【怪物記第七話エピローグ】

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 怪物記 第七話 【女王蜘蛛】エピローグ  ・・・・・・  ・OTHER SIDE  別れ谷における異能力者と蜘蛛型ラルヴァの戦いは蜘蛛の掃討、首魁である女王蜘蛛の討伐、居城の崩壊を以って終結した。  捕らわれていた住民達も蜘蛛の襲撃の際に若干名の死傷者を出しはしたが多くの者は無事であった。また、住民が忘却性の副作用を持つ麻酔毒を投与され、前後数日間の記憶を失っていたことは情報の隠蔽にも都合がよく、別れ谷の崩壊と合わせて公には『局所的な地震災害とそれに伴う地下の有毒ガスの噴出』という形に収まった。  それでも関係者が事態の収拾に右往左往するのは変わりなく、一般人やマスコミの侵入をシャットアウトした別れ谷では天蜘蛛の死骸の撤去などの隠蔽工作が昼夜を徹して続けられていた。  ゆえに、最初にそれを発見したのは作業に従事していた学園都市の関係者だった。 「……え?」  瓦礫の中に少年の首が転がっていた。  少年の顔には埃や汚れ、傷がなく、まるでただ眠っているだけのように見える。しかし、少年には首だけしかない。死体であるのは明白だった。 「ラルヴァに攫われた子供かしら……非道い……」  彼女は少年を不憫に思い、せめて身元を明らかにして遺骨だけでも家族の下へ帰そうと少年の首を拾い上げた。 「ああ、どうもありがとう。丁度お腹が減っていたところだよ」  その声がどこから発せられたものであるかを彼女が知ることはなかった。彼女は少年の首に触れた指先から魂源力と生気を吸われ、瞬く間にミイラとなって息絶えた。  死んで地に伏した彼女に代わって、首だけだった少年が立っていた。彼はもう首だけではない。スラリとした四肢と華奢な少年の肢体が形作られていた。 「さて、少しお腹も膨れたから中身はともかく見栄えだけは元通りかな。でもこれだと服が欲しくなるね。これじゃ警察に補導されちゃうよ」  少年――ナイトヘッドは冗談めかして笑った。 「しかし困ったねぇ。日が出てるうちにやられたからかなり欠けちゃったよ。補充したいけど、いい加減ここから離れたいや。というわけでよろしく頼むよ」  彼が言いつつ見やった先には男が一人立っていた。  男は掌中で懐中時計を弄っており、それは波打つような縞模様の瑪瑙で出来ていた。 「あんまり遅いから迎えに来てみれば、随分と派手にやられたみたいじゃねえか館長」 「アハハ、意外にも僕は嫌われ者だったみたいでね。袋叩きにあってしまったよ」 「嫌われ者なのは意外でもなんでもねえなぁ。んじゃ、アジトに帰るとするかね」 「ああ」 「――時は掌中より滑り落ちる、と」    この日、別れ谷にいた作業員の何人かは奇妙な体験をした。感覚ではほんの少ししか経っていないはずなのに、気づくと一時間近く経っていたのだ。そんなにも呆けていただろうか?と彼らは疑問に思ったが、過ぎ去った時間と記憶の答えなど出るはずもない。  ただ一つだけ言えるのは、彼らが呆けていた間に目の前を誰かが通り過ぎようとそれはきっとわからなかったであろうということだ。  春奈・C・クラウディウスはくたびれていた。  別れ谷の事件で指揮官として戦い、崩壊する城から生徒達と必死の思いで脱出し、その後は間髪要れずに事後処理や報告書の作成に奔走していたのだから心身ともに限界もいい所であった。  ようやく一段落着いて元の業務に戻れたが、それは決して休みがあるというわけではなく翌日からは教師としての仕事が待っている。  明日に備え、睡魔に屈して泥のように眠りたい思いではあったが、それ以前にやらねばならないことがある。それは、 「おなかへったぁ……」  空腹を満たすことだった。  事件からこちら時間を節約するためにゼリーや簡易携帯食料で胃をもたせていたが、そんなものでは胃がもちはしても膨れるわけではない。だから彼女はここ数日の食べ逃した分も含めて食事をとってから眠るつもりだった。寝る前に食べたら太る?知ったことか!と言わんばかりの顔で。  春奈がやってきたのは学園近辺に出店している常連の中華屋台だった。 「やっほー拍手くん」 「いらっしゃい」  拍手敬と挨拶を交わす。何度も通っていることもありすっかり顔馴染みだった。 「なんかしばらく見ませんでしたけど」 「んー、色々あってねー。注文はチャーハンをハネ満…………あ」  注文しようと財布の中を覗いて春奈は絶句した。お金が無い。いやまったく無いとは言わないが無いも同然。ハネ満どころか普通盛りさえ買えるか怪しい。 (そういえばお給料日前だったなぁ。疲れすぎて所持金のこと考えてなかったよ) 「ご注文はどうします?」 「あ、えーっと……」  春奈が困ったように財布と拍手を見比べていると、横合いから拍手に注文が入った。 「おっさん、こちらのお嬢さんにチャーハン役満盛り一丁や」 「誰がおっさんだ」 「え?」  春奈が注文の主の方を見ると、そこにいたのはニット帽を目深に被った青年……スピンドルだった。なぜか今日はディスクがついたジャケットやギターケースを身につけていない上に頬や腕に絆創膏が貼られていた。 「スピンドル君?」 「やー、なんや大変だったみたいやなー。今日は俺が奢ったるさかいたーんと食いや」 「にしたって役満盛りはでかすぎじゃねえか?」 「いやいや、春奈ちゃんは成長期なんやから沢山食べた方がええねん」 「……だから先生の年で成長期は無いって」  そう言いつつも拍手は役満盛りチャーハンを作り始めた。 「やー、聞いたで春奈ちゃん。あの別れ谷の事件の山場の功労者らしいやん。女王蜘蛛倒したんも春奈ちゃんのチームやって?」 「功労者なんて……あれはみんなが強かっただけだよ。あたしがしたのはみんなが死なないで勝てるように作戦を立てただけ。それに……」 「むむ、春奈ちゃんは何かお悩みの様子やな。どしたん?」 「…………うん、あのね……」 「役満盛りお待たせいたしましたー。てかこれは本当にやばいって。女性、というか人間の食う量じゃねえって」  話を遮る形で山のようなチャーハンが春奈の前に置かれた。 「……じゅる」 「ああ、うん。話は後でええから先に食べ」  春奈はレンゲを取り、流し込むように役満盛りチャーハンを胃に収める。一体どれだけ空腹だったのか、五分としないうちに山のようなチャーハンは消失していた。  春奈は小柄ながら商店街の大食いチャレンジを完全制覇した大食いチャンピオンである。伊達に至高帝《ザ・ハイランダー》とは呼ばれていない。  春奈の食べっぷりを感心半分呆れ半分で観察していたスピンドルは、春奈が食べ終えたのを見計らって話を切り出した。 「で、何が悩みなん?」 「……この間の事件で倒した女王蜘蛛のこと」  春奈は女王蜘蛛との戦いの経緯を事細かに語る。 「ずっと考えてたの。女王蜘蛛は確かに強かったけど、どこか手加減をされてたんじゃないかって」  例えば、永劫機の手足を断った鋼糸を初手で繭に捕えた直に使っていれば直は死んでいた。他の者も同じだ。女王蜘蛛の行動は死ぬ心配が無い永劫機にだけ致命傷になる攻撃をしたようにとれると、春奈は後になって気づいた。 「女王蜘蛛は呼びかけにも全く答えなかった。あたしは女王蜘蛛がどうして事件を起こしたのかもわからないまま。だから……何か仕方のない事情があってあたしたちと戦わざるを得なかったのかもしれないって、ずっとそのことを考えちゃって。スピンドル君は……どう思う?」  春奈に問われたスピンドルは少し考えるように空を見上げて、答えた。 「気にせんでええんちゃうかな。ラルヴァも人も同じやし」 「同じ?」 「何考えとるか分からんときの方が多いし、戦わなあかんときもある。戦って倒す必要あるなら倒す。そうでないならそうでない風に付き合う。そういうもんやろ? 変わらんわ。  せやから春奈ちゃんが悩む必要はあらへん。話もせずに戦ったいうことは女王蜘蛛には戦う必要があったんや。手加減したいうなら手加減する必要があったんや。全部あっちの都合なんやし、今回の一件は春奈ちゃんが気にすることでもないわ。ただまぁ、いつか話が通じて戦う以外に何とかできそうな相手に会ったときには、そんな風に悩めばええんやない?」 「……そうかもしれませんね」  春奈はほんの少しだけ、悩みが晴れた顔をした。そんな彼女を見てスピンドルは思う。 (何で俺は任務失敗の原因にこんなこと言ってるんやろなー。別にええけど。……ん?)  スピンドルがふと気づくと、春奈が真剣な表情でスピンドルを見ていた。 (ひょっとすると俺の正体がばれよったか? 俺なんかへましたか?)  と、スピンドルが戦々恐々していると。 「御代わり、頼んでもいい? なんだか考え事が片付いたらお腹減っちゃった」 「……どんだけ食うねん至皇帝」  拍子抜けして力が抜けたツッコミをしながら、スピンドルは御代わりを注文した。  ・・・・・・  あの事件から三日経った。  大規模な事件ではあったが女王蜘蛛が予め手を打っていたことと幸運な条件が幾つか重なったお陰でこの国ではラルヴァの存在は隠蔽されたままになっている。  隠蔽といえば私も『別れ谷の事件のときは異なる地域で調査活動をしていた』と偽装することができた。とは言ってもそう嘘ばかり並べ立てたわけではない。あの日、別れ谷から脱出してすぐに該当地域に飛び、二日間は調査活動をしていたのだ。要は二日間の調査を六日間だと誤魔化して報告したわけだ。この改竄のため、ミナ君との約束通り那美君に事情を話して口裏を合わせてもらう必要があった。それに調査では双葉学園の人間は使えなかったので伝手のあるフリーランサーに同伴してもらう必要があり、少なくない出費もあった。  ただ、その甲斐はあったように思う。 「人差し指の糸を取ってですねー」 「ひとさしゆび……」  私が机で本と睨みあう作業を中断して後ろを振り返ると、助手と少女があやとりをしていた。いつもは携帯やビデオゲーム機で遊んでいる助手がそんな古風な遊びをしているのは、少女の境遇に少し思うところがあるからだろうか?  あの日、五代目の女王蜘蛛から託された少女は、私が調査地で見つけた身寄りと記憶のない異能力者として昨日からこの学園都市にいる。そういった境遇の異能力者は珍しくもないので無理なく学園側に受け入れられた。  無論、彼女は異能力者ではなくラルヴァである。だが、体の組成や構造は人と対して変わりがない。より大きな身体変化を伴う異能力者が多くいることを考えれば彼女が異能力者だと主張しても別段何の問題もない。元より女王蜘蛛に関しては歴史上の行動記録以外のデータは少なく、比較されることもないので彼女が女王蜘蛛であるとばれる心配もない。  また、住む場所に関しては私が後見人となり身柄を預かる形になっている。 「こうこうこうしてこうすれば蝶々ができますよー」 「こう?」  助手が少女の前で実演して見せると少女も首を傾げながら真似する。  加えてもう一つ幸いだったのが彼女が言語や数学に関してある程度の知識をもって生まれてきたことだ。知識を継承する生態を有していた女王蜘蛛でも継承前にある程度の知識をもっていなければ生きる上で都合が悪かったのだろう。要は彼女が赤子ではなく少女の姿で生まれてきたのと同じ理屈だ。 「できた」  少女が作ったあやとりを助手に見せる。しかしそれはどういうわけか助手の作った平面の蝶とは似ても似つかない見事に立体的な蝶だった。 「この子あやとりすっごい上手ですよー!」 「蜘蛛だしなぁ……」  血筋だろうか。 「ところでセンセ。この子のことは何て呼べばいいんですかね? この子とか彼女とかって呼び続けるのもあれですし」 「リリエラ……さっきから私が何をしていたと思う?」  私は机の上にある本を指差す。 「H本鑑賞?」 「殴るぞ」  表紙に大きく姓名判断と書いてあるだろうに。 「しかし、中々上手い名前が思いつかなくてな。昨日から徹夜で考えっぱなしだ」 「へー、一生懸命ですねー」 「一生懸命考えるのは当たり前のことだ」  名は重要だ。生命は少なからず名に在り方を縛られる。何より故人の頼みだ。それこそ自分の子供の名前を考えるように真剣に臨まねばならない。……私に子供が出来るかは置いておくとして。 「本人にどんな名前がいいか聞けばいいじゃないですかー。ちょっと聞きますねー。どんな名前が良いですかー」 「くも」 「名前は蜘蛛でいいそうですよー」 「いやそういうわけにもいかんだろう」  女皇蜘蛛に言うのも変な話だが、女の子の名前が蜘蛛というのは流石にひどいと私でも思う。しかし逆に、本人の希望も少し通すべきなのかもしれない。 「蜘蛛……クモ……雲か。いや、もう一捻り」  そうして私は日が暮れるまで考えて、ようやく結論づいた。 「八雲。君の名前は今日から語来八雲だ」  八は蜘蛛の足の数。そして日本で古来より聖なる数字として祀られてきた数字だ。この子の在り様とこれからを考えて、これ以上の名前は思いつかなかった。 「名が正体を現しまくってますねー」  五月蝿い。助手の本名ほど直球じゃないだろう。 「かたらい?」  しかし、当の彼女は自分の名前を聞いてどういうわけか名ではなく姓に興味をもったようだ。 「かたらい?」  今度は私を指差しながら再び姓を呟く。 「ああ、私の苗字だ。これから一緒に住むわけだから統一した方がいいと思ってそうしんだが、嫌か?」  私が尋ねると八雲はブンブンと首を振って否定する仕草をした。 「すごく、うれしい」 「そんなに喜んでもらえると悩んだ甲斐がある」 「別にセンセが一生懸命考えた名前はそんな重要じゃないみたいですけどねー」  どういう意味だ? 「それよりセンセ、八雲ちゃんもこれからずっと一緒に住むんですか?」 「まぁ、一人立ちできるか止むを得ないことになるまでは一緒に暮らすことになるだろうな」 「じゃあ……家族ですねー」 「そうなる」  私達の会話を聞いていた八雲は、ペコリと頭を下げてこう言った。 「ふつつかものですがよろしくおねがいします」 「それは使い方が違う」  こうして紆余曲折を経て、私の家に語来八雲という名の新たな扶養家族が加わった。  第七話【女王蜘蛛】  了 登場ラルヴァ 【名称】   :女王蜘蛛 【カテゴリー】:デミヒューマン 【ランク】  :中級S-1(事件後4に改定) 【初出作品】 :怪物記 第七話 【他登場作品】: 【備考】   蜘蛛型ラルヴァの王であり平安時代から存在が確認されている古いラルヴァ。  支配力は高く、蜘蛛に命じて城を建築した例もある。  性格嗜好は人に近いが主食は他種のラルヴァである。  捕食により摂取した魂源力を心臓で二百年かけて凝縮して核を作る。  それを二百年周期の産卵の儀式で生んだ子供に知識を蓄えた脳髄と共に与え継承する生態をもつ。  代を重ねるごとにその魂源力、知識は増大されており、その強化は蜘蛛の王となった三代目から二代後の五代目まで続いた。  戦闘力においても他の蜘蛛型ラルヴァを遥かに上回る力を有しており、ワンオフ級とも称される。  その能力は自らの髪を媒体にした糸繰りであり、糸繰りにより大蜘蛛の姿に変貌することが知られている。  人類と半友好的な関係を築いていたが2019年九月に別れ谷にて人類と対立。  大規模な戦闘の末に討伐される。  丁度二百年周期の儀式の時期であったが六代目の産卵は確認されていない。  そのため、女王蜘蛛は千年の歴史の末に絶滅した。 【名称】   :天蜘蛛 【カテゴリー】:ビースト 【ランク】  :中級A-3 【初出作品】 :怪物記 第七話 【他登場作品】: 【備考】   旅客機を遥かに上回るサイズをもつ蜘蛛型最大級の巨大ラルヴァ。  普段は空に浮かぶ雲の中に潜んでいるが、食事の際は地上と雲の間に鋼糸の巣を張ってラルヴァや人の乗った飛行機を捕えて捕食する。  その巨体と重量をしてどうやって雲の中に潜めているのかなど謎の多いラルヴァである。 【名称】   :蜘蛛猿 【カテゴリー】:ビースト 【ランク】  :下級B-3 【初出作品】 :怪物記 第七話 【他登場作品】: 【備考】   蜘蛛と猿の性質を有し集団で狩りをするラルヴァ。  小柄だが蜘蛛の糸と毒、猿の身軽さと柔軟な筋肉をもつため見た目よりも手ごわい。  人だけでなく他の動物なども襲う。 【名称】   :水蜘蛛 【カテゴリー】:ビースト 【ランク】  :下級C-3 【初出作品】 :怪物記 第七話 【他登場作品】: 【備考】   水辺に棲む蜘蛛とアメンボの性質を有するラルヴァ。  水面下に巣を張って獲物がかかるのを待つ。 【名称】   :ナイトヘッド 【カテゴリー】:デミヒューマン? 【ランク】  :中級S-4 【初出作品】 :怪物記 第四話 【他登場作品】: 【備考】   :一人称:僕 二人称:君  <ワンオフ>  登録番号4 世闇ノ魔人  シルクハットを被り燕尾服を着た少年の姿をしたラルヴァ    その身体から牙、歯、目、耳、髪など頭部に関連した分身を出すことができる。  ただし、それらの分身は日光に当たると途端に分解されて消滅する。  また接触により他者の生気・魂源力を吸収する性質をもつことから吸血鬼の一種ではないかとも言われている。  しかし、上記以外の吸血鬼では説明のつかない事象も引き起こしているため、不可思議としてワンオフの一体と目されている。  
 怪物記 第七話 【女王蜘蛛】エピローグ  ・・・・・・  ・OTHER SIDE  別れ谷における異能力者と蜘蛛型ラルヴァの戦いは蜘蛛の掃討、首魁である女王蜘蛛の討伐、居城の崩壊を以って終結した。  捕らわれていた住民達も蜘蛛の襲撃の際に若干名の死傷者を出しはしたが多くの者は無事であった。また、住民が忘却性の副作用を持つ麻酔毒を投与され、前後数日間の記憶を失っていたことは情報の隠蔽にも都合がよく、別れ谷の崩壊と合わせて公には『局所的な地震災害とそれに伴う地下の有毒ガスの噴出』という形に収まった。  それでも関係者が事態の収拾に右往左往するのは変わりなく、一般人やマスコミの侵入をシャットアウトした別れ谷では天蜘蛛の死骸の撤去などの隠蔽工作が昼夜を徹して続けられていた。  ゆえに、最初にそれを発見したのは作業に従事していた学園都市の関係者だった。 「……え?」  瓦礫の中に少年の首が転がっていた。  少年の顔には埃や汚れ、傷がなく、まるでただ眠っているだけのように見える。しかし、少年には首だけしかない。死体であるのは明白だった。 「ラルヴァに攫われた子供かしら……非道い……」  彼女は少年を不憫に思い、せめて身元を明らかにして遺骨だけでも家族の下へ帰そうと少年の首を拾い上げた。 「ああ、どうもありがとう。丁度お腹が減っていたところだよ」  その声がどこから発せられたものであるかを彼女が知ることはなかった。彼女は少年の首に触れた指先から魂源力と生気を吸われ、瞬く間にミイラとなって息絶えた。  死んで地に伏した彼女に代わって、首だけだった少年が立っていた。彼はもう首だけではない。スラリとした四肢と華奢な少年の肢体が形作られていた。 「さて、少しお腹も膨れたから中身はともかく見栄えだけは元通りかな。でもこれだと服が欲しくなるね。これじゃ警察に補導されちゃうよ」  少年――ナイトヘッドは冗談めかして笑った。 「しかし困ったねぇ。日が出てるうちにやられたからかなり欠けちゃったよ。補充したいけど、いい加減ここから離れたいや。というわけでよろしく頼むよ」  彼が言いつつ見やった先には男が一人立っていた。  男は掌中で懐中時計を弄っており、それは波打つような縞模様の瑪瑙で出来ていた。 「あんまり遅いから迎えに来てみれば、随分と派手にやられたみたいじゃねえか館長」 「アハハ、意外にも僕は嫌われ者だったみたいでね。袋叩きにあってしまったよ」 「嫌われ者なのは意外でもなんでもねえなぁ。んじゃ、アジトに帰るとするかね」 「ああ」 「――時は掌中より滑り落ちる、と」    この日、別れ谷にいた作業員の何人かは奇妙な体験をした。感覚ではほんの少ししか経っていないはずなのに、気づくと一時間近く経っていたのだ。そんなにも呆けていただろうか?と彼らは疑問に思ったが、過ぎ去った時間と記憶の答えなど出るはずもない。  ただ一つだけ言えるのは、彼らが呆けていた間に目の前を誰かが通り過ぎようとそれはきっとわからなかったであろうということだ。  春奈・C・クラウディウスはくたびれていた。  別れ谷の事件で指揮官として戦い、崩壊する城から生徒達と必死の思いで脱出し、その後は間髪要れずに事後処理や報告書の作成に奔走していたのだから心身ともに限界もいい所であった。  ようやく一段落着いて元の業務に戻れたが、それは決して休みがあるというわけではなく翌日からは教師としての仕事が待っている。  明日に備え、睡魔に屈して泥のように眠りたい思いではあったが、それ以前にやらねばならないことがある。それは、 「おなかへったぁ……」  空腹を満たすことだった。  事件からこちら時間を節約するためにゼリーや簡易携帯食料で胃をもたせていたが、そんなものでは胃がもちはしても膨れるわけではない。だから彼女はここ数日の食べ逃した分も含めて食事をとってから眠るつもりだった。寝る前に食べたら太る?知ったことか!と言わんばかりの顔で。  春奈がやってきたのは学園近辺に出店している常連の中華屋台だった。 「やっほー拍手くん」 「いらっしゃい」  拍手敬と挨拶を交わす。何度も通っていることもありすっかり顔馴染みだった。 「なんかしばらく見ませんでしたけど」 「んー、色々あってねー。注文はチャーハンをハネ満…………あ」  注文しようと財布の中を覗いて春奈は絶句した。お金が無い。いやまったく無いとは言わないが無いも同然。ハネ満どころか普通盛りさえ買えるか怪しい。 (そういえばお給料日前だったなぁ。疲れすぎて所持金のこと考えてなかったよ) 「ご注文はどうします?」 「あ、えーっと……」  春奈が困ったように財布と拍手を見比べていると、横合いから拍手に注文が入った。 「おっさん、こちらのお嬢さんにチャーハン役満盛り一丁や」 「誰がおっさんだ」 「え?」  春奈が注文の主の方を見ると、そこにいたのはニット帽を目深に被った青年……スピンドルだった。なぜか今日はディスクがついたジャケットやギターケースを身につけていない上に頬や腕に絆創膏が貼られていた。 「スピンドル君?」 「やー、なんや大変だったみたいやなー。今日は俺が奢ったるさかいたーんと食いや」 「にしたって役満盛りはでかすぎじゃねえか?」 「いやいや、春奈ちゃんは成長期なんやから沢山食べた方がええねん」 「……だから先生の年で成長期は無いって」  そう言いつつも拍手は役満盛りチャーハンを作り始めた。 「やー、聞いたで春奈ちゃん。あの別れ谷の事件の山場の功労者らしいやん。女王蜘蛛倒したんも春奈ちゃんのチームやって?」 「功労者なんて……あれはみんなが強かっただけだよ。あたしがしたのはみんなが死なないで勝てるように作戦を立てただけ。それに……」 「むむ、春奈ちゃんは何かお悩みの様子やな。どしたん?」 「…………うん、あのね……」 「役満盛りお待たせいたしましたー。てかこれは本当にやばいって。女性、というか人間の食う量じゃねえって」  話を遮る形で山のようなチャーハンが春奈の前に置かれた。 「……じゅる」 「ああ、うん。話は後でええから先に食べ」  春奈はレンゲを取り、流し込むように役満盛りチャーハンを胃に収める。一体どれだけ空腹だったのか、五分としないうちに山のようなチャーハンは消失していた。  春奈は小柄ながら商店街の大食いチャレンジを完全制覇した大食いチャンピオンである。伊達に至高帝《ザ・ハイランダー》とは呼ばれていない。  春奈の食べっぷりを感心半分呆れ半分で観察していたスピンドルは、春奈が食べ終えたのを見計らって話を切り出した。 「で、何が悩みなん?」 「……この間の事件で倒した女王蜘蛛のこと」  春奈は女王蜘蛛との戦いの経緯を事細かに語る。 「ずっと考えてたの。女王蜘蛛は確かに強かったけど、どこか手加減をされてたんじゃないかって」  例えば、永劫機の手足を断った鋼糸を初手で繭に捕えた直に使っていれば直は死んでいた。他の者も同じだ。女王蜘蛛の行動は死ぬ心配が無い永劫機にだけ致命傷になる攻撃をしたようにとれると、春奈は後になって気づいた。 「女王蜘蛛は呼びかけにも全く答えなかった。あたしは女王蜘蛛がどうして事件を起こしたのかもわからないまま。だから……何か仕方のない事情があってあたしたちと戦わざるを得なかったのかもしれないって、ずっとそのことを考えちゃって。スピンドル君は……どう思う?」  春奈に問われたスピンドルは少し考えるように空を見上げて、答えた。 「気にせんでええんちゃうかな。ラルヴァも人も同じやし」 「同じ?」 「何考えとるか分からんときの方が多いし、戦わなあかんときもある。戦って倒す必要あるなら倒す。そうでないならそうでない風に付き合う。そういうもんやろ? 変わらんわ。  せやから春奈ちゃんが悩む必要はあらへん。話もせずに戦ったいうことは女王蜘蛛には戦う必要があったんや。手加減したいうなら手加減する必要があったんや。全部あっちの都合なんやし、今回の一件は春奈ちゃんが気にすることでもないわ。ただまぁ、いつか話が通じて戦う以外に何とかできそうな相手に会ったときには、そんな風に悩めばええんやない?」 「……そうかもしれませんね」  春奈はほんの少しだけ、悩みが晴れた顔をした。そんな彼女を見てスピンドルは思う。 (何で俺は任務失敗の原因にこんなこと言ってるんやろなー。別にええけど。……ん?)  スピンドルがふと気づくと、春奈が真剣な表情でスピンドルを見ていた。 (ひょっとすると俺の正体がばれよったか? 俺なんかへましたか?)  と、スピンドルが戦々恐々していると。 「御代わり、頼んでもいい? なんだか考え事が片付いたらお腹減っちゃった」 「……どんだけ食うねん至皇帝」  拍子抜けして力が抜けたツッコミをしながら、スピンドルは御代わりを注文した。  ・・・・・・  あの事件から三日経った。  大規模な事件ではあったが女王蜘蛛が予め手を打っていたことと幸運な条件が幾つか重なったお陰でこの国ではラルヴァの存在は隠蔽されたままになっている。  隠蔽といえば私も『別れ谷の事件のときは異なる地域で調査活動をしていた』と偽装することができた。とは言ってもそう嘘ばかり並べ立てたわけではない。あの日、別れ谷から脱出してすぐに該当地域に飛び、二日間は調査活動をしていたのだ。要は二日間の調査を六日間だと誤魔化して報告したわけだ。この改竄のため、ミナ君との約束通り那美君に事情を話して口裏を合わせてもらう必要があった。それに調査では双葉学園の人間は使えなかったので伝手のあるフリーランサーに同伴してもらう必要があり、少なくない出費もあった。  ただ、その甲斐はあったように思う。 「人差し指の糸を取ってですねー」 「ひとさしゆび……」  私が机で本と睨みあう作業を中断して後ろを振り返ると、助手と少女があやとりをしていた。いつもは携帯やビデオゲーム機で遊んでいる助手がそんな古風な遊びをしているのは、少女の境遇に少し思うところがあるからだろうか?  あの日、五代目の女王蜘蛛から託された少女は、私が調査地で見つけた身寄りと記憶のない異能力者として昨日からこの学園都市にいる。そういった境遇の異能力者は珍しくもないので無理なく学園側に受け入れられた。  無論、彼女は異能力者ではなくラルヴァである。だが、体の組成や構造は人と対して変わりがない。より大きな身体変化を伴う異能力者が多くいることを考えれば彼女が異能力者だと主張しても別段何の問題もない。元より女王蜘蛛に関しては歴史上の行動記録以外のデータは少なく、比較されることもないので彼女が女王蜘蛛であるとばれる心配もない。  また、住む場所に関しては私が後見人となり身柄を預かる形になっている。 「こうこうこうしてこうすれば蝶々ができますよー」 「こう?」  助手が少女の前で実演して見せると少女も首を傾げながら真似する。  加えてもう一つ幸いだったのが彼女が言語や数学に関してある程度の知識をもって生まれてきたことだ。知識を継承する生態を有していた女王蜘蛛でも継承前にある程度の知識をもっていなければ生きる上で都合が悪かったのだろう。要は彼女が赤子ではなく少女の姿で生まれてきたのと同じ理屈だ。 「できた」  少女が作ったあやとりを助手に見せる。しかしそれはどういうわけか助手の作った平面の蝶とは似ても似つかない見事に立体的な蝶だった。 「この子あやとりすっごい上手ですよー!」 「蜘蛛だしなぁ……」  血筋だろうか。 「ところでセンセ。この子のことは何て呼べばいいんですかね? この子とか彼女とかって呼び続けるのもあれですし」 「リリエラ……さっきから私が何をしていたと思う?」  私は机の上にある本を指差す。 「H本鑑賞?」 「殴るぞ」  表紙に大きく姓名判断と書いてあるだろうに。 「しかし、中々上手い名前が思いつかなくてな。昨日から徹夜で考えっぱなしだ」 「へー、一生懸命ですねー」 「一生懸命考えるのは当たり前のことだ」  名は重要だ。生命は少なからず名に在り方を縛られる。何より故人の頼みだ。それこそ自分の子供の名前を考えるように真剣に臨まねばならない。……私に子供が出来るかは置いておくとして。 「本人にどんな名前がいいか聞けばいいじゃないですかー。ちょっと聞きますねー。どんな名前が良いですかー」 「くも」 「名前は蜘蛛でいいそうですよー」 「いやそういうわけにもいかんだろう」  女皇蜘蛛に言うのも変な話だが、女の子の名前が蜘蛛というのは流石にひどいと私でも思う。しかし逆に、本人の希望も少し通すべきなのかもしれない。 「蜘蛛……クモ……雲か。いや、もう一捻り」  そうして私は日が暮れるまで考えて、ようやく結論づいた。 「八雲。君の名前は今日から語来八雲だ」  八は蜘蛛の足の数。そして日本で古来より聖なる数字として祀られてきた数字だ。この子の在り様とこれからを考えて、これ以上の名前は思いつかなかった。 「名が正体を現しまくってますねー」  五月蝿い。助手の本名ほど直球じゃないだろう。 「かたらい?」  しかし、当の彼女は自分の名前を聞いてどういうわけか名ではなく姓に興味をもったようだ。 「かたらい?」  今度は私を指差しながら再び姓を呟く。 「ああ、私の苗字だ。これから一緒に住むわけだから統一した方がいいと思ってそうしんだが、嫌か?」  私が尋ねると八雲はブンブンと首を振って否定する仕草をした。 「すごく、うれしい」 「そんなに喜んでもらえると悩んだ甲斐がある」 「別にセンセが一生懸命考えた名前はそんな重要じゃないみたいですけどねー」  どういう意味だ? 「それよりセンセ、八雲ちゃんもこれからずっと一緒に住むんですか?」 「まぁ、一人立ちできるか止むを得ないことになるまでは一緒に暮らすことになるだろうな」 「じゃあ……家族ですねー」 「そうなる」  私達の会話を聞いていた八雲は、ペコリと頭を下げてこう言った。 「ふつつかものですがよろしくおねがいします」 「それは使い方が違う」  こうして紆余曲折を経て、私の家に語来八雲という名の新たな扶養家族が加わった。  第七話【女王蜘蛛】  了 登場ラルヴァ 【名称】   :女王蜘蛛 【カテゴリー】:デミヒューマン 【ランク】  :中級S-1(事件後4に改定) 【初出作品】 :怪物記 第七話 【他登場作品】: 【備考】   蜘蛛型ラルヴァの王であり平安時代から存在が確認されている古いラルヴァ。  支配力は高く、蜘蛛に命じて城を建築した例もある。  性格嗜好は人に近いが主食は他種のラルヴァである。  捕食により摂取した魂源力を心臓で二百年かけて凝縮して核を作る。  それを二百年周期の産卵の儀式で生んだ子供に知識を蓄えた脳髄と共に与え継承する生態をもつ。  代を重ねるごとにその魂源力、知識は増大されており、その強化は蜘蛛の王となった三代目から二代後の五代目まで続いた。  戦闘力においても他の蜘蛛型ラルヴァを遥かに上回る力を有しており、ワンオフ級とも称される。  その能力は自らの髪を媒体にした糸繰りであり、糸繰りにより大蜘蛛の姿に変貌することが知られている。  人類と半友好的な関係を築いていたが2019年九月に別れ谷にて人類と対立。  大規模な戦闘の末に討伐される。  丁度二百年周期の儀式の時期であったが六代目の産卵は確認されていない。  そのため、女王蜘蛛は千年の歴史の末に絶滅した。 【名称】   :天蜘蛛 【カテゴリー】:ビースト 【ランク】  :中級A-3 【初出作品】 :怪物記 第七話 【他登場作品】: 【備考】   旅客機を遥かに上回るサイズをもつ蜘蛛型最大級の巨大ラルヴァ。  普段は空に浮かぶ雲の中に潜んでいるが、食事の際は地上と雲の間に鋼糸の巣を張ってラルヴァや人の乗った飛行機を捕えて捕食する。  その巨体と重量をしてどうやって雲の中に潜めているのかなど謎の多いラルヴァである。 【名称】   :蜘蛛猿 【カテゴリー】:ビースト 【ランク】  :下級B-3 【初出作品】 :怪物記 第七話 【他登場作品】: 【備考】   蜘蛛と猿の性質を有し集団で狩りをするラルヴァ。  小柄だが蜘蛛の糸と毒、猿の身軽さと柔軟な筋肉をもつため見た目よりも手ごわい。  人だけでなく他の動物なども襲う。 【名称】   :水蜘蛛 【カテゴリー】:ビースト 【ランク】  :下級C-3 【初出作品】 :怪物記 第七話 【他登場作品】: 【備考】   水辺に棲む蜘蛛とアメンボの性質を有するラルヴァ。  水面下に巣を張って獲物がかかるのを待つ。 【名称】   :ナイトヘッド 【カテゴリー】:デミヒューマン? 【ランク】  :中級S-4 【初出作品】 :怪物記 第四話 【他登場作品】: 【備考】   :一人称:僕 二人称:君  <ワンオフ>  登録番号4 世闇ノ魔人  シルクハットを被り燕尾服を着た少年の姿をしたラルヴァ    その身体から牙、歯、目、耳、髪など頭部に関連した分身を出すことができる。  ただし、それらの分身は日光に当たると途端に分解されて消滅する。  また接触により他者の生気・魂源力を吸収する性質をもつことから吸血鬼の一種ではないかとも言われている。  しかし、上記以外の吸血鬼では説明のつかない事象も引き起こしているため、不可思議としてワンオフの一体と目されている。  

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