【時計仕掛けのメフィストフェレス 劇場版第二部「煉獄編」1】

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[[ラノで読む>http://rano.jp/1364]]  A.D.2019.7.10 16:20 東京都 双葉学園 商店街 「やめてぇええええええええええええええええええええっ!!」  日の沈む、無人の商店街に――  クロームのひしゃげる音が――永劫機メフィストフェレスの、敗北を告げる音が、響いた。  赤く染まる街は、まるで血に染まったよう。  砕けた鋼の欠片が舞う中――しかし、それは動いた。 「!?」  黒い腕が、鉛の腕を掴む。  永劫機メフィストフェレスが、敗北してなお――永劫機アリオーンの腕を掴みあげる。 「まさか――」  腕に力がこもる。掴まれたフレームがひしゃげる。  永劫機メフィストフェレスの全身に力が入り、敗北してなお反抗の意思を見せる。  そう――たかだか敗北した程度で、負けたぐらいの事で、倒れていられるか! 「まだ、動くなんて……っ!」  必殺必滅の時空爆縮回帰呪法(クロノス・レグレシオン)。それを撃ち放った以上、残された力は無く。  その機を狙い叩いた以上、もはや抗う力も無い。  そのはずだ。そのはずなのに――!  それでも、永劫機メフィストフェレスは動く。  残された力が無かろうとも。抗う力が無かろうとも。それでも――心は折れぬ。  そう、永劫機メフィストフェレスは契約者である祥吾の意思を反映する。  祥吾は諦めない、祥吾の心は折れない。  敗北など、すでに幾つも経験している。いまさら黒星がひとつ増えた所で、それはただそれだけの事だ。  それでも――  諦めなければ――  心折れなければ―― 「うおおおおおおおおお!!」  吼える。  ありったけの意思を込める。  ああそうだ、確かに罠に嵌ってしまった。だがそれでも戦う。戦ってやる。  理不尽に屈してなるものか。  永劫機メフィストフェレスの腕が永劫機アリオーンの腕を掴み、突き刺さったその腕を引き剥がす。  そしてそのままその腕を振り解き、そして殴りつける。 「っぁあっ!」  永劫機アリオーンは、想定外の一撃を喰らい、バランスを崩して墜落、アスファルトに叩きつけられる。 「ふざけんじゃねぇ、舐めんなよこの野郎ッ! こちとら大昔からいじめられ慣れてんだ!  たかだか負け犬(このおれ)相手にたった一回勝ったぐらいで、勝ち誇ってんじゃねぇッ!!」 「な――」  そのあまりにもあまりな祥吾の叫びに、桜子たちは瞠目する。  むちゃくちゃだった。論理も筋も通ってない。  そして桜子は察する。  ああ、要するにこの男は―― 「馬鹿?」  それも筋金入りの。 「さすがだな」  それを見て、直が言った。 「確かに君の心は折れない。だが――」  直が表情を変えずに、冷徹に言ってのけた。  そして、異変は起きる。いや、異変に気づく。  その兆候はすでに起きていた。起きていたのだ。  誠司たちが倒れていたのは何故か。  その答えが、これだ。それは祥吾の身体にも起きていた。  膝を突く。  全身に悪寒が走り、臓腑が冷え、頭痛が疼き、吐き気がこみ上げる。  これは――風邪だ。風邪の症状と同じだ。  それも、激しく重い。  こんな時に……否、こんな時だからだ。 「く――」  風が吹く。  敵のいる方角、風上より吹いてくる風が――病を乗せて来る。  初期位置として、祥吾たちは風下にあった事が、勝負の趨勢を決していたのだ。  時間をかければかけるほど――祥吾たちの敗北は確定的なものだった。  そう、マリオンや桜子の仲間の一人に、病原菌(ウィルス)を使うものがいる。正確には、それを操るのではなく、自分の免疫機能の操作である。それを応用して、自分の体に巣食う病原菌を使うのだ。  そしてそれは空気感染で、祥吾達に襲い掛かり、猛威を振るった。  ものの数十分程度で、彼ら全員の体を侵したのだ。  そう、心折れずとも――身体折れれば、人は脆いものだ。  倒れる。  体折(たお)れる。  どれだけ強き意志で抗おうとも――それを凌駕する、身体の異常。  病気。  苦痛や傷は、意志の力でねじ伏せる事は出来る。だが、病は――無理だ。少なくとも、今この場においては。  ゆえに。 「く――そ――――」  そして、時坂祥吾の意識は、闇に落ちた。  時計仕掛けのメフィストフェレス THE MOVIE  LOST TWENTY ――La Divina Commedia――                   第二部【煉獄篇(プルガトーリオ)】  A.D.2019.7.10 17:00 東京都 双葉学園 保健室  菅誠司が目を覚ました時一番最初に見たのは、心配そうな春奈・C・クラウディウスの眼差しだった。 「先生……?」 「よかった、これでみんな無事だよ、うん。本当によかったよ~」 「……っ」  身体を起こす。  そうだ、と誠司は思い出す。商店街の戦いを見守っていたら……急に身体に寒気が走り…… 「私達は、倒れて」 「風邪を引いて倒れたんだよ……事情は皆槻さん達から聞いたよ」  話を聞くと、直たちが春奈に連絡をいれ、保健委員への手配もしたらしい。 「……だけど、これは……」  妙に違和感がある。あれだけの悪寒、体調不良。それが完全に消えている。  治ったとしても、病み上がりの疲労や倦怠感も無い。  そう……あの病気そのものが、無かった事になっているように。 「神無さんが能力で直してくれたんだよ」  その言葉に納得がいく。  そう、先日彼女は確かに言っていた。傷を受けたという時間を消す、というような事を。  つまり、あの攻撃で風邪を引いたという時象を消したということだろう。 「神無ちゃん、大丈夫?」  記憶が確かなら、祥吾一人の傷を治すだけでかなり疲弊していたはずだ。  それを、七人分もなんて…… 「はい、大丈夫です……」  疲労を隠そうと笑顔で返答する神無。 「かなり消耗しているようだけど、命に別状はないよ、みんな」 「そうですか……」  その言葉に誠司は安堵する。 「びっくりしたぜ、本当に。お前らがそろって病院に担ぎ込まれたって聞いて」  拍手が言う。  服装は中華料理屋のエプロンのままだった。着の身着のまま、あわてて飛び出してきたのだろう。  他にも、打ち上げに参加する事になっていた生徒達の姿もある。  敷神楽鶴祁が言う。 「……事情は聞いたよ。大変な事になつているそうだね」 「……そうなんス、なんていったらいいか、とにかくヤバイっスよ」  市原が頭を抱える。市原だけではない。ここにいる全員が同じ心境だった。  仲間が、あろうことか「世界を滅ぼす」などと言われ、そして風紀委員会からの捕縛命令が下り、倒され連れ去られた。  まったく持って、悪い冗談みたいな一方的で、かつ出来の悪い展開だ。 「……どうするの? それでこれから」  遠野彼方が言う。 「どうするって……」  その言葉に、皆が黙る。  判っているのだ、理不尽すぎる。だから助けないといけない、と。だがそれは、風紀委員と敵対するという事だ。  ましてや、風紀委員会だけではない。高槻直たちが動いていた。彼女達は、学園の指令で動く異能者チームだ。つまり…… 「双葉学園と、敵対するってこったろ……」  誰かがそう言った。  学園に敵対する? 在りえない。  だが…… 「必ずしも、敵対するって訳でも……ないし」  そうだ。  時坂祥吾に対する理不尽な待遇、それを緩めるように陳情すればいいだけじゃないか?  何事も力で解決すればいいというわけではない。ましてや相手は同じ人間なのだ。無理に戦う必要は無い。  そう、彼女達が時坂祥吾に行った戦闘行為、それは……時坂祥吾がバカだから、最初から素直に従う事は無いだろうという、正しい判断によるものだろう。  誰だって、お前が世界を滅ぼす事になるから捕まえる、と言ったら反発する。ましてや相手が馬鹿なら当然だ。  それに、直たちの言葉を信じるなら、国際風紀委員会連盟……通称D.A.N.T.E.……彼らから祥吾を守る意味合いもあるという。  それを考えるなら、このまま趨勢を見守るのもありではないか?  そう考えていると、ドアがけたたましい音を立てて開く。 「大変!」  息を切らしながら、神楽二礼が駆け込んできた。  いつもの「~っす」口調でないということはね彼女自身本当に焦り、気が動転しているのだろう。 「ふっ、風紀、委員の……先輩に、っ、聞いたけど……」  肩で息をする二礼に、春奈が水を差し出す。  それを一気に飲みほして、二礼は言った。 「時坂先輩、下手したら……殺される!」  A.D.2019.7.10 17:35 東京都 双葉学園 風紀委員特別棟  時坂祥吾が目を覚ました場所は、白い部屋だった。  白い壁、白い床、白い天井、白いベッド、白いカーテン、白い鉄格子。  病的なまでに潔癖なそれは、白い部屋――というより、白い牢獄だった。 「……」  全身がだるい。疲労感と倦怠感。  病み上がりのようだ。いや、事実そうなんだろう。  そして、さらには首と両手に違和感がある。 「……囚人かよ」  そこには、ご丁寧にも手枷と首輪が嵌められていた。  じゃらり、と音がする。  部屋の内部を見回す。  無人だ。ここには自分しかいない。  ならば……とにかく脱出を試みるべきだ。  そして祥吾は、内に在るメフィストフェレスに語りかけようとし――  瞬間、全身を電流が駆け巡った。 「がぁあああああああああああああああっ!?」  身体が痙攣し、無様なダンスを躍らせる。感電死するほどの威力ではないが、容易に身体の自由を奪うほどの電流。 「う……ぐぇぅ、あ……っ」  病み上がりに加えて電流を受け、祥吾はベッドから床に倒れる。 「異能を使おうとしても無駄よ」  電流の余韻に苦しむ祥吾に、冷徹な声がかけられる。 「……ぁ……?」  首から上を動かして祥吾はその声の方向を見る。  いつのまにか扉が開いていて、そこには三つ編みとめがねの少女が立っていた。 「おはよう。といっても朝じゃないけど。よく眠れた?」 「お、お前は……?」 「束司文乃。風紀委員よ」  見下ろしながら、文乃は名乗る。 「それ」  文乃は手錠と首輪を目線で差して言う。 「超科学研究の産物なの。というより副産物、失敗作ね。魂源力を電撃に変換して敵を攻撃する為の武装として作られたけど、電撃に変換するまでは出来たけどそれをコントロールするのが不可能だった、失敗作」  肩をすくめて、文乃は笑う。 「魂源力を感知して問答無用で電撃に変換するから、違反者達の拘束にもってこいの便利な道具」 「……それでかよ」  祥吾の異能は、永劫機との契約者としての適正、である。そして永劫機を召喚し操る時だけでなく、自信の魂の内にある、メフィストと共有する内的世界へのコンタクトも……メフィへと語りかけるときも、魂源力が働くのだろう。  この戒めは、それに反応して電撃を放ったのだ。なるほど、これでは確かに異能は使えない。 「大変だったようね。あの人たち相手に歯向かうからそういう目に会うのよ」 「……っ、けしかけたのお前らだろうが……!」  身体を起こしながら、祥吾はにらみつける。 「まあ、それは否定しないけど」  その視線を平然と受け流す文乃。 「俺を、どうするつもりだ」 「どうも何も……風紀委員に捕まった素行不良生徒がどうなるかは決まってるわ。誰も手出しの出来ない懲罰施設で矯正するまで奉仕活動よ。そう、誰にも手出しの出来ない場所で」 「……あの世とか言うんじゃないだろうな」 「ある意味そうかもしれないけど、私たちは貴方を殺すつもりなんて最初からないわよ」  読解力無いね、と呆れ顔で文乃は言う。 「どういう事だよ」 「高槻さん達が言わなかった?  貴方は狙われている。ええ、まあそれは私達風紀委員会も確かに貴方を狙ったけれど」 「……は、世界を俺が滅ぼすって? 本気で信じているのかよ、お前ら……!」 「信じてないわよ」 「は……?」  あっさりと否定する文乃。 「まあ問題なのは、貴方が世界を滅ぼすかどうかじゃない。  D.A.N.T.E.が、「時坂祥吾が世界を滅ぼす」と断定してしまった、という事実が問題なのよ。  何故だか知らないけれど、彼らはそれを確定事項としてしまった。  私達はあくまでも、貴方がそうなる可能性がある、ぐらいにしか思っていない」  可能性がある、ただそれだけでこんな仕打ちもひどいものとは思うのだが。 「実際に、予言系能力者の何人かはそういう話を出してきている。  残念ながら証言もあるの。だから風紀委員も貴方を拘束した。  でも重ねて言うけれど、私達は、同じ学園の生徒をそんな理由で殺すつもりは無い。  貴方が世界を滅ぼすというのなら、滅ぼさせないように矯正するだけだから」 「で、矯正施設に放り込むってかよ……」  いい迷惑だ、と祥吾は吐き捨てる。  上から目線の圧倒的正義。なるほど、今まで風紀委員のお世話になったことは無かったが、なるほどどうして厄介なものだ。  一般生徒から嫌われ、煙たがられるのも頷けるものである。  その祥吾の反感をよそに、文乃は言った。 「安心していいわ。私たちは貴方を守ってあげる」  A.D.2019.7.10 18:00 東京都 双葉学園 保健室 「それは本当なの?」  春奈の問いに、二礼は答える。 「はい、風紀委員棟で誰かが話してたのを確かに聞いたっすよ……」  それが誰かはわからないが、確かに話していた。  しっかりと聞こえたのだ。まるで自分に教えているかのように。 「……不自然ね」 「まあ、確かにそう思うっすけど……」  それを差し置いても、捨て置けるような事ではない。明らかにこれはやりすぎだ、と二礼は思う。  風紀委員として、D.A.N.T.E.の恐ろしさは知っている。  あれは狂人の類だ。その集まりだ。双葉学園の風紀委員であの危険度にためを張れるのは、風紀委員長のデンジャーぐらいだろうと思う。  強さではなく、危険性として。  正義のためならば、殺人も平気で是とするその思想。  二礼も一部では外道巫女と呼ばれるほどに大概に無茶なほうだが、次元が明らかに違う。 「ていうか、それならなおさら考えてるヒマねぇだろ……!」  孝和が声を上げる。 「状況が変わってきたんなら……もう学園に対して喧嘩がどうかとか、気にしてる暇じゃない」 「そうっスよ、後のことは後のことで、今はそのダンテとかに時坂先輩を渡さないことが大事っス!」  市原も言う。 「……そうね、うん」  春奈も決意する。  このまま生徒を死地に黙って向かわせる訳にはいかない。  そしてそのために生徒を死地に向かわせるも同然の、この結論に対する矛盾。  学園の教師としてあるまじき行動かもしれない。だけどそれでも……  生徒達の信念を曲げてはいけないと思う。  それがもし間違っているのなら、全力で正すのも教師の仕事だ。だが、今回は明らかに、風紀委員達の軽挙妄動で勇み足だ。  おかしい。  春奈の中の何かが、そう訴えかけていた。 「私も、サポートする」 「っしゃあっ! せんせーさんがいれば百人力っス!」  春奈の言葉に、市原がガッツポーズをとる。 「うるさいよ、市原」  緊張感がない、と嗜める。だがそう言いながらも、誠司の顔も緩む。ああそうだ、やはりこういう緊張感の欠けているような空気がいい。  悲痛で悲壮なのは、この双葉学園の生活には似合わない、と思う。 「なるほど。ええと、じゃあ僕はどうすればいいかな」 「遠野先輩は、お気持ちだけで十分っスよ。相手は風紀委員で、異能者もたくさんいるっスからね。  美味いジュースでも買って待っててくださいっス!」  サムズアップで決める市原。 「じゃあ俺は美味いチャーハンでも……」 「あんたは一緒に来るっすよ」  二礼が拍手に言う。 「ええ、いや俺だって心配だけどよ、俺は異能が……」  敬が口ごもる。  彼の名誉のために言っておくならば、決して敬は臆しているわけでも、祥吾が心配でない訳でもない。  ただ敬は自らを弁えているのだ。  彼は異能者ではない。並みの一般人よりは強い程度には魂源力が確認されてはいるが、能力としての発現も見られないのだ。  そして、他の異能者が何人もいるのであれば、自分が出張っても逆に足を引っ張るのではないか――そう思った。  相手がただのラルヴァや異能者なら、敬とてここまで考えない。だが相手は危険すぎる。自分が軽々しく出ることで、より危険に仲間を巻き込むかもしれない。  だから敬は、彼にしては珍しくそこまで考えて―― 「あの」  神無が言う。前かがみで、それは胸を強調するようなポーズで。 「一緒に来てくれたら……挟んであげます」 「俺に任せろ!」  一発だった。 「……あれはあなたの入れ知恵?」  真琴が、二礼に聞く。 「くっくっく、何の事だかわかんねぇっすねぇ」 「神無さん、自分が何言ったか判ってないと思うんだけれど」 「別に何で何をはさむかなんて言ってないっすよ。アレが下世話な事言い出したら、万力で挟んでやればいいだけっすよ?」 「……」  成るほど、外道巫女と呼ばれてるのは伊達じゃないな、と真琴は内心思った。  きっとこんな感じでずっとからかわれ続けたんだろうな、今までも、そしてこれからも。  だが、真琴は気づいていなかった。  傍から見たら――孝和に対する真琴もまた似たようなものだと。  まあそれは、この場では本当に心からどうでもいいことではあるのだが。 「まあ、それはともかく、だ」  孝和が言う。 「あいつは、悪い事なんてしてない。  これから世界を滅ぼすかも知れない? そんなので捕まったり。ましてや殺されたりしてたまるか」  その言葉に全員が頷く。 「そうだね。やってもいない罪を償う事なんかない。罪に問われる謂れも、罰を受ける責任だってないよ」  遠野がそれに続く。 「全くっス。絶対に助け出すっスよ」  そう、絶対に助け出す。    A.D.2019.7.10 19:00 東京都 双葉学園 第八封鎖地区  双葉学園には二十年近い歴史があるといわれるが、それは実は誤りである。  確かに教育機関としての歴史は十八年だ。だが、その人工島としての歴史はもうすこし長い。  様々な計画、思惑が絡み合い作られた人工島。それは一説には、ラルヴァの増加を予見していたものが関わっていたと言う噂もあるが真実は定かではない。  だが、学園関係以外にも様々な施設がかつて存在していたのは周知の事実である。その全ては現在は学園関連施設、研究施設に置き換わっているか、あるいは廃棄された跡が残るのみだが。  そしてそういった廃墟は危険なために封鎖されている事も多い。  そういった廃墟を、学園やその他の組織が秘密裏に別の用途として利用している、というのは……都市伝説レベルの噂でしかなかったが。  しかし、覚えていて欲しい。  都市伝説とは、根拠があるからこその都市伝説だ。  火の無いところに煙は立たない……というあれである。  いわく、外部の組織……聖痕やオメガサークルなどの中継基地がある。  いわく、醒徒会の盗撮写真などを高値で取引している闇マーケットがある。  いわく、潰れたはずの違法異能研究機関が未だに存続している。  そして、いわく……風紀委員会の特別矯正施設が、そこに存在している。 「ただの噂かと思ってたけど」  真琴が周囲を見回しながら言う。  なるほど、典型的な、放棄された廃墟だ。こんな所まであるのだから、双葉学園も広い物だと思う。 「実は私も噂程度に思ってたっすよ、そういうの。まあ見習いだから知らされてなかったのかもしれないっすけど……」  それにしたって胡散臭くて、怪しすぎて…… 「ゾクゾクくるっすね」 「いやそれはどうかと思う」  気持ちはわからないではないが。 「ん、なんでしょうあれ、ねぇお姉さま」  何故かついてきている米良綾乃が、前方を指差す。  本当に何故ついてきているのかは判らないが、戦力は多いほうがいいだろうと動向を許可した。  というか許可しなければ無理やりついてこられて引っかき回されるのが目に見えていた。 「どれだ」 「あれ、あの……フェンスの所に」  見ると、ぐるりと広く廃墟を囲むフェンスがある。有刺鉄線でぐるぐる巻きにされた、いかにもという立ち入り禁止のフェンス。  そのフェンスの中に、鉄格子の扉がひとつ。  扉の上には、鉄の板に碑文が刻まれていた。    Per me si va ne la citta dolente,  per me si va ne l'etterno dolore,  per me si va tra la perduta gente.  Giustizia mosse il mio alto fattore;  fecemi la divina podestate,  la somma sapienza e 'l primo amore.  Dinanzi a me non fuor cose create  se non etterne, e io etterno duro.  Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate' 「なんて書いてあるんでしょうか? これ」  それを見て鶴祁が言う。 「これは有名だよ。神曲に出てくる、地獄門の碑文だな。 “我を過ぐれば憂ひの都あり、  我を過ぐれば永遠の苦患あり、  我を過ぐれば滅亡の民あり  義は尊きわが造り主を動かし、  聖なる威力、比類なき智慧、  第一の愛我を造れり  永遠の物のほか物として我よりさきに  造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、  汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ”  ……そう書いている。脅し文句にしては陳腐だな」  鶴祁が碑文を朗読する。 「脅し文句っつーか、研究施設跡には似つかわしくない文面ですね、これ。  でもお姉さまとなら地獄の底までひぁうぃごうです!」 「そうか、頼もしいな」  綾乃の熱烈アプローチを素で受け流す鶴祁。たぶん判ってないのだろう。 「……上等じゃないか」  拍手がそれを聞いて拳を握る。 「要するに、ケンカ売ってる訳だ」 「意訳バリバリだなそれ。ま、合ってるか」  和孝は、その鉄格子の前に立つ。 「ボロボロだな……っと!」  言いながら、鉄格子を蹴破る。錆付いた鉄格子は耳障りな音を立てて転がった。 「行きましょう」  春奈が促す。  一同はフェンスをくぐり、先へと進む。 「止まれ」  廃墟の風に乗って、声が響いた。 「……!」  その声に身構える。 「……皆槻さん」  春奈は声を硬くする。  正直、会いたくなかった。ここで立ちはだかるのが、たとえば大人の警備員だとか、外部の人間だとか、そういった展開であればどれだけ気が楽だっただろうか。  だが、春奈の予測は、残酷にそして冷徹に、実現した。  生徒を率いて生徒と戦う。なんというふざけた悪い夢だろうか。  だがそれでも、選んだのは春奈自身だ。避けられない戦いなら、止められぬ争いなら、せめて双方に被害のないように、最短で決着をつけさせる。  そのために、彼女はここに立っている。それが信念だ。  そして――信念なら、おそらく春奈たちの前に立ち塞がる彼女達もまた持っているだろう。 「お揃い、か。うん、しかしあれだね、なんだか私達が悪役のようだ」  直は苦笑する。 「そう思うなら、どいてくれると嬉しいんだが」  敬が一歩前に出て言う。 「それは出来ないな。これも仕事だ」 「仲間を売り渡す事がかよ!」 「違うな。世界を守ることだ」  クレバーに言い放つ直。  だが直とて、本質的には冷徹ではなく、むしろ熱い方だ。本心では常に戦いを望み、強者を欲している。双葉学園に来たのもそのためだ。  そして世界を守るために弱いものを犠牲にする、などという行為・思想は彼女の最も嫌うことである。  本来の彼女なら、むしろ風紀委員や双葉学園そのものにその拳を向けてもおかしくはないだろう。  だが今回は、放って置けば多くの弱い者達が傷つき、死ぬだろうということを理解しているし、それに彼をこの先の矯正施設に入れる事は時坂祥吾のためでもあることもまた理解している。  己の性質を理解し、鋼の心で律する。それが高槻直という人物だ。  ありていにいえば、「大人」であると言ってもいい。  そしてその態度は、敬や和孝たちのような……いわゆる熱血少年なタイプにとっては我慢ならないものでもあった。 「だったら……コレで語るしかねぇってことか」  敬は拳を掲げる。 「そういうことだな」  直もまた、拳にブラスナックルを嵌める。 「あと、言わなくても当然の事だが……私たちだけじゃない」  その直の言葉によって召喚されたかのように。  廃屋の屋根を砕き、3メートルほどの鋼が舞い上がる。 「永劫機アリオーン……やはり……!」 「彼女達もいるということっスね」 「そういう事だ」  量産型永劫機にマリオンの魂を付与し完成させた桜子とマリオン。  そして彼女達が居るなら、夕刻の戦いで皆を病気にさせたその原因であろう、ヘンシェル・アーリアもまたいるはずだ。  その三人がいるなら、彼女達とかつて行動を共にした他の四人もいると見て間違いないだろう。  そしてその通りに、七人が姿を現した。  皆槻直、結城宮子、そして彼女たち七人。想定どおりのメンバーだった。  夕方の戦いのときに確認された人物とそこから想定される人物たち。  そう、想定どおり、だ。  ここに赴く前に、話し合ったとおりに…… 『……作戦を立てるよ。あなたたちの言うとおり、相手が高槻さんたちのチームとフリージアさんたちのチームなら……確かに厄介だよ。  だけど、彼女達は、特にフリージアさん達は、悪い意味で有名だったから』  彼女達は、かつて双葉学園に対して叛旗を翻した過去を持つ。  その仔細もまた生徒達には伏せられているし、春奈自身もそこを突くつもりは無い。  だがそれでも、その事実は有名である以上、そこを利用する。  不良生徒が、特に異能者が醒徒会や風紀委員会によって補導されたあと、「反省を促すための奉仕活動」としてラルヴァ討伐などに参加させられる事はよくある事である。  そして得てして、そういう生徒達は「醒徒会の犬」「風紀委員の犬」となってしまった境遇に対して不満と怒り、そして屈辱を覚えている事が多い。  彼女達もまた、事件を起こしその結果として風紀委員たちの下で今回の仕事をしているのなら…… 「ぷふー」  彼女達を見て、二礼が噴出す。 「?」  その姿にヘンシェルたちは怪訝な顔をする。  そして…… 「負け犬がいるっすよねえ、見て見てホラ! 学園にケンカ売って負けて尻尾振ってる負け犬!」  神楽二礼の悪口が、炸裂した。 『挑発……っすか?』 『うん。あの子たちの一番危険なのは、まず南雲小夜子さんの暗示能力。  それを無効化するために、意識を引き付けないといけないから……』  そこで小細工を弄したところで、カテゴリーFとして苛められてきて、そして今なお苛められ続けている彼女達に効果は薄いだろう。  ならば逆に単純なほうが効果が出る。  そこで、拍手敬推薦、悪口言わせりゃ天下一品と評判の彼女の出番、と言うわけだ。 「ねー聴いたっすかおくさーん! 盛大にテロ起してズタボロに負けたそうですわよー!」  大仰に肩をすくめ、口に手を当てて大声でしゃべる二礼。 「負けるだけならまだしもそれで風紀委員の使いッ走りたぁ、プライドねーんすかねー?」 「……っ!!」  そのあまりにも馬鹿にした口調言動に、七人は怒りに息を呑む。 「何も、知らないくせに……ッ!」 「知るわけねーっす。知って欲しけりゃ説明すればどーっすかー? 百文字以上五十文字以内で提出してくださいっす。読まねーけど。  だいたい言いたい事があるなら口で言えばいいのに短絡的にテロに走るなんてそれでも文明人っすか? もしもこの世にぱんつがなかったら好きなあの子にどうして会いに行こうさよなら文明っすか?」 「馬鹿にして……!」 「事実をありのままに言うのが馬鹿にすることなんっすかふーんへーんほほーん」 (ひでぇ……!)  今、みんなの心が一つになっていた。  学園に歯向かう、それは並大抵の事ではない。今の自分達が仲間を助けるために決死の決意を決めたように、彼女達にも守るべきもの、貫くべき意志、果たすべき願いがあったのだろうとは誰にだって想像がつく。  無論、二礼本人にも。 (まあ、だからこそ効果的なんすよねぇ)  自分が正しいとと思っていようと、過ちを犯したと反省していようと……どちらにしても、それは本人にとってみれば聖域だ。  それを突かれて平然とできるなら、本人達にとっては些事と変わりない。  そして……双葉学園に牙を向く決意を固めさせるほどのそれは、彼女たちにとっては本当に大切なものだろう。  だからこそ。 「力づくでモノ言わそうなんて、所詮はその程度のテロごっこなんすよねーぇ。だから負けてあっさりと醒徒会や風紀委員に尻尾振って宗旨替えできる。いやその変わり身の速さはソンケーするっす」  徹底的に、小馬鹿にし、嘲笑した。  そして当然、それを看破できるはずもなく、彼女達は激昂する。 『ほんの少しでもいい、挑発して主導権をこちらのもの出来れば……』  先手必勝。それで布陣は揃う。 『彼女達の能力と戦い方は記録されてる。そのデータを元に作戦を組めばやっつけられるよ』  そして、金剛の皇女の真価が、ここに発揮される。  たとえ、大規模ラルヴァ戦でなく、その異能のリミッターが解除されなくとも……  春奈・C・クラウディウスのその真価は、その作戦能力と指揮能力にあるのだ。 「うおおおおおおおおおおっ!!」  そして想定どおりなら、なによりもまして先手を打つ事が最低条件。  全員が散る。  分散する理由はただ一つ。  南雲小夜子の異能をまず封じる。  その彼女の異能とは、「視界内の生物を暗示下におく」ことだ。  精神支配系の異能力。これは一番に封じておく必要性がある。  そこで、小夜子が登場した瞬間にとにかく挑発する。  そして気を引きつけつつ、自分達は分散する。この場所は廃墟なので、隠れる場所には事欠かない。つまり、視界に入らなければ、視認さえされなければ――その支配は防げる。 「っ!」  その作戦に気づいた九十九唯は、必死に心を落ち着け、そして異能を発動させる。 「……呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人」  陰陽道斑鳩流玄武、奇門遁甲の陣。  強力無比な結界の術だ。  おそらく――小夜子の異能に対抗して分散した以上、次の手は、その小夜子を潰しにかかるだろう。  ならば彼女を結界で守ればいい。そうしておけば、視界内に入る相手を暗示下における。  無論、相手も歴戦の異能者たちだ。精神支配系の異能にそう易々とかかってくれるとは思えない。  だが、それでもこの切り札があるとないとでは大違いだ。ゆえに鬼札は守らねばならない。  そして同時に、仲間達の行動を阻害しないために――  結界は最小限。自分と小夜子だけを覆い、発動させた。  そしてそれは当然ながら、春奈も織り込み済みだ。  ゆえに、彼女がとった作戦とは―― 「行けぃっ」 「了解ッ!」  真琴が和孝に触れる。  瞬間転移の異能で、和孝を跳躍させる。  その場所とは―― 「えっ」  小夜子が素っ頓狂な声をあげる。  その声に唯たちが気づいたときには、すでに遅かった。  結界を通り越し、その内部に和孝は転移していた。  なるほど、いかに強固で、通り抜ける事が叶わぬ強力無比な奇門遁甲の陣も――  その内部に瞬間転移するならば、その壁は意味を成さぬ。  そして、和孝の行動はすばやかった。 「ごめんなっ!」  小夜子の首に両手を回し、極める。いわゆるチョークスリーパーホールドだ。 「……っ!」  首の脈を押さえて血流を止め、脳に酸素が行かないようにして昏倒させるプロレス技である。  後ろから極めてしまえば、視界内に入る事も無く、洗脳される心配も無い。  そして、締め落とすまでの時間は、確かに和孝は無防備では在るが――それは奇門遁甲の陣が逆に守ってくれる。  そう、小夜子のみを確実に守ろうとした防御結界を敷いた事が、唯のミスだった。  それに気づき、結界を解き、救出に動くまでの数秒間――  それで十分。それだけあれば、和孝は女の子一人をシメ落とすぐらい造作も無かった。 「――あ」  かくん、と人形のように小夜子の身体から力が抜け落ちる。 「よくもぉっ!」  仲間を倒されフリージアが激昂し、ヘンシェルが弾かれたように拳を振るう。  だが遅い。  誠司と市原、レスキュー部の二人が走り、ヘンシェルとフリージアに襲い掛かる。 「だあああっ!」  振るわれる鉄棍と飛び蹴り。不意を突かれ、そのまま四人はもつれ合うように風下へと転げ落ちる。 「っ! 二人ともっ!」  そしてそれを追おうとする、永劫機アリオーン、そしてマリオン達。  だが宙を滑るその機体に肉薄するのは――  ――天地は万物の逆旅にして、    光陰は百代の過客なり。  言葉が響く。  それは呪文。それは聖約。それは禁忌。  そう、紅玉懐中時計に封印された時計仕掛けの天使の機構を開放するキーワード。    而して浮生は、夢の若しなり――!  力が、爆現する。  全長3メートルの巨体。  チクタクチクタクと刻まれる真紅のクロームの巨躯。  流れるような流線型のデザインは、流麗にして苛烈。  各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。  まるで羽衣のような飾り布が、燃え上がる陽炎のように揺らめき、その美しさを際立たせる。  それは大地の力を秘めた赤き怒り。  これこそが、その危険性により計画凍結・破棄された、時計仕掛けの天使(クロックワーク・アンゲルス)―― 「永劫機(アイオーン)……アールマティ!」  桜子がそれを見て叫ぶ。 「そうだ。君達のと違い、純然たるオリジナルだよ」 「……っ、マリオンっ!」  ある意味、ここにマリオンは二人いる。量産型永劫機の機体に彼女の魂を同調させて生み出したアリオーン。  そして、もう一人、桜子純正のヒエロムスマシンのボディに魂を宿した彼女。  二人がかりでなら、恐れる事は無い。永劫機メフィストフェレスとて追い詰めたのだ。  だが―― 「私を忘れてもらっちゃァ困るっ! 愛の炎がこの身を燃やす、メラメラ中学生米良綾乃、ここに推参ッ!」  鶴祁とて、また一人ではない。 「綾乃君、彼女は君に任せる」 「いぇっさーお姉さまっ!」  そして、アールマティ。彼女にもまた当然ながらその人格が存在する。 「往くぞ、アールマティ」 『はい、お嬢様』  故に、三対三。双方共に、相手にとって不足なし。  かくして分散された中、直と宮子は眼前の敵に集中する。  そこに立つのは、敬と二礼だ。 「あらあら、バラバラっすね。いいんすかね、戦力分散っすよ?」 「構わないさ」  その挑発に、直は拳を掲げる。 「結果は同じだ」  その眼差しに迷いは無く。 (あちゃあ、やりにくい相手っすねぇ、この人)  二礼は嘆息する。  この手の相手に、挑発などの精神攻撃は効かない。良くも悪くもまっすぐな相手。  手加減も何もなしに正面からぶつかってくるだろう。 「俺がやる」  敬が前に出る。  拍手敬は肌で感じる。目の前の相手は強い。女だとか、乳だとかは関係なく、強敵だ。  本気の全霊でかからねば――打ち破れないだろう、と直感する。 「いい気迫だ」  その敬の覚悟を肌で感じながら、直は笑う。 「そっちこそ」  敬は笑える心境ではなかったが、それでも答える。 「いい風が、吹きそうだ」 「私達は、どうしよっか」 「そうっすねぇ……」  宮子は、治癒系能力者。  一方二礼は、神の召喚というもので、どちらも補助系の異能と言ってもいい。  治癒能力は触れねば使えぬし、二礼の力も戦場で行うには時間もかかりすぎるし隙も多い。  故に…… 「まあ、無駄に潰しあってもね。私は、ナオに賭けるわ」 「そっすね。まあ私は賭けないっすけど」  二礼は相変わらずだった。  風が吹く。  荒廃した空気をはごんで来る。  春奈は、その風の中、教え子達の戦いを見守っていた。 「みんな……がんばって」  春奈のやるべきことはもうない。  あとは、自分の生徒達を信じるのみだ。  なるべく傷つかないように、と。それは偽善者なのかもしれない、と春奈は自重する。  だってそうだろう、どれだけ言い繕おうとも、この地に生徒達を導き、ぶつけ合わせたのは自分だ。 「先生……先生は、悪くないです」  傍らで、神無が言う。 「……」  その言葉に、どう答えていいものか、春奈はわからない。  悪いのは誰か、悪いのは何か。何が正しくて間違っているのか。  そんなこと――わかろうはずもない。  でも、それでも。 「大丈夫、だよ」  春奈は傍らの教え子に言う。 「……必ず、みんなで帰らなきゃ」 「……はい」  双葉学園第八封鎖地区――地獄門。  一切の望みを捨てた者たちが立つ事を許されるその地で、  今、総力戦が始まった。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品投稿場所に戻る>作品投稿場所]]
[[ラノで読む>http://rano.jp/1364]]  A.D.2019.7.10 16:20 東京都 双葉学園 商店街 「やめてぇええええええええええええええええええええっ!!」  日の沈む、無人の商店街に――  クロームのひしゃげる音が――永劫機メフィストフェレスの、敗北を告げる音が、響いた。  赤く染まる街は、まるで血に染まったよう。  砕けた鋼の欠片が舞う中――しかし、それは動いた。 「!?」  黒い腕が、鉛の腕を掴む。  永劫機メフィストフェレスが、敗北してなお――永劫機アリオーンの腕を掴みあげる。 「まさか――」  腕に力がこもる。掴まれたフレームがひしゃげる。  永劫機メフィストフェレスの全身に力が入り、敗北してなお反抗の意思を見せる。  そう――たかだか敗北した程度で、負けたぐらいの事で、倒れていられるか! 「まだ、動くなんて……っ!」  必殺必滅の時空爆縮回帰呪法(クロノス・レグレシオン)。それを撃ち放った以上、残された力は無く。  その機を狙い叩いた以上、もはや抗う力も無い。  そのはずだ。そのはずなのに――!  それでも、永劫機メフィストフェレスは動く。  残された力が無かろうとも。抗う力が無かろうとも。それでも――心は折れぬ。  そう、永劫機メフィストフェレスは契約者である祥吾の意思を反映する。  祥吾は諦めない、祥吾の心は折れない。  敗北など、すでに幾つも経験している。いまさら黒星がひとつ増えた所で、それはただそれだけの事だ。  それでも――  諦めなければ――  心折れなければ―― 「うおおおおおおおおお!!」  吼える。  ありったけの意思を込める。  ああそうだ、確かに罠に嵌ってしまった。だがそれでも戦う。戦ってやる。  理不尽に屈してなるものか。  永劫機メフィストフェレスの腕が永劫機アリオーンの腕を掴み、突き刺さったその腕を引き剥がす。  そしてそのままその腕を振り解き、そして殴りつける。 「っぁあっ!」  永劫機アリオーンは、想定外の一撃を喰らい、バランスを崩して墜落、アスファルトに叩きつけられる。 「ふざけんじゃねぇ、舐めんなよこの野郎ッ! こちとら大昔からいじめられ慣れてんだ!  たかだか負け犬(このおれ)相手にたった一回勝ったぐらいで、勝ち誇ってんじゃねぇッ!!」 「な――」  そのあまりにもあまりな祥吾の叫びに、桜子たちは瞠目する。  むちゃくちゃだった。論理も筋も通ってない。  そして桜子は察する。  ああ、要するにこの男は―― 「馬鹿?」  それも筋金入りの。 「さすがだな」  それを見て、直が言った。 「確かに君の心は折れない。だが――」  直が表情を変えずに、冷徹に言ってのけた。  そして、異変は起きる。いや、異変に気づく。  その兆候はすでに起きていた。起きていたのだ。  誠司たちが倒れていたのは何故か。  その答えが、これだ。それは祥吾の身体にも起きていた。  膝を突く。  全身に悪寒が走り、臓腑が冷え、頭痛が疼き、吐き気がこみ上げる。  これは――風邪だ。風邪の症状と同じだ。  それも、激しく重い。  こんな時に……否、こんな時だからだ。 「く――」  風が吹く。  敵のいる方角、風上より吹いてくる風が――病を乗せて来る。  初期位置として、祥吾たちは風下にあった事が、勝負の趨勢を決していたのだ。  時間をかければかけるほど――祥吾たちの敗北は確定的なものだった。  そう、マリオンや桜子の仲間の一人に、病原菌(ウィルス)を使うものがいる。正確には、それを操るのではなく、自分の免疫機能の操作である。それを応用して、自分の体に巣食う病原菌を使うのだ。  そしてそれは空気感染で、祥吾達に襲い掛かり、猛威を振るった。  ものの数十分程度で、彼ら全員の体を侵したのだ。  そう、心折れずとも――身体折れれば、人は脆いものだ。  倒れる。  体折(たお)れる。  どれだけ強き意志で抗おうとも――それを凌駕する、身体の異常。  病気。  苦痛や傷は、意志の力でねじ伏せる事は出来る。だが、病は――無理だ。少なくとも、今この場においては。  ゆえに。 「く――そ――――」  そして、時坂祥吾の意識は、闇に落ちた。  時計仕掛けのメフィストフェレス THE MOVIE  LOST TWENTY ――La Divina Commedia――                   第二部【煉獄篇(プルガトーリオ)】  A.D.2019.7.10 17:00 東京都 双葉学園 保健室  菅誠司が目を覚ました時一番最初に見たのは、心配そうな春奈・C・クラウディウスの眼差しだった。 「先生……?」 「よかった、これでみんな無事だよ、うん。本当によかったよ~」 「……っ」  身体を起こす。  そうだ、と誠司は思い出す。商店街の戦いを見守っていたら……急に身体に寒気が走り…… 「私達は、倒れて」 「風邪を引いて倒れたんだよ……事情は皆槻さん達から聞いたよ」  話を聞くと、直たちが春奈に連絡をいれ、保健委員への手配もしたらしい。 「……だけど、これは……」  妙に違和感がある。あれだけの悪寒、体調不良。それが完全に消えている。  治ったとしても、病み上がりの疲労や倦怠感も無い。  そう……あの病気そのものが、無かった事になっているように。 「神無さんが能力で直してくれたんだよ」  その言葉に納得がいく。  そう、先日彼女は確かに言っていた。傷を受けたという時間を消す、というような事を。  つまり、あの攻撃で風邪を引いたという時象を消したということだろう。 「神無ちゃん、大丈夫?」  記憶が確かなら、祥吾一人の傷を治すだけでかなり疲弊していたはずだ。  それを、七人分もなんて…… 「はい、大丈夫です……」  疲労を隠そうと笑顔で返答する神無。 「かなり消耗しているようだけど、命に別状はないよ、みんな」 「そうですか……」  その言葉に誠司は安堵する。 「びっくりしたぜ、本当に。お前らがそろって病院に担ぎ込まれたって聞いて」  拍手が言う。  服装は中華料理屋のエプロンのままだった。着の身着のまま、あわてて飛び出してきたのだろう。  他にも、打ち上げに参加する事になっていた生徒達の姿もある。  敷神楽鶴祁が言う。 「……事情は聞いたよ。大変な事になつているそうだね」 「……そうなんス、なんていったらいいか、とにかくヤバイっスよ」  市原が頭を抱える。市原だけではない。ここにいる全員が同じ心境だった。  仲間が、あろうことか「世界を滅ぼす」などと言われ、そして風紀委員会からの捕縛命令が下り、倒され連れ去られた。  まったく持って、悪い冗談みたいな一方的で、かつ出来の悪い展開だ。 「……どうするの? それでこれから」  遠野彼方が言う。 「どうするって……」  その言葉に、皆が黙る。  判っているのだ、理不尽すぎる。だから助けないといけない、と。だがそれは、風紀委員と敵対するという事だ。  ましてや、風紀委員会だけではない。高槻直たちが動いていた。彼女達は、学園の指令で動く異能者チームだ。つまり…… 「双葉学園と、敵対するってこったろ……」  誰かがそう言った。  学園に敵対する? 在りえない。  だが…… 「必ずしも、敵対するって訳でも……ないし」  そうだ。  時坂祥吾に対する理不尽な待遇、それを緩めるように陳情すればいいだけじゃないか?  何事も力で解決すればいいというわけではない。ましてや相手は同じ人間なのだ。無理に戦う必要は無い。  そう、彼女達が時坂祥吾に行った戦闘行為、それは……時坂祥吾がバカだから、最初から素直に従う事は無いだろうという、正しい判断によるものだろう。  誰だって、お前が世界を滅ぼす事になるから捕まえる、と言ったら反発する。ましてや相手が馬鹿なら当然だ。  それに、直たちの言葉を信じるなら、国際風紀委員会連盟……通称D.A.N.T.E.……彼らから祥吾を守る意味合いもあるという。  それを考えるなら、このまま趨勢を見守るのもありではないか?  そう考えていると、ドアがけたたましい音を立てて開く。 「大変!」  息を切らしながら、神楽二礼が駆け込んできた。  いつもの「~っす」口調でないということはね彼女自身本当に焦り、気が動転しているのだろう。 「ふっ、風紀、委員の……先輩に、っ、聞いたけど……」  肩で息をする二礼に、春奈が水を差し出す。  それを一気に飲みほして、二礼は言った。 「時坂先輩、下手したら……殺される!」  A.D.2019.7.10 17:35 東京都 双葉学園 風紀委員特別棟  時坂祥吾が目を覚ました場所は、白い部屋だった。  白い壁、白い床、白い天井、白いベッド、白いカーテン、白い鉄格子。  病的なまでに潔癖なそれは、白い部屋――というより、白い牢獄だった。 「……」  全身がだるい。疲労感と倦怠感。  病み上がりのようだ。いや、事実そうなんだろう。  そして、さらには首と両手に違和感がある。 「……囚人かよ」  そこには、ご丁寧にも手枷と首輪が嵌められていた。  じゃらり、と音がする。  部屋の内部を見回す。  無人だ。ここには自分しかいない。  ならば……とにかく脱出を試みるべきだ。  そして祥吾は、内に在るメフィストフェレスに語りかけようとし――  瞬間、全身を電流が駆け巡った。 「がぁあああああああああああああああっ!?」  身体が痙攣し、無様なダンスを躍らせる。感電死するほどの威力ではないが、容易に身体の自由を奪うほどの電流。 「う……ぐぇぅ、あ……っ」  病み上がりに加えて電流を受け、祥吾はベッドから床に倒れる。 「異能を使おうとしても無駄よ」  電流の余韻に苦しむ祥吾に、冷徹な声がかけられる。 「……ぁ……?」  首から上を動かして祥吾はその声の方向を見る。  いつのまにか扉が開いていて、そこには三つ編みとめがねの少女が立っていた。 「おはよう。といっても朝じゃないけど。よく眠れた?」 「お、お前は……?」 「束司文乃。風紀委員よ」  見下ろしながら、文乃は名乗る。 「それ」  文乃は手錠と首輪を目線で差して言う。 「超科学研究の産物なの。というより副産物、失敗作ね。魂源力を電撃に変換して敵を攻撃する為の武装として作られたけど、電撃に変換するまでは出来たけどそれをコントロールするのが不可能だった、失敗作」  肩をすくめて、文乃は笑う。 「魂源力を感知して問答無用で電撃に変換するから、違反者達の拘束にもってこいの便利な道具」 「……それでかよ」  祥吾の異能は、永劫機との契約者としての適正、である。そして永劫機を召喚し操る時だけでなく、自信の魂の内にある、メフィストと共有する内的世界へのコンタクトも……メフィへと語りかけるときも、魂源力が働くのだろう。  この戒めは、それに反応して電撃を放ったのだ。なるほど、これでは確かに異能は使えない。 「大変だったようね。あの人たち相手に歯向かうからそういう目に会うのよ」 「……っ、けしかけたのお前らだろうが……!」  身体を起こしながら、祥吾はにらみつける。 「まあ、それは否定しないけど」  その視線を平然と受け流す文乃。 「俺を、どうするつもりだ」 「どうも何も……風紀委員に捕まった素行不良生徒がどうなるかは決まってるわ。誰も手出しの出来ない懲罰施設で矯正するまで奉仕活動よ。そう、誰にも手出しの出来ない場所で」 「……あの世とか言うんじゃないだろうな」 「ある意味そうかもしれないけど、私たちは貴方を殺すつもりなんて最初からないわよ」  読解力無いね、と呆れ顔で文乃は言う。 「どういう事だよ」 「高槻さん達が言わなかった?  貴方は狙われている。ええ、まあそれは私達風紀委員会も確かに貴方を狙ったけれど」 「……は、世界を俺が滅ぼすって? 本気で信じているのかよ、お前ら……!」 「信じてないわよ」 「は……?」  あっさりと否定する文乃。 「まあ問題なのは、貴方が世界を滅ぼすかどうかじゃない。  D.A.N.T.E.が、「時坂祥吾が世界を滅ぼす」と断定してしまった、という事実が問題なのよ。  何故だか知らないけれど、彼らはそれを確定事項としてしまった。  私達はあくまでも、貴方がそうなる可能性がある、ぐらいにしか思っていない」  可能性がある、ただそれだけでこんな仕打ちもひどいものとは思うのだが。 「実際に、予言系能力者の何人かはそういう話を出してきている。  残念ながら証言もあるの。だから風紀委員も貴方を拘束した。  でも重ねて言うけれど、私達は、同じ学園の生徒をそんな理由で殺すつもりは無い。  貴方が世界を滅ぼすというのなら、滅ぼさせないように矯正するだけだから」 「で、矯正施設に放り込むってかよ……」  いい迷惑だ、と祥吾は吐き捨てる。  上から目線の圧倒的正義。なるほど、今まで風紀委員のお世話になったことは無かったが、なるほどどうして厄介なものだ。  一般生徒から嫌われ、煙たがられるのも頷けるものである。  その祥吾の反感をよそに、文乃は言った。 「安心していいわ。私たちは貴方を守ってあげる」  A.D.2019.7.10 18:00 東京都 双葉学園 保健室 「それは本当なの?」  春奈の問いに、二礼は答える。 「はい、風紀委員棟で誰かが話してたのを確かに聞いたっすよ……」  それが誰かはわからないが、確かに話していた。  しっかりと聞こえたのだ。まるで自分に教えているかのように。 「……不自然ね」 「まあ、確かにそう思うっすけど……」  それを差し置いても、捨て置けるような事ではない。明らかにこれはやりすぎだ、と二礼は思う。  風紀委員として、D.A.N.T.E.の恐ろしさは知っている。  あれは狂人の類だ。その集まりだ。双葉学園の風紀委員であの危険度にためを張れるのは、風紀委員長のデンジャーぐらいだろうと思う。  強さではなく、危険性として。  正義のためならば、殺人も平気で是とするその思想。  二礼も一部では外道巫女と呼ばれるほどに大概に無茶なほうだが、次元が明らかに違う。 「ていうか、それならなおさら考えてるヒマねぇだろ……!」  孝和が声を上げる。 「状況が変わってきたんなら……もう学園に対して喧嘩がどうかとか、気にしてる暇じゃない」 「そうっスよ、後のことは後のことで、今はそのダンテとかに時坂先輩を渡さないことが大事っス!」  市原も言う。 「……そうね、うん」  春奈も決意する。  このまま生徒を死地に黙って向かわせる訳にはいかない。  そしてそのために生徒を死地に向かわせるも同然の、この結論に対する矛盾。  学園の教師としてあるまじき行動かもしれない。だけどそれでも……  生徒達の信念を曲げてはいけないと思う。  それがもし間違っているのなら、全力で正すのも教師の仕事だ。だが、今回は明らかに、風紀委員達の軽挙妄動で勇み足だ。  おかしい。  春奈の中の何かが、そう訴えかけていた。 「私も、サポートする」 「っしゃあっ! せんせーさんがいれば百人力っス!」  春奈の言葉に、市原がガッツポーズをとる。 「うるさいよ、市原」  緊張感がない、と嗜める。だがそう言いながらも、誠司の顔も緩む。ああそうだ、やはりこういう緊張感の欠けているような空気がいい。  悲痛で悲壮なのは、この双葉学園の生活には似合わない、と思う。 「なるほど。ええと、じゃあ僕はどうすればいいかな」 「遠野先輩は、お気持ちだけで十分っスよ。相手は風紀委員で、異能者もたくさんいるっスからね。  美味いジュースでも買って待っててくださいっス!」  サムズアップで決める市原。 「じゃあ俺は美味いチャーハンでも……」 「あんたは一緒に来るっすよ」  二礼が拍手に言う。 「ええ、いや俺だって心配だけどよ、俺は異能が……」  敬が口ごもる。  彼の名誉のために言っておくならば、決して敬は臆しているわけでも、祥吾が心配でない訳でもない。  ただ敬は自らを弁えているのだ。  彼は異能者ではない。並みの一般人よりは強い程度には魂源力が確認されてはいるが、能力としての発現も見られないのだ。  そして、他の異能者が何人もいるのであれば、自分が出張っても逆に足を引っ張るのではないか――そう思った。  相手がただのラルヴァや異能者なら、敬とてここまで考えない。だが相手は危険すぎる。自分が軽々しく出ることで、より危険に仲間を巻き込むかもしれない。  だから敬は、彼にしては珍しくそこまで考えて―― 「あの」  神無が言う。前かがみで、それは胸を強調するようなポーズで。 「一緒に来てくれたら……挟んであげます」 「俺に任せろ!」  一発だった。 「……あれはあなたの入れ知恵?」  真琴が、二礼に聞く。 「くっくっく、何の事だかわかんねぇっすねぇ」 「神無さん、自分が何言ったか判ってないと思うんだけれど」 「別に何で何をはさむかなんて言ってないっすよ。アレが下世話な事言い出したら、万力で挟んでやればいいだけっすよ?」 「……」  成るほど、外道巫女と呼ばれてるのは伊達じゃないな、と真琴は内心思った。  きっとこんな感じでずっとからかわれ続けたんだろうな、今までも、そしてこれからも。  だが、真琴は気づいていなかった。  傍から見たら――孝和に対する真琴もまた似たようなものだと。  まあそれは、この場では本当に心からどうでもいいことではあるのだが。 「まあ、それはともかく、だ」  孝和が言う。 「あいつは、悪い事なんてしてない。  これから世界を滅ぼすかも知れない? そんなので捕まったり。ましてや殺されたりしてたまるか」  その言葉に全員が頷く。 「そうだね。やってもいない罪を償う事なんかない。罪に問われる謂れも、罰を受ける責任だってないよ」  遠野がそれに続く。 「全くっス。絶対に助け出すっスよ」  そう、絶対に助け出す。    A.D.2019.7.10 19:00 東京都 双葉学園 第八封鎖地区  双葉学園には二十年近い歴史があるといわれるが、それは実は誤りである。  確かに教育機関としての歴史は十八年だ。だが、その人工島としての歴史はもうすこし長い。  様々な計画、思惑が絡み合い作られた人工島。それは一説には、ラルヴァの増加を予見していたものが関わっていたと言う噂もあるが真実は定かではない。  だが、学園関係以外にも様々な施設がかつて存在していたのは周知の事実である。その全ては現在は学園関連施設、研究施設に置き換わっているか、あるいは廃棄された跡が残るのみだが。  そしてそういった廃墟は危険なために封鎖されている事も多い。  そういった廃墟を、学園やその他の組織が秘密裏に別の用途として利用している、というのは……都市伝説レベルの噂でしかなかったが。  しかし、覚えていて欲しい。  都市伝説とは、根拠があるからこその都市伝説だ。  火の無いところに煙は立たない……というあれである。  いわく、外部の組織……聖痕やオメガサークルなどの中継基地がある。  いわく、醒徒会の盗撮写真などを高値で取引している闇マーケットがある。  いわく、潰れたはずの違法異能研究機関が未だに存続している。  そして、いわく……風紀委員会の特別矯正施設が、そこに存在している。 「ただの噂かと思ってたけど」  真琴が周囲を見回しながら言う。  なるほど、典型的な、放棄された廃墟だ。こんな所まであるのだから、双葉学園も広い物だと思う。 「実は私も噂程度に思ってたっすよ、そういうの。まあ見習いだから知らされてなかったのかもしれないっすけど……」  それにしたって胡散臭くて、怪しすぎて…… 「ゾクゾクくるっすね」 「いやそれはどうかと思う」  気持ちはわからないではないが。 「ん、なんでしょうあれ、ねぇお姉さま」  何故かついてきている米良綾乃が、前方を指差す。  本当に何故ついてきているのかは判らないが、戦力は多いほうがいいだろうと動向を許可した。  というか許可しなければ無理やりついてこられて引っかき回されるのが目に見えていた。 「どれだ」 「あれ、あの……フェンスの所に」  見ると、ぐるりと広く廃墟を囲むフェンスがある。有刺鉄線でぐるぐる巻きにされた、いかにもという立ち入り禁止のフェンス。  そのフェンスの中に、鉄格子の扉がひとつ。  扉の上には、鉄の板に碑文が刻まれていた。    Per me si va ne la citta dolente,  per me si va ne l'etterno dolore,  per me si va tra la perduta gente.  Giustizia mosse il mio alto fattore;  fecemi la divina podestate,  la somma sapienza e 'l primo amore.  Dinanzi a me non fuor cose create  se non etterne, e io etterno duro.  Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate' 「なんて書いてあるんでしょうか? これ」  それを見て鶴祁が言う。 「これは有名だよ。神曲に出てくる、地獄門の碑文だな。 “我を過ぐれば憂ひの都あり、  我を過ぐれば永遠の苦患あり、  我を過ぐれば滅亡の民あり  義は尊きわが造り主を動かし、  聖なる威力、比類なき智慧、  第一の愛我を造れり  永遠の物のほか物として我よりさきに  造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、  汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ”  ……そう書いている。脅し文句にしては陳腐だな」  鶴祁が碑文を朗読する。 「脅し文句っつーか、研究施設跡には似つかわしくない文面ですね、これ。  でもお姉さまとなら地獄の底までひぁうぃごうです!」 「そうか、頼もしいな」  綾乃の熱烈アプローチを素で受け流す鶴祁。たぶん判ってないのだろう。 「……上等じゃないか」  拍手がそれを聞いて拳を握る。 「要するに、ケンカ売ってる訳だ」 「意訳バリバリだなそれ。ま、合ってるか」  和孝は、その鉄格子の前に立つ。 「ボロボロだな……っと!」  言いながら、鉄格子を蹴破る。錆付いた鉄格子は耳障りな音を立てて転がった。 「行きましょう」  春奈が促す。  一同はフェンスをくぐり、先へと進む。 「止まれ」  廃墟の風に乗って、声が響いた。 「……!」  その声に身構える。 「……皆槻さん」  春奈は声を硬くする。  正直、会いたくなかった。ここで立ちはだかるのが、たとえば大人の警備員だとか、外部の人間だとか、そういった展開であればどれだけ気が楽だっただろうか。  だが、春奈の予測は、残酷にそして冷徹に、実現した。  生徒を率いて生徒と戦う。なんというふざけた悪い夢だろうか。  だがそれでも、選んだのは春奈自身だ。避けられない戦いなら、止められぬ争いなら、せめて双方に被害のないように、最短で決着をつけさせる。  そのために、彼女はここに立っている。それが信念だ。  そして――信念なら、おそらく春奈たちの前に立ち塞がる彼女達もまた持っているだろう。 「お揃い、か。うん、しかしあれだね、なんだか私達が悪役のようだ」  直は苦笑する。 「そう思うなら、どいてくれると嬉しいんだが」  敬が一歩前に出て言う。 「それは出来ないな。これも仕事だ」 「仲間を売り渡す事がかよ!」 「違うな。世界を守ることだ」  クレバーに言い放つ直。  だが直とて、本質的には冷徹ではなく、むしろ熱い方だ。本心では常に戦いを望み、強者を欲している。双葉学園に来たのもそのためだ。  そして世界を守るために弱いものを犠牲にする、などという行為・思想は彼女の最も嫌うことである。  本来の彼女なら、むしろ風紀委員や双葉学園そのものにその拳を向けてもおかしくはないだろう。  だが今回は、放って置けば多くの弱い者達が傷つき、死ぬだろうということを理解しているし、それに彼をこの先の矯正施設に入れる事は時坂祥吾のためでもあることもまた理解している。  己の性質を理解し、鋼の心で律する。それが高槻直という人物だ。  ありていにいえば、「大人」であると言ってもいい。  そしてその態度は、敬や和孝たちのような……いわゆる熱血少年なタイプにとっては我慢ならないものでもあった。 「だったら……コレで語るしかねぇってことか」  敬は拳を掲げる。 「そういうことだな」  直もまた、拳にブラスナックルを嵌める。 「あと、言わなくても当然の事だが……私たちだけじゃない」  その直の言葉によって召喚されたかのように。  廃屋の屋根を砕き、3メートルほどの鋼が舞い上がる。 「永劫機アリオーン……やはり……!」 「彼女達もいるということっスね」 「そういう事だ」  量産型永劫機にマリオンの魂を付与し完成させた桜子とマリオン。  そして彼女達が居るなら、夕刻の戦いで皆を病気にさせたその原因であろう、ヘンシェル・アーリアもまたいるはずだ。  その三人がいるなら、彼女達とかつて行動を共にした他の四人もいると見て間違いないだろう。  そしてその通りに、七人が姿を現した。  皆槻直、結城宮子、そして彼女たち七人。想定どおりのメンバーだった。  夕方の戦いのときに確認された人物とそこから想定される人物たち。  そう、想定どおり、だ。  ここに赴く前に、話し合ったとおりに…… 『……作戦を立てるよ。あなたたちの言うとおり、相手が高槻さんたちのチームとフリージアさんたちのチームなら……確かに厄介だよ。  だけど、彼女達は、特にフリージアさん達は、悪い意味で有名だったから』  彼女達は、かつて双葉学園に対して叛旗を翻した過去を持つ。  その仔細もまた生徒達には伏せられているし、春奈自身もそこを突くつもりは無い。  だがそれでも、その事実は有名である以上、そこを利用する。  不良生徒が、特に異能者が醒徒会や風紀委員会によって補導されたあと、「反省を促すための奉仕活動」としてラルヴァ討伐などに参加させられる事はよくある事である。  そして得てして、そういう生徒達は「醒徒会の犬」「風紀委員の犬」となってしまった境遇に対して不満と怒り、そして屈辱を覚えている事が多い。  彼女達もまた、事件を起こしその結果として風紀委員たちの下で今回の仕事をしているのなら…… 「ぷふー」  彼女達を見て、二礼が噴出す。 「?」  その姿にヘンシェルたちは怪訝な顔をする。  そして…… 「負け犬がいるっすよねえ、見て見てホラ! 学園にケンカ売って負けて尻尾振ってる負け犬!」  神楽二礼の悪口が、炸裂した。 『挑発……っすか?』 『うん。あの子たちの一番危険なのは、まず南雲小夜子さんの暗示能力。  それを無効化するために、意識を引き付けないといけないから……』  そこで小細工を弄したところで、カテゴリーFとして苛められてきて、そして今なお苛められ続けている彼女達に効果は薄いだろう。  ならば逆に単純なほうが効果が出る。  そこで、拍手敬推薦、悪口言わせりゃ天下一品と評判の彼女の出番、と言うわけだ。 「ねー聴いたっすかおくさーん! 盛大にテロ起してズタボロに負けたそうですわよー!」  大仰に肩をすくめ、口に手を当てて大声でしゃべる二礼。 「負けるだけならまだしもそれで風紀委員の使いッ走りたぁ、プライドねーんすかねー?」 「……っ!!」  そのあまりにも馬鹿にした口調言動に、七人は怒りに息を呑む。 「何も、知らないくせに……ッ!」 「知るわけねーっす。知って欲しけりゃ説明すればどーっすかー? 百文字以上五十文字以内で提出してくださいっす。読まねーけど。  だいたい言いたい事があるなら口で言えばいいのに短絡的にテロに走るなんてそれでも文明人っすか? もしもこの世にぱんつがなかったら好きなあの子にどうして会いに行こうさよなら文明っすか?」 「馬鹿にして……!」 「事実をありのままに言うのが馬鹿にすることなんっすかふーんへーんほほーん」 (ひでぇ……!)  今、みんなの心が一つになっていた。  学園に歯向かう、それは並大抵の事ではない。今の自分達が仲間を助けるために決死の決意を決めたように、彼女達にも守るべきもの、貫くべき意志、果たすべき願いがあったのだろうとは誰にだって想像がつく。  無論、二礼本人にも。 (まあ、だからこそ効果的なんすよねぇ)  自分が正しいとと思っていようと、過ちを犯したと反省していようと……どちらにしても、それは本人にとってみれば聖域だ。  それを突かれて平然とできるなら、本人達にとっては些事と変わりない。  そして……双葉学園に牙を向く決意を固めさせるほどのそれは、彼女たちにとっては本当に大切なものだろう。  だからこそ。 「力づくでモノ言わそうなんて、所詮はその程度のテロごっこなんすよねーぇ。だから負けてあっさりと醒徒会や風紀委員に尻尾振って宗旨替えできる。いやその変わり身の速さはソンケーするっす」  徹底的に、小馬鹿にし、嘲笑した。  そして当然、それを看破できるはずもなく、彼女達は激昂する。 『ほんの少しでもいい、挑発して主導権をこちらのもの出来れば……』  先手必勝。それで布陣は揃う。 『彼女達の能力と戦い方は記録されてる。そのデータを元に作戦を組めばやっつけられるよ』  そして、金剛の皇女の真価が、ここに発揮される。  たとえ、大規模ラルヴァ戦でなく、その異能のリミッターが解除されなくとも……  春奈・C・クラウディウスのその真価は、その作戦能力と指揮能力にあるのだ。 「うおおおおおおおおおおっ!!」  そして想定どおりなら、なによりもまして先手を打つ事が最低条件。  全員が散る。  分散する理由はただ一つ。  南雲小夜子の異能をまず封じる。  その彼女の異能とは、「視界内の生物を暗示下におく」ことだ。  精神支配系の異能力。これは一番に封じておく必要性がある。  そこで、小夜子が登場した瞬間にとにかく挑発する。  そして気を引きつけつつ、自分達は分散する。この場所は廃墟なので、隠れる場所には事欠かない。つまり、視界に入らなければ、視認さえされなければ――その支配は防げる。 「っ!」  その作戦に気づいた九十九唯は、必死に心を落ち着け、そして異能を発動させる。 「……呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人」  陰陽道斑鳩流玄武、奇門遁甲の陣。  強力無比な結界の術だ。  おそらく――小夜子の異能に対抗して分散した以上、次の手は、その小夜子を潰しにかかるだろう。  ならば彼女を結界で守ればいい。そうしておけば、視界内に入る相手を暗示下における。  無論、相手も歴戦の異能者たちだ。精神支配系の異能にそう易々とかかってくれるとは思えない。  だが、それでもこの切り札があるとないとでは大違いだ。ゆえに鬼札は守らねばならない。  そして同時に、仲間達の行動を阻害しないために――  結界は最小限。自分と小夜子だけを覆い、発動させた。  そしてそれは当然ながら、春奈も織り込み済みだ。  ゆえに、彼女がとった作戦とは―― 「行けぃっ」 「了解ッ!」  真琴が和孝に触れる。  瞬間転移の異能で、和孝を跳躍させる。  その場所とは―― 「えっ」  小夜子が素っ頓狂な声をあげる。  その声に唯たちが気づいたときには、すでに遅かった。  結界を通り越し、その内部に和孝は転移していた。  なるほど、いかに強固で、通り抜ける事が叶わぬ強力無比な奇門遁甲の陣も――  その内部に瞬間転移するならば、その壁は意味を成さぬ。  そして、和孝の行動はすばやかった。 「ごめんなっ!」  小夜子の首に両手を回し、極める。いわゆるチョークスリーパーホールドだ。 「……っ!」  首の脈を押さえて血流を止め、脳に酸素が行かないようにして昏倒させるプロレス技である。  後ろから極めてしまえば、視界内に入る事も無く、洗脳される心配も無い。  そして、締め落とすまでの時間は、確かに和孝は無防備では在るが――それは奇門遁甲の陣が逆に守ってくれる。  そう、小夜子のみを確実に守ろうとした防御結界を敷いた事が、唯のミスだった。  それに気づき、結界を解き、救出に動くまでの数秒間――  それで十分。それだけあれば、和孝は女の子一人をシメ落とすぐらい造作も無かった。 「――あ」  かくん、と人形のように小夜子の身体から力が抜け落ちる。 「よくもぉっ!」  仲間を倒されフリージアが激昂し、ヘンシェルが弾かれたように拳を振るう。  だが遅い。  誠司と市原、レスキュー部の二人が走り、ヘンシェルとフリージアに襲い掛かる。 「だあああっ!」  振るわれる鉄棍と飛び蹴り。不意を突かれ、そのまま四人はもつれ合うように風下へと転げ落ちる。 「っ! 二人ともっ!」  そしてそれを追おうとする、永劫機アリオーン、そしてマリオン達。  だが宙を滑るその機体に肉薄するのは――  ――天地は万物の逆旅にして、    光陰は百代の過客なり。  言葉が響く。  それは呪文。それは聖約。それは禁忌。  そう、紅玉懐中時計に封印された時計仕掛けの天使の機構を開放するキーワード。    而して浮生は、夢の若しなり――!  力が、爆現する。  全長3メートルの巨体。  チクタクチクタクと刻まれる真紅のクロームの巨躯。  流れるような流線型のデザインは、流麗にして苛烈。  各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。  まるで羽衣のような飾り布が、燃え上がる陽炎のように揺らめき、その美しさを際立たせる。  それは大地の力を秘めた赤き怒り。  これこそが、その危険性により計画凍結・破棄された、時計仕掛けの天使(クロックワーク・アンゲルス)―― 「永劫機(アイオーン)……アールマティ!」  桜子がそれを見て叫ぶ。 「そうだ。君達のと違い、純然たるオリジナルだよ」 「……っ、マリオンっ!」  ある意味、ここにマリオンは二人いる。量産型永劫機の機体に彼女の魂を同調させて生み出したアリオーン。  そして、もう一人、桜子純正のヒエロムスマシンのボディに魂を宿した彼女。  二人がかりでなら、恐れる事は無い。永劫機メフィストフェレスとて追い詰めたのだ。  だが―― 「私を忘れてもらっちゃァ困るっ! 愛の炎がこの身を燃やす、メラメラ中学生米良綾乃、ここに推参ッ!」  鶴祁とて、また一人ではない。 「綾乃君、彼女は君に任せる」 「いぇっさーお姉さまっ!」  そして、アールマティ。彼女にもまた当然ながらその人格が存在する。 「往くぞ、アールマティ」 『はい、お嬢様』  故に、三対三。双方共に、相手にとって不足なし。  かくして分散された中、直と宮子は眼前の敵に集中する。  そこに立つのは、敬と二礼だ。 「あらあら、バラバラっすね。いいんすかね、戦力分散っすよ?」 「構わないさ」  その挑発に、直は拳を掲げる。 「結果は同じだ」  その眼差しに迷いは無く。 (あちゃあ、やりにくい相手っすねぇ、この人)  二礼は嘆息する。  この手の相手に、挑発などの精神攻撃は効かない。良くも悪くもまっすぐな相手。  手加減も何もなしに正面からぶつかってくるだろう。 「俺がやる」  敬が前に出る。  拍手敬は肌で感じる。目の前の相手は強い。女だとか、乳だとかは関係なく、強敵だ。  本気の全霊でかからねば――打ち破れないだろう、と直感する。 「いい気迫だ」  その敬の覚悟を肌で感じながら、直は笑う。 「そっちこそ」  敬は笑える心境ではなかったが、それでも答える。 「いい風が、吹きそうだ」 「私達は、どうしよっか」 「そうっすねぇ……」  宮子は、治癒系能力者。  一方二礼は、神の召喚というもので、どちらも補助系の異能と言ってもいい。  治癒能力は触れねば使えぬし、二礼の力も戦場で行うには時間もかかりすぎるし隙も多い。  故に…… 「まあ、無駄に潰しあってもね。私は、ナオに賭けるわ」 「そっすね。まあ私は賭けないっすけど」  二礼は相変わらずだった。  風が吹く。  荒廃した空気をはごんで来る。  春奈は、その風の中、教え子達の戦いを見守っていた。 「みんな……がんばって」  春奈のやるべきことはもうない。  あとは、自分の生徒達を信じるのみだ。  なるべく傷つかないように、と。それは偽善者なのかもしれない、と春奈は自重する。  だってそうだろう、どれだけ言い繕おうとも、この地に生徒達を導き、ぶつけ合わせたのは自分だ。 「先生……先生は、悪くないです」  傍らで、神無が言う。 「……」  その言葉に、どう答えていいものか、春奈はわからない。  悪いのは誰か、悪いのは何か。何が正しくて間違っているのか。  そんなこと――わかろうはずもない。  でも、それでも。 「大丈夫、だよ」  春奈は傍らの教え子に言う。 「……必ず、みんなで帰らなきゃ」 「……はい」  双葉学園第八封鎖地区――地獄門。  一切の望みを捨てた者たちが立つ事を許されるその地で、  今、総力戦が始まった。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品投稿場所に戻る>作品投稿場所]]

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