からないが、何か恐ろしい事が起こる予兆を告げる声を前にして、気圧された……というよりは、不気味に思ったのだろう。 「あ……あんな弱い力しか持ってない、私に閉じ込められても抵抗する力なんてまったく無い、そんなヤツラが、何か出来るっていうの!?」  精一杯の威勢も柳に風といった形で、春奈は続ける。 「あなたが追っ手に負け続けたのは、本当に立浪さんが心の中に残ってて、邪魔してただけ、だと思う?……戦っている時に、鞭を振るう手にべたり、と髪の毛が這う感触や、踏み込む足にわさわさと、小さな手がいくつも這い回る感覚、そんな物が無かった、って言い切れるかな……それは、身体に這い回っているんじゃなくて、魂を掴まれているの、そしてあたしを殺したとしても、今まで話した事、今から話す事を忘れることは一生できない。人間には、死後の執念っていうのがあるの。怨みを持たれるような殺し方をしたり、悪いことをしたりした人には、死のうと生きようと、いつまでも、いくらでも、怨みに来る」  血塗れ仔猫がこれまで保ってきた威勢が、消えた。ぞわりと毛が立つ感覚を、隠すこともできない。 「だから、あなたはこれから毎日毎夜、そんな死人からの死刑執行を受け続けて、苦しまなければいけない。目に見えない男の子の手に髪の毛を掴まれ、少女達の力の無い手に手足をしっかりと握られて……大島姉妹の手に握られてる力の入ってないロープで、ゆっくり、ゆっくり、首を絞められなきゃいけないの」  また、血塗れ仔猫が一歩引く。その分、春奈は一歩進む。無論それはイメージであり、春奈はずっと白樫の樹の下に座っているだけである。だが、血塗れ仔猫の方は、本当に後じさったかもしれない。 「もしこれが、実体のある物だったら……手を縄で縛られたのなら、引きちぎることができる。足を誰かに組み付かれたのなら、蹴っ飛ばすこともできる。牢屋に入れられても、あなたなら扉を破って出ることだってできる……それでも、魂を捕らえられたら、絶対逃げることはできない。あなたの魂があなたの物である以上、どこまで行ってもついてくる。たとえ、あなたがこの星を抜け出したとしても。そして捕まえてるその手は、あなたについてくる影とおんなじ、力のこもらない手……もうあなたの魂は、その手に掴まって、もがくだけ」  春奈の口が、止まった。  さわさわと芝生を撫でる風の音と共に、ぎし、と何かがひび割れる音が聞こえたような気がする。彼女の近くにある樹ではない。彼女の軽い身体ぐらい、この樹ならいくらでも支えてくれるだろう。 「……そ、そんなもの……いくら来たって、返り討ちにしてやるわよ……!!」  血塗れ仔猫が、心持ち震えたような声で呟く。 「……立浪みくを殺したら、次はあなたよ。せいぜい震えてなさい……!!」 「そしたら、見えない手が四つぐらい、増えることになるだけ……言っておくけど、あたしの怨みは、強いよ?」  血塗れ仔猫は、そこで考えることを止めた。ぷつり、と何かが切れる音と共に、血塗れ仔猫が再び移動する様子を感じる。  最後に、こらえていた感情を全てこめたような声で、叫ぶ。 「立浪……みきさん、頑張って……!!」  もちろん、春奈に未来を予言するような異能は存在しない。いわゆる『魂を操作する』ような力も無い。先ほどまでの口上も、四分の三世紀以上昔の怪奇小説から持ってきたもの、ほぼそのまんまだ。彼女の異能は、純然たるテレパシー、ただ一点である。だが、テレパシーだからこそ可能な芸当もある。  技能が未熟、もしくは制御不可能な精神感応能力を持つ異能者は、『聞きたくない心の声を聞いてしまう』、『聞かれたくない考え事が外に出てしまう』といった事態に陥りやすい。空気を介して伝わる音声ならば、耳を塞ぐことで『聞かない』ことができる。だが、上記のように未熟な共感能力者《エンパス》が聞いたり、精神感応能力者《テレパス》が送ったりする、いわゆる『心への声』は、決して耳を塞ぐことができない。心を閉ざすことが出来れば可能かもしれないが、それは殆どの場合、自己表現の停止に繋がる。  春奈は、それを使って血塗れ仔猫へ、|意識下への刷り込み《サブリミナル》を行った。心の中へ投影する声《テレパシー》は、やもすれば自分の考えそのものだと誤解することもある。そこまで行かなくとも、テレビ放送の間に画像を差し込むだとか、そういった物よりはるかに効果的なのは明白だろう。無論、春奈の異能では表層意識までしかアクセスできず、心の奥底に何かを刻み込む力……放送委員長や、聖痕《スティグマ》の『黒き魔女』といった、いわゆる『洗脳を本職とする異能』には及ぶべくも無い。当人にスルーされてしまえばそこまでだ。  しかし、これで『楔』は叩き込んだ。血塗れ仔猫は、これまで七人を殺したという『自覚』がある。そこに良心の呵責を感じているとか、そういうのは初めから期待していない。彼女が刷り込んだ『殺した相手が、怨みに来る』という暗示で、まだ心の中に残っている立浪みきが、また、血塗れ仔猫と対峙する立浪みくや遠藤雅、そして醒徒会の面々が行う戦いは、少しは有利に……もしかしたら、決定打となるかもしれない。春奈は、それを期待した。  彼女が直接出来るのは、せいぜいここまでだ。後は、実際に対峙する人々に全てを任せるしかない。  身体を、白樫の樹にもたれさせる。一月以上もの間、異能を全力で展開させてきた反動で、体力も、集中力もほとんど底をつきかけている。血塗れ仔猫との対話で、残っている分も殆どを使い切った。それでも、もう少しだけ頑張らなければならない。 「……醒徒会のみんな、聞こえる? 目標を捉えたよ。場所は双葉山展望台、立浪みくさんと、遠藤雅くんが居る……早く行って、決着をつけてきて」  一息つこうとするが、何か重要な問題を思い出したかのように跳ね起きる 「……藤神門さん、聞こえる? 例のものは届かなかったけど、他に出来ることは全部やった……後は、お願い」 『うむ、任せておけ……最後は、私が決めなければならないのだな』 「……ごめんね」 『いや、これが醒徒会長としての役目なのだ……一時間もすれば、全てが終わると思ってくれ』 「わかった、その方向で進めるね」  醒徒会実働メンバーへの連絡を終えた春奈は、続いて醒徒会の残る一人へと話しかける。 「成宮くん、そろそろ準備お願い。『あと一時間で終わる』」 『りょーかい、こんだけの餌だ、大物がバカバカ釣れるだろうぜ』  その連絡を終えた春奈は、今度こそ樹に持たれかかって、目を瞑る。もう頭を働かせる体力は残っていない、異能を使う気力など微塵も残っていない。意識が風に乗って、あっという間に拡散していく。沈みながら広がっていく意識の中で、妙な思考が生まれた。 (……魂って、何だろ?)  魂源力《アツィルト》の字の中に『魂』という漢字が入ってはいるものの、魂そのものについては諸説あり、これといった定説は出ていない。ただし、『自らの魂のコピーを作る』異能だとか『身体を異空間に隠し、魂だけで活動する』異能、さらには『ラルヴァの霊と対話する』異能といったものがある事から『魂、もしくはそれに類する、肉体に依存しない意識体は存在する』という説が有力になってきている。実際のところ、それが何かを解明した人間は居ないのだが。  それだけ考えて、意識が沈みきった。  彼女が眠っている間に、血塗れ仔猫が、自らの殺した者達に殴られた末、消滅することになったのを知るのは、ずいぶんと先の話である。  沢山の夢を見た気がする、  中身はほとんど覚えていない。  幸せな夢だった気がする。  ちらりと、彦野舞華の笑顔を見た気がした  ほとんど見たことが無かったのに  次に目を開けたときに春奈が見たのは、あまり見たことの無い天井だった。頭の下に、あまり柔らかくない枕があるのは、自分の家と同じだ。  ゆっくり、頭を振って起き上がる。身体にかかっていたベッドには、真っ白いシーツがかけてある。自分の家ではピンク色のはずなので、自宅ではない。  次に、自分の着ている物を確認した。白い浴衣のような患者着……患者着と人目で分かったのは、昔ときどき通院していた際に、こういう服を着ている人をよく見たからだ。つまり、ここは病院だ……何があったかは、分からないが…… 「……状況は?」  すぐにでも異能を使い、血塗れ仔猫の件を確認しなければと思った。だが、頭が働かない。まだ眠り足りないという訴えと、お腹が空いたというアラームを同時に受け取り、寝るか、食べるかの二者択一が迫られる。  辺りを見ても、食べ物は無いし。もう少し眠ろうと考えた刹那、視界の端に、自分の教員証と小箱に入った何か引っかかった。テーブルの上に置いてあったようだ。手を伸ばして教員証を取り、確認する。 「病院で携帯触るなって、よく言われてたよね……よかった、半日しか経ってない……これは……そっか」  学内のニュースサイトには、『血塗れ仔猫撃破』の文字が踊っている。トップから繋がるリンクは全てその関連記事という気合の入れようだ。 「寝てる間に、全部終わっちゃったんだぁ……ん?」  いくつかの記事を流し読みしていると、彼女の知っている状況と食い違う点が一つ。  立浪みく、遠藤雅の名前が記事のどこにも見つからないのだ。真っ先に対峙した筈の、彼らの名前が。 (単に藤神門さんを引き立てるためか、醒徒会で隠してくれたのか……)  疑問符を浮かべながら記事を読み進める。どの記事にも『血塗れ仔猫は会長の使い魔である白虎の攻撃で消滅し、塵も残らなかった』とある。これでは、『彼女』がどうなったのか分からない。  釈然としない気持ちを抱えたまま教員証を置き、横にあった小箱へ手を伸ばす。小箱の蓋を開けると、まず一枚の便箋が目に入った。 『ギリギリ間に合わなかったみたいだけど、一応渡しておく。経費はそっち持ちよ』 「……いくらぐらいしたんだろ……」  小箱を持ってきた主は推測がついた。現実的な問題を考えつつ箱の中を探すと、厳重な梱包の中に納まった何かが見つかった。取り出してみると、猫の瞳をかたどった意匠のネックレス。 (……ばれてた?)  ネックレスを元通りに仕舞ったとき、ドアがノックする音が聞こえた。  お見舞いというか、春奈の容態を聞きに来た、二つ隣のクラスの担任である大道寺攻武《だいどうじ いさむ》先生から、二つのことが伝えられた。  始業式の前日に行う職員会議で、血塗れ仔猫事件についての報告を行うこと。既に学内の放送部や新聞部に情報は流れており、事件が決着したことについては把握しているのだろう。  もう一つは…… 「二学期から復学する一年の生徒についてだが……」 「……え? 今、なんて……」 「三年前から行方不明で、つい先ほど見つかった生徒で、本人も復学を希望している――って、どうした!?」  それだけ聞いた時、春奈はベッドに伏せ、嗚咽を漏らすのを止められなかった。攻武は狼狽するばかりで何もいえなかったらしい。  病院に担ぎ込まれた春奈への診断結果は、単なる過労。念のため二日間の入院をする羽目になり、その期間中、春奈はまさかの人物と出会った。  与田光一、遠藤雅を誘拐した事件の際にボコボコにされた傷はもう治っているが、世間から隠れるために夏休み終わりまでここで粘るつもりらしかった。  出会ったのは自動販売機の前、声を掛けてきたのも与田の方が先だった。 「先生……血塗れ仔猫の件、お疲れ様です」 「うん、疲れたよ……」  彼は、春奈の来歴ぐらい調べていたらしい。何か思うところがあって接近したのか、そこのところは分からなかった。  だが彼は、今回の事件の顛末については何も知らなかった。ただでさえ病院に引きこもっている上、外に一切洩らしていない情報がいくつもあるのだ。ある意味当然のリアクションかもしれない。称えるような口調で、与田はさらに続ける。 「浮かない顔ですね、学園の隠れた英雄なんですから、もっと明るい表情をしないと」  少なくとも彼は、『春奈が知っている』ことを知らない。知っていたら、こんな風に話しかけはしなかっただろう。  春奈は、少しだけ釘を刺すことにした。もう少しで我慢の限界だ、少しぐらいならいいだろう。 「そうだね、血塗れ仔猫は消え去ったし、三年前の犠牲者だった立浪さんも戻ってきたし、良かったよ」 「……!?」  与田の表情が、破壊された。 「な、何を……だって、血塗れ仔猫は……」 「白虎のビームをあれだけ浴びちゃったら、跡形も無い。地面の写真、見た? あんな大穴が開いてるのに生きてる人が居たら、会ってみたいよ」  そこの所の事情を知らない与田は、狼狽している……という様子では足りないくらい混乱していた。まるで、自分の亡霊に出会ったように。 「だ、だって、血塗れ……貴女は、どこまで……」 「どこまで知ってるかは分からないけど。みかさんと彦野さんのお墓には、参った方がいいと思うよ。相当怨まれてるだろうから……それじゃあね」  金魚のように口をパクパクさせている与田を放置して、自分の病室に戻ることにした。  もし何かしてくるようなら、今度はあたしが相手になる、と言いたげな背中を見せながら。  金太郎に頼んでおいた内容は、学内の放送委員、全ての新聞部、その他マスコミ関係の部活動と島の報道機関に『血塗れ仔猫討伐完了』のニュースをリークすること。彼女の目論見は決まりすぎるほど決まり、白虎の必殺技で開いた大穴という説得力のある画《え》もあることで、退院する頃には『血塗れ仔猫は、醒徒会によって退治された』という認識で皆、固まっていた。    職員会議も、ほぼ同じ内容で乗り切った。既にチリも残さず消滅している(事になっている)血塗れ仔猫の存在を立証することは、誰にも出来ないのだ。殆どの教師陣は、以前の春奈と同じように三年前の惨劇を知らない。事実を知っている強硬派への牽制のため、敢えて立浪みきの話題も振った。 「三年前に起こった事件……あれも、『血塗れ仔猫』の凶行だったらしいですが……で行方不明になっていた、立浪みきさんが、先日横浜から連絡をくれました。何でも、事件の後記憶を失って、拾ってくれた漁師さんの所で暮らしていたらしいですが……彼女は記憶を取り戻して、今学期から一年生として復学する事となりました」  ここに来て、四方山智佳が発見した『資料室の映像』が生きてくる。もし強硬派が『立浪みきイコール血塗れ仔猫』を主張するような事があれば、春奈はあの映像……秘密の資料室も、要請があれば立ち入り可能だろう……を見せることになる。そこの映像は一般的にはショッキングすぎ、教育方針として『ラルヴァは殺すべき』とわめいている強硬派の教師達は、その方針について厳しく糾弾を受けるだろう。それが分からない彼らではない。  疑問は、会長が貰ったという謎のレポートだ。少なくとも、学内のデータベースにレポートの電子ファイルは存在しなかった。だとすれば、学外……唯一の懸念点が、残ることとなる。  始業式の日、高等部の廊下。  既に他の教室ではホームルームが行われており、人はほとんど居ない。そこに、同じ背丈くらいの二人の少女が歩いてくる。一人は制服、一人は私服で。 「三年ぶりだもん、緊張するよね~」 「……は、はい」 「いちおう、転校生みたいな扱いでいいのかな……『自分の経歴』は覚えてるよね? まあ、養生中ってだけでもいいけど」 「はい、バッチリです」 「……さて、着いちゃった、早いなぁ……」  二人は、教室の前に立つ。制服の少女の方は、ガチガチに緊張していた。 「……って、緊張しすぎじゃないかな?」 「で、でも……」 「ふぅ……まあ、気持ちは分かるけど、だいじょうぶだよ」  私服の少女が、制服の少女の後ろにさりげなく回りこみ、両方の肩を叩く 「ひゃっ……!!」 「だいじょうぶ……あたしは、あなたの味方だから。心配しなくて、いいんだよ」 「……はい……!!」 「それじゃ、あたしが先に入るから、呼んだら入ってきてね」  制服の少女を残して、私服の少女だけが先に教室へと入っていく。その少女が首にかけている手帳型の装置には、表が金、裏が青い、猫の瞳型の意匠がされているストラップがぶら下がっていた。 「あー、なるほど……そういう事だったの」 「どうしたの、新聞の片隅見て一人で納得なんてしちゃって」 「何かあったん?」  学内発行の新聞を見ていた四方山智佳に、友人の重換質《しげかえ まこと》と、覘弥乃里《てん みのり》が絡んでくる。 「前に調べた情報が載ってるとか?」 「ま、そんなとこ」  智佳の指先には、学園の転入、転出者情報が載っている。 『高等部一年    立浪みき(復学-2016年から)』 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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