【スカイラインピジョン03】

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   &bold(){スカイラインピジョン03} 「あれ、居残り?」 「ええ。ちょっとこれから」 「また例の実験ですか? 大変ですね」 「好きでやってるから平気だよ!」  米粒をほっぺたに着けたまま、権藤つばめは友人たちに明るい笑顔を向けた。  表に出たらさぞ爽快なことだろう、見事なまでの秋晴れだ。実に気持ちいい土曜日の放課後。クラスメートの女子たちもうきうきして、狭苦しい教室に颯爽と別れを告げていた。  そんな中、つばめは席についてランチクロスを広げていた。 「アキ、お昼食べに行かない?」  茶髪の子が、隣の地味な子に話しかける。 「ごめんなさい。これから用事があるので」 「あーっ、もしかして彼氏ぃ?」  アキと呼ばれたおとなしそうな少女は、すぐさま顔を赤らめた。つばめはそれを横目にさりげなく、そういえば初恋が実ったんだっけ、と回想していた。  そそくさとアキは教室を出て行った。髪も黒くて眼鏡もかけていて、普段とても大人しいのに侮れないものである。すると、残った茶髪がニマニマしながらつばめのほうを向いた。 「つばめ。あんたもいつまでそんなんなの?」 「え? え?」 「頑張るのはいいけど、もっと他に頑張らなくっちゃいけないことあるっしょ?」 「なんのことかな? かな? あはは?」  変な汗が流れ落ちた。今はあまり触れられたくない類の話題である。 「あんた男子に人気あるんだよ? もっと青春しなって!」 「今は忙しいから、我慢なんだよぅ」  すると茶髪の子は腰に手を当てて、大げさにため息を見せ付けた。 「もったいないねぇ。こんな可愛い子が恋愛に無頓着だなんてさ!」  そう冷やかしたいだけ存分に冷やかして、鼻歌交じりに去っていった。  無言でつばめは空になったお弁当箱をかたし、巾着袋に入れる。周囲がうってかわって物静かになったとき、急に怒りがわいてきた。 「無頓着なわけじゃないもん!」  誰一人残っていない教室で、腹の底から怒鳴ってやった。  実は今日、中田青空にお昼を誘ったのだが断られてしまったのだ。 「ぶえっくし!」  暴発したかのようにくしゃみが出てきた。どこかで誰かに変な噂をされているに違いない。気をつけなければいけない。  青空は学校から帰宅すると、すぐに制服から私腹に着替えていた。これから出かける用事があるのだ。帰り際にコンビニで買ったおにぎりを開け、がっつく。  本当は学校でお昼を取り、そのまま出先に直行してもよかった。しかし、ホームルームが終わって数秒後にお目目をきらきらさせてやってきたつばめから、お昼ご飯の誘いを受けてしまう。彼女は彼にとって一緒にいづらい人物だったので、適当な理由をつけて逃げてきた。  軽い昼食をとっている間に時間はあっという間に経過し、青空は部屋を出ることに決めた。これからつばめと合流し、スカイラインピジョンの活動拠点に案内してもらうのだ。  異能者航空部隊の一つであるスカイラインピジョンの秘密基地とは、一体どのようなものだろう?  この双葉島には自分の想像を超えた施設がたくさんあり、毎回度肝を抜かされてきた。果たして何が待ち受けているのだろう。広大な飛行場か、軍用基地か。  今日は土曜日なので、部活動といった特に用事が無い男子学生がぽつぽつ帰ってきている。まだ制服姿の彼らとすれ違っていたとき、 「珍しいですね。お出かけですか?」  目ざとく呼び止められた。青空は背筋を震わせる。  管理人が彼に笑顔を向けていた。青空としては変な噂が立つのが嫌だったので、こっそりでかけたかったのであるが。 「女の子のお友達でもできましたか?」  その質問に、どうしてか青空の心臓は派手に跳ね飛ぶ。 「そんなことないです!」  彼は大げさに喚いて寮から飛び出した。  青空の生活は急変と言っていいぐらい、とんでもない変貌を遂げた。  異能者として出来ることなど何一つ無いと思ってきたし、学園生活もいい加減に過ごしてきた。そんな腐りきった自分が「戦う」ことを選択したのだから。  大切な人を守れなかったことが、どうしようもなく痛恨であり無念だったからである。  青空は後ろを振り向き、商店街の道の先を見た。街の中心部に位置する大病院の建物が、はるか遠方にうかがえる。 「せめてあの子が帰ってくるまでは・・・・・・」  拳を握り締め、再び歩みだしたとき。 「あ、青空くん!」  道の向こうから権藤つばめが駆けてきた。青空は驚いた様子を見せる。 「学校で待ち合わせじゃ?」 「へへ、来ちゃった。待ちきれなくって」  予定では二年B組の教室で待ち合わせだ。わざわざ一度帰宅したのは、前述のように青空がつばめと一緒に過ごすのを敬遠したからである。  青空は彼女の顔を見るなり、思わずくすっと吹き出してしまった。  つばめは不思議そうに小首を傾げる。 「ほえ? どったの?」 「ごはんつぶ、ほっぺに着いてるよ」  指先でつまみ、掃ってやる。恥ずかしかったのか、つばめはみるみるうちに顔面を紅潮させた。どうもこの子はせっかちなようである。 「それで、研究所はどこにあるの?」 「あ、うん。もう近くだね」 「近くに?」  それに青空は違和感を覚える。今いる場所は商店街のど真ん中だ。  どう周囲を見渡して見ても、基地や飛行場めいたものは見られない。 「あはは、私たちは飛行機じゃないんだよ? ちっちゃな研究所なんだ」 「へえ、どれがそうなんだろ・・・・・・って、こら!」  青空は声を荒げた。つばめが彼の腕を組んで引っ張り出したからである。 「いっぱい教えたげるからね、新人さん!」  先ほどの緊張感はどこへやら。ご機嫌で元気いっぱいなつばめに導かれ、青空は賑やかな繁華街を進んでいく。 「あれ? ここって」  やがて、とある建物の前にたどり着いた。青空は目の前にたたずむそれを、きょとんとした表情で眺めていた。  騒がしい音ゲーの効果音。  クレーンゲームを楽しんでいるカップル。  そこは、彼の行きつけであるいつものゲームセンターであったのだ。 「ささ、おいでおいで」  当惑して突っ立っている青空を急かし、つばめは地下の対人ゲームフロアへの階段を降りていく。彼は怪訝そうな顔でそれに続いていった。  ベルゼブブ・アーマーズの筐体を見ると、やはりいつもの大学生連中がやかましく遊んでいる。昨日対戦に負けて逃げ出した青空は、彼らに見つけられないよう、下を向いてつばめのあとを付いていった。  この建物は五階建てで、UFOキャッチャーのフロアやメダルゲームのフロア、クイズゲームのフロアなどに分けられている。青空がベルゼブブ・アーマーズをプレイしているフロアは地下一階にあたり、多種多様な対人ゲームが置かれているのでちょっとした聖地となっていた。  つばめはエレベーターの前で足を止め、スカートのポケットから鍵を取り出した。エレベーターの鍵である。彼女はそれを電源とは違う鍵穴に差込み、右に捻った。 「まさか、嘘だよね?」  こんなベタな展開があるかと青空は震える。このビルは地上五階と、地下一階の対戦スペースだけで構成されているはずなのだ。 「そのまさかだよ。君の期待通りだから楽しみにしてて」  エレベーターの扉が開き、二人は乗り込む。下方向へと動き出したとき、思わずぞっとしてしまった。地下一階が終点だと思っていたのに。  密室で二人きりになる。黙っていたら自分の心臓の音がうるさいぐらいに聞えてきたので、ますます居心地の悪さを感じてしまう。  ずっと避けてきたせいもあり、同じクラスであってもつばめとはほとんど接点が無かった。だからこうして隣にいるのが違和感たっぷりである。青空の思っていた以上につばめは背が低くて、黒髪も艶があって綺麗だ。 「どうしたの? もー、じろじろ見ないでよぅ!」  バシンと背中を豪快に叩かれる。 「何でもないよ・・・・・・」  目を奪われてしまったのは事実なので、文句は言えない。  だが上機嫌に鼻歌を声に出しているつばめを横目に、青空は突如として強い不安に駆られた。こんなんでいいのだろうかと。  後輩の河原ひかりの存在が心にあった。彼の失態で通り魔の襲撃を許してしまい、今も彼女は双葉区中央の大病院で眠っている。腹を出刃包丁で深く刺されてしまったため、依然として予断を許さない状況だ。  青空は二度とこういう悲しい思いをしたくないから、二度と大切な人に辛い思いをさせたくないから、スカイラインピジョンとして戦う決意をした。だから、決して浮かれた気持ちになってはならない。自分で自分を律さなければならない。  と、あれやこれや難しいことを考え込んでいたとき、エレベーターが止まる。  液晶パネルの表示は「地下三十階」。度肝を抜かれた。  日常とかけはなれた異次元に、すでに足を踏み入れたかのような心境。足しげく通ったゲーセンの地下深くに、一体何が存在しているのだろう? 青空は恐る恐る、別世界が出迎えるのを待っていた。  そして扉は開く――。  思っていたよりもずっと明るい部屋だ。天井も壁も床も、みんな真っ白だ。 「研究室」とプレートが掲げられた一室に入る。本棚にはぎっしり分厚い資料が並び、ホワイトボードは蛍光灯の明かりが反射し、ひときわ強く輝いていた。広い机の上はほとんど何もなく、整理整頓が徹底されている。  青空はそこに、自分にとってとても馴染みのある物体が置かれているのを見つけてしまった。  ベルゼブブ・アーマーズの筐体である。 「何でこんなところに!」 「このゲーム、川崎博士が作ったんだ。知らなかったでしょ」  それを聞いてさらにびっくりする。あれほど自慰を覚えた猿のごとく遊びつくしたゲームが、まさかスカイラインピジョンの創設者の手による作品だったとは。  もう一度周囲を見渡す。壁に立てかけられている液晶モニターの大きさが半端じゃない。何を映しているのかと思ってよく見てみたら、それは島の全景図であった。 「レーダーだね。飛行テストのときは気を遣わなきゃダメなの」 「危ないから?」 「そう。いつラルヴァに襲われるかわからないし、あと、私たちだけが異能者航空部隊ってわけじゃない」  それはつまり、自分たちの他にも空を飛ぶ異能者がいるということである。 (この点がそうなのかな?)  青空が指を差した先では、赤と青、そして金と緑と紫の丸い点がV字型の陣形を作ってレーダーを移動している。赤が先頭だ。「witches」とあるが、英語が壊滅的な彼はその単語の意味がわからない。どういう人たちなのだろうと青空は思った。 「この研究室から、川崎博士が指示を飛ばすの」  そうつばめが解説をしていたときだ。青空は人の気配を感じ、後ろを振り向く。  大きめの白衣を着た、背の低い男性がいたのだ。もちろん初対面であったので、青空のほうから彼に話しかけた。 「こんにちは、初めまして。中田青空と言います」 「・・・・・・俺、いくつに見える?」 「へ?」 「歳だよ歳」  いきなりそのようなことをきかれてしまい、青空は面食らった。  白衣を着ているからにはこの研究室の一員だろう。少なくとも年上だとは思った。しかしこの人物はかなり背が低く、童顔である。短めの髪を茶色に染めているのでいっそう幼く見えた。  青空は一生懸命考えてから、こう答えた。 「二十二歳!」 「ふむ。まぁ、悪くはないか」  彼はにっこり笑顔になる。ホワイトボードに近寄ると、赤い水性マジックのキャップを開き、実年齢を数字で表した。  四十二。  絶句した。つばめが後ろでくすくす笑っている。 「これでも子持ちなんだぜぃ? 『川崎翼郎』だ、ヨロシク!」  つまりこの大学生のような人物が、ベルゼブブ・アーマーズやフライハイユニットを開発したとてもつもない科学者というわけである。強烈な寒気と共に、背筋がビンと伸びる。 「あなたが川崎博士! よろしくお願いします!」 「そんなに頭下げるなよ。これから一緒に頑張っていこうな」 「一日でも早く戦えるようになりたいです。何でもします!」  青空は宣誓でもするかのようにそう言った。かつて弓道部に入部したとき、先輩たちに言ったのとまったく同じ台詞である。そんな青空の真っ直ぐな態度に、博士は一瞬だけぽかんとなったが、すぐ笑顔に戻る。 「そーかそーか。なら容赦しないからな。とことんこき使ってやる!」 「はい!」  博士は青空に気付かれぬよう、つばめの目を見た。「何かあったんだな?」。そう確かめるように。つばめは返事の代わりに目を伏せる。  と、そこに白衣姿の女性が研究室に入ってきた。肌の白くてきれいな人だ。 「川崎さん、ご飯できたので食べちゃってください。新人クンの手続きは私がやるわ」 「いつもありがとね。んじゃ、ちょっくらメシ食ってくるわ」  外見は三十代後半といった感じの女性であった。背中まである髪もとても潤っており、美人と言っていい。 「私はフライハイユニット研究に参加している『渡部星花』と言います。オバチャンだけどよろしくね」 「はい。よろしくお願いします」  青空の手は彼女の両手に包まれた。もともとなのかそれとも炊事をしていたためか、星花の手はとても冷たい。 「二人はここで暮らしてるんですか?」  青空はそう、いきなりストレートにきいた。 「あらやだ。私は一緒に研究してるだけよ。もう少ししたら帰っちゃうわ。川崎さんはここで暮らしてるようなもんだけど」 「滅多に表に出ないよね」とつばめが補足する。 「色々あるんだけど、あの人は研究が好きすぎるのよ。そんなんだから奥さんにも子供さんにも逃げられちゃう始末」  廊下を挟んだ位置にある食堂から、「聞えてんぞ渡部!」という大声が聞えてきた。  口に手を当ててお茶目に笑っている星花。そのとき青空は、研究室の壁につけられた事務用デスクに写真立てがあることに気がついた。三人の人物が映っている。  真ん中の背が低い茶髪が川崎博士だろう。その左にいるのは、とても背の高い高等部の青年。かつての青空を思わせる短髪をしており、爽やかな印象だ。   そして右隣にいるのは、双葉学園高等部のブレザーを着た女の子である。  博士とそっくりの童顔だ。もしやこの二人が子供なのだろうか? 青空はますます、川崎翼郎という人物が謎に思えてならない。 「川崎さんとっても喜んでたわ。フライハイユニットの研究がますます進むって。ずっとチェックしてきたかいがあったわね、権藤さん!」 「私もほっとしてます。よかったです」  喜んでいるつばめとは裏腹に、青空は少々複雑な気持ちになっていた。  彼は強くなりたいからスカイラインピジョンに足を踏み入れたのだ。一人前の異能者になり、戦っていくことを選択した。  何もつばめの誘いに乗ったわけではないのである。青空は半ば意固地になっていた。この選択は、自分の意思で選んだものなのだと。 「計画が変わったわよ。もう今晩から徹夜で、中田くんのユニット完成させるって」 「それ本当ですか!」  つばめは手と手をぽんと合わせ、笑顔を咲かせる。青空本人も、この展開の速さに驚きを隠せない。 「三日で完成させるって言ってる。だから中田くんは楽しみに待っててね」  背筋から全身にかけて、一気に緊張感が張り詰める。彼は数日後にはもうフライハイユニットを手に入れ、大空を舞うことになるのだ。青空の腐っていた日常は、あたかも上昇気流に乗ったかのように大変化を遂げていく。  翼を手に入れた自分は何ができるのだろう?  自分の能力を生かして何ができるのだろう?  そのことについてこれから真剣に考え、理想的な双葉学園生を目指さなければならない。早く立派な異能者にならなければならない。腐った日常はもはや終わったのだ――と、真面目な顔をして考えを巡らせていたときである。  つばめが青空の腕を取って、ぴったり寄り添ってきたのだ。 「やったね青空くん! もうすぐ一緒に飛べるんだよ? 頑張ろうね!」 「う、うん」  そんな彼女を前にして、彼は気後れさせられていた。  どうしてこの子はこんなに浮かれているのだろうか。  つばめが嫌いなわけではないが、自分が入隊したいきさつや、真剣に戦っていくことを考えている気持ちぐらいは理解してほしかった。  博士との顔合わせを終えた青空は、つばめと一緒に町の喫茶店にいた。  専用のフライハイユニットが出来るまでの短い間は、博士本人が青空に特別講義をしてくれるという。アツィルトコンバーター理論やフライハイユニットの運用法について、事細かに教えてくれるそうだ。  機体開発と並行してやってくれるというのだから、彼の情熱には圧倒されるものがある。自分も精一杯努力をしてその情熱に応えなきゃなと、青空は気合が入っていた。 「なるほど、ゼルアマは適性テストだったんだな」 「スカイラインピジョンにふさわしい適正者を捜すため開発されたのが、ベルゼブブ・アーマーズ。私も昔はあのゲームで訓練をしていた」  青空はなぜベルゼブブ・アーマーズが研究所にあったのかについて、つばめから事情をきいていた。  口裂け女との戦闘のときのように、フライハイユニットを着用し、フレーム単位の高速戦闘を繰り広げていく集団がスカイラインピジョンである。敵の攻撃を避け、一瞬の隙を突いて反撃をしたり、ほんの一瞬のうちに接近して回りこみ、打撃を加えたりするような戦いが求められる。  そういった近未来的な戦いの要素を凝縮したのが、あのロボットゲームなのである。筐体に搭載されたカメラやセンサーで、プレイヤーの身体的変化(眼球の動きや反射神経など)をこっそり測定し、ゲームの成績と照らし合わせて能力ある適性者をはじき出すのである。 「あなたのプレーは発想から違った。誰よりも数秒先を行ってて、想像を超えてて、判断の猶予も与えずケリをつけちゃう。まさにスカイラインピジョンらしい戦いだったよ」 「俺はただ、気持ちいい戦いを追い求めてただけだよ」  そう謙遜した。能力や成績について褒められると、何だかむずがゆくて仕方ない。  とりあえず、ベルゼブブ・アーマーズとスカイラインピジョンとの関連性について把握することはできた。つばめが恐ろしいレベルの上級者であったことも、これで筋が通る。 「じゃ、俺は帰る」  そう言うと青空は自分のいただいたお茶代だけ、きっかりの額を机に置いた。  今日は顔合わせだけで解散となった。明日は日曜日だが、博士がじきじきにフライハイユニットについて講義をしてくれるという。当然青空は出席するつもりだ。だから時間のあるうちに学校の宿題を終えてしまいたかった。  その熱意ある横顔に、かつての憂鬱に呑み込まれた学生のすがたは無い。心から彼の事を慕ってくれた大切な後輩のために、青空は明るい大空へと羽ばたいていくのである。 「ねえ、ちょっと待って」  しかし、その離陸をつばめは押しとどめた。席を離れかけていた青空は、「ん?」と訝しげな表情をして、もう一度座る。 「私ずっと気になってたんだけど、青空くん、去年何があったの?」  そのとき青空の顔から完全に緩みが消えうせ、表情が硬く強張った。  つばめは去年の青空の急変を、しっかりと目撃していた。彼が笑顔を無くし、あれよあれよと学生生活から転落していく段階を。だから、ようやくのことで二人きりになれたこのタイミングで、思い切って話題に出したのである。  勉学や異能の訓練において、彼女が彼におせっかいを焼いていたのはそれが起因していた。決して軽い気持ちで青空に近づいているのではなく、つばめは本気で青空を支えたかったのである。  青空は静かな動きでお冷を右手に持った。軽く氷水を口に含んだのだが、その手は尋常でない力が込められていて青白く、細長い筋が走っている。 「青空くんの力になりたいんだ。悩んでることがあったら、頼りにしてもいいんだよ?」 「権藤さん。そういうのって何て言うか教えてやる」  ガンと、お冷のコップがテーブルに叩きつけられる。  コーヒーカップの脇に寝かせてあったスプーンが、硬い音を立てた。その行為につばめの顔が強い恐怖に歪んだ。 「『大きなお世話』って言うんだよ」  怒りに燃える黒々とした瞳。それはごく最近まで彼がしていた、恐ろしく負の感情の込められた目である。  青空はつばめを放って店を出て、一人だけで商店街を歩いていた。  そして、軽くため息をつく。  大した話ではない。去年の夏休みに島を出て帰省したときだった。彼を出迎えたのは見違えるぐらいに小奇麗にリフォームされた実家であった。よそ者だと思い込んで必死に吼える外国犬は、青空がかつてのこの家の住人だということを知らない。  実家の人間が、青空が双葉学園にいることで得られる報奨金で贅沢三昧の暮らしをしていたのである。異能者として学園に迎え入れられたさい、毎月実家に高額の入金がされる契約がされていた。  それは異能者育成プロジェクトの一環として一般社会から引き抜かれることに対する謝礼であり、命に関わる危険な戦闘や訓練に参加することに対する謝恩である。もしも未知の恐ろしいラルヴァが国を襲ったり、他国の異能者組織が進攻したりしてきたら、まず学園の生徒が年齢の高い順から徴兵されることだろう。  つまり、日ごろ彼が苦しみながら勉学や訓練に耐えることで得られる金を、家族の人間は贅沢のために使用していたのである。毎日贅沢なものを食べ、良心の趣味嗜好は過剰なまでに充実しているようだ。兄弟の習い事にも使われていた。 「・・・・・・くそ」  胸を押さえる。黒い感情に浸された心臓は、激しい怒りのままにごつごつ暴れていた。  もう、こんな鬱々とした気持ちになるのは止めなければならないのに。  権藤つばめが中田青空と出会ったのは、一年生で同じクラスになったときである。  高校生活が始まって間もない頃は、まだ青空に笑顔が見られ、教室でも明るく話をしているところをちらほら見ることができた。厳しい部活にも励んでいたようである。だからそのときは、さほど気に留めるような特別な人ではなかった。  しかし、去年の夏休みを境に青空の表情に陰りが見られるようになる。ニコリともせず、ただじっと下を見つめていることが多くなったのだ。 (青空くん、元気ないよ?) (そうかな) (うん、何かあったの?) (ほっといて)  何の変哲のないクラスメートに突如として覆いかぶさった、分厚い灰色の雨雲。明ける気配のない梅雨時の中、暗い目をして歩く朝の通勤客のような顔。それからつばめはずっと、彼のことを気にかけていた。  青空の成績は下降の一途を辿り、教室でみんなの前で先生に怒鳴られ、胸倉を掴まれ、ひっぱたかれることが多くなった。さらに、今年に入ってから彼の取り柄である弓道までも止めてしまったと聞いた。彼は弓道部のホープの一人であったのに!  これはただごとじゃない。つばめは自分でも気づかぬうちに、中田青空という男子をどうしたら元気付けることができるのか、中田青空のために何か自分にできることはないのか、考えていた。  やがて、彼女にとって決定的な出来事が訪れる。  ちょうどつばめのフライハイユニットがロールアウトし、スカイラインピジョンの活動が軌道に乗った記念すべき時期だった。  量産先行機の性能試験と並行して、有能な人材の確保も重要な仕事であった。つばめは数多に存在する高等部の生徒たちから、異能者航空部隊として戦力になりそうな人物を捜していた。  そんなある日、青空が繁華街のゲームセンターに入っていくところを偶然見つけてしまう。つばめは気づかれぬよう後を追った。  スカイラインピジョンは特別な選抜方法として、斬新な異能者選出システムも採用していた。川崎博士が自ら手がけた特製の適正テストを、ゲームセンターに混ぜ込んでおいたのである。  それが、双葉島にしかないロボットゲーム『ベルゼブブ・アーマーズ』であった。  音声と罵声の入り混じる、雰囲気の良くない澱んだ地下フロア。そして権藤つばめは、ずっと自分が追い求めていたものと再会したのである。 「おし、一本取れた!」  あの中田青空が、立ち上がって喜んでいた。 「うわ――ッ! やってねーし!」  あの中田青空が、筐体に突っ伏して悔しがっていた。 「おい! それ当たってねーって!」  あの中田青空が、ベルゼブブ・アーマーズのモニターを手のひらで叩いて怒っていた。  もう二度とB組の教室では見られないことだろう、本物の中田青空がそこにいたのだ。 (青空くんが笑ってる・・・・・・!)  しばらくの間、つばめは仕事も忘れて立ち尽くし、青空の笑顔に心を奪われた。  青空は空中を自在に飛び回り、隙を見せることなく攻撃し続けるプレイを得意としていた。それはアドリブ的な空間把握能力や反射神経の問われる、一筋縄ではいかない戦い方である。だが彼の操作は完璧で、むしろその戦い方をすることで、観戦している周りを魅了させる輝きを放っていた。  そして当時この適性テストにおいて、「とんでもない数値を叩き出す人物がいる」と博士や星花の間で話題になっていた。パイロットネーム・SORA。それが何者であるか突き止めるのもつばめの役割であった。  その人物こそが中田青空であったのだ。人並み外れた反射神経。ちょっとやそっとでは途切れることのない集中力。 「青空くんが、私以上に適正があったなんて」  手のひらに汗が滲んでいるのを、つばめ感じていた。  中田青空をスカイラインピジョンに誘わない理由はない。半端ない適性、才能。もしも彼を加入させることに成功できたら、自分たちにとって大きなプラスになることは断言できる。戦力という意味でも、開発途上であるユニットのさらなる発展に繋がるという意味でも。彼はまさに、フライハイユニットを背負って双葉島の青空を舞うに相応しい白い鳩だった。  ・・・・・・だが、そんなつまらない理由付けより、もっともっと大きな気持ちが彼女にはある。 (スカイラインピジョンなら青空くんを笑顔にできるんだ)  誰も邪魔することのない二人だけの空間を、二人並んで突き進み、大きなハートを空に描く。そんな光景を想像しただけでつばめの頬は熱を帯びていった。瞳が潤んでいった。 (とりあえずあのゲーム、ちょっと鍛えておこうっと・・・・・・)  ぼうっとした頭の中を冷やすため、彼女はこのフロアから脱することにした。  エレベーターの特別な鍵穴に専用のキーを挿し込み、右に捻ることで隠しフロアである地下三十階へ行くことができる。早速、研究所で博士に報告だ。  青空はというとゲームに夢中なあまり、その女の子のことに全く気がつかなかった。  一日の予定を全て消化し、権藤つばめは帰宅していた。  今日は一日中晴れ間の広がった、いいお天気だった。南の窓から挿し込んでくる、透明感あふれる夕暮れ時の明かり。隣の家から漂うカレーの匂い。  ベッドにうつ伏せになり、長いことぼうっとしていた。制服も脱がずに、ずっと無気力にそうしている。  あの人が心を開いてくれないのが苦痛だった。  青空をスカイラインピジョンに加入させることはできた。これからは一緒に活動する時間が増え、目と目を合わせて会話する機会に恵まれる。  彼が異能者として活躍できる環境が、スカイラインピジョンだ。あれほど劣等感に浸されて腐っていた青空は、今後スカイラインピジョンとして、島内でも学内でも一目置かれる存在になるに違いない。  自分が彼に一大転機を与えた。彼を気遣ってきた。身を挺して命を救った。  すぐにでもかつての笑顔を取り戻し、自分に対して好意的になってくれるものだと夢見ていた。そのような日常をつばめは強く希望していた。でも。 「何でこうなっちゃうんだろう」  思いつめた表情でつばめは呟く。  彼の事を思って出た行動が、大きなお世話だときつく跳ねつけられた。そう言われた以上は、自分の行為は行き過ぎたことであったか、鬱陶しいおせっかいであったということだ。 「私はこんなにも青空くんのことを想ってるのに・・・・・・」  彼がテーブルに置いていった、きっかり割り切られた額の小銭。それはまるで、自分たちの立ち位置に関する意思表明のように見えた。だからそれを見たとき、つばめは余計に悲しくなった。星花から喫茶店のクーポンをもらっていたので、自分のおごりでよかったのに。  夕日がつばめの部屋を覗き込んだ。そのとき薄暗かった彼女の部屋は、さっとオレンジ一色に染まる。眩しくて、体を熱くさせる光。  青空はいつもつばめに冷たい。一年生の頃から愛想が無い。何かと彼女のことを避ける。スカイラインピジョンで一緒になっても、それだけは変わらなかった。  もっと力になりたい。もっと話したい。  もっとあなたの笑った顔を見たい。もっとあなたの側にいたい。  それなのに、一生懸命誘ったお昼も断られてしまった・・・・・・。  つばめは起き上がり、ベッドの上で両足を開く。乱れた黒髪を背中に下ろすと、火照った頬が露になった。 「んっ」  おもむろに右手を伸ばすと、つばめはそんな声を上げた。  夕日はますます燃え盛り、島中を焼き尽くさんとばかりに最後の燃焼を見せる。そしてひときわ強い発光を見せた。 「青空くん・・・・・・」  駆け上り、乱れ墜ち。  やがて部屋は群青色に染まり、表の街灯がぽつぽつと点く。暗くなった部屋の中、つばめは力なく横に倒れ、涙混じりに荒い呼吸をしていた。  早く青空くんを空に誘おう。一緒に飛んでしまおう。  誰も邪魔することのない二人だけの空間で、自分だけが彼の全てを共有してやるのだ。  中田青空は男子寮の自室で、宿題に勤しんでいた。  いくら生活態度が改善しても、すぐに成績が向上するほど学業は甘くない。ろくに開いたことも無い英和辞典に、まずその使い方からあれこれ苦労しながら、英作文の翻訳作業を頑張っていた。  十分ほど休憩時間を取ろうと思い、窓から夕日を眺める。今日は心なしか、ものすごく強く輝いて沈んでいった気がする。まだ熱いオレンジが目に残っていた。  もうこのときには怒りも引き、つばめに酷い態度を取ったことを反省していた。喫茶店の件だ。 「あんな態度は良くなかったかな」  すぐにカッとしてしまうのは、青空の悪い癖である。  本当は気を遣われて嬉しくないはずがない。思い起こせば、一年生の頃からあの子は青空のことを心配してくれたのだ。気になる子に気遣われるのが情けなかったから、放っておいてほしい一心だったが。  崖から転落したのを助けてもらったときも、一緒に夜の空中散歩をしたときも、自分のピンチに駆けつけてくれたときも、彼は嬉しくて感動すらしていた。そんな健気な女の子と、この先ずっと共に活動できるのだ。嬉しくないはずが・・・・・・。 「ふう」  考えるのを止めた。  今はそんな気の抜けたことを考えている場合ではない。夕飯を食べて、宿題を片付けて、溜まりに溜まった課題も消化し、明日に備えて寝なければならない。  自律をしなければ。自分のせいで今も苦しむ後輩のために、生まれ変わらなければ。  そのためには自分の本当の気持ちを押さえつけ、権藤つばめの存在を心のうちから消しておかねばならない。  &bold(){次}[[【スカイラインピジョン04(前半)】]] ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
   &bold(){スカイラインピジョン03} 「あれ、居残り?」 「ええ。ちょっとこれから」 「また例の実験ですか? 大変ですね」 「好きでやってるから平気だよ!」  米粒をほっぺたに着けたまま、権藤つばめは友人たちに明るい笑顔を向けた。  表に出たらさぞ爽快なことだろう、見事なまでの秋晴れだ。実に気持ちいい土曜日の放課後。クラスメートの女子たちもうきうきして、狭苦しい教室に颯爽と別れを告げていた。  そんな中、つばめは席についてランチクロスを広げていた。 「アキ、お昼食べに行かない?」  茶髪の子が、隣の地味な子に話しかける。 「ごめんなさい。これから用事があるので」 「あーっ、もしかして彼氏ぃ?」  アキと呼ばれたおとなしそうな少女は、すぐさま顔を赤らめた。つばめはそれを横目にさりげなく、そういえば初恋が実ったんだっけ、と回想していた。  そそくさとアキは教室を出て行った。髪も黒くて眼鏡もかけていて、普段とても大人しいのに侮れないものである。すると、残った茶髪がニマニマしながらつばめのほうを向いた。 「つばめ。あんたもいつまでそんなんなの?」 「え? え?」 「頑張るのはいいけど、もっと他に頑張らなくっちゃいけないことあるっしょ?」 「なんのことかな? かな? あはは?」  変な汗が流れ落ちた。今はあまり触れられたくない類の話題である。 「あんた男子に人気あるんだよ? もっと青春しなって!」 「今は忙しいから、我慢なんだよぅ」  すると茶髪の子は腰に手を当てて、大げさにため息を見せ付けた。 「もったいないねぇ。こんな可愛い子が恋愛に無頓着だなんてさ!」  そう冷やかしたいだけ存分に冷やかして、鼻歌交じりに去っていった。  無言でつばめは空になったお弁当箱をかたし、巾着袋に入れる。周囲がうってかわって物静かになったとき、急に怒りがわいてきた。 「無頓着なわけじゃないもん!」  誰一人残っていない教室で、腹の底から怒鳴ってやった。  実は今日、中田青空にお昼を誘ったのだが断られてしまったのだ。 「ぶえっくし!」  暴発したかのようにくしゃみが出てきた。どこかで誰かに変な噂をされているに違いない。気をつけなければいけない。  青空は学校から帰宅すると、すぐに制服から私腹に着替えていた。これから出かける用事があるのだ。帰り際にコンビニで買ったおにぎりを開け、がっつく。  本当は学校でお昼を取り、そのまま出先に直行してもよかった。しかし、ホームルームが終わって数秒後にお目目をきらきらさせてやってきたつばめから、お昼ご飯の誘いを受けてしまう。彼女は彼にとって一緒にいづらい人物だったので、適当な理由をつけて逃げてきた。  軽い昼食をとっている間に時間はあっという間に経過し、青空は部屋を出ることに決めた。これからつばめと合流し、スカイラインピジョンの活動拠点に案内してもらうのだ。  異能者航空部隊の一つであるスカイラインピジョンの秘密基地とは、一体どのようなものだろう?  この双葉島には自分の想像を超えた施設がたくさんあり、毎回度肝を抜かされてきた。果たして何が待ち受けているのだろう。広大な飛行場か、軍用基地か。  今日は土曜日なので、部活動といった特に用事が無い男子学生がぽつぽつ帰ってきている。まだ制服姿の彼らとすれ違っていたとき、 「珍しいですね。お出かけですか?」  目ざとく呼び止められた。青空は背筋を震わせる。  管理人が彼に笑顔を向けていた。青空としては変な噂が立つのが嫌だったので、こっそりでかけたかったのであるが。 「女の子のお友達でもできましたか?」  その質問に、どうしてか青空の心臓は派手に跳ね飛ぶ。 「そんなことないです!」  彼は大げさに喚いて寮から飛び出した。  青空の生活は急変と言っていいぐらい、とんでもない変貌を遂げた。  異能者として出来ることなど何一つ無いと思ってきたし、学園生活もいい加減に過ごしてきた。そんな腐りきった自分が「戦う」ことを選択したのだから。  大切な人を守れなかったことが、どうしようもなく痛恨であり無念だったからである。  青空は後ろを振り向き、商店街の道の先を見た。街の中心部に位置する大病院の建物が、はるか遠方にうかがえる。 「せめてあの子が帰ってくるまでは・・・・・・」  拳を握り締め、再び歩みだしたとき。 「あ、青空くん!」  道の向こうから権藤つばめが駆けてきた。青空は驚いた様子を見せる。 「学校で待ち合わせじゃ?」 「へへ、来ちゃった。待ちきれなくって」  予定では二年B組の教室で待ち合わせだ。わざわざ一度帰宅したのは、前述のように青空がつばめと一緒に過ごすのを敬遠したからである。  青空は彼女の顔を見るなり、思わずくすっと吹き出してしまった。  つばめは不思議そうに小首を傾げる。 「ほえ? どったの?」 「ごはんつぶ、ほっぺに着いてるよ」  指先でつまみ、掃ってやる。恥ずかしかったのか、つばめはみるみるうちに顔面を紅潮させた。どうもこの子はせっかちなようである。 「それで、研究所はどこにあるの?」 「あ、うん。もう近くだね」 「近くに?」  それに青空は違和感を覚える。今いる場所は商店街のど真ん中だ。  どう周囲を見渡して見ても、基地や飛行場めいたものは見られない。 「あはは、私たちは飛行機じゃないんだよ? ちっちゃな研究所なんだ」 「へえ、どれがそうなんだろ・・・・・・って、こら!」  青空は声を荒げた。つばめが彼の腕を組んで引っ張り出したからである。 「いっぱい教えたげるからね、新人さん!」  先ほどの緊張感はどこへやら。ご機嫌で元気いっぱいなつばめに導かれ、青空は賑やかな繁華街を進んでいく。 「あれ? ここって」  やがて、とある建物の前にたどり着いた。青空は目の前にたたずむそれを、きょとんとした表情で眺めていた。  騒がしい音ゲーの効果音。  クレーンゲームを楽しんでいるカップル。  そこは、彼の行きつけであるいつものゲームセンターであったのだ。 「ささ、おいでおいで」  当惑して突っ立っている青空を急かし、つばめは地下の対人ゲームフロアへの階段を降りていく。彼は怪訝そうな顔でそれに続いていった。  ベルゼブブ・アーマーズの筐体を見ると、やはりいつもの大学生連中がやかましく遊んでいる。昨日対戦に負けて逃げ出した青空は、彼らに見つけられないよう、下を向いてつばめのあとを付いていった。  この建物は五階建てで、UFOキャッチャーのフロアやメダルゲームのフロア、クイズゲームのフロアなどに分けられている。青空がベルゼブブ・アーマーズをプレイしているフロアは地下一階にあたり、多種多様な対人ゲームが置かれているのでちょっとした聖地となっていた。  つばめはエレベーターの前で足を止め、スカートのポケットから鍵を取り出した。エレベーターの鍵である。彼女はそれを電源とは違う鍵穴に差込み、右に捻った。 「まさか、嘘だよね?」  こんなベタな展開があるかと青空は震える。このビルは地上五階と、地下一階の対戦スペースだけで構成されているはずなのだ。 「そのまさかだよ。君の期待通りだから楽しみにしてて」  エレベーターの扉が開き、二人は乗り込む。下方向へと動き出したとき、思わずぞっとしてしまった。地下一階が終点だと思っていたのに。  密室で二人きりになる。黙っていたら自分の心臓の音がうるさいぐらいに聞えてきたので、ますます居心地の悪さを感じてしまう。  ずっと避けてきたせいもあり、同じクラスであってもつばめとはほとんど接点が無かった。だからこうして隣にいるのが違和感たっぷりである。青空の思っていた以上につばめは背が低くて、黒髪も艶があって綺麗だ。 「どうしたの? もー、じろじろ見ないでよぅ!」  バシンと背中を豪快に叩かれる。 「何でもないよ・・・・・・」  目を奪われてしまったのは事実なので、文句は言えない。  だが上機嫌に鼻歌を声に出しているつばめを横目に、青空は突如として強い不安に駆られた。こんなんでいいのだろうかと。  後輩の河原ひかりの存在が心にあった。彼の失態で通り魔の襲撃を許してしまい、今も彼女は双葉区中央の大病院で眠っている。腹を出刃包丁で深く刺されてしまったため、依然として予断を許さない状況だ。  青空は二度とこういう悲しい思いをしたくないから、二度と大切な人に辛い思いをさせたくないから、スカイラインピジョンとして戦う決意をした。だから、決して浮かれた気持ちになってはならない。自分で自分を律さなければならない。  と、あれやこれや難しいことを考え込んでいたとき、エレベーターが止まる。  液晶パネルの表示は「地下三十階」。度肝を抜かれた。  日常とかけはなれた異次元に、すでに足を踏み入れたかのような心境。足しげく通ったゲーセンの地下深くに、一体何が存在しているのだろう? 青空は恐る恐る、別世界が出迎えるのを待っていた。  そして扉は開く――。  思っていたよりもずっと明るい部屋だ。天井も壁も床も、みんな真っ白だ。 「研究室」とプレートが掲げられた一室に入る。本棚にはぎっしり分厚い資料が並び、ホワイトボードは蛍光灯の明かりが反射し、ひときわ強く輝いていた。広い机の上はほとんど何もなく、整理整頓が徹底されている。  青空はそこに、自分にとってとても馴染みのある物体が置かれているのを見つけてしまった。  ベルゼブブ・アーマーズの筐体である。 「何でこんなところに!」 「このゲーム、川崎博士が作ったんだ。知らなかったでしょ」  それを聞いてさらにびっくりする。あれほど自慰を覚えた猿のごとく遊びつくしたゲームが、まさかスカイラインピジョンの創設者の手による作品だったとは。  もう一度周囲を見渡す。壁に立てかけられている液晶モニターの大きさが半端じゃない。何を映しているのかと思ってよく見てみたら、それは島の全景図であった。 「レーダーだね。飛行テストのときは気を遣わなきゃダメなの」 「危ないから?」 「そう。いつラルヴァに襲われるかわからないし、あと、私たちだけが異能者航空部隊ってわけじゃない」  それはつまり、自分たちの他にも空を飛ぶ異能者がいるということである。 (この点がそうなのかな?)  青空が指を差した先では、赤と青、そして金と緑と紫の丸い点がV字型の陣形を作ってレーダーを移動している。赤が先頭だ。「witches」とあるが、英語が壊滅的な彼はその単語の意味がわからない。どういう人たちなのだろうと青空は思った。 「この研究室から、川崎博士が指示を飛ばすの」  そうつばめが解説をしていたときだ。青空は人の気配を感じ、後ろを振り向く。  大きめの白衣を着た、背の低い男性がいたのだ。もちろん初対面であったので、青空のほうから彼に話しかけた。 「こんにちは、初めまして。中田青空と言います」 「・・・・・・俺、いくつに見える?」 「へ?」 「歳だよ歳」  いきなりそのようなことをきかれてしまい、青空は面食らった。  白衣を着ているからにはこの研究室の一員だろう。少なくとも年上だとは思った。しかしこの人物はかなり背が低く、童顔である。短めの髪を茶色に染めているのでいっそう幼く見えた。  青空は一生懸命考えてから、こう答えた。 「二十二歳!」 「ふむ。まぁ、悪くはないか」  彼はにっこり笑顔になる。ホワイトボードに近寄ると、赤い水性マジックのキャップを開き、実年齢を数字で表した。  四十二。  絶句した。つばめが後ろでくすくす笑っている。 「これでも子持ちなんだぜぃ? 『川崎翼郎』だ、ヨロシク!」  つまりこの大学生のような人物が、ベルゼブブ・アーマーズやフライハイユニットを開発したとてもつもない科学者というわけである。強烈な寒気と共に、背筋がビンと伸びる。 「あなたが川崎博士! よろしくお願いします!」 「そんなに頭下げるなよ。これから一緒に頑張っていこうな」 「一日でも早く戦えるようになりたいです。何でもします!」  青空は宣誓でもするかのようにそう言った。かつて弓道部に入部したとき、先輩たちに言ったのとまったく同じ台詞である。そんな青空の真っ直ぐな態度に、博士は一瞬だけぽかんとなったが、すぐ笑顔に戻る。 「そーかそーか。なら容赦しないからな。とことんこき使ってやる!」 「はい!」  博士は青空に気付かれぬよう、つばめの目を見た。「何かあったんだな?」。そう確かめるように。つばめは返事の代わりに目を伏せる。  と、そこに白衣姿の女性が研究室に入ってきた。肌の白くてきれいな人だ。 「川崎さん、ご飯できたので食べちゃってください。新人クンの手続きは私がやるわ」 「いつもありがとね。んじゃ、ちょっくらメシ食ってくるわ」  外見は三十代後半といった感じの女性であった。背中まである髪もとても潤っており、美人と言っていい。 「私はフライハイユニット研究に参加している『渡部星花』と言います。オバチャンだけどよろしくね」 「はい。よろしくお願いします」  青空の手は彼女の両手に包まれた。もともとなのかそれとも炊事をしていたためか、星花の手はとても冷たい。 「二人はここで暮らしてるんですか?」  青空はそう、いきなりストレートにきいた。 「あらやだ。私は一緒に研究してるだけよ。もう少ししたら帰っちゃうわ。川崎さんはここで暮らしてるようなもんだけど」 「滅多に表に出ないよね」とつばめが補足する。 「色々あるんだけど、あの人は研究が好きすぎるのよ。そんなんだから奥さんにも子供さんにも逃げられちゃう始末」  廊下を挟んだ位置にある食堂から、「聞えてんぞ渡部!」という大声が聞えてきた。  口に手を当ててお茶目に笑っている星花。そのとき青空は、研究室の壁につけられた事務用デスクに写真立てがあることに気がついた。三人の人物が映っている。  真ん中の背が低い茶髪が川崎博士だろう。その左にいるのは、とても背の高い高等部の青年。かつての青空を思わせる短髪をしており、爽やかな印象だ。   そして右隣にいるのは、双葉学園高等部のブレザーを着た女の子である。  博士とそっくりの童顔だ。もしやこの二人が子供なのだろうか? 青空はますます、川崎翼郎という人物が謎に思えてならない。 「川崎さんとっても喜んでたわ。フライハイユニットの研究がますます進むって。ずっとチェックしてきたかいがあったわね、権藤さん!」 「私もほっとしてます。よかったです」  喜んでいるつばめとは裏腹に、青空は少々複雑な気持ちになっていた。  彼は強くなりたいからスカイラインピジョンに足を踏み入れたのだ。一人前の異能者になり、戦っていくことを選択した。  何もつばめの誘いに乗ったわけではないのである。青空は半ば意固地になっていた。この選択は、自分の意思で選んだものなのだと。 「計画が変わったわよ。もう今晩から徹夜で、中田くんのユニット完成させるって」 「それ本当ですか!」  つばめは手と手をぽんと合わせ、笑顔を咲かせる。青空本人も、この展開の速さに驚きを隠せない。 「三日で完成させるって言ってる。だから中田くんは楽しみに待っててね」  背筋から全身にかけて、一気に緊張感が張り詰める。彼は数日後にはもうフライハイユニットを手に入れ、大空を舞うことになるのだ。青空の腐っていた日常は、あたかも上昇気流に乗ったかのように大変化を遂げていく。  翼を手に入れた自分は何ができるのだろう?  自分の能力を生かして何ができるのだろう?  そのことについてこれから真剣に考え、理想的な双葉学園生を目指さなければならない。早く立派な異能者にならなければならない。腐った日常はもはや終わったのだ――と、真面目な顔をして考えを巡らせていたときである。  つばめが青空の腕を取って、ぴったり寄り添ってきたのだ。 「やったね青空くん! もうすぐ一緒に飛べるんだよ? 頑張ろうね!」 「う、うん」  そんな彼女を前にして、彼は気後れさせられていた。  どうしてこの子はこんなに浮かれているのだろうか。  つばめが嫌いなわけではないが、自分が入隊したいきさつや、真剣に戦っていくことを考えている気持ちぐらいは理解してほしかった。  博士との顔合わせを終えた青空は、つばめと一緒に町の喫茶店にいた。  専用のフライハイユニットが出来るまでの短い間は、博士本人が青空に特別講義をしてくれるという。アツィルトコンバーター理論やフライハイユニットの運用法について、事細かに教えてくれるそうだ。  機体開発と並行してやってくれるというのだから、彼の情熱には圧倒されるものがある。自分も精一杯努力をしてその情熱に応えなきゃなと、青空は気合が入っていた。 「なるほど、ゼルアマは適性テストだったんだな」 「スカイラインピジョンにふさわしい適正者を捜すため開発されたのが、ベルゼブブ・アーマーズ。私も昔はあのゲームで訓練をしていた」  青空はなぜベルゼブブ・アーマーズが研究所にあったのかについて、つばめから事情をきいていた。  口裂け女との戦闘のときのように、フライハイユニットを着用し、フレーム単位の高速戦闘を繰り広げていく集団がスカイラインピジョンである。敵の攻撃を避け、一瞬の隙を突いて反撃をしたり、ほんの一瞬のうちに接近して回りこみ、打撃を加えたりするような戦いが求められる。  そういった近未来的な戦いの要素を凝縮したのが、あのロボットゲームなのである。筐体に搭載されたカメラやセンサーで、プレイヤーの身体的変化(眼球の動きや反射神経など)をこっそり測定し、ゲームの成績と照らし合わせて能力ある適性者をはじき出すのである。 「あなたのプレーは発想から違った。誰よりも数秒先を行ってて、想像を超えてて、判断の猶予も与えずケリをつけちゃう。まさにスカイラインピジョンらしい戦いだったよ」 「俺はただ、気持ちいい戦いを追い求めてただけだよ」  そう謙遜した。能力や成績について褒められると、何だかむずがゆくて仕方ない。  とりあえず、ベルゼブブ・アーマーズとスカイラインピジョンとの関連性について把握することはできた。つばめが恐ろしいレベルの上級者であったことも、これで筋が通る。 「じゃ、俺は帰る」  そう言うと青空は自分のいただいたお茶代だけ、きっかりの額を机に置いた。  今日は顔合わせだけで解散となった。明日は日曜日だが、博士がじきじきにフライハイユニットについて講義をしてくれるという。当然青空は出席するつもりだ。だから時間のあるうちに学校の宿題を終えてしまいたかった。  その熱意ある横顔に、かつての憂鬱に呑み込まれた学生のすがたは無い。心から彼の事を慕ってくれた大切な後輩のために、青空は明るい大空へと羽ばたいていくのである。 「ねえ、ちょっと待って」  しかし、その離陸をつばめは押しとどめた。席を離れかけていた青空は、「ん?」と訝しげな表情をして、もう一度座る。 「私ずっと気になってたんだけど、青空くん、去年何があったの?」  そのとき青空の顔から完全に緩みが消えうせ、表情が硬く強張った。  つばめは去年の青空の急変を、しっかりと目撃していた。彼が笑顔を無くし、あれよあれよと学生生活から転落していく段階を。だから、ようやくのことで二人きりになれたこのタイミングで、思い切って話題に出したのである。  勉学や異能の訓練において、彼女が彼におせっかいを焼いていたのはそれが起因していた。決して軽い気持ちで青空に近づいているのではなく、つばめは本気で青空を支えたかったのである。  青空は静かな動きでお冷を右手に持った。軽く氷水を口に含んだのだが、その手は尋常でない力が込められていて青白く、細長い筋が走っている。 「青空くんの力になりたいんだ。悩んでることがあったら、頼りにしてもいいんだよ?」 「権藤さん。そういうのって何て言うか教えてやる」  ガンと、お冷のコップがテーブルに叩きつけられる。  コーヒーカップの脇に寝かせてあったスプーンが、硬い音を立てた。その行為につばめの顔が強い恐怖に歪んだ。 「『大きなお世話』って言うんだよ」  怒りに燃える黒々とした瞳。それはごく最近まで彼がしていた、恐ろしく負の感情の込められた目である。  青空はつばめを放って店を出て、一人だけで商店街を歩いていた。  そして、軽くため息をつく。  大した話ではない。去年の夏休みに島を出て帰省したときだった。彼を出迎えたのは見違えるぐらいに小奇麗にリフォームされた実家であった。よそ者だと思い込んで必死に吼える外国犬は、青空がかつてのこの家の住人だということを知らない。  実家の人間が、青空が双葉学園にいることで得られる報奨金で贅沢三昧の暮らしをしていたのである。異能者として学園に迎え入れられたさい、毎月実家に高額の入金がされる契約がされていた。  それは異能者育成プロジェクトの一環として一般社会から引き抜かれることに対する謝礼であり、命に関わる危険な戦闘や訓練に参加することに対する謝恩である。もしも未知の恐ろしいラルヴァが国を襲ったり、他国の異能者組織が進攻したりしてきたら、まず学園の生徒が年齢の高い順から徴兵されることだろう。  つまり、日ごろ彼が苦しみながら勉学や訓練に耐えることで得られる金を、家族の人間は贅沢のために使用していたのである。毎日贅沢なものを食べ、良心の趣味嗜好は過剰なまでに充実しているようだ。兄弟の習い事にも使われていた。 「・・・・・・くそ」  胸を押さえる。黒い感情に浸された心臓は、激しい怒りのままにごつごつ暴れていた。  もう、こんな鬱々とした気持ちになるのは止めなければならないのに。  権藤つばめが中田青空と出会ったのは、一年生で同じクラスになったときである。  高校生活が始まって間もない頃は、まだ青空に笑顔が見られ、教室でも明るく話をしているところをちらほら見ることができた。厳しい部活にも励んでいたようである。だからそのときは、さほど気に留めるような特別な人ではなかった。  しかし、去年の夏休みを境に青空の表情に陰りが見られるようになる。ニコリともせず、ただじっと下を見つめていることが多くなったのだ。 (青空くん、元気ないよ?) (そうかな) (うん、何かあったの?) (ほっといて)  何の変哲のないクラスメートに突如として覆いかぶさった、分厚い灰色の雨雲。明ける気配のない梅雨時の中、暗い目をして歩く朝の通勤客のような顔。それからつばめはずっと、彼のことを気にかけていた。  青空の成績は下降の一途を辿り、教室でみんなの前で先生に怒鳴られ、胸倉を掴まれ、ひっぱたかれることが多くなった。さらに、今年に入ってから彼の取り柄である弓道までも止めてしまったと聞いた。彼は弓道部のホープの一人であったのに!  これはただごとじゃない。つばめは自分でも気づかぬうちに、中田青空という男子をどうしたら元気付けることができるのか、中田青空のために何か自分にできることはないのか、考えていた。  やがて、彼女にとって決定的な出来事が訪れる。  ちょうどつばめのフライハイユニットがロールアウトし、スカイラインピジョンの活動が軌道に乗った記念すべき時期だった。  量産先行機の性能試験と並行して、有能な人材の確保も重要な仕事であった。つばめは数多に存在する高等部の生徒たちから、異能者航空部隊として戦力になりそうな人物を捜していた。  そんなある日、青空が繁華街のゲームセンターに入っていくところを偶然見つけてしまう。つばめは気づかれぬよう後を追った。  スカイラインピジョンは特別な選抜方法として、斬新な異能者選出システムも採用していた。川崎博士が自ら手がけた特製の適正テストを、ゲームセンターに混ぜ込んでおいたのである。  それが、双葉島にしかないロボットゲーム『ベルゼブブ・アーマーズ』であった。  音声と罵声の入り混じる、雰囲気の良くない澱んだ地下フロア。そして権藤つばめは、ずっと自分が追い求めていたものと再会したのである。 「おし、一本取れた!」  あの中田青空が、立ち上がって喜んでいた。 「うわ――ッ! やってねーし!」  あの中田青空が、筐体に突っ伏して悔しがっていた。 「おい! それ当たってねーって!」  あの中田青空が、ベルゼブブ・アーマーズのモニターを手のひらで叩いて怒っていた。  もう二度とB組の教室では見られないことだろう、本物の中田青空がそこにいたのだ。 (青空くんが笑ってる・・・・・・!)  しばらくの間、つばめは仕事も忘れて立ち尽くし、青空の笑顔に心を奪われた。  青空は空中を自在に飛び回り、隙を見せることなく攻撃し続けるプレイを得意としていた。それはアドリブ的な空間把握能力や反射神経の問われる、一筋縄ではいかない戦い方である。だが彼の操作は完璧で、むしろその戦い方をすることで、観戦している周りを魅了させる輝きを放っていた。  そして当時この適性テストにおいて、「とんでもない数値を叩き出す人物がいる」と博士や星花の間で話題になっていた。パイロットネーム・SORA。それが何者であるか突き止めるのもつばめの役割であった。  その人物こそが中田青空であったのだ。人並み外れた反射神経。ちょっとやそっとでは途切れることのない集中力。 「青空くんが、私以上に適正があったなんて」  手のひらに汗が滲んでいるのを、つばめ感じていた。  中田青空をスカイラインピジョンに誘わない理由はない。半端ない適性、才能。もしも彼を加入させることに成功できたら、自分たちにとって大きなプラスになることは断言できる。戦力という意味でも、開発途上であるユニットのさらなる発展に繋がるという意味でも。彼はまさに、フライハイユニットを背負って双葉島の青空を舞うに相応しい白い鳩だった。  ・・・・・・だが、そんなつまらない理由付けより、もっともっと大きな気持ちが彼女にはある。 (スカイラインピジョンなら青空くんを笑顔にできるんだ)  誰も邪魔することのない二人だけの空間を、二人並んで突き進み、大きなハートを空に描く。そんな光景を想像しただけでつばめの頬は熱を帯びていった。瞳が潤んでいった。 (とりあえずあのゲーム、ちょっと鍛えておこうっと・・・・・・)  ぼうっとした頭の中を冷やすため、彼女はこのフロアから脱することにした。  エレベーターの特別な鍵穴に専用のキーを挿し込み、右に捻ることで隠しフロアである地下三十階へ行くことができる。早速、研究所で博士に報告だ。  青空はというとゲームに夢中なあまり、その女の子のことに全く気がつかなかった。  一日の予定を全て消化し、権藤つばめは帰宅していた。  今日は一日中晴れ間の広がった、いいお天気だった。南の窓から挿し込んでくる、透明感あふれる夕暮れ時の明かり。隣の家から漂うカレーの匂い。  ベッドにうつ伏せになり、長いことぼうっとしていた。制服も脱がずに、ずっと無気力にそうしている。  あの人が心を開いてくれないのが苦痛だった。  青空をスカイラインピジョンに加入させることはできた。これからは一緒に活動する時間が増え、目と目を合わせて会話する機会に恵まれる。  彼が異能者として活躍できる環境が、スカイラインピジョンだ。あれほど劣等感に浸されて腐っていた青空は、今後スカイラインピジョンとして、島内でも学内でも一目置かれる存在になるに違いない。  自分が彼に一大転機を与えた。彼を気遣ってきた。身を挺して命を救った。  すぐにでもかつての笑顔を取り戻し、自分に対して好意的になってくれるものだと夢見ていた。そのような日常をつばめは強く希望していた。でも。 「何でこうなっちゃうんだろう」  思いつめた表情でつばめは呟く。  彼の事を思って出た行動が、大きなお世話だときつく跳ねつけられた。そう言われた以上は、自分の行為は行き過ぎたことであったか、鬱陶しいおせっかいであったということだ。 「私はこんなにも青空くんのことを想ってるのに・・・・・・」  彼がテーブルに置いていった、きっかり割り切られた額の小銭。それはまるで、自分たちの立ち位置に関する意思表明のように見えた。だからそれを見たとき、つばめは余計に悲しくなった。星花から喫茶店のクーポンをもらっていたので、自分のおごりでよかったのに。  夕日がつばめの部屋を覗き込んだ。そのとき薄暗かった彼女の部屋は、さっとオレンジ一色に染まる。眩しくて、体を熱くさせる光。  青空はいつもつばめに冷たい。一年生の頃から愛想が無い。何かと彼女のことを避ける。スカイラインピジョンで一緒になっても、それだけは変わらなかった。  もっと力になりたい。もっと話したい。  もっとあなたの笑った顔を見たい。もっとあなたの側にいたい。  それなのに、一生懸命誘ったお昼も断られてしまった・・・・・・。  つばめは起き上がり、ベッドの上で両足を開く。乱れた黒髪を背中に下ろすと、火照った頬が露になった。 「んっ」  おもむろに右手を伸ばすと、つばめはそんな声を上げた。  夕日はますます燃え盛り、島中を焼き尽くさんとばかりに最後の燃焼を見せる。そしてひときわ強い発光を見せた。 「青空くん・・・・・・」  駆け上り、乱れ墜ち。  やがて部屋は群青色に染まり、表の街灯がぽつぽつと点く。暗くなった部屋の中、つばめは力なく横に倒れ、涙混じりに荒い呼吸をしていた。  早く青空くんを空に誘おう。一緒に飛んでしまおう。  誰も邪魔することのない二人だけの空間で、自分だけが彼の全てを共有してやるのだ。  中田青空は男子寮の自室で、宿題に勤しんでいた。  いくら生活態度が改善しても、すぐに成績が向上するほど学業は甘くない。ろくに開いたことも無い英和辞典に、まずその使い方からあれこれ苦労しながら、英作文の翻訳作業を頑張っていた。  十分ほど休憩時間を取ろうと思い、窓から夕日を眺める。今日は心なしか、ものすごく強く輝いて沈んでいった気がする。まだ熱いオレンジが目に残っていた。  もうこのときには怒りも引き、つばめに酷い態度を取ったことを反省していた。喫茶店の件だ。 「あんな態度は良くなかったかな」  すぐにカッとしてしまうのは、青空の悪い癖である。  本当は気を遣われて嬉しくないはずがない。思い起こせば、一年生の頃からあの子は青空のことを心配してくれたのだ。気になる子に気遣われるのが情けなかったから、放っておいてほしい一心だったが。  崖から転落したのを助けてもらったときも、一緒に夜の空中散歩をしたときも、自分のピンチに駆けつけてくれたときも、彼は嬉しくて感動すらしていた。そんな健気な女の子と、この先ずっと共に活動できるのだ。嬉しくないはずが・・・・・・。 「ふう」  考えるのを止めた。  今はそんな気の抜けたことを考えている場合ではない。夕飯を食べて、宿題を片付けて、溜まりに溜まった課題も消化し、明日に備えて寝なければならない。  自律をしなければ。自分のせいで今も苦しむ後輩のために、生まれ変わらなければ。  そのためには自分の本当の気持ちを押さえつけ、権藤つばめの存在を心のうちから消しておかねばならない。  &bold(){次}[[【スカイラインピジョン04(前半)】]] ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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